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検索対象: 国民百科事典4
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1. 国民百科事典4

生命の感じ方のこの違いは , 生きと し生けるものをすべて平等に尊重す るか , 人間の生命の置重さをとくに 区別するかという問題にも関係する。 生命とは何かについて , それぞれ の宗教や哲学もその答えを用意して いる。生物学からの答えがそれらと 矛盾する場合も少なくない。宗教な いし哲学と自然科学とは別の領域の もので , 両者は無関係であり , した か、って宗教や哲学からの答えと生物 学からの答えとか・違っていてもかま わないという立場もある。だがそう 考えること自身が , ーっの哲学的立 場でもある。生物学の立場からの生 命観は , それぞれの時代における生 物学の成果のまとめという意味をも っている。しかしそれは , その成果 をなんらかの観点で説明することで もあるから , 科学的生命観の樹立に も宗教や哲学が介入する余地が十分 ある。また生物学の立場でたてられ た生命観が , しばしば宗教や哲学に よって摂取される。このように ろいろの面での生命観の間の関係は 複雑である。生物学者がもつ生命観 は , 生物学の研究方法に関係してく る。たとえば生命が完全に物質現象 であるかどうか , 生命現象が機械論 的であるか弁証法的であるかなどの 見方の違いで , 生物学の研究をどの 方向に向けるかが異なってくる。 〔生物と無生物〕生物学の立場で生 命を考える場合に , ます問題になる のは , 生物と無生物の物質的構成の 違いや , 生物だけに現われる特殊の 現象があるかどうかということであ る。昔から生物だけにみられる性質 としてあげられたものが , いろいろ ある。しかし , それらのどれも , そ れと似たものが無生物にもみられる とか , 機械でまねられるとかいうこ とカ { いわれ , そのため一般に , ただ ーっの特徴をとって生命を定義する ことは困難と考えられてきた。生命 の本性として提唱されたおもなもの は , 次のとおりである。 1 ) 有機物質 ( 炭素を中心とした化合物 ) からなり たっていることこれはウェーラー が 1828 年に尿素の合成に成功してか ら , 生物と無生物の絶対的な区別と は考えられなくなった。ウェーラー の場合 , 合成のもとになっているシ アン酸アンモニウムは生物体の構成 物質の誘導体であるから , 純粋に無 機物質からの合成ではないという批 判も生したが , いすれにしても今日 では種々の複雑な炭素化合物を無機 物質から合成することに成功してい る。 2 ) 細胞からなりたっことたし かに / ビールス以外の生物は / 細胞 を基本的な構成単位としているが , 細胞はけっきよくは原形質の存在形 態であり , 原形質はまたさまざまな 有機物質がもとになってなりたつも のであるから , 細胞を生命の本質と 4 1 5 考えることには異論が生しうる。 3 ) 刺激反応性これは外部からのわす かのエネルギーによる刺激によって , エネルギーの大きい過程が反応とし て生しるということである。だがそ のようなことは , 機械でまねること ができるとされる。 4 ) 成長これは 外部から栄養をとって大きくなるこ とである。ある溶液中で結品が大き くなることは , この現象に似ている といわれた。 5 ) 自己再生産自分と 同しものをつくっていくことは , 親 から子が生まれる現象 , そのもとに なる細胞分裂の現象 , さらにその基 礎になる染色体の増殖の現象という ように , 生物の独自の性質のように みえる。実際に , ビールスが生物で あるか無生物であるかの議論などで , 自己再生産が生物のもっともおもな 特徴とされることが多い。ただ現在 では , 自分と同しものをつくる機械 の設計が可能であるといわれている。 6 ) 物質代謝による構造の維持生物 は生きている間 , たえまなく物質代 謝をしており , また物質代謝を止め させれば死んでしまう。生物は物質 代謝をすることによってからだの構 造を維持し , したがってまた機能 ( 物 質代謝そのものを含む ) を維持して いくのである。もっともビールスは 結品化しても構造と機能を復活する ことができる。そればかりでなく , 種子にははとんど呼吸せずに何千年 も生き続けられるものがある。 7 ) 調 節性環境の変化に応じて機能を調 節したり , 失った部分を修復 ( 再生 ) したりする調節性が生物の著しい特 徴であることは , 疑いない。しかし , それが生物のもっとも基本的な特徴 かということには問題があるし , 機 械でもある程度の自動調節は可能で ある。 以上あげた生物の特性には , 物質 的構成の面からのものと , それらの 表わす変化過程の面からのものとの 両方がある。両者のどちらがより根 本の本性として考えられるか , あるい はまた両者を一体のものとして考え ねばならないかなどが , まず問題で ある。あとで述べるように , 現代の 科学的知見によれば , 太古の地球上 で無機物から多くの変化を経過して 原始生物が生じ , それから進化によ って現在のような多種多様の複雑な 生物ができてきたとされる。つまり 原始生物 ( 仮定のもの ) から現在の生 物までの類縁を認め , この類縁をも つものをみな生物とよんでいるわけ である。ただそれからの退化形態と みなされるビールスを , 生命の定義 の立場から生物か無生物かといって 議論しているにすぎない。このよう に実際には生物と無生物の区別に迷 うことはほとんどない。生物のしく みの根本を追究していく場合だけ , 生命とは何かを問題とするのであり , セイメイ それについての各人の科学的研究の 立場によって , 意見すなわち定義が 変わってくるのである。将来 , 他の 天体上に地球上の生物とは別系統の 生物らしいものが発見される場合が あれば , そのときには別の意味で生 命の定義が問題になるであろう。炭 素化合物が中心でなくても自己再生 産をするものであれば , それは生物 か , といったような問題であ . る。 〔生命と物質〕生命の起原および進 化に関する科学的知見に基づけば , 生命は物質現象の発展としてとらえ られる。また現生物の発生 , 生理 , 遺伝などの諸現象をとってみても , 物質現象として解釈されないものは 知られていない。生命を物質現象と してみるとき , それを無生物の現象 と違ったものにさせている最重要の 物質要素は何かということが , 問題 になる。 19 世紀以来 , とくに注目さ れてきたのはタンノヾク質である。そ れは原形質の主成分として , 原形質 の主要な特・のにない手であり , そ れなしには原形質は構成されえない というところから , 考えられたので ある。現在では , タンノヾク質となら んで / 核酸の重要性が注目されてい る。とくに遺伝子の物質的実体とみ なされるデオキシリポ核酸 ( D N A ) が , 重要視されている。それなしに はそれぞれの種に固有のタンノヾク質 はつくられず , 細胞あるいは個体の 存在はまったく不可能だからである。 次に , やはり生命を物質現象として みるとき , 基本の物質要素から細胞 , 組織 , 器官 , 個体というような順序 での組立カ { , どういう原理で行なわ れているかが問題である。タンノヾク 質 , 核酸そのほか分子準位の研究が 進むにつれ , このような組立の原理 の解明が大きな課題となってきた これは生命現象における部分と全体 の関係という問題に結びついている。 〔生命と死〕生命は原始生物以来連 係しているが , 各個体 , したがって それを構成する諸細胞は / 死の運命 をになっている。それで死は生命の 必然的属性とみられ , 「生は死であ る」という反語的命題も立てられた フランスの学者 M. F. X. ビシャー ( 17 71 ~ 1802 ) は , 生命を死に対する抵 抗として理解しようとした。 これは , 生命はたえず死の可能性にさらされ ているのであるから , どんな過程で それを免れているかをつきとめるこ とにより , 生命の本質が明らかにな るという考えである。また たえす 分裂してふえていく単細胞生物には 死はない , という考えがある。しか しこの場合の問題は , 融合や接合の ような性的過程 ( / 生殖 ) , またはそ れに類する過程がなくても , 単細胞 生物が無限に増殖できるかというこ となのである。多細胞生物にしても , 生殖細胞が毎代っくりだされていか

2. 国民百科事典4

セイテッ 3 9 6 くなるが , 空間あるいは時間知覚の 質の脳細胞は樹状突起をどんどんの ような抽象的知覚の能力がひヒよう ばして左の図のように連絡を完成し に発達してくる。そして青年期にな ていき , また一方では神経繊維の髄 ると , あらゆる精神機能はほば完成 鞘化が進んでいく。新しい皮質にお の域に達する。 ける髄鞘化は , 連動や皮膚と筋肉の 〔対人行動における成長〕以上は 1 感覚や視覚や聴覚を支配する領域が 人の人間の成長についてであるが , もっとも早く , 知覚や思考や意志や 人間と人間との間の関係すなわち対 感情などの統合の働きを営む領域は 人行動にも , 成長とともに質的な発 すっと遅れる。間脳や中脳や延髄や 達がみられる。乳児では , もっとも 脊髄の機能は , 生まれたときからか 原始的な人間と人間との結びつきで なりよく発達しているから , 基本的 な生命活動を営むために必要ないろ ある一体化の状態であって , 乳児は いろな反射活動は生まれたときから 母親と心理的行動的に一体になって 存在しているが , その後大脳皮質が いる。 3 , 4 歳ごろになると同一化の 発達するにつれて , これらの反射活 傾向が現われる。すなわち , 幼児は ヒトの大脳皮質の「運 れるが , それとはいちおう別に、内 動のうえに , 知覚や思考や感情など 父母やまわりの人たちの習性や行動 動を支配する領域」に 的要因の支配をもうけている。その の統合的な精神機能によって発現さ を無意識的に自分のなかにとりいれ おける , 脳細胞の連絡 要因は脳下垂体前葉から分泌される れる随意的な運動が現われてくる。 たり , あるいは自分のなかの欲求や の発達を示す。上は出 生時 , 下は生後 3 カ月 成長ホルモン ( / ホルモン ) である。 このように , 成長するにつれて , 神 情動を他人に無条件になげこむよう 脳下垂体に欠損的な病気が起こる になる。 5 , 6 歳ごろになると , 「ま 経機能が大脳皮質へ移っていくこと と , 成長や発育が止まり , こびと を , 大脳化とか神経作用の頭端への まごと遊び」などでみられる役割的 ( 侏儒ヒ引となる。逆に脳下垂体に腫 移動という。自律神経系も同しよう な行動ができるようになる。このた 瘍ができたり , あるいは他の原因 めには , お互いの意志の疎通が必要 に成長とともに発達してくる。新生 になり , しゃべれるようになったこ で機能が盛んになりすぎると , 過剰 児の自律神経系は , 副交感神経系の このやくめを果たす。同一 な成長が起こる ( / 巨人症 ) 。 とは・が , 働きだけであって , 交感神経系はま 化の行動は , さらに発展して , 共感 だ発達していないが , 成長とともに 〔成長に伴う機能的変化〕これには や同情などの対人行動になっていき , 交感神経系の働きが急速に現われて 形態的変化よりももっと著しい変化 最後に他人の行動を模倣するように 発達がみられる。身体の機能は , 感 きて自律神経系の働きが完成される。 なる。これらの対人行動の発展の過 覚器と筋肉とその両者を統合する体 このような神経系の発達にささえら 程で , 一体化の行動には , 自分と他 れて成長に伴ういろいろな機能的発 性神経系と , 内臓器官の働きを調節 人の区別はないが , 同一化の行動を 達が起こるわけである。新生児では する自律神経系によって行なわれて するようになると , はしめて他人に いる。したがって神経系の中枢であ 乳を吸う動作が備わっているが , 対して自分を区別するようになる。 の反射的動作を発現するためのロの る脳の発達は , 機能の発達に対して 自主性 , 主体性ができあがるのであ 粘膜の触覚や平衡感覚などがすでに 中心的役割をしているわけである。 って , これは新しい皮質における , 働いていることを示している。乳児 形や重さという点からみても , 脳の 脳細胞間の連絡の複雑化によってさ 期になると聴覚や視覚が現われはし 発達が初期の成長の過程で大きな比 さえられている。 重を占めているが , 脳細胞間の機能 〔時実〕 める。運動機能の発達は頭からしだ いに足のほうへ移っていき , 6 カ月 せいてつ製鉄 / 鉄鋼 的連絡も , 成長の初期に著しい発達 ごろになると手をかなり自由に使う せいでんき静電気絶縁体で囲 を示す。精神機能を営む大脳皮質の ことができるようになり , 1 歳の終わ まれた導体の帯びる電気あるいは絶 これだけ 脳細胞は約 15 ( ) 億あるが , 縁体 ( 誘電体 ) 自身が帯びる電気 ( た の数の脳細胞は胎児のうちにすでに りにはひとりで立っことカ { できる。幼 とえば , 摩擦電気や圧電気 ) のよう 年期の前期 ( 2 ~ 3 歳 ) になると , 知 できあがっている。しかし生まれた 覚 , 意志 , 感情の働きも発達してく に , 電荷が静止しており , また移動 ときには , 大脳皮質の大半を占める していても速度がおそくてそのジュ るし , 感覚や運動の機能もよくなっ 「新しい皮質」では脳細胞間の連絡 ール熱や磁気作用が問題とならない はできていないで , 「古い皮質」の てくる。この時期にいちばん目だっ ことはことばをしゃべるようになる 場合の電気現象を静電気といい , 電 脳細胞だけが連絡を完成して働いて ことである。生後 3 カ月ごろには喃 流のように熱や磁気作用を伴う動電 いる。すなわち新生児では新しい皮 気現象と区別する。電気的な力とし 質が営む知覚 , 思考 , 判断 , 意志 , 語をしゃべるが , 1 歳の終わりから ては , クーロンの力だけ考えればよ 2 歳ではことばをしゃべるようにな 感情などの高等な精神機能はまだ発 く , 電荷の周辺の空間には静電場を 達せす , 古い皮質が営む欲求や情動 成都の西郊 , 浣花渓の る。それも 1 歳の終わりには 6 ~ 8 ほとりにある杜甫の故 語であったのカ { , 1 歳半では 30 語 , 2 生しる。歴史的にはギルノヾー などの下等な精神機能だけが働いて 居。杜甫は 759 年から ーロンらにより研究され電磁気学の 歳の終わりには 3 Ⅸ ) 語ぐらいになる。 いる。成長するにつれて , 新しい皮 数年をここで過ごした 出発点となり , 今日産業的にも静電 幼年期の後期 ( 4 ~ 6 歳 ) になると , 装 , 静電選別 , 静電印刷など応用 みすからすすんで手を使うようにな 例は多い。電気 〔斎藤〕 る。知覚も発達し , 具体的な思考か せいでんゆうどう静電誘導絶 ら表象的な思考ができるように発達 する。感情の内容も豊富になってく 縁された導体に , 電体を近づける るし , 記憶力も発達する。しかし , と , 導体の帯電体に近い表面には異 この時期の記憶は直観的 , 機械的な 種の電荷が , 遠い表面には同種の電 荷が現われる。これを静電誘導とい 己憶である。しゃべることばもます ます多くなってくる。想像力や意志 い , 電場による電気伝導によってお の発達はまだよくない。中性少年期 こる現象である。この現象を利用し ( 7 ~ 10 歳 ) になると , 学習能力の発 たのが検電器 , 電気盆 , 誘導起電機 達にささえられて , 概念的な思考カ などである。なお , 誘電体にもこれ に似た現象があるが , これを誘電分 や論理的な記憶の能力が発達してく る。感覚や運動の機能はますますよ 極といって区別している。〔福月 : 〕 一三卩

3. 国民百科事典4

スマイ 3 1 3 専用され , ・炊事場も別に設けられて 導入されるようになると , 建築技術 シー - ーの強い近代的な構成をなしてい いたと推定される。このような寝食 も飛躍的に進歩し , 草ぶき板壁から る。この形式は 19 世紀にはニューヨ の分離の形式は竪穴住居にもみられ , 瓦ぶき丹塰上壁の唐様式住宅 ークなどでもみられるようになり , 古墳時代の遺跡には一方の壁にかま が建てられるようになった。法隆寺 類型化して現代にいたっている。 どか、つくられるようにもなっている。 〔日本〕 1 ) 原始時代日本に人類が 東院の伝法堂の元の建物から当時の 住みついたのは , かなり古い時代か 2 ) 古代竪穴住居 ( または平地住居 ) 住宅が推定されるが , 寝室と居間と と高床住居とは , それぞれ庶民と貴 らであるが , 住居の形式のわかるの 考えられる二つの空間から構成され は縄文う時代の竪穴住居からで , 直 族との階級で使用され発展したと考 ている。しかし天皇の住居である内 裏は檜皮ぶき白木造りで , 伝統的 径 5 m 程度の円形またはかどの丸い えられているが , 竪穴住居や平地住 長方形の中心近くに炉がつくってあ 居があまり大きな変化をみせす , 地 様式に建てられ , 紫宸殿が正殿とな っていて , 天皇は仁寿殿 ( のちに清 。弥生時代になると農耕文化 方によっては中世にまでも存続した のに対し , 高床式は支配層に専用さ 涼殿 ) に常住していた。そしてこう が伝わり , 高床式住居も造られるよ れて , 「みや」とよばれる直截清朗 うになったが , 主として倉庫として した宮殿建築がやがて平安時代にな な日本の住宅様式の基本的形態を生 使用されていた模様である。しかし って , 一定の貴族の住宅の様式であ むようになった。とくに唐の文化が る / 寝殿造りを生み出すようになっ これは権力者たちの住居にしだいに 1 奈良時代の貴族邸宅である伝法堂の元の建物の復元図。これは橘夫人邸のお に描かれた上人の父 , 源時国の住宅。中央に主屋 , 左手に厩 ( うまや ) があり , もな建物の一つであったと考えられるもので , 柱間は 5 間と 4 間 , 一端に広い 右手の一練は厨 ( くりや ) か納屋と考えられる。主屋は 5 間に 3 間で , 周囲にぬ すのこ縁がついている。壁ととびらで仕切られた部分と壁も建具もない吹放し れ縁を配し , 手前に突出した廊は部下のいる「侍」で , 寝殿造りの中門廊の変 の部分とに分かれている。 2 奈良時代の農民のすまいの一例。長野県塩尻付近 化したものと考えられる。 6 く洛中洛外蚌風〉にみられる町家。奧行 2 間 , 正 の平出遺跡第 25 号竪穴住居の復元で , 竪穴はほば正方形のプランを示し , 1 辺 面は 2 間か 3 間で , 上台はなく屋根も板ぶきであるが , 壁は七壁で , 窓も格子 4 ~ 5 m がふつうである。 3 く年中行事絵巻〉にある平安京の町家。正面 3 間 を組んでいる。 7 く洛中洛外風〉に描かれた細川管領邸。大きさは方 1 町で , のうち・ちの 1 間が入口で裏までぬけられるいわゆる通庭になっていたと考え 南に庭があり , 東 , 西 , 北に門を設けてある。正面には中門廊のある 1 棟があ られる。他の 2 間の中は板敷きで , 半蔀 ( はしとみ ) をかけて窓としている。 り , これから階段状に建物が連なっている。内部は書院造りになっていたもの 4 寝殿造リは寝殿の方右に対屋を配し , そこから廊を南に出し , 途中に中門を と考えられる。 8 江戸時代の町家の一例。道に面して店があり , 一方の入口は 設け , 南端に釣殿をおくという左右対称が基本形であったが , その後しだいに まっすぐ上間になって裏まで通しる。 こういう通庭形式は平安時代以来のもの 5 く法然上人絵伝〉 変化し , 東西の対を完備するものははとんどなくなった で関西の住宅にみられる基本形となっている すまいの歴史 ( 日本 ) 2 竪穴住居 3 平安時代の町家 1 法隆寺東院の伝法堂 西対屋 5 鎌倉時代の邸宅 寝殿 4 寝殿造り 3 んノノ 東対屋 〃ノ / ノ . ん・ノノ 5 7 室町時代の邸宅 6 室町時代の町家 8 江戸時代の町家

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生物の発光 生物の放つ光の特色は , 熱を発しないこと , そのほとんどが可 視部にふくまれていること , つまり最も効率のよい , 理想的 な光であるということである。その機構は , 一種の酸化発光 で , スペクトルは , 紫外線 , 赤外線 , 輝線のない , 可視部だ けの連続スペクトルである。色は青 , 青緑 , 黄緑などが多い が , なかには淡紅色 , オレンジ , 赤 , 紫などの光を出す生物 もいる。発光キノコは , どれも青白い光のように見えるが , 同時にならべれば , それぞれ異なった色調をもっている。ホ タルにしても , ゲンジボタルはヘイケボタルより黄色がかっ ーギニア方面にいるあるホタルは , 木の葉に無 ており , 数にとまって木全体が呼吸しているように集まって明滅する が , その中で雄は青色 , 雌は黄と肉眼で見分けられる。その 波長は , ヘイケボタル 500 ~ 670m 〃 , 発光キノコ 449 ~ 658m 〃 , ウミボタル 410 ~ 620m ″などで , おなし生物でも , 培養条件や 生活環境のちがいで , 発光の色調が異なる。 その発光は , 発光物質の化学変化による。すなわち , 発光の 主役となるルシフェリンに , 酵素ルシフェラーゼが触媒作用 をして酸化することによるが , このルシフェリン , ルシフェ ラーゼというのは一般的な名で , それぞれの発光生物で構造 が異なり , 化学式が明確にされているのは 3 種類はどにすぎ ない。しかしある種のホタルのルシフェリンは化学合成も行 こうしたつめたい光源が化学的に製造され , なわれており , 実用される時もやがてくることであろう。 発光器の様式発光の形式には , 細胞内発光をするものと , 細胞外発光をするものとがあり , 発光バクテリア , 発光キノ コ類 , 夜光虫など , 大多数は前者に属する。細胞外発光とは 発光が細胞外でおこるもので , ウミボタルはロ唇の付近に発 光液を分泌する器官があり , ルシフェリンとルシフェラーゼ を周囲の海水中に放出すると , 光の雲のようなものとなる。 オワンクラゲ , ヒカリウミウシなどこの種に属する。 発光器は , 上記 2 種によ、り大別されるが , 細胞内発光のもの では , さらに種々の段階の発光器が見られる。すなわち発光 生物発光 1

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1 2 2 から分離 , シリア共和国を復活した。 ジプト遠征 ( 1799 ) 以来もっとも早く もらい , 召使にかつがせて帰る。召 ここに関心をもったが , 19 世紀後半 〔西野・鑞山〕 使がつますく拍子にリンゴが姫のの しりあげむし〔挙尾虫〕長し目 , には英国 , ロシア , オーストリア , どから飛び出して , 姫はよみがえる。 シリアゲムシ科に属するこん虫の一 プロイセンなどがこれに加わり , シ 工子と姫は結婚する。結婚式に招か 種。開張 35mm 内外 , 体長 15mm 内外。 リアはいわゆる「東方問題」の渦中 れた継母は赤く焼けた鉄のくつをは に巻きこまれるにいたった。以後の はわはあめ色で , 明の地に黒班か、 かされて罰せられる。諸国に類話が 動きについては次のシリアの項を参 ある。北海道を除く日本全国に 20 余 多いが , 細部に種々の変化がある。 種が分布し , 初夏に多く発生し , 林 照されたい 〔板倉〕 日本にもくお銀小銀 > などの類話が シリア S y r ia 正称は AI J u m- 間の葉上に多い。長し目は全世界に 〔妹尾〕 みられる。 huriyatal 'Arabiyat al Suriyah; 5 科 , 日本にはこのうちシリアゲム しらん〔紫蘭〕 べニランともい 西アジアのアラブ共和国。北西部は シ科とガガンポモドキ科の 2 科があ うラン科の宿根草。中国 , 中部日本 地中海に面し , 北はトルコ , 南西端 り , 完全変態する。他のこん虫の死 に野生するが , 庭園や切り花用に栽 はイスラエルの非アラブ国に国境を 培される。地下茎は球根状に肥大し , 体から汁を吸って生活する。幼虫は 接するほか , 東はイラク , 南はヨル 土中にひそみ , 虫の死体などを食べ 年々新芽は 5 ~ 6 枚の葉を生し , 5 ダン , 西はレノヾノンに囲まれている。 月に花茎を立てて紫紅色の 3 ~ 7 花 る。世界に 300 余種がある。〔黒沢〕 面積 185180km2 , 人口 5399000 ( 1964 ) 。 シリウス S i r iu s 大大座。星。 をつける。変種に白花 , 覆輪葉があ る。戸外で生育するが花時に晩霜の 光度は一 1. 6 等で , 全天でもっとも 首都はダマスクス。〔自然〕国上の 害を受けることがある。 2 月に加温 大部分はシリア砂漠であるが , 西部 明るい恒星。距離は 8.7 光年 , 絶対 では地中海岸に平行して山脈と谷が 光度 1.5 等 , スペクトルは A 型であ したフレームや温室に植えて促成切 る。シリウスの意味は「光り輝くも り花とすることが多い。 〔浅山〕 連なっており , せまい海岸平野があ シリア Syria 東部地中海岸北 る。地中海沿岸は 11 月から翌年の 3 の」で , 別にドッグ・スターの名も 部の総称。南部はパレスチナという。 月まで雨季で , 年間降水量は 80() mm ある。中国では天俍驕星 , 日本では に達するし , 内陸でも 25()mm 以上の 青星の名がある。密度が水の 15 万倍 この地には , ネアンデルタール型の ところが少なくない。平均気温は海 原始人類遺骨も発見されており , 旧 という白色矮星を伴星にもってい 石器時代からの遺跡が認められるが , 岸では夏が 27 ℃ , 冬で 13 ℃ , 内陸で ることでも名高い。 〔草下〕 は 35 ~ 1() ℃ , 冬は結氷することもあ さらに新石器時代から歴史時代のあ シリカゲル s ilica ge I ケイ酸 鱗茎 けは、のに際しても , エジプト , メソ る。シリア砂漠は高さ 2()() m くらい H 。 S i ( を部分的に脱水したもので , ボタミア , クレタの三大文明のはば でゆるやかに東に傾き , その北東部 分子構造は , 中心にケイ素を , 頂点に をユーフラテス川が流れている。〔住 中間に位するところから , 早くから 酸素を配置した四面体 S i04 が重合 高度の混合文化が生まれた。フラン 民〕住民の大部分はアラブであるが , し , その末端に ( ) H 基が結びつき , スの行なったラス・シャムラ ( 古代の 北東部にはクルド族が多い。その他 さらにそれが水和したもの。ガラス ウガリト ) やビブロスの発掘は前 15 状の白色のかたい粒。無数の気孔が トルコ系など若干の少数民族も住ん ()() 年ごろのシリア都市文明のこうし でいる。〔産業〕人口の約 75 % は遊 交錯している内部構造をもち , 内部 た性格を明らかにした。彼らが商業 牧民を含めて , 農業牧畜に従事して 表面積は 1 g 当り 5 ( ) 0 m2 くらいもあ って , 水蒸気やカ・スを吸着する性質 貿易活動の必要から作ったアルファ いる。小麦 , 大麦 , キビ , トウモロ べットは , 後代の世界への最大の貢 が強い。水に不溶で , 潮解づ生がなく コシなどの穀物 , オリープ , 果実類 献であり , ややのちのフェニキア人 化学的に安定なので , 乾燥 , 脱水 , および野菜が生産され , 輸出用農産 に代表されるオリエント文明の西方 吸着剤としてひろく賞用される。市 物として綿も重要である。第二次大 への伝搬はその第 2 の貢献である。 販のものには塩化コノヾルトで着色し 戦後農業開発が進み , アラブ連合に シリア共和国 ( 補 ) 19 さらにオリエント貿易の海陸の中心 合邦 ( 1958 ) 後は農地改革も行なわれ た青色のシリカゲノレを 1 ( ) ~ 20 % ー昆出 63 年アラブ復興社会党 ( バース党 ) 派の軍人ク であるその位置から , 諸大国はその てある。吸湿状態ではこれが桃色に た。しかし , 最近も干害によって農 ーデターカ { 成功したの 支配権をめぐって争い , シ・リアはア なるのでこれを目安として取りかえ 業が大被害をうけることが少なくな ちは , アラブ連合への ッシリア , 新ノヾビロニア , ペノレシア , る。吸湿したものは 1 ( ) ( ) ~ 2 ( ) () ℃に熱 い。工業は発達していないが , イラ 復帰ではなく , 全アラ アレクサンダー大王などに次々に領 して乾燥させて使用できる。触媒担 ク石油会社の送油管による収入は無 プ統一をめざして , 反 有されながら経済的繁栄をつづけた。 体としても用いられるが , この場合 視できない。〔歴史〕シリアは長く ナセノレ派とナセル派の ヘレニズム時代にはアンチオキアを はシリカゲルに触媒成分をしみ込ま 軍人間の争いが続き , トルコの植民地であったが , 19 世紀 政情は不安だった 66 首都とするセレウコス朝が栄えたが , せるか , 溶液状態で混合し共沈させ 後半からアラブ・ナショナリズムの 年 2 月 , シリア国内問 中心となり , 第一次大戦中に英軍と 前 1 世紀にノヾレスチナとともにロー てつくられる。シリカゲルはケイ酸 題優先をとなえる民族 マ帝国領となり , 次いで 4 世紀末か メッカのファイサル軍により解放さ ナトリウム水溶液を塩酸などの酸で 派軍人がクーデターを らビサンチン帝国領 , 7 世紀にはサ れた。しかし , アラブ民族の国とし 中和沈殿させ , 水洗乾燥させると得 おこし , 元首のアミン・ ての独立は与えられす , 192 ( ) 年に国 ラセン帝国領となった。 12 世紀に十 〔斎藤泰〕 られる。 ハフェズ大統領評議会 議長を解任 , 新元首に 字軍は一時ここに拠点を設けたか・け 際連盟の委任統治領として , フラン シリコーンじゅしシリコーン樹 ヌレジン・アタッシを 脂ケイ素および酸素が交互に結合 スの支配下に置かれた。第二次大戦 っきよく撤退し , イスラム支配が復 任命し , アラブ統一紛 直前に , フランスとの条約で独立が して分子の骨格となっている合成樹 活した。 16 世紀以降オスマン・トル 争に終止符を打った。 予定されたが , 第二次大戦により枢 脂で , ケイ素樹脂ともいう。単にシ コ帝国がシリアを領有したが , その リコーンともいい , シ・リコーン油 , 軸軍の支配する基地となった。 41 年 支配時代にシリアはメソボタミアと シリコーングリース , シリコーンゴ ともに文化的 , 経済的に衰徹した。 英国軍により解放されたが , フラン ムをも含める場合が多い 18 世紀になるとトルコ帝国の支配カ スが 46 年ようやく撤退したので独立 これらの 物質のすぐれた特徴はその分子の構 はゆるみ , 宗教 , 民族を異にする小 できた。パレスチナ戦争後 ( 1949 ) か 造に起因する。骨格であるケイ素と ら 54 年までに 5 回ものクーデターが 集団がたがいに争い , ますますこの 酸素の鎖は石英などのケイ酸塩と同 起こったが , 55 年の選挙でクワトリ 地方を荒廃させた。 1830 年代にエジ 様な構造で , さらにケイ素にメチル が大統領となり , 58 年 2 月 1 日にェ プトのメへメット・アリが一時こ 基やエチル基などのアルキル基か、結 ジプトと合邦して , アラブ連合共和 の支配者となったが , 宗派の争闘は びついた半無機 , 半有機的な構造で 国の州となった。しかし 61 年 9 月 28 絶えす , これがさらに列強の干渉を ある。シリコーン樹脂のもつ耐熱性 , 日に , ナセル大統領に反対する軍部 よんで , 彼はついにシリア領有を放 耐薬品性 , 耐風性 , 電気絶縁性など R がクーデターをおこし , アラブ連合 棄した。フランスはナポレオンの工 ンリアゲムシ 果実 ーン油の化学構造 シリコ R R R R—Si-O Si—O Si—R R R

6. 国民百科事典4

シンドウ 1 9 3 とき , おもりは静止位置からみて , 近世思想史上に重要な役割を果たし , 初めに手で伸ばした長さ。 4 と同しだ 勤王倒幕の思想的基盤を形づくるこ け縮んだ位置にある。そしてばねの とになった。朱子学の思弁的なのに 対して , 江戸中期からは古学 , 考証 力は最大になっており , 向きを変え 学が盛んとなり , 漢学だけでなく国 た運動がはしめられる。一般に振動 で一つの状態から次に同し状態にな 学の面でもその傾向は強くなった ー静止位置ーーー 0 古意を明らかにしようとする古典の るまでの時間を周期 , 単位時間内で 学は , 荷田春満を先頭に賀茂真淵 , のくりかえしの回数を振動数 , また ー伸ばした位置ー 変化の最大値を振幅という。おもり 本居宣長 , 平田篤胤の伝統によって っちかわれ , 神道こそ古道であり , の振動において , 振幅は初めに与え 「惟神なの道」であり , 外来思想の られた変位または速度できまるが , 振動系として考える必要があり , 系 影響をまったく受けないものである その周期はは、ねの強さとおもりの質 全体として振動の様式はたくさんあ と主張した。庶民の側では , 江戸中 量に関係し , 振幅には無関係である。 りうる。第 2 図の例でみる振動状態 期から儒仏神の三道は一体であると この周期を T , おもりを手からはな は , 弦の各部分が同し振動数で振動 する通俗的な「心学」「道学」が受け してからの時間を ~ とすれば , 各瞬 し , その振動の姿は時間につれて変 入れられていた。これは朱子学的な 間におけるおもりの原点 ( 静卍の位置 ) こういう振動をその系の 化しない からの距離 , は , = 員 c ~ (? ) で表 倫理 , 神道信仰 , 褝の悟道などをあ 基準振動 , そのときの振動数を基準 わせて , 処世の道を説くものであっ わされる。このように ~ について s in 振動数または固有振動数という。弦 ( あるいは c os ) の形で書ける振動を たが , 庶民の生活が個別化する過程 のような振動の場合 , 一見複雑で無 「単振動」とか「 ( 単純 ) 調和振動」 で , 在来の氏神 , 産土神への信仰な 法則にみえる振動も , しつはその系 の名でよび , すべての振動のなかで どでは , 宗教的希求心を充足し得な のいくつもの基準振動が適当な割合 もっとも簡単な規則性をもつもので くなった例であろう。そのような社 でまざりあったものである。たとえ 会の情勢を反映して , 江戸末期から ある。物体に振動が起こるためには , は、琴の弦をつめでびんとはしいたと は , 現世利益を与える教派神道が次 きには , 弦は複雑な運動をするが , 1 方向に運動を続けようとする性質 次と生まれた。黒住教 , 禊教 , 天 ( 慣性 ) と , つりあいの位置に戻そう この振動は弦の基準振動すなわち調 理教 , 金光教 , 大社教などがそれで とする力との二つが必要であるカ { , 和関数の和として表わされる。一般 ある。一方 , 部落や血縁的共同体で の振動について , それを調和関数の とくにその振動が上のような単振動 は , 依然として氏神 , 産土神を中心 和の形とし , 各成分調和関数の係数 であるためには , 大きさがつりあい とする信仰も残っていて , 理論神道 を求める手続をフーリエ分析または の位置からの変位ェに比例して変わ や教派神道とは違った民俗的な信仰 調和分析という。 / 音 るような復原力がいつも作用するこ 〔膜 , 板の振動〕基準振動は糸や弦 によって神社と結び付いていた。一 とカゞ必要であり , 上例ではは、ねの弾 だけでなく , 一様に質量の分布した 、、く素朴なものから高度に れらは , 性力がその条件を満足する。また調 発達したものまでいろいろあるが 弾・陸体 , たとえば棒 , 膜や板につい 和振動では , エネルキ、一を有するこ 概括的には神社神道とよばれている。 ても存在する。木琴の振動は棒の振 とのできる物体または状態が 2 種あ 明治維新は思想的には国体を重ん 動である。音叉も U 字形に曲がっ って , その間でエネルギーのやりと りが行なわれる。 - ヒ例ではおもり ( 位 し , 大義名分を明らかにするという た金属棒の振動である。弦や棒のよ うな一般の弾性振動ではいちばん振 基盤をもっていたので , 維新後の神 置のエネルキ、一と運動エネルキ、一を もつ ) とばね ( 弾性エネルギー ) の間 道は国家権力の積極的擁護のもとに 動数の少ない基本振動がもっとも起 に交換が行なわれる。振り子の振動 伊勢・神宮を頂点として官 , 国幣社の りやすいが , 2 倍 , 3 倍の振動数 も振幅があまり大きくない範囲で糸 制を復活し , 祭政一致の大原則をう の基準振動も誘発されやすい。 音叉 ではっちでたたくと , 最初のうちか の傾角について単振動が成立する。 ち立てた。それによって神道は , ん高い音を発生するが , それは基本 般の宗教とは異なり , 伝道の必要も / 振り子 振動の 6.6 倍 , 17 倍もの基準振動であ なく , 宗教というわくの外に置かれ 〔弦の振動〕両端を固定して強く張 る。膜や板などの面を作る物体の基 , 。このような国家権力との結び付 った一様な糸や弦の中央を引いて離 きは , 太平洋戦争をひき起こす原因 準振動の性質として重要なのは , そ すか , はしくと , 糸や弦は振動をは ともなり , 第二次大戦終結まで , 国 れぞれの基準振動についてまったく しめる。振動の原因は糸や弦の張カ 民生活の上に大きな圧力となって 動かない点を結んだ線すなわち節線 と糸や弦各部分に分布した質量によ る慣性であり , 弦の各部分は , その の現われることである。第 3 図は周 〔原田〕 いた 辺を固定した円形の膜についての , 密度と張カおよび弦の長さできまる しんどう振動振り子の傾き角 振動数で時間に対して調和関数的に 簡単ないくつかの基準振動を表わし や , は、わにつったおもりの高さのよ うに , ある量が一つの状態を中心に 振動し , 弦各部の変位の式は s ⅲ形 第 2 図弦の基準振動 となる ( 第 2 図上 ) 。つぎに弦のとこ して増加および減少をくりかえし , 一定時間ごとに同し状態に戻るよう ろどころを押えて振動させると , な運動を振動という。 端から弦の全長の % , % , 髫 , 〔単振動〕ばねにおもりをつり下げ の点を押えたときに これらの点 た第 1 図の例で , おもりを手で引く か・静止したやはり s i n 形の振動がみ と , ばわは伸ばされ , おもりにはも られる。この動かない点を振動の節 との位置に戻そうとするばねの力が 点といい , それぞれの振動数は , 第 加わる。手を離すとおもりはばねの 2 図の上の振動に対する振動数の 2 , 力で方に動きだし , 初めの静止位 ・・倍になる。 3 , 4 , ・ 置に達したときには , ばわの力はな 〔振動の分析と基準振動〕ばねにつ くなるが , おもりはさらに上方に動 るしたおもりの振動では , おもりだ き続ける。ばねが縮むとともにおも けの運動を考えればよく , それも一 りには逆に下に押し戻すばねの力が つのきまった単振動の様式しか現わ 加わり , しだいに速度を失って , つ れないか・ , 糸や弦の振動では , その いには上方への連動力 { 止まる。 この 各部分ごとの振動を複合したーっの 第一図 はねでつるしたおもりの運動 お トー一周期 T—•H 工 = 月 cos り 振幅 .4 時間 ~ 節点 節点 節点

7. 国民百科事典4

ソウタイセ ソウダガッオのマルソ ウダ ( 上 ) とヒラソウダ 次いで新しい贈与を減殺し , 最後に 古い贈与に及ぶ ( 民 1 ( ) 33 ~ 35 ) 。遺留 分権利者が数人ある場仆には , 各自 の遺留分はそれぞれ独立しているか ら , その行使は各自の自由にまかさ れていて , 共同の行動に出る必要は ない。以上を例示すると , 被相続人 の遺産が 9 ( ) 万円 , 死ぬ直前に A に 15 ( ) 万円贈与したとしよう。相続人が配 偶者と 3 人の子である場合 , 遺留分 算定の基礎となる被相続人の財産は 24 ( ) 万円となり , その遺留分は 12 ( ) 万 円である。したがって 3 ( ) 万円だけ遺 留分が侵害されている。配偶者が減 殺しようとするならば , 配偶者の遺 留分が 40 万円であるから A に 1 ( ) 万円 の返還請求をなしうる。 〔遠藤〕 そうたいせいりろん相対性理論 / アインシュタインらによって展開 された物理学の基礎理論で , 略して 相対論ともいう。一般に現象は観測 者 ( 座標系 ) によって異なって観測さ れるが物理法則はすべての座標系に おいて同形に表わされなけれは、いけ ないというのがこの概略である。特 殊相対性理論と一般相対性理論とに 分けられるが , 前者は 19 ( ) 5 年アイン シュタインによりはしめて発表され たもので , すべての物理法則は一定 の速度で動く任意の観測者に対して 平等に成立するという「特殊相対性 原理」と , 真空中の光の速度が同し く , このような観測者に対しつねに 一定不変の値をもっという「光速度 不変の原理」の二つを基本原理とし ている。この理論は地球の絶対的な 運動を定めようとして 1886 年に A. A. マイケノレソン ( 1852 ー 1931 ) および E. W. モーリー ( 1838 ~ 1923 ) の 2 人によ って行なわれたマイケルソン・モー リーの実験 ( 1 点より出た光をがラス 板により直角 2 方向に同し距離だけ 進んで反射させ , もとのガラス板に 戻し , 二つの光の干渉を調べる。地 球の運動方向により光速度に変化が あるはすと当時は推察されていた ) の否定的な結果を説明するために提 出されたのである。 〔特殊相対性原理のもつ意味〕この 理論によれば絶対静止空間というも のの存在を考えることは無意味で速 度はただ相対的にしか意味をもたな くなり , また光速度をこえる速度の 存在は否定される。このような結論 はそれまでのニュートンカ学では信 じられない事がらであった。特殊相 対論とニュ トンカ学との違いは物 5 4 4 体や観測者の相対的速度が十分小さ いときには現われないが , それらが 光速度に比べられるほど大きくなる と著しくなる。とくに運動物体の見 かけ上の長さの短縮 ( ローレンツ収 縮 ) や , 運動する時計の遅れなどの 現象が起こる。すなわち物体の相対 速度をら光速度を c とすると , この 物体の運動方向の長さ / と静止の長 さ島の間には / = 1 ー / c2 の関 係がある。また二つの等速運動をし ている系の時計の時刻でとか、 とらが対応するものとすると の関係がえられる。 〔 4 次元の世界〕この理論によると , また 3 次元空間と 1 次元の時間とを いっしょにした 4 次元世界というも のが考えられる。この考え方によれ は、ローーレンツの変換を幾何学的に解 釈することができ , また 4 次元の数 学理論を記述するのにひじように便 利である。この考え方は時間や空間 ・に対する在来の観念に革命的な変化 をもたらした点で , 哲学上の認識論 や世界観になえた影響はきわめて大 きい 〔この理論の生み出したもの〕この 理論により導き出されたいろいろの 間題は次々と証明されている。たと えば運動物体の時間の遅れは高速中 間子の崩壊の寿命の測定などで確か めることができる。またこの理論に よると質量とエネルギーは本質的に 同等であることになるが ( 1 g の質量 は 9 >< 1 ( ) 20 工ルグ , 熱量で 2()() 億 kcal , ただしェルグは仕事の単位で 1 ダイ ンのカで 1 cm 移動させるエネルギー に相当 ) , この関係は元素の人工転 換によリ実証されている。ウランの 核分裂 , 水素の核融合などのエネル ギー計算はこれによリ , 原爆や水爆 を生む結果となった。一方デイラッ クはこの理論を電子の量子力学に適 用し陽電子の存在を予言した。そし てその後湯川秀樹の中間子理論など 素粒子に関する理論に大きな発達を みせ , またいろいろの実験事実を説 明し , 物理学の基礎的な原理として 認められるにいたっている。 〔一般相対性理論〕特殊相対性理論 が出てから 10 年の後アインシュタイン はまた一定速度の運動に対してであ った相対性を , 任意の加速度運動ま この で広げた理論として発表した 理論が一般相対性理論とよばれるも ので , アインシュタインはこの理 を提出するにあたり , 有名な「エレ べータの籀の実験」とよばれる思考 実験を考えた。すなわち外界としゃ 断されたエレベータの籀が宇宙間の 重力のない場所におかれ , 一定のカ日 速度でつり E げられたと仮定すると , 箱の中で起こる現象は下向きに 様な重力が生したのと同ヒであるこ と , また重力の存在する場所でエレ べータの綱を切って自山に落下させ たとすると , こんどは補の中に重力 のない場合と同し状態が生すること このようなことは を明らかにした 現在ロケットや人工衛星などの実験 で確かめられつつあることであるか・ 加速度運動と重力の作用が本質的に 区別しえないことを示している。 般相対性理論は加速度と重力のこの ような関係に基づいて建設され , 数 学的には空間と時間の 4 次元世界に 対するリーマン幾何学に根拠がおか れた。その幾何学的世界の構造や性 質は宇宙のすべての物質 ( 天体 ) の分 布によって決定されるべきもので , 万有引力 ( 重力 ) の作用のもとに運動 する質点や光線の軌道はこの世界 ( 4 次元リーマン空間 ) の測地線 ( 最短距 離の曲線 ) であらわされる。アイン シュタインはこの理論から導かれる 結論として , 第 1 にそれまでなぞで あった水星軌道の近日点の移動を説 明し , 第 2 に太陽の重力による光線 の屈曲を予言し , 第 3 に太陽にかぎ らす一般に恒星の発するスペクトル 線の波長の重力によるすれを予想し ーこのうちの光線の屈曲現象が 1919 年の皆既日食のさいに英国の観 測隊の観測によって証明され、いち やくアインシュタインと相対・陸理論 の名を全世界にとどろかせた。また アインシュタイン , オランダの W. ド・ - べノレギーーの G. ノレメーートノレ ジ・ツタ らは , 全宇宙の構造と進化をこの理 論によって論じ , 観測事実に適合す る種々の宇宙模型を提出した 相対性理論は , このように部分的に はかなりの成功を収めてはいるが , 数学的困難もあり , 理論が全般的に 承認されたとはいいがたい。また この理論によって加速度運動の相対 性と重力とが結びつけられたが , 重 カ ( 万有引力 ) と並んで自然界に存在 する基本的な力である電磁気力や原 子核内のカ ( 核カ ) などはまったく無 縁なものとして理論のわく外におか れている。重力のはかに電磁気力を も 4 次元世界の幾何学的構造の中に 取リ入れようとするいわゆる統一場 の理論の試みもいくっか提出された がまだ完全な成功を収めるにいたっ ていない これらのすべてを含めて 任意の運動の完全な相対性を示す理 論が作りうるかどうかは , 現在なお 予測を許さない。 〔石津〕 そうたがつお〔宗太鰹〕サバ科 の魚のマノレソウダとヒラソウダの 2 種の混称。両者を東京でソウダ , ソ ウダガッオ , 関西でメジカという。 全長 4()cm くらいになる。北海道から フィリピン , マライ諸島に分布する。 ヒラソウダは北米西海岸 , 地中海 , 大西洋にも分布している。暖海の表 面近くを群遊し , 日本中部では夏に 釣り , 枡粤網などで漁獲される。さ

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スマイ 住居は氷河時代の氷期においては人 類の主要な住居であったが , 温暖な 間氷期にはトナカイやマンモスなど の獲物を求めて生活圏をしだいに拡 大したようである。そして湖沼や河 川の近くなどに人工的な住居を造る ようになった。それは現代アフリカ のカラハリ砂漠に住むブッシュマン の住居から推定できるような低木 , 樹皮 , 動物の皮などを用いてテント 状に組み立てたいわゆる平地住居や , 床面を 50cm ほど掘って四方に柱をた てて屋根でおおった竪穴住居など であった。北ドイツで発見された遺 跡から想像される竪穴住居は , 丸太 で組んだ屋根を草でふいたものと考 えられ , 戸外に炉が置かれた形式で ある。 農耕生活にはいるようになると , 富の蓄積などがはしまって人類の住 居は大いに発達した。彼らは敵の来 襲から守るためにも集団的な集落を 営まねばならなくなり , 土手や , さ く , 木の切株などで自分たちの集落 を囲ったりした。個々の住居の形式 は多様であるが , ドイツ , オーノヾー シュワー ( ンのフェーダーゼーで発 見された集落の家は , 6 m >< 1() m 前後 の規模をもち , 中央に 1 列の柱があ って , 屋根の棟木をささえている。 上間床には板が敷かれ , これが出入 ロの外までのびて , べランダのよう な前庭をつくっている。すなわち前 庭 , 前室 , 後室に区別され , 前室に ノヾン焼がまや石の炉が造られ , 食と 寝が分離された後代のいわゆるメガ ロン形式に通しるものがみられる。 またフェーダーゼー対岸からは , く いを打ちこんだ上に建てられたいわ ゆる湖上住居の遺跡もみられ , 湖岸 にそうした集落がつくられていたこ とが想像される。またヤ金技術の進 歩から建築材料の加工も容易になっ て , 南ドイツのポーデンゼー湖畔の 校倉式住居のように外観 , 構造の 進んだものが造られるようになった。 2 ) エジプト雨の少ないこの地方で は木材に恵まれないため , 泥上が主 要な建築材料であった。王侯貴族は 豪華な邸宅に住んでいたが , 農民の 住居は 3mX5m 程度の泥土を塗り固 めた間仕切りも窓もないものであっ た。しかし都市の発達や練土造 ( 日 乾レンガ ) の発展により , ようやく 建築というに足りる住居が造られる ようになったノ、ツスナの住宅には , かまどのあるヘや , 仕事べや , 寝室 などがみられ , 前庭や倉庫も備えら れている。しかし一般庶民の家は厚 い上壁を共用して , 機能の未分化な 個室を集合させた集合住宅にすぎな かった 3 ) ギリシア屋根のある空間と前庭 といった原始時代の住居形式は , 前 庭を半閉鎖的空間にした前室として 主室の機能を助ける形式に発展した。 2 9 8 これがいわゆるメガロン住居とよは・ れるもので , 主室には炉があり , 広 間 ( メガ、ラ ) となっていた このメガ ロン住居の代表的なものはトロヤで 発見されたものであるが , この主室 の数が増加すると , 前室を共有にし て中央に置き , これが前庭と接触し て中庭に変化をした。すなわち中庭 に面して各室が囲む形となり , 単に 起居だけであった住居から脱して , 複雑な生活機能をもつようになった。 このメガロン住居の様式に類似した ものはパレスチナやエジプトにもみ られ , オリエントからノヾルカン地方 に伝搬した様式も加わってギリシア で発達したものと思われる。すなわ ち , 前 8 世紀ごろのいわゆる都市国 家時代のギリシアの住宅は , これら メガロン形式がさらに発達し , 中庭 の奧にパスタスという吹放しの廊下 をもつようになり , これが各居室を 連絡する役を果たし , 通路の用をな していた中庭は真に庭園としての形 態を整えるようになった。オリント ス市 ( 前 432 建 ) の例は , ギリシア住 宅の典型的なもので , 南に入口があ り , 祭壇のある中庭に通している。 その奧にパスタスがあり , 応接室 , 台所 , 客室などに連絡するようにな っている。中庭に面したいちばん大 きなへやが主人の居室で , 冬もっと も日当りのよい一角に暖炉が設けら れ , 家族団らんの居間に使用された。 4 ) ローマローマでもメガロン形式 の発達した中庭が使用されていたが 一生化してアトリウムとよばれた。 これにギリシア風の / 、スタスか、大規 模化して加えられ , べリスチリウム ( 周柱廊 ) に発展して口一マ時代の基 本的形式をつくった。ベスビオの噴 火で埋没したポンべイのノヾンサ将軍 の家はこの一例で , 街路に面して住 宅と関係のない店があり , 中央の入 口をはいるとアトリウムの広間に出 る。その周囲は客用寝室 , 食堂 , ア ーラ ( 談話室のような用途に使用さ れる ) などがあり , 団らんの場タブリ ヌムを通って中庭ペリスチリウムに こは家庭用の空間になって はいる。 いて食堂 , 寝室 , アーラ , 家事室な どがあり , 奧の正面が居間になって いる。しかしこうした支配階級の住 宅の豪壮さに比し , 庶民の貧困は著 しく , 個人で家を建てられないので , 上地の所有者などがインスラとよば れる高層の共同住宅を建てた。ロー マの港市オスチアの共同住宅は街路 に面して店があり , 奥に中庭がある。 従来のものは出入口以外に街路に面 して窓があけてなかったが , ここで は窓か・あるのカ { ふつうで , ノヾルコ ーもみられる。 5 ) 中世荘園の領主たちは蛮族の接 近や侵略者の攻撃に備えて , 堅固な とりでのようなしくみの家を建てる ようになった。堀や , さくをめぐら した中に 3 ~ 4 階の天守 ( キープ ) を こに住んだカ { 建て , これは住居 としての快適さよりも軍事的配慮が すべてに優先し , 壁が厚く窓は小さ く , 家臣たちとの社交の間である 3 階の大広間の上た・けが , 領主とその 家族の空間であった ( / 城 ) 。この領 主に臣従する荘園の管理者の家であ るマナーハウスも , やはり防さい的性 格を加味して造られていた。それは ふつう 2 階建で , 吹抜けの広間が生 活の中心、となっている。その周囲に は 1 階に台所 , 食料庫 , 談話室があ 2 階は主人の家庭の居間兼寝室 り でもある私室ソーーラーーがある。広間 は玄関に直結していて , 社交の場で あると同時に食事も行なわれ , 夜は 下僕の寝室ともなった。英国のコセ イ・マナーは 15 世紀の建物であるか・ , 中世の典型的な形式を伝えている。 当時の基本的階級である農奴の家は 木造の小屋で , 茶の間と寝間のせい ぜい 2 室程度のものにすぎなかった ようである。またプルクに生活した 商人や職人の住宅も独自の発展をと ーの町家に け、 , フランスのクリュ みられるように 1 階は街路に面し た店となっており , 奧に中庭や台所 があり , 居間は 2 階の表側に , 寝室 はその裏側にあるようになっている。 窓は広くとられ , 寝台が使用された りしていた 6 ) 近世ルネサンス期のイタリアの 都市には , 地中海貿易によるいわゆ る都市貴族たちの美しい住宅である パラツツォ ( 宮殿の意 ) が建築された これはローマ時代の系統をついで中 庭を設けてあるが , 厳格な対称性が 重んじられ , 生活機能は極度に細分 化し , 玄関 , ホール , 客間 , 食堂 , 居間 , 寝室などが並列して配されて いた。英国でもエリサベス朝時代に なるとルネサンスの影響をうけ , マ ナーハウスに対称性が要求された もっともこれは外部だけのことで , 広間を中心とする生活形式の本質に は変化がなく , 16 世紀のモンタキュ トハウスには , 有機的な平面構成 を対称的手法で整理しているのがよ くわかる。 17 世紀半ばごろになると , 根深い中世の住居様式に対して改善 をする傾向が現われるようになった。 中世の居間および食堂としての空間 は , 中央正面の入口に接して玄関ホ ールとなり , 応接間に続いて新たに 大広間がつくられた。すなわち社交 空間が増加したわけで , 1 階にあっ た台所は地階に移り , 近世の典型的 住宅の形式が形成された。 18 世紀に この形式は中産階級以上の なると , 市街地にも普及した。しかし敷地の 制約をうけるため , 片側によせてへ やをとり , 他側に中庭を配した。ロ ンドンのセントジェームズ・スクエ アの住宅は , 間ロ 12 m はどの狭い敷 地に巧みに各室を配して , プライノヾ

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ショウサン 3 3 第一吸収塔 ~ ー第六吸収塔 ラシッヒ環をたくさんおいて希硝酸で ぬらし , 酸化窒素の吸収をたすける アンモニア酸化法による硝酸製造工程 アンモニア冷水による 酸化塔ガス冷却器 酸化窒素 NO ー アンモニア・空気 混合ガス調整器熱交換器 アルカリ吸収塔 ↑希硝酸 - み・・物を 大気 排ガス 、互をを 空気 02 0 硝酸塩や亜硝酸塩 排がスは窒素酸 化物を含まない の製造をおこなう 酸冷却器 50 。 C 0 白金一口ジウム網状触媒を そなえ , アンモニアの大部 分を酸化窒素に変化する アンモニア NH3 —> 0 0 0 60 % 硝酸 HN03 希硝酸 しようこくじ相国寺京都市島 色透明の液体で , 比重 1.52 ( 15 ℃ ) , ェステルを作る。ピクリン酸 HOC6 H2 丸今出川にある臨済宗相国寺派の本 融点ー 42 ℃ , 沸点 86 ℃で , 水とは任 (N02 ) 3 トロトルエン ( T NT ) 意の割合でよく混しる。発煙性で刺 山。 1382 年足利義満の創建になる。 CH3 C6 H2 (N02 ) 3 トロセ . ルロ 夢窓疎石を開山始祖とするが , 実際 激性のにおいがある。加熱や光で分 ス ( 硝化綿 ) C12H1404 (ON02)6 解する。 4HN03 = 4N02 十 02 十 2H20 にはその法嗣である春屋妙葩く ログリセリン C3 H5 (ON02 ) 3 などは 濃硝酸はこの分解でできる二酸化窒 が最初の住持であった 一時は万年 火薬の原料で , ピクリン酸 , ニトロ 山相国承天褝寺と称し五山の第 2 位 素 N02 のためかっ色をおびやすい。 べンゼン C6 H5 N02 などは染料となる。 〔製法〕 1 ) チリ硝石法 8 世紀の練 希硝酸は皮膚を黄色に染める。タン におかれたか、 , 1394 年以後たびたび 金術者ジャービル ( ゲーベル ) は硝石 ヾク質に作用し , . キサントプロティ 炎上 , 応仁の乱でさらに荒廃した。 KNO 3 と硫酸銅とミョウバンを熱し 豊臣秀頼 , 徳川家康らのカで一時復 ン酸ができるためで , タンパク質の て作った。のちグラウバーが改良し , 興したが , 元和 , 天明年間再三炎上 検出に使われる。濃硝酸は衣服を侵 した。現在の本堂は 16 ( ) 5 年豊臣秀頼 し , 皮膚をやけどさせる。卵の白み 硝石と濃硫酸を熱して作った。 19 世 の援助で再建された法堂で安土 % 桃 を水でうすめ硝酸を加えると白く濁 紀中期からはチリからのチリ硝石 山時代の代表的褝宗建築の様式を示 NaN03 が硝石の代わりに使われて り , 暖めると黄色になる。このよう している。江戸末期から明治にかけ に硝酸は水に溶けているタンパク質 いる。 NaN03 十 H2S04==NaHS04 十 て建物も冉興され , 1876 年臨済宗の を固まらせる。 この方法は簡単なので実験 H N ( ) 3 室や中小工場では現在も利用されて 分派により ー・派の本山となり現在 硝酸は水溶液中でほとんど H + と 百十余の末寺をもつ。寺内に国宝の いる。 2 ) 電弧法 18 世紀末キャベン N ( に解離し , 強酸である。また次 く無学祖虍墨蹟〉 ( 4 幅 ) のほか , 長 ジシュらは , 湿った空気中で火花放 のように分解し , 強い酸化力をもつ。 電を行なうと硝酸が生しることを発 谷川等伯のく猿猴竹林図 > 6 曲屏 2HN 03 = H2 0 十 2NO 十 3 0 このた 風 , 伝絶海のく十牛公よ〉などの 見した。自然界では雷の空中放電で め酸や酸化剤の重要な試薬である。 寺宝がある。 窒素の酸化物ができ , それが雨水に 〔坊城〕 薄いと酸として , 濃いと酸化剤とし 溶け硝酸 , 亜硝酸として地中に入り , しようこんゆ松根油マツの根 ての働きが強くなる。濃硝酸はイオ を乾留して得られる油分。淡かっ色 天然の肥料となっている。 19 世紀後 ウ , リンなどと熱すると硫酸 , リン酸 半を通じて多量の窒素肥料が求めら を呈し , 比重 ( ). 95 ~ (). 99 で , 大部分 を生し , 硫化水素からイオウを , ョ がテルペン系化合物の中性油である。 ウ化水素からョウ素を遊離する。金 れるに伴い , 空気を原料とするこの これをさらに蒸留 , 精製してテレビ 属との作用は , アルカリ金属のよう 方法の研究が進み , ノルウェーのビ ン油 , クレオソート油を得る。その にイオン化しやすいものは希硝酸に ルケランらが 1903 年特別の電気炉を 他塗料 , 溶剤 , 洗剤 , くっクリーム , 溶け , 硝酸塩 , 硝酸アンモニウム , 作り , 電弧放電を利用し企業化に成 功した。この方法は多量の電力を要 挈し化剤 , ロープタール油などに用い 水素を生しる。水素よりイオン化し る。マツを伐採後すぐに根を使用す にくいが , 酸化しやすいものは硝酸 するので , 40 年ころにはほとんど次 ることもあるが , 川年以上経過して , で酸化される。しかし金 , 白金 , ロ の方法が用いられるようになった 精油 , 樹脂分の多くなった肥松を ジウム , イリジウムは変化しない。 3 ) アンモニア酸化法 1902 年オスト 用いるほうカヾ油分の収量がよい。松 濃塩酸との混合物 / 王水では金 , 白 ワルトらによりエ業化されていたが 根を乾留すれば , 松根油のはか松根 13 年ハーノヾーらによるアンモニア合 金も塩化物になって溶ける。鉄 , ク 成法が発見されるまで , 原料のアン ロム , アルミニウムは希硝酸に溶け タール , 木酢液 , 木炭および木ガ、ス が得られる。日本における生産量は るが , 濃硝酸では表面に膜を作リ , モニアが少なく発展しなかった。ま すアンモニアと空気または酸素とを 不動態となり , 侵されない。硝酸塩 1949 ~ 5() 年の約 6 ( ) ( ) ( ) k / か、最高で , 現 在は約 440 ( ) kl である。その他松根 は , 硝酸を金属や炭酸塩などの揮発 まぜ , 熱した触媒にふれさせ酸化窒 ターノレ 3840k / , 松根テレビン油 510 性の酸の塩に作用させたり , 塩基と 素 N ( ) を作る。 4 NH 3 十 5 ( ) 2 = 4NO 十 中和させて作られる。無機の硝酸塩 , クレオソート油 4 ( ) k / カヾ得られて 6H 2 ( ) 十 216 k c al このとき出る熱は おり , 中国地方の各県および千葉県 は水によく溶ける。硝酸銀は写真や 硝酸製造に必要な動力をまかなう。 が主産地である。 医薬に , 硝安 ( 硝酸アンモニウム ) , 60 ( ) ~ 7 ( ) 0 ℃以上になるので , 融点の 〔亀高〕 しようさん硝酸練金術の時代 硝酸カリ , 硝酸ナトリウム , 硝酸石灰 低いものは触媒にできす , ふつう白 から知られ , 金銀の分離に用いられ 金網またはより軽く強い白金一口ジ は肥料になり , 硝安は火薬にもなる。 ていた酸で , 現在も肥料や火薬の重 ウム合金を使う。酸化鉄などの卑金 有機物に作用するとニトロ化剤と 要な原料である。 属もときには用いられる。次にでき ニトロ基 ( - N02 ) をもつ して働き , 〔性質と用途〕分了・式は HN ( ) 3 で無 ニトロ化合物や - ON02 をもつ硝酸 た N ( ) を酸化し , 二酸化窒素 N02 に

10. 国民百科事典4

セイショク 3 8 3 盛んに繁殖する夏季には , 雌個体ば 植物の生殖のしかた 、アメイ、イニ分 かりが現われ雄の姿はない。しかし 〔無性生殖〕二分裂 , 出芽 , 胞子形 この雌の産んだ卵は , 精子がなくと 成 , 栄養生殖などがある。 1 ) ニ分裂 も独力で発生する。このように自然 細菌類やらん藻類その他の単細胞藻 に単為生殖をすることもあるが , 実 類が行ない , からだが 2 分して二つ 験的に特別な処理をすると , ふつう の新個体となる。 2 ) 出芽酵母類が は発生をしない未受精卵が発生をは 行ない , 母細胞から一つまたは多数 , アオ、を下ロ物合 じめることもある。たとえば , 交尾 の芽を出し , これがくびれて離れ , させすに産ませたカイコの卵は , そ 新個体となる。 3 ) 胞子形成動物で のままではふ化しないが , 強い光に も原生動物のうちの胞子虫類 , 根足 当てたりプラシで強くこすったりす 虫類およびべん毛虫類のあるもので ると発生するし , カエルの卵もふつ もみられるが , 植物ではシダ類以下 うは受精させなければ腐ってしまう にひろく行なわれる。 / 胞子は一般 が , 細い針で突いたりすると , きわ に単細胞で , 母体から一つまたは多 めてまれではあるが , オタマジャク 数作り出され , 発育して新しい個体 シになる。同様な実験はいろいろの となる。細菌類には , 細抱の中に 動物の卵について試みられ , とくに つの内生胞子を作るものがある。真 ウニの卵については著しい研究成果 菌類のケカビなどでは , 菌糸の先に が得られている。このようなものを できた袋の中に多数の胞子嚢胞子を 人工単為生殖 ( または人工処女生殖 ) 生し , アオカビでは , はうき状に という。しかし今日のところ , ヒト まかく枝分かれした菌糸が無数に分 を含む高等動物で単為生殖が起こる かれて分生胞子 ( 分生子 ) を生する。 かどうかは疑わしい。 これにはほ挈し またチャワンタケなどでは子嚢の中 アメーパは二分裂によ 類の卵が母体内の特別な条件のもと に 8 個の子嚢胞子 , シイタケなどで 性芽 , オランダイチゴのほふく枝 り , ヒドラや酵母は出 でしか発生させることができないこ ( ストロン ) などがある。またムカゴ はひだの表面に 4 個すつまとまった 芽によってふえるカ { , とにも理由がある。もっともよく研 担子胞子を生するが , これらは有性 トラノオは花がむかご化し , セイロ アオミドロは他の接合 究されているのはウサギで , 1927 年 生殖に引き続いて行なわれる胞子形 ンべンケイやオリヅルシダは葉から 藻類と同しく , 接合と ころから実験は始められ , 熱処理で 成で , 細胞核は減数分裂をしてのち 苗を生する。人為的には果樹その他 いうおもしろい生殖の 形式をとる。すなわち 刺激した受精しない卵が , 胎児にま に胞子の核となる。かっ藻類 , 紅藻 の園芸植物で , / さし木 , / とり木 , 左方の雄性のものから でなったという報告もあるが , 一般 類でも同様であるが , 細胞内容が四 / つぎ木などか、行なわれる。 接合管を介して , 右方 の承認は得られていない。 つに割れて抱子になるので四分胞子 〔有性生殖〕性のなる二つの個体 の雌性のものヘ原形質 単為生殖の一種で幼生生殖とよば とよばれる。コケ類 , シダ類でも , またはそれらから生した生殖細胞の が移動していって , そ れる現象がある。これは動物のまだ 減数分裂をへて胞子嚢の中に多数の 間で接合が行なわれて接合子を生し , こに接合子を形成する 幼若なものから , その子が生してく 胞子を生する。胞子から生した新個 これが新しい個体に発育するのが有 る現象である。たとえは、タマノヾェの 体はかならすしも親と同形ではなく , 性生殖であるが , 接合する二つの配 うしの体のなかに子のうしが生し , たとえばシタ、、類では微小な前葉体 , 偶子の形 , 大きさ , 働きが同しであ 皮膚を破って , 「・のうしが出てくる コケ類では糸状の原糸体かでき , か るときは同形接合 , 異なるときは異 ことがある。 っ藻類や紅藻類でも親と異なる個体 形接合といい , 異形接合をするもの これは , 動物体全体は を生するものがある。しかし , この が卵と精子に分化しているときは , まだ成熟しないのに , 卵巣だけが熟 とくに卵接合あるいは / 受精という。 し , 卵が単為生殖して発生するもの ようなものでも , 次の時期には同し 多くの菌類や藻類は抱子形成による 形の個体を生する ( 世代・交番 ) 。胞子 で , ジストマの幼虫などでもみられ 無性生殖のはかに有性生殖もする。 る現象である。 は風 , 水 , 動物などによって運ばれ 〔世代交番その他〕上に述べた無性 るが , べん毛をもっていて水中を泳 真菌類では , 配偶子は配偶子嚢の中 ぐ胞子はとくに遊走子とよは、れる。 生殖 , 有性生殖およびその特殊な場 に生じ , べん毛で泳いで接合するは 合である単為生殖は , 別々の動物に これは真菌類のミズカビの仲間や , か , 配偶子と配偶子嚢の接合 , 配偶 イ嚢どうしの接合 , 菌糸どうしの体 みられるは、かりでなく , 同一種の動 緑藻類 , かっ藻類にもみられる。胞 サヤドロの無性生殖。 物でも , 時期によって , いくっかの 子形成を行なう植物は , 種子植物に サヤドロは淡水中に 細胞接合 , さらに卵接合までいろい 生活する緑藻で , 図は 異なる生殖のしかたを行なう。そし 対して胞子植物という。なお以上の ろある。その性も数種類あり , ある この植物の栄養細胞か て生活環のうちで , 一定の法則にし 二分裂 , 出芽 , 胞子形成は細抱単位 いは相手によって性を変化させるな ら遊走子のでたところ たがって異なった生殖のしかたをく で行なわれるので細胞生殖ともいわ ど菌類の有性生殖はひしように複雑 リかえす場合には , これを / 世代交 れる。 4 ) 栄養生殖多細抱の植物が である。藻類では , 栄養体の細胞が からだの一部の一群の細胞を分離し 接合する接合藻類以外のものでは同 番という。 て新しい個体を作る場合である。腋 生殖現象に関連して特記すべきこ 形 , 異形の配偶子を生して接合し , 芽が多肉化し地に落ちて生長するオ あるいは受精を行なう。コケ類 , シ との一つは , さまざまの生殖現象が ニュリやヤマノイモのむか ホルモンの支配下にあることで , 無 夕、、類および種子植物では受精を行な ゼニ 脊つい動物でも , 原生動物の有性生 ゴケの体上に生する杯状体の中の無 これらの有性生殖は両性生殖と つ。 殖の誘発 , 環形動物の有性世代の出 現 , 甲殼類の生殖細胞の発達に雄の 性形質の出現 , こん虫の卵の成熟な どや , 脊つい動物のもろもろの性現 象は多かれ少なかれホルモン的調整 を受けている。一方 , 群集生態学的 にみても , 生殖現象が , 個体数を支 ① 配する第一義的要素であり , 多くの 要因の支配下にあることはもちろん である。 〔江上〕 咄手 酵母ー出芽厂 阜】・ 0 「・ 0 【 0 数種の単細胞藻類の接 合 ( ⑥は除く ) 。①は接 合細抱が同形の場合で , ②③は接合したところ。 ④は大小の接合細胞が 合体するところ。⑤は 大小の差がさらに大き いもの。⑥は卵のまわ りを精子が泳いでいる ④ 。 0