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1. 国民百科事典2

与えられた権利の保障という性質を 有しており , 天皇または国家に先だ つ権利の保障とは考えられなかった。 その保障は主として行政権に対する ものであり , 法律によってもそれら の権利を制限できないとの意味をも っていなかった。また , その保障も きわめて不徹底であった。 9 ) 憲法改 正明治憲法の改正は両院各総員の % 以上の出席で , 出席議員の % の賛 成と天皇の裁可が必要とされ , 憲法 改正の発案権は天皇に留保され , 議 員に発案権はなかった 〔明治憲法から日本国憲法の成立ま で〕明治憲法の半世紀を越える歩み の初期においては , そこに含まれて いる民主的な要素がしだいにその勢 力を拡張したといえる。すなわち , 帝国議会 , ことに衆議院は , 政府に 対するコントロールをしだいに強化 し , 大正時代には , 政党内閣をいわ ゆる「憲政の常道」として樹立する までに成長した。しかし昭和年代に なると , 五・一五事件 ( 1932 ) , 六事件 ( 1936 ) , 日中戦争 ( 1937 開戦 ) , 太平洋戦争 ( 1941 ~ 45 ) などの一連の 事件によって象徴される全体主義 , 軍国主義の台頭とともに 明治憲法 におけるあらゆる民主的な要素は制 約され , やがては全面的に否定され ることになった この状態に終止符 を打ったのが , 1945 年の連合国にた いする降伏である。降伏により , 日 本の統治権は , 連合国最高司令官の 権力のもとにおかれ , 日本は一時的 に独立を失った。その最終の政治形 体は国民の自由に表明された意志に よって決定されるべきものとされ , こに天皇主権にかわって国民主権 が確立された。連合軍最高司令官は 1945 年 IO 月日本政府に憲法改正を考 慮すべきことを命した。幣原聶内閣 ( 1945. 10. 9 ~ 46. 5. 22 ) はこの問題 を調査するため松本烝治国務大臣を 主任として , 憲法問題調査会を設け , 一応の成案を得たが , 占領軍当局の 承認をうるにいたらす , ついに占領 軍側によって起草された憲法改正案 が , 1946 年 3 月憲法改正草案要綱と して発表された。これは , 国民主権の 原理をとり , 天皇の地位を単なる象 徴にとどめ , 国会の地位を強化し , 国民の権利を強く保障するなど , 憲 法の自由主義化 , 民主主義化を徹底 せしめるとともに , 戦争の放棄を定 めた画期的な内容をもっていた。一 の草案を基礎とした憲法改正案が第 90 帝国議会 ( 1946. 5.16 招集 ) に提出 され , 若干の修正を受け , 同年 11 月 3 日に公布された。これが日本国憲 法で , 47 年 5 月 3 日から施行された 〔日本国憲法の内容〕 1 ) 憲法の一元 性明治憲法時代には , 成文憲法の 性格を有するものとして大日本帝国 憲法のはかに皇室典範があリ , 皇室 に関する事項は後者に規定し , 後者 7 0 9 の改正は天皇が行ない , 帝国議会は それに関ケできないこととした。日 本国憲法はそうした二虍性を廃した 現在も阜室典範はあるが , これは単 なる法律である。 2 ) 国民主権日本 国憲法は国民主権に立脚する。国民 主権は天皇主権の否定の上にのみ成 立できるのであるから , 明治憲法時 代の天皇主権 , 神勅主権はここでは 否定される。 3 ) 代表民主制主権者 たる国民は正当に選挙された国会を 通して行動するのを原則とする。代 表民主制がたてまえである。しかし , 憲法は最高判所我判官の国民審査 や , 憲法改正の国民投票や , 地方自 治特別法の住民投票において , 直接 民主制的な制度をみとめている。 4 ) 国会国会は国権の最高機関であリ , かつ国の唯一の立法機関である。国 会は立法権を独占し , 明治憲法にみ られたような行政権による立法はみ とめられない。国会は衆議院と参議 院とで構成され , 両議院の議員はす べて国民から選挙される。選挙は普 通選挙 , 平等選挙および秘密投票で ある。両議院の地位は平等でなく , 衆議院に優越的地位がみとめられる。 5 ) 内閣行政権の主体は内閣である。 天皇は全然関与しない。内閣は内閣 総理大臣と全国務大臣で組織する合 議体であるが , 内閣総理大臣は各国 務大臣を任命し , かっ任意に罷免す る権利を有するから , その地位はす 、、、る強大である。 6 ) 国会と内閣と の関係明治憲法とは反対に , 国会 と内閣との間では国会に重点がおか れる。国会は内閣総理大臣を指名し , 内閣は国会に対して連帯して責任を 負う。内閣は衆議院の信任を在職の 要件とし , その信任を失うときは , 衆議院が解散されないかぎリ , 総辞 職しなければならない。内閣は , れに対して大皇の名で衆議院を解放 することができる。総理大臣は国会 議員の中から国会の議決で指名さ・れ る。 7 ) 司法権司法権は裁判所に属 する。裁判所は法律の合憲性を審査 する権能を有する。最高判所は規 則制定権を有し , その我判官の任命 は国民の審査に付される。裁判官は 身分が保障される。 8 ) 天皇国民主 権をとった日本国憲法は , 天皇とい う制度は廃止しなかった。天皇は日 本国の象徴であり日本国民統合の象 徴であり , 国政に関する権能をもた ないし , 国家を対外的に代表する権 能ももたないから , 天皇は君主の性 格も元首の性格ももたないと解され る ( / 天皇 ) 。 9 ) 権利宣言明治憲法 に比べてはるかに徹底的に基本的人 権を保障する。法のもとの平等は強 化され , 自由権のはかに , 参政権や社 会権も , 基本的人権として保障され る。 10 ) 戦争の放棄と載力の否認 日本国憲法は第 9 条で , 恒久の国際 平和を実現するために , 戦争と武力 ケンマ による威嚇ま . たは武力の行使を放棄 することと , 陸海空軍その他の戦力 を保持せす , 国の交戦権を否認する ことを定めている。世界ではしめて の規定である。 11 ) 憲法改正憲法 改正は国会の発議と国民投票による 国民の承認とで成立する。国会の発 議は , 両議院で各総議員の % 以上の 賢成で行なわれる。 12 ) 違憲立法審 査前にもふれたカ { , いっさいの法 律 , 命令 , 規則または処分が憲法に 適合するかどうかを決定する権限を 我判所が有している。そして終局的 には最高裁判所がそれを有している。 その意味は , 法令の合憲性に関する 最高裁判所の判断は最終的であり , かっ裁判で合憲性が争われている限 り , 訴訟当事者はつねに最高裁判所 の判断を求める権利があるというこ とである。ーこで注意すべきは , の違憲立法審査権も司法権の行使と してなされるのであるから , 具体的 な訴訟事件 , すなわち訴訟当事者の 権利義務に具体的に関係する事件を 解決するために必要なかぎリでその 我判に付随して行使されるにすぎな いということである。 〔憲法改正論〕警察予備隊から自衛 隊にいたる過程で , その合憲性が争 われ , 同時に日本国憲法改正論も行 なわれはじめた。中心、は自衛隊の性 格に関連して第 9 条改正にあったが , その後 , 連合国による押しつけ憲法 であるから全面改正をしようという 意見も現われた。おもに保守政党が 主張し , 革新政党が反対している。 1956 年 , 日本国憲法を検討 , 関係諸 問題を調査審議して内閣と国会に報 告する任務をもつ憲法調査会 ( 委員 50 名 ) が内閣に設置 ( 57 年組織 ) され た。同会は制定当時の事情や憲法の 規定の運用状況 , その意義などを調 査し , 64 年 7 月 , 改憲論 , 反対論を 併記した最終報告を出して任務を終 えた 〔遠藤〕 けんばうきねんび憲法記念日 / 国民の祝日の一つ。日本国憲法が 施行された 1947 年 5 月 3 日を記念す る日。毎年 5 月 3 日。 〔平野〕 けんま研摩物体に所要の寸法 や形状をあたえ , また望むような表 面仕上げを行なうために , 物体の表 面をすり減らしたリ , すり落とした りすることを研摩という。といしや 研摩材によって物体の表面を物理的 に少しすっ削りとる機械的研摩の方 法がもっともひろく行なわれている が , 最近では特殊な液のなかに研摩 しようとする金属を浸し , それを陽 極として電流を通しると研摩現象が 起こることを利用した電解研摩の方 法が発達してきた。なおそのはかに 化学薬品の作用で研摩を行なう化学 研摩や , 物体表面を加熱して研摩作 用を行なう火熱研摩などがある。 機械的研摩はもっとも基本的な研

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積 253 ( ) 362m2 , 損害額は 468 億 76 ( ) ( ) 万円で , 全体の 88.6 % を占めている。 そのうち居住用建物からの出火が約 半分で , 全焼の度合いはノヾラック , 本建築 , 防火造 , 耐火造 ( / 耐火構 造 ) の順になっており , 木造建築物の 全焼率が著しく高い。日本の火災は , その住宅様式 , 都市構成 , 気象条件 , 生活環境などの面から , 延焼によっ て大火になる危険性が強い。 〔林野火災〕山林火災 , 森林火災 , 俗 にいう山火事。林野火災は毎年 3 月 をピークとして , 上半期に集中的に 発生している。 1964 ・年には 4572 件 , 81250 ( ) ( ) ( ) m2 を焼失し , 4 億 32 ( ) ( ) 万円 の損害であった。多くはタノヾコ , マ ッチ , たき火 , 燃えさし , 火の粉な 50478 49 ( ) 2 ( ) ど火の取扱い不注意などから発生し , 雷火 , 火山の爆発などによる自然発 生的なものは少ない。山火事は主と して落葉や下草を伝わって拡大し , また飛火によって移動していく。 火は山頂に向かって進み , 山頂に達 すると下降しないので , 消火せんを 尾根に設けるのが有効である。日本 では一般に , プルドーザなどで木を 倒し火事現場のまわりに空間をつく って延焼を防ぐ方法がとられている。 大きな山火事では , 迎火といって , 付近に火を放ち , 上昇気流 ( 火事場 風 ) を人為的につくって特定方向への 延焼を防ぐ方法もある。 〔車両 , 船舶火災〕産業経済の発達 に伴い , 車両 , 船舶の火災も増加し ている。 1964 年の車両火災は 41 ( ) 7 件 , 損害額 3 億円 , 船舶火災は 354 件 , 損害額 1 億 82 ( ) ( ) 万円である。各種車 両の中では引火しやすいがソリンを 燃料としている自動車の火災がいち ばん多く , そのはとんどが内燃機関 , 電気配線に原因している。 〔出火の原因〕出火の原因は火の不 始末 , 設備の不良 , 取扱い上の不注 意などによる , いわゆる失火が大半 を占めており , 雷火 , 震火 , 放火な どの不可抗力的なものは , ごくわすか である。おもな出火原因 ( 第 2 表 ) を あげると , 毎年こんろとタバコから の火災が上位を占めている。タバコ は寝ながらの喫煙によるものが多い。 石油こんろ , がスこんろ , 七輪こん ろなどによる火災は , 使用法の誤り , 調整不良 , 放置など取扱い上の不注 意が多い。また煙突からの火災は , 短すぎ , 破損 , 掃除不十分など構造 整備の不完全さと火の粉の飛火に そのほとんどか・原因している。マッ チ , ライタなどが手のとどく所にあっ たための子どもの火遊びも多い。 たつやあんかの蓄熱発火 , 電熱器 , 電気アイロンのつけ放し , コードの 過熱など , 電気関係の火災も多い。 漏電による火災は , 電流が設計され た回路をはすれて , 建物の金属部分 9. 14 に流れて起こるもので , トタン屋根 , 雨どい , 看板などの近くの電線には , 5 9 とくに注意する必要がある。 〔火災と気象〕日本のように四季の 変化のはげしい国では , 気温 , 湿度 , 風などの気象条件が出火ないし延焼 に大きな影響を与えている。四季別 にみると , 日本の火災は冬季 ( 12 ~ 2 月 ) にもっとも多く , 次いで春季 ( 3 ~ 5 月 ) , 秋季 ( 9 ~ 11 月 ) となっ ており , 夏季 ( 6 ~ 8 月 ) がいちばん 少ない。月別をとると 3 月 , 2 月 , 12 月 が多い。冬季から春季にかけては , 全国的に火の取扱いが急増する上に 強い季節風が吹き , 湿度が低下する ためである。空気が異常に乾燥した り , 強風が吹く場合には , 気象庁長 官 , 気象台長からの通報にもとづき , 市町村長 ( 東京では警防部長 ) によっ て , 火災警報が発令され , また市町 村長は必要な場合屋外でのたき火や 喫煙など火の取扱いについて制限す ることができる ( 消防法 22 ~ 23 ) 。ま た裏日本側では , 台風がきたり低気 圧が発達したとき , / フェーン現象 といって , かわいた高温の空気が山 から吹きおろし , 高温低湿というも っとも火災に危険な状態になること がしばしばある。 〔火災時の心得〕火災になったリ火 災を発見したときは , 火災報知機 , 119 番の電話通報 , かけつけるなどし てすぐに消防署に知らせなければな らない ( 消防法 24 ) 。電気関係の火災 はますスイッチを切ってから水をか けること。水はうすくひろくかける ことが効果的である。また 2 階など から飛び降りるときは , ふとんなど を先に投げ , 腕いつばいにぶらさが ってから , その上に飛び降りること。 煙に包まれたときは , 手ぬぐいなど で鼻口をおおって壁ぎわをはう。煙 は波状的に押しよせるので , 濃煙の ときはほおを床面につけ , 息をこら してこらえ , 機をみて脱出すること。 消火器や避難器具 ( ロープ , すべり棒 , 縄第ばしご , 避難袋 ) などを整備して おくこと。 〔失火罪と放火罪〕放火は 1933 ~ 34 年が最高で年間約 24 ( )( ) 件 , 戦後は 15 ( ) 0 ~ 20 ( )( ) 件の間を上下している。 放火罪の刑はきわめて重く , 江戸時 代には火罪気、と称し , 犯人を裸馬に 乗せて引き回しの上 , 火あぶりにし た。現在の刑法でも , 人の住んでい る建物 , 汽車 , 電車などに放火し燃 やした場合は , 死刑または無期も しくは 5 年以上の懲役 ( 刑 108 ) と規 定されている。失火罪の刑は 5 万円 以下の罰金 ( 刑 116 ) , 業務上必要な注 意を怠ったり , 重大な過失によると きは 3 年以下の禁錮または 15 万円以 下の罰金である ( 刑 117 。以上いすれ も罰金等臨時措置法適用 ) 。 〔日本の大火〕木造という家屋構造 が火に無力であり , そのうえ季節的 な強風が吹き , 消防施設も不完全で あったから , 日本は古来しばしば大 - 年らた 原因 たは・ んろ 火 弄 たき火 煙突 , 煙道 放 火 放火の疑い ストープ マッチ ライタ 内燃機関 たっ 灰 取 ふろかまど 小計 その他 明 不 総出火件数 第 2 表 平 ( 1 ( ). 9 ) 最近 5 年問のおもな出火原因 196 ( ) ~ 64 年 均 522 ( ). ( ) 3936.6 366 ( ). 8 2913.2 2547.6 2383.4 2 ( ) 79.6 1891.4 1679.0 1534.2 1296. ( ) 1168.6 3 ( ) 31 ( ). 4 13997.0 3678. ( ) 47985.4 ( 2 4 ) ( 2.7 ) ( 3.2 ) ( 3 5 ) ( 3 9 ) ( 4.3 ) ( 5.3 ) ( 6.1 ) ( 7.6 ) ( 8.2 ) ( 7.7 ) ( 29.2 ) ( 63.1 ) 1960 4343 4332 2981 2489 2596 2257 1168 17 ( ) 8 1757 1445 1339 994 274 ( ) 9 12421 384 1961 5 ( ) 23 4358 3191 28 ( ) 1 2599 2382 1621 1833 1815 15 ( ) 3 1316 1126 29568 1395 ( ) 3588 1962 5742 3881 3984 3 ( ) ( ) 9 25 ( ) 3 2564 2398 2 ( ) 15 175 ( ) 1554 1328 1183 31911 14156 3577 49644 1963 5541 3738 4172 3372 257 ( ) 2443 2623 2 ( ) 12 16 ( ) 6 1566 1258 1213 32114 14742 3622 1964 5451 3374 3976 2895 247 ( ) 2271 2588 1889 1467 1603 1239 1327 3 ( ) 55 ( ) 14716 3754 4367 471 ( ) 6 注 ( ) 内の数字は総出火件数中に占める各原因の割合。消防庁調べ 第 3 表日本のおもな大火 1177 1249 1399 1434 1467 1517 1544 1657 167 ( ) 1673 17 ( ) 7 1711 1746 1772 18 ( ) 6 1829 1854 1855 1858 1873 1876 1879 188 ( ) 1881 1885 1907 1909 1923. 1934. 1947. 1666. 1700 1782. 1812. 1871. 10. 8. 11 9. 2 8 年 ( 安元 3 ) ( 建長 1 ) ( 応永 6 ) ( 永享 6 ) ( 応仁 1 ) ( 永正 14 ) ( 天文 13 ) ( 明暦 3 ) ( 寛文 1 ( ) ) ( 寛文 13 ) ( 宝永 4 ) ( 正徳 1 ) ( 延享 3 ) ( 明和 9 ) ( 文化 3 ) ( 文政 12 ) ( 嘉永 7 ) ( 安政 2 ) ( 安政 5 ) ( 明治 6 ) ( 明治 9 ) ( 明治 12 ) ( 明治 13 ) ( 明治 14 ) ( 明治 18 ) ( 明治 40 ) ( 明治 42 ) 9. 1 ( 大正 12 ) 3.21 ( 昭和 9 ) 1940. 1 ・ 15 ( 昭和 15 ) 4.2 ( ) ( 昭和 22 ) 1952.4. 17 ( 昭和 27 ) 1954.9 ・ 26 ( 昭和 29 ) 場所と被害 京都。高倉殿より失火。焼失 2 ( ) ( ) ( ) ( ) 戸 皇居で失火。京都の過半焼失 泉州堺。兵火。焼失 1 ( ) ( ) ( ) ( ) 戸 京都。焼失 10 ( ) () ( ) 戸 京都。兵火。焼失 30 ( ) ( )( ) 戸 伊勢山田。焼失 5 ( )( ) 0 戸 伊勢山田。焼失 6 ( ) ( ) ( ) 戸 江戸。正月 18 日。本郷本妙寺より出火。焼 失 48 町余。大名 5 ( ) ( ) 軒 , 旗本 77 ( ) 軒。同 19 日 , 小石川伝通院前より出火。焼失堂社 35 ( ) 。 同日 , 麹町 5 丁目より出火。札之辻に及」 通算焼失民家無数。死者Ⅱ ) 7 ( ) 46 人。俗に「振 袖 ( ふリそで ) 」火事という 伊勢山田。焼失 5743 戸 ・焼 - 失 135 ( ) ( ) 戸 東京。焼失 86 ( ) ( ) 戸 東京。焼失 58 ( ) ( ) 戸 焼失 130 ( ) ( ) 戸 , 死者 4 ( ) ( ) ( ) 人 江戸。震火。壊焼 14346 戸 , 死者 7 ( ) ( ) ( ) 人 京都。焼失皇居以下 7 ( ) ( ) ( ) 戸 焼失 20 町 , 死者 19 ( )( ) 人 焼失 81 町 , 死者 12 ( ) 0 人 目黒行人坂大円寺で失火。焼失 157 町。 大阪。焼失 5000 戸 江戸。焼失 11 ( ) ( ) ( ) 戸。死者 110 ( ) 人 大阪。焼失 75 ( ) 0 戸 京都。焼失皇居以下 5 ( ) ( ) ( ) 戸 東京。 大阪。 江戸。 江戸。 ー江戸。 戸 , 死者 99331 人 , ゆくえ不明 43476 人 関東南部。大震災による出火。焼失 447128 大阪市。焼失 114 ( ) 0 戸 函館市。焼失 12400 戸 ー富山市。焼失 590 ( ) 戸 ー東京。焼失 150 ( ) ( ) 戸 新潟市。焼失 55 ( ) ( ) 戸 函館市。焼失 111 ( ) 2 戸 , 静岡市。焼失 5121 戸 , 飯田市。焼失 4 ( ) 川戸 , 鳥取市。焼失 5714 戸 , 岩内町。焼失 3399 戸、 第 4 表世界の五大火 いわゆる「ロンドンの大火」。 8 人。損害 10 ( ) ( ) 万ポンド 死者 2 ( ) 15 人 面積 13 ( ) 万 m2 面積 48 万 m2 面積 45 万 m2 面積 32 万 m2 ・焼失 132 ( ) ( ) 戸 , 死者 エジンパラ。全市焼失。損害 10 ( ) 0 万ポンド コンスタンチノープル。焼失人家 1 ( )( ) 00 戸。工場 100 , 寺院 50 , 死者 100 人 シカゴ。焼失 17450 戸 , 損害 196 ( ) ( ) 万ドル 失 308 ( ) 0 戸。損害 300 ( ) 万ホ。ンド モスクワ。ナポレオンの侵攻を防ぐため放火。焼

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キンギョ 4 8 7 ナートが急速に発展しており , 石山 から栗東地域にも工場誘致が進んで いる。伝統産業に西陣織や清水焼 , 丹後や滋賀県長浜のちりめん , 和歌 山県海南市の漆器 , 三重県上野市の かさ , 兵庫県小野市の刃物などがあ る。 1960 年以降 , 「経済の地盤沈下」 から脱皮するため , 近畿圏整備法に 基づく近畿圏整備の計画や各種の構 想が提案されている。 〔都市と交通〕近畿の都市と交通路 には歴史的起原をもつものが多く , 阪神地域の周辺部にだけ , 明治以後 新しく住宅都市や工業都市が誕生し た。兵庫県の芦屋市や大阪府の豊中 市 , 池田市 , 吹田市などは大阪の 住宅的衛星都市として発達したもの オランダシシガシラ シュウキン であり , 布施市や尼崎市などは工業 く。葬制では埋め墓と詣い墓との二 的衛星都市である。しかし尼崎市の あり , 歴史的にも五畿内の外に丹波 , つをもっ両墓制が九州 , 東北の地方 場合 , その商業地区は旧城下町地区 播磨 , 伊勢 , 紀伊などを含むため , に比べて近畿地方に濃厚に残るのも を継承しているが , 臨海の工業地区 民俗はかならずしも一様ではないが , 注目を要する。 は大阪の工場地帯として明治後形成 長く政治の中心地であったために 〔池辺〕 きんきにほんてつどう近畿日本 されたものである。これら大阪湾を 文化の面においても他に見られない 鉄道大阪を中心に , 京都 , 奈良 , とりまく都市域は互いに市域や市街 洗練された高い水準のものがある。 三重 , 愛知 , 岐阜の 2 府 4 県にわた 民家の形式は入母屋造りがこの地 地を接して連なり , 阪神地域だけで る延長 573. lkm の電車路線。経営する 方の代表様式であるが , 奈良盆地に すでに人口 800 万人を擁している。 交通網もまた大阪市を中心にひろが 株式会社は 1944 年に設立され近鉄と 見られる大和棟 % 造りは技巧をこら 通称される。幹線の大阪上本町 ~ 名 り , 2 時間の等時線を描いてみると , した美しいものである。近畿地方の 古屋間は特急で 2 時間 13 分 , 京都 ~ 近畿の中区地域はいすれもこの圏内 農村は人口に対して土地が狭小なた 橿原神宮 , 大阪 ~ 湯の山 , 大阪 ~ 字 にいれられる。北区や南区の中心都 め密集したところが多く , 部落の周 治山田 , 名古屋 ~ 字治山田などにも 市はかっての城下町が多い。なかで 囲に堀をめぐらした環濠集落や , 特急が走る。他に大阪 ~ 奈良の奈良 も和歌山 , 津 , 姫路の 3 市は大藩の いわゆる垣内村をなしていると . こ 線 , 大阪 ~ 吉野の南大阪・吉野線 , 城下町だったもので , そのまま行政 ろがある。村落における村株の権利 中心地となっている。京都と奈良は 大阪 ~ 河内長野の長野線などがあり , が強く , 一族や株内ではたいてい共 現在もなお観光客の多い消費都市と 大阪と諸都市を連絡し通勤者 , 観光 同の氏神を中心として結びついてい る。近畿地方には伊勢 , 春日 , 賀 客に多く利用される。 しての性格が強く , 大阪にあっても 〔伊崎〕 きんきゅうちょうせい緊急調整 茂 , 祇園要ん , 八幡 , 稲荷ぢな , 愛宕を 旧市街地の船場地区は , 江戸時代に / 労働争議が国民生活にきわめて重 熊野など古来の名神大社や仏教諸宗 おける天下の台所であったおもかげ 大な脅威をあたえる段階にいたった を見ることができる。同様に , 港町 の大本山が数多く存在し , それぞれ 場合の一種の非常措置。争議が公益 の祭礼 , 法会には注目すべきもの の神戸には , 明治以後の寒村か都市 が多い。伊勢の御田植祭 , 葵響祭 , 祇 事業に関するか , またはその規模が 化した関東の横浜では味わえない歴 ひしように大きいかもしくはその事 史の香がある。堺市も戦災は受けた 園会 , 奈良東大寺二月堂のお水取り 業が公益事業と同様の広範深刻な社 が , 古い堀跡があり , かっての自由 とよばれる修一ムしゅ 一ェにえ , 京都鞍馬の竹 都市の様子がしのばれる。このはか , 会的影響をもつもの ( たとえば石炭 伐会えなどは代表的なものである。 近畿には伊勢神宮の門前町である伊 産業 ) であるために , 争議による事 また氏子集団としての宮座がよく発 勢市があり , 二見が浦とともに旅行 達しており , 滋賀県 , 京都府 , 奈良 業の停止が国民経済の運営を著しく 県には多くの宮座組織が現存し , 者や参拝客が絶えない。 阻害し , 国民の日常生活を危うくす 〔歴史〕弥生式時代になって , 肥よ 「おこない」とか荘厳うとかよばれ る危険が明白である場合でなければ る行事がある。京都府相楽郡の祝 この措置をとることができない。内 くな沖積地をもっ奈良盆地や大阪平 閣総理大臣が中央労働委員会 ( / 労 野を中心として農耕文化が発達し , 園耜や , 大阪府堺市の百舌鳥享に行 働委員会 ) の意見をきいたうえで緊 なわれる神事は物忌みが厳重である 人口が集中したと考えられる。奈良 急調整を決定する。決定がなされる ので著名である。民俗芸能としては 県の唐古遺跡は代表的なその集落 と , 中労委はただちに , あっせん , である。近畿にはまた , 各地に銅鐸 古い伝統をもっために芸能化が強く 調停 , 仲裁などあらゆる調整方法を が出土し , 九州の銅鉾揵 , 銅剣文 認められ , 全国的にもすぐれたもの 化圏に対して銅鐸文化圏とよぶべき っくして争議の解決に尽力すること が多い。京都の - モ生会狂 . 言 , 六斎念 文化があったことがわかり , つぎの 仏 , 京都の今宮神社の「やすらい花」 , になっている。そして , 調整決定の 古墳文化の基礎をきすいた。奈良盆 日から 50 日間は , 争議行為が禁止さ 広隆寺牛祭 , 大阪の天満天神祭 , 四 天王寺の聖霊会 3 ぇ , 奈良の春日若 地に和銅 3 年 ( 713 ) に平城京がつく れる。 〔遠藤〕 られ , 延暦 13 年 ( 794 ) 以後は京都の 宮御祭りなどは他の地方にはみら きんぎよ〔金魚〕コイ科の魚。 平安京が千年の帝都として明治維新 れない特色をもっている。旧五畿内 キンギョの祖先はコイ科の / フナで , まで栄えた。また , 江戸時代には , その原型は系統的研究から今のワキ 以外では , 志摩海岸には古くから海 大阪が上方の名でよばれる町人の 女耋の活躍が有名であり , これに対し ンに近いものであろうと推測されて 文化 , 経済の中心であった いる。原産地は中国で , 晋時代に出 て奈良県の吉野地方の山中には十津 現し , 宋の時代から飼育され始めた 川郷のような山深い山村もあり , 滋 〔藤岡〕 〔民俗〕この地方は地理 , 気候風土 ことが記録されている。日本には文 賀県の小椋れ地方を本拠とする木地 亀年間 ( 1501 ~ 04 ) , 明から初めて渡 においてかなり大きな地方的相違が 屋も独特の習俗をもつので注意を引 ン キ メ 6 ヒブナ リュウキン キンギョのいろいろ ワキン ランチュウ

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単なトリックを用いて , 鳴り物 , ロ 上にあわせて芝居がかりに演出され た。これにたいし複雑なトリックや 大がかりな装置を使う欧米の magic, c ( ) n j u r ing などが , 明治以後に輸人 されると , これを奇術と称して盛ん な人気を集めた。明治以後 , 日本独 自の奇術として海外に有名になった のは , 一蝶斎の「浮かれの蝶」や松 旭斎天ーのサムタイ ( 両手の親指を しばりつけたまま腕を棒にとおす ) という奇術 , 松旭斎天勝の水芸など である。 1903 年の天一 , 天勝一座の 番組の一例は , 「空中美人現出」「大 魔術タンバリンキャビネット」「自動 催眠術」「万国旗」「観客頭上の魚釣 り」「電気応用自由噴水」「活人画美 人」などの西洋奇術の影響が大きい。 なお南京手品は , 明治以後中国から もたらされた奇術で , 清国人張世存 , 寂光興をさきがけとし , 李彩が知ら れている。 〔西洋奇術の歴史〕奇術の発生地は エジプト , バビロニアである。当時 の文献や旧約聖書の記述など見ると , はしめは呪術っ的なものといっし ょに発達したのである。しかし , た わや仕掛けのある芸能としても早く から行なわれていた。くウェストカ ー・ノヾピルス > といつエジプト時代 の文献をみると第 4 王朝期に 3 人の 奇術師が , 宮廷でいろいろな奇術を 見せたことがしるされている。また エジプト末期の壁画のなかに「カッ プと玉」の奇術を行なっている絵と いわれるものがある。ギリシア , ロ ーマ時代には「剣のみ術」「腹話術」 などが行なわれたが , なかでも有名 なのは「カップと玉」の奇術である。 これは , 伏せたカップの下に , 小石 や玉を入れて , これを消したり , 現 わしたり , 増したりする手練を使っ た奇術であり , これが当時の奇術の 代表的なものである。これは , ロー マ時代に奇術師のことをカルクラリ ウス ca に ularius ( 小石使いの意 ) あ るいは , アケタブラリウス acetabu ・ 1 a r i u s ( 杯の使い手の意 ) というのを みてもわかる。中世において , 奇術 はともすれば悪魔の力を借りて行な う黒魔術 b 1 ac k ma g i c とみられ , キ リスト教会から圧迫された。そのた め , ほとんど発達せす , わすかにジ プシーや旅芸人によって行なわれた ルネサンス以後 , にすぎなかった。 芸能としての奇術がだんだんと行な われるようになったが , 中心、は依然 として「カップと玉」の奇術で , 中 世の版画を見てもこの画が多くある。 15 世紀後半から 16 世紀にかけて曲芸 からしだいに分離し , 職業奇術師が 生まれた。フランスのゴナンとか , イ タリアのヒ工ロニムス・スコットな どという奇術師が妙技をふるった。 そして , く妖術の開示〉くホーカス・ ポーガス・ジュニアー〉などの解説 ロ ① 3 3 3 プ切り ② 切る キ、ンユッ . ・④ ⑨ 書も出版された。 17 世紀から 19 世紀 初めにかけては , 舞台の芸としての 奇術が発達し , 19 世紀の中ごろに「近 代奇術の父」といわれるフランスの ローく一一ノレ・ウーダン Jean Eugéne Robert Houdin ( 1805 ~ 71 ) カ { あらわ れ , 従来の中世紀的な演出をあらた め , 近代的なものとし , 機械や電気 を使った大がかりな奇術を考案した。 彼の奇術で有名なのは「ハンカチの 奇術」「弾丸受け止めの奇術」「客か らウサギを取り出す奇術」などで , すぐれた解説書もあらわしている。 これ以後 , 多くの名手があらわれ , 19 世紀後半から 20 世紀の初めにかけ て盛んになった。 このころのおもな 奇術は , ド・コルタの「増加する玉」 と「消える鳥かご」 , ネルソン・ダウ ンの「貨幣の取寄せ ( 欲ばりの夢 ) 」 , ハリー・ケラーの「心、霊奇術」「ヨギ のランプ」 , ホフデンサーの「カード 奇術」などである。世紀の奇術は , その数や内容においても飛躍的な発 展をし , 奇術の黄金時代であった。 有名なのは , サーストンやプラック ストンの「舞台奇術」 , フーディ Harry Houdini ( 1874 ~ 1926 ) の「い ろいろなものより脱出する奇術」 , カーディニーの「カードを空中より たくさん取り出す奇術 ( カードファ ン・プロダクション ) 」などである。 現代の奇術は , マックス・マリ やナート・ライプチヒらが , 「奇術は 手練や道具にたよるだけでは完全で なく , 心理的な策略が必要」という ことを強調して , その基礎に基づき , これの流れをくむダイ・バーノンや スライディーーが現在第一線として 活躍している。 〔奇術の分類〕奇術を現象のうえか ら分類するとつぎのようになる。移 動 , 置換 , 消失 , 出現 , 減少 , 増加 , ⑩ ⑦ 下のところを取る④。そして右手を 上げる。これは左親指の 155 ぐらい 親指の下からたれている部分を取り るロープの手前に持っていき③ , 左 ま , 右手を左の指の間からたれてい くるようにする②。右端を持ったま はどが , 左手の食指と中指との間に そして右端を引っはり , ロープの中 右の端は右手で持ったままである。 との間に向こう側より手前にかける。 を左手に近づけ , 左手の食指と中指 上向きにする①。右手に持った部分 プの端をそれぞれ両手に持つ。端は それにはさみを 1 丁。 2 ) 方法ロー く , 普通のひもやリポンでもできる。 らいの太くて白い綿製のロープがよ ロープ 1 本 , これは長さ 1.5 ~ 2 m ぐ する ( 上図参照 ) 。 1 ) 用意するもの という方法があるが , 代表例を解説 にする奇術」である。これには何百 「ロープを切って , これを元どおり もっともひろく行なわれているのは , この復活現象をみせる奇術のなかで , 奇術的現象の主流をなすものである。 象は出現 , 増加 , 消失の現象とともに ものが , 元どおりになるという復活現 する奇術〕切ったり , こわしたりした 〔ロープを切って , これを元どおりに その例をすこしあげて解説する。 奇術の種類はひしように多いが , 技法を行なうことである。 けさせ , その間に種々のトリックや これは観客の注意力をある方向に向 di r e c t i on とよばれるものである。 その中心、はミスディレクション mi s- とも重要なのは心理的なトリックで , を用いて行なうが , 現代奇術でもっ 手練 , 仕掛け , 心理的トリックなど ど ) など。以上の現象を行なうには , ・透視 , 知能技 ( 速算 , 記憶術な 浮揚 , 牽引・粘着 , 伸縮 , 読心・予 貫通 , 復活 , 変化 ( 色 , 性質など ) ,

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3 0 ・ 0 0 ( 言一 0 の・ 0 00 寧・ カべカケ 外国の各種鋳造貨幣 〔中国〕 1 空首布。戦国 時代に山西 , 河南に流 通。 2 斉刀。戦国時代 に山東 , 河北に流通。 3 契刀五百。王莽 ( お うもう ) 時代。いわゆる 王莽銭の一種。 4 開元 通宝。唐代。遣唐使に よって日本にもはいり , 和銅開珎の手本になっ 5 万暦通宝。明代。 歴代の年号を冠するこ とは 16 世紀の世宗の嘉 靖から始まった。 6 太 平天国。清代。〔イスラ ム〕 7 アケメネス朝の ダリウス金貨。前 6 世 紀。純度はきわめて高 8 ウマイヤ朝 かった ) アードアレ・ - ? リク の銀貨。イスラム教の 誓いのことは・や , コー ランの文章が刻まれて いる。〔インド〕 9 ジャ ハンギール王の金貨。 17 世紀。カニ , 魚 , 羊や , 杯を手にした王の像な どを刻した。〔欧州〕 1 0 アテネの 10 ドラクマ銀 貨。前 6 世紀。いローマ ッ / を第イ のデナリウス銀貨。前 引世紀。 1 2 フィレンツ ェのフローリン金貨。 13 世紀。 1 3 イギリスの ヘンリー 7 世のソプリ ン金貨。 15 世紀。 1 4 ド イツのターラー銀貨。 幣寮を設けて紙幣の取扱いに当たっ 近代的な貨幣制度は明治維新後に 銀貨の鋳造は 19 世紀になっ ったカゞ 16- 世紀。 15 ソ連の 15 コ 確立された。金本位制度は日清戦争 たが , 最初に印刷したのは 77 年の国 てからで , 秤量貨幣としての馬蹄、 べイカ白銅貨 の償金を基礎として , 1897 年の「貨 立銀行紙幣である。紙幣寮は 78 年印 銀 , また 16 世紀以降は外国貿易によ 幣法」によって成立した。補助貨制 刷局と改称 , 今日に至っている。現 って輸入されたメキシコ銀 , スペイ 在造幣局 , 印刷局ともに大蔵省の管 度もこのとき設けられた。金本位制 ン銀などの洋銀が用いられた。民国 度は最初 1871 年の「新貨条例」で採 理下にある。貨幣の製造はきわめて 革命 ( 1912 ) 後 , 国民政府は 1914 年国 厳重な管理の下に行なわれているは 用されたが , 実際は 97 年まで金銀本 幣条例をもって洋式銀貨銀元を本位 か , 貨幣の偽造に対しては , 刑法に 位であった。信用貨幣である銀行券 貨幣とし , 洋式銅貨銅元を補助貨と も通貨偽造の罪 ( 148 ~ 153 条 ) があっ の発行制度については , 当初は多数 した。そして 1936 年法幣制度ができ , て ( / 偽造 ) , 他の文書 , 有価証券の 銀の使用が禁止されるまで中国は代 の国立銀行がそれぞれ国立銀行券を 偽造などより重い罰が課せられる。 表的な銀本位国といわれた。しかし 発行したが , 1882 年日本銀行が設立 / 銀行券 / 紙幣 / 通貨 / 本位制度 銀が貨幣として流通したのは大都市 され , 85 年から正貨兌換の日本銀行 〔吉田〕 か貿易港であり , 下層の大衆や奧地 券を発行し , 国立銀行の発券は停止 では銀ははとんど使用されす , 事実 かべいとおり壁糸織壁糸をよ された。それとともに明治初年に乱 はむしろ銀銅複本位であった。 こ糸として織った各種の織物。壁糸 発された政府紙幣も整理されていき , 〔日本の貨幣の歴史 . 〕日本最初の貨 は太い絹糸が細い絹糸にからまって 近代的幣制が確立するが , 1917 年金 撚よられた , 凹凸のある一種のより 幣は 708 年 ( 和銅 1 ) に鋳造されたとい 本位停止 , 30 年復帰 , 31 年末金本位が 糸である。その織物は , 壁糸の形に 再停止され , 日本銀行券も不換銀行 う / 和銅開珎であるが , これは大陸 よって , 布面に「しば」を現わし , 券になり , 管理通貨制度に移行した。 の制度の模倣で , 実際には稲 , 布な ちりめん状になる。織物の種類によ 〔貨幣の製造〕貨幣の製造は国家が ど物品貨幣が使用された。貨幣の流 って , 壁ちりめん , 壁羽二重 , 壁御 行なう。当初は貨幣の品位 , 量目を 通は鎌倉 , 室町時代からしだいに発 保証するためであったが , 今日では 達してきたが , 鋳貨としては宋銭 , 召 , 壁絽ろ , 壁糸織 , 壁めいせん , 璧 風通などがあり , いすれも壁糸の 貨幣の製造は国家だけが行ないうる 明銭が輸入され , 金銀は地金のまま 性状により独特の触感をもつ布面と 権能となっている ( 貨幣高権あるい で秤量して用いられた。貨幣制度の なる。ちりめんの「しほ」のように は造幣高権という ) 。徳川時代には 全国的な統一は徳川幕府によって行 縮むことが少ないから , 取扱いは簡 金座 , 銀座が勘定奉行管理下に貨 なわれた。幕府は金 , 銀 , 銭の 3 座 便である。用途は , それぞれ本来の 幣を鋳造した。明治維新後新政府は を設けて慶長金銀から万延金銀まで 織物の用途と同様である。絹のはか 金座 , 銀座を廃し , 1871 年大阪に造 IO 次にわたって鋳造した。紙幣は諸 藩で発行された。その最初は 1661 年 幣寮を設けて新貨の鋳造を行ない , 〔小川〕 人絹や交織物もある。 77 年造幣局と改称し今日に至ってい に発行された福井藩の藩札だとされ かべかけ壁掛け壁に掛ける室 る。一方 , 紙幣については 1871 年紙 内装飾品。布地をはじめ額 , / 掛け ている。 1 6 7 外 国 1 4

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8 6 河川工事では , 洪水を防ぐ治水の仕 を維持させることを目的としている。 河川と産業 事がいちばん重要である。この治水 計画を立てるときには , ますどの程 〔農業と河川〕古代から河川の水は 度の流量が起こるかを推定すること ます農業のために使われた。とくに 日本では 2000 年も前から水田を耕作 から始める。将来起こると思われる 最大流量を正確に推定するのははと していたので , 河川からどのように して農業用水をとるか , また洪水な んど不可能なので , 過去の記録を参 どからどのようにして水田を守るか 考にし , 統計学の知識や , その他各 が , 生活上きわめて重要な問題であ 種の計算によってその値を出す。 った。したがって河川技術は , 古く の計画高水量により , 堤防の高さと から農業を守ることを中心として発 か河川構造物の大きさなどを定める。 達してきたともいえる。仁徳天皇の 河川の計画を進めるにあたっては , ころ築かれたと伝える淀川の茨田′ 河川がわれわれの生活と密接に結び 堤 , 8 世紀初めの築造とされる香川 ついていることを考慮にいれること , 県の満濃池をはしめ , 多くの河川や 言い換えれば , ーっの河川流域での 農業水利工事が古代からの記録に残 上地や水の使い方が変われば , 河川 っている。戦国時代に各地の武将の の流れや諸作用にもこれが影響する。 間で発展した河川技術は , やがて江 ーっの大きな工事を行なうと , 戸時代に引き継がれ , 利根川の流路 河川はそれ以前とは異なった運動を を東京湾から銚子へと付け替える大 する。たとえば , ダムを建設すると 河川の模型実験東京 工事 , 木曽川下流部における宝暦治 縦断測量 , ある一定間隔ごとに河川 その上下流の上砂の運動が変わって , 都江戸川区東篠崎には 水の工事をはしめ , 農業水利事業に の横断面を求める河川横断測量も重 あるところでは河床が掘れたり , ま 建設省上木研究所の実 も見沼代用水など全国各地で大規模 要な仕事である。このような河水採 た別のところでは堆積したりする。 験所があり , 河川工事 な工事が行なわれた。 このため耕地 「川は生きている」とよくいわれるの 取や横断測量をしばしば行なうこと の調査を行なっている はふえ , 内政安定の基礎となってい によって , 河川の上砂流送量をある は , このような河川の動態からきて る。明治以後も , 治水工事やかんが 程度推算することができるし , 貯水 いるのであろう。いわば一つの河川 い排水工事が国家的規模でつぎつぎ 池とか河道での上砂の堆積や掘れぐ はその流域全体を含めて一つの有機 と行なわれ , 水田の増収に大きなカ あいの様子を知ることができる。貯 体のよ . うなつながりをもっている。 〔河川の工事〕河川の工事は , 日本 水池では , 最近は音響測深をしばし となっている。 / かんがい 〔都会と河川〕飲み水として河川の ば行なうことによってさらに能率を では洪水処理のための治水工事が重 水が古くから使われてきたのは当然 上げているところもある。これら現 要であるが , 欧米では舟運のための であるが , 人口が集中し , 都会を形 場での実測 , 研究室での資料整理や 航路化工事が重要視される。日本で 成してくると , その必要量もひしよ 理論的計算のはかに重要なのは水理 も , 江戸時代から明治初めにかけて うに大量となり , 大規模な上水道事 実験である。これも水理学の基礎的 は舟運のための工事が盛んであった 業が必要となる。古代ローマの大水 実験だけでなく , 現場の地形を縮め 堤防構築は , もっとも古くからの重 道は有名であるが , 日本でも江戸初 た模型を作って , そこに河川の流れ 要な河川工事の一つである。洪水の 期には世界に誇る上水道工事が各地 や海の波を起こして , 種々の観察や はんらんを防ぐことを目的とする堤 測定をする。 この模型実験によって で行なわれた。江戸の神田上水 , 玉 防には , 地勢や用途に応して図に示 これから行なおうとする工事の効果 川上水はもとより , 金沢 , 赤穂 , 福 すようないろいろの形態がある。特 山などで水道が江戸初期に完成して とか , それによって生する諸現象を 殊な堤防としては締切堤や越流堤が 相当程度予知することができる。 いる。なお江戸時代には , 都会へ物 ある。前者は支川を締め切ったり , 資を運ぶ交通路としての河川の重要 河道を付け替えるときに元の河道を 〔河川の計画〕河川の計画は , 以上 締める目的で , 河川を横断して設け 性が大いに認識され利用されていた のような調査の結果に基づいて , 技 る堤防のことである。後者は河川水 術の点 , 経済の点でもさらに適切に / 水道 〔電力と河川〕明治以後 , 水力発電 立案されなければならない。日本の 位がある高さ以上になったとき , 河 川の流れの一部をそれを越えて河道 が河川と人間生活との関係をいっそ う緊密にしている。日本における最 の外へ流出させるように , 堤防のあ 初の一般送電用水力発電は , 京都で る一部をとくに低く , がんしように 琵琶湖疎水運河工事に伴って行な してある堤防である。護岸とは , 流 われた ( 1892 ) 。これによって 95 年に れの側方への侵食に対し , 堤防その 京都で最初の市内電車が走った。そ 他の河川構造物を保護するために の後 , 豊富な水を利用して水力発電 堤防自身や低水路の岸を保護するこ は急速に進み , 日本の近代化の原動 とをいう。水制とは , さらに岸から 力となった。 流心に向かって出す構造物で , 護岸 〔河川の総合開発〕昔は農業 , 飲み と一体になって側方侵食を防ぐとと もに , 水流の幅を制限し , 適当な水深 水 , 舟運にしか利用されなかった河 水制のいろいろ カセン = と . み丿を第物・・ 4 瀬割堤 山付簽 かすみ堤 本堤 洪水の - ときの水流 堤防のいろいろ洪水 のはんらんを防ぐ本堤 , 二つの川の合流点を下 流に導く瀬割堤 , 急流 河川で洪水の一部を堤 内地にはんらんさせる かすみ堤 , 旧水路を締 め切る締切堤 , 洪水の とき流速を落とす横堤 , とくに一定地区を洪水 から守る輪中堤がある 土出し 備堤、 牛わく 沈みわく 輪中堤 本堤

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ケンボウ とも重要な手段としての選挙は , 諸 国でひろく行なわれて , そのやり方 もひしように進化してきた。制限選 挙から普通選挙へ , 不平等選挙から 平等選挙へ , 間接選挙から直接選挙 へ , さらに , 公開投票から秘密投票 への進化が普遍的である。多数代表 か少数代表か比例代表かの問題は , 諸国の方針によってそれぞれちがう。 4 ) 議会議会とは , 民選議員をその 本質的構成分子とし , かっ法律 , 予 算その他の重要な国家作用に決定的 に参与する職務をもつ合議体をいう。 19 世紀以来 , 諸国は例外なくこの意 味の議会をもち , 立憲的意味の憲法 の不可欠な内容をなしている。議会 の構成には , 一院制と両院制がある が , 後者の場合でも , 少なくともそ の一院は , 国民から公選される議員 によって組織される。議会は立法権 を有する。そのほか行政権に干与す る各種の権能をも有する。議会の行 政権 ( 政府 ) に対する関係には各種の 定型がある。両者をなるべく相互に 独立ならしめようとするもの ( 米国 の大統領型 ) , 両者をいちおう分離 しつつ , その間に協力関係をみとめ , 行政権は議会の信任に基づいてのみ その地位にあるとして , 前者の後者 に対する従属性をみとめつつ , 同時 にその従属性を中和する手段 ( たと えば解散権 ) を前者にみとめること によって両者の均衡をはかろうとす るもの ( 英国の議院内閣制 ) , 行政 権を完全に立法権に従属させるもの ( スイスの議会統治制 ) などがある。 5 ) 君主の無力化世襲の君主が政治 権力を独占する絶対制はもちろん個 人 - 主義および国民主権と両立しない。 そこで , 一方では君主制を廃止し , 共和制をもってこれに代える傾向が みられ ( フランス ) , 他方では , 君主 制を保持しつつ , 君主の手から実際 的権力を奪い , 君主をすべての政治 権力から離れたまったく儀礼的な存 在にする傾向がみられる ( 英国 ) 。 6 ) 司法権の独立裁判の公正を確保す るため , 立法権 , 行政権から独立し た地位を与えられている。憲法典の 多くは , 裁判官が裁判するにあたっ ては , ただ法律にのみ従い , なんび とのさしすにも従わす , まったく独 立である旨の明文を設けている。そ のために , 裁判官の身分をとくにて いねいに保障している。また , 基本 的人権の保障が議会による立法権に よって侵害されることを防ぐために は , 法律審査権を裁判所にみとめる 国もある ( 米国 , 日本 ) 。そういう制 度をとらす , 法律の合憲性の審査権 を , 終局的に国民の代表者である議 会にみとめる国もある。さらに憲法 裁判所的な制度を設ける国もある。 7 ) 権力分立 1789 年のフランスの 「人権宣言」は , 人権の保障となら んで権力分立を近代憲法の要件と定 7 0 8 めたが , 近代諸国の憲法はいすれも , 程度の差こそあれ , 権力分立をみと めている。そのうち , 司法権を立法 と行政の両権から独立させることに ついては , 国によって大きな違いは ないが , 立法権と行政権との間の分 立については , かなり違った型があ る。権力分立についていちばん徹底 しているのは , 米国型の大統領制で , その他の国では , 立法と行政の両権 の間には , 分立よりはむしろ共働 , 協力の関係がみられる。もちろん , 以上の諸制度も , すべての諸国で一 様に採用されているわけではない。 また採用されている場合でもその意 味内容はかならすしも同じでない。 とくにソ連およびいわゆる人民民主 主義諸国の憲法は , マルキシズム的 世界観に立脚し , その他の諸国の憲 法とは理念的に違っている。統治機 構についても , 権力統合を原理とし , 多数政党の併存をみとめす , 選挙は 単一候補者名簿に対して賛否を問う というやり方であって , 政治的言論 の自由がそれに照応して制約されて いる点など , 西欧的諸憲法とは違っ た性格を有する。 〔明治憲法の成立と内容〕近代的な 憲法制度は , 明治維新以後の西欧文 物の輸入の所産である。 1869 年の版 籍奉還と 71 年の廃藩置県によって , 日本は一応近代的な中央集権国家と なったが , いまだ藩閥による官僚専 制政治であったから , これに対し , 近代立憲政治の眼目ともいうべき議 会を設け , 民権を拡張しようとする 1874 年の「民撰議 運動が起こった 院設立建白書」にはしまる / 自由民 権運動がこれである。これとは別個 の立場で , 政府もまた , 1881 年の国 会開設の詔の発布より本格的に憲法 制定の準備に着手した。調査の対象 となったのはおもにドイツ系の憲法 である。そして , 1889 年 2 月 11 日の 紀元節 ( 当時 ) に , 大日本帝国憲法を / 皇室典範とともに発布するにいた った。今日明治憲法あるいは旧憲法 とよばれているのか、 , これである。 この憲法は以後約半世紀のあいだ , 第二次大戦終結にいたるまで , 1 回 の改正もなく , いわゆる「不磨の大 典」として日本の統治体制の基本と なってきた 明治憲法は , 19 世紀ドイツ諸憲法 と同じように , 近代的憲法体制をい ちおう承認しつつ , そのわく内で最 大限に天皇の権力を温存しようとす る意図によってつらぬかれていた それは , 1 ) 天皇主権主権は天皇に ある。ただし主権の主体としての天 皇は , 現在の天皇ではなく , その祖 先であり , その意志は , 古典に伝え られる天孫降臨の神勅に表現されて いるとされた。神勅に根拠をもつ天 皇制は , 通例「国体」の名でよばれ , 天皇の子孫も , 一般国民もこれを変 えることは許されないとされた。 2 ) 政教一致天皇は , その祖先の宗教 である神社の祭主たる地位をもち , 神社は , 国の宗教として , 国民に強 制された。 3 ) 君主主 . 義絶対君主で ある一面 , 天皇の権能に対しても各 種の制約が加えられた。立法権は帝 国議会の協賛によることが必要とさ れたし , 司法権はまったく裁判所に 移され , 行政権についても , 国務大 臣の補佐に拘束されることになった。 しかし , それにもかかわらす , 統治 権は天皇に集中しているというたて まえがとられ , 天皇は統治権の総 攬者とされた。憲法でとくにある 国家機関の権能に属すると定められ ていない国家作用は , すべて天皇の 権能 ( これをとくに大権とよんだ ) に 属するとされた。 4 ) 帝国議会国民 が立法権に参与する機関として帝国 議会が設立された。両院制を採用し , 貴族院と衆議院とで構成され , 前者 は皇族 , 華族および勅任 ( 天皇によ る任命 ) された議員で組織され , 後 者は公選議員で組織された。選挙は , 制限選挙から普通選挙へ , 公開投票 から秘密投票へと進化したが , 女子 には選挙権 , 被選挙権ともみとめら れなかった。両議院の権能は平等な ので , 貴族院は衆議院の意思をくっ がえすことができる地位にあった 帝国議会は法律および予算の制定に 参与した。 5 ) 政府行政権は天皇の 手に留保された。しかし , 天皇が単 独にそれを行なうことは許されす , 国務大臣の補佐によるべきものとさ れた。この大臣助言制によって , 天 皇の権能は実際には国務大臣 ( むし ろ全国務大臣の合議たる内閣 ) によ って行なわれることが期待された。 ただし , 皇室の事務や軍統帥の事務 に関する天皇の権能は , 国務大臣の 助言の外におかれた。 6 ) 議会と政府 との関係議会と政府との間では重 点は政府におかれた。議会は法律 , 予算の制定権によって政府を動かす ことができたが , 同時に , 政府に対 しては , 独立命令 , 緊急命令 , 条約 締結などの権能が与えられ , これに よって議会の立法権は弱められた。 また皇室経費 , 既定費 ( 憲法上の大 権に基づく既定の歳出 ) , 法律費 , 義 務費の制度や , 予算不成立の場合は 前年度の予算を施行する制度によっ て , 議会の予算議決権も大きな制約 のもとにおかれた。さらに , 帝国議 会の開閉権も天皇の手におかれたか ら , 議会の政府に対する地位はかな り弱かった。 7 ) 司法権司法権は独 立の裁判所に与えられた。司法権は 天皇の名において行使されると定め られたが , 天皇も内閣も裁判には全 然干渉しなかった。 8 ) 権利宣言 治憲法第 2 章「臣民権利義務」は , 権利宣言の性格を有する。ただそこ での保障は天皇によって日本臣民に

8. 国民百科事典2

カドマ 1 2 1 〔渡辺一〕 由来する。河東は浄瑠璃うを江戸 されている。 をとる終止法が定型である。しかし かとうかげまさ加藤景正鎌倉 現在は , 終結に入る直前に奏 ( 唱 ) さ 半太夫に学んで社中に重きをなして 時代の陶工。生没年不詳。 / 瀬戸焼 れる装飾的楽句をさすことがふつう いたが , 師の没後 1717 年独立して江 の始祖と伝えられる。加藤四郎左衛 戸太夫河東と名のった。以来 , 門弟 で , とくに協奏曲では独奏者が十分 門 ( または四郎右衛門 ) 景正 , 略称は に技巧を示す部分となっており , の代表者が河東の名を継承して江戸 藤四郎。尾張 ( 愛知 ) , 美濃 ( 岐阜 ) の 末期までに 9 代を数えた。明治以後 般にはイタリア語でカデンツアとよ 陶工には今も加藤姓を名のる者が多 は河東を名のる者はなくなったが , ばれている。 〔秋山〕 流儀は残り , 門弟関係者により家元 ガーテ・ントラクタ garden tractor 1223 年僧道元に従って宋に渡り , 陶法を学んで帰国後 , 瀬戸に窯 : を 農耕用大型 / トラクタを簡易小型化 代行の機関として十寸見会が生ま 開いたというが , はっきりした藤四 れ , 昭和にはいって「古曲会」の翼 したもの。米国ではおもに園芸用と 郎の作品は残っていない。茶器に春 して利用される。型は小さいがいろ 下に属した。河東節は浄瑠璃ではあ 慶とよばれる手の茶入れがあり , 藤 いろの小型作業機を引っぱって作業 るが , 曲目ははとんど端物 % ( 短編 ) 四郎が剃髪して春慶と号したとこ しうる。大小いろいろあるが , 小型 に限られ , く松の内 > く神楽獅子〉 ろからその作品といわれるが , 異論 のものは 1 ~ 4 W, 単輪または 2 輪 く反魂香 > く助六〉などは一般にも知 型の歩用型 ( ハンドトラクタという ) か、多い 〔渡辺〕 られている。 〔町田〕 かどずけ門付大道芸の一種で , であるが , 大型になると 5 ~ 10 Ⅲ , かとうきよまさ加藤清正 1562 戸別にあるいは街頭を流して来訪す ~ 1611 安土 % 桃山時代の武将。尾 3 ~ 4 輪型または無限軌道型の乗用 る芸人。季節的にやってくるものと , 式のもある。中耕除草 , 培土などの 張の人で , 豊臣秀吉に仕え , 賤ガ 季節に関係なくくるものとがあるが , 軽作業を主とし , 付属機具により耕 岳の戦いなどに転戦して軍功をあげ , もとは季節を定めて門ごとに神が訪 起 , 砕土 , 播種にゆ , 薬剤散布 , 芝刈 朝鮮の役にも活躍した。その間 , 肥 後半国 20 万石を領して熊本城にいた れて祝福をたれるという民俗信仰か りなどの作業も行なえるように設計 ら , それらの神に装ってくる祝言人びと はがい 関が原の戦いでは石田三成とは不和 されている。欧米のものはおもに畑 なので直接参戦はせす , 領地を確保 作用であるが , 日本のものは特殊車 の芸能に発する。古くは千秋芋ん万歳 , し , 1610 年名古屋城築城のときには 輪によって , 水田にまではいって代 松囃しなどで , 散所とか唱門師 徳川家康の手助けをしたが秀吉の恩 掻作業もできるようになっている。 などの賤民 , または下級の神官 , も忘れす , その遺児秀頼のため尽力 陰陽黔師 , 僧が芸能をはどこして米 〔武田〕 したという。日蓮宗の熱心な宗徒で 銭をこうた。室町時代には胸敲経き カトー M a r c u s po r c i u s C a t 0 もあり , 熊本在城中は領国をよく治 ( 乞胸 , 敲 ) , 万歳 , 猿曳 , 大黒舞 ローマの政治家。 1 ) 大カトー ( 前 234 め , 人民の信頼が厚かったという。 ~ 前 149 ) 若いとき対ノ、ンニ / ヾノレ戦 などがあり , 江戸時代には種類も多 争に活躍 , 前 195 年コンスル ( 執政官 ) , 〔浅沼〕 く , 主として年の暮れから初春にか かとうたかあき加藤高明 1860 前 184 年ケンソル ( 監察官 ) となり , けて , 節季候 , 婆等 3 ば , 鉢叩肄き , 万 ~ 1926 明治・大正の外交官 , 政治家。 歳 , 春駒 , 鳥追 , 大黒舞 , 夷舞す 古ローマ人の質実剛健の徳の保持を し ( 夷舁歸す ) , 獅子舞誌 , 物吉 , ちょ 尾張藩士の子。 1881 年東京大学法学 唱えて風紀をきびしく取り締まった。 晩年にカルタゴに使いしてその復興 部卒業 , 同年三菱本社入社 , 岩崎弥 ろけん , 猿回し , 太神楽らなど , 節 を見 , それがローマの脅威となるこ 分には厄払いがやってきた。また季 太郎の娘と結婚した。 1887 年外務省 とを恐れて , カルタゴ征伐の硬論を 節に関係なくくるものは , 女太夫 ( 鳥 に入り , 外務大臣などを数度っとめ 力説した。元老院での演説ごとに た。 1914 年第 2 次大隈内閣の外務大 追が扮装を替えたもの ) , 人形回し 「カルタゴ滅 0 よさざるべからす」と 臣となり , 第一次大戦への参戦 , 対 ( 傀儡師阯 ) , 門説経 , 祭文 , 歌祭文 , 叫んだことは名高い。彼はラテン散 華 / 二十一カ条要求の提出には主導 歌念仏 , ちょは、くれ , 鹿島 2 ・まの事触ええ , 文の開拓者で , く農業論 > は子弟へ 者となった。 16 年憲政会を結成して 住吉踊りなどであるが , その他「流 その総裁となリ , 長年の野党生活の の教訓として農事をくわしく語った し」といわれるものがある。流しは のち , 2 4 年第 2 次 / 護憲運動を起こ 「新内流し」が有名であるが , 吉原 もので現存する。く起原論 > 7 巻は散 し , いわゆる護憲三派内閣を組織 , 逸したが , イタリア諸市の起原やロ では新内の流しは心中が流行すると ーマの発展を述べた歴史書である。 男子普通選挙法を成立させ , 治安維 いうので , 明治まで廓の中へは入 2 ) 小カトー ( 前 95 ~ 前 46 ) 大カトー 持法の制定 , 貴族院の改革などを行 れなかった。その他 , 四竹髷 , 虚無 僧の尺八 , 声色調 , 演歌師 , 義太夫 , なった。 25 年単独内閣首相 , 在任中 の孫の子。大カトーとおなしく共和 制の伝統を守る潔癖な保守派で元老 死去した。終始 , 三菱財閥の利害を 法界屋などの流しがあり , 最近では 忠実に代表したとされる。〔鹿野〕 院の権威の維持につくした。カエサ ギターやアコーデオンをもち 2 , 3 人で組んで , 軽音楽や流行歌をもっ ルとポンペイウスの争いに際しては かとうひろゆき加藤弘之 1836 後者を支持したが , やがてたも . とを ~ 1916 明治の政治学者。但馬国 て飲食街などを回るものがある。 分かち , アフリカのウチカを拠点と ( 兵庫県 ) 出石藩兵学師範の子。江戸 / 大道芸 〔郡司〕 かどま門真〔市〕大阪府中部 , してカエサノレに抵抗したカ { , カエサ に出て洋学を佐久間象山に学び 1860 大阪市の東にある市。 1956 年北河内 ルの軍が迫るにおよんで自殺した 年に蕃書調所の教授手伝となった 郡門真町が周辺 3 村を編入し , 63 年 〔高橋〕 はしめ啓蒙主義の立場から立憲政体 市制。人口 95209 ( 1965 ) 。市域は淀川 かどう華道 / いけ花 思想の普及につとめた。しかし 1874 の低湿地を占め , かっては水田一毛 年民撰議院設立建白書が提出され カトウィッェ Ka to w i c e ポ 作とノ、スの栽培が行なわれ , レンコ ランド南部 , チェコに近い上シレジ ると時期尚早を唱え , 次いで 82 年 ンを特産したが , 1933 年松下電器が アの都市。人口 268900 ( 196 ( ) ) 。オー く人権新説 > を発表し , 優勝劣敗論の 進出して以来その本社 , 大工場 , 弱 立場から国家主義を主張し , その急 ドラ川とウイスラ川の上流部に近く , 電気関係の下請大小工場ができて , ポーランド第一のヤ金工業都市であ 激な転身ぶりに世人を驚かせた。初 「電化の町」といわれるにいたった る。近くに鉄 , 石炭 , 亜鉛などの産 代の東京大学総理 ( 1877 就任 ) , のち が多く , ヤ金 , 鉱山機械 , 発動機 , 産業人口の大半が松下電器に関係し 東大総長をつとめた官繚学者で , ド の他の生産がある。石炭工業 , 技 イツ学の先駆でもある。 ているが , 最近は市域北部に通しる 〔鹿野〕 術 , 経済などの大学がおかれている。 かとうぶし河東節邦楽の一流 京阪電鉄本線を利用する通勤者とそ 近郊に多くの重工業都市があり , 都 派。創始者の本名天満屋藤十郎こと の住宅が急激にふえ , 大阪の衛星都 市間の鉄道網が発達し , すべて電化 江戸太夫河東 ( 1684 ~ 1725 ) の名に 市化が進んでいる。 〔駒井〕

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カミスナガ 1 8 2 た。また紋は両肩の前 , 背 , 腰につ が客商売の家などに多い。神棚が家 けた。上と下が共布でないもの ( 別 ごとにおかれるようになったのは仏 地異色のもの ) も着用され継上下と 教の影響で , 個々の家に持仏堂や位 非公式の場合にはこれでもよ 牌をおくことにうながされ , 伊勢 く , しま模様のものなどあった。上 神道の神官が神符を各地各家に配付 下は明治以降は公服でなくなったの して大神宮の棚を設けさせたのに始 で , 礼服としては羽織と袴になった まる。それ以前の神棚は本家の司祭 が , 現在でも祭礼や葬式などに着用 にゆだねられていた 〔小林〕 する風習が残っており , 邦楽家など かみつれ花に芳香のあるキク科 の間では正式の服装として用いられ の二年草。薬用植物で , 欧州 , 西ア ている。 / ( 別刷 ) 服装〔柳井〕 ジアに分布する。茎は高さ 6 ( ) cm くら かみすなかわ上砂川〔町〕北海 いでよく分枝し , 葉はこまかく羽状 道中央部空知支庁の町。函館線砂川 に裂ける。夏のころ枝の先に径 2 cm 駅から 7 km の支線が通している。 19 神棚能登地方の農家にみられるもの くらいの頭花をつけ , 中心の筒状花 19 年砂川町から分離した。人凵 2 ( ) ( ) 67 は突出した花床の上に盛り上がった ( 1965 ) 。三井鉱山砂川鉱業所などの ようにつく。周囲の舌状花は 12 ~ 18 刃形 , 達磨形はともに地金の片側に 重要鉱があり , 石狩炭田の中でも重 うすく鋼をはりあわせたものである。 個で , 白色の舌状花冠は後ろに下垂 要な位置を占めている。他の産業は これにたいし明治時代の初期 , 西洋 する。頭状花を摘み取って乾燥した はとんどない鉱業都市で , 鉱業人口 ものが「カミツレ花」で , 茶のよう 理髪とともに輸入されたレーザー ( 西 率はきわめて高い。 洋剃刀 ) は , むかしは片刃だったが にせんして発汗薬とし , また浴湯用 〔岡本〕 かみすわ上諏訪長野県諏訪市 , にもされる。ー名カミルレはオラン 19 世紀はしめ切れ味を鋭くするため / 掫訪湖南東岸の温泉。泉質は単純 ダ名 ( k a mill e ) に由来。 に両刃になった。そしてプレード ( 刃 〔大井〕 泉が主で , 塩類泉もある。泉温平均 身 ) の軽快さと弾力をつけるために かみなり雷古代人には雷は 60 ℃で透明度が高い。湖岸から中 刃の両側にえぐりを入れた。えぐり 畏敬の神であった。きらめく稲 央線上諏訪駅にかけて温泉街が発達 はのちになるほど大きくなり , 極端 妻 , とどろく雷鳴は神の怒りであ し , 霧ガ峰 , 蓼科への足場である なものは刃そのものより刃身中央部 った。ギリシアのゼウス , ローマのジ ほか , 冬季 , 諏訪湖がスケート場と のえぐりのほうがうすいといわれる。 ュピターは天空の雷神であり最高神・ なるために , 四季を通して観光客が 明治末期には安全かみそり ( ジレッ である。マライ半島のジャングルに 訪れる。泉量が豊かなので , 工業用 ト・タイプ ) が輸入された。ジレットは 住む , セマング族という未開種族で のはか市内の一般家庭でも調理や温 レーザーの危険性を解消するために も , 雷は創造をつかさどる最高神で 2() 世紀の初め米国で考案された。 室に利用している。 〔伊崎〕 あり , インドシナから南中国にかけ かみそり剃刀髪そりの意味で , ては , 敵を滅は、すため石斧をもっ れはただ手軽で安全なばかりでなく , 髪やひげをそるのに用いる刃物。す 安い刃を多量に使いすてるため大量 て天下る神として落雷をあがめる。 でに新石器時代人は黒曜石の石刃を 欧米ではカシがとくに落雷を受けや 生産の採算もとれ , めざましく普及 使っていたといわれるが , いまでも すい樹木だとされたので , ゼウス , した。安全かみそりの原理は皮膚と ポリネシアなどの未開社会では貝殼 ジュピター , 北欧神話の雷神トール かみそりの刃のあいだにガードをお の宿る木として崇拝した。欧り、 l•l の農 やサメの歯が用いられる。日本では , き , 皮膚を傷つけすに毛をそるので 欽明天皇 ( 6 世紀 ) のとき , 仏教とと あるが , またモータを動力とする電 民は住居の近くにカシを植えて避雷 もに大陸から輸入され僧の剃髪品に 気かみそりも出現した 針がわりとし , また大 , 馬 , はさみ , これは外刃 用いられたのが最初であろうという と内刃の 2 枚刃のすれで毛を切り落 鏡なども雷をよびやすいと信したの 記録があり , ながく仏具として扱わ とすもので , 米陸軍中佐ジェイコプ・ で , 雷雨が近づくとこれらを隠し , 羽根ぶとんにすわっていた。雷雨の れた。その後武士の月代をそるの シックによるシック・ドライ・シェ に用いられたが , かみそりの普及以 ときは動物が往々まぎれ出ることか ノヾーの発明にはしまるといわれる。そ 前は大きな木製の毛抜きで額の毛を ら雷鳥や雷獣の観念が生まれたが の後いろいろな型が考案されている。 ぬきとっていたのでたいへんな苦痛 〔とぎ方〕日本かみそりは片刃であ アメリカ・インディアンは巨大な鳥を と手間であったといわれる。日本か 雷獣と考え , そのはばたきで雷鳴や り , といしでとぐときは片面だけで みそりは片刃で , その形には折れ刃 稲妻が起こると説明する。 よいが , レーザーは両刃であるから , 形 , 達磨形および穴剃 ( 鼻穴と耳 日本では , 方言で雷を「かんだち」 両面を平均にとがなければならない。 穴をそるのに用いる ) がある。折れ ともいうが , これは神の示現の意で また , それだけでは刃が荒いので , ある。とくに出雲、ド系の神に雷の性 さらに皮砥でとぐ。といしは質が 質をもっ神が多く , これらの神はタ 密で堅く , 面の平らなものがよい。 ケミカヅチ , ワケイカヅチというよ 皮砥は質の平均した平らなものがよ うに「つち」という語根をもつ。「つ く , 馬のしり皮 ( コードバン ) がもっ とも上質とされている。〔高見沢〕 ち」は「虫はず」というようにヘビを 意味し , 雷はヘビの形で出現すると かみたな神棚家庭で神を迎え も考えられたのである。稲妻の語が るために設けた棚。近ごろでは表座 示すように雷はイネと関連があり , 敷におかれるが , いろりなどのある いまでも農村では雷が落ちると青竹 居間にあるのが古風である。多くは をたて注連をはって祭る地方があ 鴨居に板の棚をつり , 白木の小 る。く霊異記 > やく今昔物語 > にある 祠を祭り , サカキを立て注連を ように , 雷は田に水を与えて天に帰 はり供物や灯明をあげる。祠殿には る神であったのである。雷よけに「く 伊勢神宮の大麻 , 氏神の御札など わばら , くわばら」ととなえるのは , をおさめるが , これら神社神道関係 菅原道真の屋敷が京都の桑原にあり , の神のはかに , 縁起棚と称して恵比 そこははうばうに落雷があってもい 須 , 荒神 , 稲荷 , 鬼子母神 , 水 ちども雷の災害を受けなかったため 天宮などの民間信仰の神を祭ること 安全かみそり 日本 かみそり 西洋 かみそり

10. 国民百科事典2

ガッキ 1 0 1 活し , 繁殖期には孤島などに群集し , 節は黒かっ色で皮の部分が小ちぢみ ペリカン , ウなどといっしょになっ になり , はしめの魚体に近い形をし , て島をうすめることもある。飛」 - : カ 堅く , 打ち合わせてカンカンと堅い は強い。イカ , 魚類などを主食にし 余韻のある音を出すものがよい。黒 ている。巣は海草 , 枯れ草などを用 みの強いもの , 黄かっ色 , 灰かっ色 い , 海岸の絶璧の岩棚の上などに のものは不良である。出し汁は淡色 っくる。 〔高島〕 透明で香味のよいものがよく , 汕 かつおのえほ、しクタ、、クラゲ目に いもの , 濁るものは不良である。 属する腔腸動物で上用波のころ海水 〔使用法〕背のはうを上にして頭部 浴客をなやます / クラゲである。全 の裏側からできるだけ薄く削る。ま X 7 X 3.5 体が美しいあい色で , 上端に浮嚢が トビカツオプシムシ たまとめて削っておくと湿気を帯び , ヒメカツオプシムシ ヒメマルカツオプシムシ あり , その下に長いひものようなも 生臭くなり , 味が劣るからかならす のが幾本もさがっている。この動物 あったもので , イスラム教国では現 使用前に削るようにする。〔金田〕 は 1 個体ではなくて , 栄養体 , 生殖 在も行なわれている。 かつおぶしむし鞘し目 , カツオ 〔柳井〕 体 , 感触体などの多型群体である。 がっき楽器音楽の演奏に用い プシムシ科に属する甲虫の総称 , あ 触手の刺胞は毒性が強いので , 刺さ るいはこのなかのトビカツオプシム られる音を発する器具をいう。ただ れると激しく痛む。 〔福井〕 シだけをさす。後者は体長 8 mm 内外 し音声を発する人間の声帯は楽器と かつおぶし鰹節出し汁をとる で黒色。幼虫はカツオ節やカイコの はいわないし , 他の音を録音 , 再生 ときに用いる日本特有のくん乾品。 して 2 次的に音を作りだす電気器具 干しさなぎなど乾燥した動物質を食 うまみの主成分はイノシン酸のヒス も楽器には含まれないが , 電子楽器 べる。このはかカツオプシムシ不斗に チジン塩とされている。古くから保 のような発振体で音響をみすから作 は腹面の白いハラジロカツオプシム 存食品として用いられていたらしい りだすものは楽器として認められる。 シ , 動物標本や毛織物を食べるやや カツオの干物を , はしめてくん製に また , 音楽によっては , さら , おもち / ト形のヒメカツオプシムシ , さらに よって加工したのは紀州の甚太郎 ゃ , 砲声 , サイレン , タイプライタ 小形で短太なヒメマルカツオプシム ( 1674 ) で , 次いで 1758 年に土佐の与 などが , 楽器として使われることが シなど大害虫が多い。毛織物につく 市がこれを改良して現在のくん製法 あり , 他方 , 楽器が宗教 , 信号その 種類の防除には , ノヾラジクロルべン 他の実用目的を兼ねることも多い。 を完成したといわれる。 ゼンの製品が特効があるが永続的効 〔製法〕カツオの頭部と内臓を除き 〔分類〕一般に楽器は弦楽器 , 管楽 果がない。ナフタリンはなが持ちす 三枚におろす ( 生切り ) 。この左右両 るが効力が弱い。 器 , 打楽器の 3 種に分けられている。 〔黒沢〕 側の 2 片より作った節を亀 : 節とい 力、つ力、いしゅう勝海舟 1823 ~ しかしリズム楽器 , 旋律楽器 , 和声 う。また大形のものはこれをさらに 楽器の区別や , 鍵盤楽器 , 管弦楽 四江戸時代後期の幕臣で明治初期 背 , 腹の 2 部分に分ける。背肉から の政治家。名を義邦のち安芳 , 通称 用楽器 ( 弦楽器 , 木管楽器 , 金管楽器 , 作る節を雄節または背節 , 腹肉から を麟太郎 , 安房守といい , 海舟は 打楽器 ) , 民俗楽器 , ジャズ楽器など , のものを雌節または腹節という。ま 号である。蘭学 , 洋式兵学を学び , 形態や用途によってさまざまのよび たこれらは亀節に対し本節ともいう。 1855 年蕃書全翻訳御用出役になり , 方がある。しかしこれらはすべて慣 切ったカツオを煮て , 骨や皮の一部 海軍伝習生として長崎でオランダ人 用上の便宜的な区別で , 現在では厳 を除き , 炉に入れてあ京って乾燥さ に学び , 60 年には咸臨丸の艦長とし 密な学問的分類法として , ベルギーー せる。これを 1 番火といい , 製品は てはしめて太平洋を横断しサンフラ のマイヨンによって提唱され , ドイ なまり節とよばれる。肉の欠けたと ンシスコに渡った。帰国後 64 年に軍 ツの E. v. ホノレンポステノレ ( 1877 ~ 19 ころにすり肉をはりつけて形を直し , 艦奉行となり , その間幕府海軍の 35 ) と C . ザックス ( 1881 ~ 1959 ) とに 続いて毎日 1 回 2 番火 , 3 番火と乾 創設に功があった。江戸末期 15 代将 よって改良された発音原理による 4 分類法 ( 最近では 5 分類 ) と , これを 軍徳川慶喜をたすけ , 国内紛争を回 燥を続ける。乾燥の過程は 15 ~ 20 回 くりかえされ , この間約 1 カ月を要 避するため尽力し , とくに倒幕官軍 より理論的に徹底させたフランスの する。乾燥を終わったものは荒節と が東下してくるにあたって , 官軍の A . シェフネノレ ( 1895 ~ ) による 2 か鬼節とかよばれ , 節の表面は黒か 西郷隆盛と会見して , 江戸無血開城 分類法とが代表的なものである。サ っ色を帯びる。これを小刀で削り形 を成立させた。明治政府の成立後 , ックスの 5 分類法によればつぎのよ を整えるとともに , 節の表面に出て 73 年に参議兼海軍卿 , 75 年に元老院 うである。 きた脂肪を除く。削り終わったもの 議官になったが , ほどなくやめ , 晩 1 ) 体鳴楽器 idiophone 膜や弦のよ は日乾後約 2 週間カビ付けに密閉 年は著述に専念した。著書はく海舟 うに人工的な張力を加えなくても , し , そのあと 1 ~ 2 日間 , 日にあて 全集〉に収められており , とくにく吹 打撃その他の外力を与えればそれ自 る。この操作を 4 ~ 5 回くりかえす 塵録 : > など維新前後の軍事外交を 身のもっ弾性によって音を出すもの。 と本枯れ節とよぶ製品となる。カビ 知るのに良い史料がある。〔浅沼〕 ほとんどが打楽器で , 鐘 , カスタネッ 付けを行なうと節中の脂肪が減り , かつぎ被衣婦人が外出時に頭 ト , シンノミノレ , オく ( シロフォン ) , 香味がよくなり , 節膚がちみつとな 鉄琴 , チェレスタ , タムタム ( どら ) , からかぶった衣。中世の初期には単 る。カツオ節製造の過程中 , 可溶性 衣 , 室町時代には小袖が用いら マラカス , 鈴などがその例であるが , 窒素化合物は増加し , 中性脂肪は減 オノレゴーノレ , ロ琴きえ ( ビヤポン ) やア れたが , 江戸時代に婦人の髪形が大 る。またアミノ酸中モノアミノ酸は きくなると , えり肩が普通の着物よ フリカのサンサのようにつまんで奏 減少し , ジアミノ酸はふえる。 り前にさがった専用のかつぎができ するものや , ナーゲルがイゲやグラ 〔種類と品質〕カツオ節は太平洋沿 これは麻や絽ろで製し , 家紋っき スハーーモニカのようにこすって奏す 岸各地で製造されていて , それぞれ のものが多かったが , 覆面に利用さ るものもたまにある。 2 ) 膜鴫楽器 摩節 , 日向象う節 , 上佐節 , 紀州節 , れるというので江戸では禁止された membranophone 膜を強く張って , 焼津節 , 伊豆節 , 常磐う節 , 三陸節 しかし地方では明治以後も婚ネしや葬 すなわち人工的に弾性を与えてはし などとよばれる。また 4 ~ 7 月にとれ 式の礼服にかつぎを用いるところも めて発音可能となるもの。はとんど るカツオから作る節は春節とよばれ あった。なお婦人が外出時に / べー がドラム類の打楽器で , 胴部の形状 品質がよい。一方 , 8 ~ 1 ( ) 月のもの ルで顔をかくす習慣は , 婦人のつつ ( なべ形 , 筒形 , わく形 ) や材質によ は秋節といい , 品質は劣る。カツオ しみを表わすものとして世界各国に り細かく区分される。チンノヾニや大