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検索対象: 国民百科事典2
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1. 国民百科事典2

1 2 4 かなや記号で表わしたものが多い 片かなの起原 平がなの起原 撥音を , ん ( 无 ) , ン ( V か ? ) で表わ 、末也良无 多夸儿万セ VJ る黍は し , 促音を , っ , ツのかなで表わす レ おか、 O り ン あ き たなは ま ん ようになったのは , かなリおくれて サ タナ ア カ マ ・ヤー フ ワ ら わ ノ、 以え知イニ比 平安末期院政時代ごろからである。 司井 二・十ニエヒ 〔濁点〕中国で漢字の四声を示すた ぃ ン チニ リ し ちにひ め , 四隅のいずれかにつけた声点の 于久寸国奴不式由留 不 牟 模倣から始まったものであるが , か う ( すりぬむゆ なの成立当時は表記法がなく , 平安 フ く ウ ク ス ツヌ フ ム すっぬ」、 末期に考案されてからも長い間一般 む 衣 ま十世天袮部女 ェ谷 ゑし当 ネし には清濁の書き分けのない場合が多 廾 1 れゑ 第 1 メ・ 与十 かった。西大寺蔵く護摩蜜記 > ( 1035 ) え ナ 工ケ せ へ め で清音 0 , 濁音 0 0 を漢字につけたの 止乃与呂遠 方ト己 オ 上カ が最初で , 次いで漢字音を表記する も よろ 反切 , 類音 , かなにつけるようにな オ コ ソ トノ ホ お そ とのほ ロ ヲ も モヨ この手法が歌集 , 物語などの古 典作品の読解に使われるようになっ 万葉がなのなかから字画の簡単なも この間種々の記号があったが 言己入することが行なわれるようにな た 符号の位置は今日と異なり . その位 のが好んで使われるようになり , り , 万葉がなを漢文の行間に記入し れらがのちのかな文字の母体となっ 置でアクセントをも示したものが多 て漢字の音 , 訓を注記したが , 講義 い。清音符号はやがて略し濁音符号 の備忘的なものなので , 狭いところ た。 / かなづかい 〔平がな〕平がなは漢字の草書体を だけを用いるようになり , 室町時代 に速く書く必要があり , 万葉がなを には今日と同し 2 点の濁点がみられ 草体化し , あるいは字画の一部を省 さらに書きくすしたものであるが , るがまだ一般的ではなく 3 . の一蜀 その源流としては二つの用法が考え 略して記入するようになった。後者 音符号もあった。 2 点の濁音符号が られる。 1 ) 万葉がなの文 , あるいは が略体がなとよばれるもので片かな 統一的に使用されるようになったの 宣命書における万葉がなが著しく草 の祖である。年代の明らかな最古の は江戸時代以後である。パ行子音音 資料はく成実論 > ( 828 ) で , 草がな , 書化されたもの。平安時代 867 年の 素 ( 半濁音 ) は発生が新しく , 江戸初 略体がなが混用されたが , 返り点や 讃岐国戸籍帳の端書などにその例 期のキリシタン物などで〇が用いら ヲコト点などとともに記入するので , がみられる。くだって , 伝小野道風 れ , その後ひろく用いられるように やがて , 続けて書かす明確な字体を 筆く秋萩歌帖 > にみられるものも同 なった。 / 漢字 . / 日本語〔大江〕 もっ略体がなが好んで用いられるよ 種のもので , 「草がな」とよばれる。 ガーナ ( 補 ) 1966 年 2 うになった。略体がなは実用的な目 . ガーナ Ghana アフリカ西部 , 2 ) 漢文の古訓点にみえるもの。初め 月 24 日クーデターが起 ギニア湾にのぞむ共和国。旧黄金海 的のため万葉がなに対する符号とし は万葉がなが用いられたが , しだい こって国家解放評議会 て発達したものなので , 初期には個 岸と , 旧英国信託統治領のトーゴラ に草がな , 略体がなが混用されるよ が新設され , J. アンク ンドをふくみ , 面積 238537km2 , 人口 人差も大きく , 同一人の記入したも うになった。一方において , 平安初 ラ中将が議長に就任。 のでも異体の字がきわめて多かった 7340000 ( 1963 推 ) 。首都はアクラ。 期は漢文学全盛の時代で , 和歌や散 折から北京を訪問中の これは同じ音を示す万葉がなが数個 国上の大部分は標高 2()() m の低地で , 文は宮廷の後宮を中心とした女子の ェンクルマ大統領は追 あったためもあみが , 字画のどの部 熱帯に属し高温多湿 , 住民は純粋の 放された。同日 , ギニ 世界で保たれ , 女子の消息文がしだ ア民主党はエンクルマ 分を省略するかきまっていない ニグロである。産業としては , カカ いに発達していた このことがまた 支援を放送し , 3 月 3 にもよる。平安中期になると , 字体 オの生産が世界の % 以上を占めるほ 平がなを生み出す有力な力になった 日ギニア大統領セク・ の統一へ向かう傾向がみえ , 略体化 か , 鉱物資源も豊富で , マンガン , と思われる。女性が漢字になしまな トレはエンクルマをギ ダイヤモンド , ポーキサイト , 金な がいっそう進んで , かな相互の混同 かったのは , 万葉がなを用いるにし ニア元首とすると発表 どを産する。政府は 1953 年来ポルタ を起こさない範囲で限界に達した ても漢字の字体を離れて自由にくす なおが一ナの名称は こうし 字体の統一が始まると一般の人々に 川開発計画などを進めている。 すことができたからである。 10 世紀ごろ , 今のマリ 英国は旧黄金海岸地域を 1874 年植 も用いられて , 符号的な性格を脱し て平がなは女子の世界で発達したの 共和国あたりに強大を 民地に , アシャンチ , 北部地域を 19 て独立の文字となり , 片かなとよば で , 「女手」とよばれた。和歌が女 誇ったアフリカ人の国 れるようになったと考えられる。醍 OI 年保護領とした。しかし第二次大 子の世界で保たれていたため , この 家が一ナ帝国からとっ 醐寺五重塔の落書き中には片かなで 戦後 , 民族運動が活発化し , 47 年に 女手で書かれる習慣が成立し , く古今 たもの。この帝国は , 「統一ゴールドコースト会議」 (UGCC) 和歌を書いたものがあり , 源信のく法 文字をもたなかったが 集 > で初めて女手が公的な面に登場し カ { , 49 年にはクワメ・エンクノレマ ( ヌ 鉄の使用を知っており , 華経義読 > などの音義類で万葉がな た。定家、臨模本紀貫之こ自筆上 塩の輸入と黄金の輸出 クノレマ )Kwame Nkrumah ( 1909 ~ ) 佐日記 ( 935 頃 ) や醍醐寺五重塔天井 に代わって片かなが用いられ始めた によって富を築いた の率いる「会議人民党」 ( CPP ) が生 ことなどから , このころには片かな 板の落書き ( 951 頃 ) 中の例などの字 ただし現在のが一ナ共 まれた。 51 年の選挙以来 , C P P は が成立し , ひろく用いられていたで 体からみると , 平がなはこのころま 和国の領上はこの帝国 与党の地位を保ち , 翌 57 年 3 月トーー あろうと考えられる。片かなは平が でには成立し , 相当に流通していた に含まれていなかった ゴランドを併合 , イギリス連邦内の自 なと違って成立後も漢字の補助的な と考えられる。発生当初はむしろ異 治領として独立 , さらに 60 年 7 月イ 役割をすることが多く , 異体の字は 体字は少なかったが , 以後字体に変 ギリス連邦内の共和国となった。 平がなはど多くはなかった。現在の 化を求める美的要求から字源または CPP は社会主義的な福祉国家と西 字体はやはり 19()0 年の小学校令で確 字体を異にする異体のかなや草がな アフリカ連邦の建設を目標としてい 定したものである。 のようなものも用いられた。現在の たが , 海岸地域の少数部族と都市労 〔撥音・促音〕両者は平安時代にな 平がなの字体は 1900 年の小学校令に ってから生した音素で , かな成立当 働者を中核とした C P P に対し , 旧 おいて統一されたもので , はかの字 初は記号がなく無表記のものが多く 首長制の伝統を背景としたアンヤン 体のかなを変体がなという。 フ , ウ , イなどの音 次いでム チ族の反抗は , 1966 年 2 月のクーデ 〔片かな〕片かなは万葉がなとして ターにより , ェンクルマ政権を倒し , を表わすかなを転用したり , く , > , 用いられた漢字の字画の一部分をと 親西欧的な軍事政権の樹立という結 V などの形に似た記号で表わされた って他を省略することから生じたも が , 撥音と促音との区別をせす同じ 〔奧野・山口〕 のである。平安初期に漢文に訓点を 果をもたらした。

2. 国民百科事典2

カッヤマ 1 1 6 喜ばれた。歌詞は「かっ 0 工れ , かっ かつらがわ桂川富士山北ろく が少なく , 工作しやすいので , 建築 の山中湖に源を発する / 相模豊川が 0 工れ , 甘茶でかっーエれ , 塩茶でかっ 材 , 家具材 , 器具材 , そのほか木型 はれ , ョーイトナョイヨイ。沖の暗 道志川と合流するまでの上流部の別 や箱材 , 細工物に適する。〔大井〕 名。流長 70km 。大月市より下流では いのに白帆がみえる , あれは紀伊国 かつら鬘おもに俳優が用いる 河岸段丘が発達している。アユ漁で 蜜柑船・・・・・・」など。 1886 年正月 , 頭髪のふん装用具であるが , 頭髪の 知られる。 く初霞空住吉警以わの名題で 9 世 薄くなった人が用いることもある。 〔松山〕 日本では古く「かづら」といって , 市川団十郎らが舞台化し , 今日も上 かつらがわ桂川京都府内を流 頭部に草木の葉などを巻き付けて飾 演される。その名は天保年間流行の れる / 保津川の下流。京都盆地を流 く鳥羽節わの囃子詞 : 「私しゃお りとしたことから , この名が由来す れ , 京都市内の名所嵐山付近から山 前にかっーエ ( 惚 ) れた」によっている。 崎で淀川に合流するまでの間をいう。 る。能楽にも簡単なかつらがあるが , とくに歌舞伎において発達し重要な 流長 2()km 。流域は古くから開け , 乙 〔郡司〕 かつやま勝山〔市〕福井県北東 役割を果たしている。演する役がら 訓古墳群 , 長岡京跡 , 条里制地割 部大野盆地の入口を占め , 九頭竜川 の遺跡が残る。農業用水のはか , 江 の身分や性格などによって千差万別 戸時代から染色に利用されてきた にのぞむ河岸段丘上の市。人口 34828 であり , それぞれ名称がつけられて 古来賀茂川とともに歌にもよまれ , ( 1965 ) 。 1954 年勝山町が 8 村を合併 いる ( / 歌舞伎 ) 。このほかに現在は 婦人の日本髪のものがあり , 地鬘 親しまれている。 して市制。 1574 年一向一揆 : : うが村 〔松山〕 かつらがわほしゅう桂川甫周 とよばれている。もつばら婚礼用で , 岡山を拠点に , 平泉寺を滅ばしたの その構造も簡単である。軽金属のフ を記念して勝山と改めたのが地名の 1751 ~ 1809 江戸時代の蘭学者。名 現在は日常用 鬘 ( 補 ) は国瑞 , あざなは公鑑 , 号は月池。 起こりという。江戸時代は小笠原氏 レームを土台とし , 前頭部に羽二重 に人毛や化繊によるか つらが普及している 家は代々幕府の医官でその 4 世にあ の城下町。京福電鉄大野線が通し , をはって地はだのように見せ , 髪の ( おもに婦人用 ) 。頭全 たり , 1777 年奧医師 , 94 年医学館教授 北は谷峠を越えて石川県と連絡する。 毛を植えて結ったものである。かぶ 体をおおうへア・ドレ となる。 / く解体新書〉の訳業に参 福井機業地帯の東部を占める織物の るときはあらかしめ自分の毛をまと スと部分的に補うへア・ 町で , 絹 , 人絹 , 合成繊維などを産 加 , またしばしば江戸参府のオラン め , めだたぬ色の羽二重などできっ ピースがある。かつら ダ人らと対談 , ツンベルグの旅行記 する。 2 月の左義長 ( どんど ) は名高 ちり巻き付け , その上からかぶって 用人毛は , 薬品処理で い。東方 4km の平泉寺は泰澄の開山 内側に付いたひもを後頭部で結んで にも特筆されている。く魯西亜志〉 細くなるため , アジア 人の太い毛が用いられ , で中世は 6 千の坊が並び , 僧兵を擁 落ち着かせる。西洋ではウィグとい ( 1793 ) , 漂民光太夫の見聞を編述し 東南アジア , インドな して北陸地方に勢力をふるった。 たく北槎聞略〉 ( 1794 ) など著訳書が い , ふん装用や実用のほかに , 威厳 どからも輸入される。 〔千葉〕 多い。なおく和蘭字彙い ( 蘭日辞典 ) を をもたせるために用いることがある。 1 本すっ植毛する手作 刊行した 7 世の国興 ( 1826 ~ 81 ) も甫 かつやま勝山〔町〕岡山県北部 , すでに古代エジプトでは , 頭髪や羊 りのものと機械による 真庭きわ郡の町。人口 12939 ( 1965 ) 。 〔長谷〕 周と称した。 毛などで作った大型のものを王や王 ものがある。 かつらぎさん葛城山大阪府と 旭川上流に沿う勝山は出雲街道 女が使用したが , 当時は頭髪をそっ 和歌山県の境にある和泉ず山脈の主 の要地で三浦氏の城下町として発達 ていたので , かつらは帽子のように した。姫新線が通し , 郡の政治の中 峰で , 和泉砂岩よりなり , 標高 857m 。 かぶられたわけである。その後 , 南斜面の草原はススキが茂り , 北斜 心地 , 木材の集散地で , 高田硯 , の風習はすたれたが , 17 世紀になる 面一帯はブナの美林 ( 天然記念物 ) で 竹細工などの特産がある。町の北約 とふたたび登場した。男性の間でラ おおわれる。大和の葛城山と区別 イオンのたてか、みのようにりつばな 4km の神庭ノ滝は , 古生層の粘板 して和泉葛城ともよばれる。葛城神 岩の絶壁を 140m 落下し , 水勢は中 ものが使用された。 18 世紀になると 社のある頂上は展望にすぐれ , 南に 形も複雑になり , それに灰色などの 国第一といわれている。 〔赤木〕 髪粉をつけることが流行した。頭髪 紀ノ川 , 冐ヒ西に大阪湾が望まれる。 かつら日本の山地にひろくはえ が灰色にならぬうちにわからなくす 北ろくから牛滝渓谷をさかの 0 まる登 るカッラ科の落葉高木。葉は円心形 るためであった。当時のかつらはア で柄があり , 掌状脈で裏は白色を帯 山路がよく利用される。 〔門村〕 ロンジェとよばれ , 大きさや形によ かつらたろう桂太郎 1848 ~ 19 び , へりには細かいきょ歯がつく って階級を表わしていた 13 明治の軍人政治家 , 陸軍大将 , この風習 花は雌雄別株で花被がなく , 早春葉 はフランス革命とともに消えたが 公爵。長州藩十出身で , 長州軍閥の の出る前に開き , おしべは数が多く 大御所山県有月月に引き立てられ , 陸 英国では今日でも司法官は伝統的な 葯は暗赤色。めしべは 4 ~ 5 個で , 軍部内で昇進を重ね , 1898 年陸軍大 材 かつらをかぶる習いがある。 / 髪形 長い花柱がある。果実は小さい。 19 ( ) 1 年以来 3 度総理大 〔青木〕 臣となった。 は灰色を帯び , 密でやわらかく狂い 臣となり , 軍備拡張 , 日英同盟の締 桂離宮の構内 ! 結 , 日露載争の遂行 , 日韓併合 , 大 逆事件の弾圧など軍国主義的弾圧政 治を行なったが , / 護憲運動に直面 0 〔鹿野〕 して辞職 , まもなく没した。 かつらりきゅう桂離宮京都市 右京区の桂川のほとりにある八条宮 ノ 家の別荘。京阪神急行電鉄桂線桂駅 の北東 1 km にあり , 京都駅からバス こは平安時代から名高い もある。 行楽地であったが , 慶長 ( 1596 ~ 16 15 ) の末年に八条宮領となると , 智 仁親王によって別荘か・造られた。工 事は 1620 年から数年のうちに進めら れ , さらに第 2 代智忠親王になづて , 寛永 ( 1624 ~ 44 ) の末年から新書院な どの増築があり , かっ後水尾上皇を 迎えるために整備された。その後も 長く宮家のものとなっていたか、、 18 果 実 雄 花 花 カッラ 桂太郎 0 24 25 約 4.5 万 m 2 の敷地を占 める桂離宮の中心は書 院 , 茶亭 , 庭園である。 1 御成門 2 御幸門 3 御舟屋 4 中門 5 古書院 6 月見台 7 中書院 8 楽器の間 9 新御殿 10 月波楼 11 紅葉山 12 蘇鉄山 13 大堰川 14 天橋立 15 卍字亭 16 松琴亭 ( 母 屋 ) 17 松琴亭 ( 佗の囲 ) 18 賞花亭 ( 竜田屋 ) 19 園林堂 20 笑意軒幻 鞠場跡 22 神仙島 ( 中 島 ) 23 倉庫 24 職員 詰所 , 待合所通用 門 ( 旧黒門跡 ) % 桂垣 27 笹垣桂川本流 26 20 6 2

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ガッショウ 15 世紀のフランドル楽派 , 16 世紀の ローマ楽派では器楽以上に合唱が音 楽の中心、となった。 17 世紀以後合唱 はオペラ , オラトリオ , ミサ曲 , カ ンタータ , 受難曲などに重要な役割 を果たし , ロンドンのセシリアン・ ソサェティ ( 1785 結成 ) ゃべルリンの ジング・アカデミー ( 1790 結成 ) のよ うな専門の合唱団カ { っくられた。現 在では各国に著名な合唱団が活動し ているが , 日本では明治中期より東 京音楽学校や関西学院 , 同志社大学 のグリ ・クラブの活動か、あり , 1902 年には慶応大学ワグネル・ソサェティ が結成され学生間の合唱運動が盛ん となった。大正以後一般の合唱団も 各地につくられ , 現在では全日本合 唱コンクール ( 高校 , 大学 , 職場 , 般 ) その他各種のコンクールが行な 1 1 2 授。理論経済学上の業績はレオン・ ワノレラス L. Walras ( 1834 ~ 1910 ) の 創始した一般均衡理論の平明な体系 化に成功したことで , 主著は 1918 年 初版のく社会経済学原論〉。また英 国 , オーストリアの経済学にみられ る快楽主義的価値論よりの脱却を試 み , 価値論無用を唱え , 経済現象を すべて価格から出発して説明した。 しかしもっとも重視すべきことは , 第一次大戦につづく世界経済の混乱 期における理論的指導者としての活 躍で , とくに 1914 年以後 , 彼は , 不 換紙幣国間の為替比率はその 2 国 の国内価格の比を表わす傾向がある という , いわゆる購買力平価説を主 張した。上記のはかく 1914 年以後の 貨幣と外国為替 > く金本位の没落 > な どがある。 〔大石〕 われている。 〔前田〕 がっしようれんこう合従連衡 中国の戦国時代の中期 , 七雄 ( 燕 , 斉 , 楚 , 韓 , 魏 , 趙 , 秦 ) の勢力均衡が新 興の秦の台頭でゆらぎだしたとき , 東の 6 国が従を ( 南北 ) に同盟する合 従策と各国が個々に秦と衡 ( 横 ) に結 びつく連衡策とが現われ , 蘇秦し ~ 前 317 ) が唱えた合従 , 張儀 ( ? ~ 前 309 ) の連衡は一時実現したがす これらは , 諸国の錯 ぐに消滅した。 雑する利害に乗じた , 蘇秦 , 張儀ら の外交遊説家が「牛後となるより鶏 ロとなれ」 ( 蘇秦 ) といったロ車を弄 してすすめた権謀術数の策にすぎな かった。彼ら遊説の策士のことを従 横家とよぶが , 彼らの言説はく戦国 策〉などにうかか、うことカ { できる。 〔西〕 かっせき滑石化学成分 MgSi4 010 ( OH ) 2 の含水ケイ酸塩鉱物の一 種。灰白色 , クリーム色 , ときとし ては赤かっ色を帯びている。酸に不 溶。塊状 , 繊維状など細かい結晶の 集合体として産することが多いが , 結品で産出するときは板状またはう ろこ状である。結品の底面に沿って はがれやすい性質があり , また多少 弾・があるのではいだ小片をたやす く折り曲げることができる。この面 は真珠のようなつやをもつ。硬度 1 で鉱物中もっとも柔らかい。さわる とセッケンまたは油脂にふれたよう な感覚をおばえる。成分中のマグネ シウムの一音にが鉄 , マンガン ッ ケルで代わっているものもある。日 本の滑石はジャ紋岩に伴って結品片 岩の発達した地域に多く産する。滑 石は古来石筆として使われることが 多かったが , 現在は D D T の混和剤 , 化粧品 , 薬品 , 製紙 , 繊維などの工 業に用いられるほか , 窯業原料とし て磁器や高周波絶縁体の製造に使わ カッセル KasseI 西ドイツ , へ ッセン州北部の都市。人口 212160 ( 1963 ) 。フルダ川に沿い , 9 本の鉄 道の交差点。かってのヘッセン選帝 侯国の首都。 13 ~ 14 世紀のプリュー ダー・キルへ ( 教会 ) , 14 世紀のマル チン教会など , ほとんどの歴史的建 造物 . が戦火を受けた。画廊はオラン ダ派絵画のコレクションで有名。西 郊にウィノレヘノレムスへーエ城カ { ある。 付近にカッ炭を豊富に産し , 機関車 , トラック製造 ( とくにヘンシェル商 会 ) , 繊維 , 光学器械 , 精密機械 , 金 属 , 染料工業などが発達している。 〔生野〕 かった勝田〔市〕茨城県那珂川 左岸の那珂台地にあって水戸市と相 対する工場都市。常磐線に沿う。人 ロ 52625 ( 1965 ) 。 194 ( ) 年日立製作所 水戸工場ができ , 勝田 , 中野 , 川合 3 村が合併して勝田町となり , 54 年 市制。電気機関車を中心に電気機器 の生産が多く , 大工場と工員住宅を 中心とする都市であり , 水戸に近い ので商店街は伸びないが , 敷地に恵 まれ工場誘致が進んでいる。農産物 生産も盛んである。 〔尾留川〕 れる。 〔高野〕 カッセアレ Gustav CasseI 1866 ~ 1945 スエーデンの経済学者。 19 04 ~ 33 年までストックホルム大学教 かっちゅう甲胄敵の攻撃に対 してからだを防ぐために作られた装 具。胴体を中心にする防具を甲せ ( 鎧 ) , 頭部を守るものを胄 ( 兜 ) と いい , 甲胄と総称される。甲胄には 頬当 , 喉輪に袖寵手宅 , 臑当 など各部の装具が付属し , ときには 乗馬などにも装備されることがある。 甲胄の歴史は , 文化の発展段階と攻 撃武器の変化に応して変わる。石器 時代の武器が青銅器時代に進むと , 甲胄も樹皮や皮革から青銅を主とす るようになり , やがて鉄が中心とな り , 美術的にも精巧なものが作られ るようになった。しかし近世におけ る火器の登場はやがてこれまでの戦 術を一変させ , それまでの甲胄は役 に立たなくなり , 現在ではわすかに 軍隊の鉄兜や警備用の防弾チョッキ にそのなごりをとめているにすぎ なくなってしまった。 〔西洋〕前 13 ~ 前 12 世紀のトロヤ戦 争でギリシア軍は青銅の甲 , 胸当 , 臑当をつけているが , 一般にキ、リシ アでは前後各 1 枚からなる金属板の 甲をつけ , 下にスカート様の板金の ついた布をさげていた。胄は鼻かく しや頬当のついたヘルメット式のも のを用い , ともに金属製か皮革製で あった。ローマでは個人より集団と なる戦法の変化から臑当は用いられ なくなり , 胄も青銅より軽い鉄が使 用されることになる。甲も活動に便 な革札を水平につづったものが用 いられ , のちには鎖帷子が現われ た。これは 10 世紀ごろには盛んに用 いられ , 上半身だけでなく足や指な ど全身をおおうにいたる。十字軍や ノルマン・コンケストのときの戦士 の甲胄がこのような形で , 胄は目鼻 に穴をあけた板金 ( バンタイユ ) を上 げ下げのできるようになっており , 敵が近づくとすぐ下げて攻撃を防げ るようになっていた。しかし鎖帷子 は重さが肩にかかり , また剣には強 いが , 当時盛んに使われた斧やハ ンマのような武器には打撃が強すぎ るので , 鉄板を要所につけるように なり , 13 世紀末より 1 枚鉄板の甲が 現われ , 15 世紀には関節部がちょう つがいで自由に動く鋼鉄製のりつば なものが現われる。これらの頭部を 深くおおう青や全身を包む甲では敵 味方の区別がつけがたく , 盾や甲 に印をつけたが , これが / 紋章の始 まりといわれている。また 13 世紀か ら 16 世紀にかけて馬にも鎖帷子や要 所に鉄板を当てることが行なわれた。 しかし 14 世紀末の火砲や 15 世紀の小 銃の出現は , 戦法の大変革をきたし , 16 世紀を頂点に甲胄の時代は過ぎ去 るにいたった 〔東洋〕中国では初め甲の名に牛甲 , 水牛甲 , 犀こ甲などの獣皮甲がみえ これらは牛皮が中心であろう るカゞ , さないものが現われ , これはつぎの 裏面に鉄札や牙札をつけて表に出 も宋代のものを受けついだが , 布の 時代に輸入されている。明代の甲胄 ともに倭寇 2 うによって日本にも室町 た これら甲胄は刀剣 , 槍 : などと め , 両肩で結びつけたものを使用し 式の札甲が用いられ , 帯で胴をし 甲があげられている。宋代には腹巻 に皮甲 , 木甲 , 鎖帷子甲など 13 種の 各種の甲については唐代のく唐六典 > より鉄札が用いられてくる。これら なリ , 後漢代には鉄器文化の発達に ると金属甲 ( 銅など ) の製作が盛んと 武器は周代には完成し , 漢代にはい いが , 胄に殷代の遺物がある。青銅 が現われ , 最古の青銅品に , 甲はな 中国ではすでに青銅のすぐれた武器 日本や朝鮮が石器を用いていたとき , たことがわかる ( 「周礼」の考工記 ) 。 といわれ , 甲に皮革が用いられてい

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クダラ 5 3 2 つ食品としての価値はそれに含まれ だ液腺は耳下腺 , がく下腺および舌 種類によりさまざまである。だ液腺 ているビタミン類にあり , その含有 下腺で , それぞれややヘだたった場 が変形して毒腺となっているものも 状況は表に示すとおりである。 / ( 別 所に大きな腺塊をなし , 導管でロ腔 少なくない。大部分の脊つい動物は 刷 ) くだもの 〔大野〕 に連絡する。耳下腺の導管の開口は あごとロ腔を備え , たいてい歯また くだら百済 / 百済く ほおの粘膜にあって上あごの第 2 大 はそれに代わるものをもつ。円ロ類 くちロロは消化管の入口にあ きゅう歯に向かい合い , がく下腺は の歯は表皮・性のもので , 真の歯では たり , 上下のあごと歯によって食物 舌の下面にみえる舌下小丘に , また なく , また両生類のヒキガェル類 , を捕えてそしやくし , だ液の働きに は虫類のカメ類 , 鳥類 , ほ乳類の単 舌下腺は , 舌下小丘および舌下ひだ よってイヒ学的な消化作用も行なう。 に開口している。だ液に含まれる消 孑し類 , ヒゲクジラ , 貧歯類などは歯 つまり口は捕食器であると同時に第 化酵素のおもなものはプチアリンで , をもたない。だ液腺は , は虫類から 1 段階の / 消化器でもあり , また多 デンプンを加水分解して麦芽糖に変 みられ , やはり毒腺として働くもの くの動物においてはしばしば敵と戦 もある ( 毒ヘビ ) 。また舌は脊つい動 える。だ液腺の分泌機能は自律神経 う武器ともなる。人間のロはさらに を介して反射的に起こり , 精神的な 物のロにあるが , は虫類 , 鳥類など 発声器としてもきわめて重要な役割 影響も著明である。ロの先天的な奇 では非筋肉性のものであり , ほ乳類 を果たしている。 形として / みつくちなどがある。ま にいたって敏活に動く筋肉性のもの 〔ヒトのロ〕ヒトのロはくちびるに た舌には , カ { んカ { できたりするカヾ , となる。 〔細川〕 よって外界と境され , ロ腔の奧はい ロの病気としては / ロ内炎や子ども ぐち / イシモチ に多い / 鵞ロ瘡うなどがおもなも ん頭に通する。天井は前方部か、石更ロ クチクラ c u t i cl e 生物の表皮 のである。また歯の病気として虫 カ { い , 後方部は軟口がいとよばれ , ( 上皮 ) 細胞から分泌されるかたい膜 歯や / 歯そうのう漏があるが , これ これらによって鼻腔とロ腔か・境され 状の物質層で , 角皮ともいう。内部 らのロの病気にかからないようにす ている。またロ腔の床には , 筋肉性 からの水分の蒸散 , 外部からの物質 るには , 歯を朝晩みか・いたりして口 の侵入を調節するはか , 生物体の機 のよく動く / 舌があって , 食物をそ 内を清潔にしておく必要がある。 械的な防御にも役だっ。植物では , しやくするとき巧みに食塊をこねま 〔動物のロ〕原生動物や海綿動物の 高度の脂肪酸重合物であるクチンの せ , また発声のときに声に変化を与 ようなごく原始的なものは別として , 骨ぐみにロウか・しみこんでできてお えてことばを作る助けをする。 -E 下 ほとんどすべての動物はよく発達し り , さらに細胞膜の成分であるセル のあごには / 歯がある。成人では上 た消化器を備え , したがってその入 下各 16 本 , 合計 32 本で , 切歯や大歯 ローースやペクチンにまで入りこんで 口をなすロ , またはそれにあたるも 膜の性質を変える。一般に成熟した は , のみの刃のように食物を切りと のをもっている。 ごく原始的な構造 り砕き , 小きゅう歯や大きゅう歯は 器官の表面によく発達し , とくに陽 をもっ腔腸動物 ( クラゲなど ) では , 石うすのように食物をすりつぶす。 地や乾地の植物にめだっ。動物では 体のなかの大きな腔所 ( 原腸 ) に通す そしやく運動を行なうのは , そしゃ とくに節足動物に著しく発達し , 以 る入口がすなわちロ ( 原口 ) であり , く筋とよ一群の横紋筋で , 側頭筋 , 前にはキチン ( 含窒素多糖類でーポ 食物は海水とともに口から流れこむ。 咬旨筋 , 内側翼突筋 , 外側翼突筋など リー N ーアセチルグルコサミンの構造 へん形動物のなかでも吸虫類 ( 肝臓 をもっと考えられる ) 質だけででき があって , 下あごを上あごにひきっ ジストマ , 日本住血吸虫など ) はい ていると考えられたが , 実際には構 けてかみ合わせ , あるいは下あごを すれも寄生虫で , 口にロ吸盤をもっ 造は複雑で , キチン分子が鎖状に並 前後左右にずり動かしたりする。反 び , すきまをタンパク質がうめてい ている。なお条虫類 ( サナダムシ ) は 対に口を開くように働くのは舌骨筋 例外的に消化管のまったくない動物 る。甲殼類の甲皮はさらにカルシウ 群で , のどもとにある舌骨をささえ である。ひも形動物はおもに海中に ムか、沈着していてきわめてかたい として下あごを下におし下げて口を かたいクチクラでおおわれた動物で 住み , 口には長くっき出た吻を備 開く。なおこれらのあごの運動は , えて毒液を注射し , えさをとる器官 は , 体の成長に伴って一定時期に古 か・く関節において行なわれるカ { , として働いている。同じような吻は いクチクラを脱皮し , 新しいクチク れは下がく骨の関節突起が耳のすぐ 環形動物にもみられるが , キチン質 前下方で側頭骨に関節するものであ ラと入れかえる。 〔新関・石井〕 でできたとげ状のあごをもっている る。可動範囲のかなりひろい関節で , くちとり口取り口取り菓子 , 口を大きく開くときは , 下がく骨の ものもあり , また寄生生活をするも ロ取りざかなの意で , 客が食卓の座 関節突起の先端 ( 関節頭 ) が自然に前 のには円盤状の吸盤のあるものもあ についてから最初に出す菓子または る ( たとえばヒルなど ) 。きよく皮動 方へすれて一種の脱きゅうを起こす さら盛り料理のこと。むかしは干し ガキ , かちぐり , まんしゅうなどを 物のウニ類のロのまわりには , とけ、 ことか・ , 指で外からさわってみても の変形した叉棘や球棘があり , ま わかる。 / だ液を分泌するだ液腺に 出すしきたりがあり , これを口取り た「アリストテレスのちょうちん」 は小だ液腺と大だ液腺があり , 前者 といった。また / 本膳においては , これを硯蓋りを用いて出すならわ とよぶ特殊な構造のそしやく器があ はロ腔の粘膜に散在し , その位置に しがあり , 硯蓋物ともいって , 菓子 よって口唇兄腺 , 頬腺 , 口がい腺 , る。ナマコ類のロの周囲の触手は管 に似た料理 , たとえばかまは、こ , きん 左はロ腔を示し , 右は舌腺 , 前舌腺などとよばれ , 粘液や 足の変形したものである。軟体動物 とん , 流しようかん , 卵焼きなどのほ 舌下面とロ腔底を示す消化酵素を含むだ液を分泌する。大 のロはより分化していて , ロ球とい か , 季節の魚鳥や野菜の料理を 3 ~ う筋肉性の場所の床に舌突起があり , 。 ' 、上唇小帯 9 種盛り合わせて , ロ取りざかなと その上にリポン状の舌紐うがある。 歯肉 キチン質のこまかい歯のはえたやす して出したが , これらは , はしをつ けすに持ち帰るものとされた。いま りかダイコンおろしのようなもので , 硬口がい でも婚礼その他の日本式宴席料理に 口がい これによって食物をなめるようにけ を縫線 は , 折り詰のロ取りがみやげ物とし すりとる。口には 1 対のだ液腺も備 て膳のわきに添えられ , そのなごり わっている。節足動物のロも変化に ・ロカ、い をとどめている。しかし現在一般の 富むが , 本来の外肢が変形して食物 へんとう ロ峡 宴席では , 酒のさかなとしてその場 の摂取に関係し , いわゆるロ器を形 舌背 で食べられるように 2 , 3 点趣を異に 成する点が特徴といえる。 1 対の大 した料理を出し , これを「ロ代わり」 歯肉 あごと 1 ~ 2 対の小あごおよび数対 下唇小帯 ともよんでいる。 のあご脚がそれで , その形は動物の 〔柳原〕 前舌腺 釆状ひだ 舌小帯 舌下ひだ 舌下小丘 がく下腺管 舌下腺

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2 7 0 造の話があるように , 大地がどのよ うにしてできたかということは , 古 くから多くの人々に論ぜられ , また 岩石の性状 , 分類 , 命名なども研究 されていた。しかし , これか・一つの 専門の学問として形をととのえたの は 19 世紀後半で , おもに顕徹鏡観察 による岩石学である。 20 世紀になっ 化学的方法で研究され , 1907 年ワシ ントンに設立されたカーネギー研究 所に属する地球物理学実験所を中心 に岩石の生成は岩圏での物理化学的 現象として論ぜられるようになった。 こうした岩石の成因を調べ , さらに 地球の内部構造を知ろうとする学問 が岩石学である。研究の方法は , 1 ) 野外調査岩石が地表にでている場 所で , どんな形状で , また互いにど 岩雨水や川の作用で山からくすさ のエネルギーで鉱物をつくる原子の んな関係で地盤を構成しているかを れ , 流されてきた大小の砂レキや泥 , 配列が変わり , べつの鉱物となる。 調べる。観察結果のスケッチ , ク あるいは海岸の岩が波の作用でこわ おもに圧力の影響によってできた変 リノメータによる地層の走向と傾斜 成岩を動力変成岩 , 熱の影響ででき されてできた砂レキなどがそれぞれ の測定 , 岩石の大きさを測る , など 平野 , 湖底 , 海底などに堆積し固ま た変成岩を熱変成岩または接触変成 を総合し , 岩石の産出状態を示す地 学ぐとし、う。 ってできたもの。また , 火山弾 , 火 質図をつくる。 2 ) 標本採集岩石を 〔節理〕岩石の露出しているところ 山レキ , 岩滓 , 火山灰などが陸上や たがねやハンマで適当な大きさに割 水底に降り積もり , 固まってできた砕 を見ると , 大小さまざまの割れめや り , 番号を書いて新聞紙などで包み , セッ岩もある。これをとくに火山砕 ひびがある。これらの中には風化に 袋に入れる。同時にノートに場所や セッ岩といい , 集塊岩 ( 火山弾と火山 よってできたものもあるが , 大部分 必要な事項を記入する。 3 ) 研究室で の仕事採集した岩石の化学分析 , 灰を主として固まったもの ) , 凝灰 はなんらかの応力が働いてできたも 顕微鏡観察 , 光や X 線による結品構 岩 ( 軽石や火山灰が固まったもの ) な のである。この岩石の規則正しい割 れめを節理といい , 板状 , 方状 , 柱 造の調査 , 化石があればなんの化石 どがある。 2 ) 化学的沈殿岩湖水や でどの時代のものか , などを調べる。 状などの節理がある。溶岩中に発達 海水に溶けていたさまざまな成分が , 〔岩石の利用〕そのまま石材とし する柱状節理 ( / 玄武洞気東尋坊 水底に沈殿し , 固結してできたも の。 3 ) 有機質堆積岩陸上の植物や などが有名 ) はとくに顕著で , 溶岩 て土木 , 建築に用いる。また鉱石と して鉱業 , 窯業に用いられ , 特別な が冷却するとき体積が収縮するため 海にすんでいた膨大な数の生物の遺 にできる。深成岩中の節理は固結す 体が長い間に水底に堆積し , 固結し 岩石として石炭や石油はエネルキ、一 るときの体積収縮 , 岩しようの運動 てできたもの。堆積岩のもっとも著 源として用いられる。 / 火成岩 / 堆 積岩 / 変成岩 / 鉱物 / ( 別刷 ) 岩石 しい特徴は , 地層を形づくることで にともなってすでに固結していた部 分がひすんだり , 固結後に地殼変動 〔岩生〕 ある。 かんせつ関節動物のからだの があったために発達する。堆積岩や 〔変成岩〕火成岩や堆積岩が , 地放 変成岩の節理はほとんど全部が地殼 骨組みを成す骨格は , たくさんの骨 の深所で圧力や熱の影響を受け , そ 変動にともなってできたものである。 や軟骨が互いに規則正しく連絡し組 の本来の形や岩石を造っていた鉱物 〔岩石の分布〕元来 , 深成岩と変成 み合わされてできているが一 の種類が変わってできた岩石。ひしょ , ク ) 月 岩は地殼の深所で生成され , 火山岩 と骨の間の連絡様式にはおおまかに うに強度の大きいようにみえる岩石 は地表または地表近く , 堆積岩は多 も , 長時間にわたって働く地殼の中 分けて 2 種類あり , 連絡する 2 個の く水底で生成されるが , 長期間にわ 骨か、互いに固定されてほとんど動か の強大な圧力に対しては , ちょうど たってくりかえされた地殼の変動に ないものを不動連結といい , 互いに 押されたアスファルトのように自由 よって , 地表や水底でできたものの よく動きうる状態のものを可動連結 に形を変えることができる。岩石が 一部は地下に沈み , 地殼の深所でで へん平になってはがれやすくなるこ または関節という。 きたものの一部も地表にあらわれて 関節によって連絡されている二つ ともある。千枚岩や結品片岩の片理 いる。しかし地殼を構成している岩 の骨の端は , 一方が関節頭という凸 はこのようにしてできたものである。 石の割合はけっして等しくない。 だ 面 , 他方が関節窩かという凹面を成 圧力も熱もエネルギーの一種で , すものが多く , いすれもその表面は いたい堆積岩は現在でも地殼全体か らみると浅いところに限られており , 関節軟骨という軟骨で保護されてい 火成岩や変成岩は深い部分に多い。 また火成岩のうちでは花コウ岩と玄 関節嚢の 滑膜層 武岩がひしように多く , 地殼を構成 骨膜 する岩石中 95 % は火成岩であるとい 関節腔 われる。地殼のうち , 地表から 16km までの部分の平均総化学組成を調べ ると , 火成岩の平均総化学組成とは とんど同しで , このことからも火成 岩が地殼の中でもっとも大きな役割 を演していることを示す。 〔岩石の研究〕多くの神話に天地創 カンセッ 岩石の節理右は石英 ハン岩の板状節理 ( 北 アルプス薬師岳 ) 。左 は岐阜県白川郷の貫入 岩にあるみごとな節理 谷を・骨こ三 関節球面の関節面を もった股関節で , どの 方向へも自由に動く , と ( 回転運動 ) ができる 関節嚢の 繊維層 関節軟骨

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キソガワ 3 4 9 てはすぐれた天分に恵まれ , 詩 , 書 , せるのうち小形で平らのをなたまめ きせるという。江戸初期には長ぎせ 画をよくし , 画院や書芸所をおいて るが現われ , 1 m にも及ぶ伊達をきせ その充実に専念した。その書は痩 るが遊女らに愛用された。 金体といわれ , 細くて力強い書体 〔青木〕 きせる力、い陸にすむ巻貝のうち , は後世にも影響を与えた。絵画は崔 白 , 呉元瑜ゆなどの影響をうけ繊細 有肺類 , キセルガイ科に属する員の 総称。殼は通常「なたまめきせる」 で気品のある / 花鳥画を描いた。徽 形で , 左巻き。薄質で , まかい線 宗の作品といわれるものはおびただ しい数にのばるが , く桃鳩図〉く水仙 がはいっているはか , 文様はない 鶉図〉く四季山水図〉などはとくに 殼のロの部分にこまかいひだがあり 名高い。古美術を愛好し天下の書画 , そこに一種の弁がある。 これは体を 古銅器などを多く宮廷に集め , く宣 引っ込めたときに殼の入口をふさぐ 和書画譜〉く宣和博古図 > などの書 のに彳殳だっ。ロの部分のひだの形式 が現存している。また万歳山という はキセルガイ類の分類上重要な特徴 価証券とは , 公債証書 , 官府の証券 , 豪華な人工庭園を築いた である。キセルガイ類は朽ち木や落 〔杉村〕 会社の株券 , その他の有価証券 ( た ち葉の下などにすみ , ナミギセル , ヒ ぎそう義倉凶作のおりに貧者 , とえば手形など ) をいう。刑は 3 カ 窮民を救う目的でたくわえられた官 クギセル , ヒカリギセルなどが普通。 月以上 1 ( ) 年以下の懲役である。印章 営穀物倉庫の一種。中国では隋の 5 虧 偽造罪の印章とは , 国璽じ , 御璽 , 公務 〔奥谷〕 年に始まり , 唐では 1 畝につき 2 升を きそ起訴公訴の提起のこと。 所または公務員の印章 , 他人の印章 すなわち刑事の訴えを起こすことで 義倉米として徴収し , 凶作のとき農 のことである。それぞれによって刑 ある。国家だけがこれをすることが 民に無償で給した。その方法は宋の の範囲は違うが , 公印偽造の場合は , でき , しかも国家機関としてこれを ころ変わり始め , 明 , 清のころには 3 カ月以上 5 年以下の懲役である。 本来の目的をまったく失って営利的 する権限を有するのは検察官だけで なお偽造手形について , 被偽造者は なものになった この制は朝鮮にも 私法上責任を負わす , 偽造者自身 ある。もっとも被害者は告訴をして 検察官の起訴を促すことができる。 伝わって , 高麗時代から李朝時代に ( 無権代理人の場合を除いて ) も自己 検察官が公訴を提起するには起訴状 活用された。日本でも大化の改新以 の名を表示していないから手形上の 後 , 隋唐制にならって国家組織が整え 責任を負わす , 不法行為上の責任を を管轄裁判所に提出する。それには 〔遠藤〕 被告人の氏名 , 公訴事実および罪名 負うだけである。 られた ( 律令制度 ) とき , 義倉の制も きそがわ木曽川長野県南西部 を記載しなければならない。 この謄 取り入れられた。貧窮の等外戸を除 本は被告人にも送付される。なお , に発し , 長野 , 岐阜 , 三重 3 県を流 いて , 一位以下 , 貴族から農民にい 検察官は証拠が十分であっても起訴 たるまでを貧富の差によって 9 等に れて伊勢湾に注ぐ川。流域面積 4950 閉 しないこと ( 起訴猶予 ) がある。民事 分かち , 上々戸の 2 石から下々戸の km2, 長さ 207km , 支流数 223 。王滝川 訴訟法上では一般に起訴といわす訴 1 斗まで義倉用として徴収するアワ などの支流を集めて南西流し岐阜県 て えの提起という。 / 裁判〔遠藤〕 の額を決め , 田租徴収のさい , これ にはいるまでを木曽谷 ( / 木曽 ) とよ る ぶ。寝覚ノ床 , 賤母ド峡谷 , / きそ木曽長野 , 岐阜両県にま を収納した。しかし , 農民の間には たがる南北約 70km , 東西約 30km の地 その負担にたえぬものがあったから , 恵那峡 , 蘇水峡などの峡谷をつくり , 域。東の木曽山脈 , 西の木曽御岳連 706 年に中々戸以上と改正した。平 美濃加茂市で南流する大支流の飛騨 山にはさまれた木曽川の谷を中心と 安時代にはいって律令制がくすれる 川 ( 益田川 ) を合わせ , / 日本ライン とともに義倉も廃絶した。江戸時代 し , 全面積の約 8 ( ) % は森林で , . ヒノ を経て大山で大山扇状地を形成する。 にはいって復活し , 義倉の制度をよ 下流では長良川 , 揖斐川を合わせ , キ , サワラ , アスナロ , コウヤマキ , る く整えた藩もあった ネズコ ( クロべ ) は木曽の五木といわ この時代の義 分流して伊勢湾にはいる。河口部に キセルがイの仲間の 倉は , だいたい特別徴収と富民の義 / 輪中集落が発達している。愛知 れ , 江戸時代には切ることを厳禁さ ナミギセル 捐 [ んによった。幕府 , 諸藩はその設 れた。現在は全林野の % が国有林で 県笠松町から下流は天井川となり , 置と維持に力を入れたが , 明治時代 ある。住民の仕事は林産とそれに関 洪水の被害が西美濃一帯におよぶこ にはいり経済構造の変化とともにそ 係した輸送 , 木材加工が主で , 漆器 , とがしばしばだった 1919 年に賤母 の意義は減し消滅した。 お六櫛ど , おけを産し , 木曽馬 , そば 発電所が建設されてから , 多くのダ 〔奧野〕 ぎぞう偽造通貨の外観を有す ムが建設され , 1 万 kW 以上の発電所 も名産として知られる。谷の中心西 る物 , 他人名義の文書 , 有価証券 , 筑摩郡 / 福島町は中仙道の関所があ は木曽川本流だけで 27 ヵ所 , 飛騨川 ったところで , く木曽節 > と馬市で有 他人の印章などを権限なしに作るこ に 9 ヵ所あり , 名古屋 , 関西に送電 名。谷の南の出口馬寵 % は島崎藤村 と。行使の目的でこれらのことをし されている。中京工業地帯の工業用 の故郷で , 昔の風景はそのく夜明け た者は , 通貨偽造罪 , 文書偽造罪 , 水にも利用されている。飛騨川と本 前 > に活写されている。 〔千葉〕 有価証券偽造罪 , 印章偽造罪として 流の中流部は飛騨木曽川国定公園に きそう徹宗 1082 ~ 1135 中国 指定されている。 〔谷口〕 処罰される。いすれも取引の信用を 害し , 社会に混乱をひき起こすから 北宋第 8 代皇帝 ( 在位 11 ( ) 0 ~ 25 ) 。第 である。通貨偽造罪はいくっかの場 6 代皇帝神宗の第 11 子に生まれ , 兄 合にわけられるが , たとえば通貨を の第 7 代皇帝哲宗の病没にあい , 子 偽造 , 変造した者は無期または 3 年 この カ { なかったので帝位についた 時代は内には治政あがらす , 外には 以上の懲役刑に処せられる。文書偽 遼 , 金の北方勢力に圧迫されて , 造罪も , 証書偽造罪 , 公文書 ( 公務所 ようやく宋の命運もきわまろうとす または公務員の作るべき文書 ) 偽造 るときであったが , 彼は政治には熱 罪 , 私文書 ( 権利義務または事実証 心でなく , 豪奢な生活を営み , 逸楽 明に関する文書 ) 偽造罪とわかれる。 にふけった。のち満州におこった金 刑の範囲はそれぞれによって異なる の来攻を招き , 捕われて北満の五国 が , たとえば公文書偽造罪は印章 , 城に送られ , 配所に死んだ。皇帝と 署名のある場合は 1 年以上 10 年以下 しては落第生であったが文化人とし の懲役である。有価証券偽造罪の有 木曽川上流では急流 と緩流をまヒえながら 山地を深く刻んで流れ , その水量の豊富な点で は日本屈指の川である 徽宗筆く水仙鶉図〉

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ケントシ 出発帰国 630 653 654 659 665 669 702 717 733 752 777 804 838 伊吉博徳 おもな遣唐使一覧 おもな渡航者 ( 894 ) 中止菅原道真 ( 大 ) 藤原常嗣 ( 大 ) 藤原葛野麻呂 ( 大 ) 橘逸勢 小野石根 ( 副 ) 吉備真備 ( 副 ) 大伴古麻呂 ( 副 ) 藤原清河 ( 大 ) 多治比広成 ( 大 ) 大伴山守 ( 大 ) 多治比県守 ( 押 ) 粟田真人 ( 執 ) 河内鯨 守大石 津守吉祥 坂合部石布 河辺麻呂 ( 大 ) 高向玄理 ( 押 ) 高田根麻呂 ( 大 ) 吉士長丹 ( 大 ) 大上御田鍬 使節 632 654 655 661 667 不明 704 718 718 735 736 73 9 753 754 778 805 839 840 注 ( 大 ) は大使 , ( 副 ) は副使 , 僧道昭 , 定恵 僧道慈 山上憶良 おもな帰国 , 来国者 僧旻 唐使高表仁 僧道慈 吉備真備 , 僧玄昉 7 0 4 けんにんじ建仁寺京都市東山 区小松町にある臨済宗建仁寺派の本 山。開基は / 栄西で , 日不最初の 褝寺である。山号は東山。 1202 年 ( 建 仁 2 ) に源頼家が栄西に帰依 : し宋の 百丈山にならって建てた ( 1204 落成 ) 。 初めは延暦寺をは・ばかって天台宗 , 真言宗を併置した。源氏 , 北条氏の 帰依をうけ , 1335 年に京都五山の第 1 位 , 86 年足利義満が京都および 鎌倉の五山の制を定めたさい第 3 位 となった。しばしば火災にあったが 1552 年に細川晴元の兵火にかかり全 焼。天正年間に安国寺恵瓊いがその 荒廃を惜しみ , 安国寺方丈 , 東福寺 仏殿などを移して再興した。本尊は 釈迦に三尊で仏殿に安置する。現在 方丈 , 勅使門が国宝で , 鐘楼 , 影堂物 などを残す。なお海北友松による襖 絵や俵屋宗達のく風神雷神画屏風〉 く十六羅漢像 > などを蔵し , 寺の西面 一帯に残る竹がきは「建仁寺がき」 とよばれ , 創建当時のおもかげを残 この方法をへテロダイン検波という。 このはか , 検波器に高周波の再生増 幅作用を同時に行なわせる再生検波 , 再生作用を周期的に制御して検波感 度を上げた超再生検波などいろいろ な形のものがある。 〔検波器〕変調の方式などによって いろいろなものが用いられる。ラジ オなどの振幅変調の検波には , 初期 には鉱石検波器が用いられたが , 現 在では真空管検波器 , 半導体検波器 が用いられる。いすれも電流の方向 または大きさによって電気抵抗や増 幅率が変化する性質を利用して検波 する。テレビの音声などの周波数変 調の検波は , ます振幅変調に変換し てから , 振幅変調用の検波器で検波 阿倍仲麻呂 , 備真備 , 僧玄日方 菅原清公 ( 判 ) 僧空海 , 僧最澄僧最澄 藤原貞敏 ( 判 ) 僧円仁 するものが多い。 〔田辺〕 唐僧道瑁 , 婆羅門 僧菩提仙那 , 林邑 僧仏哲 唐僧鑑真 唐使孫興進 橘逸勢 している ( / 垣。 〔永畑〕 ( 判 ) は判官。 ( 押 ) は押使 , ( 執 ) は 執節使で , ともに大使の上に任命されたもの。また , 出発は船 出の年 , 帰国は日本上陸の年 ゲンノショウコ 東シナ海を横断する航路が開かれ , さらに 9 世紀には肥前の値嘉島とか からほは、最短距離で揚子江河口へ直 航するようになった。造船 , 航海の 技術や気象知識も発達していなかっ たため , 難船の危険も多く , たとえ ば 653 年の高田根麻呂の船は南海で 難船して生還者わすか 5 人であり , また阿倍仲麻呂 , 藤原清河はついに 故国に戻れなかった。しかしこうし た危険にもかかわらす遣唐使の派遣 は続けられ , これによって盛唐の文 化が豊かに , また多様に摂取されて , 律令国家の制度や組織強化に役だち , また天平文化を頂点とする貴族文化 をみごとに開花させた。遣唐使はこ のように大きな文化史的意義をもっ たが , 894 年菅原道真が大使に任命 されたとき , 唐朝の混乱 , 海賊の難 , 航海の危険などをあげて中止を奏請 〔川崎〕 し , 以後は廃止された。 ケントしケント紙亜麻 , もめ ん布のばろなどを原料としサイジン グをはどこして作った図画用紙。紙 質はかたくしまり , ち密で純白な上 質の紙である。おもに図画 , 製図用 紙に、また名刺用紙などにも用いる。 もと英国南東部のケント郡に産する 手すきの紙にケントの文字をすきこ んだのでこの名カ { ある。 〔松崎〕 げんのしようこ原野に自生する フウロソウ科の多年草。干した全草 をせんじたものは民間薬として下痢 止めに用いられるか、 , ただちにきき めがあるので , 「現の証拠」と名づ けられたという。茎は横にひろがり , 葉は対生して柄があり , 手のひら状 に 3 ~ 5 裂する。夏季に葉腋から細 い花柄が出て , 先端に小柄のある花 2 個をつける。花は径 1 ~ 1. 5cm くら い , 花弁は白色で脈が桃色であるか , または紅紫色で , 花後に 5 角柱状の さく果を結び , 熟すると下から線形 の 5 片に裂けて , 各片が巻き上がり , おのおのその下端にある 1 種子を飛 ばす。日本にはほかにコフウロ , タ チフウロ , ハクサンフウロなどもあ り , やはり下痢止めに用いられるこ とがある。 / ( 別刷 ) 野草〔大井〕 けんば検波本来は高周波電流 の存在を検知することであるが , 現 在では復調と同義語に用い , 変調さ れた波からもとの信号を取り出す操 作をいう。無線通信などで高周波電 流を利用する場合 , 音声 , 映像 , 符 号などを表わす電流はそのまま送ら す , 搬送波とよばれる別の高周波電 流に種々の方式で織りこんで送られ る ( / 変調 ) 。この変調された高周波 から , 通信内容を表わす成分を取り 出さなければならない。 この過程が 検波で , ラジオにおいて , アンテナ からはいった高周波電流を音声電流 として取り出すのはこの一例である。 検波器特性が 2 次曲線で近似できる ときには自乗検波 , 折線で近似でき るときには直線検波 ( パワー検波 ) と いう。また , 入力波の周波数と近接 した周波数の電圧を受信機内で発生 させ , 両者を混合して検波すること により , 二つの周波数の差に等しい 周波数をもった検波出力が得られる。 けんは・んがっき鍵盤楽器鍵盤 をそなえた楽器の総称。鍵盤は鍵 ( キ ー ) を音階順に規則正しく配列した もので , 発音体や発音方法は楽器に よってちがうから , 鍵盤と発音体を つなぐアクション ( 伝達機構 ) はさま ざまで , 楽器学上の分類からみると つぎのように分かれる。 1 ) 管楽器 ( 気 鳴楽器 ) に属するものオルガン ( 鍵 盤はパイプやリードへの送風を操作 ) , アコーデオン ( リードへの送風を操 作 ) 。 2 ) 弦楽器 ( 弦鳴楽器 ) に属する ものクラビコード ( 鍵盤操作によ って弦をおさえ高さをきめながら打 弦する ) , ノ、一プシコード ( チェンパ ロ , クラブサンともいう。スピネッ ノヾージ十ノレもこの類。ジャック とよぶ一種のつめでひく撥弦楽器 ) , ピアノ ( ハンマが弦を打っ ) 。 3 ) 打楽 器 ( 体鳴楽器 ) に属するものチェレ スタ ( 鉄琴を打つ ) , 鍵盤付鉄琴 ( 同 し ) , ダルシトーン ( 音叉黔を打っ ) , カリョン ( 大小の鐘を打っ ) その他。 4 ) 電気楽器 ( 電鳴楽器 ) に属するもの ノ、モンド・オルガン , 各種の電子オ ルガンその他 ( 以上電気回路を操作 ) 。 鍵盤の歴史は欧州独自のもので , オルガンのスライダー ( 音栓芫をひ き出す装置 ) の代わりに , 13 世紀ごろ 装置されたのがはしめである。 14 ~ 15 世紀にクラビコードやハープシコ ド属が登場 , 16 ~ 18 世紀に盛んて あった。しかし , 18 世紀に現われた ピアノは強弱が自由で , 音域も広い 初歩的検波の原理キャッチされた変調 波は検波器で整流され , 音声電流となる 検波された波形アンテナ 抵 抗 変調波 ケルマニウム ダイオード ( 検波器 ) 同調回路 イアホン 音声電流

8. 国民百科事典2

産としてはアユが名高く / ウ飼いを する長良川その他でとれるが量は少 ない。山地では吉城計郡神岡町に 鉛 , 亜鉛で全国第 1 位の生産をあげ る神岡鉱山があるほか , 東濃の丘陵 には陶土 , 亜炭 , 不破翕郡赤坂町の大 理石 , 石灰岩などがある。岐阜県の 第二次産業人口は全就業人口の 34.3 % で , 紡績 , 織物 , 陶磁器 , 和紙 , バルプ , プラスチックなどの化学製 品 , 金属製品 , 食品などの工業がお もで , 大半が南部の鉄道沿線に集中 する。紡績と一部の陶磁器をのぞけ ば大部分が家内工業で , 岐阜市の和 がさとちょうちん , 関市の刃物と洋 食器 , 美濃市の和紙 , 多治見市の陶 磁器 , 高山市の春慶ん塗 , イチイ細 工などみな家内工業的なものである。 〔文化〕飛騨山中の高山市を除いて , 岐阜市 , 大垣市 , 羽島市は 3 河川の 流域に , 関市 , 美濃市 , 美濃加茂市 , 多治見市 , 土岐市 , 端浪市 , 恵那 市 , 中津川市は東部の盆地にある。 県南部を東海道線 , 新幹線 , - 中央西 線が横断し , 飛騨地方を縦断して富 山へ高山線 , 美濃太田から北濃緊ま で美越南線 , 美濃太田 ~ 多治見に太 多阯線が通しるほか明知線 , 樽見線 などいくっかの支線がある。南部に 名古屋鉄道 , 名神高速道路が走る。 人口分布や交通の便に比例して , 都 市や集落は南部に多く , 富の程度や 文化 , 教育面でも南北の差は大きい。 ことに飛騨は山村が多く , 古俗を残 している。方言にも特異なことばが きかれる。庄川に沿う白川郷の巨大 な合掌ぅ造り民家は , かっての大家 族制度のなごりとして知られるが , ダムエ事と生活様式の変化で変わり つつある。高山市の高山祭の山車をは 古い京都ふうのなごりを残し , 岐阜 市のウ飼いも文化財的な観光資源と して有名である。そのはか , 郡上鷲 郡八幡町の郡上盆踊り , 揖斐郡谷 汲村の谷汲踊りなども名高い。 〔観光〕長野県境にそびえる日本ア ルプスは中部山岳国立公園に属し , 山ろくに飛騨側の登山口をかねる温 泉が点在する。御岳県立公園や , 渓 流の中山七甲 . , 日本ラインなどを含 む / 飛騨木曽川国定公園 , 小京都と いわれる高山市 , その東部の乗鞍登 山口の平湯温泉 , 中部の / 下呂豸温 泉などがあって , 西部県境の一部は / 白山国立公園に属している。 〔 T ・葉〕 ぎふ岐阜〔市〕濃尾平野の北端 , 長良まが川の渓口にある岐阜県の市。 県庁所在地。 1 8 年に東海道線が通 ヒ , 89 年市制。人口 358190 ( 1965 ) 。 戦国時代 , 斎藤氏の城下町で , 織田 氏のときに岐阜と改めた。信長が課 役を軽くして各地の商人を集めてか ら , 長良川の舟運もあって商業の中 心として栄え , 関ヵ・原の戦いののち 城が廃されてからも袞えなかった 3 7 1 高山線 , 名古屋鉄道の各線が通し , バス交通の中心ともなっている。市 街の中心には各種商店や映画館が集 中し , 第二次大戦後に発達した岐阜 駅付近の繊維問屋街は既製服を取引 する。南及び西部は豊富な水力を利 用して 1920 年ごろから発達した大紡 織工場地帯 ( ニチボー , 川島紡 , 三菱 レイヨン , 東洋紡など ) で , 在来の家 内工業としては , ちりめん , 和がさ , うちわ , ちょうちんなどがあって , 名産となっている。北部には稲葉山 ( 金華山 ) 城跡公園や伊奈波神社があ り , 展望がよい。城跡北ろくの長良 川では , / ウ飼いが行なわれる。名 和靖設立の名和昆え虫研究所も知ら れている。 〔千葉〕 ギブス Gips 固定包帯の一種。 粉末状の焼セッコウに水分を加える と , 塊状になることを利用している。 あらかじめ包帯の布目にセッコウ粉 末をまぶしておいて , 必要に応し 45 ℃ くらいの温湯にひたして巻くと , そ のままの形に固まる。これがギブス 包帯である。自由な形に固めること ができて便利なために , 「ギブスのな いところ整形外科はない」といわれ るはどひろく使われている。たとえ ば骨折やねんざのときの固定とか , 手足の手術後の固定 , 先天性股こ関節 脱きゅうの治療などである。骨折や ねんざまたは手術後に使われたとき には , ギブスを巻いたあとではれが 強くなると , 堅いギブスの中なので 相対的に圧迫が加わる。したがって ギブスを巻いたあと , 手足の指の痛 みか・あるか , 色はふつうか , 冫侖たい か暖かいか , 感覚がどうか , 動くか どうかなどをつねに注意していなけ ればならない。もし強い変化があれ ばギブスを割って圧迫を除かなけれ ばならない。そのままほうっておく と手足のよけいな麻ひを起こしたり する。用途によって , ふつうのギブ ス包帯のはか 二つに分けた片方だ けをギブス副子として , また傷の個 所だけ出す架橋ギブス包帯として使 用する。 / 包帯 〔鈴木〕 キプチャクかんこくキプチャク 汗国 , 欽察汗国 , 金帳汗国ジンギ スカンの長子ジュチの子ノヾツがキプ チャク草原に建てたモンゴル王国 ( 1243 ~ 1502 ) 。モンゴル征西軍の司 令官 / ヾツはロシア , 東ョーロッ / ヾを 席巻した帰途 , ポルが下流のサライ を中心に新領土経営にあたり , キプ チャク汗と称した。 ノヾツはモンゴノレ 帝国の宗主モンケ汗と並」 : ほどの勢 威をもち , 3 代のベルケ汗はイル汗 国と争い , エジプトのマムルーク朝 に近づき , 4 代のマング・チムール 汗は元から事実上独立した。ウズベ ク ( 1312 ~ 40 ) , ジャニべク ( 1340 ~ 57 ) 両汗のときが最盛時で , 領土は 東はイルチシュ川から西はクリミア 地方に及び , サライは通商で繁栄し た。キプチャク汗国のモンゴル基幹 軍は少数で , 治下のトルコ族に同化 され , また急速にイスラム化したが 遊牧制度はすてなかった。やがて内 紛やロシア諸侯の背反がおこり , 白 帳汗トクタミシュがキプチャク汗国 の宗主権を握って国を統一した ( 13 78 ) ものの , チムールに破られた。 その後 , 国内は分裂して 1502 年 , ロ シア勢力に滅は、された。 / モンゴル 〔本田〕 キプリング、 Rudyard Kipling 1865 ~ 1936 英国の小説家 , 詩人。 インドのポンべ一生まれ。 7 歳から 英本国で教育を受け , 18 歳でインド に帰りジャーナリストとして働きな がら , インド土着民の生活 , 英国役 人や兵隊の生態をつさに観察した いくっかの短編集などを出したのち 日本 , 米国経由で英国に帰り ( 1889 ) , 翌 90 年その作品が認められるや , イ ンド生活に取材した長編 / くジャン グノレ・ブック > くキム > やく兵舎詩 集〉などを出した。く七つの海 > ( 18 96 ) などの詩作は彼の強い民族意識 と指導者精神との結びつきから生ま れ , 当時の大英帝国主義的風潮と呼 応したため , 愛国詩人として歓迎さ れた。 1907 年ノーベル文学賞受賞。 〔小野二〕 キプロス Kypros 英語ではサ イプラス Cypruso 地中海の東端 , シリアの西方 1 ( )( ) km , トルコの南方 65 km の海上にある共和国。地中海 第 3 の大島で , 面積 9251km2 , 人口 589000 ( 1963 推 ) 。首都はニコシア。 湾や岬が多く , 島を南北に分断する ように平野か・入りこんでいるはかは はとんど山地で , 大きな川や湖はな い。人口の約 80 % はキ、リシア系 , 約 2 ( ) % はトルコ系である。主産業は農 業と鉱業。麦類 , ブドウ , オリープ , オレンジなどを産し , 鉱業は硫化銅 , 硫化鉄 , クロム , 石綿を産出する。 おもな輸出品は硫化銅で , 工業は未 発達である。 この島には前 4 ( )( ) ( ) ~ 前 30 ( ) ( ) 年ごろ の新石器時代のあとがうかがわれる が , ついで青銅器文明が生まれ , 前 15 世紀ごろからはミケナイ文明と交 渉がひらかれている。前 1() ( ) ( ) 年ごろ 鉄器文明か、はいってからは , フェニ キア人 , ギリシア人が植民し , のち ベルシア , ローマの一部となった その後も支配者の興亡変遷がくりか えされ , 1571 年トルコ領となった 1878 年英国がトルコから行政権を獲 得 , 第一次大戦中の 1914 年併合 , 25 年植民地とした。英国は第二次大戦 後自治を約束したが , 実際には軍事 基地化を進めたため , ギリシア系住 民のギリシア復帰運動が強まり , 55 年以来はげしい反英闘争がつづいた。 これに対して英国は弾圧策を強化 , 一方ギリシアへの併合にはトルコ系 住民が反対するなど複雑な動きをみ キプロス キプロス ( 補 ) 1960 年 8 月独立とともに発効 した憲法によると , 大 統領制をとり , 議会は 一院制で任期 5 年。現 大統領はマカリオス大 主教 ( 1913 ~ ) で , 独 立と同時に就任。なお , ギリシア , トルコ両民 族の「民族会議」があ って , それぞれの教育 , 社会問題を扱っている。 しかし , 独立後も両民 族の対立が続き , 政府 の政策実行が困難とな った。 63 年情勢打開の ためマカリオス大統領 が憲法改正提案を行な ったことから内乱が起 こり , 64 年 3 月以来国 連平和維持軍が出動し 治安維持に当たってい るが , なお問題解決の 見通しは立っていない 0 キプリング

9. 国民百科事典2

2 8 8 に対する。日本でいう「漢文」は主 工的な繁殖は実生 , 根分け , さし木 煮しめ , 巻すしのしん , 五目すしの として文言に相当するもので , 漢民 などによる。苗を植え付けて 3 年め ぐ , コプ巻 , いなりずしの帯などに に第 1 回の収穫を行なうが , 4 ~ 11 使われる。 族によって書かれた文語体の詩 , 散 〔川島〕 月が適当。生皮をはぎ , 乾燥して出 かんぶうざん寒風山秋田県の 文および他民族による模倣作を総称 荷するが , 製紙の過程は / ミツマタ 男鹿おに島にある複式休火山。安山 するものである。 と同様。 / 和紙 岩からなる。数個のトロイデ状火口 中国における文言は漢民族の共通 〔佐藤〕 ガンビア Ga mb ia アフリカの 丘があり , 最高 355 m 。外輪山はゆる 語として周時代には成立していたで 西端にある共和国。セントメアリ島 やかなすそをひき , 全山草地におお あろうといわれる。今日伝存する中 われる。山ろくに累積する複輝石安 と , ガンビア川両岸沿いの幅 5 ( ) km , 国の古典ははとんど漢時代に復元ま 山岩は寒風石とよばれ , 石材として 長さ 40()km の狭い地域で , もと英国 たは再編集されたものであるが , そ 採掘される。東ろくの溶岩流末端に 植民地。面積 1 ( ) 369km2 , 人口 315 ( ) ( ) ( ) れ以後清代に至るまで本質的な違い は湧泉列があり , 八郎潟の西岸一 ( 1963 ) 。首都バサースト。ガンビア がなく , 唐宋時代ごろから徐々に現 川両岸には平野がひらけ , 雑穀が栽 帯にひらける水田のかんがい用水源 われ始める白話文や現代の話しこと となる。県立男鹿公園に属し , 頂上か 培されるが , 主産物はラッカセイで ばとくらべて著しく簡単で , 成立当 らは東方に八郎潟と陸けい砂州 , 南 輸出の 9 ( ) % 以上を占め , 収穫期には 初から符号的な書きことばではなか スーダンやギニアから移住労務者が 北に日本海がのぞまれる。〔門村〕 ったかと疑われている。 カンプリアきカンプリア紀原 1 万人以上も集まる。地下資源は未 日本に初めて漢籍が渡来したのは 寒風山 ( 補 ) 1961 年 1 ( ) 書紀によれば応神朝ごろ百済の王仁 生代につぐ / 地質時代で , カンプリ 開発で , 工業ははとんどなく , 原料 月 , 約 1 ( ) km の寒風山有 ア紀の地層は , 英国の北ウェールズ が伝えたというが明確でない。く宋 商品の輸出 , 完成品の輸入という典 料道路が開通 , 南ろく 地方によく発達し , 最初によく研究 の船川線 } 川 , 羽立駅 型的植民地経済である。 15 世紀にポ 書夷蛮伝〉に倭王武の上奏文 ( 478 ) からノヾスか・通しるほか ルトガル人が来航 , のち英国商人が されたその地方の旧名からとって命 なる漢文があり , だいたいこのころ 秋田駅前から頂上の展 名されたものである。古生代を細分 進出し , 1843 年英国の植民地となっ から鏡の銘など漢字を使った例が見 . 望台まで登る直通バス え始めるが , 日本には固有の文字が 1963 年内政自治がケえられ , 65 したとき , 最初の時代であり , 約 5.7 た の便もある。 年 2 月英連邦内で独立した。元首は なかったのでおそらくもっと早くか 億 ~ 5 億年前にわたる。模式的に発 ら採用されたと思われる。日本では 総督 , 一院制の議会をもち , 首相は 達した地方では , ケイ岩層からケッ 大宝令 ( 701 ) 以来公用文は漢文を用 D. ジャワラ。有力政党は人民進歩党。 岩層 , 石灰岩層の順に重なっている。 いるのが原則となり明治維新まで続 隣国セネがルと関係が深い。宗教は 北米大陸では , コルジェラ山系から アパラチア山系にまたがる大陸中央 イスラム教。マンディンゲ族とフラ いた 漢文の一例 渡来当初の漢文の運用にはおそら 〔前田〕 部をひろくおおって堆積しているし , 族が主要部族。 ( 韓非子より ) く帰化人が大きな役割を果たしたで アジアでは , 中国北部によく発達し かんびし韓非子中国の戦国時 あろう。やがて日本人に適する読み ている。原生代に比べて , 急に生物 代の最後の思想家で , 韓の国の公族 師 壤 放 管 方がくふうされた。すなわち漢字に が豊富になり , 主として海生の無脊 であった韓非 ( ? ~ 前 2 33 ) の 55 編の 寸 仲 その意味に当たる日本語を訓えとし つい動物が栄えたが , なかでも三葉 於 馬 論文集。韓非は富国強兵のためには 而 隰 老 而 てあてて固定し , 各字の訓を日本語 虫の繁栄がいちしるしい。腕足類 君主の権力を絶大にすべきであると 有 馬 隨 の語 ) 頂によって読み下す訓読である。 ( シャミセンガイ ) も化石として産出 考え , その手段として , 人民の生産 與 水 この方法は相当早くから始まったら する。植物では , 海草と思われるコ 從 力と戦力 ( 耕戦 ) のすべてを君主が直 之 しいが , 訓読の言語の確実な資料と レニアが知られているが , その他の 接掌握するための法と , 法を運用す 、乃 桓 しては , 現在 , 平安時代初期の訓点資 もの , とくに陸上植物はまったく知 る臣下の私欲を刑と賞で操縱する信 掘 / 日 ム 〔尾崎〕 料が最古である。訓読は漢語などの られていない。 賞必罰の術とを論述した。 これは , 地 伐 人 カンフル / 樟脳う 異質的な要素はあったにしてもだい 当時の露骨な権力闘争の観察から得 不 カンプル Kan pu r 英領時代は たいその時期のロ語に基づいたもの 孑瓜 た冷酷な人間観に基づいた , 官僚制 で , 発音や語法はロ語の変遷ととも カウンポール Cawnp 。 r e といった 行 竹 による専制君主国家の構想で , その / 日 下 に変化して平安中期に至った。 インド北部ウタルプラデシ州 , がン ため秦の始皇帝に興味をもたれたの 以 山 ような訓読法を字面上に表記するよ ジス右岸にある工業都市。人口 8951 ( ) 6 中 はもっともであるが , 他方 , 家族主 18 ( ) 1 年英領となった当時は うになったのは奈良時代末平安初期 ( 1961 ) 。 往 義的団結を原理とする儒教からは非 以 無 愚 太 のころからである。返り点 , 送りが まったくの寒村であったが , その後 難されてきた。 / 諸子百家のうちの 水 反 な , ヲコト点などを漢文の行間ある 急速に発達した。ガンジス川の舟運 管 〔西〕 法家に属する。 而 仲 と 5 幹線鉄道により農畜産物 , 工業 いは漢字の字面上に言己入したもの かんびよう干瓢 / ュウガオの 之 隰 師 で総称して訓点とよばれるが , 年代 製品の取引が盛んである。インドで 果肉を細長くむきとり乾噪してつく 聖 朋 惑 の明らかな最古の資料は東大寺図書 五大財閥の一つに数えられるシンハ る食品。栃木県 , 茨城県が特産地。 聖 日 失 而 館蔵く成実論 > ( 828 ) で , 返り点だけ ニア家 ( J. K. 産業 ) の本拠であり , 綿 ュウがオの出盛る 7 月下旬から 8 月 を言己入したものは 783 年までさかの 之 隰 道 工業を主体に , 羊毛 , ジュートの繊 下旬ごろ , 干瓢細切機にかけて果実 ほりうる。この時代の訓点は個人的 智 維工業や , ウタルプラデシり・日に多い を回転しながら細長く帯状にけすり 、之 な便宜のためにくふうして言己入した サトウキビによる精糖 , 皮革工業が とり , 日ばしまたは火力により水分 智 不 あり , 近年は化学薬品 , 機械工業も もので一定の方式などはなかった。 16 ~ 20 % 前後まで乾燥する。製品は 山 日 なかでもヲコト点は , のちには用い 興っている。 1857 年の / セポイの乱 亦 乾燥十分で色沢の白いものほどよい 至 之 られなくなったが平安時代を通して , では , インド人の指導者ナナ・サヒ とされている。優良品は 1 年間の保 陽 老 かなとともに漢字の訓読を助ける手 プの軍隊が英人を攻撃し , 激しい戦 丐 存に耐えるが , 湿気を吸いやすく , 乎 所 段として盛んに用いられ , おもに付 いが行なわれた 之 カビを生し , かっ色に変わりやすい 夏 〔斉藤〕 属語や話用語尾を示した。平安中期 不 居 智 かんぶん漢文本来は中国にお ので保存に留意を要する。調理にさ 韓 から十数種程度にまとまり末期には 可 いしては , ます水や湯につけてもど ける前漢 ~ 後漢時代 ( 前 206 ~ 後 22 の 知 山 子 ヲコト点の方式を言己した点図などが し , さらに煮てから調味するが , 水洗 の詩 , 散文をいう。作詩法や文体の 、之 用 作られ始めるが , これはちょうど漢 説 . 也 のときに塩をふり , 両手で弾力の出 点からも他の時代の特徴的な詩 , 散 不 陰 学の衰微と時期を同しくし , 漢文訓 文から区別されるものである。しか るまでもむと , 調味料のしみこみ方 上 読にさいしてヲコト点などが不可欠 蟻 しこれらはすべて文語文で「文言」 がよく , 短く切れることを防ぐ。用 のものとなった とよばれ , 「白話」とよばれるロ語文 とを示している。 途はみそ汁のみ , 結び合わせた形の ガンビア 賃花の拡大

10. 国民百科事典2

カベガミ 1 6 8 物 , さら , セッコウ細工 , 木彫品な 〔直系カペー家系図〕 数字は在位年 どが利用されるが , 狭い意味では模 フィリップ 1 世ーーーノレイ 6 世 ューグ・カペー ロべール 2 世一一 - アンリ 1 世 0 ) 987 ~ 996 ( ②府ナん王 996 ~ 103 ー ( 3 ) 1031 ~ 60 ) 1060 ~ 1108 ⑤肥満王 1108 ~ 37 様を織り出した布地をさす。西洋の 住宅では古くは壁面の仕上げ技術が ルイ 7 世ーーーフィリップ 2 世ーールイ 8 世ーー - ルイ 9 世 ルイ IO 世 ⑥ 1137 ~ 80 ⑦オーギュスト 1180 ~ 1223 ) 物子王 1223 ~ 26 国 ) 準王 1226 ~ 70 ⑩ ) 強情下 1314 ~ 16 不十分だったので , 衣服がよごれる フィリッフ。 5 ・世・ ⑩ ) 長身王 1316 ~ 22 のを防ぐため , そこに布地の壁掛け フィリップ 3 世フィリップ 4 世 シャノレ / レ 4 - 怛 : が下げられ , ことに貴人の座の背面 ⑩、麗ヨヨ 285 ~ ー 3 凵 00 勇下 1270 ~ 85 04 ゝ端麗王ー 322 ~ 28 シャノレノレ・ノヾロアーーーフィリッフ。 6 : ・・・・・・レヾロア家 ) には高価な織物類が使用された。 14 ~ 15 世紀にかけては盛んな発達をみ さけるには , 壁の一部だけ張るか は毛でおおわれている。水はけか・良 たが , なかでも美しい模様を織り出 異なる面は色変りの紙を使うことも く肥えた土地に適し , 冬は暖かく夏 した / タベストリーは有名で , 代表 〔須田〕 行なわれる。 は涼しい場所によく育ち , きびしい 的な壁掛けとして今日におよんでい カペーけカペー家フランスの 寒さでは枯れる。繁殖は春または秋 る。タベストリーは日本の綴にプ織に 王家。その名称 Capétiens は初代国 の株わけにより 3 芽 1 株として植え 相当する織物で , 精巧な絵画的な模 王ユーグ・カ -<—Hugues Capet( 在 つける。実生は秋まきとして冬の寒 様を織り出したもの。そのはか , 金 位 987 ~ 996 ) に由来しており , フラ さを保護すれば 1 年後に開花する。 襴 , 錦計などの織り模様のもの , 茂りすぎると花が咲かないから , 2 ンク国家の崩壊ののちフランスは 19 さらさ , ろうけつなどの染め物 , 刺 世紀の半ばまで , すべて広い意味で 年ごとに株わけし , 定植後は絶えす しゅうや押し絵を施したものなどが 中耕して自由に根が伸びることをお はこの家系から国王を出している。 ある。 カペー家は , 1 ) 直系カべ一家 ( ュー 〔赤岡〕 〔浅山 . 」 さえる。 / ( 別刷 ) 園芸 かべがみ壁紙壁の装飾仕上げ かほく河北〔町〕山形県のほは、 グ・カべーからシャルノレ 4 - 世まで , 987 ~ 1328 ) と , その流れをくむ 2 ) ノヾ に用いる張付け用紙。すきま風をと 中央 , 山形盆地にある西村山郡の町。 ロア家 ( フィリップ 6 世からアンリ 3 め , はだざわりをよくするほか室内 人口 24090 ( 1965 ) 。 1954 年谷地町を - 世まで , 1328 ~ 1589 ) および 3 ) プノレ 中心に周辺農村 3 村が合併して改称 のふんい気をもりたてるために使わ ポン家 ( アンリ 4 世からルイ・フィリ れる。西洋建築では室内の仕上げを した。谷地町は戦国時代以来の城下 ップまで , 1589 ~ 1848 ) の 3 王家を 町で , 明治中期までは最上嘉み川水運 おぎなうために高価な壁掛け ( タベ 含み , ふつうは狭義の 1 ) の意に用い の要地として米 , べニバナ ( 紅の原 ストリー ) が発達していたが 15 世紀 られる。 料 ) , 生糸などの集散地であった。現 ころその代用として紙が張られるよ 在も米 , 蚕繭 , 木材を産し , 農家の うになったと思われる。その当初は フランスの政治 , 経済 , 文化の基 副業としてのぞうり , サンタ、、ル製造 礎を作り上げた直系カべ一家は , 前 中国から版画の技法が伝わり , 多色 半の 12 世紀半ばごろまで , 封建社会 がひじように盛んである。〔米地〕 刷の技術が発達し , 18 世紀には璧画 の最盛期に当たって王領が狭く , そ に似た精巧な風景を描き出すまでに かほく河北 ( ホーベイ ) 〔省〕中 の周囲をいくっかの大諸侯領にとり 進歩した。 19 世紀にはいって機械印 国北部の省。略名は冀き省。華北平 まかれて王権が微弱であったが , 後 刷に移り , 製品も豊かになり一般化 原の北部とモンゴル高原の南東部を した。しかし , 様式的装飾主義と対 半のフィリップ 2 世 , ルイ 9 - 世 , フ しめる。面積 197200km2 , 人口 4472 立する近代建築の主流では姿を消し , ィリップ 4 世の時代には , 国家とし 万 ( 1957 ) 。省都は天津。中華人民共 ての最初のまとまりを形成した。フ 伝統を好む住宅にかぎって使われる 和国首都北京市 ( 中央直轄市 ) がある。 地形はモンゴル高原が北西より南に ようになったが , また近年では面目 ィリップ 2 世はフランス西半を領有 向かい , 陰山 , 燕山 , 軍都山脈が南 を新たにして再登場している。 していたイングランド王ジョンと争っ 〔選び方〕紙には手刷と機械印刷が へ , 居庸関翳え付近から華北平原と、 てその大部分を回復 , 王領はこれ以 後急速に拡夫された。それとともに なり渤海湾に至る。華北平原は海 あるが , その種類は豊富で , 浮彫り , 王権は伸張して ( ノヾリが首都となっ 壁画 , 布張り , 塗り壁を模造したも 河 , 黄河の沖積地で太行山脈が西に 連なる。万里の長城は省北の中央に たのもこのころ ) , 当時の欧州にも のもあり , 地はだや模様の種類はは 横たわる。海河は白河 , 永定河 , 大 っとも重きをなし , フィリップ 4 世 なはだ多い。顔料はおもに退色しに 清河 , 子牙河 , 南運河を集めて渤 はついにローマ法王 ( ポニフアキウ くいテンペラなどが使われる。英国 , 海に注ぎ , 沽こ河ともよばれる。気 ス 8 世 ) を屈服させた。北フランス 米国 , ドイツ , フランス , スイスな は王国の中心、であるとともに , ゴシ 候は大陸性で高気圧の中心に近く冬 どが産地であり , 国産では襖紙の ック芸術その他を開花させて , 欧り・ l•l 伝統を生かした新製品によいものが 季は乾燥し風強く , 11 月中旬 ~ 3 月 少なくない。規格は各国まちまちで 文化の一大源流となった。 まで結氷し , 雨は夏季に集中し , 年 〔木村〕 あり , ふつう幅 48 ~ 90cm , 長さ 7.3 ~ カーベット / 絨緞う 降水量の差が大きく洪水 , 干ばつに 14.6m , 1 巻き 1 ~ 3 坪 ( 1 坪は約 3.3 苦しめられる。人民共和国政府の下 カペラ C ape Ⅱ a ぎよしや座 0 m2 ) を張る。台所 , 浴室にも使えるビ 星 , 光度は ( ). 13 等 , 距離は 44.7 光年 に官庁ダム ( 永定河 ) 建設にみられる ニルフィルムなど防水性のものもで で , 絶対光度は一 0.5 等。スペクト 治水 , かんがい事業が進み , 人民公 社成立とともに農業生産は高まって きている。 ルは G 型の黄色星。表面状態は太陽 〔張り方〕日本では古くから襖紙張 と比較的よく似ている。カペラの意 いる。主としてコーリャン , アワ , 味は「雌の子ヤギ」で , ェリクトニ りの技術があり , 入念な仕事では 5 トウモロコシ , 工ンバクなどである。 オスが手にかかえているヤギを表わ 工程ぐらいの下張りをして , その上 経済作物としては綿花が重要である。 している。 / 星座 にはるが , 下地を平滑に整えるのが 〔草下〕 牧畜は北西部高原と華北平原農民の ガーベラ ge rb er a 南アフリ 要点である。璧紙に全体にのりづけ 副業として盛んで , 馬 , 牛 , 羊 , ラ 力のトランスノヾール地方原産のキク クダで , とくに馬は有名。鉱産も豊 して張りつける方・法もあるが , 紙の 科多年草。涼しい気温のもとに絶え 四方の回りにだけのりをつける袋ば 富で開津 , 峰峰の石炭 , 竜関 , りか、容易である。つぎめはめだたぬ す花が咲く。園芸種には紅 , オレン 宣化の鉄は著名である。工業は天津 , よう , あかりの方向を考え , 厚手の ジ , ピンク , 白 , 黄などがあり , 八 石家荘などの綿紡織 , 唐山の鉄鋼業 , ものは突き付けにする。またへやの 秦皇島のがラス工業のはか , 著 重咲きもあり , 水揚げのよいことと すみは直角であることが少ないので , 名な手工業が多い。海運は盛んで天 花と葉の対照のよいことで切り花用 折り曲げて張らすに 津 , 塘沽 ( タンクーー ) , 大沽 ( タークー ) , として多く栽培。葉は根生し , あら 一度切って張 ったほうか、よい。 秦皇島の諸港がある。内陸水運は子 このむすかしさを い欠刻があり倒三角形。地下の茎葉 ガーベラ