シュウサン 6 4 3 住宅と違って , 構造的な制約からも は , 住宅の規模 , 内容に合わせて生 活を規制し , 適応を考慮することが 自由に増改築ができない点も生活上 の制約となる。理想的には家族の成 必要である。 / すまい / 住宅団地 長と好みに応して , それに見合う寝 / ( 別刷 ) 集合住宅 〔冷牟田〕 室と居室を有する集合住宅が供給さ しゅうこうたん周公旦周の文 れることが望ましいわけであるが , 王の子で , 武王の弟にあたる。旦は 現在の日本ではそのような態勢を整 名。周は陝西の渭水い流域におこっ えるまでには達していない。各住宅 たが , 武王に至って黄河下流方面の 殷を滅ばした。周公はこの事業を助 の間取りの設計は , そこに住む居住 者が 1 戸建住宅のような特定の家族 け , やがて武王が死んでのちは , 庶 でなく , 不特定多数の家族を対象に 弟の召公爽とともに幼い成王を奉 していることが前提となる。同時に して政治を担当した。その後 , 殷の 供給対象は住宅を供給するがわの機 子孫の反乱を鎮定し , その遠征の帰 構 , 制度によって規定されるので , 途 , 河南の洛陽の地に東都成周を築 いて , 周王朝の中原支配の基礎を固 居住階層に応して設備 , 仕上げの水 準が異なり , 一般に家賃の上昇に応 めた。長子相続 , 宗法 , 喪服 , 封建 して , 建物の仕上げ , 浴室 , 台所 , などの周の諸制度は , みな周公の創 〔あら務〕ヌーベル・ゼランドの 8 歳から 設であるとする儒家の学説があるが , 13 歳までの少年たち 14 人は、ある日船に乗 暖房などの設備の水準があがってい って短い遊覧旅行に出かける。船には黒人 る。間取りは不特定多数の家族を対 事実はかならすしもそうとはいえな の少年水夫もいる。ところが大あらしに出 象としているために , 必然的に一般 い。なお - 日 . の子伯禽は魯侯に封ぜら 会い , 船は南米に近い島に座礁する。そこ 住宅の水準と大きな差異のない間取 れた。 で 2 年の間 , 少年たちはロビンソン・クル り , したがって一般木造住宅の畳の しゅうこうてん周ロ店 ( チョウ ーソーのような生活をする。島には難破し コウテン ) 中国 , 北京の南西方 , 約 へやの間取りをそのままコンクリ た盗賊の一党もやってき , 少年たちは戦っ ト造の建物に持ち込んだような結果 5()km にある小炭鉱都市。 / 北京猿 て勝ちをおさめる。国籍も年齢もみんな違 人の骨 , 石器の発見で名高い。第 となっている。これはかぎられた予 う , これらの沈着で勇敢な少年たちは , カ 算の中でよリ多くのスペースを確保 二次大戦後も発掘が再開され , 研究 をあわせてふたたび国へ戻ることができる。 するために , 同じへやでも就寝にも 所も設けられている。 〔水上〕 〔飯島〕 家事作業にも使えるという伝統的な しゅうごうろん集合論集合に じゅうこん重婚配偶者のある 畳のへやのもつ弾力性を生かしてい 者が重ねて婚姻すること。民法は重 関する数学的理論。 19 世紀後半 , ド るともいえる。しかし基本的には戦 婚を禁止している ( 民 732 ) 。内縁関 イツの数学者カントルにより , はと 後にみられる集合住宅の間取りの一 係は重婚にならないから , 重婚が生 んど独力で創始された。集合とは端 般的傾向は , 台所の流しまわりを極 するのは , 戸籍の取扱上のあやまち 的にいって , ものの集まりのこと カ狭い空間の中で有効に生かして合 であり , そのメンノヾーは集合の元と によって 2 度めの婚姻届が受理され 理化すると同時に , 食事のための場 た場合とか , 離婚後再婚したところ いわれるが , 集合論では , 主として 所をダイニングキッチン式の板の間 種々の集合の元の多少 , および元の 離婚が無効または取り消された場合 を設けることによって確保し , 食事 配列の型を問題とするのである。集 など , 実際上はきわめてまれである。 と就寝の機能を分離することに重点 合 A の各元に一つすっ集合 B の元カゞ これらの場合には , あとの婚姻が取り をおいている。 対応せしめられ , 両者に過不足がな 消される ( 744 ) 。また刑法上悪意の 〔特徴〕日本の現段階では , 公的機 重婚者は重婚罪で 2 年以下の懲役に い場合 , A と B とは同し濃度をもっ 関によって作られる住宅の水準は , という。これは元の多少をはかる尺 処される。相手方も同し ( 刑 184 ) 。 へや数をふやすのか、せいいっーまいで 度として用いられる。また , A や B 〔遠藤〕 あるが , 英国のようにすでに長い歴 しゅうざいさんせい私有財産制 の元がそれぞれ大小の順序に配列さ 史的経験のうえに建設されている国 生産手段の私的所有が , 法によって れている場合 , 同しく上のように A では , 暖房 , 給湯設備が完備し , 各 と B の元が一つすっ対応せしめられ , 認められ保護されている社会制度を 個に独立した寝室がとられ , 住宅内 いう。法的内容としては , 所有権 , その対応で大小の順序も相応するな での個人のプライバシーが確保され , らば , A と B とは同し順序型をもつ 使用権 , 処分権 , 契約権などによっ 十分なひろさの居間が設けられてい という。これは元の配列の型を分類 て説明されるが , 本質的には、直接 る。従来の木造住宅と比較した場合 するめやすとなる。 生産者たる労働者が生産手段を所有 に集合住宅のもつ利点は , 多く鉄筋 集合論は数学の各分野の基礎とし せす , 資本家がこれを所有するにい コンクリート造であるために耐火 , てきわめて重要である。カントル創 たった生産関係が生みだした社会制 耐震的であること , 給排水 , 暖房な 始の理論はいろいろの矛盾を含んで 度である。この意味で私有財産制の どの設備を共同して集約的に有効に いたので , 種々の逆理が現われたカ { 発達は , 資本主義発達の歴史に即応 設けられること , また土地を合理的 理論の重要さのため , それは理論を する。歴史的には , 原始共同体の崩 に利用でき , かぎーっで周囲の住宅 埋没せしめる原因とはならす , かえ 壊によってその芽ばえを見 , 中世封 から隔離できて各戸の独立性を確保 って数学の基礎に深い反省をもたら 建社会の崩壊によって決定的となり , しうることがあげられる。しかし欠 すきっかけとなった。今日 , 逆理を 独占資本段階にはいってもっともっ 点としては各戸が近接して建てられ さけるいくっかの安全な公理から演 よく法にたすけられ , 社会主義下で るため各住宅相互の視線 , 音などの 繹される公理論的集合論が作られ は消滅する。 〔塚本〕 影響はある程度はさけられない。ま しゅうさんシュウ ( 蓚 ) 酸スカ ている。 たテラスハウスの場合を除いては , じゅうごしようねんひょうりゅう ンポなど種々の植物体の中に酸性カ 上から離れて暮らし , 一般には増改 き十五少年漂流記 Deux Ans de リウム塩あるいはカルシウム塩とし 築が不可能であるために , 収納物の てひろく存在する。水溶液から結品 Vacances ジューーノレ・こノレヌグ ) ノト見。 増加 , うば車や自転車などの持込み 1888 年刊行された。日本では早くか させた酸は 2 分子の結品水を含み , といった一時的に必要とされる空間 ら森田思軒訳のこの名で親しまれて 水 , アルコールにはよく溶け , ェー の変化に対応できないことである。 いるが , 原題はく 2 年間の学校休暇〉 テルには溶けにくい。 100 ℃にカ日熱 したがって集合住宅に居住する際に である。 すると結品水を失って無水のシュウ 高層住宅 宅 費備 集合住宅の形式と家族 構成。黒色のシルエッ トがそれぞれの形式に 適した家族をあらわす
サンルイ 陰陽道では春の甲子齠と乙亥の日 を八竜日と称して , 百事に凶とした が , 三隣亡はこの八竜日の変化した ものとみられる。 / 六曜〔鈴木〕 サンルイ Saint Louis アフリ カ西部 , セネがル共和国の港市。人 ロ 47900 ( 1962 ) 。首都ダカールの北 東約 176km の地点にあり , 鉄道で結 ばれている。交通と商業の中心地 , サイサル麻 , ラッカセイ , 皮革など の輸出港である。旧フランス領西ア フリカ最古の都市の一つで , 1658 年 に建設され , 収隷貿易の基地として 栄え , ダカール建設までこの地域に おける政治の中心地であった。 〔奥野〕 サンアレイスポトシ S a n L u i s Potos i メキシコ中部の都市で , 人口 172390 ( 1963 ) 。首都メキシコシ し死呼吸と心臓拍動の両方が 永久不可逆的に停止した状態。死が 確認されると , 医師はそれが自己の 診療中のもので、しかも死因に疑問 のないものであれば , 病名 , 死因 , 死亡日時などを記載した死亡診断書 を , また , 自己の診療中でない人の 死体については死体検案書を発行す る。死亡届出義務者は , やむをえぬ ばあいを除いて , 死亡事実を知った 日から 7 日以内に , 両者のいすれか をそえて , 届け出ることを要する。 これによって埋葬の許可が与えられ る ( 戸籍法 86 ) 。ただしその死体に変 死らしいというような異状が発見さ れたときには 24 時間以内に所轄の警 察署長に届け出なければならない。 これによって検察官またはその代行 者が検視を行ない ( 刑 192 , 刑訴 229 ) , そのうえで必要があれば裁判官の許 可をうけて適当な鑑定人に解剖させ る ( 刑訴 129 , 168 , 225 ) 。伝染病 , 中毒または災害によって死亡した疑 いのある死体 , 診療中か否かにかか わらす当該医師に納得のいかぬ死亡 の場合には , 東京都その他数都市の ように監察医制度のしかれている地 域では , その地の監察医による検案 ないしは解剖が行なわれなければな らない ( 死体解剖保存法 8 ) 。ただし この場合解剖するには前記の刑事訴 訟法第 168 条による場合と異なり , 一般的には遺族の承諾を必要とする。 ときに死の確認が医師にさえ困難な ことがある。それは仮死といって呼 吸や心臓拍動がふつうの検査では見 のがしてしまうはど徹弱である場合 4 3 2 チの北西約 360km , メキシコ高原の 山間盆地 . 標高 1877m にある。この 地域一帯の商業 , 工業 , 農業 , 交通 の中心地。付近には穀物 , 綿花 , タ ノヾコ , くだものなどの農産物を産し , 銀 , 鉛 , 金なども産出する。鋳造 , 製練 , ヒ素精製などが盛んで , とく にヒ素精製は世界一の規模をもっと いわれる。 〔町野〕 サンルーム sun room 日光浴 のために直射日光をできるだけ多く 採り入れるよう開口部を大きくした へや。高級住宅 , 病院 , 療養所など で設ける。洋風のへやとはかぎらす , 和風住宅の南側の広縁などは一種の サンルームで , 温室もこの一つとい うことができる。風の日でも日光浴 ができるようにガラスなどの透明な 材料を開口部に使用するが , 紫外線 があるからである。たとえば分べん 直後の新生児 , 水におばれかけた人 , 電撃をうけた人 , その他種々の場合 にみられる。死人が葬式の最中に生 きかえったなどの話も、 , 仮死から正 常への復帰にすぎない。すなわち死 の確認はきわめて慎重でなければな らない。 ほんとうに死んだ場合には まもなく体温降下 , 死班 , 死体硬直 の発生などの / 死後変化が現われて くる。以上のように個体の死はいち おうは確認できても , これと同時に 身体各部の個々の組織や細胞の全部 が死亡するものではない。せん毛細 胞 , 精子 , 白血球などの運動は死後 数時間はなお持続しているし , 筋の 電気的刺激に対する興奮収縮 , 薬剤 によるどう孔の縮小 , 散大 , 汗腺の 発汗 , 機械的刺激による腸のせん動 なども同様である。これらと並行し て , 組織 , 細胞内での酸化作用 , あ る程度の代謝機能もかなりの時間あ とをひいている。これらも死後変化 を複雑なものにするのにあすかって いる。 〔上野〕 〔生物学上の死〕生命活動が不可逆 的に停止することが死であるが , 生 , 死の判定はかならすしも容易ではな い。たとえば , 種子には , 数千年も ほとんど生命活動をしめさすにいて , 適当な条件下におかれれば発芽する ものがあり , またそのまま死んでし まうものもある。どこをもって生死 の転移点とみなすべきかはっきりし ない。アメーバのような単細胞生物 では , 個体は次々に分裂してふえて いくから , 自然死というものはない。 を採り入れる目的から , できるオ 開口部の戸を開放したはうがよし 紫外線の透過率はガラス中の鉄 支配されるので , とくに鉄分の月 い紫外線透過ガ、ラ・スがサンルー 温室用に作られているが , 実際ー こりやごみが付着してその効果 : まりみられない。また南側から一 りでなく , 東側 , 西側 , 屋根か 日光がはいるようくふうすると , の機能をいっそう高めることが る。病院では整形外科 , 小児科な の病室に設けることが望ましい。 宅では居間または寝室に接続さ 休息 , 午睡 , だんらん , 食事 , 遊 などに使うことが多く , 軽寝台 ッキチェア , 植木ばちなどを置い くつろいだふんい気をもたせるよ にする。 〔佐々木 しかし多細胞生物になると , 生殖 胞は次の代の生物体をつくって生 ていくが , 生殖細胞をつくりだし - 個体はいすれ死ぬことになる。 で自然死ないし / 寿命の問題が生 てくる。死とはもともと個体につ一 ていうことばであるが , 個体の一 分についても死がありうる。ある」 官の死 , さらには細胞の死がしっ いに存在する。逆に , 個体ぜんた一 としては生命をたもつ構造の中・ な部分 ( たとえば心臓や脳 ) がこわ・ たために死にいたっても , 器官や 織は生きていることがある。カエ を殺しても , その筋肉はまったく - 常に , 刺激に応して収縮 , し緩す 自然死の問題すなわち寿命につい、 も同様なことがあり , 体外にと して培養した心臓は , 体内にある きより長く活動できる。 〔日高、 〔死についての考え方〕死はすべ の生物に生の終末として 1 回限り こる生物的現象とみる限り , それ 自然科学の対象となる。しかし「 種の主体的な解釈が生まれる。プ れるのである。そこで死に対する。 ても , 人間の社会的関係の中で現 いかに孤独な感情をひきおこすと とらえるはかなく , また死の恐怖ー て死はそれと対立する生との関係 象を体験するのみである。したが は直接体験できない。他人の死の・ とばのように , 死はけっして自分 ない」というエピクロスの有名な 死があるときにはわれわれはもは われが生きている限り死はまだな はわれわれにとって無である。わ
ジュウケキ を集散し , また日華事変中に漢ロ , 上海から移ってきた工場がもとにな って製鉄 , 機械 , 電機 , 化学 , セメ ントの各工業の発展もめざましい。 市街は日華事変 , 国内戦争によって 破壊されたが , 人民共和国成立後建 設がすすめられ , 労働人民文化宮 , 少年ピオニールのための少年宮など もつくられ新興の機運にみちている。 また西南師範学院や北温泉 , 南温泉 がある。 〔徳増〕 しゅうげきじよう自由劇場フ ランスの近代写実主義演劇の先駆を なした劇団。当時支配的であった商 業主義演劇に対抗し , ゾラなどの提 唱する自然主義に呼応して , A. アン トアーヌ ( 1858 ~ 1943 ) が 1887 年に創 始した Th t r e Li b r e の訳名。予約 募集で 30() 名の会員を集め , 常設劇 場をもたす , 実験室的小劇場主義で , 「人生の断片」をありのままに描く ことを第一義とし , イプセン , スト リンドベリらの近代劇を紹介し , ま リッシュ , ルナールはか たポルト・ 多くの劇作家をフランスに生んだ。 その写実主義の行きすぎは批判され るが , 欧州各国の近代劇運動に刺激 を与えて , 自由劇場運動がおこった。 なお日本では 1909 年に小山内薫と 2 世市川左団次が「自由劇場」とい う新劇団を創立した。文芸協会とと もに日本の新劇運動の先駆をなすも ので , 第 1 回公演はイプセンのくジ ョン・がプリエル・ポルクマン > で あった。西欧近代劇を移植し , 日本 の近代劇を確立することを目ざし 19 年の解散まで断続的に公演を行ない , 吉井勇 , 秋田雨雀などの作も取リ上 げたが , とくにゴーリキー作 , 小山 内薫訳のく夜の宿 ( どん底 ) > は好評 であった 〔河竹〕 じゅうけつ充血身体の局部的 な部位に , 末しよう血管の拡張がお こり , その部位に正常より多く血液 が集まっている状態を充血という。 充血は一般に局所的炎症の症状の一 つであるが , 非炎症性の充血も存在 する。たとえば脳充血ではかならす しも脳内に炎症があるとはかぎらな い。充血をおこした局所は血液がよ けいに流れるため , その部位に熱感 や拍動感をきだすことがあるはか , いろいろな有害な面もあるが , 一方 その部の代謝を高めて , 悪い細菌な どに抵抗する意義もある。〔高谷〕 じゅうごう重合広義には分子 量の小さい分子から分子量の大きい 分子 ( 高分子 ) を生成する化学反応を いい , 狭義には , その中で高重合反応 だけを単に重合という。原料となる 低分子量の化合物のことを単量体 , 重合によって生成した高分子を重合 体という。高分子生成反応を基礎と なる化学反応によって分類すると重 縮合反応 , 重付加反応 , 高重合反応 の三つに大別される。 6 4 2 〔重縮合反応〕縮合反応 ( / 縮合 ) の くりかえしによって高分子の生成す る反応。反応のさい , 水 , アルコー ルなどの低分子化合物を副生し , 反 応は階段的に進行する。ポリアミド , ポリエステルをつくる反応がこれに 属する。 日げ0C(CH,)・C0:0日 + HlN(CH2)6VH アジヒ・ン酸 へキサメチレンジアミ →、 ~ 、 ~ ~ C - N - ( CH2 ) 6 -N -C-O-(CH2)4 ー 0- へキサメチレンジイソシア十一トテトラメチレングリコール O=C-N-(CH2)s-N=&() + HÖ-(CH2L-OH これに属する。 からまリウレタンを生成する反応は る。ジイソシアナートとグリコール 副生しない。反応は階段的に進行す この反応のさいには低分子化合物は しによって高分子の生成する反応で , 〔重付加反応〕付加反応のくりかえ ポリアミド ( 6 , 6 - ナイロン ) 日 H →、 ~ 一 OC ( C 日 2 ) 4C0- 、 ( CH2 ) €N - ー十 H20 0 0 ポリウレタン ( ベルロン ) 〔高重合反応〕 2 重結合をもった分 子が , 2 重結合の電子の移動に新し い結合をつくって高分子となる反応 で , 連鎖的に起こる。重合は触媒 , 光 , 熱によって開始される。ポリエ チレン , ポリ上冨イ匕ビニル , ポリアク リロニトリルなどのポリビニルー匕合 物 , ポリプタジェン , ポリイソプレ ンなどのジェン重合体の生成反応は これに属する。 C = C 塩化ビニル C ー 日 H H H 日 H ポリ塩化ビニル 〔長久保〕 しゅうごうじゅうたく集合住 宅 1 棟 % に何戸かの住宅が集まっ て建設された建物をいう。集団住宅 , 共同住宅 , アパートなどとよばれる ものがこれにあたる。各戸に共通し た施設を備え , 機能の一部を共同化 したもので , 1 戸建の住宅を横につ なぎ合わせたいわゆる長屋住宅とは 異なる。日本でこの形式の住宅が建 てられるようになったのは , 関東大 震災後に住宅建設を目的として設け られた同潤会によるものである。 19 25 ~ 27 年にかけて , 同潤会により東 京の渋谷代官山 , 青山などに鉄筋コ ンクリート造アパートが建設された その後都市への人口集中に際して , 木造の集合住宅いわゆるアパートが 個人経営の貸家として企業化された。 しかし鉄筋コンクリート造の本格的 な耐震耐火構造のものが一般化する ようになったのは , 第二次大戦後で , 各都道府県や市などによって建設さ れてからである。 47 年に東京都港区 高輪に建設された 2 棟の鉄筋コンク リート構造の集合住宅の出現は , そ の後に公営住宅 , 住宅金融公庫住宅 , 住宅公団住宅によって引き継がれ , 全国的に普及をみせ , 新しい住宅の 形式として日本に定着しはしめ , 65 年現在約 18 万戸が建設されている。 〔発達史〕集合住宅の歴史は古く , 古代ローマ , 中世都市にその例をみ ることができる。しかし近代におけ る集合住宅の発展は , 建築技術の発 展と住宅政策の展開とによって大き く変化してきている。たとえば英国 では , 産業革命に伴う都市への人口 集中は , 住宅の不足と居住水準の低 下をもたらし , また 1830 ~ 32 年 , 大 都市をおそったコレラの伝染は , 住 宅問題を社会問題として取り上げる ようになった 19 世紀中ごろから今 日にいたる 100 年あまりの間に不良 住宅取締法 , 労働者住宅の総合立法 などを通しながら公的機関による住 宅建設と歩を合わせて , 集合住宅の 建設は徐々に発展してきた。現在で は , 資本主義 , 社会主義のいすれの 体制をとっても , 集合住宅の発展は その国の住宅政策そのものと不可分 の関係にある。とくに日本では西欧 諸国が経てきたような集合住宅によ る住居の長い歴史はなく , 第二次大 戦後の短い期間に , 戦争による住宅 不足の解消と , 住宅政策による住居 水準の引上げと , 新しい住宅建設技 術と住居様式の普及とを , 同時に の公的機関による集合住宅の建設に 期待しているわけである。したがっ て現在の日本の集合住宅の発展はひ ろいろと制約を受ける。また木造の 所に集めて経済的に設計するためい 配管を伴う部分は , 極力これを 1 カ る。便所 , 浴室 , 台所などの給排水 構造上柱や璧の位置が制約されてい 間取りは , 1 戸建の住宅と異なって , 〔間取りと構造〕集合住宅の各戸の 理想的な選択は不可能である。 室からなっているため , このような 化が少なく , 大部分が 1 または 2 寝 体としての予算に制約されて型の変 ひしようにわすかであり , 建設企業 の日本ではその供給は需要に対して することが必要である。しかし現在 して , それに適した住居形態を考慮 っては , 家族構成と家族の成長に応 らの集合住宅への入居の選択にあた する場合は高層のものとなる。これ 中層のものとなり , エレベータを有 エレベータのない場合は 4 , 5 階建の この二つの形式は を階段式という。 廊下式 , 階段によってつながるもの 廊下によって相互につながるものを 住宅を幾層も積み重ねて建てる場合 , て横につながった低層のものである。 る。テラスハウスは各戸に庭をもっ ポイント ( 塔状 ) 式に大きく分けられ って , テラスハウス , 廊下式 , 階段式 は , 住宅相互を結びつける方式によ 〔形式と家族構成〕集合住宅の形式 しように困難な過程にあるといえる。
周波数 S リ b a a k Åュ 。八卩トい 声のパターンをとらえる ソナグラフであらわされる声のパターンは , いわは声の 3 次元分析 の方法である。讓淡を地図模型のようにセッコウ細工の高低で示す ど左の写真のように英語の five どいう声の 3 次元模型ができあがる ソナグラフの原理 リン光を発する帯 マイクロ ホン 小灯 分解フィルタ これがマイクロホンて電気の波 音声の波は数十から 6000 サイクルまである に変換され、に個の分解フィルタ ( ろ波器 ) で低い周波数から高いほうへ順に にの周波数帯に分けられる ( 右図 ) 。各フィルタの出力は小電球の輝度を変化 させ , そこを通過する蛍光塗料をぬってあるべルトの上に明暗の模様を生じ これはベルトが裏側へまきこまれるにつれて次第に消え , 光の前を させる。 こうして音のスペクトルの時間的変 再ひ・通過するとき新しい像をうけとる。 これをソナグラフまたは音響スペクトログラフ 化を目でみることができる これに対し言語音を約 といい . 目でみることは ( Ⅵ . s 山 speech ) ともいう。 500 の周波数帯に分割し、特殊な用紙の上に消えない記録として残す方式の ソナク・ラフがあり . 上の 2 枚がその例である。また上の場合の濃淡を地図の 等高線のようにえがく方式があり , これを声紋という。左下は一 can see you という声の声紋である。右下に示したものは 4 人の異なる人がそれそれ you と発音したときの声紋で , you という発音の特徴を示す共通のスペクトルの 型を示すが , 指紋の場合と同様に各人固有のパターンをも示し , 科学警察で はこの声紋を利用して . 犯人の人定めなどに利用することが研究されている 0 ・ 0 70 ~
シュチフタ イ製造など各種の工業が盛んで , 大 学など文化施設も多い。 1360 年にハ ンサ同盟に加入 , 1648 ~ 1720 年はス 工ーデン領 , 1720 ~ 1945 年まではド イツに属し , ベルリンの外港であった 〔加藤〕 シュチフター AdaIbert Stifter 1805 ~ 68 オーストリアの作家。商 人の子。ウィーンで法律を学んだが 自然科学に興味をひかれ , また絵の 修業にはげんだが , 31 歳のころから 小説を書きはしめた。 1848 年の三月 革命には大きな関心を示し , 視学官 となって教育の改革に熱をいれたが , 官僚主義にはばまれて成果はおもわ しくなかった。流血と混乱しか生ま ない革命の結果にも幻滅をおは、え , ひたすら郷上の自然と「小さきもの」 のなかに永遠なる生命の声を聞こう とした。短編集く石さまざま > ( 1853 ) への序言にその世界観芸術観を読み とることができる。ゲーテ以来の伝 統をふまえた教養小説く晩夏 > ( 1857 ) はヘッペルの酷評とニーチェの絶賛 で有名。歴史小説くウイチコー > で は政治的理想像を追求した。病苦の 6 7 4 血などである。また血の出る血管の 部分によって動脈性出血 , 静脈性出 血 , 毛細管性出血 ( 実質性出血 ) に分 けられ , 血管外へ出ても体の中へ出 るか外へ出るかで内出血 , 外出血の 区別がある。さらに皮膚 , 粘膜 , 漿 膜についての出血は点状出血 , 班状 出血 , 血性浸潤 , 血腫などの呼び名 がある。以上は主として破綻ん性出 血といい , 血管壁が破れたり切れた りする場合の出血で , 外傷 , 血管壁 の脆こ弱化 ( 動脈硬化症 ) , かいよう , 結核 , チフスなどによって血管壁が 侵食された場合などに起こるもので ある。このはかに漏出性出血といわ れるものがある。それは血管壁に破 綻がなくて , 毛細管の生理的の小孔 が拡大してそれから出血が起こる場 合である。すなわち毛細管の充血 , うっ血 , あるいは血圧の増大によっ て起こる場合であり , むしろ血管璧 自身の性状の変化によるものである。 その他毒物 , 薬物中毒によるもの , 子癇震黄疸の場合にも起こる。ま た先天性の / 血友病 , / 壊ⅷ病 , あ る種の / 紫班病などは , 出血性素質 これは止血機構の異常変化 とし、し、 によるものである。 / 止血〔石川〕 しゆっけとそのでし出家ごその 弟子倉田ⅱ三の戯曲。 6 幕 13 場。 同人雑誌く生命の川 > 1916 年 12 月 , 一部発表 , 翌年単行本として出版。 浄土真宗の開祖親鸞黷を中心に , く歎 異い抄 > の教えを戯曲化した宗教文 学といえるが , 作中の自由恋愛の思 想と調和的な人道主義が当時の風潮 にむかえられ , 後年まで青年子女に 愛読され , 1919 年有楽座で創作劇場 によって初演された 〔あら筋〕親鸞の了・善鸞は人妻との恋のた め勘当され , 遊な・浅のもとで退廃の生活 を送り , 親鸞の愛弟子唯円 ( ゆいえん ) をよ んで苦しみを訴える。唯円は浅香の月月輩楓 ( かえで ) と恋仲になリ , 足弟子から非難さ れるが , 親鸞にさとされ , 楓 ( のち勝信尼 ) と結婚する。親鸞の臨終にさいし , 善鸞は 仏への信仰をこは・むが , 親鸞はそれを許し て医師などの作成した出生証明書を 添付して , 出生地の市町村役場に届 け出なければならない ( 戸籍法 4 9 ~ 59 ) 。届出義務者は , 父 , 母 , 同居者 , 出産に立ち会った医師などの順であ る ( 52 ) 。 〔遠藤〕 ため自殺。 〔藤本〕 シュッセ′レド′レフ Dü s s e ー do r f 西ドイツ , ノルトライン・ウェスト ファーレン州の主都。ライン河畔ケ ルンとジュースプルクの中間に位置 する。人口 701723 ( 1963 ) 。商工業 , 芸術モードの中心地で「西ドイツ のショーウインドー」といわれる近 代都市である。空港 , 河港があり , 機械 , 工具 , 製鋼 , 圧延 , 紡績など が行なわれ , 技術研究機関も多く 取引所 , 銀行 , 商工会議所などの所 在地として経済的にも重要な位置を 占める。目抜きのケーニヒ通は , 美 しい公園とともに有名であり , ック様式のアンドレアス教会 , 選帝 侯の墓なども一見に値する。芸術面 では劇場 , 美術学校 , 音楽学校 , 博 物館 , 美術コレクションをもち , ま た国際的な映画配給組織の中心とな っている。市は 12 世紀ごろより史上 にあらわれ , プファルツ侯のもとに 繁栄し , ナポレオン時代はライン連 邦 , 1815 年以来プロイセン領となる。 郊外べンラートに有名なロココ様式 しゅちょうれい首長令イング ランド王ヘンリー 8 世カヾ 15 34 年ロー マ教会から分離して / 英国国教会を たて , みすからをその最高の首長と した法律。ヘンリーは , はしめルタ ーを非難し , ローマ法王から「信仰 擁護者」の称をうけたほどであった。 しかしアン・プリンと結婚するため , 王妃カザリンとの離婚の許可を法王 に求めたか、許されなかったので , 彼 はローマ教会との絶縁を決意し , 法 王が彼を破門すると , 首長令を発布 して法王から独立する国教会をたて た。イギリスではそれ以後女王メア リのとき , 一時旧教に復したが , 15 59 年ェリザベス 1 世が首長令を再発 布し , さらに統一令を出して国教ム の基礎を固めて以来 , 国王が国教ム の離宮がある。 〔岩淵〕 の首長となっている。 〔山〕 しゅちん糯珍絹織物の一種。 / しゆす地に数色のよこ糸で華美な 紋様を織り出した織物。主として丸 帯地に用い , 軽めのものは羽織裏 , コート裏としても用いる。本来は絹 糸を使っていたが , よこ糸には人絹 糸 , ガス糸 , 柞蚕糸などを交織す るものもある。地組織がしゆす織り であるから光沢があり , すべりがよ いが , 糸の長く浮いている方向に直 角な摩擦には抵抗力が小である。 しゆっけつ出血赤血球を含む 血液成分が血管外に出ること。血の 出る臓器や組織 , 出る場所によって 特別の呼び名がある。鼻出血 ( 鼻血 ) , 吐血 ( 胃かいよう , 十二指腸かいよう や肝硬変 ) , 喀血 ( 肺結核 , 肺がん ) , 下血洋っ ( 直腸がん , 腸出血 ) , 血尿症 , 血腎症 , 月経出血 , 子宮出血 , 脳出 て大往生を遂げる。 〔遠藤〕 しゆっさん出産 / 妊娠・出産 しゆっしよう出生胎児が母体 を出て生まれること。どの程度母体 から出たら出生とするかは , 私法上 と刑法上とで異なる。私法上 , すべ ての自然人は出生によって権利能力 を取得する ( 民 1 ノ 3 ) から , 母体を はなれたのちまもなく母親が死亡し た場合などは , 生まれた子が死産で あるか , 生まれてのちに死亡したか によって相続順位 ( / 相続 ) に差を生 することにな・る。私法上は , 胎児が 母体から全部露出することをもって 出生とする ( 全部露出説 ) 。これに対 一部露出をもって出生 し刑法上は , としている ( 一部露出説 ) 。したがっ てこののちに危害を加えると殺人罪 になる ( その前は堕胎罪 ) 。出生があ ったときは , 14 日以内に , 原則とし シュッツトガアレト S t u t t ga rt 西ドイツの南部 , / ヾーーテ " ン・ウュル テンベルク州の主都。人口 634713 ( 19 63 ) 。この地方の政治経済文化の中心。 ラインの支流ネッカー川とネッカー 運河 ( 築港によってラインへの舟航 が可能になった ) の通しる低地から 周囲の丘陵へと美しい市街がひろが っている。 14 世紀はしめにウュルテ ンベルク侯の居住地となり 16 世紀に 大きく発展 , 三十年戦争で一時衰え たが , 19 世紀末からふたたび興隆 , 第二次大戦で旧市街は大半破壊され たが , 戦後 1() 年間に完全に復興した 教会や宮殿など中世以来の建物も多 いが , 光学器械 ( ツアイス・イコン , コタ、、ツク ) , 電気機械 ( ポツンユ ) , 自 動車工業 ( ダイムラ 、一・・ヾンツホ。 ルンエ ) などの大工場をもつ近代工 業都市で , 工業大学をはしめ農業 , 美術 , 音楽の各大学 , 各種の研究教 育機関がある。楽器製造や書籍出版 ( レクラムなど ) も盛んである。国立 劇場やオペラ劇場 , コンサートハウ ス , 郊外には鉱泉で有名なカンシュ タット , 空 : 樛 , テレビ塔 ( 210 rn ) な どがある。 〔藤本〕 しゆっにゆうこくかんりれい出 日本に入国し , または 入国管理令 日本から出国するすべての人の出入 国の公正な管理について規定する法 律。 19 51 年ポッダム政令 ( ポッダム 宣言の受諾に伴い内閣の発する命令 ) として制定 , 講和条約成立後は法律 としての効力を与えられて存続。主
シャクシ アズマシャクナゲ シャクナゲの園芸種 クワェダシャクの幼虫 シャクトリムシの一例 ス中世以来 , デュク ( 公 ) , コント ( 伯 ) , ビコント ( 子 ) , ノヾロン ( 男 ) , シャトレーヌ ( 城主 ) , ノヾノヾスーーノレ ( に嗇 臣 ) , シュバリエ ( 騎士 ) などの貴族 の称号があり , 17 世紀には法官貴族 とよばれるものが成立した。フラン ス革命中これらは鹿止され , 1814 年 プルポン王朝とともに復活したが , その特権は回復されなかった。 3 ) 英 国 11 世紀のノルマン王朝以来 , デ ューク ( 公 ) , マークイス ( 侯 ) , アー ル ( 伯 ) , バイカウント ( 子 ) , バロン ( 男 ) などの爵位があり , これらの称 号は長子か、相続し , 次子以下はロー ドの称を帯びた。またバロネット ( 従男爵 ) , ナイト ( 騎士 ) , ェスカイ ア ( 郷士 ) などの下級貴族はサーの称 を帯びた。 これらの称号はしだいに 名目だけのものとなって現在にいた っている 〔東洋〕 1 ) 中国周代の諸侯が公 , 侯 , 伯 , 子 , 男の 5 等爵に分かれ , それぞれ等級に応した領地をもって いた。漢代にはその前の秦の制度を うけついで 20 級の爵に分かれ , 特権 をもっていた。唐代には特権をもた す朝廷での席次を示すだけの 29 階が あったが , これは清代まで伝えられ 2 ) 日本大和朝廷の政権確 た 期における姓ばの制 ( 公気臣 , 連讐 伴造こなど ) や , 律令う制定とと もに行なわれた / 位階勲等制がそれ である。位階制は 1869 年改正されて 現在に及んでいる。また年華族令 が公布され , 公 , 侯 , 伯 , 子 , 男の 5 爵位ができたが , これは第二次大 戦後 , 194 7 年に廃止された。 / 華族 5 9 0 シャークスキン メの皮の意味で , 織物。あや斜子ともいう。本来は 梳毛まう織物で , 主として合服地とし これに似た外観の s h a r k s k i n サ 本家と抗争し , 設立期間延長案に拒 し , 第二国立銀行問題では東部の資 官職の交替 , 党人任用制などを採用 かったが , 民主主義の実践家として フアソンのように政治思想家ではな 望をよく察して政治をとった。ジェ 統領として , 自営農民や勤労者の希 領に当選した。西部出身の最初の大 乗して作られた民主党を基盤に大統 当時の男子普通選挙権拡大の機連に せて国民的英雄となり , 28 年には , ューオーリアンズの戦いで勇名をは の少将に任ぜられ , さらに 15 年 , ク・インディアンを討伐して正規軍 になり , 1812 年の英米戦争でクリ 員 , 上院議員を歴任し , 民兵の少将 法律を学んで弁護十となり , 下院議 し , 14 歳で孤児となったが , やがて た。 12 歳でアメリカ独立戦争に参加 して , サウス・カロライナで生まれ ( 1829 ~ 37 ) 。貧しい西部移民の子と 1767 ~ 1845 米国の第 7 代大統領 ジャクソン A nd r e w J a c k s 0 n 〔小川〕 沢があり装飾的である。 もある。一般に表面がなめらかで光 どであや斜子ふうに織った夏服地類 て用いるが , レーーヨン , 合成繊維な 否権を行使した 〔清水〕 し得ないし , また満了後も借地人が その上地の使用を継続するときはた だちに異議を述べないと ( この場合 も正当の事由を要する ) 更新したも のとみなされる。そのうえ史新か、な い場合には , 借地権者に建物買取請 求権が与えられる ( 同法 4 ) 。借地権 のうち賃借権の譲渡 , 転貸を無条件 に認めていないか、 , 地主か、正当の事 由がないのにこれを認めないときは , 借地人の申立により裁判所が承諾に 代わる許可を与えることができる。 また賃借権の譲渡を認められない場 合 , その建物の買取りを請求しうる ことにしている ( 同法 1() ) 。借地上の 木造の建物を耐火構造に変える心要 が出てきた場合 , また上地利用の点 で無理でない増改築を借地人が申し 出た場合 , それについて地主との間 で協議がととのわないとき , 当事者 の申立で , 裁判所は借地条件の変更 を認める ( たとえば , 建増しを認める かわりに地代を増額する ) 裁判を行 なうことができる。この裁判は合理 的解決の求められる非訟手続による ものである。また税金があがったな どの事情の変更があったときは , 地 代 ( 借賃 ) の増減請求権を認めた。 の場合借地人に異議があれば , その 額について合意が成立するか , その 額が裁判上確定するまで , 従来の地 代 ( 借賃 ) , または相当と思う地代 ( 借 賃 ) の支払をしてもいいことにした。 ジャクソンビル Jacksonville 米国 , フロリダ屮 l•l 北東部の港湾都市。 人口 201030 ( 196 の。木材取引市が立 ち , 塗料油脂工業 , 肥料 , タバコ , 綿製品 , 食料工業などがあり , 松や に , テレビン油 , 木材 , 柑橘類 , 綿などの積出港でもある。 1816 年に 建設された町で , 南北戦争当時港湾 封鎖を破る南部連盟密航船の基地で / 借家法 / 地上権 〔遠藤〕 / 貴族 〔青山〕 しやくし杓子かまやなべまた は飯櫃鴿などから食物をすくいあげ るために用いる道具。古くは貝殼に 柄をつけたものも多く用いられ , 九 り料南部では「めしがい」といい , 京 都付近でも古くは「いいがい」とい い , 貝製であったことを想像させる。 これを木でつくり食物をすくう部分 に少しくは、みをつけたものがお玉し やくしである。また液状のものをす くうためには曲げ物か , 竹などでつ くった柄杓が用いられた。もとも とヒノキの曲げ物でつくったものが 多く , この名がある。飯をすくう杓 子すなわち杓文字が今のように平 らになったのは江戸時代以後で , 東 北地方では「めしべら」といってい る。かまから個々の飯わんに飯をも り分けるのは主婦のやくめで , 杓子 は主婦権を象徴し , 主婦権をゆする ことは「杓子渡し」といわれた。現 在 , 主婦のデモ行進のプラカードに 杓子が使われるのはその現われとい える。また , 神社や名所などで杓子が みやげ物として売られている風習は , 杓子が穀物や幸運に関連があるとす る呪物崇拝思想に基づいている。 〔作道・一宮本〕 あった 〔石光〕 しやくちほう借地法借地関係 について借地人の保護をはかること を目的として制定された法律 ( 大 1() 法 49 ) 。第一次大戦を契機に人口の 都市集中がはなはだしくなり , 住宅 問題はいっそうその深刻さをまして きた。その対策として借家法ととも に制定された。その施行区域は限ら れていたが , 1941 年制限を廃し , 66 年さらに改正された。内容は , 建物 の所有を目的とする債権である賃借 権と物権である地上権とを統一して , 借地権と称し , 両者をだいたい同一 に取り扱った。借地権の存続期間に ついては , 堅固な建物の所有を目的 とするものと , そうでないものとに 分け , 特約がない場合は , 前者は 6() 年 , 後者は 30 年 , 特約をもってして もそれぞれ 30 年 , 20 年未満とするこ とはできない ( 借地法 2 , 3 ) 。しかも 期間満了の場合に , 借地権者が更新 の請求をしたときに , 土地所有者が みすから土地を使用するなど正当な 事由をあげて異議を述べないと拒否 しやくちょうくう釈迢空 / 折 おりくち ロ信夫 ロしのぶ しやくとりむし〔尺取虫〕鱗し 目シャクトリガ科に属するガの幼虫 の総称。細長い円筒状で無毛。種類 によって大小さまざまで , 色彩も緑 , 茶 , 黒など一定していないが , いす れも胸脚と腹脚とが著しく隔たって いて , 歩行するときに体を馬てい形 に湾曲させ , ちょうど手で長さを計 るときに似ているのでこの名がつけ られた。各種の草木の葉を食べるの で農林業上の害虫が多い。シャクト リガ科は全世界に約 800 ( ) 種もあり , 日本にも 600 余種を産する。成虫の 体は一見チョウに似ていて体のわり にはわの面積が広い。一般に夜行性 であるが , 昼間活動する種類もある。 〔黒沢〕 しやくなげ〔石南花〕ツッジ科 の常緑低木。昔から単にシャクナゲ とよばれて栽培されてきたものは , 本州中部以西と四国との低山帯に産 するホンシャクナゲのことであった それはツクシシャクナゲの変種で花 は淡紅色 , 花冠は 7 裂し , 直径 5 cm 内外。 6 月に開花し , 庭やはちに植 えてひろく観賞されている。しかし 園芸品化された品種や近似の種類 , たとえば花冠が 5 裂するアズマシキ クナゲをも含めて , ややばく然とし た総称として , シャクナゲという名
ジドウシャ 前車軸の取付部分左 は I 字形断面の前車軸 にかし取角た・け回転で きるようにキングヒ。ン で取リ付けたもの。右は 独立懸架の場合で , ポ ール継 T: ・を用いている 5 3 6 を余裕馬力という。 これはこう配打 抗 , あるいは加速抵抗に使用できス 出力である。 操縦性と安定性については , 手方 し走行中の安定性 , 曲線進入 , 脱呂 のときの運動性能などの実験的研ラ が行なわれ , かし取装置その他のメ 良が行なわれている。またかしの き , すなわち一定のかし角に対す フレーム前車軸 自動車の運動軌跡の曲率は , キングピン そのときの速度の関数であることも 車軸ハプ 知られ , 一定のかじ角に対し , 速 が増すと曲率半径が減する場合を ①半浮動式後車軸のいろいろ② % 浮動式 後車軸の浮動式のささ ーノヾーステアリング ( 鋭いかじ ) , えち車体の車軸を折 に速度が増すと曲阜半径も増す場を リ曲げようとする荷 をアンダーステアリング ( 鈍いかし ) を外側の外管に受けも たせ , 車軸本体はころ といっている。競走自動車など特別 かリ軸受を介してその な場合を除いては鋭いかじより多少 中に浮動的におさめら 鈍いはうがよいものとされている。 れ , おもに回転力を受 低速度の場合の最小回転半径も使用 け持つが , その程度に E たいせつな・育皀の・一つで , 」、つう 後車軸の先 後車軸の先 後車軸の先 ( 回し板 , よリ , 1 荷の軽い啝 は軸距の 2 ~ 3 倍程度の距離である 用車 , 2 トラソク , 3 大 型自動車に用いられる 「運動性能」 , 3 ) 車体の振動 , 騒音の 踏むと , 機械プレーキが働く愎合 またプレーキ停止距離と停止するま 式プレーキを採用したものもある。 大小を甲心に , 室内の温湿度調節ま での安定もたいせつな問題で , 法的 2 ) 手プレーーキ手プレーキレバーを で含む「乗リここちの良否」で , には制動停止距離は高速度自動車の 手でひくことによって ( 手でひくカ 適用を受けるものは時速 5 ( ) km のとき れらがたいせつな性育旨の因子である。 はふつう 3 ( ) kg 以下 ) , プレーキバン 22 m , 低速度自動車の適用を受ける 最高速度 , 登坂カ , 加速性能につ ドが変速機後方の主軸に取り付けた ものは時速 35 km のとき 14 m 以内とさ いては機関の出力や変速機の特性に プレーキドラムを締めつけることに 景彡響されるところが大きいが , 自動 れている。 〔種類と分類〕機関と燃料の種類に よって , 主軸の回転をさまたけ・てプ 車の走行抵抗とも密接な関連がある。 レーキがかかる構造となっている。 よって自動車を分類してみると , す 走行抵抗には , 路面とタイヤとの間 なお , 自動車の走行中に加速ペダ でに過去のものとなった蒸気自動車 に生しるころがり抵抗 , 自動車を加 ルから足を離すと , プレーキがかか 持殊な用途に用いられる蓄電池式電 速または減速するとき車自身の慣性 ったような感しで車の速度がおそく 気自動車 , 今日の自動車の大部分を によって生しる加速抵抗 ( 減速の場 これは機関が空気圧縮機の 占めるガ・ソリン機関 , ジーゼル機関 なるが , 合は負 ) , 自動車が坂道を登るときの ような動作を行なうために制動力が などの内燃機関による自動車および 重力により作用するこう配抵抗 , 空 生するもので , このような状態をェ まだ試作段階を出ないターービン自動 気抵抗などがあり , 空気抵抗は自動 ンジンプレーキあるいは第三プレーー 車とに分けられる。内燃自動車では 車の対空気速度 , 自動車の大きさ , 最近ジーゼル機関の進出が著しいが キという。 形などでその大きさがきまるが , 良 〔性能〕自動車の性能にはいろいろ 他方 , がソリン機関では気化器を用 好な流線形をしたスポーーッカーなど いないガソリン噴射機関が登場して の要素があるが , 重要なものは , 1 ) では著しく小さくできる。いま自動 最高速度 , 加速性 , 登坂カ , 燃料消 これは 193 ( ) 年ごろからドイツ 車が水平な道路を一定の速度で走る きた。 費率のように機関の出力に密接に関 この で航空用に研究開発され , 最近ドイ とき慣性抵抗は ( ) であるから , 係ある「動力性能」 , 幻自動車が走行 ツ , 英国の高級乗用車に採用されて ときの走行抵抗は , ころがリ抵抗と いる機関で , 気化器にかわる精巧な 中その進路から右または左にそれた 、 = 空気抵抗だけになる。その場合の走 がソリン噴射装置があリ , 従来のが 場合 , もとへ復そうとするか , ある 行抵抗馬力がちょうど機関の全負荷 、ノリン機関に比べ高速時出力 , 低速 いはさらにそれようとする傾向をも 軸出力としたときの後車輪の駆動馬 時トルクその他多くの点で優秀性を つかどうか , つまリ安定性の問題や , 力に等しいとき , この速度はその道 路状態での最高速度になる。それ以 直線進路から曲線進路へ , またはそ 示している。またなスポンべを持つ ガス機関自動車もなくはなく , の逆に曲線進路から直線に移るとき 下の速度では抵抗馬力よリ駆動馬力 では木材 , 石炭 , 泥炭など安い燃料 の操縦性の問題などをひっくるめた のはうが大きくなっておリ , この差 を用いるがス発生炉を備えたトラ 油圧プレーキ 機械プレーキ クが , 森林地用などのため製作され ている 止めヒ。ン 車軸シリンダ つりあい装置 構造上の分類としては , ます車輪 コイノレ の数によってスクータ , オートバイ はね 戻はね などの 2 輪車 , オート三輪などの 3 プレーキ 輪自動車 , ふつうにわれわれが自動 プレーキシュー 車とよぶ 4 輪自動車 , 6 輪自動車が トラックでは・一一つの車輪にタ イヤ 2 本を付けたものもある。車輪 の駆動方式で区別すれば , ふつうの 乗用車に多い後輪駆動方式 , 車体の 安定がよく高速運転に適していると いわれる前輪駆動ち式のはかに , 全 輪駆動で進む自動車がある。 4 輪車 上下揺れ止め イ イ 油圧プレーキ の油管 タイロッド 0 ポール継手 前車輪 \ \ ③全浮動式 車輪ハプ ー後車軸 外管 / 王軸受 車輪ハプ 荷重、 凸 も 外管ー 外管 王軸受 トルク板 0 車軸 プレーキペダル カム ロ ッド ペダノレー プレーキペダ・ルを踏む 足のカで車輸の内間に 固定したプレーキドラ ムにプレーキンユ 押しつけ摩擦力で制動 する。寿は機械プレー キ . イ i はンリン中の 油を使う油圧プレ・一一一キ プレーキてこ 車軸シリンダ 親シリンダ プレーキシュー
界史のどの時代 , どの場所にもみら れる利潤追求のいっさいの試みをひ ろく資本主義とよび , 古代 , 中世資 本主義などの用語例もみられるが , これらは厳密には前期的資本とよん で資本主義から区別される。 「資本主義の前提条件〕資本主義的 な生産関係は , 16 世紀ごろ封建制の なかで発展した。もっとも , 初めは 従来の生産のしかたと技術上異なっ た点はなく , 単に規模を大きくした ものにすぎなかったが , 使用される 人々が封建的な諸関係から解放され た自由な労働者であった点に新しい 生産関係がみられる。封建制度のも とでは農民は上地にしは、りつけられ ており , 移転や転業の自由はなかっ たか、 , その上地にいるかぎり農地の 使用を認められ , 生活の保証はされ ていた。また商工業の場合でも職人 や徒弟の雇入れはきびしい制限のも とにおかれていたか・ , 彼らはその職 についているかぎり生活上 , 身分上 の一応の保証をされた。かかる封建 的諸制限が取り去られることによっ て , 雇主ははしめて自由に労務者を 雇い入れ , 技術の改革とあいまって 商品を大量生産することが可能とな こうして , 一方で資本 るのである。 としての貨幣や生産手段が資本家階 級によって所有されるにいたること ( / 私有財産制 ) , 他方でいっさいの 身分的な制約から解放され , また生 産手段をもたない自由な労働者の大 群がつくり出されること ( 労働力の 商品化 ) , この二つが資本主義成立 の前提条件となる。かかる条件がつ くり出されてゆく過程を資本の「原 この過 始的 ( 本源的 ) 蓄積」という。 程は , 技術面からみれば , 単純協業 から / マニュファクチュアへの過程 であった。また経済政策上は , 重商 主義の段階といわれ , 封建的で地域 的な自給自足経済が残っており , 国 内市場は未発達であったため , 保護 関税や輸出奨励金を中心とする保護 政策が支配的であった 〔資本主義の構造〕産業革命によっ て , かかる資本の原始的蓄積の過程 は終わるか・ , 英国では 176 ( ) ~ 183 ( ) 年 ごろ紡績業を中心としてこの産業革 命が典型的に行なわれ , 前資本主義 的な生産関係から脱皮した。フラン ス , ドイツ , 米国では 183 ( ) 年代以降 である。また日本では 189 ( ) 年代に資 本主義が成立したが , その特殊な政 , 経済の構造上 , 前資本主義的な 生産関係がいろいろな形で根強く残 った。産業革命以後 , すべての財貨 は商品として生産され , 工業生産は 経済活動の中心を占め , 貨幣経済は 全国的にひろまる。都市と農村の分 離 , 工業地帯の形成 , 近代的労働組 合運動の発展など社会労働問題が数 多く発生してくる。また鉄道をはし めとする交通 , 通信機関の発達 , 度 5 6 7 量衡の統一 , 義務教育の普及 , その ほか文化現象なども全国的な規模の ものとなる。さらに , 国内および外 国市場における政府の保護干渉は , 技術の向上 , 労働者の労働強化によ って製品値段を引き下げることの可 能な資本家階級にとっては , かえっ てわすらわしいものとなり , 政策は自由放任主義 , 自由貿易主義 へと変わる。資本主義的生産は完全 な商品生産であると同時に , 資本家 の私的な利益のための生産でもあっ た。資本家の利潤の源泉は , 生産さ れた商品のもつ価値のうちから設備 や機械の消耗部分と原材料部分 , そ れに労働力の価値部分 ( 賃金部分 ) を 除いた剰余価値である。資本家は剰 余価値を少しでも多く手に入れよう として , 労働時間を延長し , 労働を 強化し , 技術改良につとめる。その 結果 , 自由競争は利潤の多い有利な 産業を開発し , また同一産業部門の 場合は製品の原価を引き下げさせる という効果をあげるが , 一方では , 生産規模が大きくなり市場が拡大さ れるにつれて , 生産は無計画的にな り , 広範囲に及ぶ恐慌が発生するに いたる。それによってまた大量の失 業者が生まれ , 労働者階級は自己の 生活権を守るために労働組合運動も 国際的なひろがりをもたざるをえな くなる。かかる動きをへて 20 世紀初 頭 ( 日本では第一次大戦前後 ) 企業の 独占が形成されるにいたるが , それ までの時期を , 産業資本主義または 自由主義の段階という。 〔独占資本主義〕生産力の発展 , 生 産と資本の大規模化は , ます第 1 に 剰余価値の資本への転化 ( 資本の蓄 積 ) をもとにして行なわれるが , さら にこのようにして蓄積された多数の 資本が少数の大資本に転化すること ( 資本の集中 ) によって著しく促進さ れる。独占はこの資本の蓄積と集中 をいわば車の両輪として現われる資 この段階 本主義の一段階であるが , にいたって自由競争は大きな制限を うける。レーニンは独占資本主義の 段階を帝国主義と名づけた。帝国主 義の特色は , 独占の形成 , 銀行資本 と産業資本との融合による金融資本 の支配 , 資本輸出の増大 , 資本主義 国による世界の分割とその再分割を めぐる争い ( 帝国主義戦争 ) などであ る。独占段階では工業生産も重化学 工業に重点が移るので , 所要資金量 も飛躍的に増加し , ために巨大企業 だけが優秀な機械設備や生産方法を 利用して製品原価をますます低下さ せ , 大規模な広告や販売組織をも利 用して弱小企業を打倒し , あるいは 自己の支配下におさめる。かくして , 工業生産の圧倒的部分が少数の巨大 企業に集中されざるをえない。一方 , 銀行も貸出しや有価証券の発行引受 などを通してこの巨大産業と密接な シホンシュ 関係をもち , 重役の派遣や事業計画 への参加などを通して産業資本との 結合が濃くなり , ついにはいわゆる 金融資本による全産業の支配が現わ れるにいたる。しかも , 所要資金が 大きくなっても , 利潤はそれに応し て急激に増大することがないから , 利潤率 ( 資本に対する利潤の割合 ) は ーに、独占資本は利潤を 低下する 高めるために相互の競争を回避して / カルテルを結成し , 国内および国 際間の諸協定を実施する。また多く の / トラストや / コンツェノレンカ { 形 成されて , 支配企業のもとに子会社 , 孫会社にまでも及」 : 独占体の機構が っくりあげられる。また一方では , これらの支配グループは政治と密接 な関係を保ち , 政府の諸政策は資本 家階級の利益と希望にそった方向で 決定されることにもなる。しかしこ のようにしても , 資本主義発達の本 質的な不均等は免れない。産業部門 についていえば , 工業部門では独占 の形成により独占価格 ( 管理価格と もいわれる ) が行なわれているのに対 し , 農業部門は零細な農家経営によ って生産が行なわれている場合が多 く , 工業部門と農業部門との間の発 展は必然的につりあいがとれなくな こうした事態は , 先進工業国と る。 後進農業国や植民地 ( または天然資 源だけを産出する地域 ) との間にも 現われる。さらに , 営利を目的とす る企業であるかぎり , 独占体間の完 全な協調はできす , 資本主義生産の もっ無計画性はなくならない ためしばしば深刻な恐慌や不況にみ まわれ , 雇用状態にもつねに不安が つきまとう。過剰生産を回避し帝国 主義戦争に備えるため , 軍備を拡張 し軍需景気の維持に努めざるをえな こうした資本主義の多くの矛盾 , とりわけ , 生産が多くの労働者によ って社会的に行なわれるのに , 生産 手段や生産物は個人的所有とされて いるという不合理が , 第一次大戦後 , 社会主義社会という階級のない社会 体制を生み出す原因となった。一方 , 資本主義体制を維持しようとする国 国は , 新しい経済政策を採用して雇 用の維持に努め , 独占利潤の一部を さいて高賃金を支払ったり , 赤字財 政によって景気対策や社会政策を実 施してきたが , けっきよく本質的な 矛盾の解決とはなっていない。金本 位制からの離脱によって , 経済政策 の遂行しやすい管理通貨制度を採用 し , 国際金融制度を整備したのも , こうした独占資本主義段階の一つの 特色である。 その他 , 資本主義経済は , 経済 , 社会 , 文化政策などあらゆる補強手 段によって , 一応現在のところ第二 次大戦後の繁栄を示し , 生産性を向 上し , 富の蓄積を行なってきている。 〔進藤〕
1 3 8 こくせんやかっせん国性 ( 姓 ) 爺 る法律」が制定され , 20 年 1 ( ) 月 1 日 , 合戦近松門左衛門作の浄瑠璃う 第 1 回国勢調査が行なわれた。以後 時代物。 5 段。正徳 5 年 ( 1715 ) 11 月 10 年めごと ( 193 ( ) , 40 , 50, 6 ( ) ) に本 大阪竹本座初演。史実を脚色したも 寺 調査 , その中間の 5 年めに当たる年 ので , 亡命中国人と日本女性との間 ( 1925 , 35 , 45 , 55 , 65 ) に簡易調査 に生まれた和藤内 , のちの延平王国 が行なわれた。その間 1939 年 , 44 年 , 性爺 / 鄭成功こが明朝再興に活躍 47 年に臨時国勢調査 , 48 年常住人口 する。国姓は国事につくしたものに 調査が行なわれた。現在は統計法 帝が授ける姓 , 爺は敬称。したがって ( 昭 22 法 18 ) によって行なわれている 史実上は「国姓爺」が正しいが , 演 が , 本調査 , 簡易調査を 10 年めごと 劇慣習上「性」の字が使われている に行なうことには変わりはない。調 祖国愛 , 民族意識を強調した当時と 査事項は , その年によって小部分の してはまことにめすらしい国際性の 変更はあるが , 国籍 , 性別 , 年齢 , ある題材と , 人間関係を描く構成の 世帯人員 , 配偶関係 , 産業 , 職業 , たしかさとカ { 迎えられて , 初演は 17 就業状態 , 従業上の地位 , 就学 , 不 カ月という長期続演を記録した。歌 具廃疾などで , 55 年と 60 年の調査で 舞伎化も初演開始後 2 年のうちに江 は , 過去に生まれた子どもの数 , 60 もつ。もっとも大きな用途は製鉄で , 年の調査では , 1 年前の住所が調査 戸の中村 , 市村 , 京都の都万太夫そ 銑鉄 1 トンの製造にコークス 0.8 ~ の他東西 5 座が争って上演した。そ 事項に加えられた。調査に対して個 0.9 トンを必要とする。化学工業では して , 和藤内は歌舞伎の「荒事」の コークスから水性がスをつくり , そ 人または法人は申告の義務があり , 典型的な役がらとなった。 の水素を利用してアンモニア , 硫安 不正の申告や , 調査票を統計上の目 〔榎本〕 こくぞう〔穀象〕世界共通の穀 などが製造される。またカーノヾイ 的以外に使用することはできない。 65 年 10 月 1 日の第 10 回国勢調査によ 物害虫で , ゾウムシ科のこん虫。ロ アセチレン , 石灰窒素工業の重要な る日本の人口総数は 98274961 人であ が長く吻状に前方にのびているの 原料となるほか , 燃料がスの製造に 〔川北〕 でこの名がある。成虫は体長 3 ~ 4 も用いられる。しかし近年一般に製 った こくせき国籍その国の国民た 鉄用その他の用途もしだいに減少し mm で米 , 麦類 , トウモロコシなどの ることの資格。国籍をもっという 穀類に小さな穴をあけてその中に産 つつある。 〔橋本〕 こくぜいちょう国税庁内国税 とは , いついかなる場所ででもその 叩する。かえった幼虫は白色のうし 人間がその国の主権下にある権利と で , 穀粒の内部に穴をあけながら食 の賦課徴収などをおもな任務とする 官庁。 1949 年の大蔵省設置法で , 従 義務をもっことを意味する。公法上 い進み , その中でさなぎになり成虫 の権利義務はもとより , 私人に対す となる。夏には 1 カ月以内で卵から 来主税局に含まれた内国税徴収現業 部門を分離設置したもの。内部部局 る国家の保護も国籍に基づく。国籍 成虫まで進み , 1 匹の雌が 300 ~ 400 個も産卵するので , 貯穀はたちまち に長官官房 , 直税部 , 間税部 , 徴収 は元来自然人について考えられたも 粉状となり , 大害を受ける。近似の 部 , 調査査察部があり , 地方支分部 のであるが , 最近では法人 , 船舶な 種に , 日本にふつうのココクゾウが 局に東京 , 関東信越 , 大阪 , 札幌 , 仙 どにも使用されるようになった。ま あり , 体長 2. 5mm 内外 , 海外には体 た従来では , 法律に定める条件を備 , 名古屋 , 金沢 , 広島 , 高松 , 福 長 5 mm ぐらいのグラナリアコクゾウ える個人にその国の国籍を強制的に 岡 , 熊本に国税局 , 国税局の事務分掌 があり ( 日本には産しない ) , 同様の 与える ( 国籍強制主義 ) とともに , 国 機関に全国数百の税務署がある。ま 害をする。倉庫などで大発生した場 籍離脱の自由を認めなかったが , 18 た所属職員の職務に関連した犯罪捜 合は , 臭化メチルなどのくん蒸剤を 68 年以降米国が帰化による国籍取得 査のため国税庁監察官がいる。付属 用いて駆除する。 〔長谷川〕 の自由を認め , また国籍離脱の自由 機関として国税庁協議団 ( 国税庁長 187 ( ) 年には英国でも をも宣言した こくたか石高 16 世紀末の / 太 官が所得税など直接税たる国税に関 国籍非強制の原則をたて , 日本では 閤検地以後 , 江戸時代を通して行な する再審査の要求に対する審査の決 明治憲法下の国籍法で非強制主義を われた土地の生産高を示す方法。生 定をする前に意見を聞かなければな とり , 第二次大戦後の新憲法では国 産高とは , / 検地のさい , 300 歩 1 らない機関 ) , 税務大学校 , 釀造試験 段 ( 反 ) を基準に面積 x 品位 ( 上 , 中 , 籍離脱の自由を基本的人権として保 所 , 中央酒類審議会 , 税理士試験委 障している ( 憲 22 , Ⅱ ) 。 下などの区分 ) によって一筆ごとに 員がある。国税庁の任務は内国税の 出され , 検地帳に記載されたもので 国籍法 ( 昭 25 法 147 ) は日本国民で 賦課 , 徴収のほか税理士試験ならび ある。たとえば , 「上田 1 段で , 品 あるための要件を血統主義によって に税理士の登録および監督 , 職務上 位が 1 石 3 斗だとすると , その耕地 定めている。すなわち父が日本国民 の犯罪の捜査および措置 , 酒類製造 の石高は 1 石 3 斗」というように であること , 父が知れない場合ある 業や販売業の免許 , 酒類製造販売業 なお品位に付随する石盛は , 時と いは父に国籍がない場合には , 母が 「川・北〕 者の監督などである。 所でまちまちだが , ふつう品位によ こくせいちょうさ国勢調査政 日本国民であること , 父母ともに知 る石盛の差は , 「 2 下がり」とされた 府が全国民について行なう人口状況 れす , もしくは国籍をもたないとき すなわち上田 1 段 1.3 石のところは は , 日夲で生まれたことを必要条件 の調査。租税 , 兵役 , 労務割当のた 中田 1.1 石 , 下田 0.9 石というように としている。これに対して , 米国の めの人口調査は , すでに古代エジプ 2 斗すっ下がった。畑は田の 2 斗下 ように主として出生地によるもの ( 生 ト , 紀元前の中国などでも行なわれ , がりで , 上畑が中田を相当させて数 地主義 ) もある。この場合 , 父母が日 日本でも大化改新のころにはこの種 えられた。この石高を 1 村にまとめ 本人であれば米国で生まれても日本 の調査が行なわれている。近代にい たものが村高であって , 江戸時代に の国籍を取得でき , 他方 , 米国の国 たって各国とも財政 , 産業 , 軍事な 村高 1000 石を越すと大村とされた。 籍をも取得できるので , 二重国籍が ど各種行政の基礎資料とするためひ 〔浅沼〕 生する。いつばう無国籍という現象 ろく行なわれ , 1790 年米国 , 1801 年 こくたん〔黒檀〕インド , セイ も各国の国籍法の空隙から生する 英国 , 1821 年オランダ , 1835 年デン ロン , タイなど南アジア産のカキノ こともある。このはか無国籍は国家 マーク , 1848 年ベルキーなどでそれ キ科の常緑高木。いわゆる唐木とし の消滅 , 併合などによっても生する。 ぞれ第 1 回の国勢調査が行なわれた て昔から賞用されたもの。葉はカキ 日本では , 1902 年「国勢調査に関す 〔川北〕 / 帰化 / 国民 0 ツ」い、ト、 0 0 0 7 0
コウ 3 たが , 今日でも , 東海岸のマドラス 中とか講仲間ともいう。元来講とい うのは , 奈良 , 平安時代に仏典を講 から西海岸 , ケララ州へ通する交通 之田ノ、 するための集会の名称であったとい 上の要点。 18 世紀に建てられたヒン ズー教シバ派のベルル寺院は有名で われるが , 日本には古くから宮座の ある。 ような強い信仰的な組織があって , 〔斉藤〕 こう鋼 / 鉄鋼 それも仏教的な講組織を成立させる こう香わすかに加熱すると芳 ことに影響を与えている。 香を発するもの。ふつう / 香木と練 〔神道的な講〕伊勢神宮を中心にし ンこ一 香とにわけられる。香は仏教伝来 た伊勢講が全国的に分布するのをは とともに日本に伝わったが , 室町時 じめ , 地方的な規模で特定の神社に 代に匂の芸術としての / 香道が成 参拝して家内安全と家業繁栄を祈願 立する一方 , 武十の間では衣服や甲 する講もすこぶる多く , 湯殿山 , 金 胄誓引に香をたきしめるのがたしな 華山 , 鳥海 , 榛名 , 鹿島 , 三峰 , 大 みとされた。また袋に香を入れて匂 山 , 戸隠 , 諏訪秋葉 , 富士 , 津島 , 袋として携帯したり , 掛香といっ 愛宕 , 稲荷ぢな , 住吉 , 金比羅 , 山 て室内や店先に掛けたりした。 この 上 , 英彦気霧島などの講が知られて 成田講。図は明治初年 ような風習はしかし , しだいに欧米 いる。また大社講 , 扶桑講 , 御岳黔講 は村のなかとか近接地にある村をめ の絵で , 上方 ( 左 ) と江 風の / 香水にかわってきた ( / 香料 ) 。 ( 神道御岳教 ) , 吐菩加美講 ( 禊豎 ぐって , 信徒および信徒でなくとも 戸 ( 右 ) の講中が成田不 〔宗教における香〕香をたき不浄を 教 ) , 黒住講 , 神習講など教団信徒が 同部落や近接地に居住する者を要員 動尊へ参拝するところ はらい神をまつることは古代民族の 講をつくっている例もあげられる。 として組織された講で , 日蓮宗の題 間に一般に行なわれた宗教上の儀礼 江戸時代に発生したものもあるが , 目講 , 身延講 , 浄土真宗の報恩講 , であった。古代のスキタイ人は大麻 たいてい 1874 年の教部省通達によっ 念仏講などがある。また民間信仰的 て講社として結集し , その後しだい の種子を焼けた石に投げて , その煙 な講で仏教的色彩を強くもつものに を浴びて不浄をはらった。仏教では , に改正されて , 現在は宗教法人とし 念仏講 , 観音講 , 子安講 , 地蔵講 , 香をたくと悪気をはらい心識を清浄 て取り扱われることとなった。氏神 阿弥陀講 , 薬師講 , 大師講などが にするものとして重要な位置をしめ , を祭る氏子の組織も講の名でよばれ ある。 仏像 , 仏具にも香木を用いること多 るが , これには同し部落や村の者が 〔経済的 , 社交的な講〕宗教的な講 く , 経文のなかにも香についての記 すべて参加する場合と , 宮座の株を においても信仰を拡大するために信 述は少なくない。また香は供養のほ 持っ特定の家だけで結成する場合と 者の祈願や宿泊の便をはかることを かに仏や聖僧などを迎えるものであ があり , 明神 , 春日 , 天神 , 八幡 怠らなかったが , これがしだいに旅 り , 仏の使いでもあるとしている。 などと氏神の名をつけたり , 宮講 , 行の楽しみを主とする遊山講とか代 焼香に用いられる香は原料の樹皮 , 氏神講 , 宮座講あるいは荘厳う講 , 参講とよばれるものに発展した。ま 葉などを粉末にしたものが使用され 御弓講 , 結鎮講など , 行事や祭日の た社寺への参拝といっても , 講員全 るが , 近世からは取扱いが容易なと 名でよばれる。 部が参拝できないことが多いから ころから / 線香が普及している。キ 〔民間信仰の講〕伊勢講とよばれる 代参講といって , 一定金額の講金を リスト教では , キリスト降誕のしる 組織は純粋に伊勢参りを目的とした 出し合い , 何人かが交替で参拝する しを見た 3 人の王の来朝したときの ものだけではない。参拝しないでも ようになった。代参者の出発や帰郷 ささげ物の一つとされ , その燃焼は 掛軸を中心に祭ったり , 農神の祭日 には , 講員全部の共同飲食が行なわ 熱心 , その芳香は徳 , その煙は神の に参集して , 田の神や山の神を祭る れるが , 代参者の参拝中は道中安全 玉座にまで立ちのばる祈りを象徴す 場合もあり , 神道の講は民間信仰と、 を祈り , 村が一種の物忌生活にはい る。ラテン式典礼のキリスト教会で しばしば混しりあっている。民間信 ることもあって , 伊勢講がことに厳 は盛式ミサその他の祭式で , 東方熱 仰の講としては , 山の神 , 田の神 , 重である。これらの講には , 帰ると 帯産樹脂を粒状にしたものが用いら 地神 , 水神 , 天神 , 蚕神 , 竜神など きに神仏の分霊を勧請うし , ほこ れる。 〔三条西・小林〕 の講 , 庚申講 , 月待講 , 精進講 , らを建てたり , 各家へは , お礼など こう講信仰を同しくする者の 汁講などがある。田の神講は村の規 を配ることも行なわれた。代参制に 集団をさす場合と , 経済的な相互扶 約や行事を決める村寄合いとして運 よる講の資金は , 積立金式の拠出制 営されているものが多い。 助を目的とする契約講をさす場合が 度もあるが , 共有の田や畑 , 山から 〔仏教的な講〕仏教的な講の一つは あるが , 経済的な講も宗教的な講を の収益をあてる方法などがあった 有力な寺院を中心に結成されたもの 基盤として成立したものが多い。講 そして余剰の金が講員に貸し出され るようになって金融扶助的な / 無尽 , が宗教的結社としての性格をもっと であり , 講集団の所在地と信仰の中 心、地は遠くはなれている。もうーっ きは講社とも称し , その構成員を講 / 頼母子などの経済的な講が成立 をふり呪 ( ヒゅ ) 文をと なえつつ登山する。右 は萱講。萱屋根を共同 でふくための協力組織 ョフ日 当主を