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検索対象: 国民百科事典4
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1. 国民百科事典4

タイへイヨ 6 3 1 たいへいてんごく太平天国中 国で 1851 ~ 64 年まで , / 洪秀全を中 SPAC 心とする反清革命軍の建てた国。ア ヘン戦争後 , 清朝統治下の矛盾はあ 〇 40 0 0 0 ⑨⑧ 0 0 ①・ らる面にあらわれ , 社会不安が高 このころ広東の洪秀全は , , ' 〇 ' 〇 0 みすからをキリストの弟と称し , 男 女 , 貧富の差別 , 私有財産のない理 想社会の実現を主張して , 貧農 , 炭 焼きなどの人々を集め , 上帝会 ( 拝 和タイプライタ ー I•. 帝会 ) を組織していたが , 弾圧を 目前にして , 会衆を広西省の金田村 本が使用され , キーーの面に直角に指 に集めて反清の兵をあげ , 太平天国 先を立て , 第 1 関節を曲げて軽く勢 左手 右手 と号し , 地上の天国を実現すること いよくたたく ( 右図参照 ) 。 欧文タイプライタのキーと指の分担。タイプを打っときは , 左右の 〔和文タイプライタ〕 1915 年杉本京 を宣明した。 51 年には洪秀全は大王 指を黒色のガイドキーの上に軽くおき , 図のような指の分担に従っ 太により発明されたもので従来は縦 と称し , 各地に転戦するうちに軍制 , て , キーをたたく。 BACK S PAC E は打直しなどのためにもとの 打ち専用機として発達したが , 諸文 官制を定め腹心の者を諸王とした。 位置に戻すキー。 M A R G I N R E L EA S E は , 行の左右両端の余白 書の横書き普及に伴って改良が重ね 太平軍はやがて北上して制南に入り , 止めをこえて打っときに用いる。 S HIFT K E Y は大文字または E 各地の貧農 , 手工業 , 鉱山 , 輸送労 られ , 縦横両用機が多く使用されて 段記号を打ったびに押す。 ときあらかしめ押しておくキー。 S PACE BAR は字間をあけると 働者らを吸収しつつ北進した。彼ら いる。キーは 1 個で自由に文字板の これだけはどちらの手でもよいが , 親指を使って押える きに用い 上を移動できる。必要な活字の上で は満州の風俗である辮髪をきらい キーを押すと , その活字が拾われて 長髪であったので , 清朝側は彼らを 紙面に印字をする。また , 活字が回 長髪賊とよんだが , その軍規は厳正 チモール , オーストラリア北部のロ 転円筒 _E に収容されていて横打ち専 であった。太平軍は湖北の武昌を占 ンドンデリー岬をへてタスマニア島 用のドラム式タイプライタもある。 領後 , 揚子江沿いに下って , 53 年 3 に至り , 、一こから東経 147 。線にそい 月ついに南京を落とし , こを首都 欧文タイプライタがふつう 84 種の活 南極大陸に至る線で境される。また として天京と称した これから 56 年 字を持つのに対し , 和文は 3 ( ) ( ) 0 字に 北はべーリング海峡で北極海とつら までは勢いきわめて強く , 揚子江中 達する活字を必要とするが , 最近当 なっている。太平洋の成因について 流域の諸城を攻略し , 北伐軍は北京 用漢字などによる簡便化で簡単なも は , 地球から月が飛びだした跡であ までも追った。しかし初期の戒律も のが研究されている。 〔今村〕 るという説や , 地球創成のときから たいへいき太平記戦記物語。 ゆるみはしめ , 56 年諸王の権力争い あったとする説などがある。ウェゲ 4 ( ) 巻。小島法師 ( ? ~ 1374 ) の作と伝 が起こり勢力が弱化した。 このころ ナーの大陸移動説では , 太平洋は古 腐敗した清の正規軍にかわって , 農 えられるが , 正確には未詳。 1372 年 生代初期に存在していた始原海のな ごろまでに成、な何回か補訂を加え 民を集めて組織した曽国藩の湘軍 , ごりで , 太平洋の周辺部の海溝は大 て現在の形になった。古写本のうち 李鴻煢の涖軍などがしだいに各方 陸塊が大平洋から外方に移動した結 で巻 22 を欠くものが , 古体を有する 面で太平軍を破った。し勳、も , 6 ( ) 年 果であるとしている。だが , 成因に ものとされている。鎌倉時代の最末 の北京条約締結後 , 外国勢力は清朝 関してはまだ未解決の点が多い。 を援助し英人 / ゴードンの常勝軍も 期から南北朝時代の中ごろまで約 5 ( ) 〔海底地形〕海底の大地形は南半が 年間にわたる戦乱の時代を戦闘を中 こうして 北半が割合に深い。赤 比較的浅く , 反革命軍を助けて戦った。 心に描いている。全体を三つの部分 64 年 , 南京は落ち , 洪秀全は自殺し 道以南はおおむね 45 ( ) ( ) m より浅い て , 太平大国は滅びた。しかしこの しかし , 安山岩線の内側にクイーン に分けて考えることができる。第 1 乱は , 清朝に大打撃を与え , その崩 部は , 後醍醐大皇による鎌倉幕府の ズランドとニューギニアのあたりか ら南東へ , トンが , ケルマデク諸島 壊の契機となっており , また , それ 討伐計画から建武中興政治の成立ま までの王朝交代の革命とちがう点で , でを記した巻 1 ~ 12 までで , 正中 , ジーーランド島へとのび ーこ } し、 近代中国革命の先駆をなすものと評 元弘の変の叙述が中心をなす。第 2 ている一連のメラネシア海台があり , 部は , 中興政治の失敗と足利尊氏 価されている。 〔小島〕 他の割合浅い域 , すなわちアルバト のむはん・ , 楠正成や新田義貞などの ロス海台 , 南東太平洋海台 , 太平洋 たいへいよう大平洋 Pacific 南極海膨が東太平洋の中米沖の赤道 戦死 , 後醍天皇の崩御などを記し Ocean アジア , オーーストラリア 域から南極のロス海へとつらなって た巻 13 ~ 21 までの部分。第 3 部は , 南大陸 , 南北アメリカの五大陸に いる。南中部には , 平均 70 ( ) O m , と 足利府の勢力が強化されるにつれ 囲まれた海域。大西洋 , インド洋と て , 足利ちの内部では , 果てしない ころによっては 9 Ⅸ ) ( ) m をこえる側壁 ともに世界の三大洋の一つで , 世界 抗争がくリかえされるが , 細川頼之 の急しゅんな幅せまいトンが・ケル 一ひろくかっ深い。面積 ( 付属海を 除く ) は 165. 246X1 ( ) 6km2 で地球上の が執事職になり , 義満を補佐するに 全陸地面積より大きくまた付属海を およんで , 天下はようやく泰平に帰 するということを記した巻 22 ~ 4 ( ) ま ふくめると全海洋面積のほは、 % にあ での部分である。文体は漢文読下し たっている。その体積 ( 付属海をのぞ 文に近い和漢混淆文で , きびきび く ) は , 7 ( ) 7. 555X1 ( ) km3, 平均の深 として莊であるが , その先行作品 さは 4282 m で , 世界でいちは、ん深い である / く平家物語 > の詩情や華麗 マリアナ海溝い 1 ( ) 34 m , ソ連のビー チャジ号が発見 ) もこの海にある。 さはみることができない。く平家物 語〉が琵琶法師によって語られた 付属海としてべーーリング海 , オホー のに対して , この書は室町時代には ック海 , 日本海 , 東シナ海などがあ る。大西洋とはホルン岬と南極大陸 物語僧によって朗読され , 近世以後 は「太平記読み」という太平記の講 沿岸のサウス・シェトランド諸島と 釈を職業とする者によって講せられ , の最短距離の線で境されインド洋と ひろく民間に流市した 〔木藤〕 @ 4 4 3 2 4 SHIFT 4 X C V B N M 4 3 SPACE BA R 9 M 0 太平天国の教会堂風景

2. 国民百科事典4

ダイス P' 6 0 7 んどは大乗仏教として現在に及んで この力に耐える骨組みを設計するこ 中間小説 , 源氏鶏太のサラリーマン とを耐震設計 , 耐震設計された骨組 いる。 小説などもこの系列に含められる。 〔増原〕 たいしようしたい大正時代大 みを耐震構造という。耐震設計法を なお , 以上のほか別種として佐々木 建築法規できめている国は日本以外 正天皇の在位は , 1912 年 7 月 30 日か 邦 , 獅子文六らの独自のユーモア小 この に米国 , イタリアなど十数カ国あり , ら 26 年 12 月 25 日までであるカ { 説があり , また江戸川乱歩をはしめ 時期は資本主義の成熟とデモクラン とする探偵小説の流れも逸すること なかでもカリフォルニアを中心とす - 一的風潮をもって特色つけられる。そ 〔瀬沼〕 る米国西部は過去に多くの大地震を ができない たいしよう対称線分 PP ・の中 れは第 1 次護憲運動とそれに続く大 経験し , 耐震構造技術もひじように 点を ( ) とするとき , p と p ・は ( ) を中 正政変で明けた。やがて 1914 年に第 進歩している。世界有数の地震国で 心として点対称であるという。線分 一次大戦が始まると , 日本は連合国 ある日本では , 最大級の地震を対象 P P の中点を通って p P' に垂直な直 側について参戦したが , 大戦によっ にした耐震設計が必要である。建築 線を g とするとき , P と P' はにつ て経済界は空前の活況を呈し , 工業 基準法施行令第 88 条の規定によって , いて線対称であるという。また線分 生産は飛躍的に増加し , 貿易とりわ 建物はその各部に水平カ F= c ルを p P' の中点を通って P P に垂直な平 作用させたとき , これに耐えるよう け輸出が大幅にのびた。資本主義体 面をとするとき , P と P はにつ 制は確立し , 農村の自給経済は決定 に設計する。ルは建物各部の重量に いて面対称であるという。点対称 , 的にくすれ , 生活様式は急速に近代 地震カ算定用積載荷重 ( ふつう床構 線対称 , 面対称をたんに対称という 化した。それを反映して思想的 , 文 造設計用積載荷重の % ~ % ) を加算 こともある。 2 点が点 ( 直線 , 平面 ) 化的には , 吉野作造の主唱する民本 したもの , C は水平震度とよぶ係数。 について対称のとき , 一方の点を , 主義 , 武者小路実篤らの白樺派が起 C は高さが 16m 以下の部分で ( ). 2 以 その点 ( 直線 , 平面 ) について , 他の 上 , 高さが 16 m をこえる部分に対し こり , 自由主義教育や童話文学がい 対称上は ( ) を対称の ては , 高さ 4 m を増すことにさらに 点の対称点という。図形 / 上の任意 っせいに開花し , 政治的にはいわゆ 中心、とする点対称 , 中 ( ). ( ) 1 を加える。屋上から突出する水 の動点 P の点 ( ) ( または直線 g , ま る大正デモクラシーの風潮となった はを対称軸とする線 対称 , 下はを対称面 たは平面兀 ) についての対称点を P ・と そう , 煙突などは 0.3 以上。また地盤 一方 17 年ロシア単命が起こると , 18 とする面対称を表わす し , P' の描く図形を / ・とするとき , が著しく軟弱な地域に建つ木造建物 年日本政府はこれに干渉してンべリ 図形 / と図形は点 ( ) ( または直線 も ( ). 3 以上とする。ただし骨組みの構 ア出兵を行ない , その影響と物価高 g, または平面について点対称 ( ま により同年夏米騒動が爆発 , 寺内 ( 正 造や地盤などにより , またはその地 たは線対称 , または面対称 ) である 方における過去の震害の程度や地震 毅 ) 内閣が辞職し原 ( 敬 ) 内閣が生ま という。図形 / と図形工・とが一致す 活動の状況その他地震の性状に応し れた。さらに 2 ( ) 年には大戦中の好景 て , 5 ( ) % 以内の範囲で水平震度を減 るとき , ( ) を図形 / の対称の中心 ( g を 気の反動として恐慌におそわれ , 社 対称軸新を対称面 ) という。〔清宮〕 しうる規定がある。建物の耐震性は 会不安が広まった 小作争議は急速 その骨組みの強さだけでなく , 地盤 だいじよう大乗仏教を大きく にふえ , 労働連動も戦闘的となり , の良否によっても大蝠に左右される。 22 年日本共産党が非合法に結成され 2 分類したその一つ。サンスクリッ 1891 年の濃尾地震を契機として耐震 ト語 mahäyäna の漢訳で , 涅槃の た。 23 年特権的地位に安住できなく 構造の重要生が認識されはしめ , 当 彼岸へ衆生を運京「大きなすぐれた なった作家有島武郎が自殺して世を 乗り物」を意味する。摩訶衍 , 大 時の地震を考慮しない欧米流建築構 驚かせたか , その 9 月関東大震災が 乗教ともいう。 / 小乗に対する語で 造法が反省され , 日本独自の耐震構 起こって国民を不安のどん底におと 1923 年の あるが , 小乗とは大乗仏教徒か他方 しいれた。その間 21 年ワンントン軍 造技術を生むにいたった 関東大震災はその後の耐震構造の進 をけなしたことはにすぎない。釈迦ド 縮条約が結は、れた。やがて 24 年第 2 歩に寄与する貴重な経験となった。 次護憲運動がはしまり , 護憲三派内 の死後ほは、 1 ( ) ( ) 年にして , 仏教教団に 閣が成立 , 政党政治は全盛期を迎え 分裂が起こり , 部派仏教の時代にな 〔安藤〕 ダイス d 池 s 広義には鍛造 , 引 た。政権を握った政党は , 25 年男子 これら部派教団は経済力に恵ま 抜加工 , 押出加工 , プレス加工など 普通選挙法と治安維持法を制定した れ , 人里離れた地に僧院をもって教 金属の塑性加工に使用される型のこ またこのころから大衆文学の隆盛 , 理研究に従事し , 自己の開悟だけを とをいうが , ふつうにはねし切り夕、、 女性の社会的進出がはしまった。こ 目的とした出世間的傾向をもってい 紀元前後のころ大乗仏教はこう イスをいう。ねし切りダイスは丸棒 うして大正時代は , 政党の政権獲得 た した部派教団に反対し , 衆生の救済 連動ではしまリ , その政権獲得をも の外周におわしを切削する工具で , ( 利他行 ) を強調して興起した。近年 比較的小さい直径のねじ切リに使わ 〔鹿野〕 って終わった だいしょにん代書人通俗的に の研究では , 大乗仏教が興起した背 れる。中央にめねし状の切刃をもつ 景に , 釈迦の遺骨を祭ったストゥ は , 他人の嘱託をうけて書類を作成 円盤または角形状で , 手回し用ダ、イ することを業とする者を総括してよ パ ( 仏塔 ) に対する民衆の崇拝があっ ス回しに取りつけて使用する。わし たとされる。したがって , 大乗は在 京が , 正確には現在の / 行政書十の 切り後逆に回して抜き取るが , その 前身をいう。官公署に提出する書類 家主義的であり信仰実践を重んじる。 手間を省くため左右に割れる割こま などの作成を業とする者を代書人と また , 部派仏教の説く釈迦が歴史人 ダイスもある。また , 碇盤などに取 よび , 代書人規則がこれを規制して りつけて使用するものはとくにタ、、イ 物であるに対して , 般若 , 維摩 ヘッドという。 いたが , 現在は行政書十の制度がこ 法準 , 華厳経などの初期大乗経 〔田中〕 れに代わっている。 / 司法書士も広 - 叫にみられる釈迦は理想的人格とし 耐震性の強化のしかた 義の代書人に属するが , 旧制度時代 て描かれている。これら初期大乗仏 筋かい 教の大成者は / 竜樹 ( 2 世紀 ) であり , から区別されていた。なお , 税理十 , 火打 次いでグプタ朝にはいって / 着 建築十 , 弁理十 , 海事代理十 , 上地 / 世親らか出た。大乗仏教は 2 世紀 家屋調査十などは , それぞれの業務 ごろから中国に伝わリ , 地論 , 攝論 の範囲内で他人の嘱託をうけて官公 涅槃 , 二論 , 天台 , 法相 , 華厳 , 浄 署に提出する書類の作成を業として 上 , 神 , 真言の各宗などが成立 : した 〔中村〕 またチベットへも 7 世紀ごろから伝 たいしんこうぞう耐震構造大 わって , ラマ教として発展した。中 地震のさいには建物が振動し , 骨組 国や朝鮮 , 日本における仏教のはと み内部にひヒように大きなカか働く。 、 \ ダイス回し ダイス 耐震性の強化には , 角の構造を少しでも多 くつくるのがましく 壁には筋かいを入れ , すみには火打を入れる。 また , 柱と f•. 台との接 合部は鉄板で補強する 崩かい 火打

3. 国民百科事典4

7 1 7 あり痛みが強い。全身症状としては 弟子 > など , 文芸作品にも深い影響 対しても多くの場合この関係が使用 を与えた 頭痛 , 不安 , ときに意識の混濁がみ 〔児島〕 されるが , アは気体の定圧比熱と定 タンニン られる。幼児や老年者に多い。一見 tannin 単一な物質の 積比熱の比で , そのイ直は 1. 7 ~ 1. 3 で 重症にみえるが . , 多くは平均 6 ~ 1 ( ) 名ではなく , 渋味をもつ一群の植物 ある。また弾性ゴムのように膨張係 日で全治し , 皮膚の赤いはれの去っ 成分で , 生皮を革に変質させる作用 数が負のものでは , 断熱的に引きの たあとは落脣して治癒する。細 をもつ物質をタンニンと総称する。 ばすと温度か、上がる。量子力学では , 菌の侵入門らしいところが見あたら したがって広義にはなめし作用のあ 体積のようなパラメータを無限にゆ る無機塩 ( おもにクロム塩 ) も含まれ , ないのがふつうである。治療にはサ っくり変化させる場合断熱変化と 有機物質も植物成分に限らすフェノ ルファ剤や抗生物質が有効である。 〔石田〕 ーール類ことに多価フェノール誘導体 たんのう胆嚢肝臓の右葉の下 もこの中に含まれる。収れ % 性をも タ・ントン Georges Jacques 縁に位置し , 胆嚢管に接続したセイ Danton 1759 ~ 94 フランス革命 ち ( 渋い味 ) , ニカワにこの溶液を加 ョウナシ形の状の臓器 ( 長さ 8 cm , における主要な政治家の 1 人。 1785 えるとゼラチンを沈殿させる。多く 容積 4 ( ) ~ 7 ( ) c c ) で , 中に / 胆汁を貯 ~ 91 年王室顧問会議の弁護十 , 90 年 の重金属塩 , アルカロイド類と沈殿 蔵する。空腹時に胆汁は胆嚢に集ま 物を作る。水 , アルコール , アセト コルドリエ・クラブを創設 , 翌年ノ り , 水分を失って漸次濃縮され数倍 リ自治体の検事補となり , 92 年 8 月 ンなどにとけやすく , 弱い酸性を示 の濃度となる。胃からの酸性の食物 川日事件による革命的コミューンの 消化物が十二指腸内にはいってくる し , 工ーテル , クロロホルム , 石油 と , それに刺激されて反射的に胆光 形成に参加 , その直後法務大臣に任 工ーテルなどにとけにくい。タンニ 命 , 同年 9 月国民公会議員に選出さ 胆汁が十二指 ンの植物界における分布・はきわめて 壁筋の収縮が起こり , ひろく , 高等植物のほとんどすべて 腸に排出される。胆嚢はこのように れて山岳党 ( ジャコバン ) に属した は多少含有し , 藻類 , 菌類 , シダ類 公安委員として恐怖政治のもとでジ 胆汁の貯蔵と排出を行なう器官であ などの下等植物中にも見いだされる。 るが , 胆光造影剤を服用して X 線検 ロンド派打倒と内乱弾圧を強行した 査でその形態や , 収縮能力などをみ か、 , やがてダントン派とロベスピエ 植物体の部位としては , 樹皮中にも ール派の対立が表面化し , 94 年 3 月 っとも多く , 材 , 根皮 , 地下茎 , 葉 , ることができる。また十二指腸ゾン 31 日逮捕され , 処刑された。大胆な デで分泌される胆汁を採取するとき 果実などがこれに次ぐ。果実や種子 能弁で大衆をつかんだが , その性格 は , 硫酸マグネシウム液の注入刺激 の場合は未熟のものに多く , また傷 はロベスピエールの「清廉」と対照 害部 , 虫瘻を部 ( 五倍子 ) にとくに多 で濃厚な胆汁が排出されてくるが , これは胆嚢内の胆汁で B 胆汁といい 的であった い。タンニンのおもな用途はなめし 〔木村〕 たんなトンネル丹那トンネル これを調べると胆嚢内の病気を知り 用で , ケプラチョ , ワットル , チェ 国鉄東海道線の熱海 ~ 函南絵間で , スナツツなどが多く用いられる。 うる。また B 胆汁が欠如しているの も胆嚢の病変を物語るものである。 熱海火山の火口壁を横切るところに インキ製造には五倍子 , 没食子タン また / 胆石は胆嚢にもっとも多い。 設けられた , 全長 7804 m におよぶ長 ニン , 薬用には五倍子からのタンニ ン酸およびカテキュータンニン , 染 いトンネル。火山を横切る断層帯を なお一般に魚類やほ乳類などの脊 通過し , わき水が異常に多いため , つい動物には , 強い苦味をもっ胆汁 料にはタンニン酸 , ガ、ンビール , 日 工事の困難をきわめた点で , 世界に 本ではシイ , ヤマモモ , シャリンノヾ の貯蔵所としての胆嚢があるが , な 知られている。 1918 年工事に着手 , イ樹皮タンニン , 漁網用塗料として かにはこれを欠くものもある。たと この間に 104 名の マングロープカッチ , カテキューな えば偶てい類 , 鯨類 , ゾウ , 一部のげ 34 年完成したか , 〔南〕 っ歯類には胆嚢がない 死者を出している。山北経由 ( 現名 一部のクマ どが用いられる。 の胆嚢は薬用 ( / 熊の胆い ) にされる。 たんねつへんか断熱変化外部 御殿場線 ) に比べ 11. 5km 短縮された との熱のやリとりなしに物体の状態 〔高谷〕 はか , けん引車両数および列車速度 / 肝臓 たんのうら檀ノ浦香川県高松 を変化させるときこれを断熱変化と が飛躍的に増大し , 東海道線の輸送 市に含まれる / 屋島の東を流れる相 いう。熱を通さない ( 断熱的 ) 材料で 力が強化された。 193 ( ) 年の北伊豆地 引川の河口付近をいい , 壇ノ浦とも できたピストンで気体を圧縮すると 震による断層でトンネル中心におい 書き , 屋島浦ともいう。 1185 年 , きの変化は断熱変化の一例である。 て東ロと西口とが相対的に約 2.5 m 通常の物体を断熱的に圧縮すると温 の食違いを生した。現在でもわき水 ノ谷の戦いに敗れた平氏とこれを追 がかなり激しく , これに対処するた 度が上がり , 膨張させると温度が下 う源氏との間に行なわれた屋島の戦 めの水抜坑がトンネル延長の 2 倍に がる。とくに気体における温度の変 いの古戦場で , 平氏はこの戦いに敗 もおよぶ長さに達し , シールドエ法 , 化は日常の現象にもよくみられ , 空 れ , 長門壇ノ浦 ( 現在下関市に含ま 気ポンプをイ吏用するときに筒の温度 セメント注入その他多くの新エ法が れる ) に逃げのびて最後の一戦を試 くふうされ , 鉄道技術の進歩をうな が上昇するのも断熱圧縮によるもの みるがこれにも敗れ , 滅亡する。平 がした。東海道新幹線が通る新丹那 とみられる。また大気中の空気が上 氏の総門跡は現在塩田の中になって トンネルは全長 7959m , 工費約 36 億 昇すると , 圧力が低くなり膨張する いるが , 那須与市の祈り岩 , 駒立岩 , 円で 1964 年 1 月完成した。 ので温度が下がる。大気の上層はど 義経の従者佐藤継信の墓などの史跡 〔千葉〕 温度が低くなるのもこのためで , がある。高松市より電車 , バスの便 たんにしよう歎異抄浄土真宗 がある。 の僧唯円 ( 1222 ~ 89 ) が残した師親 〔高重〕 れにより大気中の水蒸気が凝結して 鸞黷の語録。 1262 年ごろ成立。 1 巻。 たんのうらのたたかい壇ノ浦の 雲を生しる。また / フェーン現象も 親鸞の死後に現われた異説を批判し 戦い 1185 年 , 長門がの壇ノ浦で行 これによる。 ながら真宗の安心咎の正義を伝えよ なわれ , 源平争乱に終止符をうった 断熱変化が , 無限にゆっくり行な うという動機から書かれたので , われ , 熱力学でいう準静的変化 ( 可 戦い。屋島の戦いに敗れて海上に出 の名がある。序文 , 本文 , 後序 ( 総 た平氏は , 退路の山陽 , 北九州地方 逆変化 ) であれば , 工ントロヒ。ーは 括 ) の 3 部からなり , 親鸞の信仰体 一定である。すなわち断熱可逆変化 が源範頼の制圧下におかれていたた 験が驚くべき信念をもって吐露され とはエントロピーが一定である変化 めに下関に退き , 文治 1 年 ( 1185 ) 3 ている。親鸞研究の第一の書物とし ということになる。理想気体の断熱 月 24 日 , 壇ノ浦で , 義経の率いる源 氏の軍と水軍による最後の一戦を試 て重んしられてきたばかりでなく , 明 可逆変化では , 絶対温度 T と体積 v , 治以降すぐれた思想の書として再評 一定 , 7 ' V / みたが , 潮流の方向変化などがわざ 圧力 P の関係は pv ) ・ わいし , 平氏は総くすれとなった。 一定でなえられる。実際の気体に 価され , 倉田百三の / く出家とその ダンノウラ

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座禅の組み方 4 8 5 で , ふつうは長さ 3 ( ) cm , 幅 l()cm ぐら のを懸盤とよぶ。さらに足の形によ した褝とも異なっていると述べてい る。日本には , 12 世紀初め栄西によ いであるが , 城壁の墫はこれより大 って蝶よ足 , 宗和足 , 猫を足 , 銀杏 きい。また方坪といって四角形のも 足 , 胡桃足などの名があり , このう って黄竜 ( 臨済系 ) の褝が伝えられ , ち宗和足せんは茶人金森宗和の好み 次いで , 道元・によって褝思想の体系 のがあり , これは内庭に敷く場合が 多い。坪に浮彫りの文様を加えたも が完成された。中国 , 日本において , にはじまるもので , 内外朱または黒 のを花墫という。漢代には墳墓を壮 塗りで客用に当てられ , 胡桃足ぜん 褝が芸術 , 思想 , 哲学などに与えた 大に営み , 地下の墓室に用いた墫に は二つ割りにしたクルミの実を四す 影響は大きく , 中国の宋学 , 宋元代 は , 各種の文様や文字を加え , また の絵画 , 日本の茶道 , 武家の建築 , みに付けて足としたもの。また , 方 空墫といって長さ 1 m , 幅 3()cm ぐら 約 36 cm , 足なしで会席に用いる会席 能楽などはすべて褝思想の影響をう いの中を空どうにした大きな博を作 ぜんがあり , 明治以降これが一般家 けている。 った。山東省 , 四川省には各種の画 庭で客ぜんとして使われた。近世の 〔座褝〕褝の修行法の一で , 身を正 し , 端座して妄念を止め , 精神作 ぜん部には本せん , 二のぜん , 三の 像坪が出土している。中国は本材に 乏しいので , 高い仏塔なども博で構 ぜんの名があり , これには懸盤など 用の絶対の放散状態の底で自分の心 足付きのぜんを用い , 本ぜんを正と 築し , 巧みに仏像をその上に彫刻し と , それと異ならない仏心とをみよ して , 飯 , 汁 , さかなを供えてはし うとするものである。結跏趺座か , ている。後世には陶薬で色をつけた めに出し , 二のぜん , 三のぜんはそ 半跏趺座の姿勢で座し , 目は半眼に 瑠璃言墫もある。中国からアンナン , の他の料理を供えてその左右に出す。 して , 睡眠と妄想を防ぐ形がふつう 朝鮓に伝わり , 日本でも , 藤原宮な である。褝定の具体的表現である どで使われた。 / ( 別刷 ) 漢〔杉村〕 〔岡田〕 ともされ , 古代インドの各宗教にお せん腺ヒトや動物のからだを ぜん褝仏教における重要な修 いても行なわれた。中国でも達磨以 作る組織のうち , 生命の営みに有用 行徳目の一つで , 解脱の理想的境 後 , 重視され , 宋代には見性うを中 な特定の物質を作るためにとくに分 地にいたる方法である。サンスクリ 心とする曹洞褝 , 公案を用いる臨 化した構造物を腺といい , 腺がその ット語のディャーナ dh y ä n a , ノヾーリ 済褝が発達した。日本では道元がく普 語のジャーナ j hä na の中国音写で 生産物を作る働きを分泌作用 , 作ら 勧坐褝儀 > , 白隠がく坐褝和讃 > を著 れたものを分泌物とよぶ。腺は腺細 静慮 , 思惟、修 , 棄悪などと訳され わし , 唱導した。褝の修行において る。古代インドの宗教のなかにも , 胞がその主体をなしている。これは は , 道元が只管打座肄 : んといっている 上皮性で大形の細胞であることが多 この思想は深くあって , くゥパニシャッ ように , 座褝に中心をおく点で , 法 く , 近くを流れる血液から必要な資 ド > においてもみることができる。 森林の大樹の下に座し , 瞑想にふけ 材をとり入れてそれぞれ特有な物質 然の専修念仏に対比される。しかし , 座神は単に悟りを求め , 成仏うを求 ったのは , ノヾラモン教 , 仏教 , ジャ を合成する。そして一時これをたく めるのではない。あらゆる自分の思 イナ教の各系統に一般的であった。 わえたのち , 細胞の外へと送り出す。 慮を否定し , 大安楽の法門に住する しかし , 禅をもって心を統一し , 煩 細胞小器官であるミトコンドリアや 悩齡を断じ , 涅槃んにいたる道とし このような分泌作用の ことなのである。 ゴルジ体か、 〔座神の組み方〕座褝をするには , たのは釈迦ドであった。釈迦は褝を しくみに重要な役割を果たしている 菩提心談い ( 仏道に志す心 ) をもち , 正定呂 3 として , 八正道のもっとも重 らしい。腺には単一の腺細胞がその 一切衆生うを救わんとする誓願を まま腺として働くものもあるが , 多 要な徳目とした。このため , みすか 起こし , 食事 , 睡眠を適度にとり , らの悟りのためだけに座神する傾向 数の腺細胞が集まってより分化した 衣服はゆるやかに , しかも正しくつ が , 当時の僧仂瞎うでは強くなった。 構造をなすことが多い。そして分泌 け , 静かな場所を選んで端座する。 大乗仏教が 1 世紀前後に興起すると , を専門にやる部分 ( 腺房 , 腺体また すわるときは合掌低頭し , 敷物は単 この自利だけを目的とする傾向は激 は終末部 ) のはか , 分泌物を運ぶ導 蒲団緊ん , 座褥 ( 円形の小ざぶとん ) しく非難され , 他を利するための褝 管も備えられるのがつねである。た として褝波羅蜜が強調され , 六波 などを用いる。足は右足を左ももの だし導管のない特別な腺もあり , そ 上 , 左足を右ももの上にのせる降魔 羅蜜の一とされた。これによって神 の分泌物は近くの毛細血管を流れる 座 , その反対の吉祥座 ( ともに結跏 は自利的 , 独善的な立場から利他的 , 血液によって運び去られる。これを 趺座 ) と , 片方の足を他のももの上 能動的な宗教行為・とされるようにな 無導管腺または内分泌腺といい , そ にのせる ( 半跏趺座 ) とがある。手は った。この褝は中国に伝えられ , 中 の分泌物をホルモンとよぶ。腺は腺 右手を左足の上におき , 左手をその 体の形によって管状腺 , 胞状腺 , 管 国古来の思想と結びついて , 独特の 上に軽く重ね , 両手の親指を軽く合 状胞状腺などに分け , 分枝の有無に 神思想を生んだ。後漢のころの仏教 よってもいろいろの型を区別できる わせる。また , 片方の手で他の親指 伝来に伴ってすでに褝思想の一部は が , 腺細胞自身の働き方にも , 分泌 伝えられたが、北魏のころ / 達磨を を握ってもよい。背筋を伸ばし , 呼 物がしみ出るように細胞体から出て によって本格的に伝えられてから , 吸を整え , 目は半眼に開き , ほは、 3 神ははっきり一つの勢力をもつよう 尺 ( 約 1 m) の前方を見る。座褝が終 いくものや , 細胞体の一部がちぎれ 京都東山の , 臨済宗東 わるときも合掌低頭し , 座神の場所 になった。達磨の褝は , 「壁観に凝住 るようにして出ていくもの , あるい 福寺における座神修行 は分泌物が中にたまると細胞が破裂 す」といわれているが , これは自利 , 利他の行為を伴うものとされ , その してその内容を外に出すものなどの 弟子慧可をへて , 6 祖慧能にいたる 種類がある。 〔細川〕 せ、ん膳食器をのせる盤。 / 折 6 代の間に深化 , 完成された。達磨 敷もの変したもので , 折敷は方形の の言として伝えられる「不立文字 , 板に幅の細い木を折りまわして , 縁 教外別伝 , 直指人心 , 見性成仏」の としたもの。これに刳形のついた足 この褝の特質を明確に表現し 句が , を左右に打ったものを足打 , 木具な ている。宗密 ( 780 ~ 841 ) は禅を外道 神 , 凡夫神 , 小乗神 , 大乗褝 , 最上 どといい , 折敷の下にヘぎ板をまわ し , その前と左右の 3 面に刳形を付 乗神の 5 種に分類し , 達磨門下のこ けたものを三方 , 4 面に付けたもの の系統の褝を最上乗禅 ( 如来褝とも を四方 , 三方の低い形のものを衝 いう ) とし , 天台系の南岳慧思や , 天 重わと名づける。また , 框まを設け 台智者簽などが , 止観として重視し た褝とも , 他の多くの高僧たちが修 た 4 本足の台の上に折敷をのせたも 結跏跌座 半扶座 ・第新第ー 4

5. 国民百科事典4

ゴ 0 ◎拿 : 要 ) L. ゴいいし朝 ダライラマ 6 9 3 している。 〔ダム関係法規〕河川法 ( 昭 29 法 71 ) で指定された河川にダムを造る場合 には地方行政庁の許可が必要であり , またそのダムの高さが , アースダム では 10 m , その他のダムでは 15 rn を 越える場合には河川堰堤規則による 所要の手続をとる必要があり , また 発電用の 15 m 以上のダムを造る場合 には , 発電用高堰堤規則があってこ れに従わなくてはならない。その他 重要なものとして特定多目的ダム法 ( 昭 32 法 35 ) がある。多目的ダムとは の多角形を面 , 多角形の頂点を頂点 , たら〔鱈〕タラ科の魚。別名マ 単一目的でなく , 洪水調節と水力発 ダラ。北陸地方では本種をマダラと 二つの面の共通の辺を辺または稜 , 電 , 水道というように二つ以上の目 いい , / スケトウダラをタラという 頂点を結ぶ線分で , 面に含まれない 的をもったダムのことをいうが , から注意を要する。体の前部は肥大 ものを対角線という。れ個の面をも の法律の多目的ダムとは , 建設大臣 し , 下あごに眼径より長いひげがあ っ多面体をれ面体という。多面体の が河川法の規定によりみすから新築 る。第一背びれ 13 軟条 , 第二背びれ すべての面で囲まれる空間の部分を するダムで , これによる流水の貯留 18 軟条 , 第三背びれ 16 軟条 , 第一し 多面体の内部といい , どの面の延長 りびれ 21 軟条 , 第二しりびれ 17 軟条。 を利用して流水が発電 , 水道または も内部の点を含まない多面体を凸多 全長 1.2 m に達する。北太平洋と日本 工業用水に供されるものとなって 面体という。多面体の頂点の数を埃 辺の数を E , 面の数を F とすれば , 海 , 黄海に分布し , 日本の太平洋側 いる。 〔坂上〕 では東北地方以北 , 日本海側では山 たむし白癬菌によって起こる V— E 十 F = 2 という関係がある。これをオイラー 陰地方以北にいる。日本近海では水 皮膚病。輪形または弧状に , あるい は多数の弧を連ねた蛇行状に , 皮 の定理という。多面体のすべての面 深 150 m くらいの水温 5 ~ 12 ℃のと 膚から少し高まった赤い筋ができる。 が合同な正多角形で , かっ各頂点に ころに多い。群をなしており , 外海 おける立体角が相等しいものを正多 を回遊するもの ( 沖ダラ ) と回遊しな 筋のところをよくみると小さい水ぶ いもの ( 根ダラ , いそダラ ) とある。 くれがある。放置すると輪がだんだ 面体という。正多面体には , 正四面 んと外方にひろがり , 内部はしだい 体 , 正六面体 ( 立方体 ) , 正八面体 , に病勢が衰えて平らになる。多少の 正十二面体 , 正二十面体の 5 種類が かゆみがある。陰部やこう門の付近 ある。また , / 角柱 , / 角すいなど などに生じた / いんきんたむしとよ も多面体の一種である。 〔清宮〕 ばれるものは強いかゆみがある。 たもうしよう多毛症局所的多 / 白癬にきく外用薬はいろいろ市販 産卵期は北海道で 1 ~ 2 月 , 1 腹数 毛症と全身的多毛症とがあるが , 全 百万粒の卵をもつものがある。日本 されているが , それらを用いる場合 身の毛が長くのび獣のようになるも 強すぎるものを用いると皮膚炎を起 の重要水産物の一つで , 19 64 年に のはきわめてまれである。毛の量は 95 ( ) ( ) ( ) トンの漁獲があった。上に述 こし , かえって長びくから , むしろ弱 個人によってかなり異なるから , 俗 めのものが無難である。毎日怠らす べたのは太平洋のタラであるが , 大 に毛深いというような状態はかなら 西洋にも形態がわすかに違う別種の につけてもなおらなければ医療を要 すしも病的とはかぎらない。手 , 腕 , 下たい ( 腿 ) , 顔などの毛深い場合に タラか・いる。この主産地は北欧であ する。 〔川村〕 って , いわゆる世界三大漁場の一つ ためながしゅんすい為永春水 毛を少なくしたいとき , 脱毛剤は一 である大西洋の支海北海が主漁場に 時的のものである。毛根を破壊して 1790 ~ 1843 江戸時代の人情本作家。 ふたたびはえてこないようにするた 本名佐々木貞高。はしめ貸本屋を営 なっている。タラはイワシやニシン めには電気分解法ないし電気凝固法 み , また講釈師となって寄席卷に出 などと違って肉中に脂肪分が少ない が , 魚肉は美味で , 世界各地で賞味 たりしていたが , 1821 年実兄滝亭鯉 がある。 / 脱毛法 〔川村〕 丈と合作でく明島す後の正夢〉を されている。また棒ダラ , 塩ダラな たやまかたい田山花袋 1871 ~ 2 世楚満人の名で発表してから文 1930 小説家。本名録弥。群馬県に どにされ , さらに肝臓に集中してい る脂肪は , ビタミン A や D が豊富で 筆に道を求め , 為永春水と改号 , 代 生まれた。小学校卒業後 , 漢学や英 表作く春色梅暦 > ( 1832 ) を書いた 語を学び , 桂園派の歌人松浦辰男の / 肝油として利用される。〔安田〕 これの成功によりこれまでの読本歓 , 門下となった。 1891 年尾崎紅葉 , 江 〔料理〕生ダラは煮つけ , ちりなべ , 草双紙繼しの景彡響から脱した作風を自 見水蔭に近づき , 小説に志したが 汁の実など用途が広い。新鮮なもの 覚した彼は , 続いて市井の情痴を濃 はさしみにもする。白子 ( 精巣 ) や卵 西欧自然主義の影響を受けく重右衛 厚な筆致で描いたく春色辰巳園〉 門の最後 > ( 1902 ) を書いて一転機を 巣も美味でタラの卵巣は , スケトウ ( 1833 ) , く春色英対暖語を、、 > ( 1837 ) , 画し , 排技巧の文学論く露骨なる ダラのいわゆる / たらこより大きく 田山花袋 おもに煮つけにする。親子煮は甘酢 描写 > ( 1904 ) を主張 , 自然主義文学 く春色春告鳥新 > ( 1837 ) などを出す の中心的存在となった。 / く蒲団ん > につけた切り身にいり煮した卵をか に及び , 江戸の人気を一身に集め , みすから江戸人情本一流の元祖と誇 ( 1907 ) は藤村のく破戒 > とともに日 らませたもので新潟県柏崎の名物で 本の自然主義文学の道標とされてい ある。また京都の名物である干しダ 称した。 1842 年 , / 天保の改革の風 紀粛正で手鎖の刑という筆禍を受け , ラとサトイモを煮つけた / 芋棒も有 る。引き続いてく一兵卒〉 ( 19 ( ) 8 ) , 翌年不遇のうちに没した く生〉 ( 19 ( ) 8 ) , く妻 > ( 19 ( ) 9 ) , / く田舎 〔広末〕 名である。 / ( 別刷 ) 魚類 〔柳原〕 、な教師 > ( 19 ( ) 9 ) などを書いたがその タメルラン / チムール ダライラマ達頼喇嘛チベット・ ためんたい多面体いくつかの 後しだいに宗教的になり , 晩年はさ ラマ教の法王で , 政治 , 宗教の権を 多角形が , 次々に辺と両端の頂点と らに一転してく百夜い〉 ( 1927 ) におい 掌握する活仏。チベット人はギャワ・ て静かな心境の恋を描いた を共有しながらつながっていて , 空 リンポチェ ( 帝王宝座 ) などとよ。 ほかに 間の一部分を囲むときにできる立体 く東京の三十年 > ( 1917 ) などの随筆 初代のラマは , 14 世紀末の黄帽派の を多面体という。 このときおのおの や紀行もある。 / 自然主義〔広未〕 祖ツオン・カ・ノヾの高弟の 1 人だっ 正ニ十面体 正多面体 ( 5 種 ) A2 AI A3 面 A4 A6 頂点 多面体の各部分の名称 A5

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スペインナ 2 9 1 米国南西部 , メキシコ , 中米 , プラ て , 国上回復運動の先頭に立った。 強力な抵抗をうけ , やがてイタリア ジルを除く南米諸国 , さらにアフリ このためカスチリャ方言が勢力を得 主義から回避しようとする動きが出 力のモロッコ , 太平洋のフィリピン てくる。その好例はエル・グレコで , て , 1479 年カスチリャ , アラゴンの合 諸島などでも話されており , その人 彼以後 , スペイン絵画はイタリアと 邦からスペイン王国の誕生をみるに ロの大きさ ( 約 1 億人 ) と分布地域の フランドルの影響から離れ , スペイ いたリ , カスチリャ方言は標準スペ 広さのため , とくに通商関係の共通 ン独自の道に向かって進展し , つい こに近代 イン語の地位を獲得し , に他国に影響をあたえるようになっ 語として英米語に次ぐ重要な言語で スペイン語の基礎が確立した。コロ ある。 てくる。ルネサンス以後 , 世界を征 ンプスの新大陸発見を契機としてス 服していくバロック様式の源流は , 1 ) 現代の標準スペイン語は , イベリ ペインはひろく海外に雄飛し , それ イタリアとともにスペインにも求め ア半島中央部のカスチリャ地方の方 に伴ってスペイン語は今日のような られるのである。スペイン人か、「黄 言を基礎とするもので , そのためし 広大な地域にひろがるにいたった 金時代」とよんでいる 17 世紀絵画に ばしば「カスチリヤノ」ともよばれ 〔スペイン語の特徴〕スペイン語は はこの国の特異な歴史的伝統 , とく 日本語と同しく 5 個の母音を有する る。スペイン本国には北部のアスッ に民間における信心が強く作用して か・ , 他のロマンス諸言語との対比の リアス方言およびその南部ェストレ いる。この時代のスペイン絵画は , マズラにいたるレオン方言を中心、と うえから , ラテン語のアクセントの 1 ) イタリアことにカラノヾッジョ的系 ある短母音 e , 。がそれぞれ二重母音 して , その西側にはポルトカ、、ル語と 列 ( リべラ ) , 2 ) 神秘的な庶民的系列 の中間的特徴をもつがリシア方言が , ie , ue に変化した点が特徴とされる。 ( スルノヾーラン , ムリリョ ) , 3 ) 宮廷 子音の面では早くから b と v とを混同 東側には南部に向かってカンタブリ 美術の系列 ( べラスケス ) というかな し , また母音 u および子音 r の前以外 ア方言 , カスチリャ方言 , アンダル り性格の違った 3 系列に分類できる。 の位置における f は , h をへて近代ス シア方言が並び , さらにその東側に べラスケス以後のスペイン絵画は , ペイン語では消失した。母音が 5 個 はアラゴン方言およびそれに近い諸 国王に雇われた外国画家によりかろ である点および子音のこのような変 方言がある。東部のカタロニアから うして維持されるといった状況で不 バレンシアに至る海岸地方に話され 化については , カスチリャ方言の源 振をきわめたが , やがてゴヤが登場 ているカタロニア語はロマンス諸言 となったカンタブリア地方とノヾスク してくる。現代絵画にもピカソ , グ 語の一つではあるが , むしろフラン 語の話されている地方とが隣接して ミロら多彩な画家たちを ス南部に話されているプロノヾンス語 いることがしばしば指摘されている。 と密接な関係をもつ。 2 ) スペイン本 送り込んでいる。 / ( 別刷 ) スペイン そのほか , ラテン語の語頭の pl , cl 国以外の地域で話されているスペイ がⅡは ] となったことなどがあげら 〔瀬戸〕 ン語は , それぞれの地方において多 れる。文法面では , 名詞は他のロマ スペインけいしようせんそうス 少異なるが , 本国南部のアンダルシ ンス諸言語と同しく格変化を失い , ペイン継承戦争 17 ( ) 1 ~ 14 年スペイ ア方言にもっとも近いといわれてい 男性 , 女性および単数 , 複数を区別 ンの工位継承をめぐる列国間の戦争。 る。なお , ポルトガル語は , サラセ する。動詞は受動態や完了時称が複 スペイン王カルロス 2 世 ( 在位 1665 ~ ン帝国 ( イスラム教徒 ) 治下からの国 合形によって置き替えられるなどの 17 ( ) ( ) ) は病弱で世継ぎがなく , 姻族 上回復運動の途中 , 1143 年にアルフ 変化はあったが , 比較的よく保たれ 関係にあるフランス王ルイ 14 世やオ オンソ・エンリケスがカスチリャ王 複雑な活用をする。このため , 主語 ーストリア皇帝レオポルト 1 世など 国から独立後 , 南部ガリシア方言を の人称代名詞はとくに強調するとき がその生前から王位継承への言いぶ を除いて使用しないのがふつうであ んを競っていたが , それは列強間の 基礎として派生したもので , スペイ る。なお , 本国以外において話され ン語とは別の発達をとげたロマンス 勢力均衡上諸国の関心をよび , また るスペイン語は , フィリピンを除い 語である。 スペイン領アメリカとの通商権をめ て標準スペイン語とそれほどの大き 〔スペイン語の発達〕元来イベリア ぐってフランス対英国 , オランタ、、両 な相違はなく , 標準語のい ] [ 心に 国の対立を伴っていた。カルロスの 半島にはイベロ族が住んでいたが 対してそれぞれ [ s ] [ j ] の発音が行 ケルト人の侵入を受けてこれと混血 死後 , 彼の生前の指名に基づきルイ なわれ , 一部では , j ] に対して [ 5 ] し , 前 3 世紀末から約 600 年間にわ 14 世の孫フィリップがフェリペ 5 世 の発音か、行なわれるなどがおもな違 たってローマによって支配された として即位すると , 英国 , オーストリ いである。フィリピンでは原住民の 1 世紀ごろにはラテン文学の代表的 ア , オランダなどの諸国は同盟して スペイン継承戦争オ ロ語の特殊性のためかなりの違いが ォーストリア太子力ールの相続権を 文人学者も輩出し , 2 世紀にはこの ーストリアの名将オイ 地方からローマ皇帝を出したりした 見いだされる。 〔大江〕 主張 , 17 ( ) 1 年フランス , スペイン両 ゲン ( 1663 ~ 1736 ) はア ルプスを越えて東イタ スペインないらんスペイン内乱 ロ語も , / バスク人を除いては , 固 国に開戦した。戦闘は北イタリアや リアにはいり ( 1702 ) , 1936 年 7 月から 39 年 3 月にいたるス 有の言語を失い , いわゆる俗ラテン 南ネーデルラントなどで行なわれた 勝利の戦いをすすめた 語を母国語とするにいたった。スペ ほか , 英国フランス間の植民地戦争 イン語をはしめとするロマンス語の , も伴った。戦況の不利に苦しんだフ イベリア半島における発生はこの時 ランスが平和を望む一方 , 英国でも 平和派のトーリー党がホイッグ党に 期に求められる。 5 世紀にはゲルマ ンの一分派が西ゴート王国を建て , かわって政権をとり , またカールが 8 世紀初めまで存続したが , 文化の オーストリア皇帝に即位したためオ 程度は低かったのでほとんどその影 ーストリア , スペイン合邦のおそれ 響を与えす , 言語的にはかえって被 カ { 生したことなどから , 1713 年ュト 征服民族に同化された。西ゴートを レヒトの和約が成立した ( オースト 倒したサラセン帝国は , 優秀なイス リア , フランス間は 1714 年まで交戦 ラム文化をもたらしたが , ローマ時 継繆 ) 〔森田〕 リし 0 代すでにキリスト教化されていたス スペイン語インド・ ス′、インこ・ ペイン人は , もはやその言語を失う ヨーーロッノヾ言吾方笶ク ) うち , フランス言吾 , ことはなかった。サラセン帝国の支 イタリア語 , ルーマニア語 , ポルト 配から独立を保っていた北部のアス ガル語などと同じくラテン語から発 達したロマンス諸言語の一つ。現在 , ツリアス地方から , アラゴンおよび イベリア半島のスペイン本国のほか カスチリヤの 2 王国が 11 世紀に興っ

7. 国民百科事典4

ズツベ 野外用には防水加工をほどこして用 いる。なおダック・こ、 ( 夕、、ツクキャンバ ス ) と通称されるのは亜麻糸を平織 りにしたもので洋服の心地とされる。 〔小川〕 ス、ツ′、 Franz von Suppé 18 19 ~ 95 オーストリアの作曲家。ウ ィーンの音楽院卒業後 , 劇場付指揮 者兼作曲家として活躍し , オペレッ タと軽音楽の作曲家として名をなし た。その作風はウィーン風な軽妙さ と , イタリア風の美しい旋律性をも っている。オペレッタくボッカチョ〉 ( 1879 ) をはしめ , く詩人と農夫 > ( 18 45 ) , く軽騎兵 > ( 1866 ) などの序曲が とくに有名である。 〔角倉〕 すつばんスッポン科に属する / カメ。日本に 1 種だけを産し , 本 羽ヨ , 四国 , 九州の淡水に分布する。 甲長約 2 ( ) cm 。背甲ははは・円形で , 表面 に多数のいは、状突起がある。中央部 はやや隆起し , 石灰質が沈着してや や堅いが , 周縁部は肉質で少し柔ら かい。背甲も腹甲もカメ類の特徴で ある角質甲を成さない点が特徴であ る。くびは長いが , 頭とともに完全 に甲内に引き込むことができる。吻支 は柔らかく , 細長く突出し , 先端に 外鼻孔がある。四肢のみすかきは発 達し , 内側の 3 指にはつめがある。 背甲は濃オリープ色 , 腹甲は白色ま たは淡黄色である。頭の腹側には灰 色の不規則な班紋がある。水底の泥 土中に潜み , ときどき吻端を水面上 に出して呼吸し , ときには陸上に出 る。魚貝類を常食とし , 性激しく角 質のあごで盛んにものにかみつく。 5 ~ 6 月ころ水辺の砂泥に深さ 15cm 内外の穴を掘って , 径 2 cm くらいの 白色球形の卵を 30 ~ 6 ( ) 個産む。卵は 約 2 カ月でふ化する。冬は泥土中で 越す。肉は美味で食用にされ , 各地 で養殖されるが , 冬季のものをもっ とも美味とする。血液は滋養に富む として民間で用いられる。中国南部 , 台湾のシナスッポンは日本でも食用 2 7 2 ステアリンさんステアリン酸 高級脂肪酸の一つで脂肪光沢をもつ 白色葉状結品。分子式 C17H35C ( ) ( ) H 。 水には溶けないが有機溶剤にはよく 溶ける。牛脂 , 豚脂 , ゴマ油 , 大豆 油など多くの動植物油脂中にグリセ リンとのエステルとしてひろく存在 し , リン脂質 , ロウ中にも含まれる。 ナトリウム塩はセッケンの主成分で , 油脂をカセイソータ、、でケン化してっ くる。ステアリンロウソクはステア リン酸とパルミチン酸との混合物 , いわゆるステアリンを原料としてつ くったものである。医薬としては軟 こう , 座薬などをつくるのに用いら れ , またバニシングクリームなど化粧 品の製造にも多量に用いられている。 〔千原〕 ステーキ s te a k 西洋料理の焼 肉のことで , テキと俗称される。牛 , 豚 , 羊 , 鶏 , ヤキ・あるいは鯨の肉が 使用されるが , 牛肉 ( ビーフ ) を用い るのがふつうである。牛肉の中でも その部分によってロースのサーロイ ンステーキ , 腰肉 ( ラム ) のランプス テーキなどの名がある ( / ビーフス テーキ ) 。またひき肉の場合は / ハ ンノヾーグステーキとよはれている。 ステーキの方法は炭火を用いたあふ り焼きと油脂類を用いてフライ . ′、。ン で焼く方法がある。焼き方もさまざ まで米国風 , ロシア風 , アンダルシ ア風などがある。フランス料理のシ ャトープリアンは代表的なステーキ の一つで , その作り方は , 牛肉はヒ レ肉を 1 人前 2 ( ) 0 g くらい用いる。肉 を香辛料 , タマネキ、などをませたサ ラタ、、油に 1 ( ) 時間くらいつけ , サラダ油を半量すっ入れたフライバ ンで焼く。 ノヾターソースやプラウン ソースが適し , サラタ、、 , 揚げジャガ ノ、シカ、、ヤ , ポヘミャウシノケグサ トサカミノボロなどがおもなもの。 しばしば同様な気候下のイネ科草原 もステップとよばれ , ノ、ンカ、、リーの プスタ , 北米の / プレーリー , 南米 の / ハ。ンノヾスなどはその例である 〔前島〕 ズテ・一テン〔山脈〕 Sudeten 中 部ヨーロッノ、 , チェコスロ - パキアと ポーランドの国境から東ドイツの一 部にかけて連なる花コウ岩の山脈。 全長約 31 ( ) km , 幅 3 ( ) ~ 5 ( ) km 。西部 , 中部 , 東部の 3 地方に分かれ , 最高 峰はシュネーコップ山の 1603m 。気 候はきびしく 1 月で一 4 ~ 7 月で 8 ~ 14 ℃となっている。有用 鉱物を埋蔵し , 石炭 , 鉄 , ニッケル , 銅などを産し , その他石墨 , 白色陶 なども出る。山ろくには繊維 , ガ、 ラス , 製材 , 製紙などの工業が栄え ている。またエノレベ , オーデノレ , モ ラノヾなどの川の源となっており の水を利用して発電も行なわれる。 シュヒ。ンドレノレーフ・ムリン ( チェ コ ) , ェセーニク , ドウシニキ・ズド ルーイ ( ともにポーーランド ) などの温 泉があり , 保養地もある。最近数本 の鉄道が横断して観光客を誘致して いる。 1938 年 1 ( ) 月ヒトラーーのこの地 方のドイツへの合併は第二次大戦の 誘因となった 〔相場〕 イモなどをそえる。 〔関〕 にされる。 〔松井〕 〔料理〕日本では , だしで煮ながら 食べるスッポンなべか、おもで , スッ ポンの異名を「まる」というので , まるなべともよばれる。骨 , 肉 , 内 臓 ( は、うこうと胆嚢を除く ) すべてが 食べられる。また吸い物にもする。 なお , これらはショウガのしほ、り汁 を用いるので , これを入れた汁物は 「スッポン仕立て」と名づけられる。 〔柳原〕 ステッキ st ick 洋風のつえで 老人などの歩行を助けるものと , 男 子用のアクセサリーとカ { ある。また 白色のものは盲人用として世界的に 決められている。アクセサリーとし ては 16 世紀ごろから男子が用いたカゞ 17 世紀には細いものを婦人も使用し , 18 世紀のルイ王朝時代には装飾的な ものが男女ともに愛用された。日本 には明治の半は、ごろから男子のアク セサリーとして流行した。ステッキ の材料としては南米産のスネークウ ッドをはしめ , トウ , 根竹などが代 表的なものである。 〔青木〕 ステップ・ s te pp e ユーーラシアの 内陸に発達する乾燥草原で , ドナウ 川の下流地方 , ョーロッノ、ロシア南 部 , シベリア南西部に分布。イネ科 草原が圧倒的に優勢で , 地表のはと んどは草本によっておおわれる。春 から初夏へかけての降雨季に開花 , 結実するが , 盛夏には娵端な乾燥の ために植物の地部は枯れてかっ色 、ネがヤ類 , コがネカモノ となる。 ステ / Nicolaus Steno 1638 ~ 86 / 87 テンマークの地質学者 , 解剖学者 , 神学者。 Niels Stensen が本名 , ステノはラテン名。とくに 地質学に対する功績は大きく , 海成 や淡水成の地層についての研究を発 表し , 化石が古くからあったこと , 地層の中には生物が出現する以前に 堆積したものがあること , 累重する 地層の傾斜は地殼変動に基づくこと などを指摘した。さらに , 同種の鉱 物レ洋吉品において面と面とのなす角 ステープルファイノヾー 一定の法則 ) を発見した。 度に一定の安定性があること ( 面角 staple 〔尾崎〕 人造繊維束 ( トウ ) を短く切断しなが 単繊維を数千本集めて太い束にした 法で紡績する方法と , 長く連続した 紡毛糸を製造するのと同し機械と方 る。スフの紡績法としては , 綿糸や 維にして捕集するものとの二つがあ させるときこれを巻き取らすに短繊 るものと , ビスコースを糸状に凝固 製造したものを適当な長さに切断す ビスコーススフは人絹とはは、同様に フといえは、ビスコーススフをさす。 をスフとよぶことが多いが , 単にス レーヨンスフおよびアセテートスフ 糸 ) の総称として用いることもある。 維をいう。スフを紡績した糸 ( スフ 維を紡績用に短く切った綿状の短繊 断して用いたのにはしまり , 人造繊 の代用品として人絹 ( レーヨン ) を切 次大戦中ドイツにおいて , 羊毛や綿 fiber 略してスフとよばれる。第一

8. 国民百科事典4

0 スガヌマ 2 4 8 の基地になっている。上越線沼田駅 考古学的価値をもち , スカラベ学な からバスによるか , 日光湯元から る一分科がある。 〔板倉〕 / 金精峠を越えてはいるコースが スカル sc u 日本来は左右それ ある。 〔松山〕 ぞれの手でこぐオールの意。一般に スカーフ s c a r f 主として婦人 両手こぎの小形のポートをいい , オ カ { 首に巻いたり , 頭や肩をおおった リンピック種目としては 1 人でこぐ りするのに用いる布。形は長方形や シングルスカルと 2 人でこぐダブル 正方形で , 材料は毛織物 , 絹 , 毛糸 , スカルがある。ヒノキまたはスノヾニ ナイロンなどである。防寒と装飾の ッシュシーダーの薄い 1 枚張りとい 両方に使われるが , 最初は防寒用と う繊細な構造をもつ。滑席で , ひし して北方諸国で用いられていたもの ようにローーリングしやすく , 高度の と思われる。最近はプリント模様の 技術を要する。日本ではェイト第一 ついたサテン , ジョーゼットなど薄 主義の陰にかくれて , その実力は対 地のものが多く , 防寒用としてより 外的に著しく劣っている。〔宮田〕 もアクセサリーとして , えりもとを スカ′レノ Achamet Sukarno 飾ったり , ベルト代わりに腰に巻き / インドネシアの政治家。 1901 ~ つけたりする。 〔田中〕 バンドン工科大学卒業後 , 1927 年国 すかゆ酸カ湯森県中部 , 青 民党を結成して独立運動を開始し , 森市域南部の温泉。 / 八甲田山の西 2 度投獄された。 45 年独立とともに 側中腹にある療養 , 体養向きの温泉 大統領となリ , 一時オランダ軍に逮 で , 泉質は酸性イオウ泉など , 泉温 捕されたが 5 ( ) 年大統領兼首相となる。 1 ( ) ) チアードスカート 48 ~ 65 ℃。国民保養温泉に指定され 段々になっ 59 年「指導された民主主義」を唱え ており , 厳冬期には閉鎖するが , 夏 ているスカートのことで , ひだ飾り て憲法改正 , 議会解散を強行して独 によって , 幾段にも区切ったりする。 の農閑期には湯治の滞在客で混堆す 籤体制を確立し , 63 年・には終身大統 スカルノ ( 補 ) 1966 年 11 ) デイバイデッドスカート外見 る。泉質か激しいので , 3 日ひとま 7 月 , 陸軍を中心とす 領となった。 65 年 9.3 ( ) 事件で彼をさ はスカーートのようにみえるが , ズボ る軍部の圧力により , わリ , 1 ( ) 日を 1 湯治期とする入浴法 さえる共産党 , 軍 , 宗教 , 民族主義 暫定人民協商会議はス ンのようにまたがあり , スポーツに があり , はだ着をつけて入浴する習 を基盤とするナサコム体制はくすれ カルノ大統領の「終身」 慣がある。近くに東北大学付属高山 用いる。 12 ) プリーーテッドスカート たが , なお国民の信頼感は残ってい 称号廃棄を決定した。 全体にひだをたたんだスカートの総 植物研究所や地獄沼 , 賽ミの河原と る。ー . 親日家として有名。 〔梶原〕 しかし , 大統領の地位 称。正しくはオールアラウンドプリ よふ、温泉地特有の景観があリ , / 十 スカ′レラッチ Domenico Scar- は 68 年 7 月に予定の総 ーテッドスカートという。最近は織 和田八幡平国立公園北部に属して十 1685 ~ 1757 イタリアの作 latti 選挙まで保持されるこ 物を加工して洗たくをしてもひだの 和田観光 , 八甲田登山の基地の一つ 曲家。ナポリ楽派のオペラ作曲家と ととなった。 とれぬものが出回っている。 13 ) マー となっている。肖 : 森市からバスが通 して有名なアレッサンドロ・スカル メードラインスカート人魚のよう ラッチ ( 166 ( ) ~ 1725 ) を父として生ま 〔緲崎〕 にすそのほうまで身体にそい , すそ れ , 若年からハープシコード奏者と スカラベ s c a rab 1 ) 甲虫目 , コ で尾びれのようにひろがっている。 ガ、ネムシ科に属するこん虫。オオタ して名をなした。ベネチア , ロンド イプニングドレスによくみられる。 マオシコがネともいう。体長 3()mm 内 ン , リスポン , マドリードなど欧り料 14 ) ラップアラウンドスカート巻 外 , 黒色 , 前肢の脛じ節の外方に 4 本 諸者に市で活躍した。作品にはオペラ スカートのこと。前 , うしろ , わき や宗教音楽も多いが , もっとも重要 の鋭い歯があリ , l-. や獣ふんをかく などで端を打ち合わせる。胴回りの なのは約 6 ( ) ( ) 曲のハープシコード独 のに適している。ファープノレのくこ 調節やつけ方が簡単で , 妊婦服など 奏曲で , それらは形式や和声の創意 ん虫記 > で有名な虫で , 牛ふんなど 〔田中〕 に用いられる。 に富み , 近代的な演奏技巧を大胆に を丸めて球状にし , これを適当な場 すがぬま菅沼群馬県北部 , 奥 〔角倉〕 開拓した。 所まで運搬し , l-. 中に埋めて食物と 日光の / 白根山北ろくにある湖。白 すがわらでんじゅてならいかが する。幼虫はふんの中で生育する。 み菅原伝授手習鑑浄瑠璃う。 5 根山の溶岩が片品川上流部をせき止 欧州の地中海沿岸から , 中国 , 朝鮮 めてつくった湖で , 湖面標高 1735 m , にかけて分布する。アフリカや熱帯 段の時代物。竹田出雲 , 並木千柳 , 面積 0.63 km2 , 湖岸線は屈曲に富み , アジアにもよく似た多くの種類があ 二好松洛 , 竹田小出雲の合作。 1746 るが , 日本にはこのような習性のあ マスが養殖されている。湖水は南西 年大阪竹本座で初演。く義経千本桜 > 岸から流出し , 八町滝をへて 300m るコがネムシはいない。 く仮名手本忠臣蔵〉とともに浄瑠璃 〔黒沢〕 はど低い丸沼 , 大尻沼に落ちており , 2 ) 古代エジプトにおける上記の甲虫 の三大傑作の一つといわれる。近松 スカルの特徴は , 度 この落差を利用して発電が行なわれ 門左衛門作のく天神記 > によるとこ に形どった印章 , 護符 , 装飾品の総 に繊細な艇形にある。 ている。 / 日光国立公園に含まれ , ろが多く , 藤原時平いに憎まれた菅 称。エジプト人はこの虫が丸いふん 左カ { ダブルスカルで , キャンプ , ハイキング , 白根山登山 玉をころがすところをみて , これを 原道真の配流に北野天神の縁起をま 右カ { シングルスカノレ 太陽の化身と考え , またその中から しえ , それに梅王 , 松王 , 桜丸とい 幼虫がふ化するのをみて「みすから う三つ子の兄弟や , 武部源蔵の忠義 生する , 成る , 存する神」 ( ヶプリ ) の などを挿話として構成されたもの。 内容 , 構成ともにすぐれ , 伝奇 , 荒 象徴と考え , 重要な副葬品とした。 事 , 悲劇などの要素を織りこんで , スカラベは中工国時代以後 , エジプ 種々の趣向がこらされている。吉田 トみやげとして地中海周辺にひろく 神社に参拝した藤原時平を中心に 分布し , その多くは甲虫の形で , 腹 3 兄弟が争って時平の乗った車を引 面に文字や呪を術的模様が刻まれて きこわす「車引」 , 3 兄弟の父白太 いる。印章としては所有者の官職 , 夫うの賀の祝いに集まった兄弟の 姓名を , 護符としては呪文をしるし うち , 桜丸が菅家の騒動を起こした ている場合が多い。王がその事業を 責めを負って切腹する「賀の祝い」 , しるしたスカラベもある。はかに証 拠のない場合 , 貨幣と同様な歴史的 , 道真の子をかくまって寺子屋を営ん 上はコがネムシ科の スカラベ。下は古代 エジプトのアメノフ イス 3 世の記念スカ ラベ ( 表と裏 ) 。緑色 凍石製で天地 9. 5cm スカーフをすきんの ようにあっかった例

9. 国民百科事典4

正倉院宝庫 8 世紀 正倉院の正面は中央ど両横 が一見不調和たが、この建 物が当初から一棟 ( むね ) な のか、別々の 2 倉を合わせ , 中間に板倉を設けて一つの 屋根にしたのかは , いまた に解決されていない。 大きな校倉は内部をニ階造 りにして床面積をふやし、 梁上にも板を張って収蔵カ を増大させている . 、図のよ うに交木 ( あぜき ) にほ ( ま三 角形の木材を用いて外気ど の接触面を大きくして、防 湿の効果をたかめた。床の 柱上の板が外に長く突き 出ているのは、単調になり がちな壁面にアクセントを 与えて立体化したもの。銀 薫炉は銀器の透彫りで上下 に開き、本図の裏面に獅子 ( しし ) が彫られて鳳凧 ( ほ うおう ) ご相対している。 木画 ( もくが ) は一種の寄せ 木細工で , 紫檀 ( したん ) , ツゲ , 沈香 ( しんこう ) , 白 牙 . 綠角など種々の色の木 竹牙角の細片を平象眼して 文様化したもの。螺錮は員 片を切り透かし木、地に はめる技法だが、当時は琥 珀 , 王などを併用嵌装した 正倉院宝庫細部 8 世紀 正倉院 3

10. 国民百科事典4

セキノト 4 4 8 よそ糯米一斗 , 小豆三升」とあ 関数の一つを F ( ェ ) とすれば , 原始関 るから , 昔も今も米とアズキの割合 数の全体は F ( ェ ) + C ( C は任意な定 は同しである。アズキの煮汁に糯米 数 ) という形に表わされる。このとき , c を積分定数という。他方で , 工は ) をつけておき , さらにこの赤い汁を が区間。エ $b で有界な関数である かけながら , あらかしめ堅めに煮て とする。この区間をれ一 1 個の点均 , おいたアズキを入れこみ蒸し上げる。 ェによって分割する。ただ 家庭で少し作る場合はたき込みにす るが , これは糯米ばかりでなく , そ し 0 = < く・・・・・・くエれくエれ = 6 と する。この分割」と各区間新 -1 エ坙 の ~ 50 % の粳米を加えるほうが じようすにできる。食用にはゴマ塩 新に含まれる任意なをとって和 をふりかけ , 野菜を主にした煮しめ ものを添えてすすめる。 〔川島〕 せきばんいんさつ石版印刷ド をつくる。もし分割が一様にこまか く関の扉〉の一場面。 その認識に従って行動しうる一般的 くなっていくとき , この和が確定し イツ人ゼーネフェルダーが 1798 年に 左から , 関兵衛 ( 幸四 刑罰 能力 , 社会的責任論によれば , 発明した印刷術で , 水と脂肪が相反 た極限値ーに近づくならば , 郎 ) , 小町姫 ( 歌右衛 を科することによって一定の効果を 発する性質を応用したもの。版材と 門 ) , 宗貞 ( 勘三郎 ) しては , ドイツのバイエルン地方に あげうる能力とされる。 〔遠藤〕 せきのと関の扉常盤津舞踊 産する石灰石の一種が , 世界唯一の と書き , これを / ( ェ ) の。から 6 まで 劇く積恋雪関扉砧新 > の通称。宝 良質材である。主成分は , 炭酸カル の定積分という。以上がリーマンに 田な茉 ( 来 ) 作 , 1 鳥羽屋里長作曲 , シウム CaC ( ) 3 で徹細な粒子よリなリ よる積分の定義である。とくに 2 世西川扇蔵振付。 1784 年初演。上下 / ( ェ ) ~ 0 の場合には , ーはエ平面上 水 : 分をよく含む性質がある。製版法 2 段で 1 時間半以上を要する大曲。 はこの石版石の表面を平滑にみがき , での曲線 = ア ( ェ ) のグラフとズ軸と両 逢坂の関を守る良峰宗貞のところへ , 脂肪性の解き墨で画線部を作る。少 直線ェ = 。 , ェ = 6 とで囲まれた部分の 量の硝酸を加えたアラビアゴム液や 恋仲の小野小町姫がたすねてくるが , 面積を与える。ちなみに , 非有界関 宗貞は関守の関兵衛の態度を怪し ロジン粉末によってこの画線部を強 数および無限区間についてのいわゆ み , 小町は小野篁に知らせにいく 化させれば , 版面は平面のまま油性 る仮性積分は , 上記の固有な場合か 生酔いの関兵衛は , 実は天下をねら インキを受けつける画線部と , それ ら極限を用いて定義される。徹分と 以外の水分を含む部分に分けられる。 う大伴黒主で , 大願成就のために墨 積分との相互関係は密接である。ま 染桜を切ろうとするが , 桜の精が遊 印刷は水分を適当に補給させながら す , 積分できる関数工 ( ェ ) が原始関数 平台の手引機械で行なう。多数の実 女墨染の姿で現われ , 関兵衛の正体 F ( ェ ) をもつならば , 用版を作るために転写法 , 濃淡のあ を見破る。筋はとりとめないもので る絵を印刷するために , 砂目石版が あるが , 重厚な関兵衛となまめかし 考えられたが , のち亜鉛板による金 である。逆に , 区間。ェ 6 で積分 い小町の問答 , 軽妙な 3 人の手踊り , 色気のある廓話 , 豪快な立回りな できる関数ムエ ) が与えられたとき , 属平版が発明されてからはしだいに ど , 踊りの見せ場がきわめて豊富で 実用印刷面から追われ , 現在では歴 F ( ェ ) = 工 / は ) F ( の = 0 ある。 / ( 別刷 ) 歌舞伎 史的印刷術として , 版画などの技法 〔槌田〕 とおけーよ , F ( ェ ) は。ェ 6 で定義さ に利用されるにすぎない。 この全盛 せきはん赤飯アズキをまぜた 強飯。今では強飯といえば赤飯と れたェの関数とみなされる。このと 期には 10 色以上の刷重ねも行なわれ , き , F( をアい ) の不定積分という。 写真製版が行なわれるまで絵画複製 考えるはど , アズキ入りの強飯がふ つうであるが , 昔は白強飯も少なく とくに , / は ) が連続ならば , さし絵などの色刷印 や , ポスター なかった。吉事には赤飯 , 凶事には 〔多川〕 刷に盛んに利用された。 F い ) 三 dx 黒豆の強飯または白強飯という説が せきぶんがく積分学曲線や曲 となる。したがって , 連続関数に関 あるが , 東北地方では葬式に赤飯を 面や立体などの図形については , そ 出すところがあり , 例外が多い。祭 れらの容量を表わすものとしての長 するかぎり , 徹分と積分とは互いに さ , 面積 , 体積などを求める問題が 逆演算であることがわかる。 りや子どもの疱瘡送り , 初潮のさ 自然に現われてくる。これが / 求積 積分の定義からその基本的な性質 いなどに赤飯を握り飯にして供える のは , 赤頭巾 : ん , 赤い腰布などと同 法の問題であって , すでにギリシア がみちびかれる。たとえば。 , を 様 , 赤色に一種の呪力を認めたた 時代に個々の場合に応じて特殊な手 任意な定数として 段がくふうされていた。しかし , そ めであろう。そのたき方は , 江戸時 工可 ( , ) + g は月れ 代のく和漢三才図会〉に「赤飯 , お れを一般に系統的に取り扱うことは , 17 世紀の後半ニ トンとライプニ 石版印刷ロートレッ となる。すなわち , ムエ ) と g( ェ ) の積 ツツとによってほとんど同時になさ ク作くムーラン・ノレージ 分が存在するならば , 。爽ェ ) + g ( ェ ) れた徹積分法の発見をまたねばなら ュのイギリス人 > 。彼 の積分も存在して , 上記の関係が成 なかった ( / 徹分学 ) 。ーっの関数 は芝居や酒場などのポ スターを石版で作った りたつのである。他方で , 初等的な F は ) が与えられたとき , その導関数 関数についての微分の公式から原始 F ・ ( ェ ) ( 」ェ 0 のときの一 F( ェ + 」ェ ) ー F( ェ月 / 」ェの極限 ) を求めること 関数ないしは不定積分に関する対応 が徹分法の演算である。これに対し する公式が得られる。たとえば , ェ宿 + ソ ( れ十 1 ) ( れ半ー 1 ) , log ェ , s in 工 て , / ( ェ ) が与えられたとき , それを の導関数がそれぞれェれ , 1 な , c 。 s ェで 導関数としてもつ関数 , すなわち F ' は ) = / は ) をみたす関数 F は ) を求 あることから , 前者がそれぞれ後者 の原始関数となっているわけである。 めることが , 微分法の逆としての積 しかし , 初等関数の導関数はつねに 分法の基本演算である。このような 初等関数の範囲で求められるのに反 F( ェ ) を / ( ェ ) の原始関数と名づけ , F(x ) = ノン ( ェ ) d 工という ( ライプニッ して , 初等関数の原始関数はかなら すしも初等関数の範囲では求められ ツによる ) 記号で表わす。爽ェ ) の原始