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1. 国民百科事典2

カサネ 4 7 いう。山上の笠置寺 ( 新義真言宗 ) は 盗難による損害などをてん補しない 伝達する装置。感知器はふつう天井 , 火災保険 ( 補 ) 1961 年 こととしている。 , こでいう火災と 鹿路寺と号し , 後醍醐天皇が元弘の から実施された火災保 軒下などに取り付けられ , 機能的に 険の一種に住宅総合保 変で 1331 年ここに挙兵して六波羅軍 日吊の使用の範囲をこえた火 熱式 , 光学式 , イオン式に分類され 険がある。これは 1 枚 で , 自然に火勢の増大する状態にあ と戦ったが落城 , 堂塔は焼失した。 る。熱式感知器は温度変化を利用し の証券で住宅に予想さ この火災によって たもので , 一定温度になると動作す るもの」をいう。 山中に石仏や行宮咎跡 , 元弘の変の れる 10 種の危険 ( 火災 , 保険の目的に損害が生したときの支 る定温式 , 急激な温度変化で動作す 史跡などがある。ふもとに門前町の 落雷 , 爆発・破裂 , 車 払保険金額は , 保険価額 ( 損害発生 笠置町 ( 人口 2942 , 1965 ) が発達し , 北 る差動式がある。また構造上 , 空気 両の衝突・接触 , 航空 時の保険の目的の時価 ) に対する保 機のつい落・接触・落 の膨張による空気管式 , 金属の膨張 〔門村〕 ろくに笠置鉱泉がある。 下物 , 騒しよう・労働 や溶融によるスポット式 , 熱起電力 険金額の割合を損害額に乗して算出 かざぐるま / クレマチス 争議にともなう暴行 , による分布式などがある。光学式感 される。たとえば , 時価 1000 万円の かさごメバル科の魚。東京でカ 盗難 , 以上による傷害 知器は出火による煙の濃度が一定の 家屋に 800 万円の保険をかけ , 火災 サゴ , 関西でガシラという。背びれ 費用 , 臨時費用 . 風水 値になると , 光電管によって動作す 12 棘 12 軟条 , しりびれ 3 棘 5 軟条 , によって 600 万円の損害を生した場 害 ) を包括的に担保する る。イオン式感知器はラジウムで空 合の支払額は 480 万円となる。した 体はたいへん美しい黄赤色で , 淡か ものである。また 62 年 っ色または黄色みの強い班紋をもつ。 がって , 保険金額が保険価額より少 気を電離しておき , 出火により燃焼 から実施された店舗総 合保険も , 住宅の場合 浅海にすむものは体色がきたなく見 ガ、スが発生すると , 電離された空気 ないときには , 上記のように 損害 と同様に , 店舗に予想 保険金額 えるため , 神奈川県三崎 ( 三浦市 ) で の抵抗値が変化することにより動作 が支保険金となるが , 保険価額 される危険を担保する 逆に保険金額が保険価額を越えて する。 はツラアラワズという。体長は 20cm ものであるが , 商品の 〔手動火災報知機〕発信機のボタン いるときには , 損害額が限度とな くらい。日本沿岸いたるところに生 盗難損害は除外される。 る。火災保険料率は合理的でしか を手で操作して信号を伝達するもの。 息し , 日本以外には分布していない も公正に定められることが要請され 市街地に公設されているものは数十 ようである。卵胎生魚で 12 ~ 4 月に るが , 日本では損害保険料率算定会 多くの小さい子を産む。冬季美味で の発信機が 1 回路の電線で結ばれ , が算出し , 大蔵省の認可を受けた料 あって , 塩焼きや煮つけなどにして ボタンを押すと同時に消防署の受信 率を全保険会社が使用しており , 会 食べる。 盤に , その位置が数字で表示される 〔安田〕 社間に料率の差はない。近年欧米諸 ようになっている。 〔金井〕 国では火災保検も社会各方面の需要 かさいほけん火災保険火災に に応して進化しているが , 最近は日 よって生した損害をてん補する保険。 本でも種々新方式の保険が案出され 火災保険は , 中世紀ドイツに起こ ている。たとえば契約方式にくふう た火災ギルドと称する共済制度に起 を加え , 実態に応して合理的に保険 原を求めるのが通説であるが , 近代 的火災保険制度の創始は , 1666 年の をかけることを可能にする保険 , ま た爆発 , 風水害 , 地震などによる損 かささぎカラス科の鳥で , 北ア ロンドン大火を契機として英国の医 者ニコラス・ノヾーポン N i c 0 la s Ba r - 害をもてん補する保険 , さらには火 フリカ , ヨーロッノヾ , 温帯地方のア b 。 n ( 1640 頃 ~ 98 ) が個人ではしめた 災による直接損害だけでなく , 間接 ジアなどに分布する。カラスより小 火災保険であるとされている。火災 的な損害たとえば事業の休業中の収 さい。白と黒の配色がめだつが , 翼 保険制度は , その後経済の発展とと 益を保障する保険などがそれである。 や尾は強い光沢があり , ぬれ羽色で もに英国 , 米国 , ドイツ , フランス ある。留鳥で粗林 , 村落 , 市街など / 保険 など各国で発達した。日本では , 明 におり , 3 ~ 5 月樹上に巣をつくり , かさおか笠岡〔市〕岡山県南西 治初年外国保険会社が代理店を設け 6 ~ 8 個の卵を産む。巣は枯れ枝を 部の中心的商業都市で , 瀬戸内海の 保険業務を扱っていたが , 1887 年に 組み泥土を塗ってつくる。小鳥の巣 30 の島々も含む。 1952 年市制 , 人口 は日本最初の火災保険会社東京火災 を襲って , ひなや卵を食べたり果樹 63778 ( 1965 ) 。真言宗大仙院の門前 保険会社が設立された。その後 , 保 を害するので , 害のはうが大きい。 町として発達し , 1773 年代官が在陣 険事業の免許制度の採用など種々の 朝鮮や台湾に多く , 日本には対馬計 してから繁栄した。モモ , ナシ , イ 施策によって発達し , 現在では各種 にいる。また古く朝鮮から移入され チジクの集散地で , 特産に麦桿真田 新方式の火災保険を続々実施するに て北九州の平野にいついており , そ ばっかん 家具 , ハッカがある。神ノ島は さなだ の生息地は 1923 年天然記念物に指定 いたってし、る 硫安 , 北木島は石材を産し , 北木 , 真鍋 , 白石の各島では四季の草花が された。 〔高島〕 火災保険は火災の生する客体によ 栽培される。市街西方の金浦湾には って不動産保険 ( 住宅 , 店舗 , 倉庫 , 「生きている化石」 / カプトガニ ( 天 工場 , 社寺 , 学校 , 病院などの建物 然記念物 ) が生息する。 〔赤木〕 と森林 ) と動産保険 ( 家財 , 商品 , 工 かさぎやま笠置山京都府相 場内の材料 , 製品 , 機械など ) に分け 楽郡笠置町の南部 , 木津川の谷に られる。また日本では , 契約内容か のぞむ笠置山地に属する山。鹿鷺山 ら普通火災保険と簡易火災保険 ( / ともいう。笠置山地は , 花コウ岩の 簡易保険 ) に区別している。 基盤を侵食してできた隆起準平原で , 火災保険では , 原因のいかんを問 わす火災によって生した損害および 京都府南東部から奈良県の奈良盆地 消防または避難に必要な処分によっ 東部までのびる断層山地である。け て生した損害をてん補するのが原則 わしい地形であり , 上代文化の中心 である。しかし商法では , 戦争その に近いわりには , 木津川流域以外は 開拓がおくれ , 未開発の農村もある。 他の事変による損害 , 保険の目的固 かさね襲 , 重ねー般に衣服を 笠置山は高さ 290 rn の低山ではある 有の性質による損害 ( 主として商品 かさわて着ること。そのかさねたき が , 山体をつくる花コウ岩の風化に ものや , その重ねの / 色目′をも重 や原料などに多く , それ自体の欠点に より奇岩 , 巨岩が露出し , けわしい よって火災が起こったような場合の ねとよんでいる。平安朝の上流婦人 山形を示す。大友皇子懿とがこの山 の服装は十二単の名でわかるよう 損害 ) , 被保険者の悪意重過失による に狩猟したとき , いすれ弥勒菩薩 損害は免責としている。さらに実際 に , 幾枚ものきもの ( 袿 : ち ) を重ねて の像を彫ろうと , 目しるしに岩上に 着て , 縁にあらわれるさまざまの配 の普通契約では , 地震 , 噴火による 笠を置いたので , 笠置とよばれたと 色を楽しみ , これを重ねの色目とい 火災損害 , 爆発の損害 , . 火災の際の カサゴ カササギ

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キタガワウ 3 5 4 こでは最狭義の北九州市工業地帯 大谷の金 , 北部一帯のマンガンなど あせた作品しか製作できす , 質的低 下を救うべく美人画以外の作品にも に限定する。 があり , 北上川特別総合開・発地域に 1964 年現在 , 工場数約 21 ( ) ( ) , 従業 手をひろげた。 1804 年く絵本太閤記〉 〔谷口〕 含まれている。 員約 13 万 , 年間出荷額 55 ( ) 2 億円で , きたがわうたまろ喜多川歌麿 に取材したく太閤五妻洛東遊観〉の 工業出荷額は福岡県全体の 59.6 % , ため投獄の厄にあい , 心身疲労して 1753 ~ 1806 浮世絵の代表的美人画 全国の 2. 2 % ( 1962 ) を占める。城下 作風は衰え , 06 年病没した。 / ( 別 家。父母は知られす , 出生地に関し 町小倉を除き , 一帯は小農漁村であ 刷 ) 浮世絵 〔楢崎〕 ても武州川越説 , 栃木説 , 京都説 , ったが , 産業近代化とともに石炭需 きたきゅうしゅう北九州〔市〕 江戸説などあって明らかでない。北 要が増大したので明治 20 年代から筑 九州の北端 , 福岡県の市。 1963 年 / 川 ( 喜多川 ) 氏 , 名は信美 , 幼名市太 豊炭田の本格的開発が始まり , ます 小倉 , / 戸畑 , / 門司 , / 八幡 , 郎 , 勇助という。狩野派の画家鳥山 門司と若松がその積出港となった。 / 若松の 5 市が合併して成立 , 旧 5 石燕に学び , 北川豊章と称して 1775 市は区になった。人口 1042388 ( 1965 ) 次いで日清戦争直後 , 筑豊炭を利用 年以後役者絵や黄表紙洒落本れの で日本第 7 の大都市。かって , 城下 し , 軍需生産を主目的とする官営八 さし絵などを発表した。 1782 年ころ 町の小倉を除けば小さな農漁村にす 幡製鉄所 ( 1901 操業開始 ) が設置され 歌麿と改め , 版元蔦屋重三郎の援護 ぎなかったが , 明治中期から急速に た。大陸からの原料入手に便利であ を受けるに及び急速な進歩をとげ , 美人画に専心して清長あるいは重政 , 発展して日本の大工業地帯の一つと り , 水路および埋立て用地としての なり , 関門海峡から洞海湾の奧へ続 洞海湾の存在など好条件に恵まれて , 春章ふうの版画を描いた。また , 天明 寛政ごろ ( 1781 ~ 1801 ) は江戸狂歌の く旧 5 市の市街地が発達した。鹿児 製鉄所は日露戦争以来大拡張され , 島本線 , 日豊本線 , 筑豊本線 , 日田 関連の諸工業も発達した。一方 , 筑 最盛期であるが , 歌麿はこの狂歌本 をすぐれたさし絵で飾り , つぎつぎ 彦山線 , 西日本鉄道の電車が通しる 豊炭田の開発およびそれと結びつく ほか , 下関間や洞海湾内に船便があ に豪華絵本を蔦屋から出版した。く絵 関門 , 洞海の港湾施設 , また豊富な る。産業別の人口構成 ( 1960 ) では製 石灰石の産出などに関連した建設資 本虫撰〉く絵本狂月望〉く汐干のっと〉 く百千鳥狂歌合 > などは代表作で , 彼 造業 28.5 % が首位で , 商業 18.8 % , 材 , 食品工業も製鉄所とは直接の関 サービス 14.7 % , 運輸 , 通信 , 公益 の鳥獣虫魚 , 花鳥における写生の精 係なく発達した。以上の 2 系統が相 細さと , その木版による表現の優秀 互に関連しながら大工業地帯を築き 12 % , 建設 11.6 % , 農林水産 4.9 % の さは驚くべきものである。けれども この点 , 地元の商業資本を 順で続き , 生産所得 ( 1961 ) では製造 あげた。 歌麿の盛名が浮世絵界を圧倒したの 基盤として繊維などの軽工業から出 業が全体の 53.5 % を占める。関門海 は , 実に彼の美人版画においての新 発し , しだいに機械 , 鉄鋼 , 化学な 峡から洞海湾にかけての沿岸を中心 様の創造であった。すなわち , 寛政 どの重化学工業を発達させたほかの に , 八幡製鉄 , 三菱化成 , 住友金属 大工業地帯とは著しく異なり , それ にはいるや , 先人の模倣を脱却して その他大小約 20 ( ) ( ) の工場が密集し , が大資本の巨大工場による素材生産 独自の境を開き , 難波屋おきた , 約 13 万 300 ( ) 人が働いている。 1964 年 的な重化学工業が絶対的に優勢であ の工業出荷額は 5502 億円 , そのうち 高島屋おひさなど評判の美人をモデ るという工業構成の特異性を生み出 ルに女性美を写し , く歌撰恋の部 > く婦 鉄鋼 48.5 % , 化学 12. 1 % などの重化 学工業が 78.8 % に達し , セメントな した。出荷額 ( 1964 ) では鉄鋼 48.5 % , 女人相十品〉く婦人相学十体〉く青楼 十・二時〉く娘日時計 > く北国五色墨〉 どの窯業を加えると 83.4 % におよぶ。 化学 12. 1 % , 食料品 9. 9 % , 窯業 , 土 食料品を除く軽工業と , 機械 , 電機 , く錦織歌麿型新模様 > などのそろい 石 8.6 % , 金属 4.1 % , 電機 2.7 % , 機械 2.6 % の順。全国生産に占める比率 ものを初め , 数百種の錦絵を版行し 輸送機などの加工組立工業はそれは た。大首絵と称する上半身や顔面を も銑鉄 28 % , 粗鋼 23 % , 板がラス 24 ど発達していなく , 著しく素材生産 % , ソーダ灰 25 % , セメント 1 ( ) % と , 描くことは彼の創始であり , また雲 にかたよっている。また全体的には 生産財的な重化学関係が高く , 食料 母摺などの豪華な背色を用いた 少数大企業が占める比重が圧倒的に 大きく , 中小企業のかなり多くが大 品を除く軽工業と機械工業が低い。 これらは清長美人の姿態美 , 服飾美 企業の下請けを行なっている。近年 に対し , 顔かたちの美しさの表現であ 筑豊炭田および大陸市場を基盤と 北九州工業地帯の停滞がめだち , 道 り , 美人を塗りつぶした背景に浮か して軍需生産を中心に発達してきた び上がらせ”女性美そのものを追求 路 , 港湾 , 用地 , 用水 , 住宅など 5 北九州工業地帯は , 最近の技術革新 による動力 , 化学原料源の石炭から したのであった。また色数を制限し , 市合併以前からの解決すべき問題が 巧みな色面構成によって少ない色彩 残っており , そのため市では市民も 石油 , 天然ガスへの転換 , 第一 . 次大 参加して , 生活環境の整備 , 生産基 戦後の国際関係の変化に伴う大陸貿 で効果を高めている。彼の美人画は 易の中断 , 筑豊炭田の老朽化と石炭 盤の整備を二大支柱とするマスター 一世を風靡まうし , 浮世絵芸術の頂点 喜多川歌麿 1783 年刊 のコスト高などで立地条件が悪化し プラン ( 長期総合計画 ) をつくり , 理 として多大の追随者を出したが , し 行の黄表紙く啌多 ( う た。そのうえ , 大工場が密集してい 想的な百万都市づくりにとりくんで だいに乱作に流れてマンネリズムに そしつかり ) 雁取帳〉 るため新エ場用地が乏しく , 工業用 いる。関門トンネル , 若戸大橋 , 和布 陥り , 寛政末期以後は , ほとんど色 に描かれているさし絵 水も不足し , 道路が貧弱であるなど 利公園 , カルスト高原の平尾台 , の難点がある。また特異な成立過程 小倉城 , 世倉山 , 高塔山などの名所 のために加工度の高い機械や石油化 があり , また五つの大学 , 朝日 , 毎 学 , 化繊など , 近年成長のめざまし 日両新聞の西部本社 , テレビ局 4 , 〔土井〕 い工業部門を欠くなどで , 相対的な ラジオ局 3 などがある。 伸びなやみが目だっ。そのため , 福 きたきゅうしゅうこうぎようちた 岡県は工業出荷額で戦前 ( 1935 ) に全 北九州工業地帯九州北部にあ 国の 8.3 % ( 4 位 ) を占めたが , 55 年 る日本の大工業地帯の一つ。範囲は 4.7 % ( 6 位 ) , 66 年 ( 3.5 % ) には 7 位 一定せす , 1 ) 南九州に対し福岡県を となり , かっての京浜 , 阪神 , 中京と 中心に佐賀 , 長崎 , 大分の各県に分 ルぶ四大工業地帯の地位から完全に 散する工業圏 , 2 ) 関門海峡 , 洞海湾 脱落した。しかし関門国道トンネル の沿岸から筑豊を含む工業圏 , 3 ) そ ( 1958 完成 ) , 若戸大橋 ( 1962 完成 ) を れらの中核をなす北九州市 ( 門司 , 含む輸送体系の整備拡充と工業用水 小倉 , 八幡 , 戸畑 , 若松 ) 臨海重化学 の確保を主眼とする「北九州特定地 工業地帯など、いろいろであるが , 0

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キョウシキ トが搾取階級たるプルジョアジーか ら自己を解放することによって全社 会を解放するという基本的視角から , 全 4 章のうちに社会発展の一般法則 とプロレタリアートの形成 , 封建的 , 小市民的 , プルジョア的社会主義 , ドイツ的な「真正」社会主義批判 , 共産主義者の実践的綱領を述べ , 共 産主義革命の構想を描いている。 〔前野〕 きようしきよく狂詩曲ラブソ ディ—rhapsody の訳語。自由形式 の器楽曲の一種。もとギリシアの叙 事詩の一部分を意味するが , ふつう はルネサンス以降に生まれた幻想曲 ふうの曲をいう。とくに 19 世紀に有 名なものが多く , リストのくハンが リー狂詩曲 > のはか , ラロ , ドボル ジャクらの作品が著名である。なお , プラームスのくアルト・ラブソディ ー〉は , 声楽の狂詩曲作品の例である。 〔海老沢〕 ぎようしよう行商一定の地に 店舗を持たず , みすから商品を携え て各地を売り歩く商人。一般には小 規模 , 近距離のよび売り人 , ばてふ り , ふり売り人などとは区別して , 広範囲 , 遠距離にわたるものをいう。 〔歴史〕く日本書紀 > の雄略紀に , 播 磨の国で商客の荷船が海賊に襲われ た記述があり , 欽明紀には , 山背 の国の住人が伊勢に行商して富豪と なった記述があるが , これらの行商 は偶発的なものであった。奈良 , 平 安時代には , 交易の場として発生し た市とともに , 行商は重要な商業形 態となり , 京都と地方を結ぶもの , 地方相互間のもの , 各地の市と市を 結ぶものなどが現われ , 行商人は 「ひさぎめ , ひさぎびと ( 販婦 , 販夫 ) 」 とよばれた。「ひさぎ」とは「提げ」 で , 商品を手にさげて売り歩いたと ころから起こり , 転じて販売という 意味になった。行商では婦人の活躍 がめざましく , ーっの特色をなして いるが , ひさぎめはしばしば商品を いまでも京 頭に載せて売り歩いた 都付近の大原女牆などが , 頭上に載 せて行商しているが , 婦人の頭上運 搬は地方によっては「いただき」と も称する。「おたた」と称する松山市 付近の松前の婦人の魚売りなどは原 始的な行商の姿を示すもので , やは り頭上運搬である。また商人を「あ きびと」「あきうど」「あきんど」と よのも , 行商人から起こった語で あるという。「あき」は秋で , 農家が 秋の収穫を終えて仕事が暇になり , 購買力が十分にできたころを見計ら って , 行商人が訪れるのをつねとし たので , 「秋人」とよばれた。その取 引は , いわゆる「出来秋の秋ない」 で , 「ない」は行ない , 荷ないの「な い」と同し語法である。鎌倉時代か ら室町時代にかけて , 商工業者が朝 廷 , 貴族 , 社寺などの保護を受けて 4 0 8 / 座を結成し , 一定商品の販売 , 製 造上の独占権を得て活躍するに伴い , 行商もいよいよ盛んになって , 東は 奧州から西は九州まで , 全国を往来 する遠隔地行商も生まれてきた。 のころの行商人を連雀く商人とよ んだのは , 連雀という一種の背負い 具や , 千朶櫃だを背負って商品を 売り歩いたからで , 彼らは当時の社 会状態から , 自衛上っねに武装して 隊商を組んでいた。山崎天王山のふ もとに座をかまえ , 備後から三河ま で , 各地にエゴマの油を販売した油 商人は , 巨額の富を蓄積し , 豊臣秀 吉と明智光秀の天王山の戦いは , と りもなおさす山崎油座の資金争奪戦 にほかならなかった。また高野聖ま のような練りこうやくを行商して歩 く僧なども存在した。中世から近世 にかけて , 商品流通は全国的発展を 示したが , 行商の組織も全国的なも のとなった。それを代表するのが近 江商人と富山の売薬商人である。 近江商人は「千両天秤」というこ とばが示すように , よく旅の困苦に 耐えて勤倹力行 , 全国にくまなく商 路を開き , 大いに産をなして , その 地に店舗を構えるものもあった。富 山の売薬商人は , 小者濡と称する旅 出奉公人を使い , 配置売薬という独 特の掛売り方法で , 全国に足をのば して利益をあげた。また越後の毒消 し売りは , 日用品販売のかたわら食 中毒用の丸薬を売り歩いた。江戸時 代の行商人はしばしば商売のサービ スに歌や踊り , 居合抜き , 役者の声 色などの余興を演じたため , 各地 の芸能の交流 , 大道芸の発達に少な からぬ役割を果たした。 行商の特色として , その取引先は 年々変わらす , 固定している傾向が 強かった。ふつう取引先を「とくい」 という。行商人は互いにとくい先を 荒らすのをつつしみ , それを財産と 考えていた。また行商の訪れる時期 が , はば一定していたところから , 出来秋とか歳暮にまとめて勘定する という , 掛売りがふつうとなってい た。行商は明治以後急速に衰えたが , 現在なお辺地の農村などでは , その 存在がちょうほうがられている。 〔平野〕 きようしんざい強心剤心臓の 働きが悪くなったのを調整し回復さ せるための薬。これには心臓に直接 作用するばかリでなく血管にも作用 して効果をあらわす薬がある。 / ジ ギタリスの葉は心、臓だけに作用する 代表的な薬で , 現在もっともよく使 われる強心剤となっている。成分の 化学性からみて , ジギタリス配糖体 と似た種類のものを強心配糖体とよ このような成分を含んだ薬用 」くカ { 植物としてストロファンツス ( キョ ウチクトウ科の 1 種 ) , カイソウ ( 海 葱 ) , キョウチクトウ , オモト , ス ズランなどがあり , それらから製剤 されている。ヒキガ工ルの皮膚から 分泌される液を固めたせんそ ( 蟾酥 ) にも似た成分が含まれている。心臓 , 血管にともに作用する薬は / アドレ ナリン , カンフル ( / ショウノウ ) , アミノコノレジン , / カフェイン , テ オプロミン , テオフィリンなどであ る。これらはそれぞれちがった働き 方で強心効果をあらわす。〔宮木〕 きようしんしよう狭心症胸が 絞めつけられるような痛みが突然に 起こる症状をいい 一定の病名では ない。胸骨下部のうしろ側に発して 左肩や左手先のほうに放散すること が多い。しかし , 放散しないものも 相当にあるし , また両手に放散する ほど激しいものもある。ときには心 窩い部や心臓前面に痛みの起こるも のもある。ふつうは数分間でおさま るが , その短い間に今にも死ぬよう な不安感に脅かされる。しかし , 鈍 感な人はろっ間神経痛ぐらいに軽く 考えていることもある。一般に痛み というものは主観的なもので , 単純 な異常感 , 圧迫感から激烈なものま でさまざまの程度がある。発作は朝 , 勤めの出がけに玄関先で , また冷た い風に向かって歩いているときなど に突然に起こる。発作中は顔面そう 白になり , ひや汗を出す。そして立 ち止まり痛みをがまんし , 息を止め て痛みのひくのを待つのか、ふつうで ある。 こうした運動時狭心症のはか に , 夜間就寝中に発作の起きる安静 時狭心症とよばれるものもある。発 作が 15 分以上続くときは急性の / 心筋 梗塞症と区別しなくてはならない。 痛みの成因は心臓を養う冠動脈の 酸素欠乏に対する反応によるとされ ている。つまり , 狭心症は急性冠 ( 動 脈 ) 不全の一症状であって , 慢性冠 不全では胸痛が持続するわけではな い。後者の場合では , それを上回っ てさらに酸素欠乏が起こりやすく したがって発作を起こしやすいとい うことになる。実際には慢性冠不全 の存在が / 心電図にみられなくとも , 冠動脈硬化を有することの多い 40 歳 以上の男子に起こりがちである。心 臓に急に負担がかかったとき , 硬化 した冠動脈はただちに調節により拡 張して血流量を増すことができす , 心臓は酸素欠乏に陥る。そのはか , 貧血の人でも運動狭心症を起こすこ とがある。やっと血流量を増すこと により酸素を得ていた心臓は運動時 にもはや冠動脈をさらに拡張する余 地がないわけである。また / 心臓弁 膜症でも発作は起こる。したがって / 心不全による胸内苦悶蹶や呼吸困 難発作と狭心症とを区別することは むすかしい。狭心症の発作中に心電 図をとると変化が認められるが , わ すか 2 ~ 3 分間の発作をうまくとら えることは困難である。発作時外で

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撮影・薗部澄 見る .. 先斗町は賀茂川べりに発達した茶屋町である われる歌舞練場の上から先斗 ( は。んど ) 町の家並みを / 、トの遊ぶ境内ははこりっぽい . 、下鴨川踊りの行な 本で最も高い塔を仰ぐ九条の工業地帯が近いためか , ある史跡が多いつ上東寺の塔。講堂の軒下から , 日 なびた趣を残す数少ないごころ。平家ー門にゆかりの 左秋の大原 . , 高野川に沿う大原の里は昔の洛外のひ

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5 8 使用されて , 技術が発達した。 14 世 れぞれのかし取り号令が用いられる。 ビア地方から砂糖がもたらされた。 紀にはしめて宋の林浄因によって饅 かし取りは大きな船では機械力を用 ウインに残る記録によれば , 1333 いる。かしにはいろいろな種類があ 頭うが伝えられ , 蒸し菓子が茶道の 年に初めて白い砂糖が製造されたと る。昔はほとんどの商船が単板かし 点心の代表となった。また精巧な干 ある。 17 世紀は料理が発達した時 を使っていたカ { , 最近のシンプレッ 菓子や棹物も現われた。次いで安 代であるが , 菓子の類も豊富になっ クスかしのように断面を流線形にす 土桃山時代になると , ポルトがル た。しかしノヾバロア ( クリーム菓子 ) , 人らによって南蛮菓子が渡来した れば , かしをわすかに回したときの べニエ ( 揚げ菓子 ) , プディング , ア また砂糖も輸入され , 新しい製菓技 ききめが著しく改良され , 抵抗も少 イスクリームなど料理に属する甘味 術が伝わり , その後の日本の菓子に なくなる。スクリュープロペラか・ 1 品で , いわゆる小麦粉のこわ菓子 ( ノ 大きな影響を与えた。南蛮菓子の品 個の商船には , 上半部と下半部が別 スチリ ) の発達とは別のものとの説 目はひじように多かったが , 日本人 もある。これとは別に宗教的な起原 な断面形をした反動かしがひろく用 の好みに合わすに消えたものも多く , による祝い菓子も発展し , これが大 いられる。これはプロペラ ( 右回り ) カステラ , 金平糖 , 有平糖 , ポ 形のデコレーションケーキの発達を から出る流れが , かじの上半部 ( プ うながすようになった。復活祭の菓 ロペラの軸心より上 ) には左から , ーーロ , ビスケット , カノレメラ , ノヾン などが代表的である。江戸時代にな かしの下半部では右から入りこんで 子 , クリスマスの菓子は果実やクリ ると砂糖の国内生産に伴って大いに くるので , それぞれのかしの断面の ームではなやかに飾られた。 これは 発達した。なかでも京都には菓子屋 中世のころには素朴な供え物であっ 翼形のため揚力が生し , そのため前 の数が多く , 鑑賞用の上菓子が作ら 進方向に力が働いて , かしの抵抗を た。 18 世紀の初めからフランスでは ーくニエ , ゴーフノレ ( ワッフノレ」、うの菓 ひしように小さくできる。〔岩井〕 れ京菓子とよばれた。京菓子の技術 は江戸にも伝えられ , 江戸特有の庶 子 ) , プリオッシュ ( 酵母をませたノト かじ火事火事または火災は人 麦粉の焼き菜子 ) などが考案され , 民的な菓子が創製された。桜餅 , 金 の意図に反し , あるいは放火によっ 鍔ら往 , 大福 , 塩瀬饅頭などである。 またクレームシャンチー ( 生クリーム て建造物 , 車両 , 船舶 , 山林原野の のあわ立て ) も作られるようになり , 上菓子は菓子司で白砂糖で作られた 燃える現象。消防庁では火災統計上 , 1 ) 建物火災 , 2 ) 林野火災 . 3 ) 船舶火 果実やプディングなどにそえられ大 が , 駄だ菓子は黒砂糖を使った。しか 災 , 4 ) 車両火災 , 5 ) その他の火災の いに愛好された。また , かたいクリ し各分野で発達して江戸末期にはも ームで花や人形などを飾りにした大 5 種に分類され , 5() 戸以上の炎焼を っとも発達をみ , 今日の和菓子はほ きなケーキやノヾイが宮廷の舞踏会を 大火 , 部分焼を「は、や」という。 19 とんどこの時代に出そろった。明治 飾った。今日の西洋菓子の原形はは 46 年以降の火災傾向は年々増加し , にはいると本格的な洋風菓子が伝わ しかも人口増加に比例した上昇率を とんど 19 世紀にはでき上がっていた ってきた。ビスケットやドロップな といわれる。 / ケーキ〔川島・関〕 示してきた ( 第 1 表 ) 。 1964 年には , どがその最初であったが , 大正末期 かじ舵航空機も船もともに流 総出火件数は 49 ( ) 2() 件 , 損害額 529 億 からは喫茶店の普及とともに洋生菓 体のなかにつかり , その流体から受 864 万円 , 死者 94 ( ) 人 , 負傷者 9154 人 子が作られるようになった。また製 けるカ , 重力 , 推進力の 3 力の組合 菓専門の大メーカーができて工業化 が出ている。都道府県別出火件数は , 東京都の 8136 件が最高で , 大阪府 41 せで各種の運動をするが , かじはそ されるにいたった の運動状態を自動的にまたは人為的 61 件 , 愛知県 2762 件の順 , 少ない県 〔西洋の菓子〕古代エジプトやアラ は , 山梨県 173 件 , 鳥取県 258 件 , 奈 に一定に保ち , または任意に変える ビアなどでは果糖 , ハチみつによっ 良県 26 ( イ牛の順で , 人口の多い都市や ための手段である。 3 力の性質とか て飴類や果実の砂糖煮が作られてい しの役割は船と飛行機ではかなり違 商工業都市の多い府県が上位を占め たという。次いで古代ギリシアでは う。船では浮力と重力の相対的な大 ハチみつ , 果実 , 牛乳 , チーズを用 ている。これは多少の変動があって きさ , 作用点 , 方向ともに大きくは いて幾種かの菓子が作られたと伝え も毎年共通の傾向である。また市の 変わらす , 運動が安定なわりにかし られる。さらに古代ローマでは , 宴 火災は 41401 件 , 町は 6354 件 , ・は の能力は小さくてよい。 / 飛行機で 席に婦人も列する風習がおこり , そ 1256 件で , 火災件数は圧倒的に都市 は , かしの能力は相対的に大きく , の好みがとり入れられて , ウープリ それに水面上を動く船と違って 3 次 〔建物火災〕日本の家屋は大部分が ( ウェファーの一種 ) やタルト ( ノヾイの 元運動をするから 3 次元のかしが必 木造建築物であるため , 建物火災が 一種 ) などが考案された。しかしポ 要となり , 操縦のはかに安定を保つ もっとも多く , 1964 年には 33647 件 , ンべイの遺跡でみられる当時のかま 役目が大きい。 / 潜水艦と / 飛行船 全出火件数の 68.9 % を占め , 焼損面 どの構造や容器からみると , 一般に はだいたい同様な運動をし 2 次元的 は煮て作る菓子類やパンの類など比 なかじがあればすむ。 較的簡単なものが作られたにすぎな 第 1 表戦後の全国火災状況 昔の商船には単板かヒ 〔船のかじ〕・般に金属または木製 いようである。甘味としては果実や が多かったが最近は流 建物焼失 総損害額 総出火 のかし板 , かし頭材などからなり , 干したイチジク , ブドウなどが用い 年 線形断面のシンプレッ 千円 面積 m 件数 られたのであろう。砂糖は前 5 0() 年 船尾に取り付けられ , 鉛直方向の回 クスかしや反動かヒが 転軸の回りに回転させられる。かし 3533924 ごろにインドから伝えられたという 3333 ( ) 57 1946 1446 ( ) 多い。フレットナーか 2368581 をある角度回転させることをかし取 22228151 が , ひしような貴重品であった。中 1951 21223 しは主かしのうしろの 2211689 31859417 り ( 操舵 , 転舵 ) といい , この場合は 1955 29947 世になって , 十字軍の遠征などによ 副かしを回転すれば主 265 ( ) 923 3712832 ( ) 33312 1956 かし面に働く力が左右不つりあいと り東方諸国と交渉が生しると , アラ かしが操縦されるので 2 ( ) 94371 26251287 3465 ( ) 1957 操舵力がわすかですむ なる。船が前進するときはかし取り 1984887 21749898 36178 1958 した側のかし面に当たる流れの圧力 2 ( ) 8 ( ) 34 ( ) 1 1812226 36913 1959 のほうが大きくなって , かしを反対 2443361 ( ) 2 ( ) 56128 43679 196 ( ) 側へ押すため船はかし取りと同し方 43 ( ) 22926 2472998 47106 1961 向に回頭するようになる。右にかし 4 ( ) 199998 24 ( ) 9 ( ) ( ) 1 49644 1962 取りさせるには「おもかし ( 面舵 ) 」 , 39 ( ) 20771 2334986 5 ( ) 478 1963 左へは「とりかし ( 取舵 ) 」 , かし取り 529 ( ) 864 ( ) 253 ( ) 362 49 ( ) 20 1964 してからふたたび中央にもどすには 注 消防庁く消防白書〉 ( 1965 年版 ) ほ かによる。 1964 年には出火件数の 「かじ中央」 , またその針路を保たせ み前年よりわすかに減った るには「ようそろ ( 宜候 ) 」などとそ 0 、 反動かじ . シンプレックスかし 反かじ フレットナーか

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の朝気、 ギリシア人はつばに , 神話伝説や日常生活など , 多くの人 問を描いたが , 初期には , ミケナイ様式からつながる幾何 学文様で飾った。アテネのディビロン墓地から出土したも のがもつども発達した様式を示すこどから , デイピロン様 式ごよはれる。緊密に構成された文様がつばを帯状にどり まき , 大形の上等なものは , 腹部の張った部分に人問や祝 祭 , 葬儀なごの抽象化された情景が描かれる。右上はティ ビロン様式のアンフォラ , 前 8 世紀こ、ろ。下はその部分。 左は同じ様式のクラテル , 上段は葬列 , 下段は戦車の行列 第 羸

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カグ 2 5 になるとき , 互いに他の補角といい 直角になるとき , 互いに他の余角と いう。 2 直線が交わるとき , その向 かいあった角を対頂角といい , 対頂 角は相等しい。ある 2 直線に他の 1 直線を交わらせたとき , もとの 2 直 線の同じ側にできる 2 角を同位角と いい , 同位角の 1 角と他の 1 角の対 頂角とを錯角という。平行 2 直線に 1 直線が交わってできる同位角 , 錯 角は相等しい。 〔公田〕 かぐ家具家具を意味するフラ ンス語のムープノレ me u ble , ドイツ語 のメーベノレ MöbeI はともに「動かし うる」の意に , 英語のファニチュア furniture は「備えつける」の意にも とづいている。すなわち家屋内に配 置して移動しうる設備品が家具であ り , / いす , / 寝台など人をささえる 類 , / テープル , 、 / たんすなど物をさ さえ第るいは収納する類の道具を総 称する。 〔発達〕家具の発展過程は , 各民族 や各地域の生活形態の相違によって さまざまな系列がたどられ , また建 築様式の進展とともに変遷してきた あとカゞ顧みられるが , たとえばイギ リスで家具製造業者をキャビネット・ メーカー cab inet mak e r というのは , おそらく木材を手でくりぬいて作っ た箱が初期の家具であったこと , そ の籀は貴重な動産の収納のためで , さらにそれがム いす , 装飾品とし ても使われたころの状況を伝えるも のであろう。しかし古くは一般人民 の家には , 家具らしい家具はなく , 一方 , 王室や貴族 , また教会には , 威厳の象徴として , また宗教的儀礼 に属する , 多くのぜいたくな手工芸 品の家具が保存されていた。そして 家具が一般人民のものとなりきたっ たのは , 中世のギルドの組織化やル ネサンスを通しての技術の向上に促 進されてであるが , ようやく 18 世紀 べリアンのデザインに 歩・し , 現在では合成接着剤の発達と に至らて一応現在のような家具を備 易にしている。 よる新しい家具。①は 〔新しい家具〕生活の近代化 , 合理 あいまって , 成形合板家具が一つの えたわれわれ市民生活の原型が生み 書だな。従来のものは だされたとみられる。しカ・、し日本の 化に応して , 家具も最近では不必要 新しい分野をひらいている。木材と 固定されて動かせない な装飾性を排し , 軽く使用しやすい 場合でいえば , 簡素な木造住居に住 並んで , とくに日本では竹や籐与を ものカ { 多かったカ《 , こ 形状のものが選ばれるようになった 利用した軽快な家具が , 特有の趣を れは全部組立方式によ んできたために , 重い大きな家具は って作られている。② そして住居のスペース節約の関係上 , 発達せす , 明治以後洋風の生活様式 もって発達してきているが , その他 , は応接サロンで , 正面 いす , テープノレなどの , 折りたたみ が移入されてから , こんにち見るよ 陶磁器 , 大理石 , プロンズ , 鋼鉄な は組合せだな。手前の 式 , 分解式 , 積重ね式 ( スタッキン うな家具の普及も促されてきた。 どもおもに洋家具の材に使用・され , セットは他の作品にく グ ) , 組合せ式その他の構造のものが 〔材料〕家具の材料には , やはり木 最近ではアルミニウム合金 , ガラス , らべて手工業的なもの くふう , 活用され , さらに平面の広 材がひろく愛用されてきているが , ステンレス鋼 , プラスチック化粧板 である。③は飾りだな。 さや高低を調節できるものも多くな その種類は和家具のキリ , 洋家具の などの製品が多くなった。また人工 手工業と工業生産の両 っている。さらに化粧台と机 , テレ ラワン , ゼプラウッド 木材のパーチクルポード ( ホモゲン マホガニ 要素を組み合わせた代 ホルツなど ) や硬質繊維板 ( ハードボ ビ台と本を兼ねるたななど , 2 種 表的作品。④は食堂で , などのほか , 硬木のシタン , コクタ 以上の機能を兼ねもたせた家具や , 壁つきのたなは造形的 ン , 木目の美しい広葉樹のナラ , シ ドなど ) も新材料といえる。これ 効果をあげている。日 同し大きさのたななどを適宜に合わ らの家具の塗装仕上げとしては , 水 オジ , カ / ヾ , サクラ , ケヤキ , クノレ 本の建築的要素をとり せて備える細胞家具 ( ュニット家具 ) センノキ ( ハリギリ ) , カエデ , 性 , 油性の着色剤のほかに , ラッカ いれた作品である。⑤ もある。 トチノキ , クワ , カキなど , さらに ーや合成樹脂系塗料がある。従来和 は整理だんすの一部で これら新しい家具には , 装飾性を 針葉樹のヒノキ , スギ , マッ , サワラ , 家具には漆がよく用いられたが , 原 各部分が工場生産によ 排するとはいえ , 逆に室内の調和を マキ , カヤなどがあり , 洋家具 , 和 料入手難と繁雑な加工工程のため , って作られ自由に組み 考えたいわゆるグッド・デサインが 家具それぞれに用いられる。ところ しだいに一般的でなくなってきてい 合わせることができる 試みられ , 色彩にしても , 形態にお で第二次大戦中 , 各国で木製飛行機 る。最近の合成樹脂系塗料は , 家具 いても , あらたな機能的な美しさを の研究に伴い , 合板技術が著しく進 自身の強化を兼わ , 維持手入れを容

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ギョウドウ では古い遺品に属する をもち , この種のもの は康和 4 年 ( 1102 ) の銘 の菩薩面 ( 法隆寺蔵 ) とは、しいのカ { 特徴。図 他の面に比べて表情に を目的としないので , 行道面この面は演舞 銅器がつくられた。ところが , 漢の 武帝 ( 在位前 141 ~ 前 87 ) の攻撃をう けてしだいに衰え , ついに東西両匈 このうち東匈奴単 取に分裂したが , 于は漢と結んで , キルギス草原によ った西匈奴単于を討った。そののち 匈取は一時勢力をもりかえしたが , またもや南北両匈奴に分裂し ( 48 ) , 北匈奴は後漢の竇憲献に破れて崩壊 した ( 91 ) 。また南匈奴は後漢にくだ り , しだいに中国化していった の匈奴の一部が西にのがれて西洋史 上の / フンになったといわれている が , 明らかでない。 をもたなかった点で , 他の面とちが 大法会に限られ , 音楽 , 舞踊に関係 や能面への過渡的存在であったが , した。伎楽面に次いで古く , 舞楽面 ることが多く , その面を行道面と称 これらの行列には仮面を用し ) ある。 法会にはかくことのできないもので まいてねリ歩くことを行道といい 内を , 賛偈をとなえながら , 花を い , 僧たちが列をつくって内陣や堂 あった。日本では法会 , 儀式のさ 1 周または 3 周するのが例で りをまわる礼法が行なわれ , 右まわ ことで , インドでは仏塔などのまわ し一般には行列をつくって道を歩く 語 i r y a path a を行道と訳する。しか が , それを意味するサンスクリット 威儀を正して歩くことを要求される れをいやすため , 僧が道を歩くには , ぎようどう行道座禅などの疲 っている。 〔石田〕 きようどうくみあい協同組合 小生産者や勤労者は資力に乏しく , 生産や消費の規模が小さいため , 競 争力が弱く , 不利な地位におかれが ちである。協同組合はこのような経 済力に弱い小生産者や勤労者が経済 的地位の改善を図るため , みすから 資本を出し合って共同 ( 所有 ) の設備 を作り , 個々人の小規模な経済活動 日本の協同組合の体系と組織状況 水産業協同組合 5381 森林組合 387 ( ) 中小企業協同組合 314 ( ) ( ) 消費生活協同組合 1560 農業協同組合 25393 総合農業協同組合 信用事業と販売 , 購買など他種 特殊農業協同組合 の事業との兼営 8 , 農村工業 557 , 開拓 4684 , その他 養蚕 4998 , 畜産 3062 , 園芸特産 64 漁業協同組合 職域組合 地域組合 企業組合 信用協同組合 火災共済協同組合 事業協同小組合 事業協同組合 生産組合 施設組合 水産加工業協同組合 漁業生産組合 地域漁業 3890 , 業種別漁業 326 1 ( ) 083 15310 4216 713 847 5089 526 37 27 25721 442 3428 233 932 注数字は組合数。 1964 年 3 月末現在 , ただし中小企業協同組合は 同年末現在。消費生活協同組合は半数以上が活動停止の状態で ある。農林省 , 中小企業庁 , 厚生省調べ 4 2 4 を : 共同化し , 大規模生産の有利性に 基づいて有効な経済活動を営もうと する協力の組織である , このように 協同組合はその目的 , 組織 , 経営活 動が通例の営利企裳とは異なってい るので , 組織や運営にあたって , 協 同組合の本質を維持するため指針と すべきいくっかの特有な原則をもっ ー ( し、る。ロツイ - テ一′レ , シュ′レ、ソェ ライファイゼンなど世界の有力な組 合によって作られてきたもので , 「協 同組合の原則」とよばれている。そ のうちとくに重要なものは , 1 ) 自助 主義 ( 組合の自主性 , 組合員の出資 ないし責任制 ) , 2 ) 組合運営の民主 制 ( 1 人 1 票制 ) , 3 ) 組合の公開制 ( 組 合加入の自由 ) , ・ 4 ) 出資配当の制限 ( 資本優位の否定 ) , 5 ) 利用高配当 ( 組合員への利益帰属の原理 ) , 6 ) 組 合教育の促進の 6 原則である。協同 組合は資本中心の経済ではなく , 組 合員の協同活動に依存し , その利益 はすべて組合員に帰属するという組 合員中心の経済である点がもっとも 重要な特質である。このような特質 を有する協同組合は社会改革の思想 をももち , 理想社会の建設をめざす 社会運動の一つともなっている。 〔歴史〕協同組合運動のもっとも早 く発達した英国では産業革命の近代 社会の成立期に , R. オーエンや W. キ ング ( 1786 ~ 1865 ) の社会改革思想に 基づいて , 1844 年にランカシャーの フランネル職工たちのロッチデール 組合 Rochdale Society が設立され , 近代協同組合が確立した この組合 は労働者消費組合の母型を完成する とともに , 英国の協同組合の主流と なって顕著な発展を遂げた。またフ ランスでもフランス革命直後の近代 社会の初期に発生をみた空想的社会 主義思想のなかから , Ph. ブツンエ ( 1796 ~ 1865 ) によって労働者生産組 合の思想が生まれ , のち 1848 年には ルイ・プラン ( 1811 ~ 82 ) によって一 時大規模に実行され , 以後生産組合 の着実な伝統を形成した。これら 2 国よりはるかにおくれて近代社会に 移行したドイツでは , 都市に累積し た資力に乏しい手工業者のために 18 5() 年以来シュルツェ・デーリッチュ ( 18 ( ) 8 ~ 83 ) によって都市信用組合が 創設され , また貨幣経済の浸透と高 利貸の収奪にあえぐ小農民のために F. W. ライファイゼン ( 1818 ~ 88 ) に よって 1854 年以来 ( とくに 1869 年 ) 農 村信用組合が創立され , これら 2 種の 信用組合を中核とした協同組合が発 達した。上記 3 国に成立した消費組合 , 生産組合 , 信用組合の 3 種はその後 互いに影響しつつ全世界にひろまり , 各国の実情に応して多彩な形態をと って発展した。 1895 年には国際協同 組合同盟 I C A の設立もみるに至り , 組合 55 万 , 組合員 1 億 895 ( ) 万人に及 1964 年現在 , 参加国は 53 カ国 , 所属 んでいる。日本もその一員である。 日本では明治の中期よリおもにド イツ系の協同組合を模範として 190 ( ) 年に産業組合法が制定され , 協同組 合の育成が図られたが , とくに農業 部門においてもっとも著しい発達が みられた。商工業部門ではその発達 はおくれていたが , 31 年工業組合法 および 32 年商業組合法が改正されて 協同組合としての実質を備えて以来 かなりの発展がみられた。その他消 費組合 , 漁業組合 , 森林組合なども あったが未発達の状態であった。第 二次大戦後 , 民主主義にのっとり , ロッチデール組合系を基調として , 各種協同組合の法制が整備改革され , 47 年農業協同組合法 , 48 年水産業協 同組合法および消費生活協同組合法 , 49 年中小企業等協同組合法 , 51 年 ( 改 正 ) 森林組合法がそれぞれ制定され た。これらの法律に基づいて設立さ れる日本の協同組合の全体系と現況 は別表のようである。 〔種類〕協同組合の種類はきわめて 多く , たとえば販売組合 , 信用組合 また酪農組合 , 住宅組合 , 保険 ( 共 済 ) 組合などさまざまである。さらに 耕作請負組合 , 土木請負組合 ( イタ リア ) , コルホーズ ( ソ連 ) , 合作社 ( 中国 ) , 電力利用組合 ( チェコ , 米 国 ) など各国に特別の名前をもって 発達した形態もある。これらを協同 組合の経済活動に則して分類すれば , 生産者協同組合と消費者協同組合に 2 大別され , 1 ) 生産者協同組合は生 産者が組織する組合であり , このう ち , a. 販売組合組合員の生産物お よびサービスの共同販売を営む。必 要に応ヒ加工 , 貯蔵 , 運搬の事業も あわせ行なう。 b. 購買組合組合員 の生産に必要な物資およびサービス の共同購入を営む。サービスのみの 場合は利用組合ともいう。また発達 した組合は自己生産を行なう。 c. 信 用組合組合員の生産に必要な資金 の貸付および組合員の貯金の受入事 業を営む。 d. 生産組合組合員の労 働と資本を合体して共同経営を行な う組合である。 2 ) 消費者協同組合は 消費者の組織する協同組合で , a. 消 費組合組合員の生活に必要な物資 およびサービスの共同購入を営む。 自己生産を大規模に行なっている消 費組合として英国の卸売連合会 CW S は世界的に著名。 b. ( 消費者 ) 信用 組合組合員の生活資金の貸付およ び組合員の貯金の受入事業を行なう。 この種の組合はまだ一般的に未成熟 であるが , 米国に顕著な発達をみる。 協同組合は上記の種類を 1 種類の み営む場合もあるが , 1 組合のなか に幾種かの種類を兼営する場合が多 い。なお協同組合は有効強力な活動 をするため , 各組合は地方連合を組 織し , さらに全国連合会を作るのが 特色である。 〔木下〕

9. 国民百科事典2

カナガワ 1 2 5 川上流の山地 ) , 金沢 ( のちに六浦 ) かなえ鼎中国の三足容器の一 3 藩と直轄領 , 旗本領に分かれた。 種。牛や羊の肉を煮たきするための もので , 三脚の下で火をたいた。先 しかし東海道には宿駅が発達し , 小 史時代彩陶期のおわりに粗陶で作ら 田原は根の関所をひかえ , 宿場町 としても発達した。江戸末期の 1853 れており , 黒陶期には盛んに使用さ 年にはべリーが久里浜に上陸し , 59 れた ( 中国の歴史の項参照 ) 。青銅器 年には横浜が開港されて近代日本の 時代にはいって銅器となる。小形の 第一歩をふみ出した。明治以後は開 ものを鬲やや大形でりつばなもの が鼎である。東周後期ころから竈 港場横浜や京浜工業地帯の発展 , 横 須賀軍港の整備とともに , 県東部は がようやく発達して , 鬲ははとんど 東京につづく日本の中心部となった。 なくなるが , 鼎はいけにえを煮て神 〔自然〕神奈川県の地形区は北西部 にささげるところから祭器のうちで の山地 , これらにつづく台地 , 丘陵 , 心に花も栽培する。さらに外側の足 もとくに重視された。 〔杉村〕 かながきろぶん仮名垣魯文 18 および海岸に沿って発達する沖積低 柄ではミカン一色となり , 貯蔵して 地に分かれる。相模川上流の桂川 29 ~ 94 江戸末明治初期の作家で , 東京をはしめ関東 , 東北一帯に出荷 は , 北部の関東山地と丹沢山地の間 江戸時代戯作者の最後の一人。本 する。山よりの台地 , 道志川の谷は を流れて段丘をつくり , 峡谷中に相 養蚕地帯となる。戦後 , 乳牛の増加 名野崎文蔵。江戸の魚商の家に生ま 模湖がある。丹沢山地 ( / 丹沢山 ) は れ , でっち奉公ののち戯作に志し , が著しく , 大磯地塊はその中心をな 蛭ガ岳 ( 1673 m ) を最高に丹沢山 花笠文京の門にはいって滑稽本 し , 相模原台地末端部を中心に高座 ( 1567 m ) , 塔ガ岳 ( 1491 m ) , 大山 く滑檮富士詣う > などを書いた。維 郡では豚 , 鶏が多く , 豚は大船 , 藤 ( 1246 m ) などがそびえ , 相模川支流 新直後く西洋道中膝栗毛げ〉く安愚 沢におけるハムなどの原料となる。 の道志川 , 中津川 , 酒匂川の支流 楽鍋要〉などに新旧風俗を風刺し 林産 , 鉱産には恵まれないが , 相模 河内川の谷が山地を開析し , けわ て人気を得たが , のち新聞界にはい 川ではしやり採取が盛んであり , 箱 しい山容を示す。富士火山帯に属す 根山南西では安山岩の根府呈川石が り , く高橋阿伝夜刃譚たかはげで いやしゃのがたり > など る二重式火山の根山 ( / 根 ) は , 切り出される。古くから東京湾では の実録続き物や , 雑報 , 戯文に活躍 神奈川県 ( 補 ) 1962 年 富士をのぞむ雄大な風景と外輪山の の工業出荷額は 21593 ノリの養殖 , 貝の採取 , 相模湾では 〔広末〕 億円に達し東京都 , 大 火口壁を破って流下する早川に沿う かながしらホウボウ科の魚。日 アジ , サノヾなどの沿岸漁業が行なわ 阪府に次ぐが , 石油石 温泉とに恵まれている。多摩川に沿 れてきたが , 前者は埋立てや工場の 本のはとんどどこでもカナがシラと 炭製品は 1 位 , 輸送用 ってのびる多摩丘陵ほ , 南の三浦半 廃水による水質汚染 , 後者は漁船の いう。第一背びれ 8 ~ 9 棘芒 , 第二背 機械器具 , 電気機械器 島の丘陵に連なり , 谷も多く , 横浜 大型化により衰えた。しかし , マグ びれ 15 ~ 17 軟条 , しりびれ 15 ~ 17 軟 具 , 食品工業は 2 位 , 口を中心とする三崎 ( 三浦市 ) , 小田 には沖積低地をつくる。沈降と隆起 条。 / ホウボウに似ているが、体色 機械工業 , 化学工業製 をくりかえしてできた / 三浦半島は , 原から真鶴にかけてのプリの大謀 は朱紅色で , 第一背びれに大きい濃 品は 3 位 , 鉄鋼は 4 位 を占めている。 横須賀や浦賀の港を発達させ , 先端 網は盛んで , とくに三崎は日本一の 紅色の班紋が 1 個ある点で区別でき マグロ遠洋漁業根拠地であり , 施設 る。体長 30cm をこえる南日本の底魚 部には海食台地の発達をみる。相模 が完備する大漁港である。県の基幹 で , ホウボウよりますいが , 相当大 川と多摩 . 丘陵の間には 3 段に分かれ 産業である工業は川崎を中心とする きくなるため , 食用としての価値は る広い相模原台地が発達し , 相模川 / 京浜工業地帯に集中する。東京湾 大きい。 の対岸には伊勢原台地がひらける。 〔安田〕 に面する川崎の埋立地は工業港とし 丹沢山地の南には秦野の断層盆地と ても完備し , 重化学工業 , 食品工業 , 大磯地塊の台地が連なる。多摩丘陵 カナガシラ と大磯地塊の間には相模平野 , 大磯 火力発電などの大工場が並び , 多摩 川沿いには精密機械工業が多い。 19 地塊の西の酒匂川地溝帯には足柄平 械器具 , 電気機械器具がとくに多く の海岸には海岸段丘があり , 砂丘の はかに食品 , 鉄鋼製品 , 化学工業製 列がみられる。 / 湘南う海岸に面す 品 , 石油石炭製品などを産する。工 る地帯は冬に暖かく , とくに小田原 , かながわ神奈川〔県〕関東地方 業地帯は南は浦賀 , 西は藤沢 , 平塚 三浦半島南部は霜が 南西部の県。行政的には県庁のある 足柄の山ろく , に及び , 相模原の工業化も進行中で 横浜 , 横須賀 , 川崎 , 平塚 , 鎌倉 , 少なく , 2 月にも 6 ℃の等温線が通 ある。この地帯以外は , 小田原では 藤沢 , 小田原 , 茅ヵ・崎 , 逗子 [ , 三浦 る。ハマュウ , マッノヾランや亜熱帯 水産加工や箱根細工 , 南足柄のフィ 性の樹木も茂る。そのため , ミカン の臨海都市 , 相模原 , 大和 , 厚 ルムなど , その土地の原料や水質な や花卉気野菜の早期栽培が盛んであ 木 , 秦野整の台地上の都市と , 三浦 , り , 避寒地 , 別荘地として開発され どに依存した工場に代わる。総合開 高座 , 中 , 足柄上 , 足柄下 , 愛甲 , 発では相模川河水統制事業計画が進 ている。 津久井の 7 郡に分かれる。相模国と められ , 相模湖が建設された。湖水 〔産業〕県面積の約 23 % が耕地であ 武蔵南部をしめる。面積 2361.37 km2, 人口 443 ( ) 743 ( 1965 ) 。 り , 台地が広いので約 70 % が畑にな は飲料水 , 工業用水のはか , 広大な 相模原の畑地かんがいに利用され , 〔沿革〕農耕を行なう大和民族の文 っている。かっては桑園と麦 , サッ 相模ダム , 津久井ダム , 道志ダムで 化は , 国府 ( 大磯町国府地区 ) や国分 マイモの輪作畑が多かったが , 京浜 寺 ( 厚木市対岸の海老名ド町 ) の跡に の青果市場の需要増加や輸送機関の は水力発電が行なわれ , 川崎に送電 みられるように県の中央部にある台 進歩により , 近郊 , 遠郊農業圏に代 されている。 地から開けた。 12 世紀末源頼朝が鎌 〔都市・交通〕横浜 , 川崎と , その わった。川崎 , 横浜周辺の野菜やナ 倉に幕府を開いて以来 , 1333 年北条 周辺の都市は京浜大都市域を形成し , ン , モモの果樹栽培を中心とする近 郊農業地帯は , 西へは湘南の砂丘へ , 氏滅亡まで , / 鎌倉は東日本の中心と この地域は国鉄 , 私鉄や第一 , 第二 なり , 室町後期に北条早雲が小田原 南へは三浦半島にのびる。三浦半島 京浜国道 , 産業道路が通していて交 ・は真冬に出荷する三浦ダイコンや花 通に恵まれ , 東京と密接に結ばれ , にはいると , 小田原は 5 代 90 余年の 間 , 関東の中心となった。江戸時代 の栽培で名高く , 遠郊的色彩をもつ。 人々の生活様式は都市化されている。 にはいると関東の中心は江戸に移り , 秦野盆地は近郊農業地の外側にあり , そのうち東京湾に面する地域は工業 県内は小田原 , 荻野山中 ( 小鮎 ラッカセイ , タバコの工芸作物を中 的色彩が強く , 相模湾に面する地域 鼎漢代の青銅製三鐶 ( かん ) 飾りの鼎。高さ 19. 4cm 。ふたについた 三つの鐶耳は伏せたと きの三脚となる

10. 国民百科事典2

中層 ( 2 ~ 7 (m) に現われる高積雲は団塊状の雲が群になったり . 線状になったりしている。高層雲はべール状で灰色をおび雲頂は上 層にまでとどいていることが多い。高層雲では太陽や月はちょうど すりガラスを通して見たようにかすかに光る。乱層雲はほとんどー 様な雲の層をなしていてふつう雨をともなう。その底は下層にあら われ、雲頂は中または上層にでることが多い。下層 ( 地上 ~ 2 (m) に 現われる層積雲はあまり厚くない板状または団塊状をなし . 層雲は 霧に似た一様の雲の層である積雲と積乱雲の雲底はふつう下層に はいるが、垂直に発達するので雲頂は中層や上層にはいったりする 高層雲 高積雲 乱層雲