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検索対象: 国民百科事典2
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1. 国民百科事典2

ケンチク 6 9 6 プローチは , 各種の建築に共通して ) らにみられるような短小規 95 ~ 要求される物理的機能を規格的に解 格部材の組合せによる筏津のような 決しようとする傾向をもつ。近代建 構造とがある。またイタリアの P. L. 築が断行したもっとも大きな技術的 ) は , プレカスト・ ネノレビ ( 1891 ~ ト部材の接合によるシェ 功績は , 壁体を主体構造から切り離 コンクリ したことである。床版と柱からなる ル構法で大空間を架構し , 最近みら れはしめたびようぶのような折版構 独立した骨組を考えて , 外壁や内部 造は , 中程度の空間創成に合理的で , 間仕切を自由に構成した最初の仕事 しかも屈曲する壁面は音響処理と関 は , 1910 年代のグロピウスやル・コ 係をもつ。最後に , その施工が建設 ルビュジェによっている。その結果 地を離れえなかった建築生産に対し は , 現在みるようなきわめて自由な 立面や平面の構成を可能にした。帯 て , 工場生産材による組立方式の建 のような「水平連続ガラス窓」や総 築は現場建設時間をきわめて短縮し , ガラス張りの「カーテン・ウォール」 著しい進歩をみせている。さきのフ も , 「独立骨組」によってもたらされ ラーのクーボラもその一種であるが たもので , 小さな窓しかあけられな 乾式組立建築は主として住宅問題解 かった石造やレンガ造の建築と違っ 決に用いられている。骨組を鉄骨や て , 視覚的に建築の内部と外部は完 P. S. コンクリートの規格材で組み立 全に結合され , またきわめて明るい て , それに床 , 壁 , 屋根用のノヾネル 内部空間が獲得された。またそれは , をはめるもの , また数種のパネルの 一体的結合によるものなどがある。 内部機能に応じて外からの光や熱を 自由に調節することも可能にし , 日 こでは規格化が主要な課題である。 〔社会・経済と建築群〕建築は土地 照を防ぐルーノヾーや各種のマンテル に固着した不動の存在であるが , 社 が考案された。内部機能の変化に応 する移動間仕切もその所産である。 会の発展に伴って成長し , 衰退し , ノレ・コノレビュジェのモ ジュロール ( 黄金尺 ) 。 示すものに「動線」がある。建築内 独立骨組はまた 1 階の壁体をなくす 破壊されるものである。一住宅を例 隣接する各部分は , 右 での人間の動きの軌跡を最短にする にしても , 家族の増加に従って建て ことで , ピロチの形成を可能にした。 のようにそれぞれ黄金 ことで機能的な平面計画を得ようと 増され , 維持修理が加えられ , 災害 , ヒ。ロチは土地を解放し , 歩行者の視 分割の比になっており , するもので , 住宅の間取りや農家の 老朽によってとりこわされる。中世 覚が建築壁体でさえぎられることを これに人体各部が対比 改善方針をうるために多く用いられ ゴシック寺院では , その建設に数百 防ぎ , 構造体の論理的表現ともなっ されて建築設計の規準 た。・しかし建築が立体化し , エレベ 系に使用された ( 数字 た。 1930 年代から暖冷房 , 給排水 , 年を要したものも珍しくないが , 工 の単位は mm ) ータなど垂直運搬設備が人間の歩行 照明 , エレベータなどの機械設備が 業と資本で特色づけられる現代社会 にとってかわったため , 動線による 急速に発達してくると , 構造体も平 では , 建設時間はもちろんのこと , 解決範囲には限度がある。たとえば 面構成 ( 間取り ) も機械設備のための 建築物の社会的 , 経済的寿命もはな 配管配置と統一的に考えられる必要 はだしく短縮されてきた。都市の再 エレベータがあれば広大な低層建築 よりも , 建築面積の小さい高層ビル が生した。「コア・システム」とよば 開発が , 明治大正期につくられた建築 のはうが歩行距離は短縮され , 各部 を撤去して進行する時代である。ま れるものは , 従来の均等な強度をも の連絡時間も短くなる。またル・コ た米国では都市の金融中心が移動し った構造体の思想からはなれて , 建 て高層ビルにあき家ができたりして 築平面の中央部にほとんどの水平カ ノレビュジェカゞ主張する「モジュロ こうした社会発展に建築や建 ル」は , 人体各部の寸法の間に級数 を集め受けるような剛構造部分をつ いる 左はノヾリのユネスコ館 関係を設定し , それを建築設計尺度 築群をどう対応させるかは現代の重 くり , その部分にエレベータや階段 の議場。ネルビの折版 の規準系にしたものである。天井高 など垂直交通施設を集め , さらに諸 要課題であり , それは , 建築をその 構造の例で壁も屋根も や窓割り決定に便利で一種のヒュー 統一のまま永遠の存在と考える古典 機械設備のための主要配管もそこに 折りたたんだ形の鉄筋 的概念を崩壊し , 建築を恒久的な部 マン・スケールではあるが , これも 合わせて , 建築の諸機能を統一的に コンクリート造である。 人間のマスへの対応や建築群の配置 分と可変的な部分 , 耐用年限の長い 効率よく対応しようとするものであ 右はフラーの作品で球 決定になると無力である。人間集団 部分と短い部分に分解し , 後者をも る。同しころから , 巨大に成長した 状のクーボラは骨組を に対して建築や建築の部分の規模を って時間的変化に応しようとする傾 人間集団のマスをおおう大架構技術 もうけす繊維ガラスで 決定してゆくには , 現在統計的な方 補強した透明プラスチ 向を生している。ル・コルビュジェ も著しい発展をみせた。これには現 ック材の縁をポルトで が提唱・する「人工土地」は , 無限に 法が用いられているにすぎないが 在二つの解決方法がみられ , 鉄筋コ 締めて組み立てたもの。 最近はマス・ヒューマン・スケーノレ 水平 , 垂直方向に発展できる鉄筋コ ンクリートの薄肉的一体シェル構造 手前はアルミパイプ構 ということばもきかれる。技術的ア ンクリートでつくられた柱と床の構 によるものと , 米国の R. B. フラー ( 18 造のトラスである 造体である。これは大地と同様に恒 久的な人工の土地で , その上に自由 に可変的な造作を加え , 居住単位で うすめようとする構想である。また , L. カーン ( 1901 ~ ) カ { フィラデルフ ィア計画などで提示したコンストラ クションも新陳代謝に応した恒久的 部分の独自な骨組で , また日本の若 い建築家の間にもメタポリズムの主 張が生まれている。 つぎに社会の時間的発展の断面で ある社会制度と建築の関係をみると , ます資本主義社会と社会主義社会に よって著しい相違が認められる。資 本主義社会では , 企業と民間建築家 2 , 260 Z€マ 869 397 863 698 0 99Z 99 一 30 一 534 432 267 5 マ OZ 8Z 一 330 204 に 6 7 48 30

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6 9 1 に質量数を右肩に添字として付する のであるから , その周期 1 生はけっき 〔あら筋〕利己的で我の強い青年べチョ リンは美しい蛮族の娘べーラに恋するカ ! , よく原子構造の周期性にほかならな こともある。 / 原子 〔山田〕 いったん手に入れてしまえばたちまち熱カ { ところカ { リチウムー一一ネオン , げんそう玄宗 685 ~ 762 中国 , さめ , いくら彼女が哀願してもききいれな ナトリウムーーーーーアルゴンは 8 番めに 唐の第 6 代皇帝 ( 在位 712 ~ 756 ) 。名 い。またカフカズのある温泉場では , 友人 似た構造をくりかえすが , カリウム は隆基。 710 年中宗の記韋氏一党の企 のグルシニッキーという社交界の俗物に会 てをくつがえして , 父睿宗を復位さ クリプトン , ルビジウムーーーキ うが , この男をからかってやろうとその恋 セノンは 18 , センウム せ , 皇太子となり , 次いで 712 年即位 ランタン 人であるメリーの心、を征服する。グノレシニ は 32 の周期になっている。このよう しオ姚崇 , 宋璟らを用いて諸般 ッキーは仲間にそそのかされて決闘を申し に原子構造にいろいろの周期がある の大改革を行ない , 「開元の治」とう こんだが , ペチョーリンに撃たれて死んで ために , どの周期を基準にとるかに たわれる大唐の極盛期を現出したが , しまう。 〔泉〕 よっていろいろの周期表ができる。 晩年にいたって賢臣を退け , おごり ケンタウルスざケンタウルス座 18 を基準にしたものを長周期 , 8 を と漁色にふけるなど失政が重なった。 春から夏にかけて南天に低く見える 基準にしたものを短周期という。別 ことに 61 歳で子の寿王の妃 / 楊貴記 星座で , 日本では上半分しか見えな 表は , 現在化学でふつうに用いられ を離縁させ , 宮中に入れて愛におは、 い。午後 8 時の南中は 6 月 7 日。ギリ ている短周期のもので , カリウム以 シア神話の半人半馬の怪物ケンタウ れたころから乱れはひどくなり , 政 後の各周期では典型元素を全部亜族 治は李林甫 , 次いで楊国忠らのほし ロスの姿である。前足の間の。星は a に遷移元素を亜族 b に置くもので いままとなって混乱をきわめ , ついに 0.1 等 , 星は (). 9 等という明るい・直 ある。この表の物性論的な意味づけ 755 年 / 安禄山の乱に始まる政治的 星であるが , 日本内地では見えない。 は , ポーアやラザフォードらによる 混乱を招いた。玄宗は蜀 ( 四川 ) に都 なお。星は , 4.3 光年の距離にあり , 原子構造の解明をまって行なわれ , 太陽についでもっとも地球に近い恒 落ちし , 途上楊貴記は近衛兵の手で 1911 年にノヾン・デン・プルックは元 殺され , その間に子の粛宗が即位 , 星として知られる。 / 星座〔草下〕 素の原子核の電荷が周期律表におけ 玄宗は 762 年長安に帰ることか、でき ケンタウロス Kentauros ギリ るその元素の原子番号に等しいこと たが , 苦悩のうちに没した。玄宗と楊 シア神話中の山野に住む野蛮な種族。 を示し , 1922 年には , ポーアが原子 貴妃をめぐる物語は , 白楽天の詩く長 腰から上が人間で下半身が馬の姿を の電子的構造によって周期律表を説 恨歌 > をはじめ , 詩 , 戯曲などの題 している。テッサリアのべリオン山 明した。その後 , 量子力学の展開に 材とされている。 やアルカジアのエリスなどに住んで 〔菊地〕 よって , 原子構造における核外電子 げんぞう現像写真乳剤中のハ いた。そのうちのケイロン , ポロス の状態はそれぞれ一組の量子数によ ロゲン化銀結晶に光があたると , 光 などには特別の話がある。ケイロン のあたった場所に銀原子の集まった って指定されるものとして記述され は種族の他の者と違い賢明で正しく るようになり , したがって周期律表 ものを生する。これを潜像といい肉 運動 , 音楽 , 医術 , 狩り , 予言など 眼では見えない。これを遠元剤を含 はこのような量子力学的な原子構造 にすぐれ , アキレス , イアソン , ア む溶液 ( 現像液 ) 中に入れると潜像の の理論によって明確に説明されるよ スクレピオスら多くの英雄を教育し うになった。それとともに各元素の 生じた場所に銀が還元析出して大き た賢者である。ポロスはヘラクレス くなり , 像が肉眼で見えるようにな 特性やそれらの間の反応 , 化合物の を親切にもてなしたが , ヘラクレス る。この操作を現像といい , 化学現 性質もこの立場から統一的に扱われ がむりに酒のかめをあけさせたので , 像と , 物理現像とがある。 / 写真 ている。 においをかぎつけたケンタウロス族 〔元素の起原〕宇宙における元素の 〔笛木〕 がおしよせ乱闘となり , 多くはヘラ げんそうきよく幻想曲ファン 起原については現在までさまざまな クレスに殺された。ケイロンも彼の タジー。形式にとらわれぬ自由な器 理論が提出されているが , 大きく分 毒矢に傷ついた。不死のケイロンは けると 1 ) 元素が宇宙の原始的段階で 楽曲。この語は 16 世紀から用いられ あまりの苦しさに死を願ったので , 生成したとするもの。原始物質は高 たが , 当時はむしろ厳格な構成の器 プロメテウスか・代わって不死となっ 楽曲を意味していた ノヾッノ、ク ) く豊に 温の中性子がスから成り , 字宙が膨 た。ポロスも毒矢を足に落として死 音階的幻想曲〉やモーツアルトのピ 張するにしたがってがスの温度が下 んだ。またケンタウロス族のあるも アノ曲くファンタジア > では具卩興的 がり , それにつれて中性子捕獲と のはべイリトオスの結婚式場で花嫁 崩壊によって重い元素が作られてい 要素が強く , 19 世紀のロマン的性格 のヒポダメイアを奪おうとして , ラ く。 2 ) 高密度 , 高温度の星の内部で の時代にはプラームスのく幻想曲集 > ピテス族とテセウスに殺された 大部分の元素の合成が行なわれる , などの小曲が作られた。またオペラ 〔高津〕 とする二つの立場があり , 核反応に などの旋律をよせ集めた曲にこの名 ケンタッキー〔州〕 Kentucky 関する理論と実験が進歩するにつれ 称を用いることもある。 米国中東部の州。面積 104611km 気人 〔前田〕 げんだいかなずかい現代仮名遣 ていすれも詳しい理論が展開されて ロ 309500() ( 1963 ) 。主者にはフランク / 仮名遣 いる フォート。東音には 400 ~ 1000m の山地 〔元素記号〕元素の略号としてそれ げんだいのえいゆう現代の英雄 をなし , 北の州境をオハイオ川が流 らのヨーロッノヾ名 ( 主としてラテン Geroi Nashego Vremeni ロシア れる。鉱物資源に恵まれ , 年産 7735 の詩人レールモントフの長編小説。 名 ) のかしら文字をとって Fe ( fe r ・ 万トン ( 1963 ) の石炭をはしめ石油 , rum, 鉄 ), Au(aurum, 金 ) などを 1840 年作。作者はプーシキンの死を 天然ガス , 石材などを産する。生産 いたむ詩がわざわいして 1837 年カフ 用いることカ { ベルセリウスによって 高はノースカロライナ州と首位を争 提案された。そのさい同一のかしら カズへ左遷されたが このときの生 うタバコが州農業生産額の第 1 位を 活から生まれた作品である。くべー 文字のものは C ( 炭素 ) C 1 ( 塩素 ) の 占め , はかにトウモロコシ , 小麦 , ように 2 字めも使って区別している。 ラ〉くマクシム・マクシムイッチ〉くタ カラスムギ , 麻などを産する。牛 , この記号は元素を表示するだけでな マーニ > く公爵令嬢メリー〉く渾命論 プタなども多く , レキシントン付近 く , その元素の原子を示すためにも 者 > の 5 短編恋物語からなり , 主人 の盆地ではサラブレッド種競走馬を 用いられ , それによって化合物の組 公の大胆奔放な青年べチョーリンは 特産する。工業はタバコ , 精肉 , 製 成 , 構造や , 化学反応なども簡単か オネーギンと同し「余計者」の一典 粉 , ウイスキーなどの農産加工を主 っ明確に記述することができる。ま 型であり、全編にみなぎる強烈な反 とする。この地の探検は 1750 年英国 た同位元素を区別する必要のあると 逆精神と美しい自然描写は , ロシア・ 人によって始められ , 63 年フランス ケンタッキ 玄宗 丿 ケンタウロス

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キキン 戯曲 ( 補 ) 19 世紀末に は , 坪内逍遙が新史劇 く桐一葉 > ( 1894 ) を書 いたが , 新歌舞伎作家 として岡本綺堂 , 岡鬼 太郎 , 中村吉蔵 , 真山 青果らを生んだ。明治 末期にはしまる文芸協 会や自由劇場は , イプ セン以後の近代劇の紹 介とともに大正期の新 劇プームをひき起こし たが , 武者小路実篤ら の白樺派が戯曲を手が けたのをはしめ , 山本 有三 , 菊池寛 , 久保田 万太郎 , 岸田国士らが 作品を書いた。小山内 薫らの築地小劇場も翻 訳劇一辺倒から創作劇 をとりあげるようにな ったが , 1929 年の分裂 とともに左翼的傾向が 強くなり , 村山知義 , 三好十郎 , 藤森成吉と いった劇作家を生んだ。 久保栄のく火山灰地〉 ( 1937 ) , 久板栄二郎の く北東の風〉 ( 1937 ) は これらの代表作である。 これに対し芸術尊重の たてまえの純粋の創作 劇をめざす岸田国十主 宰のく劇作〉から森本 薫 , 田中千禾夫 , 飯沢 匡 , 内村直也らが登場 し , 真船豊はく鼬〉 ( 19 34 ) でデビュ 第二次大戦後は早死し た加藤道夫のはか木下 順二 , 福田恒存 , 三島 由紀夫 , 田中澄江らの 劇作家を生み , 商業演 劇では , 北条秀司 , 川 ロ松太郎 , 中野実 , 菊 田一夫らが活躍して いても形態は変わっているが , その 根本条件は同しである。しかし通俗 的な意味での劇的な感動を起こさせ ないような戯曲も 20 世紀には現われ ている。物語の筋のなかで人間を描 くよりは , 人間が主体性をもってい て , その行為がおのすから筋を構成 していくというようなやり方で , っ まり文学への従属をやめて , それと 絶縁したところに戯曲の独自性を主 張しようとするのである。戯曲論の うちでもっとも古いのはアリストテ レスのく詩学〉で , こでアリスト テレスは物語や叙事詩が「彼は何を なした」と表現するのに対し , 戯曲 は「彼はいま何をなしつつある」と 現在進行形を用いると述べている。 戯曲は見物にかこ・まれた舞台の上に 表現されるのである。したがって , 戯曲が文学として読まれるだけで意 味があるということは , 戯曲の立場 からはあくまで第二義的に考えられ なければならない。シェークスピア やモリエールの作品が偉大であると いうことは , 単にそれらが文学的鑑 賞にたえるからではなく , 演劇とし ても今なおりつばに生きつづけてい るからである。近代になって現われ たレーゼドラマ ( 読む戯曲 ) は上演を かならすしも必要としない戯曲形式 であるが , 戯曲そのものの本質から いえば , むしろ例外的な存在といえ 〔戯曲の発生〕演劇は , 人間が文字 をもつようになった時代よりはるか 以前に存在していたと思われる。文字 が考案されてから , たとえば古代工 ジプトでは毎年くりかえされる祭事 の段取りが一種の上演記録として保 存され , それが逆に段取りそのもの を支配するようになる。演劇が舞踊 や歌のようにその場かぎりのもので なく , 芸術として認められるように なったのは , 舞台の上の思想や感情 が文字で表現でき , また文字で表現 したものが舞台の上の行為と結びっ いたときだといってもよい。演劇を 高める役割を果たした戯曲が , やが て演劇に対して主導権を握るにいた ったのは当然のことといえる。エジ プトの演劇に影響されたと思われる ギリシア演劇は , 現在までに発見さ れたかぎりでは戯曲をもつもののう ち最古のものとされている。ただ キ、リシアよりも古い歴史を有するイ ンド , 中国の古代文明にも演劇はあ り , 戯曲もすでに存在していたので はないかということは想像されて いる。 〔古代ギリシアの戯曲〕キ、リシアの 演劇が戯曲をもつようになったのは 劇詩人テスピスからであった ( 前 6 世紀 ) 。それまで酒神ディオニソス にかぎられていた演劇の主題は新し くギリシアの神々や英雄の物語を加 え , 対立的な対話形式が確立された。 3 1 4 それは , 陶酔的な演劇の場に澄明な キ、リシア理性の登場したことを意味 していた。演劇はここではしめて鑑 賞思考の場をもつようになったとい える。しかしその戯曲は一つも残っ ていない。つづいて前 5 世紀にアイ スキュロス , ソフォクレス , エウリ ピデスの三大作家が現われてギリシ ア悲劇を完成させる。当時の戯曲は いわゆる三部曲 ( トリロキ、一 ) で , つの物語が , 年代順にまとまった つの作品として構成され , 1 日の演 目はこの = , 三部曲のはかに喜劇が 1 本 かならすつけ加えられた。当時の戯 曲は合唱 ( コロス ) 部分と対話部分と が組み合わされていた。喜劇は , 悲 劇の影響もあったが、やはりディオ ニソス祭の行事から始まって , やか、 て戯曲をもつようになり , しだいに 現実悪への痛烈な嘲笑 3 , 風刺の 色彩を帯びる。このような経過はい すれの国の演劇もだいたい同しであ る。喜劇作家としてアリストフアネ ス ( 前 5 世紀 ) , メナンドロス ( 前 4 世紀 ) がすぐれている ( キ、リシアの文 学の項参照 ) 。ギリシアの古典戯曲 はローマにも伝わったが , わすかに 喜劇のプラウッス , テレンチウス , 悲劇のセネ力が目だっただけで , や がて滅びてしまった。 12 世紀ごろま では欧羽ヨ演劇史上のいわば暗黒時代 である。中世の欧州演劇はほとんど キリスト教会を中心とする宗教劇で , 戯曲としてみるべきものはなかった。 しかしこの間 , インドでカーリダー サ ( 5 世紀ごろ ) が王朝劇詩人として 豊麗なオ能をしめし , その傑作くシ ャクンタラ〉はゲーテに激賞されて いる。中国でも / 京劇はこの時期に その演劇形態と戯曲を完成し , 関漢 卿 ( コワンハンチン ) , 王実甫 ( ワンシ ープ ) らによって多くの傑作を残し ている。 〔ルネサンスの戯曲〕教会に対する 激しい戦いが終わって , 新しい人間 中心の時代がやってくると , 戯曲も またいっせいに開花する。この時代 の代表者はいうまでもなくシェーク スピアであるが , それ以前にも 16 世 紀のスペインか・生んだローベ・デ・ べーガ , 1 世紀おくれたカルデロン などの劇作家も忘れることはできな い。・それらにつづいて , ドイツには ケ、一一テ , シラ フランスにはラシ ーヌ , コノレネイユ , モリエーノレらカ { 現われ , まさに戯曲史上の黄金時代 を作りあげた。 〔近代劇〕 18 世紀に古典劇の権威か ら脱却しはしめた戯曲は , 19 世紀に なって , それまでの悲劇 , 喜劇とは まったく異なった新しいジャンル市 民悲劇を生み出す。近代劇はこ ら始まったともいわれ , その基礎を 築いたのはノルウェーのイプセンで あった。しかし , 19 世紀末から起こ った社会の行きづまりや , 人間の能 力への不信は , 社会一般に懐疑的な 絶望や憂愁の気分をはびこらせ , 戯 曲の主題もそれらを扱うことが多く なってくる。ストリンドベリ , マー テノレリンク , チェーホフ , . ・、ウブト マンらがこの期の代表的作家とされ る。またこの時代にはしめて「一 戯曲」が生まれた。アイルランドは その中心、となり , イエーツ , シング , グレゴリー夫人などは日本にもなし みカヾ深い 〔現代の戯曲〕第一次大戦後 , 敗戦 国のドイツに「表現主義戯曲」が生 まれ , たちまち世界中にひろまった。 写実主義を全面的に否定し , 人間を 客観的な冷静な目で描くというので はなく , 人間内部の生きようとする 強烈な衝動をそのまましかに表現し ようとする態度である。この表現主 義はまもなく衰えたが , そうした態 度はそれ以後の戯曲作家のはとんど に受けつがれ , 第二次大戦以後には なばなしく登場したサルトルの実存 主義演劇はある意味では写実主義的 ななまなましい部分の積み上げによ って構成されながら , 全体としては 半世紀前の写実主義戯曲にみられな かった問題に直面する人間の姿を鋭 く描き出している。 ウィリ フ アムズ , ジロドー , アヌイ , プレヒ ト , カミュ , ェリオットら現代の第 一線級作家はみな写実主義から離れ ているといえるのである。最近注目 されている反演劇運動の戯曲も同様 である。日本では , 文学のジャンル としての戯曲は , 2 ( ) 世紀になるまで 存在しなかったといえる。それ以前 のものは , いわば脚本としていくら かの文学的形態を保ったにすぎない。 19 世紀末に森鵰外が戯曲の出現を呼 びかけ , 北村透谷らがその試みに着 手したのが最初であった。つまり , 日本における戯曲はわすか半世紀の 歴史をもつだけなのである。 / 演劇 / 喜劇 / 悲劇 〔青江〕 ききん飢饉自然現象について の科学的な知識が乏しく , 農耕技術 もきわめて幼稚な段階にあった時代 には , 天候の不順や病虫害の発生な どの自然界の異変は , ただちに作物 の生育に大きな影響をあたえ , しば しば激しい凶作をひき起こした。し かも当時は国内が現在のように政治 的に統一されておらす , 交通 , 貿易 も未発達で , 穀物その他の農作物の 売買もあまり行なわれなかったので , ひとたび凶作が起きるとその地方で は , たちどころに激しい食糧不足が 起こり , おびただしい餓死者を出す このような現象 のカゞつねであった を「ききん」とよぶ。 したがってき きんは単なる自然の災害によって起 きるものではなく , 天候や土壌 , 作 物などについての科学的な知識や , 治水 , 施肥 , 品種改良 , 病虫害予防 などの技術水準のはか , 商品経済 ,

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力へイ 1 6 5 は十分その機能を果たすことができ 要な地位を占めた ) を素材とする貨 幣で , 一国の貨幣制度の基礎をなし るし , さらに進んで貨幣を , それ自 き 身としては無価値な貨幣代用物によ ている。本位貨幣は自由鋳造 , 自由 処分が認められるので、つねに地全じ って置き替えることもできる。素材 、第カーわ と同し価値をもつ。しかし現在では 価値のきわめて低い補助貨幣や紙幣 貨幣 ( 補 ) 日本で現在 各国とも金本位制度を停止していて のように単に一定の価値量を表示す 通用している貨幣はっ 本位貨幣は流通していない。日本で るにすぎないものは貨幣の流通手段 ぎのとおりである。 金属貨幣 ( 補助貨幣 ) も 1897 年の「貨幣法」で金を本位貨 外 としての機能から生まれるものであま 1 ( ) ( ) 0 円銀貨 幣 ( 20 円 , 10 円 , 5 円の 3 種 ) ときめ る。 3 ) 支払手段売り主が買い主に 側 100 円銀貨 商品を第して , 買い主はその代金を たが , 1931 年末以来この制度は停止 50 円ニッケノレ貨 一定期間後に支払う約束をする場合 , されている。補助貨幣は銀や銅など 10 円青銅貨 つまり売買が信用によって行なわれ の金属を素材としているが , その素 5 円黄銅貨 押し る場合には商品と貨幣の受渡しは時 材価値は額面の表示よりもはるかに 1 円アルミ貨 紙幣 ( 日本銀行券 ) 低い これは前述のように貨幣の流 間的に同時ではなくなる。売り主は 1000 ( ) 円 通手段機能から生まれたもので , 小 債権者に , 買い主は債務者となり , 500 ( ) 円 額取引の便宜のために政府によって 貨幣は支払期日に債務者から債権者 に渡される。この場合の貨幣は商品 発行される。なお , 日本で現在流通 50 ( ) 円 交換の媒介手段ではなく , すでに成 している補助貨の種類と素材は別記 1 ( ) 0 円 ( B ) のとおりである。 2 ) 政府紙幣大部 立した売買関係に基づく債務を返済 なお , 現在通用力を有し する支払手段としての役割を果たす 分は不換紙幣で補助貨と同しく貨幣 てはいるが , 造幣を止め て回収中の紙幣は , の流通手段機能に基礎をおくもので わけである。この貨幣の支払手段と 1 ( )( ) 円 ( A 。夢殿と聖 あるが , しばしば財政の赤字を補う しての機能から信用貨幣が生まれる。 徳な子像を配した 債権者と債務者の間の信用関係を示 ために発行され , インフレーション もの ) す証書である商業手形 ( / 手形 ) や , をひき起こすことが多かった。最近 モルタル 50 円 の日本では補助貨幣の欠乏を補うた それを銀行が肩代わりして発行され 10 円 ラス外側 め大正から昭和にかけて / ト額紙幣が る銀行券などは , 債務者の支払うべ 5 円 ルーフィング き貨幣を代表するものとして , 当事 発行されたが , 1953 年末限りで通用 1 円 下見 である。 を禁止された。 3 ) 信用貨 . 幣前述の 者以外の人々の間の取引においても 壁上は代表的真壁であるこまい壁の構 ように貨幣の支払手段機能に基礎を 流通手段あるいは支払手段として流 造。下はモルタル・ラスの大壁の構造で , おいている。その代表的なものは銀 通し , 貨幣としての機能を果たす。 内側は木すり下地に上壁仕上げしたもの 行券で , 元来は本位貨幣と交換 ( 兌 これが信用貨幣といわれるもので , 換 ) するものであるが , 金本位制停 現代の社会で流通する貨幣はほとん 止以後は兌換は認められない。日本 どがこの信用貨幣である。しかし信 このような性質をもつ商 ならない。 では日本銀行が唯一の発券銀行とし 用貨幣も最終的には本来の貨幣 ( 金 ) 品としては金や銀のような貴金属が て日本銀行券を発行しており , 1 万 を支払うという約束を示すものだか 適しているので , 一般的な交換手段 円券から 1 円券までの 9 種類がある。 ら , 恐慌などで信用関係がくすれる の役割はしだいに金銀に統一されて 信用貨幣のもうーっの種類は預金通 と信用貨幣でない本来の貨幣が求め いく。このようにしてある特定の商 貨である。これは当座預金のように られる。 4 ) 価値の保蔵貨幣はいつ 品が一般的な交換手段として確立さ / 小切手によって預金が A の口座か でもどこでも必要なときに商品を手 れたとき , それは貨幣となる。 に入れる力をもっている。また一般 ら B の口座へと移転されるものをい 〔貨幣の機能〕 1 ) 価値の尺度商品 う。移転される預金は流通手段また の交換が行なわれるためには , その の商品のようにこわれたり変質した は支払手段として貨幣の役割を果た 価値の大きさが互いにわかっていな りすることがなく , 保管費用も少な すわけである。 ければならない。その価値の大きさ くてすむから価値をたくわえておく 〔貨幣の歴史〕鋳造貨幣の最初は小 を計るものが貨幣である。したがっ にはもっとも適している。価値の保 てあらゆる商品の価値は貨幣の種々 アジアのリディア王国のエレクトロ 蔵手段として機能する場合には貨幣 な分量だということになって , 互い はその本来の姿 ( 金 ) をとらなければ ン ( 金と銀の自然合金 ) 貨幣といわれ に比較できるようになる。この貨幣 ならない。 5 ) 世界貨幣として国際間 る。前 6 世紀の同王国最後の王クロ の種々な分量は貨幣の一定量を単位 この場合も貨幣は の決済に役だっ。 イソスはエレクトロンの使用をやめ として計られる。円とかドルという て金貨および銀貨を鋳造した。ベル 金の姿をとらなければならない。 のはこの一定量の貨幣につけられた 〔貨幣の種類〕 1 ) 金属貨幣これに シアはリディアを征服した際に鋳貨 名称で , 価格の単位である。 2 ) 流通 は本位貨幣と補助貨幣とがある。本 を学び , ダリウスは王の肖像を刻ん だ金貨 , 銀貨を鋳造した ( 前 50 ( ) 頃 ) 。 位貨幣は価格の単位である金属 ( 金 手段商品の売買が行なわれるとき , 一方ギリシアでもアテネ外港の小島 または銀が使われたが , 金がより重 貨幣は売買 ( 商品流通 ) のなかだちを する。この場合 , 貨幣の量目や品位 が . だれの目にもわかるようになって いることが便利なので , 鋳造貨幣が 作られるようになる。ところが鋳貨 も流通していくうちに摩滅してその 素材の価値と額面の表示とが一致し なくなることがおきる。しかし貨幣 は流通手段として商品売買のなかだ ちをしているかぎりでは , その存在 は一時的 , 瞬間的なものであり , 貨 幣それ自身は単なる媒介物であって 目的とならない。したがってこのよ うに減価した鋳貨も流通手段として 間柱 彡彡′彡 / 彡彡 荒 裏返し 内 側 中 上 り り 下見 木ずり 間柱 下げ麻 中 塗 は 上 り 内側 大壁 江戸時代の貨幣鋳造風 景 ( 銀座絵巻より )

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5 3 1 元禄の未にかけ約 4 ( ) 年間続いたと考 されたという記録のあるのは鎌倉時 日本の果樹の栽培面積と生産量 えられる。〔九谷焼〕中絶した古九谷 代に甲州ブドウがある。江戸時代に の流れは , 文化文政期 ( 18 ( ) 4 ~ 3 ( ) ) に 栽培面積 (km2 ) はナシやモモもかなり作られたよう 生産量 種類 計 ( 万トン ) (A) ( B ) 青木木米による春日山窯気大聖寺吉 であるが , 明治初期に外国から多く かんきっ類 724 510 田屋伝右衛門の吉田屋窯によって 1235 150.7 の果樹の種類や品種が , またその栽 リン・コ・ 546 1 ( ) 8 653 109. ( ) 再興された。緑釉 ( の青手響九谷が 培の知識が導入され , 近代的な果樹 カ キ 336 44 379 46.4 吉田屋窯初期にみられ , つづく宮本 園芸の基礎がきすかれた。しかし , ニホンナシ 156 34 190 32.1 屋窯 ( 1835 ) にいたり , 赤に金の細密 日本の気候 , 風土に適さないものも ブドウ 166 52 217 2 ( ). 7 画を施した金瀾手でが流行した。 あり , その栽培法も適当でなく , 失 モ モ 168 42 210 20.7 復興された窯は , いすれも古九谷を ウ 敗が多かったが , しだいに適地 , 適 メ 83 24 1 ( ) 6 3.1 ク 116 111 226 2.9 模した作品をつくっているが , 古九 品種がわかり , 品種の改良も行なわ ワ 27 4 31 2.0 谷には遠く及ばない。九谷焼は現在 れ , 技術も進んで , 現在のように盛 セイヨウナシ 11 9 19 1.1 も盛んに生産され , 付近でつくられ んなものとなった サクランポ 9 7 16 0.6 〔分類〕くだものの分類方法には植 た素焼きを寺井町 , 小松市 , 金沢市 注統計調査部く作物統計〉による。 物学的なもの , 園芸学的なものなど などで絵つけしている。 〔渡辺〕 (A ) は成園面積 , (B ) は未成園面積 いろいろあるが菊池秋雄 ( 1948 ) は英 : グ : タ・ペアレ - カ gutta-percha マ 米におけるやり方を参考として , 温 ライ , スマトラ , ポルネオなどに産 ナナの 2 ( ) % , リンゴの 16 % , 以下ナ 帯の果樹をつぎのように分類してい するアカテッ科の植物 , おもにグタ シ , モモ , スモモなどが続く。日本 る。樹幹の性質によって高木性果樹 , ベルカノキの乳液が固まったもの。 の果樹の栽培面積は約 3300krn2 でそ つる性果樹 , 低木性果樹に分ける。 の生産量は 390 万トン , このうち , か 常温ではかたくて弾性のない固体。 1 ) 高木性果樹落葉性と常緑性とに んきつ類とリンゴが表のように圧倒 50 ℃以上では柔らかくなり弾性と可 分けられ , a. 落葉性多くの果樹が 的に多い。 塑性ができ , 粘着性をも有するよう 含まれるので , 果実の性質で分類す 日本における果実の輸出は年々増 になる。熱と電気の優良な絶縁体で , ると , 仁果類 ( リンゴ , ナシ , マルメ 加しているが , 1964 年現在 , 輸出は 水に不溶 , クロロホルム , 二硫化炭 3.6 万トン , 金額にして約 27 億円で , ロ , カリンなど ) , 核果類 ( モモ , ア 素 , 石油工ーテルに溶ける。構造上 輸出金額の多いものは , かんきつ類 , は天然ゴムの異性体である。海底電 ンズ , スモモ , サクランポ , ウメな 線被覆 , ゴルフポールなどに使わ ど ) , 殻果類 ( クルミ クリ , ペカン リンゴ , ナシ , スイカ , ナット ( クリ , れる。 〔御園生〕 アーモンド ) , その他の類 ( カキ , イ クルミなど ) , ブドウその他となって チジク , ナツメ , ザクロなど ) , b. 常 いるが , かんきつ類がもっとも多い。 くたまっ下松〔市〕山口県 , 瀬 輸入果実ではノヾナナが圧倒的に多く 戸内海に面する市。 1939 年市制。人 緑性かんきっ類とビワ類がある。 ( 35 万トン , 1964 ) , ロ 474 ( ) 1 ( 1965 ) 。もと小漁村であっ ヾイナップル , 2 ) つる性果樹ブドウなど。 3 ) 低木 たが , 藩営の新田が塩田に変わって クリ , レモンなどを含めて 38 万トン 性果樹キイチゴ , スグリ , フサス から大塩田となリ活発な取引が行な をこえる。 / 青果市場 グリなどが含まれる。 われた。山陽線 , 岩徳線が通しる。 〔栄養価値〕くだものには水分が 5 ( ) このはかメロン , トマト , イチゴ スイカなどの草本性の果菜類も欧州 海岸部一帯に石油 , 車両 , 鋼板 , 造 ~ 85 % 含まれ , 炭水化物は糖として では果実として扱う場合が多く , 日 船の大小工場が集まり , 柳井市から 含まれている。くだものは水菓子と 本でも同しように扱われている。 防府市におよぶ周南工業地帯の重 もいわれたが , よくその性格を表わ 〔生産と輸出入〕 1964 年現在の世界 工業都市に発展している。車両は笠 している。クリ , クノレミのほかはタ 戸湾に面する下松港から中近東 , の果実全産額 ( ソ連 , 中共およびイ ンノヾク質や脂肪はきわめて少ない。 ンドと統計発表のない熱帯果実を含 東南アジアへ積み出される。笠戸湾 くだもののなかには有機酸を含むも は笠戸島と徳山市の大島半島に囲ま まない ) は約 11380 万トンで , ブドウ のが多く , 糖と関係して , 濃厚な味 は 42 % を占め最高であり , 次いでノヾ れ , 湾岸はリアス式海岸で , 瀬戸内 をつくりだしている。くだもののも 海国立公園に含まれている。笠戸島 生果実の種類別ビタミン含量 ( 可食部 1 ( ) ( ) g 中・く三訂日本食品標準成分表〉 1963 ) には漁業集落が散在し , 造船工場も ビタミンビタミンビタミンビタミン 設置されている。 〔北川〕 水分 ( g ) 類 Cal BI (mg) B2 (mg) C(mg) A 効力物 くたもの果物 一般に生のまま 11 ( ) 0 アンズ 53 で食べることができ , しかもわれわ 16 0.04 イチゴ 38 れの好みを満足させることができる 0.02 10 イチジク 65 草や木の / 果実をくだものという。 0.03 33 サクランポ 52 くだものの歴史は人類の歴史ととも カキ ( 甘ガキ ) 0. ( ) 3 0.03 330 63 にあり , 原始時代には山野に自生し 0.02 プラム 66 0.02 65 0.04 0 0. ( ) 6 ニホンナシ 39 ているものを利用したが , 人類が住 0. ( ) 3 0.05 66 87 居をもつようになると , いつでも利 0. ( ) 2 0.02 230 ビワ 39 用できるように家の周辺に植えられ , 0.02 ブドウ 5 65 やがて物物交換や交易が行なわれる 0. ( ) 3 0.02 200 マスクメロン 31 ようになってからは , その栽培を業 0.03 0.04 33 37 モモ とするものが現われてきた。現代の 0.01 0.01 15 リンゴ 45 0. ( ) 3 40 ナッミカン 39 ような形態の果樹園としての経営が 0.03 66 0.08 ネープル 42 行なわれるようになったのは比較的 0.04 0. ( ) 3 40 プンタン 41 新しい。欧州では前 2000 年ごろとい 0. ( ) 3 46 ポンカン 41 われるスイスの湖上住居の跡から , 0.02 0.09 40 ウンシュウミカン 40 炭化したリンコ・が発掘されている。 0.02 0 0.04 32 また旧約聖書のなかにもブドウの名 0. ( ) 4 キンカン皮 0.09 5 ( ) 0 93 0.14 0.30 23 クリ 180 がみられる。日本でも古くから山野 0 クルミ 626 のくだものを利用し , 延喜式 ( 927 ) に 注・ビタミン A 効力はカロチンの国際単位 ( I. U. ) 値の % としてあらわしてある 各種の果実の名カ { みられるが , 栽培 クダモノ い 964 ) 5 0 一 0 0 0 3 4 0 5 5 5 0 5 0 5 0 0 0 0 0 0 5 11 1 11 0 っ 0 4 -4 一 0 一い 0 一つ 0 85. () 89. 1 81.7 85.5 82.2 81.8 89.1 75.5 89. ( ) 81.5 91.0 89.4 87.9 88.9 88. 1 88.4 88.6 88.9 88.9 75.1 55.0 4.1

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カワウソ 2 2 1 廷に集めて大いに学芸を奨励したの で , 「カロリング朝ルネサンス」とよ ばれるキリスト教的 , 古典的な文芸 の興隆がみられ , この機運は彼の子 ルードウイヒ 1 世 ( 敬虔王 , 在位 0 814 ~ 84 のの時代まで続いた。しか しルードウイヒの政治力はもはや , 帝国内に高まる分権的傾向を押える に十分でなく , その没後 3 年 ( 843 ) のベルダン条約によって , 帝国はル ドウイヒの 3 人の子ロターール 1 世 , ルードウイヒ ( ドイツ王 ) , カール 2 世 ( 禿頭王 ) の間に 3 分されるにい 〔成瀬〕 〔美術〕カロリング朝期の美術は , 民族大移動よりメロビング王朝時代 に至る西欧の美術に統一的な理念を あたえ , やがて開花する / ロマネス 上はアーヘンの宮廷内礼拝堂内部。集中式会 ク美術の基礎を形づくった。しかし 堂で , カール大帝によって建てられ , 8 ( ) 5 年に この場合 , 理想の対象となったのは 献堂式をあげた。現在はアーヘン大聖堂の会 純正な古典古代というより , キリス 堂部をなす。右上は聖ステパノの殉教を主題 ト教化され , ビザンチン化されたロ とするオーセールのサン・ジェルマン・デ・ ーマの芸術であった。とくに , 東方 プレ聖堂地下祭室のフレスコ。 9 世紀中ころ 美術が図像 , 造形の面で多くの影響 の作。右下はくソアソンの聖メダールの福音 をあたえた。カール大帝は , 帝国の 書 > のミニ・アチュール。 9 世紀中ごろの豪華 各地に大規模な造営を行なったと伝 な写本で , アダ群第 1 の傑作である えられるが , しかし現存するものは , 書 > , アダ群ではくアダの福音書 > , 風味をいかす料理法がとられ , さし アーヘンの宮廷内礼拝堂その他若干 の建築にすぎない。アーヘンの宮廷 ランス派ではくュトレヒト詩編 > な み , 塩焼き , 酢の物 , フライなどに どがあげられる。 内礼拝堂は , ラベンナの / サン・ビタ される。また生きのよいものはど喜 〔中山〕 ガロンヌ〔川〕 Ga ro nn e フラン ーレ聖堂を模した八角堂形式をとり , ばれるコイのいきづくりを初めシラ ス南西部の川。ピレネー山脈に発し , カロリング朝ルネサンスの理想の方 ウオのおどり ( 生きたままを酢しょ 北流してビスケー湾に注ぐ。流長約 向を具体的に示すものとして興味深 う油などで食す ) などがある。一方 く , 同時にフランク族のもつ重厚な 650km, 流域面積は 560 ( ) ( ) km2 。水運利 フナ , タナゴ , ノ、ヤなどで臭気の強 用が発達し , ツールーズで地中海まで 感覚をもうかがいうる。その他 , オ いものや小魚で小骨の多いものは , ルレアンの司教テオデュルフによっ のびるミジ運河と結ぶ。下流はジロ 焼干し , あめ煮 , っくだ煮などにす いちど丸のまま油で揚げ て建てられたジェルミ ・デ・プ ンド川とよばれ , 幅 5 —15km に及ぶ るとよく , レの礼拝堂 ( 19 世紀に大改築 ) なども 三角形の河口。ブドウ酒の輸出港ポ てから甘酢につけたり甘酢あんをか 東方的な建築様式とフランク的伝統 けたりすると , たいていのものはお ルドー市が位置する。ツールーズの 一帯は重要な小麦産地であり , ポル いしく食べることができる。なお川 の混在を示している。一方 , 現在復 魚にはこれを中間宿主としての寄生 元によって知られるサン・リキエ修 ドー付近と支流のドルドーーユ川下 虫がいることがあるので生食には注 道院は , メロビング朝以来の伝統的 流一帯はブドウ園がひろがる有名な なバジリカ様式をとっており , 当時 意を要する。 / 魚貝料理〔川島〕 ブドウ酒の産地である。 〔寺田〕 かわうそ〔川獺〕食肉目イタチ においては , むしろこの / ヾジリカ形 力、わ川 / 河川 科の獣。ューラシアに分布し , 日本 式のはうが一般的であったと推察さ かわ皮 / 皮革 産はその一亜種で , 北海道から九屮日 れる。これらの聖堂にはフレスコが かわうおりようり川魚料理川 までに住むが , 毛皮用に乱獲された 盛んに描かれたが , 現存するものは 魚を主体にしてこんだてをたてたも ため四国南西部に少数残存するだけ ので , ウナギ , コイ , アユなど 1 種 オーセーノレのサン・ジェノレマン・デ・ 類の魚に限ることもあり , 各種の川 で , 特別天然記念物である。体長 70 プレ聖堂の地下祭室など若十の遺例 cm, 尾 5()cm くらい。水辺を好み , 川 にすぎない。それに反し , 各種の貴 魚を組み合わせる場合もある。川魚 金属工芸品 , とくに象牙い彫りと写本 料理の材料になる魚は淡水にすむも 岸や海岸に住むが , 求食時には遠く 装飾はきわめて多く保存され , カロ のが大部分であるが , なかには海に まで出かける。遊泳と潜水は巧みで , リング美術を代表している。古代末 魚類 , カエル , カニ , 貝類 , 水鳥 , 生まれて川にのばって成長するもの , 鳥卵などを食べる。視力は鈍いが , 期の印象主義的作風を比較的忠実に あるいはこの逆もある。またボラ , 聴覚と臭覚とは鋭い。人にはなれや 継承した宮廷派 , ビサンチン美術の スズキのように食物の関係などから 一時的に淡水にはいってくる海の魚 明確な線描と鮮明な色彩を伝えるア すく , インドや中国ではこれをウの ダ群 ( カール大帝の姉妹と伝えられ もある。代表的な川魚としてはコイ , 代用として小舟に乗せ , いろいろの るアダのために作られたくアダ、の福 フナ , ヒガイ , モロコ , マス , イワ “ノ第「 ? カワウソ 音書 > を中心に これと類似する福 ナ , ヤマメ , ワカサギ , シラウォ , ウ 音書本を一括していう ) , あるいは ナギ , ドジョウ , ナマズなどである。 宮廷派の様式をさらに軽妙な自然主 〔調理法〕一般に川魚は特有の臭気 義的作風に展開させたランス派 , あ をもっため好まぬ人もあるが , 逆に るいはサン・ドニ派 , ツール派など アユなどはそのかおりが喜ばれてい 各種の画派が , / : ーアチュール云 る。ウナキなどの例外はあるが , 多 術を競いあった。代表的な作例とし くは脂肪が少なく淡泊である。アユ , ては , 宮廷派のくカール大帝の福音 マス , シラウォ , ヤマメなどはその

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ケントウシ 7 0 3 トスライドといわれているもので , 今 せたところ , その巨大な映像に驚嘆 関と , 蒸気タービンやガスタービン したということがく嘉永明治年鑑録〉 まで手動式であった直射式スライド のように , 熱せられて膨張した蒸気 につぶさに記載されている。エキマ 映写機を電動式にしたものである。 やガスをノズルから噴出して羽根車 ン鏡は「うつし絵」というものに姿 この映写機は 50 板の単独スライドを にあてて直接に回転力をうる回転式 自動的に連続映写することができる 機関とがある。現在航空機用原動機 を変えたが , しだいに忘れ去られる ようになった ほか , リモートコントロールといっ としてひろく用いられている / ジェ 日本における洋式幻灯は , 1874 年 て , 映写機から離れたところでスラ ット機関はがスタービンの一種であ 米国に留学した手島精一が帰朝のさ イドフィルム交換の操作ができる。 り , またロケットエンジンは燃焼 い持ち帰った洋式幻灯機と幻灯板 7() 2 ) 反射光式 a. 反射式実物映写機 ガ、スをそのまま後方に噴射すること 枚が初めである。当時の幻灯板は天 平面的な不透明物体を映写するもの によって熱エネルギーを直接に推進 文 , 自然現象 , 動物 , 人体解剖など 力に変えるもので , 往復運動や回転 で , その機構は光源部の下の資料台 に物体あるいは写真 , 絵画をおき , 運動部分をもたないが , 原理の上か 教育的なものが多く , 主として学校 ら熱機関の一種である ( / 熱機関 ) 。 上部の反射鏡に受けた像を映写レン の教材に用いられていた。 81 年には 3 ) 電動機電気工ネルギーを電磁現 ズをとおして拡大映写する。 b. 反射 文部省が幻灯機を学校の教材として 式ライトプロジェクタこの映写機 象を利用して機械的回転力に変える 取り上げることになり , 当時の写真 は操作者の頭上を越えてスクリーン 業者のなかでも理化学に知識をもつ もの。現在工場用原動機としてもっ 鶴淵初蔵 , 中島待乳に依頼して洋式 に投映するので , オーバーヘッド型 ともひろく使用されている。 映写機ともよばれている。機構は投 幻灯機を模造せしめ , それを師範学 これら原動機の能力をあらわすの 校に頒布した。これに用いられた幻 に , 馬力 (yp) あるいはキロワット 映台上に置かれたセロハンあるいは 灯板はがラス板に色彩画を手書きし 透明セルロイド板上に書かれた図表 ( k W ) という仕事率の単位が用いら たものであったが , 湿板法による写 を , 映写レンズの上部にある反射鏡 れる。馬力は蒸気機関を完成した J. 真の発明によって急速な発展をみる に反射させて映写するものである。 ワットがウマ 1 頭がなしうる仕事率 ようになった。それに伴い幻灯機の を 1 馬力と名づけて蒸気機関の能力 〔池上〕 光源もランプから電球になり , 機構 げんどうき原動機自然界の諸 を表わしたのが始まりであるが , 現 も木製から金属にとしだいに改良が 種のエネルギーを機械的な有用な仕 在では 1 FP = ( ). 75kW と定めている。 加えられ , 家庭の娯楽用としてもひ / 機械 事のエネルキ、一に変える機械の総称。 〔田中〕 ろく普及するようになった。しかし 現在までに実用化されているものは けんとうし遣唐使 7 ~ 9 世紀 に朝廷から唐に送られた使節。すで 風水力原動機 , 熱機関 , 電動機の 3 明治から大正に移るころには映画に に隋朝のころに聖徳太子は遣隋使を 種類に大別され , なお原子力原動機 人気が移っていき , これまで盛んで の実現も近い将来と考えられる。 送り , おもに帰化人系の人からなる あった幻灯もしだいに忘れ去られて 1 ) 風水力原動機空気の運動エネル 留学生を派遣して中国の文化 , 制度 1935 年ころにはふたたび幻 し、つオこ。 ギーを機械的な回転エネルギーに変 を学ばせたが , 唐が興ったのち , 舒 灯が教材として取り上げられるよう える風車と , 流水の圧力および運 明天皇の代の 630 年を第 1 回に , 朝 になった。第二次大戦にはいって , 動エネルキ、一を回転エネルギーに変 廷の使節が唐に送られた。これが遣 空白時代をすごしたとはいえ , 戦後 える / 水車とがある。いすれももっ 唐使で , 別表のほか , 使節の任命だ にふたたび視覚教育の一端をになう とも古い時代に発明された原動機で , けで中止されたものや , 唐使の送遠 , ものとして学校にも一般家庭にも普 とくに水車は蒸気機関が発明される 帰国使節を迎えるための派遣を加え 及するようになった。一方 , 天然色 以前には唯一のすぐれた原動機とし ると 20 回に近い数となる。このうち 写真の発展とともに今まで使用され て製粉所や紡織石場などでひろく使 日唐関係の緊迫した 7 世紀後半のも ていたがラススライドはフ彳ルムス 用された。しかし現在では水車と風 のは政治 , 外交上の目的がおもだっ ライドに変わり , 幻灯機もしだいに 車はもつばら発電機をまわす原動機 進歩した。現在では 500 ~ 700W とい たが , 702 年の再開以後は文化目的 として使われ , その形や性能は古い う強力な電球が使用され , ランブハ を主にした遣使が行なわれ , 制度も 時代のものとはまったく違ったもの ウスを冷却するモータファンを装備 整い編成も大になった。このころの となり , 古い水車 , 風車と区別する したもの , あるいはテープレコーダ 一行はふつう大使 , 副使 , 判官 , 録 ために , 水力タービン , 風力タービン 事の 4 官の下に , 水夫にいたる多 と併用したものなどが作られ , ひろ く使用されるようになった。 51 年に とよばれることもある。 2 ) 熱機関 くの下級職員があり , さらに唐土に は毎年 11 月 11 日が幻灯の日と設定さ 燃料の燃焼によって生する熱エネル 滞在する目的の留学生 , 学問僧も加 れ , かすかすの記念行事が催され ギーを機械的エネルギーに変える機 えて , 総数 58 ~ 600 人にの一より , そ 械。 / 蒸気機関や / 内燃機関のよう れが 4 ・隻の船に分乗した。航路は , ている。 に , シリンダ内の蒸気や燃焼ガスの 初期は朝鮮西岸沿いに北上してから 〔スライド映写機の種類〕スライド 膨張力によってピストンを動か . し , 映写機は直射光式と反射光式の 2 種 山東半島に至る北路がとられたが に大別され , さらに機構 , 映写物体 ピストンの往復運動をクランク機構 新羅との関係が悪化したため , 7 世 を通して回転力に変える往復動式機 紀後半からは , 奄美 , 沖縄をへて などによりいろいろな種類がある。 1 ) 直射光式 a. 直射式スライド映写 反射式ライトプロジェ・クタ 反射式実物映写機 機直射光式は図に示すように , 光 反射鏡 源電球 , 集光レンズ ( コンデンサ ) , 映写レンズなどによって構成され , 2 枚のレンズの中間に , 熱によるフ イルムの損傷を防ぐために防熱がラ スが用いられている。またランブハ ウスを冷却するモータファンを装備 したものもある。それに用いるフィ ルムスライドには単独スライドのほ かフィノレムカ { 帯状になったフィルム ストリップなどがある。 b. オートマ チックスライド映写機一般にオー 幻灯機の構造 映写レンズ 直射式スライド映写機 反射鏡 防熱ガラス スライド チェンジャ 映写レンズ 反射鏡 光源 1 資料台 投映台 光 源 トレ 映写レンズ 0 反射鏡。 集光レンズ

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ゲキジョウ 6 1 6 なる ) なども現われて現在に及んで このように舞楽渡来以後は固有の発 社交性を増大したが客席はまだ野外 劇場 ( 補 ) 明治以来国 立劇場の設立はしばし 達をとげてきた日本の劇場も , 明治 であった。中世キリスト教劇時代に いる。 ば企てられたが , 1966 時代 ( 1868 以後 ) に入り西洋の影響で なると教会の中や外の広場が用いら 〔日本〕古代は宗教性の強い民俗芸 年 11 月 , 東京都千代田 大変革を促された。 1872 年 , ます守 れ , 固有の劇場は発展しなかった。 能が主で , 特定の劇場はなく , 適宜 区隼町に古典芸能中心 田座が新富町に進出 , 旧来の制度や はじめて常設の屋内劇場が出現した に空地を舞台として設定したにすぎ の大劇場 ( 客席 1746 ) と 設備に改革を行ない , さらに 78 年改 のはルネサンス期のイタリアで , A. ない これを舞場とか舞処をいとい 小劇場 ( 客席 670 ) が開 / ヾラジオ ( 1508 ~ 80 ) の設計で 1584 年 築にさいして舞台を額縁式にし , 少 はじめて固有の舞台をもった 場するに至った。国立 った 劇場は国家がその国の にビチェンツアに完成をみたオリン のは , 7 世紀ごろに大陸から渡来し 数ながらいす席を常設 , ガス灯をつ 演劇や音楽 , 舞踊の伝 ピコ劇場はその現存最古のものであ た舞楽であり , 平安時代初期には け , 防火施設を強化するなど洋風摂 統を維持発展させるた る。これは古代劇場建築史の研究に 4 間四方という現存の形式がほは、定 取が進められた。 89 年の歌舞伎座は め財政援助を与えて設 基づき , しかも舞台には書割り背景 まったけれども , 野天には変わりな いっそうその歩を進めたが , 19 ( ) 8 年 立し , 代表責任者を任 く , 客席というものはなかった。も の前に三つのアーチをもつ完全屋内 の有楽座は西洋オペラ劇場の形式を 命し , 経営や管理運営 ともと劇場を意味する「芝居」は , 劇場で , 近代劇場の先駆であったが , 取り入れて , いす席のまったく新し を行なう組織で , パリ 中央アーチが拡大し前面に出た形を 演舞の行なわれる芝ふの場をさし , のオペラ座 ( 1669 ) をは い洋風劇場として誕生 , さらに 11 年 しめ 20 数カ国にある。 もっパルマのファルネーゼ劇場 ( 1619 ) のち客席を意味するようになった ルネサンス風鉄骨コンクリート造の 自主的な公演活動のほ が出現してプロセニアム・アーチ , とばで , 劇場を芝居というようにな 帝国劇場が完成して日本劇場史に新 か , 俳優養成学校 , 博 ったのは江戸時代以後である。客席 すなわち額縁式の近代劇場様式が定 時代を画した。 24 年には , はじめて 物館 , などの付属機関 が意識されるようになるのは / 田 まり , 幕もはしめて使用された。ま 新劇のための近代式小劇場として を持っているが , 日本 楽や / 猿楽が , 寺社の造営修理 / 築地小劇場が生まれた。現在では , た 17 世紀から始まったオペラのため では政府の補助額も少 などの名で興行されるようになって 舞台は歌舞伎 , 新劇 , 文楽煢など伝 には , ベネチアに 1637 年サン・カッ なく , 付属機関の設置 も今後の問題として残 からであり , 16 世紀初めの能楽にい シアーノ劇場が開場している。いす 統的な形式をとりながらも , いすれ されている。 れも客席に比べて舞台が大きな場を たると , 舞台は 3 間四方となって屋 も洋風の客席と設備をもつ劇場が各 占めているのは , 当時の劇やオペラ 根がづき、しかも橋懸りをもち , 桟 地に多く作られている。 〔河竹〕 〔劇場建築〕客席と舞台が中心で客 が大仕掛けな装置を要したことによ 敷を設けるようになったが , 上間 席部にはフォアェ ( 遊歩廊 ) , ロビー っており , 客席は桟敷によって区切 ( 客席 ) はまだ野天であった。近世 , られていた。ェリサベス朝 ( 16 世紀 入口 , 食堂 , 事務室などの諸室が , 江戸時代には歌舞伎が庶民の演劇と 末 ~ 17 世紀初期 ) のイギリスだけは , 舞台部には , 舞台上部に「どう して興ったが , 初期は能舞台を受け だな」 , 舞台に隣接して楽屋 , けい 従来巡回劇団が上演の場とした旅館 継いだままで , 客席は野天 , 外郭も こ場 , 奈落気 , 大小道具の製作場や の中庭の形式の延長として , 前縁舞 竹矢来をめ . ぐらすていどで , 17 世紀 台 ( エプロンステージ ) をもっ独自の 倉庫などの諸室が付属する。客席と 末 ~ 18 世紀初め ( 元禄時代 ) に , よし 劇場を用いたが , 王政復古 ( 1660 ) 後 舞台との仕切りをプロセニアムとよ す張りていどの屋根ができ , 花道も び , 客席部を「表」 , 舞台部を「裏」 は大陸の桟敷劇場の様式を移入する 設けられて固有の劇場の形をみせは ともいう。舞台間ロの形は , 一般に にいたった。 19 世紀後半 , 写実主義 しめ , さらに 18 世紀初 ~ 中期 ( 享保 日本古典芸能系のものは横幅が広く , が興ると小劇場運動が盛んになった 期 ) になって完全な屋内劇場となっ が , 20 世紀にはいると , さらにその 。 1758 年には回り舞台が完成され , 洋風芸能系のものは縦が高い。しか た 左右の両花道や後方でこれを連絡す し定寸法 , 定比率があるわけではな 反動としてのメカニックな大劇場主 義 ( たとえは。ラインノ、ノレトのベル る歩み板 , 中央に突出する名のり台 く , 外国のオペラ劇場のプロセニア リン大劇場 ) や円形劇場の試み ( 1932 などを備えて , 舞台と客席の共感度 ムの高さは 12 m 以上のもあるが , れらのほとんどは 19 世紀の建造で , 年以来 , 米国の公共演劇の一形式と の高い歌舞伎独得の劇場となった。 な川 ! ・一物岫 : を・「 , 、イい新 劇場上段左から古代 キ・リシアのディオニソ ス劇場 ( アテネ ) , 数次 の改造でギリシア式と ローマ式の折衷形式を 示す。小アジア ( 現在ト ノレコ ) のアスべンドス にある古代ローマの劇 場。下段左からイタリ ア・ルネサンス初期に 行なわれた , いわゆる テレンツ舞台 ノヾラテ・ イオ設計のオリンヒ。コ 劇場。シェークスピア と関係深いロンドンの グロープ座 ( 168 頃 ) jli. しは型ー ・ iiii iiiiijiil' 引生 三 " : ' ' " 0 " " " 00 " 、 " 0000 ⅲ朝Ⅲ川 ! 0 ;

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ケインズ 6 1 2 子病などで身体内に生した毒素が ともはやい時期に主張したことも知 日本では , 古く 6 世紀ころに獣毛 られる。著書はくインドの通貨と金 脳をおかしてけいれんを起こすこと で織物を作った記録があるが , これ 融〉く平和の経済的帰結〉く確率論〉 がある。てんかん性けいれんに対し はウサギやカモシカの毛であった。 く貨幣改革論 > く貨幣論〉く戦費調達 ては , フェノノヾノレビターノレ ( ノレミナー また古代に中国および朝鮮から移入 ルなど ) , ジフェニルヒダントインナ 論〉など。 された毛織物もあったが , 発展はし 〔大石〕 けおりもの毛織物獣毛で織っ トリウム ( アレビアチンなど ) などの抗 なかった。室町時代の末期には毛織 た織物の総称。ヒッジからとった けいれん剤が用いられる。〔田椽〕 物が渡来し , 安土 % 桃山時代には , / 羊毛が多く使用されるため , ふっ ケインズ John Maynard Keynes 南蛮渡来の服地が珍重された。ラシ 1883 ~ 1946 英国の経済学者。論理 う羊毛 ( ウール ) による織物をさす。 ャ , ラセイタ , ゴロフクレンなどと 学 , 経済学者 J. N. ケインズ ( 1852 ~ 羊毛以外の獣毛にはヤギ毛があり , 称する毛織服地である。江戸時代に ふつうのヤギのはか / モヘア , / カ 1949 ) の長男としてケンプリッジに は中国から数頭のヒッジを移入して シミアなどがある。また , ラクダの 飼育し , ラシャなどを織るのをこ 生まれ , ィートン , ケンプリッジ大 学に学ぶ。短期間のインド省勤務の 脱落毛 , ウサギ毛 , / アルバカ毛な ろみたこともあった。明治時代にな のち , 1908 年ケンプリッジ大学経済 どからも特色ある織物が作られる。 ると , 洋服の普及とともに毛織物の なお牛毛も混紡して下等な織物とし , 学講師 , 翌年同大学キングズ・カレ 需要も増し , 軍服として採用される 馬の尾毛は特別なしん地として用い ジの特殊研究員に選ばれた。 42 年男 ようになって毛織物工業が興った 爵となる。主著く雇用・利子および 現在では輸入原毛によって織物を作 られる 貨幣の一般理論 > ( 1936 ) は従来の価 〔沿革〕羊毛はすでに新石器時代か って国内需要をまかなっている。原 毛の消費量は米国 , 英国 , フランス , 格を中心概念とする経済理論に対し ら使用されていたらしく , 前 3500 ~ て , 国民所得を中心概念とする新し 前 3()0() 年と推定される出土品によっ ドイツ , イタリアに次いでいる。な お日本における毛織物生産高は 1963 て羊毛をつむぎ織ったことが認めら い理論体系を提示し , 経済学史上 「ケインズ革命」とよばれる大きな れている。前 1 世紀ごろにはすでに 年現在 35570 万 m2 である。 細毛糸によるつづれ織などすぐれた 変革をもたらした。彼は , 現代の経 〔種類〕毛織物は , その原料の種類 , 遺品がみられる。古代エジプトでは 仕上げ法 , 色がら一 , 用途などによって 済状況において , 完全雇用は自由放 麻織物が主であったが , 古代ギリシ 種々に分類されるが , 毛糸および毛 任のもとでの経済の自動的調整によ アやローマでは毛織物が用いられた 織物の製法や形態の上から , 梳毛 t ぅ ってはもはや達成されす , それは貨 しかし欧州で毛織物が盛んになった 織物と紡毛織物に大別する。 1 ) 梳毛 幣政策 , 財政政策などの周到な運営 のは 11 世紀ごろからで , イタリアを によってのみ保証されると考え , 織物比較的長い羊毛を平行になら はしめフランドル ( 現在のベルギー の思想を理論にまとめあげた。生涯 べて撚吉をかけた梳毛糸を織ったも やオランダの地方 ) ではすぐれた毛 にわたって数多くの時論風の小論文 の。表面に毛羽が少なく光沢があ 織物が作られた。英国は 14 ~ ] 6 世紀 り平滑な織物。サージ , ギャパジン , を発表し , また多くの経済問題に参 にいたって有名な毛織物の産地とな セル , モスリンなど ( 各項参照 ) がこ 画し , とくに両度の大戦中 , 英国戦 った。・その後 , 欧州全般に毛織物工 れである。 2 ) 紡毛織物比較的短い 時経済の遂行に大きな役割を果たし 業がひろがり , ヒッジの改良ととも 羊毛をあまり平行にならべることな た。さらに 19 年のノヾリ平和会議には に優秀な毛織物が作られるようにな く撚をかけて作った紡毛糸を織った 大蔵省首席代表として出席したが , もの。織り上げたのち , 縮充 ( 生地 対ドイツ賠償案の緩和を主張して辞 った。とくに 18 世紀後半に起こった を少しフェルトさせること ) によっ / 産業革命後の毛織物工業の発展は 任した。また 44 年にはプレトン・ウ めざましく , アメリカ大陸への輸出 て織り目をつめ , 表面を起毛し , あ ッズ会議に英代表として出席 , 戦後 品として巨利をえた。現在も英国は 世界通貨の再建に大きな貢献をした。 るものは毛羽を切りそろえたり , ま また金本位制の無意味なことをもっ 毛織物工業の代表国となっている。 たあるものは長い毛羽を残したりし て仕上げる。ラシャ , メルトン , ド スキン , ツィード , フランネル , 毛 布など ( 各項参照 ) はこれである。 染色の工程によって区分すると , 先染物と後染物とに分類される。 1 ) 先染物羊毛繊維を染色したのち紡 績し , 残り仕上げするものが多く , 服地類に応用され , 高級の毛織物を 作ることができる。 2 ) 後染物織り 上げてから染色するので , 無地染め となり , 一般実用毛織物に利用され ている。 また , 原料の用法によって分類す ると , 純毛織物と混用毛織物に分け られる。混用毛織物には混紡毛織物 , 交然毛織物 , 交織毛織物がある。 1 ) 混紡毛織物羊毛を主成分として , もめん , レーヨン , ナイロン , アク リル繊維 , ポリエステル繊維などを 混紡したもの , 2 ) 交撚毛織物羊毛 糸と絹糸 , 綿糸 , 化繊糸類をより合 わした糸で織ったもの , 3 ) 交織毛織 物羊毛糸と綿糸 , 化繊糸などをた て糸またはよこ糸に交ぜ織ったもの である。 〔性状〕毛織物は , 羊毛繊維の特性 ケインズ 毛織物ができるまで。 上 2 枚は梳毛織物の工 程。上左は刈りとった 羊毛を選別するところ。 これをすいて , ちりや 短い毛を除き , なわの ような篠 ( しの ) を作 り , 篠を丸く巻いてト ップを作る。上右はト ップから糸を引き出し てさらに細い篠にする 工程。これをくりかえ して細くなめらかな糸 を作る。下左は紡毛織 物を作るため , ます羊 毛をこまかくほぐす工 程。下右は多くの糸巻 から糸を引き出して織 機のビームに巻きとる ところ。梳毛も紡毛も こうして織機にかけて 毛織物に織るのである

10. 国民百科事典2

ガッキ 婦女弾琴図 ( 信方筆 ) 文禄慶長時代の初期洋 画作品の一つで , 楽器 は当時欧州で流行した 楽器のリュートである 1 0 4 ダ・がンバ系が高音域から低音域ま 各音楽文化圏で異なっている。 1 ) 西アジア西アジアの楽器の大部 で種々用いられたが , バロック時代 にはノヾイオリン属の楽器に圧倒され 分は , 中世から近世初期にかけて発 ていった。しかし低音域の楽器は通 達した欧州の楽器の原型となったも 奏低音用になお広く用いられ , 独奏 のカ { 多い。たとえは、ピアノ , ノ、一プ シコードなどはカーヌーンあるいは 曲も書かれている。ビオラ・ダ・が サントウールという板の上に多くの ンバ系の楽器は 4 度調弦を基軸と 弦を張った楽器から , し , 通常 6 弦だが , それ以上の弦を ノヾイオリンは ルバープという弓奏楽器から , また 持つものもある。 16 世紀後半にはビ ギターやリ トはウードという撥 オラ・ダ・プラッチョ系の楽器の改 当 弦楽器から , チンノヾニはナッカラと 良でバイオリン属の楽器が製造され , いう 1 対の太鼓からといったぐあい 間もなく楽器の中心的存在になった。 である。これらはすべて現在の西ア 18 世紀はまたこれまでのクラビコー ジア諸国で使用されており , そのほ ドが現在のピアノに移り変わる時代 かスールネイという管楽器 , ダラブ 薹 でもある。管楽器の分野では 15 ~ 16 1 タイのソー・サム・ ッカという太鼓などがひろく用いら 世紀にかけての器楽合奏でレコーダ サイ。 3 弦の擦弦楽器。 れ , また多少国によって使用楽器や ーの一属が弦楽器をしのぐ活躍をみ 2 もっとも古い管楽器 展をみるのは中 - 世末期からルネサン 楽器名も違っている。 2 ) インドイ せたが , 17 世紀後半には衰え , バロ の一一一 ) ノ、ンノヾイフ。ス。 これはベルーのクスコ ス以後で 15 ~ 17 世紀にかけていろい ンド古来の楽器は , ビーナという撥 ック以後はむしろフルートをはじめ の′ヾウカルタンボの踊 ろの楽器群がほとんど面目を一新す 弦楽器 , ムリダンがムという太鼓 , オーポエ属やフアゴット属の諸楽器 りのもの。 3 イスラム ・・ヾンスリという竹笛などで , 主とし る。 18 世紀になると現在の管弦楽で がこれにとって代わる。 18 世紀にな の弦楽器カーヌーン。 て南インドで今日でも用いられてい 用いられる重要な楽器ははとんど出 るとシャリュモーを原型としてクラ 3 弦を 1 音に調律しふ そろうといってもよい。またバロッ る。しかし北インドでは , インド古 リネットカゞ生まれる。このころには つう 24 音くらい。つめ ク時代には , 鍵盤付打弦楽器のクラ 美しい音色のオーポエ・ダモーレ ( 小 来のものと , 中世以来影響をうけた のある指輪をはめて両 手で奏する。 4 コンゴ ビコードや鍵盤付撥弦楽器のハープ 西アジアの楽器との融合によって , 形のイングリッシュ・ホーン ) が愛用 原住民の音楽隊。左方 シタール , およびサロッドという撥 シコード ( クラブサン , チェンノヾロ された。打楽器は 19 世紀にチンノヾニ は太鼓で , 右方はパラ 弦楽器 , サーランギという弓奏楽器 バージナル , スピネッタも同系統の の機構が改良され , 管弦楽の表現力 フォンという打楽器。 タブラーという 1 対の太鼓などカ { 主 楽器 ) が広く用いられた。擦弦楽器 が著しく増大した。 〔前田〕 5 中国の奏楽 ( 敦煌壁 として用いられる。 3 ) 東南アジア では 15 世紀ごろまで存続した中世の 〔東洋の楽器〕東洋では多くの楽器 画の部分 ) 。上は左より 東南アジアは , インドネシアのガム が使用されているが , 欧州諸国のよ レベックがリュートやギターの影 簫 ( しよう ) , 阮咸 ( げ ランによって代表されるように , 各 んかん ) , 箜 ( くご ) , 響をうけ , ビオル属となる。ビオル うに音楽文化の交流がつねに盛んで 下は左より拍板 , 縦笛 , なく , 主として東アジアでは古代 , 種の打楽器によって , リズムばかり 属はビオラ・ダ・プラッチョ系統と 笙。 6 チベットのラマ 西アジアでは中世に部分的な交流を でなく旋律を奏するものが多い。タ ビオラ・タ、、・がンバ系統の楽器に大 教寺院の儀式用の長大 みたので , 楽器の種類やその発達は イ , ビルマ , カンボジア , ベトナム 別され , ルネサンス時代にはビオラ・ なラグドゥーン などには互いに強く影響しあった宮 廷音楽があり , インドネシアとの関 係も深い。ただビルマはインドから の影響がもっとも強く , 調律した太 鼓のサイン・ワインや , インド系の 管楽器なども使用され , また仏教時 代のハープであるサウンも使用され ている。ただ同しような楽器も国に よって名称が異なり , 木琴 ( または 00 竹琴 ) は , ビルマではノヾッタラー タイではラナート , インドネシアで はガンノヾンとよばれ , インドネシア のゴングは , タイでコーン , ビノレマで モンという。 4 ) 中国中国は東アジ アでもっとも古くから楽器を発達さ せた国で , 古代からそれらを材料に よって 8 種に分類していた。すなわ ち , 金 ( 鐘など ) , 石 ( 磬こという調律 された石をたたくものなど ) , 糸 ( 琴 や瑟などの弦楽器 ) , 竹 ( 笛 ) , 匏 ( 笙 ) , 土 ( 殞という土笛 ) , 革 ( 太鼓 類 ) , 木 ( 棍ドとか敝 : という木製の打 楽器 ) の 8 種で , 総称して八音といっ 4 た。しかし中世以来 , 西アジアの影 響もうけて , 胡琴ん ( 胡弓 ) という弓 々 奏楽器や , 楊琴 ( 洋琴 ) という板に多 くの弦を張ったものなども用いられ , これらも含めて朝鮮や日本に多くの 影響を与えた。 5 ) 日本日本の楽器 の大部分は中国からきたものである。 楽器の点からみれば , 日本は完全に 中国音楽文化圏にはいる。雅楽の笙 , 1 0