けるように誘導する道具 ) をくふうす つも正しく直角に削ることができる。 れば労せすに的確な工作ができる。さ e. カンナ刃が欠けていたり , 切れ味の て , ノコギリを使用するさいは , 前後 にぶいものは , トイシにあててとぐ。 わずかに切れ味のにぶった程度のもの に点検することが大事で , ますノコギ は合せト ( 仕上ト ) でよいが , いたみか リの刃先を手で平気で逆になでられる たの程度によっては青ト ( 中ト ) からは ようでは切れ味がよくなく , 目立ての 必要がある。目立ては , 刃形がよくわ しめたり , 荒トからはしめたりし , 最 かっていれば , 少し練習すればできる 後にはかならす合せトでとぎあげる。 が , 道具屋にたのむほうが無難である。 とぎの限度は荒トでは刃表をといで , 使用中は立てかけておくようにし , 保 刃裏に刃がえ - りができるまでとぐが , 存は柄にひもをつけてつるしておくの これではしめてトイシがあたっている がよい ことになる。それ以上荒トにかけるこ 2 ) カンナ工具中でいちばん多く使 とは消耗するだけで , 次に青トにうつ われるので , いたみも多く , 手入れも し , 荒トの筋 ( とぎあし ) が完全に消え たいへんである。例として新品の二枚 るまでとぎ , 合せトでは青トの筋が消 がンナについて , 点検と手入れ法を順 えて , 合せトのとぎはだになるまでと に説明する。 ぐ。刃先の角度は 25 。くらいが標準で a. 刃先が髪の毛一筋ほど台の下端 ( し あるが使って刃先がすぐ切れなくなる たば ) にのぞくようゲンノウで打ち込 ものや , 刃かけができやすいものは刃 み , 刃先が左右一様に出るようにする。 角をもう少し大きくしてとぐ。刃裏は b. 裏金の刃先が鋭利でなかったら , と 裏切れなど特別な場合のほかは荒トに いでから打ち込む。裏金の刃先は少し かけない。 とぎあげるときは刃表と刃 裏を交互に何回か合せトにあてて , 刃 控えめにするが , カンナを逆にして持 がえりを完全にすり落とす。 ち , 下からゲンノウで打ちあげ , この とき逆光線で下から見れば , どこまで 3 ) ッチカンナ刃を抜いたり・打ち込ん 打ち込めたかがよくわかる。で台 だり , クギを打ったりなど多くの場合 の表のほうから 2 枚の刃の間をのぞき , に使われるが , ッチの使い方としては , 刃裏が完全に密着して , すきまが見え 重さを十分利用した使い方をするとよ なければよい。すきまのあるものはと い。クギ打では , ゲンノウの平らな小 いで密着するように修正しないと使用 口がクギの頭に対して平らに当たり , できない。裏金のかしらの左右は , 少 力が正しくクギの方向に及ぶのがよく , し折り曲げてあるが , この折り曲げ方 最後の一打をゲンノウの丸い小口で打 が少ないために圧迫が不足して密着し っと , よく締まり , 板面にツチあとを ないものもある。裏金はいちど合わせ つける心配もない。 ておくと , それほど狂わないから , 買 〔材料の選び方〕樹木の繊維は縦に並 うとき合わないものは直させる。 んでいて , 生長によって外へ外へと年 c. カンナの台の下端は平面定規のやく 輪をつくっていく。年輪は外側ほど若 めを果たすもので , これが正しく修正 い組織で柔かく , あらく , 水分を含 むことも多い。 このような質の不均一 されていなければ板は平らに削れない。 点検法は , 古い鏡や事務用厚板がラス なものが , 板材や棒材に製材されるか などを定盤として , べンがラを自転車 ら割れが起こり , そりが起こる。しか し自然乾燥では十分でないが , 人工乾 油などでべとべとに練り , これをばろ 燥によって含水率を下げると , いくら で定盤面に薄く塗りひろげる。刃先を わすかに引っ込め ( 定盤にあたらない か変化が少なくなる。それでも外気中 程度 ) , 台を定盤とすり合わせる。ます の湿度の影響を受けて , 膨張や収縮を 第 1 に , 刃ロの部分が , コロをはさん するため , 狂いを絶無にすることは不 だように高くなっていて , カタカタす 可能である。しかし木材の組み方によ るし , また , 台の両側が縦にすっと高 り , その動きを抑制し , 表面塗装など によって外気との接触をたち , 木材の くて , その間が低い一 ともわかる。 これをがラスの破片 ( 細いガラスをが 狂いを少なくすることができる。さら ラス切りで端にちょっと筋を入れる に , 木材は縦に強いが横に弱いこと , か , 金ャスリでかどに傷を入れて , 2 材質が均一でないこと , 乾燥材でも外 角ぐらいに割る ) のよく切れる部分 気の影響を受けることなどの欠点をも で , べンガラの色のついた部分だけを , っている。しかしこれらの欠点を補い , 木目を横にして削り落とす。定盤にす 木材の長所 , すなわち軽くて強いこと , り合わせては色のついた部分を削り , 加工しやすいこと , 木目やはだあいが これをくりかえして下端全体に平均に 柔らかく親しみぶかいというようなこ 色がつくようになればよい。なお , 刃 とが生かされるように工作を進めるこ をひっこめてあるので , 刃ロの上の台 とが木工の基本であって , 構造はそこ 部は , 刃の圧迫でとびだす部分である から生まれてくる。接着剤などすぐれ から , 最後に刃ロの上の部分半分くら たものがあるから , 従来の構造にとら いをひと削りしておく。 われす新しい構造を生み出すことが可 土板のこばや木口を正しく直角に削る 能で , 補ーっ作るにもいろいろのくふ とき , カンナ台を削り台に横に立てて うを生むことができる。 使うが , そのとき下になる面を , 下端 1 ) 廃材家庭工作ではよく廃材が利用 と直角になるよう修正しておくと , い されるが , リンコ・箱などの荷箱類は材 削る方向 さかめが立っ 削る順序 1. 表ご裏 3. 木ロ カンナの動きが点線のように , 前後で傾斜し ないように注意し , 矢印の範囲で水平に削る カンナの使い 方ど手入れ は小えきる は片ナのる るた るろをがに るにカて用 削後材れうめを をの角くよ をのてにを ′・なさ ば料あ横面ロ斗 こ材をを平木材ささな を台 刃 板の表を削る 刃を出すには , 台じりをたたく 斜めにはいった刃は刃がしら を横からたたいてなおす 裏金が密着していない ご , すきまにカンナく すがつまり , 削れない 裏金ご刃裏が密着して いるかごうかを , ロの 表から逆光線でのぞく 一枚刃では , X 印のごころ で板を押えて いる。ニ枚刃 では裏金がカ ンナくすを方 向転換させる 刃ごきの良否 刃先がまるい 裏ぎれ 斜めごぎ
シホンロン 5 6 8 しほんろん資本論 Das Kapi 〔島の分類〕島は単により大きな陸 れる。絹のしまものは中国より伝わ taI—Kritik der politischen 0k0- っていたが , 南蛮交易が行なわれる 塊から海面で切断された陸塊である nomie マルクスの主著で , 経済学 ようになると唐桟 , セイラスしま から , 地質構造上島のみでみられる 最大の古典の一つ。全 3 巻 ( 1867 ~ ような特別の性格はなく , などの織物が渡来し , これを島物結 , ただ面積 94 ) 。資本主義的生産と流通の諸法 唐物などとよんだため , 島物の島 が狭くなるにつれて変化に乏しくな 則を明らかにし , 資本主義社会の生 るだけである。むしろ島を形づくる に縞の字を当てたものといわれる。 成 , 発展 , 消滅の心然性を証明し , 地殼運動が分類の基礎として考えら しまがらの種類は無数にあるが古く 科学的社会主義を理論的に基礎づけ から知られたものを例示すると下図 れる。この意味でかってウオレスが たもので , 次の 3 部より成る。 1 ) 資 のようである。しまはふつう異色の 提唱し , 現在でも使用されている陸 本の生産過程 ( 第 1 巻 ) 商品の分析 糸を織りこんで筋模様を出すが , 糸 島と洋島の区別が重要である。大陸 にはしまり , 資本の直接的生産の面 の太さや種類の異なるものを筋に織 の周辺の海には浅い / 大陸だな部分 から資本主義社会の基本的構造を分 りこんで , 織しまもつくられている。 があり , 地質学的には大陸の一部を 析し , 資本が獲得する利潤は労働力 しま織物としては , 綿織物では遠り・日 構成するとみなされる。この大陸だ に基づく剰余価値であるが , 資本家 じま , 松阪じま , しま結城など , なにある島 , すなわち海面を約 20 ( ) m は労働者からの搾取を強化するため 絹織物では糸織しま , しま御召 , しま 下げると大陸と地続きになるような に大工場と機械生産を採用し , その めいせんなど , 毛織物ではしまセル , 島が陸島で , 日本やイキ、リス , イン ため労働者階級は失業と貧困にさら しまラシャ , しまモスなどがある。 ドネシアなどを含め , 大陸周辺の されることを説く。 2 ) 資本の流通過 なお化繊織物に多くみられる / チェ 比較的大きな島ははとんどこれに相 程 ( 第 2 巻 ) 資本は貨幣資本→生産 ックも格子しまの一種である。しま 当し , 本質的には大陸の一部分であ 資本→商品資本 ( →貨幣資本 ) という 模様は糸染めとして織リこんだもの る。これに対して大陸と無関係なも 3 形態をたどることを示す。産業資 が多いから , 一般に染色は堅ろうで , のが洋島であり , ポリネシア , 本家が貨幣を生産過程に投下して生 ロネンアなどの島々がこれに当たる。 もめん白地のしま物は洗たくにもよ 産を開始すると , 商品はより大きな く耐える。 また島の集合の状態から諸島 , 群島 , しま島学問的にみて島につい 価値の貨幣として回収され , そこに 列島などの区別がなされる。はは、列 利潤が実現される。この過程は個々 ての厳密な定義はない。むしろ慣用 状をなして連なる列島にはアレウト , の資本家によってくりかえされるだ 的によびならわされていることばが 千島 , 琉球 , 大スンダ , 小スンダな くわしく分析されているのみである。 けでなく , 社会全体としても行なわ どがあるが , 諸島 , 群島は区分があ れることを説く。 3 ) 資本主義的生産 すなわち「 / 大陸に比べて相対的に いまいで厳密な違し・、はない。なお本 の総過程 ( 第 3 巻 ) 剰余価値が具体 面積の狭小な , しかも水圏によって 事典では日本関係の諸島 , 列島につ 的には工業利潤 , 商業利潤 , 利子 , 完全に周囲をとりかこまれている陸 いては文部省のく地名の呼び方と書 地代などに分配されること , 競争の き方 > のなかの「日本の主要自然地 塊」が島であるが , これだけでは不 結果 , 利潤が各部門で平均化される 域名称の書き方」によった。また外 十分な点が多い。大陸として最小の ーとが明らかにされている。 オーストラリアは島大陸とよばれる 国関係については原則として諸島と 以上 3 巻のうち第 2 , 第 3 巻はマ こともあり , グリーンランドは世界 した。 ルクスの死後 , その遺稿によりエン 最大の島であるが , これを大陸とす 規模の大きな島では地質構造も地 ゲルスの手で刊行され , また第 4 巻 る学者もある。また日本のみを考え 形も複雑な構成を示すが , 小さい島 として準備されていた < 剰余価値学 れば全体が島であるが , 本州 , 四国 , は変化に乏しいため , ある程度は地 説史 > も 1905 年以降カウッキーによ 九州 , 北海道は一般には本上と考え 形からみた区分も可能である。火山 って刊行された 〔進藤〕 られ , それ以外の属島のみが島とさ 島は火山活動によってできた島で , しま縞織物のがら。織物のた れる。すなわち島はより大きな陸塊 日本では伊豆諸島で代表され , 太平 て , よこ , あるいはたてよこの両方 ( 大陸あるいは本土 ) の存在によって 洋中のハワイ諸島などは , 深海底か 向に筋模様を現わしたもので , それ はしめてそれに付属するものとして ら海面上にそびえるきわめて大きな ぞれたてしま , よこじま , 格子しま 成立する相対的な概念であり , 大陸 火山といえる ( / 火山 ) 。サンゴ島は という。日本古代の綺はたてしま , もしくは本上なくしては存在しない 太平洋西部の熱帯地方に多く分布し , 倭文布はよこしまであると伝えら / サンゴ礁の分布の状態から裾礁 とばといえる。 の島 , 堡は礁の島 , 環礁に分けられる。 地塁島は断層によって作られた地塁 が , 海面上にあらわれた島で , 長崎 県の五島列島がこの例とみられ , 直 線状の配列を示すが , さらにこまか く分かれて五つの島をなす ( / 断層 ) 。 段丘島は島全体が海岸段丘によって 作られる珍しい例で , 熱海沖の初島 がこれに当たるといわれる ( / 段丘 ) 。 〔島の景観〕地球上無数に分布する 大小さまざまな島も , その位置の相 違によって気候の変化が大きく , 景 観もこれによる変化が大きい。最暖 月でも平均気温 1 ( ) ℃に達しない寒帯 では , 植物もわすかに地衣類 , コケ 類が夏季生育するだけで , 年の大半 は水雪にとざされる。グリーーンラン ドでは内陸水河が島のはは、全面をお おい , 海岸地方にわすかにエスキモ ーなどの原始的生活がみられるにす ぎない。北極海周辺の島々 , 南極付 大名しま 万筋しま 幅通しじま 三筋しま やたらじま 格子しま 住国 弁慶じま 子持ちしま 棒じま よろけじま
シャルトル聖堂西側正面 12 世紀 パリの南西約 80 k m の , シャルトルのノートルダム。最初の建立は古く 4 世紀にさかの ほ・るが , その後いくどかの災害にあい、現存の聖はロ 94 年の大災のあと建て直された もの。トリビューンをとりのぞいた 3 層構成の建物で , ゴシック古典様式の最初の例 とされる。もっともここにかかける西正面フアサードの部分は . 三つの入口部、三つ のステンドグラス部 , ニつの塔部のいすれも大災前の姿をそのまま保存しており、 に世紀中葉のものである。とくにポルタイユ・ロアイヤルとよはれる三つの入口部は . キリスト顕頌に関するに世紀最美の彫刻で飾られている。ただ , はら窓および上部の 若千部分 ( 13 世紀 ) , 左鑪塔の尖塔部 ( 15 世紀 ) などに、再建後の個所をもつのみて・ある ゴシック 1
コウギョウ 皇居 ( 補 ) 現在 , 皇居 内の旧宮殿跡に造営中 の新宮殿は , 基本設計 者東京芸大教授吉村順 , 建坪 12169m2 , 延 床面債 22949m2 , 地下 1 階 , 地上 2 階の鉄筋 コンクリート造りで , 1964 年 6 月起工式を行 なった。総工費は当初 予算では 80 ~ 90 億円 , 完成は 67 年春の予定で あるが , 1 年ぐらい延 びる模様である。完成 後は , 国賓の接待 , 歌 会始めなど公的 , 国家 的な儀式 , 儀礼がここ で行なわれる。また 66 年 2 月には皇后還暦記 念の楽部音楽堂が , 皇 居東地区の楽部わきに 完成した ツ風を併用していたが , 1945 年 5 月 戦災で焼失 , 48 年 7 月以後は宮城の 呼称が廃され , 皇居とのみ称するよ うになった。天皇は吹上御苑懿内 の御文庫に移住し , / 宮内庁庁舎の 一部が改装されて仮宮殿にあてられ ていたが 61 年吹上御所が完成 , 天 皇 , 皇后はそちらに移り , 旧宮殿跡 には新宮殿を造営中である。 皇居は地勢上三つに分けられる。 すなわち東の岡が旧本丸の地で書陵 部 , 呉竹寮 ( 皇子 , 皇女の住居 ) , 楽部などがあり , 西の岡が旧西丸の 地で , かって表宮殿があり , その北 西の紅葉山じのふもとには奥宮殿 カ { あった 北西部一帯が吹上御苑で , 宮中三殿 , 御文庫 , 生物学御研究所 などがあり , 宮内庁は旧西丸の北東 の低地にある。正門前に皇居石橋 ( めがね橋 ) , 背後に二重橋鉄橋があ る。皇居を参観するには , 参観願と 参観者名簿 ( 住所 , 氏名 , 職業また は役職 , 年齢を記入 ) 2 部を 10 日前 までに宮内庁管理部管理課監守係 ( 東京都千代田区皇居内 ) に提出して その許可を受けなければならない 皇居前広場は正式には皇居外苑と よばれ , 1950 年以降厚生省国立公園 局の管理下にあり , 新宿御苑 , 京都 御苑とともに国民公園の一つとなっ ているが , もと皇室苑地であったも のを 1947 年 12 月 27 日の閣議で国民の 利用に供することが決定されたもの である。面積は千鳥ガ淵社 2 などの 濠の部分をふくめて約 99 万 m2 ( 外苑 の部分は約半分 ) である。〔平野〕 こうぎよう工業工業が農林漁 業や鉱業など原始産業または採取産 業とよばれる産業と区別されるのは , それが原料を加工する産業であると いうことである。農林漁業や鉱業の 場合には , 人間は自然に直接はたら きかけて動物の捕獲 , 飼養 , 植物の 栽培あるいは鉱石の採掘などを行な うが , 工業の場合には , 農林漁業や 鉱業などにおいて生産されたもの , すなわち , すでに間の労働が加え られた原料や材料を労働の対象とし て人間の生活に有用な物資を生産す る。工業とは物をつくる産業である という意味で , とくに製造工業とよ ばれたり , あるいは単に製造業とよ は、れるカヾ , この場合 , 電力 , ガス , 水道などは公益事業として統計上製 造業とは別に分類されるのがふつう である。また , 農林漁業を第一次産 業といい , 商業 , 運輸通信業 , サー ビス業などを第三次産業とよぶのに 対して , 工業 ( 公益事業を含む ) ば鉱 業 , 建設業などとともに第二次産業 とよばれる。第二次産業 , とくに工 業は近代社会に必要な物資を大量に 生産する産業であり , その発展の度 合いが国の経済進歩のもっとも重要 な指標となっている。 〔工業生産形態の発展過程〕物をつ 1 6 くるということは , そもそも人間を 動物から区別する特徴であり , その 意味では工業は人間の歴史とともに 古くからあったことになる。しかし , どこの国でも歴史をさかのばれば , 古くは工業は農業と一体で未分離の 状態であった。そこでは原料の採取 もその加工も同一家族のなかで行な われ , 物をつくることは農家の片手 間仕事であった。 これが家内工業あ るいは家内仕事とよばれる段階で , それは自給自足の自然経済の必然的 な付属物であった。本来の工業の歴 史は , 工業が農業から分離独立して いくところから始まる。家内仕事の 段階をすぎ , 家父長的な農業から工 業が分離する最初の形態は手工業で あった。手工業の特徴は消費者の注 文に応じて物をつくることで , 技術 的にも家内仕事の段階よりはいっそ う進歩していた。手工業が発達した のは中世であって , とくに欧州の都 市で高度な発展をとげた。その典型 的なものがギルド制手工業であった。 それは領主 , 貴族あるいは僧などの 住む都市生活の構成部分であったが , 農村にもひろく普及し , 農民経済の 補充的部分となっていた。作業は親 方の仕事場で行なわれた。親方の下 には職人と徒弟がいたが , 親方もみ すから働いたし , 熟練者でもあった 手工業者が消費者の注文によってで はなく , 利潤を目あてとして市場生 産を始めるようになると , 生産物は うした小商品生産の 商品となる。 形の工業は , 英国では 13 世紀ごろか らおもに農村で現われたが , 小商品 生産者のなかから , 多数の労働者を 同し場所に集め , 同種の商品を同一 人の指揮の下で生産する者が出てく る。これが資本家的単純協業とよば れるもので , それが分業を採用する ようになると分業に基づく協業すな わち / マニュファクチュアが成立す る。マニュファクチュアでは機械は まだ用いられす , 技術的には手工業 の段階と同しであったが , A. スミス がく国富論〉のなかで針の生産につ いて述べたように , 多数の労働者を 使い分業に基づく協業によって生産 するようになったために , 生産力は 大きく発展した。マニュファクチュ アは農村だけでなく都市にも現われ るが , 農業と工業との分離は完全に は行なわれなかった。しかし , 手工 業や小商品生産の段階と異なり , 資 本家と労働者が分離したという点で は , 資本主義的工業生産の始まりを 示すものであった。 18 世紀の後半 , 英国で始まった / 産業革命は新たな 工業生産の形態として工場制生産を この段階の基本的な特 生み出した 色は , 生産のために機械体系を使用 することで , それは数百年間にわた ってつづけられてきた職人の手工業 的熟練を一挙にひっくりかえすはど 完全な技術的変革であった。工場制 工業はその高い生産力で手工業やマ ニュファクチュアなどの工業生産の 形態を圧倒するとともに , 資本主義 そのものを急速に発展させる推進力 となった。工場制工業においては , 工場や機械など生産手段を所有する 資本家と , 労働力だけを提供する労 働者との対立は決定的となり , マニ ュファクチュアよりもはるかに大き な規模で , 利潤を目的とした大量生 産が行なわれる。手工業の段階以来 しだいに農業から分離してきた工業 は , 工場制工業にいたると , 完全に 農業から独立するとともに , 工業内 部では大経営による小経営の駆逐と 資本の集中が進み , 現代の独占資本 主義の基礎をつくり出した。 〔工業の分類〕工業生産物には衣料 や食料など人間が直接消費する物資 と , 機械のように生産手段として役 だつ物資とがある。前者を生産する 部門を消費財工業といい , 後者を生 産する部門を生産財工業とよぶ。歴 史的にみると , たとえば毛織物を生 産するために紡毛工業や織布工業が ます起こり , それに伴って漂白や染 色のための化学工業が発生し , さら にそれら工業に必要な機械工業が発 消費財工業が 達するというように 発展の出発点となるが , 消費財工業 が発達すればするほど生産財工業も 発展するようになる。資本主義の発 展とともに生産財工業の比重はしだ いに高まるが , 生産財工業の発達は さらにそれに必要な生産財需要の増 大を促し , 「鉄は鉄をよぶ」といわれ るような産業連関需要をひき起こす。 工業を消費財工業と生産財工業と に分類することは , 経済学上は重要 な意味をもっているが , 一般には工 業製品の重量を基準として , 重工業 と軽工業という分類が行なわれてい る。重工業には金属工業や機械工業 が , 軽工業には繊維工業や食料品工 業が含まれる。重工業はほは、生産財 工業に相当するが , これと 20 世紀に はいってから急速な発達をとげた化 学工業とをあわせて重化学工業とよ び , 重化学工業の比重が高いことが 工業発展の尺度とされている。重化 学工業は軽工業と比べて大規模な生 産設備と膨大な原料を必要とするた め , それに必要な資本は巨大な額に 達する。また , 投下資本のうち労働 者の賃金に対する支出部分より , 工 場設備や原料 , 燃料などに投下され る部分のはうカ { はるかに大きくなる。 これを「資本の有機的構成が高い」 という。軽工業が中小企業によって 営まれることが多いのに対して , 重 化学工業は大部分が大企業によって 占められている。 〔工業化とその影響〕国が農業国か ら工業国に進むにつれて , 国の経済 や社会には深刻な変化が生する。自
4 9 0 が上昇したために , 港が浅くなっ 三浦半島油壺付近は , 年々沈下していたが , 船が出入できなくなったり , 沈下 面地 関東地震で急に 1205 たために海水が陸上に侵入した例 ー下起 東 も隆起した。右はその 多い。また震源が海底にある場合 : グラフ ( 横軸は年 ) 。写 は , 海底に生した地殼変動に伴っ 真は油壺海岸で , 矢印 / 津波を起こす。三陸沿岸はたび 海土」 205 隆起 の 3 個の標石より下の ↓面地 部分は , 関東地震以前 び大津波におそわれたところであ 上沈 には海面下にあった - ーー - 昇下 て , なかでも 1896 年 6 月 15 日およ 1933 年 3 月 3 日の三陸沖地震のさし の大津波では大被害をうけた 〔地震と火災〕地震動によって構、 物にも被害が生する。 / 耐震構造 は , 地表面に沿って伝わる別の種類 図上におのおのの観測所からその 完全であればます大しようぶであ の波も生する。これを表面波といい P S 時間から求めた震源距離を半径 が , 木造家屋などは倒壊するもの とした円を描き , それらの円弧の交 多い。大地震で倒壊家屋がでた場 その速度は S 波よりわすかにおそい。 点から震源の位置を決定することが もっとも恐ろしいのは火災である。 地震動の途中から , ゆさゆさと大き できる。震源の位置は , この方法の 関東地震のさいの死者とゆくえ不日 く揺れ出すのを主要動というが , こ はかにも , 各観測所へ P 波が到着し 者の合計 14 万人のうち , 火災のた れは S 波の部分のときもあるが , 多 た時刻 ( 発震時 ) や , P 波の最初の動 の焼死者が実にその ) % 以上を占 くの場合この表面波の部分である。 き ( 初動 ) が震源の方向またはその逆 ていたのである。 表面波にもいろいろの種類があり , の方向を向く性質があることなどを 〔その他の現象〕大地震のとき , 波の進行方向を含む重直面内で振動 利用しても求められる。 戸水や温泉の湧水量が増減したり するのをレイリー RayIe igh 波とい 大地震に伴う諸現象 濁ったり , または水温が変化したり い , その面に直角な方向の面内で振 〔断層〕大地震が起こると , それに することもある。これは地震動に 動するものをラブ L ove 波という。 伴って断層その他の地変が起こる。 って水脈に変化を生したためと考、 これらはいすれも発見者の名をとっ られる。このほか , 地震に伴って一 地震に伴う断層 ( 地震断層 ) は , 地面 てつけたものであって , 記号で表わ 雷や大砲の音に似た鳴動や音を発 に数 km から数十 km にわたって , 上下 すときは前者を Lr , 後者を Lq と書 東京 , 宇都宮 , 水戸の および水平方向に大きな食い違いを ることもある。これは短周期の地 - くのカ { ふつうである。 観測所で測られた P S 波によって空気が振動して生するも 生し , ときにはそれが数 m に達する 〔震源の位置を求める〕地震のとき , 時間が A 秒 , B 秒 , C のである。また大地震のとき怪しし こともある。 18 91 年 1 ( ) 月 28 日の濃尾 ある地点にます P 波が達してから S 秒であると , 大森公式 光を見たという記録も多い。それら 地震のさいに , 福井県野尻付近から , 波がくるまでの間は , 多くの場合小 により震源は 3 地点か 岐阜市西方約 2 ( ) km に至る延長約 1 ( ) ( ) のなかには , 地震動によって送電線 さい振動が続くので , この間を初期 らそれぞれは km , 6 km , c km の距離にあるはす km にわたって生じた「根尾谷断層」 が互いに接触して発したスノヾークと 徹動という。初期微動の続く時間を である。この距離を半 か , 山中の炭焼かまどのくすれ落ち は有名である。この断層では上下お 初期微動時間または単に P S 時間と 径とする三つの円弧の よび水平方向の食い違いはそれぞれ た光などを見誤ったものもあるが , この時間の長さは震源距離に し、し、 交点が震源であるが , それらのものでは説明のつかない光 最大 6 m に達した。このはかの著し 比例する。 P 波と S 波の伝わる速度 一般には , 震源はある い例では , 北丹後地震 , 北伊豆地震 , もある。これらは地震に伴う一種の が知れていれば , P S 時間の長さか 深さにあるので図のよ 鳥取地震 , 福井地震などのさいの断 電気的現象だと考えられているが , ら震源距離を求めることができる。 うに交わる。この場合 震央は線分 D E , F G , 日本付近の地震の場合には , P S 時 層である。外国の例では , 19 ( ) 6 年 4 原因はまだ十分わかっていない 日 I の交点 J である。 地震の原因 間を秒単位で計り , それを約 7.5 倍 月 18 日米国のサンフランシスコ地震 そして D E (F G , 日 I とその予知 すると単位で表わした震源距離と のさいにできたサンアンドレアス断 でもよい ) を直径とす 地震の原因については , 古くから なる。この関係を発見者 / 大森房吉 層がもっとも著しいものであって , る円弧と , J を通って いろいろな説があるが , 現在の地 延長約 4 ( ) ( ) km 以上にわたり , 水平方 の名をとって大森公式という。した D E に垂直な線との交 震学で考えられている説を大別する 向の食い違いは最大 6 m 以上に達 がって , ーっの地震の P S 時間が 3 点を K とすると , J K が震源の深さを示す カ所以上の観測所で計られれば , 地 と次の二つに分けられる。 1 ) 地下の した 〔山くすれ〕地震に伴う地変で大き / 岩しよう ( マグマ ) に関係づける 震源の位置を求める 山くすれや 2 ) 岩石の弾性的なはねかえりの作用 い被害を生するものに に原因づける説である。日本の地震 がけくすれがある。震央近くの山中 に起こり , 地形によっては川をせき 学者には , 前者の考えを支持するも この説では , 地下のマグ のカ { 多い 止めて , 上流にはんらんを起こし , マが温度変化に伴って固体から液体 またそれが決壊して下流に大洪水を 起こすことがある。また谷間などで さらに気体とその形態を変えるさい 山くすれが起きると , くすれ落ちた の体積変化につれて , 周囲の岩石に 破壊を起こさせ , それが地震の原区 I•. 砂や岩石が谷川とともにひしよう な勢いで流れ下り , 途中にあるもの となるとするものである。後者の立 をすべて押し流してしまうことがあ 場を支持するのは主として米国の地 この説では , 地下椡 る。これを山津波というが , 関東地 震学者に多い。 震のさいに , 神奈川県根府川の町 造の古傷である断層の辺にひすみの をおそった山津波は , 全長約 6 km の エネルギーがしだいにたくわえられ てくると , はしめは断層面の摩擦の 谷を 5 分間たらすで流れ下り , 町の ために動かすにいるが , ある限度を 大部分を土砂とともに相模湾の海 越えると急激にがくんと変動を生し 中へ押し流してしまった。 それまでにたくわえられていたひす 〔土地の隆起・沈降と津波〕大地震 みエネルキ・一が解放される。そのと のさいには , 大規模な地殼変動も生 きの断層の弾性的なはわかえりに し , 広い地域にわたって上地が E 昇 って震動が生するのが地震の原因て したり沈下したリする。海岸で地盤 1 0 四田 20 30 40 50 宇都宮 c km 水 東京
2 5 5 め , いろいろの規則があった。武蔵 併合 , 関税自主権の回復などをなし なっている。 国青梅の鈴法寺と下総国小金の とけ、た。 重類および品質〕小麦には種類が 〔鹿野〕 一月寺が関東虚無僧の両本山であり , く , とくに小麦タンパク質の主体 京都の明暗寺が関西の本山であった なすグルテン ( 麩ふ質 ) 含量の多少 こめ米もみ粒からもみ殼を除 が , 1871 年普化宗の廃止に伴い , 虚 よって性状を異にしている。した いた / 玄米を精白したもの。麦とな 無僧も急減したが , 88 年には明暗教 って小麦粉の品質も原料によって らんで世界における主要農産物の一 しく異なってくる。強力粉は硬質 会が組織されその伝統がわすかなが つである。世界総生産額のうち約 92 麦を原料としているので硬質小麦 ら復活したが , 宗教的意味はうすく % はアジア諸国で生産され , またそ ともいわれ , カナダ , 米国産など なり , 尺八修業の手段としての意味 の大部分がアジアの内部で消費され 小麦から得られる。グルテン含量 しか持たないようになった。 る。玄米はイネのおしべの子房が肥 〔本山〕 多く , 乾麩量はふつう 13 % 以上で , コムソモリスク Komsomol'sk 大してできたもので , 植物学的には 正式にはコムソモリスク・ナ・アム ン , マカロニ , 焼麩 , グルタミン 単なる種子ではなく , 果実に相当す ソーダの製造に適している。薄カ ノレ Komsomol'sk—na—Amur とし、つ。 る部分である。外形 , 粒の大小 , 色 ・は軟質小麦を原料としているので ソ連 , 東シベリア , アムール下流河 日本型は などは品種によりちがい 、質小麦粉ともよばれ , 米国のな平 岸 ( ハバロフスクの下流 365 km ) にあ 短く丸い ( 長さ 4.5 ~ 5.5 mm, 長さと る新興工業都市。人口 192000 ( 1964 ) 。 沿岸 , オーストラリア産および内 幅の比率が 1.6 ~ 1.8 ) か・ , インド型は 1932 年 , コムソモーノレ ( 共産主義青 産小麦の一部などから得られる。 長大な形のもの ( 長さ 5.5 ~ 7.0 mm , 年同盟 ) の青年たちが無人の密林地 長さと幅の比率が 1.9 以上 ) が多い。 麩量 1 ( ) % 以下で , 菓子 , てんぶら 〔米粒の構造〕玄米は胚芽と胚乳か に適している。中力粉は前 2 者の 帯を開いて建設したのを記念してこ コムソモリスク ( 補 ) の名がある。水運および鉄道交通の らなり , 前者は発芽して将来植物体 間のもので , 内地産小麦粉の大部 近時 , 鉄鋼生産も発展 し , 水産および木材コ 要地であるほか , ヤ金 , 機械の大工 のものはこれに属し , 乾麩量約 12 となる部分で , 3 ~ 4 枚の葉と根の ンビナートか・建設され 場があリ , 各種建設資材が生産され で主としてめん類の製造に用いら 原基がすでに分化している。胚乳は た。また樺太のオハか る。そのはか小麦粉は灰分の含量 ている。 〔加藤〕 発芽期の幼植物の養分をたくわえて ら石油パイプラインの ゴムびきぬのゴム引布防水布 よリ等級か・つけられている。これ いる部分で , 米粒の大部分をしめ , 建設計画が発表された 粉の中に混入されているふすまが の一種。以則マキントッシュといわ デンプンを集積した組織である。わ ( 1965 ) 。 オしたのは , スコットランドのチャーー いはど灰分量が多くなるからであ れわれが利用するのはおもにこの部 したがって灰分の測定により製 ルズ・マキントッシュによって 19 - 世 分である。表面に種皮があり , 種皮に 紀の初めに発明されたためである。 ) の歩どまりも推知できる。小麦粉の 接して数層の糊粉 i ん層 ( ぬか層 ) があ 綿布 , 絹布などにゴムを布または リ , この部分はタン / ヾク質 , 脂月方に 級と灰分の含量との関係は , 1 等 はりつけたもので , 耐水性があるの 富むが細胞膜が厚く , 消化が悪いた 分で ( ). 3 ~ ( ). 4 % , 2 等粉で ( ). 4 ~ ( ). 5 防雨外とう でいままでは雨合羽に , め / 精米により除かれる。つまり , 3 等粉で ( ). 5 ~ ( ). 6 % , 等外で ( ). 6 などに用いられた。まったく不通気 こがぬかの主体となる部分である。 1. ( ) ( ) % となっている。小麦粉の栄 性であるためむし暑く , 長く貯蔵し 胚芽と胚乳は盤状体で境される。盤 価を高めるために , ビタミン B 群 , 状体の胚乳と接する部分は , 発芽の ておくと , ゴムの老化によってべた 墲機成分 , アミノ酸類などを添加混 さいに糖化酵素を分泌し , デンプン ついてきたり , 長く使用すると割れ 年することがある。これを強化とい めを生したりすることもあった。衣 を * 唐化し , これを胚芽に吸収させる 日本でも学校給食用小麦粉には 料以外に , 耐水的なおおい布として 作用をする。 田 ( ) g 当り , ビタミン B 1 ( ). 5mg , B 2 ( ). 3 〔種類〕米は搗精の程度により七 利用される。近ごろ , 合成ゴムを用 ng の添加が規定されている。 / 製粉 いて製造するものが多くなり , 品質 分づき , 五分づき , 三分づきなどに なお小麦を丸粒のままひいた粉を は大いに改善されている。取扱いに わけられ , それぞれぬか層が全体の - ひきぐるみの粉」あるいは創始者 は , ぬれたばあいには風十し , しま わ名をとってグラノ、ム粉という。無 約 70 % , 5 ( ) % , 3 ( ) % 除かれたもので , うときにはゴム面にタルクをすりつ 幾物 , ビタミジ類に富んでいて , 白米はぬか層の大部分を除いたもの けておくと粘着を防ぐことができる。 である。また醸造用の酒米は白米を 江で焼いたグラ′、ムノヾンは栄養的に さらにつきへらして , 完全にデンプ すぐれている。近ごろは細かい小麦 ン層だけにしたものである。胚芽米 分にふすまを混合してつくられる。 こむらがえり腓返り神経の病 は精白度は高いが胚芽をなるべく残 〔亀高〕 気のときや , 急に運動をはしめたと すように , 特殊の搗精法をしたもの こむそう虚無僧 / 普化宗に き , 足に力を入れると , ふくらはぎ である。 属する有髪の俗僧。天蓋とよぶ深 ノヾーポイルドライスはもみ の筋肉である腓ひ腹筋がけいれんを のまま高圧で蒸して乾燥したのち精 笠をかぶり袈裟 g をつけ , 尺八を奏 起こしてはげしく痛むこと。体の反 して托鉢をうける。古くは薦をを 白したもので , 白米にしてもそのな 射が整っていないために起こる。水 寺っていたところから薦僧ともよば 泳中に起こると危険である。このよ れ , 普化宗に属してからは普化僧と うな反射の乱れが起こらないために も , スポーツの前には準備運動が必 もよばれた。普化宗は臨済褝の一派 要である。また過労あるいは足の筋 虚無とはいっさいの欲望を捨て , 精進うすることをいう。そのお 肉を酷使する職業などでも起こるこ りは明らカ、でないが , 1254 年法灯 とがある。 〔鐙木〕 こむらじゅたろう小村寿太郎 国師 ( 覚心 ) が宋より尺八の一曲を受 1855 ~ 1911 明治時代の外交官。侯 けて帰朝したのに由来するとも , 楠 爵。日向国飫肥藩出身で , 日清戦 正成の孫の正勝が無と号して尺 争には北京駐在の代理公使として手 八行脚したのがはじめとも伝える。 大阪落城後は多くの浪人が無僧 腕をふるい , のち駐韓 , 駐米 , 駐露 に集まったが , 江戸幕府もこれを利 公使を歴任した。 19 ( ) 1 年第 1 次仕太 郎内閣の外務大臣となり , 習 ( ) 2 年日 用して諸大名の動静を探らせた。く虚 僧掟書 > ( 1614 ) によると , 虚無僧 英同盟を結んだ。 ( ) 5 年ポーツマス会 は武士に限られ , 天蓋をとって顔を 議に全権として出席 , 日露戦争の講 伶わせてはならぬという規定をはし 和条約を成立させた。その後 , 韓国 コメ 4 小村寿太郎 左は元禄以前の虚無僧 風俗で , 元禄以後右に みられるような独特な 姿をとるようになった
コ工 1 1 7 古浄瑠璃うなどに及は、した影響は 雌は長い産卵管をもち , 土中に産卵 尸 母音 大きい し , 発音器を欠くので , なくことが 〔池田〕 こえ声動物の鳴き声や叫び声 できない。日本には十数種を産し , を考えてもわかるように , 声の本来 工ンマコオロギ , オカメコオロギ , ッカドコオロギ , コオロキ、などが の使命は , 敵をおどして自分を守っ 代表的な種類である。暖地では 5 ~ たリ , 異性をいざないよせて性行動 6 月ころに成虫の出現する種類もあ を行なって種族の繁栄をはかったり るが , 多くの種類は 8 月中下旬から することである。しかし人間は , い IO 月にかけて出現し , 秋になく虫の ろいろな声 ( 母音や子音 ) を組み合わ 主体をなす。なおく万葉集 > などの せてことばを作り , 相互の意志や感 日本の古典に出てくる「きりぎりす」 情を表現したり交換したりする文化 はコオロギのことで , 和歌に多くう 的手段に使っている。 〔発声機構〕声を作り出す場所は たわれている。コオロギを飼ってそ の声をたのしむのは中国も日本も同 / こう ( 喉 ) 頭であって , そのうちで しだが , 中国では闘蟋蟀といっ いちばんたいせつなやくめをしてい て , コオロギに銭をかけて戦わせる るのは / 声帯である。声を出さない 遊びがあり , コオロギの虫かごには ときの声帯はひろく開いているが , 意匠をこらしたものが多い。欧州で 声を出そうとすると両側の声帯は緊 張して接近し , 肺から送り出される は , コオロギはなく虫の代表であり , 空気の圧力によって左右の方向の開 とくに好んで人家にすむカマドコオ 閉運動をする。肺から送り出される ロギは , 炉辺に平和と幸運をもたら 空気が声帯の開閉運動によってロの す友とみなされ , これを殺したり , 中へ断続的に送りこまれると , ロの また急にいなくなると死や不幸にみ 中の空気に振動を起こし , これがロ まわれると信しられていた / ( 別 刷 ) こん虫 〔黒沢・小池〕 から外に出て声になる。しかし , 声 帯の開閉運動がなくても声は出るの オシログラフで記録さ で , これを「ひびきのない声」とい づける部分音を母亠 日グ ) フォノレー ? ント れた母音の波形。最下 ( 形成音 ) といい , 母音はそれぞれ一 う。ささやき声がその例である。 段に添えた 1 列の波形 れに対して , 声帯の開閉運動によっ つのフォルマントをもっている。上 は , 谷から谷までが千 て出るふつうの声を「ひびきのある 図は母音の波形であって , フォルマ 分の 1 秒の時間を示す 声」という。 / ( 別刷 ) 声 ントの違いによって , それぞれ違っ 〔大きさ・高さ・音色など〕声には た特有な波形をしている。ひびきの 母音と子音の区別がある。母音は長 ない母音はささやき母音であって , くつづく声で , 子音は長くつづかな 声帯の開閉運動がないから , 声に調 子がない。したがって , ささやき母 い瞬間的に出る声である。ひびきの ある母音には , 大きさと高さ ( 調子 ) 音は一種の雑音である。しかし , 母 音のフォルマントに相当する振動数 と音色の性質の違いがある。声の大 きさは , 肺から送り出される空気の の音が含まれているために , ひびき のある母音と同しようにアイウェオ 圧力によってきまり , 圧力が強いほ ど大きな声になる。声の高さは , 声 の音色が区別できる。子音はその出 帯の開閉運動の速度 ( 振動数 ) によっ し方によって , 破裂音 ( p, b, t ) , 摩 てきまり , 開閉運動が速いほど高い 擦音 ( f , v , s ) , 振顫芫音 ( r ) , 気息音 声になる。声楽では , 高さの順にソ ( h ) などに区別されている。また プラノ , アノレト , テノーノレ , ノヾリト 子音にも声帯の開閉運動を伴うもの ン , バスの声を区別している。また ( g , z , d , b ) と , 伴わないもの ( f , p , s , く紅楼夢〉程甲本のさし絵宝玉の育っ 声の出し方によって地声 ( 胸声 ) と裏 k ) とがある。子音の音色の違いは , た賈家で , 歌舞音曲に興じている女たち 声 ( 頭声 ) を区別する。地声はふつう 母音と同しように , それに含まれて こうわかまい幸若舞日本中世 の話し声であって , 声帯の緊張が弱 いる部分音の振動数によるのであっ 芸能の一種。室町時代に桃井直詮ら , く , 調子の低い声であり , 声帯の緊 て , これを子音のフォルマントとい 幼名幸若丸が始めたと伝えられ , 太 張をひしように強めて出す調子の高 う ( / 発音 ) 。また , 風邪のとき , 鼻 夫は立島帽子 , 素襖上下に小刀 い声が裏声である。子どもの話し声 声になったり , しわがれ声になった を差し , 左右のワキ , ツレは折烏帽 りするが , 鼻声とは , の調子は , 男と女で違いがないが , 鼻がつまった 子という装束で , 大小鼓または笛を 思春期になると男の声の調子が 1 オ も加えた伴奏で簡単な舞技をつけて クタープさがる。性ホルモンの作用 歌う。軍記物を主とする説話的戯曲 によって , 声帯の緊張が弱まり , 声 を語る一種の語り物ともいうべきで , 帯の開閉運動の速さが半分になった 曲風は声明 3 を基調とし , 当時流 ためであって , これを声変わりという。 行の平曲 , 宴曲 , 曲舞をとりいれ したがって , 成人の女の話し声の調 た男性的なものである。織田信長を 子は男の声よりも 1 オクタープ高い はしめ武士に歓迎されて , 室町中期 声の音色は , 楽器の音色の違いと 、ら末期にかけて盛んに行なわれた。 同しように , その声を組み立ててい 工戸時代になっても姚井家の子孫は る部分音の振動数の違いによってき 将軍の保護を受けて芸を伝えた。し まる。母音にはアイウェオの音色の 、し , 明治維新以後その余流である 違いがあるカ { この違いはおのおの 大江の幸若が , 福岡県山門郡瀬高町 の母音を組み立てる部分音の違いに 大江に残存するのみである。幸若が よる。おのおのの母音の音色を特徴 母 音 尸 福岡県瀬高町の大江に 残っている幸若舞
000 コフンフ・ン 2 4 5 古墳文化左は長持形 石棺。奈良県御所市 , 時代区分〕古墳時代を前 , 中 , 後 南九州にまでひろがった。鉄製器具 及」 : 。なお , このころまでの石室は 宮山古墳 ( 5 世紀 ) 。初 3 期に分ける方法では , 4 世紀の の発達とともに農業の生産力が高ま おおむね竪穴式である。竪穴式石 期の木棺とならんで , 部分を前期 , 4 世紀末から 5 世紀 室というのは , 墳丘の頂上から穴を り , 一方では , 朝鮮とのひんはんな 中期から石棺の使用が までを中期 , 5 世紀末から 6 世紀 掘りさげ , 四璧を割石などで築き , 交通によって , 大陸の文物がはげし はしまり , 割竹形石棺 , までを後期とする。これは 5 世紀 上を天井石でふさぐもので , その中 く流れこんだ。中期末からの副葬品 舟形石棺 , 長持形石棺 , む古墳の最盛期とみて , その前後に 央の粘土床の上に棺が置かれる。石 として発見される須恵器 ( ろくろを さらに家形石棺も現わ 1 期をおいたものである。最近で 室は墳丘の地平より高くにあるのを 用いて成形し , 高火度で焼きあげた れた。上中は車輪石。 , 前 , 後の 2 大期にます分けたう ふつうとする。 6 世紀にはいると , 碧 ( へき ) 玉製で径は約 陶質土器 ) の製作も , 各種の器物を 155 , 三重県上野市 , 已で , 各期をさらに 3 小期に区分し 前方後円墳はしだいに規模が縮小さ きらびやかに飾った鍍金術も , 乗 石山古墳 ( 4 世紀 ) 出土。 にうとする学者もある。この方法は れ , 羨門 ( 入冂 ) , 羨道 ( 廊下のよ 馬の風習も , すべて朝鮮から受け入 カサがイ製の腕輪をう うな部分 ) , 玄室をもっ横穴式石室 に正期以来 , 古式古墳と後期古墳と れた技術によるものであった。冠 , つした装飾品。上右は こ大別していた古い区分法とも適合 が付属するようになる。これが畿内 耳飾り , 帯金具 , 腰佩 , 履豸 , 刀剣 , 鈴付腕輪。青銅製で径 における変遷であるが , 地方におい 甲胄うなどの鍍金された新しい装 7 , 静岡県清水市 , 〔古墳の外形〕円墳 , 方墳 , 前方後 てはかならすしも同一の過程をた 身具や武具 , 形式的な石製模造品 , 中山古墳 ( 6 世紀 ) 出土。 リ墳 , 上円下方墳 , 前方後方墳 , 双 どったわけではなく , 例外も少なく 動物埴輪 , 人物埴輪などが当時の著 下中は鞍 ( くら ) 金具。 し・中円墳 , 双円墳などの種類がある。 ない しい遺物である。 金銅製で幅 43cm 。大阪 : れらのうち , 円墳がもっとも普遍 〔後期古墳文化〕古墳の分布は , 北 〔前期古墳文化〕豪族の首長は , 弥 府羽野市 , 丸山古墳 勺であって , 数も多い。しかしなん 海道をのぞいてほは、日本全国に及ぶ 生時代末期から受けついだ宗教的司 ( 5 世紀 ) 出土。下右は ヒいっても , 古墳の中核をなすもの 祭者としての , また新しく確立され とともに , その数が激増した。 これ 眉庇付胄 ( まびさしつ よ前方後円墳である。円墳や方墳に までのように豪族の首長だけが古墳 た政治的支配者としての , きかぶと ) 。金銅製で 二つの性 よ形態 E の特徴が少ないために , 外 格をあわせもっていたと考えられて 高さ 215 , 千葉県木更 をつくりえたのではなく , 新しく形 津市 , 祗園古墳 ( 5 世 いる。副葬品にみられる鏡 , 碧玉く製 彡だけでは時期判定の基準となしに 成された官人層ともいうべきものに 紀 ) 出上 ( い。しかし前方後円墳は , 方と円 腕飾り ( 鍬形石 , 車輪石 , 石釧壮ろ ) まで古墳の造営が普及したのである。 ヒの組合せの変化によって , だいた などの宝器や , 刀 , 剣 , やり , 弓な 古墳の外形の縮小 , 横穴式石室の採 、の時期を見分けることができる。 どの武器が , 権威と武力とを物五 用 , 副葬品としての馬具 , 国産須恵 ロロ - つ 可方部の高さが , 後円部の高さの半 ている。当時の農具としては鉄製の 器の盛行などが著しい特色であるが , くわ , かまがあり , 工具としては , ナくらいしかないもの ( たとえば崇 その反面に宝器 , 鉄製農工具 , 刀剣 申陵 , 景行陵 ) が 4 世紀に作られた などの激減あるいは衰退という事実 なた , おの , のこぎり , やりがんな , 5 世紀になると , 前方部と後円部と が指摘される。 6 ~ 7 世紀に , 群集 のみ , きり , 刀子村などがある。土 ′ ) 高さが接近し , 前方部の幅がひろ 墳とよばれるような群をなした古墳 器は弥生時代からの伝統のつよい赤 が山間や辺地にまでも数多くつくら くびれ部の両側に造出り ( 張 い素焼きの土師器が用いられ , 新 部 ) が設けられる ( たとえば仁徳陵 ) れるようになった。やがて大化改新 しく / 埴輪が古墳を飾るために作 にうになる。 これがもっとも発達し 以後 , 646 年薄葬令がしかれ , 古墳は られはしめた。家形埴輪をはしめ , こ前方後円墳であり , 周囲には堀を 減少の一途をたどりはしめ , 仏教の 蓋 , 盾を , よろい , かぶと , 靫 : な うぐらす巨大なものが多い。たとえ 普及とともに姿を消すのである。 どである。人物埴輪はまだ現われて , 古墳のうち最大のものである大 〔古墳時代庶民の生活〕身分の高い し、な、し、 反府堺市の仁徳陵は , 封上の全長 人と一般庶民の生活とがはっきり分 〔中期古墳文化〕豪族の首長は , 大 かれたということが , 古墳時代の大 86 m , 後円部の径 249 m , 高さ 35.5 和政権のもとにようやく政治的な 前方部の長さ 260 m , 堀を入れ きな特色である。奈良県佐味田宝塚 支配者としての立場を確立した。古 : こ全長 83 ( ) 、 m , 総面積 478572.75m2 に 古墳から発見された家屋文鏡には , 墳は壮大となり・ , その分布も関東や
刺しゅう 2 をを事おレ ハ・リオンロースステッチの花。葉はレゼー チェーンステッチ ( 中 ) , アウトラインステッ シーステッチ , 心、はフレンチナツッステし チ ( 右 ) 、プランケットステッチ ( 左 ) の葉 アイレット . 。カットしない部分の模様は サテンステッチとアウトラインステッ サテンステッチの花。心、はジャーマンナツツ ステッチで葉の輪郭はアウトラインステッチ ケープルステッチによる線ぬいの 模様。丸形模様はサテンステッチ 区限刺しゅうの一種。あらい布目の麻 地の上に , クロスステッチをしたも チの ホか ・タ格 ポを ドで 0 0 0 ド 1 40 カットワーク。ホタンホールステッチで郭 をぬいカットの部分にプリッシを渡したもの ノ、ツクステッチとプランケットステ ッチによる花 , , 心、はサテンステッチ
コビトセッ の注意がよく行なえたら , 何杯 をとっても大差ない美味なものが 毛られる。さらに透過法には , 熱 ′用いす , 粉に冷水を約半日も点 民せて用量を取る水出し法があり , によると , においも味もひしよ よいが , それには特殊な装置が なので , むしろ浸漬法により , らか多いめの粉をコップなどの 火に浸し , やはり半日近く静止し 受出させたのちにこし取れば , 芳 ある液か、得られる。いわゆるダ チコーヒーは , このようにしてと た香気の高い濃液の少量をあたた こものと , やはり濃度のあるミル をあたためたものとを合わせた 種のミルクコーヒーーであるか、 , ひ ように美味なので珍重されている。 ランスふうのドリップポットは布 ではなく , 金属か陶磁器の容器に を入れ , その上から熱湯を注ぐと 器の底のろ過面を通して , 下の器 ろ液がとられるようになっていて , のポットの創案された 19 世紀の初 に , 欧州のコーヒーに革命をもた したものであった。有名なウィ のコーヒーも同様なポットでとら たもので , いわゆるウインナコ ヒーは , やはり濃厚なミルクと合 せたミルクコーヒーであるか、 , い そう味を濃くするためホイップク ーム ( あわ立てた生クリーム ) をそ うえに加えたりする。サイホンは 漬法と透過法とが加味された良器 であるが , 粉と浸出した液とが短 間でもいっしょになっているので , : るべくいちどの操作でよい液をと ) ように扱ったはうがよい。それに 粉を十分に使い , 下のポールの湯 ヾかならす沸騰してから , 粉の入れ : ある上のポールを差し込み , 熱湯 ゞ上昇したら粉をよくかきませ , ふ : をして下の火を細め , 2 , 3 分間湯 ゞ下降しないようにして , 粉の落ち ) いたところで火から離せば , 濃厚 : 液が下のポールに吸い取られる。 きあがりがあまり薄いようなら , の上下の操作をふたたびくりかえ : なければならない。その結果は , 、ちどの操作で得た良好液に比べて , 、くらか精度も劣るが , 手加減を要 ーるドリップよりも , すぐだれにで , 簡単に行なえるので , 家庭用にも : ろこばれる。熱源にはアルコール・ テンプ , ガス , 電気などが使用され パーコレータは定量の湯と粉と : 使用して火にかければ , まんなか ヾイプを通して上昇する熱湯が , このノヾスケットに入れてある粉に注 、で浸出し , その下面の小孔からろ ~ が下に落ちる。しかし , 熱湯はパ ・プの底の逆漏斗の中でしか沸騰し : いので , コーヒーの濃さや , にお 、が十分に出るまでには , 沸騰した が絶えす循環しなければならない。 - たがって一見透過的でも , 煮沸し コーヒーひき器 2 3 9 たものとはとんど同様の結果になる ので , 香味がいくらか犠牲にされる か , だれにでも手軽く扱えるので , 家庭用としては今でも相当に用いら れている。 なお , インスタントコーヒー ( あ るいはソリュプルコーヒー ) は , 大規 模の製造業者が , 濃液をとり , 真空 蒸発法で水分を除去して可溶成分だ けを粉末化したもので , 湯にも水に もすぐ溶解するから , 名目どおり即 席で便利なので需要が増大しつつあ り , 米国では家庭用の 2 ( ) % 以上がこ れだという。しかし , 一定の味しか 出せないので , 自分の好みに合った 製品を見つけねばならない。また 都会地の人出の多い場所にあるスタ ンドなどで使用されているイタリア ン・エスプレッソは , きわめて短時 間に経済的に抽出する蒸圧式の機械 で , ふつうの中炒う以下の豆では , 分解や酸化が多くなるため , イタリ アン・ローストといわれる黒炒が使 われる。このような黒に近い深炒は 昔ふうの煮出しに適し , その焦げた においや苦さは本来のかおりや , 酸 味を含んだふつうのいり方のものと は違った , 一種の爽快ま 3 さがある。い ろいろないれ方や , 器具や , 製品な どの選び方は , 各人に適したものを とればよく , ときには変わった方法 を行なうのも , 趣を増すものである。 〔コーーヒー豆の酉己合〕コーヒー豆の 種類は相当に多い。しかし , その 90 % は , もっとも優秀なモカ系のアラ ビア種なので , たいてい酸性である が , 産地の地味や気候の差によって , 異なった特徴をもち , 全産量の約半 分を占めるプラジルは , どの豆との 配合にも適するもっとも中庸を得た ものとして , 中性といわれている。 ェチオピアやアラビアのモ力はすぐ れた酸と特有のにおいがあるが , な かでもアラビアのマタリ・モ力はと くによいといわれている。また , ス マトラのマンデリンはひじようによ い苦味をもち , ジャマイカのプルー マウンテンは最上の配合のような美 味がある。そのほか , コロンビア , ベネズエラ , コスタリカ , グアテマ ラ , メキシコ , ハワイ , インド , ケ ニヤ , タンザニアなどはいすれも良 質のアラビカ種で , ジャワや西アフ リカその他のロプスタ種には , はと んど酸がない。 いり豆はいちどに半月分くらいま でしか買わないようにしてつねに新 しくし , またいりの程度は中くらいが 無難である。配合は好みのものを主 体にし , 風味を増すために他の 2 , 3 品を加える。砂糖やミルクはそれ ぞれの好みにまかせ , いれたてをす すめるのがネし儀である。 〔井上〕 ゴビ〔砂漠〕 Gobi モンゴル人民 共和国の南東部から中国北西部にひ ろがる大砂漠。標高 90 ( ) ~ 120 ( ) m の高 原をなし , 表面は大部分粘上や小石 からなるが , 砂漠の範囲は明確でな い。もともとゴビとはモンゴノレ語で 草の生育のわるい荒れ地ということ で , 砂地とか砂丘地帯という意味は ふくまれていない。ゴビは砂丘のう ねるアラシャンを除いて , 大部分は 年降水量 100 ~ 3 ( ) ()mm の乾燥草原にな っている。気候は大陸性で , 夏は木 陰で 46 ℃ , 地表は最高 73 ℃まで上り , 冬は北端あたりで一 40 ℃に達する。 植物はハヤガ、ネソウ , ョモギ , サク サウル ( 塩分の多い荒れ地にはえる アカサ科の植物。アッケシソウに形 が似た低木 ) , タマリスク ( ギョリュ ウ ) などがみられ , 西部にはポプラ , アシ , ヤナギなども生育し , 砂漠と は異なる景観を呈している。動物で は野生馬 , 野生のラクダ , いろいろ なシカ類 , げつ歯類などがすむ。川 はガシュンノールに注ぐェチナ川を 除いては , はとんど常時の流水はみ られない。ゴビの草原地帯は古くか ら遊牧民の天地であった。 19 世紀以 来ロシアなどの探検隊がはいり , 19 23 年米国探検隊はこの砂漠で恐竜の 巣と卵を発見した。自動車の通行は 容易で綏新公路 ( フフホト ~ 国境を走り内モンゴルと新疆を結ん でいる。中国科学院は周辺の 4 省 2 自治区 6 ヵ所に総合砂漠試験所を設 け , 砂漠 ( ゴビを含む ) の研究にとりか かっている。 / 中央アジア〔徳増〕 こびとせつわ小人説話原始的 信仰を背景にして生まれた小人を主 人公にした説話。精霊や霊魂が小人 の姿をしているという観念 , 信仰は 世界の多くの未開民族の間にみられ る。また日本や欧州の諸民族の神話 や昔話のなかにも小人説話が少なく ない。その成因については , 霊魂は 小人の形をしているという信仰のは か , 実在の矮人似族に対する誤解や 誇張 , 先住民に対する好奇心や恐怖 などが重なり合っていることもある。 オオクニズシノカミと出雲を平定し たスクナヒコナノカミの背後には , 一種の芸能団であった実際の朱儒 群があり , また欧州のある種の小人 説話の基盤になっているものも , 先 住民あるいは移住民としてのラップ 人やタタール人に対する好奇心では なかったかといわれる。 〔日本〕古くから日本には , 聖なる 神は小さい姿をしているとする信仰 があった。く古事記 > は , 大和 : まの オオミワノカミ ( 大三輪神 ) が小さい ヘビの形であったことを伝えている が , アニミズム ( 動物信仰 ) の原始的 段階では , 小さなものの巨大な呪 力があがめられた。したがって , 人 格神が拝まれる段階になっても , す ぐれた神々は小人である。スクナヒ コナノカミは , ミノムシの皮を着 , 力がミというつる草の実を船にして やってきた小人で , のちにアワの茎 いったコーヒー豆を粉 式のものが使用される このような簡単な手動 にひく道具。家庭では