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検索対象: 国民百科事典5
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1. 国民百科事典5

その中にあるデンプン粒を露出させ ることが必要である。この工程が摩 砕である。サツマイモ , ジャガイモ は柔らかいので , 回転ロールにわさ びおろしのような目を立てた摩砕ロ ールを使う。トウモロコシは中にあ る胚芽をつぶさないように , 特別の 機械で摩砕する。小麦粉は食塩水を 加え , 幾回ももみ洗いして , デンプ ンを洗い出す。摩砕したものからデ ンプン粒を分離するには , 芋類やカ ッサ / ヾのデンプンは水で簡単に洗い 出せる。トウモロコシや米などは , デンプン粒にタンノヾク質が固着して いるので , 亜硫酸水やカセイソーダ などでタンパク質を分離することが 心要で尹る。これらを絹 , サラン , ナイロンなどのふるいで大きなかす を分けると , デンプン粒とこまかい 不純物との乳状混合物になる。これ 日本 からデンプンを分離するのに ではこれまでコンクリ トの沈殿池 の中に放置して自然に沈殿させてい , 。この方法はデンプン粒子が原料 中の不純物でよごされるので , しだ いに連続式遠心分離機が使われるよ うになってきた このようにして分 離したデンプンにはタン . バク質 , 灰 分 , こまかい繊維その他の不純物が 含まれ , 色も悪いので祖デンプンと いう。これをさらに 1 ~ 2 回水を加 えて精製し , 乾燥して製品とする。 〔製品〕 1 ) サツマイモデンプン日 本でもっとも多量に作られており ( 19 64 年 63 万トン ) , 大部分 ( 80 % ) が水 あめ , ブドウ糖原料に用いられる。 はかにグルタミン酸ソータ、、 , ビール などの原料や紙ののり材料に用いら れる。 2 ) ジャガイモデンプン日本 の全生産量 ( 1964 年 18 万トン ) の大部 分が北海道で生産される。粒子が大 きく , 純度が高いので食用 ( かまは、 , ちくわ , 魚肉ソーセージなどの水 産練製品や菓子原料 ) , 医薬用 ( 錠剤 , 散剤など ) , 繊維や製紙用ののリ原 料に用いられる。 3 ) ノト麦デンプン 繊維や製紙用のり , 水産練製品 , 菓 子原料に用いられる ( 1964 年 5.5 万ト ン ) 。 4 ) トウモロコシデンプン ( / コ ーンスターチ ) 粒子が小さくて純 度が高いので繊維や紙ののり , 医薬 用 , 食用 ( ビスケット , シュークリ ム , アイスクリームなど ) に用いられる ( 1964 年 2.2 万トン ) 。 5 ) 米デンプン 粒子がもっとも小さく布地によく浸 透するので , 仕上のり , 洗たくのり によい。おしろいなどの化粧品 , べ ビーパウダー , カラー写真の印刷な ど特殊な用途もある。 6 ) クズデンプ ンクズ枌ともいい , 製菓用によ い。 7 ) ワラビデンプンワラビ粉と もいい , 味がよいので製菓用に用い られるが , 粘りが強いので和がさ , ちょうちん , 油紙 , かつは ( 合羽 ) のの りに用いる , 8 ) / カタクリ粉カタ クリの根からとる。味がよいので調 3 4 3 理にはよく用いられる。ジャガイモ デンプンをカタクリ粉ということも ある。 〔鈴木〕 テンペラ tempera 絵画材料お よびその技法。混ぜ合わすという意 のラテン日吾 temperare に由・来 - おる ふつうはタン / ヾク質 , ゼラチン , コ ロイド物質を媒剤とした絵の具およ びそれを用いて描いた絵画をいうが , 狭義には卵黄または卵白を主媒剤に し , ハチみつ , イチジクの樹乳など を混せた不透明絵の具をさす。ひろ く解すれば , 油絵発明以前の絵画は みなこれに含まれるが , もっとも盛 んになったのは中世末期からイタリ ア・ルネサンス初期にかけてで , チ マプエ , ジョットをはしめギルラン ダョ , ポッチチェリらにいたるま でテンペラ画を残している。ラファ ェロやチチアーノらも少なくとも下 絵としては用いているが , 15 世紀以 降は油絵におされて衰えた。一般に 板 ( ポプラ , 柳 ) をセッコウ粉末など で平らにして古い麻布を張り , ジェ ッソ・ソッチーレ ( きめのこまかい セッコウ粉末とのリを混せたもの ) を下りして素地とし , その上に描 く。油絵の具に比してかわきか、早い し , 筆がのびにくいので , 熟練した 技巧の持主でないと扱いにくい。ま た不透明絵の具であるから塗り重ね はきくが , 油絵の具や水彩のように 流動的または柔らかみのある表現は 困難である。発色は美しいし , 耐久 力も大きいので , 静止的で装飾的な 表現の絵画 ( とくに宗教画 ) に最適で ある。現在はチューブ人りのテンペ ラ絵の具が市販されているが , これ には吸収性のカンバス , 紙が適当で , かわきが早いから写生に向いている。 厚塗りは避けたはうがよい。 / 油絵 の上に記録する受信装置を発明し , 1 本の電線によって遠距離に迅速に 4 ) O K 電報返信料を発信人が前払 で 2 通めから基本料が 2 ( ) % 引かれる。 人以上に同し内容の電報を送る場合 金。 3 ) 同文電報同一市町村内の 2 するもの。普通電報の 5 ( ) % 増しの料 をなくすために , 照合してから配達 倍である。 2 ) 照合電報電文の誤り の制度がある。料金は普通電報の 2 らせなければならないときのためこ 翌日回しとなる。そこで夜中でも知 内電報は夜の 1 ( ) 時以後は原則として ようなものがある。 1 ) 至急電報国 ない。電報のおもな種類にはつぎの てるし , 配達される区域にも制限が 電報はまた , 列車からも船からも打 るものがあり , 27 % に達している。 電報の配達も電話によって配達され いる。これを託送電報という。また 利用され , 最近では 60 % にも達して 電報局を呼び出して打つ方法も多く 頼するのがふつうであるが , 電話で の窓口で電報発信紙に書き込んで依 知らせている。国内電報は , 電報局 報」が打てるし , 天気やニュースも そのほかに航行中の船にも「無線電 内電報」「国際電報」に区別される。 けられ , 国内向けか否かにより「国 により「和文電報」「欧文電報」に分 〔電報の種類〕電報は使用する文字 ている。 送が新しい分野として急速に広まっ 算機の改良 , 開発に伴ってデータ伝 た。またこのはか印刷電信 , 電子計 加入電信 ( テレックス ) がはしめられ で相手を選び , 直接電報を送受する また 56 年には電話のようにダイヤル 194 3 年には約 1 億 170 万通に達した えられ , 電報の利用数も多くなり , 印刷電信機 ( / テレタイプ ) に置き替 ツー式音響電信機はやがて高能率の 増し , さらに最初のモースのトン・ 一体に伝送網が形成されて利用度も されるようになり , また電話回線と 有線のほかに無線通信もひろく利用 た。そして技術的にもしく進歩し , 日本全上の電信網がはとんど完成し 列島縦貫の電信線が完成 , 81 年には は急速に発展し , 75 年までには日本 なはしまりである。その後電信事業 ったのが日本における電報の本格的 東京 ~ 横浜間の電信線の工事にかか この日を電信電話記念日としている ) 行暦では 1869 年 1 () 月 23 日にあたり , にとりかかり , 明治 2 年 9 月 19 日 ( 現 により寺島宗則が中心になって準備 信機をつくった。 68 年電信架設計画 則 ) が , 藩主島津斉彬らの命令で電 には薩摩の松木弘庵 ( のちの寺島宗 信機をつくって実験した。また 56 年 入される前 , 49 年に佐久間象山が電 た。日本でも , 外国から電信機が輸 がひかれ , 米国の電信事業が始まっ ワシントン ~ ポルチモア間に電信線 通信が送れるようになった。 44 年に デンボウ 電話電報のかけかた / 水彩画 〔石川〕 テンポ tempo 楽曲を演奏する ときの速さのこと。西洋音楽では , ふつう「速く」とか「おそく」とい う意味のイタリア語 ( アレグロ , ア ダージョなど ) を曲の初めに記して テンポを示す。 / メトロノームが発 明されてから , テンポ表示として , 1 分間に単位となる音符をいくっ奏 する速さということが数字的に表わ されるようになった ( たとえば」 72 は 1 分間に 4 分音符 72 の速さ ) 。邦 楽では「のる」 ( 速くする ) , 「しめる」 ( おそくする ) などのことばが , 洋楽 のテンボに相当する。 〔渡〕 てんばう電報電気の媒介によ り文字または符号を連ねて伝送し , 相手方に文書の形で届く通信。 19 世 紀初頭ポルタが電池を発明してから この電流を通信に利用することがい ろいろと試みられたが , 1840 年米国 のモースが / モールス符号と今日も モールス電鍵として使われている 送信機と , さらに電磁石の働きで送 られてきた断続電流の符号をテープ ア イ ウ オ カ キ ク ケ コ サ ン ス セ ソ タ チ 丁 ト ナ ヌ ネ ノ ヒ フ へ ホ ム メ モ ヤ ュ ョ フ ル レ ロ ワ ヰ ヱ ヲ ン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 注 朝日のア イロハのイ 上野のウ : 英言吾のェ 大阪のオ 為替のカ 切手のキ クラブのク 景色のケ 子どものコ サクラのサ 新聞のシ スズメのス 世界のセ そろは・んのソ タノヾコのタ チドリのチ ツ . ルカメのツ 手紙のテ 東京のト 名古屋のナ 日本のニ 沼津のヌ ネズミのネ 野原のノ はがきのハ 飛行機のヒ 富 l: 山のフ 平和のヘ 保険のホ - マッ - 升グ 三笠のミ : 墲泉のム 明治のメ モミジのモ 大和のヤ 弓矢のユ 早「里 f のヨ ラジオのラ リンゴのリ るすいのル レンケ・ク ) レ ローー - ~ グ ) ロ ワラビのワ 井戸のヰ かぎのあるヱ 尾張のヲ おしまいのン 数字のヒト 数字のニ 数字のサン 数 ( グ ) ョン だのゴ 数字のロク 数字のナナ 数字のハチ 数字のキュウ ー数・の一 ? ノレ なお記号は , ・濁 点 , 。半濁点 , ー 長音 , 、区切 ( く ぎり ) 点 , 段落 ( だんらく ) , 下 向 ( したむき ) カッ コ , 上向 ( うわ むき ) カッコとよぶ

2. 国民百科事典5

, 、いヤア卩に北 変わりゆく東京にあって , 江東区 , 台東区 , 墨田区などの下町に 残る江戸の情緒も年々うすれつつある。左上野の不忍池と弁天 堂。向こうに水上動物園のモノレールが走っている。上浅草観 音前の仲見世。ーこばかりは近郷近在の人を集めて下町情緒にあ ふれている。下隅田川。手前から下流に駒形橋 , 厩 ( うまや ) 橋 , 蔵前橋 , 総武線鉄橋。中央遠景の丸屋根はもと国技館であった日 大講堂。川の水は濁り , 両国川開きの花火も行なわれなくなり , 1964 年に佃 ( つくだ ) 大橋ができてからは佃の渡し船も廃止された 東京 6

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4 9 4 長年が守護となった。室町時代に強 ーを用いて書 か・みすからの文字 , 新ロロ 104 日 , 1 日 8 レースに制限され , ふ 力であった山名氏は , 戦国時代に国 いた最古の資料である。 つうタ方に始まる。入場者は約 300 侍の割拠によって衰え , のち伯耆を とっこうけいさつ特高警察 19 万におよぶ。はかにイギリス連邦諸 尼子 , 次に伯耆 , 因幡とも毛利氏が支 11 ~ 45 年まで存続した日本の政治警 国や米国で行なわれ , 第二次大戦ま 配したが , 江戸時代には池田氏が 2 察。特別高等警察の略称。大逆事件 で上海 , 天津でも行なわれていた。 1871 年鳥取県となり , を契機として , 警視庁の警視総監官 国を統轄した。 〔小池〕 房高等課から特別高等課を分離し , 隠岐を編入したが , 76 年鳥取県は島 とつけつ突厥 6 世紀半ばごろ 根県に編入され , 81 年隠岐を残して から約 2 世紀間 , モンゴル高原 , 中 特別高等係 , 検閲係を設けたのには ふたたび鳥取県だけが分離して現在 央アジアを中心として活躍したチュ しまる。極秘のうちに設置され , 19 の範囲にまとまった ルク族の一派 , およびその国家の名 23 年ころには主要府県に , 28 年にい 〔自然〕中国山地が著しく日本海側 称。「突厥」とは , Türk のモンゴル たって全府県に特高課が置かれた。 治安維持法 , 治安警察法 , 行政執行 にかたよっているため , 千代 0 , 天 語での複数形 T ür k 十ⅱ t の音訳であ 神 , 日野の主要河川はいすれも短く , ろう。柔然に支配されていたチュル 法を武器として , いっさいの社会運 かっ急流である。鳥取 , 倉吉 , 米子 ク族の首領土門 ( チュメン ) は , アル 動を抑圧した。とりわけ共産主義運 の各流域平野も比較的規模が小さい。 動には徹底的な弾圧を加えたが , ま タイ山ろくから興って柔然から独立 し , みすから伊利 ( イルリク ) 可汗と た自由主義者にも取締りの手をのば 中国山地は断層線が多く , 大山敬火 山帯が並行して走るため , 大山 , 蒜 した。豊富な機密費を使い , スパイ , 称して突厥国家を建てた ( 552 ) 。そ 山などの火山が噴出し , 温泉も多 拷問 , 脅迫 , 懐柔などの戦術を用い のころ , 彼の弟シルジプロスは西方 た。第二次大戦終結後 , 連合国軍の い。海岸線はリアス海岸と砂丘海岸 へ進出し , 3 代めの木杆可汗のと 指令で廃止。 に分かれ , 鳥取市付近には長大な / 鳥 きにエフタルを滅ばした。こうして 〔鹿野〕 突厥は満州から中央アジア , 南シベ とつぜんへんい突然変異遺伝 取砂丘が続いている。気候は裏日本 リアにまで勢力を伸ばしたが , その 子の性質や量に変化の生すること。 型に属し , 曇天が多く , 対馬海流の 版図は 6 世紀の後半に分裂し , 東突 ふつうには性質の変化を遺伝子突然 影響で温暖多雨である。年平均気温 厥はモンゴル高原を , 西突厥は中央 変異といい , 量的な変化は遺伝子を は沿岸で 15.1 ℃ , 山間部で 13.3 ℃ , アジアを , それぞれの勢力地盤とし 含む染色体あるいは染色体部分の量 年降水量は沿岸部で 1800mm , 山地で このうち東突厥は隋末唐初の中 的な変化として表われるので染色体 2()0()mm, 冬季は積雪をみる。春には た 突然変異とよぶ。また細胞質に遺伝 国内部の混乱に乗じて威力をふるっ フェーン現象が生しる。 〔産業〕第一次産業県として性格づ に関係する単位が存在する場合もあ たが , 唐の攻撃と支配下のチュルク るので , この場合を細胞質突然変異 , 諸族の独立とのために崩壊し ( 630 ) , けられ , 藩政時代の領域経済の影響 唐の間接支配を受けるに至った。し あるいは具体的に色素体突然変異な がいまだに強く残っている。総人口 どとよ京。染色体突然変異には倍数 かし , 約 50 年後に独立し , カ六がン の 6 ( ) % 近くを占める農家人口に比べ , づ生がふつうで , このはか染色体の一 耕地面積は 463. 29 km2 ( 1963 ) にすぎ 可汗 , ビルゲ可汗らが出て , モンゴ 部がなくなった欠失 , 配列順序か逆 ルにふたたび突厥国家を建てたが , ないが , 気候も地味も農業に適し , に入れ違った逆位 , 他の染色体に場 農家数は 60783 で , 兼業農家が 80 % 一族間の争いが起こり , チュルク族 強に及ぶ。経営規模は約 (). ()05km2 の別部族ウイグルに滅は、された ( 744 ) 。 所を変えた転座 , 同し部分が 2 カ所 にある重複などの地理的な変異もあ ( 5 反 ) に達しないものが % を占める。 また , 西突厥は遠くビザンチン帝国 る。地理的変異がきわめて小さいと , と同盟してササン朝ベルシアを脅か 水田は全耕地の 67 % , 畑 23 % の比率 突厥碑文の一つのキュ 遺伝子突然変異と見分けにくい。遺 し , 6 世紀末にはトハリスタンをも であるが , 樹園地の増加が著しい。 ル・テギン碑。オルホ 伝子突然変異は , 遺伝子がデオキシ 支配下に入れたが , 唐の勢力が中央 作物は水稲 , 裏作に麦を収穫し , 野 ン河畔にある。突厥復 リポ核酸と考えられているので , 塩 菜はかんがい施設の完備した砂浜 興期のキュル・テギン アジアに伸びてくるに及んで崩壊し ( 685 ~ 731 ) の功をたた 基成分など構成の変化によると思わ 地域で生産され , 夜見が浜半島のス た ( 64 () 以後 ) 。いわゆる突厥碑文は , えて 7 3 2 年・建てられた れるが , 詳細は不明。突然変異は , イカ , ネギ , トマトか特産として知 彼らが残したもので , 北アジア諸族 左が突厥 ~ , 右が漢 られる。果樹では二十世紀ナシ , プ 自然のままでも 1 代について 1 ( ) 1 ( ) ー 7 ぐらいの頻度で偶発する。ま ドウのほか , リンゴの栽培も行なわ れている。畜産では因伯牛として有 た人為的に高温 , X 線などの放射線 , 名な役肉牛の代表的移出県になって マスタードガスなどの化学物質など おり , また豚の飼育も盛んである。 の処理によっても誘発することがで きるが , まだ任意の方向に変異させ 林野面積は総面積の 73 % 以上で , と ることはできない。放射線の効果は くに千代川上流智頭 , 若桜をか地方 , 日野川上流の杉 , 大山山ろく - ーーー・帯の 累積的であるので , 核爆発による大 アカマッカヾ知られている。境港 , 泊 気の汚染が生物に及は、す影響が憂慮 などの漁港を中心とする水産業は , されている。 〔新関〕 対馬海流 , リマン海流が流れるため とっとり鳥取〔県〕中国地方北 東部 , 山陰地方の東部にあって日本 魚種が多く , とくに境港沖から隠岐 海にのぞむ県。面積 3488.39km2 , 人 刊・近はイワシ , サノヾ , アジ , カレイ , イカなどのすぐれた漁場となってい ロ 579853 ( 1965 ) 。県庁所在地鳥取市。 岡山県との県境になっている中国脊 イカの漁獲 る。東部一帯ではカニ が多く , マッノヾガニ ( ズワイガニ ) は 粱おう山地の主軸が著しく日本海側 県の特産物である。内水面漁業に各 にかたよっているため , 面積はひし ように狭く , 岡山県の約半分であり , 河川上流のアユ , 中海沿岸のウナキ、 , 爨 東郷池 , 湖山池のウナギ , ワカサギ , 人口も都道府県中もっとも少ない。 フナ , シラウォ , コイがある。第二 〔沿革〕県東部はかっての因幡に , 次産業は , 鉱業では全国一の多里の 西部は伯耆警うの両国にあたり , 奈良 クロム鉄鉱 , 日野郡の砂鉄 , 人形峠 時代には平野部の各所に条里制がし のウラン鉱が代表的である。工業は かれた。鎌倉時代に佐々木高綱が山 パルプ , 鉄鋼 , 発達が遅れ , 食料品 陰守護となり , 南北朝時代には名和 トッケッ 1 ー一 : エ .4 . 」まヂを - に一当

4. 国民百科事典5

ドウティコ 4 2 5 の活動によって境内に東大寺が造ら 者の間にはなんらかの関係があった れるようになった。聖武帝の詔によ のであろう。銅鐸の内部に半円形の って本尊盧舎那仏が造顕され , 749 環を備えたものが 2 例と , 銅製の舌 年に完成し , 752 年に盛大な開眼供 を伴出したものが 3 例知られている。 養が行なわれた。いわゆる奈良の大 これらの資料からみれば , 銅鐸は明 仏がこれで , 高さ 17 m , 重量は 45 ( ) ト らかに楽器だということができる。 ンをこえる。大仏殿 , 講堂 , 僧坊 , しかし , 大多数はそのような付加物 がなく , しかも人里離れた山中など 東西両塔などの諸伽藍は , 造東大 寺司の手で 789 年まで行なわれた。 から , 単独に埋蔵されたまま発見さ 「国中の銅を尽し」とあるように , 国 れることが多い。したがって , 楽器 費を費消し , 民衆の生活を破壊し , であったかどうかは問題外としても , 律令体制を破局にみちびいた建設事 それらは祭事のために用いられた神 業であったが , その反面 , 天平期の 聖なものであったと推定されている。 すぐれた文化を生み出すことにもな 銅鐸の発見地は , 福岡県出土の 1 例 身 った。造営後の東大寺は最大の官大 を除けば , 東は静岡 , 岐阜 , 石川の 3 県から , 西は香川 , 広島 , 島根の 寺として , 5 ( ) ( ) ( ) 戸の封戸と 4 ( ) ( ) ( ) 町歩 の墾田を領し , 国家の保護とこの強 3 県を結ぶ地域に限られている。だ 大な経済的基盤の上に奈良時代の宗 から弥生時代の中国 , 四国 , 近畿 , 教 , 文化の指導的地位を占めた。 中部にかけて用いられた特殊な遺物 創建時の伽藍は , 大仏を収めるた であるといえる。これをはさんで , めの金堂 ( 大仏殿 ) を中心とし , その より西方には九州を中心とした銅 型持の穴 下辺横帯 すそ 周囲を回廊でかこみ , 回廊の南北に 鉾揵 , 銅剣の分布地域があり , より はそれぞれ中門がある。この主要部 東方は青銅製品が波及しなかった後 左は銅鐸の各部名称。 の北につづいて講堂や鐘楼 , 経蔵が どうちょう同調電気的共振回 右は銅鐸の形式 , 文様 進地域に相当する。銅鐸は古いほう のうち三つを部分的に あり , その東西北にはコの字形に僧 路を調節して , その共振周波数を外 から順に , 横帯文式 , 定型式 , 突線 示した。上から流水文 , 房が並び , いわゆる三面僧房となる。 から加えられる交流の周波数と一致 帯式という 3 区分がなされている。 袈裟襷文 , 突線帯式 また南中門のはるか南には南大門が させること。また受信機の選局回路 横帯文式は小形 , 厚手の作であり , あって寺域を限っているが , こ を調節して , 希望の局の電波を選択 の両 スズの含有量が多く , 文様は横帯構 門の中間の左右に東塔院 , 西塔院が 受信すること。共振回路の同調法に 成によっている。定型式は流水文 , あって , 七重塔がそびえていた。そ は種々あるが , コイルと蓄電器によ 袈裟堺躊き文の二つの文様を含み , の後 , 源平争乱期の 1180 年と戦国期 るふつうの共振回路では , 蓄電器の 絵画を鋳出したものも少なくない。 の 1567 年に炎上し , それぞれ重源えう , 容量かコイルの誘導係数を変化して 突線帯式は隆起した突線で縦横に文 公慶により再興されたが , 当初の規 行なう。同調は特定の周波数の電流 様帯を区切り , 鈕や鰭の外側には円 模を復するにいたらなかった を取り出し , または取り除く目的で 形または半円形の飾りがつけられて 転害ぃ門 , 法華堂 ( 三月堂 ) など周辺 〔田辺〕 行なわれることが多い。 いる。スズの含有量は少なく , 大き 部の建物に創建時のおもかげがしの さも 135 cm に達する例がある。 / 弥 どうていこ 洞庭 ( トンチン ) 湖 ばれ , / 正倉院の校倉も残ってい 生式文化 / ( 別刷 ) 青銅器〔芹沢〕 中国 , 湖南省の北部にある中国最大 る。鎌倉時代に再建された南大門は とうちゅうけんくもえもん桃中 の湖。面積は従来 520 ( ) km2 とされてい 新様式の大仏様れ天竺辞様 ) の代表 軒雲右衛門 1873 ~ 1916 浪曲家。 たが , 現在は改修の進行につれて 13 作であり , 鐘楼は大仏様に唐弯様を 本名岡本峰吉。父の芸をついで祭文 8()Okm2 に達している。揚子江の水量 語りとなり各地を旅するうち , 琵琶 混入した異色ある様式を示す。公慶 の天然の調節湖をなしているが , 泥 により再興された大仏殿は , 正面幅 や浄瑠璃うなどをとり入れて独自 砂の堆積がはなはだしく , 中部に沖 の浪曲を創始し , 雲右衛門を名乗っ を縮小したが , 今なお世界最大の木 積平野を生して東湖と西湖に分かれ , 造建築を誇っている。彫刻では大仏 。 19 ( ) 6 年末東京本郷座の興行によ 水量も著しく減した。またかって た 岸を皖堤とよばれる堤防で囲み , のはか , 法華堂創建以来の本尊不空 一躍浪曲界の花形となった。雄 羂索気観音像をはしめ奈良時代以 健豪决の節 ( 雲調 ) で赤穂義十伝を得 その内側に皖田とよばれる新田をつ 意とし , 2 世吉田奈良丸とともに内 降各時代にわたっての仏像も多く , くったことなどもわざわいして , 面 容 , 社会性両面につき浪曲界の大功 積は縮小するばかりであった このほか大仏開眼供養のさいに用い 1949 られた伎楽面 ( 約 20 ) や創建当時の 労者であったが , 晩年は不遇のうち 年以後政府は大改修に着手し , 大通 大仏殿前の八角銅灯ろうなど貴重な 湖などの遊水池をつくり , 湖岸に堤 〔河竹〕 に終わった 工芸品も少なくない。 / ( 別刷 ) 奈良 防を設け , 流入する河川の河道を改 とうちゅうじよ董仲舒前 2 世 / ( 別刷 ) 仏教 〔伊藤〕 めて災害を防ぐことに成功した。湖 紀の中国の儒学者。漢の武帝は儒教 ナタネの花咲く春の洞 どうたく銅鐸中国にも青銅製 には湘江 , 資江 , 況江 , ; 、豊水が集ま を国教に指定し , 中国王朝 2 ( ) ( ) 0 年の 庭湖。その美しい風光 の鐸カ { あるが , ふつう銅鐸といえは気 り , 省の水運の大動派をなし , 湖内 文教政策を基礎づけたが , 彼はその は洞駐の秋月として瀟 日本の弥生ご時代 ( 前 3 ( ) ( ) ~ 後 3 ( ) ( ) ) に の航路は整備され l()()()km に達してい 政策と教学内容を提供した。その政 湘 ( しようしよう ) 八景 つくられたつり鐘形の青銅器をさす。 策は儒教経学を担当する五経博上の る。湖岸は米 , 綿 ,. 茶 , 生糸をよく の一つとなっている 身と鈕と鰭とから成り立ってい 設置 , 官吏登用に経学を必須教養と て , 大きさは 20cm 以下のものから , することである ( / 四書五経 ) 。教学 1 m をこえるものまで , 大小さまざ 内容はく春秋公羊伝う〉の解釈で まである。身の横断面はヘん円形を ある彼のく春秋繁露 > ( 17 巻 ) によれ なし , 左右に突出している帯状の部 ば , 陰陽五行説によって自然と人事 分が鰭であり , その上端は両側から との対応一致を説く天人相与の説を 半円形に連なって鈕となっている。 もって天下支配の権力機構を権威づ 銅鐸の起原については明らかでない け , 天の連行に対応した革命新王朝 が , 朝鮮から発見される車馬具とし として漢王朝を正当化するものであ ての小銅鐸にやや類似するから , 両 った。 / 春秋 〔西〕 鈕孔 型持の穴 耳

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2 6 5 は各セットにおけるゲーム・カウン 59 ~ 85 ) などによって , 詩人にはま トの総計が奇数になったときかわる。 れな巨万の富を築いた。思想的にも 芸術的にも 19 世紀後半のビクトリア 6 ゲーームを先取した側がセットを得 朝時代を代表する詩人であるが , 近 る。ただし , 2 ゲームを先行しなけ 時その評価はむしろ低下しつつある。 1 マッチ ( 試合 ) にお ればならない。 ける最多セット数は 5 である。ただ 〔小野協〕 し女子だけの , あるいは女子の含ま デニム denim 綿織物の一種で , 。硬式用ー れるミックスト・タ、、プルス ( 混合複 ) たて糸に紺色 , かっ色などの糸を用 てぬぐい手拭汗ふきあるいは などの場合は 3 セット。ダブルスが い , よこ糸に白糸を使ってあや織り シングルスと異なるのはサービス順 洗面 , 水浴などのさいに用いられる にした厚地のものである。近来は , 布。古くは長さは一定せす , 奈良時 である。サービス順は各ゼットの初 化繊で作ることもある。生地が強く 代や平安時代には 9 尺 , 8 尺 , 6 尺な めに定められ , 各ゲームにおけるサ 耐久力があるので , おもに作業服 , 子 ーはかわらないか、 , 同一チーム ど各種があリ , 用途によって切って ども服などに用いるが , 最近はやや のサーノヾーはサービス順か・回ってく 用いた。江戸時代末期になって , 小 薄地に織ったり , しまがらを現わす 幅 ( 36cm ) の布を鯨尺の 2 尺 5 寸 ( 95 るたびにかわる。たとえば A B 対 C D などしてスポーティーな婦人服や子 cm ) ほどの長さに切った手ぬぐいが の試合で , 第 1 ゲームで A カ { サービ ども服地などにもされる。〔小川〕 スを行なった場合 , そして第 2 ゲー てにもつ手荷物乗客の携行す 用いられるようになったらしい。現 ムで C がサービスを行なった場合 , る荷物のことで , 旅客がみすから携 用の手ぬぐいは約 85 ~ 9() cm くらい。 それ以後のゲームにおいて B D A C 帯する携帯手荷物と , 連輸機関が旅 初めは麻布を用いたが , 綿布が一般 ーとなる。軟 ・の川自にサー 客から引渡しを受けて運送する託送 B D ・ 化するにつれておもにもめん製が用 小荷物があり , ふつう手荷物といえ 式庭球はボールおよびラケットか、硬 いられるようになった。遊芸用に絹 式とはかなり異なっているが , 競技 ば後者をさし , 一般にチッキとよは、 製のものもっくられている。また一種 規則についてはよく似ている。コー れている。各運輸機関ごとに手荷物 の服飾品として , 頭髪にかぶる / か トはネットの高さが違う ( 硬式 = 3 フ に関する規定があり , 日本国有鉄道 ぶりものにも転用されてきた。「は ト = 約 91cm , 軟式 = 1 ( ) 6cm ) が , では旅客が乗車券 ( 定期券を除く ) を ちまき」「かつらつつみ ( 桂包 ) 」「は イ 他の点ではほとんど変わりない。軟 呈示すると , 1 乗車に 1 回限り , 個 おかぶり」は鎌倉 , 室町時代以来の 数は 1 人に 2 個以内を , 旅客列車に 式庭球は原則としてダブルスのみで , ものであるが , 近世になって種々の 連結した手荷物車によって連送 ( 有 着装法が考案され , 「置手ぬぐい」 プレーヤーは前衛と後衛に分かれ , 料 ) する。運送区間は旅客の乗車区間 「角隠し」「大尽かぶり」「米屋かぶ サービスはつわに後衛が行なう。試 と同一であるが , 同一市町村内に 2 り」「けんかかぶり」などか・行なわれ 合は 7 あるいは 9 ゲームで決せられ , 硬式のようなセットはない。 駅以上ある地域では , 手荷物の着駅 た。また江戸時代には「三尺手ぬぐ 〔用具〕ネットそのほかコートに付 が乗車区間外であってもよく , これ い」といって , 武家の小者 , 旅客 , 属するもの以外でテニスに必要な用 を配達手荷物の特殊扱いと称してい 下層民などがこれを帯に用いていた る。手荷物として託送できない品は , 具はポーノレとラケットである。ボー 祭礼や花見などの団体行動のさい 1 ) 縦 , 横 , 高さの合計が 200 cm 以上 ルはゴムにフェルトをかぶせた表面 そろいの手ぬぐいをはちまきにした のなめらかなもので , 直径 2 ム のもの ( スポーーツ用品を除く ) , 2 ) 重 り , えりにかけたりして目しるしと インチ ( 約 6. 35 ~ 6. 67cm ) , 重量 2 さ 3 ( ) kg 以上のもの , 3 ) 臭気を発し , することは現在でも行・なわれている。 2 オンス ( 約 56.7 ~ 58. 5g ) その他 または不潔なもの , 4 ) 破損しやすい 手ぬぐいの染色は白地に文字や模様 の規定に従ったものでなければなら もの , 5 ) 荷造りが不完全なもの , 6 ) を表わしたもの , 染色地に白文様を 出したものなどがあり , 色は , 紺 , 浅 ない。ラケットは手のひらを意味す 危険品 , 7 ) 動物 ( 水に入れない魚貝を 黄など青色系統が多く , 茶 , 黒 , わ 除く ) , 8 ) 車両類 , 9 ) 死体 , 遺骨など。 るアラビア語のラーノ、ト , あるいは すみなどの色も用いられ , 手ぬぐい ラテン語のラハが語源とされている。 なお同じ制限の携帯手荷物 ( 手回品 ) フレームは木製が一般的であるが金 は無料だが , 特別のものは有料手回 染めと称せられる注ぎこみ染めの方 属製のものもある。がツトは羊腸の 品として持込料を払う。 法によって染色される。明治以後 〔玉造〕 意味であるが , 近年はナイロン製の / タオルが西洋手ぬぐいとよは、れ , テーヌ Hippolyte Taine 1828 ガットも使われるようになっている。 ~ 93 19 世紀後半ルナンと並び称さ 手ぬぐいに代わるものとして普及し 全長 60 ~ 70cm がふつうである。軟式 れたフランスの哲学者 , 歴史家 , 批評 ている 〔小川〕 庭球ではポールは白色ゴム製で , 直 家。スピノザ , コンジャク , ヘーゲ テネシー〔川〕 Tennessee 米国 径 6. 6 cm , 重量 3() ~ 3 lg 。フレーム ルらの著作に学び , その思索の根本 南部を流れる全長 1 ( ) 43km の川。テネ は全体として硬式のものより細め として理念的な「知性」の観念に到 シー州東部ノックスビル付近のホル で , 標準規格は全長 69cm 。〔井上〕 達した。しかし現実の経験に敏感な ストン川とフレンチプロード川の合 彼は , この知性と感性の内的緊張に テニソン Alfred Tennyson 18 流点にはしまり , 南西流してアラバ 09 ~ 92 英国の詩人。リンカンシャ おいて当代の実証主義をこえる新し マ州に入り , 同州北部を西流し , や ーの牧師の子。幼にして詩才を発 い実証的方法をうちたてた。それは がてテネシー州西部とケンタッキー 揮 , ケンプリッジ大学でも総長牌 現実を究極的要素にまで下降的に分 州西部を北流してオハイオ川に合流 を受けた 1832 年出版のく詩集〉に 析し , そこから上昇的にいっさいを する。 17 世紀に探検されて以来 , 18 よって世に認められ , 50 年には大学 説明するもので , それにより歴史学 世紀には開拓者の西部へのルートと 時代からの親友ハラムの死をいたむ を心理学のうえに基礎づけ , 自然科 なり , 19 世紀には農産物の輸送路と 学との類比のもとに芸術哲学を構想 くイン・メモリアム > を発表 , 同年 なったが , 水量の差の大きいことと して , 歴史的事実とともに文芸作品 桂冠詩人にあげられた。その後は 河底の傾斜が激しいことが航行をむ を「人種 , 環境 , 時代」によって解 少数の文学愛好者よりも国民大衆の すかしくしていた。しかし , 現在は ために書くこと・を念願して , く軽騎 明しようとした。主著はく英文学史 > 本流筋の 9 ダムと上流に流れ込む支 兵の襲撃〉 ( 1854 ) をはしめとする戦 く芸術哲学 > く知性論〉く現代フランス 流に設けられた 2 ( ) 余のダムによって 争詩や , 恋愛物語 / くイノック・ア の起原〉などで , とくにその科学的 包蔵水力ははば完全に開発され , 洪 批評は自然主義文学理論の一根源を ーデン〉 ( 1864 ) , アーサーエを中心 水は防止されるに至った。 / T VA とする長編叙事詩く国王牧歌〉 ( 18 なした。 〔荒川〕 〔石光〕 ・ = 0 し第トトを声 : : な第すツ、 軟式用 2 5 8

6. 国民百科事典5

鉄 道 3 自動列車制御装置 (ATC) ATC とは Automatic Train Control の略で , 列車の速度を信 号機が示す制限速度まで自動的に落とす装置であるっ時速 200 km の高速度では信号機を見て止まったのではプレーキ距離か このため , 車 2500 m 必要である。また信号確認も困難が多い。 上の機械により信号をキャッチさせ , その命する速度より列車 速度が速いときは自動的にプレーキがかかり , 指定速度まで下 ける。これが A T C で , これにはます線路を 3 km ことの区間に 分けておく。列車が運行している区間には他の列車は入れす , これに近づいたり , 急なカープや駅構内の分岐点を通過 する時は , 一定速度に落とされるようになっている。すなわち , 運転中の列車の後の区間に , 順々に 30 km , 0 k rn , 200 k m とな この信号は , それそれ るようイ言号カ医られているのてあるか の搬送波 ( 信号電波を乗せる周波数の高い電波 ) に乗せられて各 レール区間に送られ , 列車に伝達される。下図は第に停車する 場合に行なわれる速度制御で , 200 km / 時のスヒ。ードで来た列 車は、 2 区間手前 ( 約 5600 m ) で 1 60 km / 時に落とされ , 一区問 手前 ( 約 3000 m ) で 70 km / 時の速度に落とされる。そして最後の 600 m で 30 k m / 時に下けられて停車するが この場合は , 30 km 以下の速度に下がってもプレーキはゆるます , 一度 , 運転士の 確認をえてからゆるみ , 定められた位置まで来て停車をする ぐで停車するまでの A T c によるプレーキ作動 A T C によるプレーキ 蕓スイッチ ニ : 0 防護スイッチは 50 m おきに備えられ , 押すとレール電 流が短絡される。図にあるようなコイルを通して結ば れるがこれによりレール上が無電流となるので電車は 自動的に停車する。軌道上に危険が起きた場合など , このボタンを押して事故を未然に防ぐことができる 軌道上に置かれた地点検知子 ( 下図は X 型 ) からの電 波は列車運転部の車輪の問にとりつけられた車上検知 子によって受け取られ , 列車の運転制御を操作する。隣 接区間内に別の列車がいる場合 , 進行して来た列車は 30 km / 時の速度に落とされ , この上 ( P 点 ) で停車する 信号区間 信号区門 信号区間 点地点検知子 、第一阜 200 停止信号区問 50m 30 信号区間 600 m 確 150 100 ・ , 幸ロ ニ - 印 50 0 km / 時 2400 2600 m 2400 m 210 70 信号区問 ~ 160 信号区間 。信号区問 運転台の計器板 1 時計台 2 圧力計 3 圧力計 4 速度指 門蓄電池電圧計 A T C 切りかえ 1 7 配線用しゃ断器配線用し 示針 5 動作及び事故表示灯 ( 左から戸しめ , インパータ , 電車線電 ゃ断器 1 9 A T C 開放 20 列車番号設定 2 1 操作スイッチ ( 左から保 圧 , 直通管 , 準備未了 , 以下事故関係で電気機器 , 固着検知 , A T C, 護接地切 , 補助空気圧縮機制御 , パンタ上 , 空気しゃ断器 , 戸しめ連 空気しゃ断器切 , 電気プレーキ , 緊急プレーキ ) 6 電車線電圧計 7 動、プサー , インバータ非常起動 ) 22 転色装置切りかえ 23 インパ インバータ電圧計 8 保護接地入 9 窓洗浄 1 0 操作スイッチⅡ配 ータ切りかえ 24 窓ふき器 25 窓洗浄 26 速度計 線用しゃ断器 12 窓ふき器 13 列車無線指令操作盤 14 事故表示灯 ( 運転士席は左側で , 右に交替要員用の運転士席がある ) 6 9 8 7 7 18 6 4 1 25 000 2 をを材 99 5 3 1 2 24 22 23 20

7. 国民百科事典5

日本人のなかで民族差をもつのは / アイヌであるカヾ , はとんど固有文 イ匕を失い , 日本人に同化している。 日本に居住する外国人は朝鮮人を最 高とし , 中国人 , 米国人の順である。 日本に居住する外国人の大部分を占 める朝鮓人は , 1911 年ごろから労働 者として流入しだしたもので , 第一 次大戦以後急増し , 第二次大戦のと き労務者として強制移住させられた ものもあって , 戦争終結当時は総数 1 ()O 万人をかぞえた。戦後の外国人 を戦前に比べると , ソ連人 , 英国人 , ドイツ人が減少し , 中国人 , 米国人 , カナダ人の数か・ふえている。日本の はとんどすべての住民は日本語を話 す。アイヌはアイヌ語をもつが , 日 常語として用いるものははとんどい ない。在日朝鮮人の大部分は , 朝鮮 吾と日本語を使用している。なお , 沖縄の琉球語は内地方言に比べて ひしように変わっているか・ , 日本言五 と同系であることが明らかである。 / 日本人 / 日本語〔小池・尾留川〕 〔地体構造〕日本列島は環太平洋造 山帯の一部を形づくる大海底山脈の 上部だけが海上に現われている弧状 列島である。大陸の縁海は浅いが , 外側の太平洋側には弧に沿って曻本 海溝 , 球海溝が延び , 深さ 6000m を越える。日本アルプスの山々は日 本海溝底から 1 2 ()()() m にも達する高 さにあり , 日本列島はヒマラヤ山脈 に匹敵する大隆起体といえる。現在 の日本の基本的な地体構造は古生代 末 , 中生代の造山運動をへて , 中生 代末にほは、完成したと考えられる。 この造山帯に沿って火山帯 , 地震帯 か走り , おもな火山だけでも 150 を 越し , これらの火山は山地をさらに 高めている。この地帯では噴火爆発 , 地震 , 津波の災害が起こ・りやすい。 弧状の海底山脈は樺太 , 北海道か ら九州に至る本州弧 , 北海道から千 島に延びる千島弧 , 九州から台湾に 延びる琉球弧と , マリアナから七島 を経て本州弧に合する七島マリアナ 弧からなる。中核となる本り弧は中 央日本を横断する / フォッサマグナ によって地体構造上 , 西南日本と東 北日本とに分かれる。地溝帯の西縁 は糸魚川誌いから姫川 , 松本盆地の 西縁 , 諏訪盆地 , 釜無川 , 赤石山脈 の東縁を通って静岡に至る糸魚川静 岡構造線で境されるが , 東縁は火山 噴出物でおおわれて西縁のようには 明白でない。第三系からなるこの地 溝帯の両側には中生代以前の地層か らなる赤石山脈と関東山地とが相対 している。 1 ) 西南日本大竜川上流 から豊川の谷を通り , 渥美半島 , 紀ノ川 , 吉野川の谷を経て九州の八 代に至る大断層帯の中央構造線に よって内帯と外帯とに分かれる。赤 石地帯 , 紀伊 , 四国 , 九州地帯を含 む外帯の地質は典型的な帯状構造を 6 2 7 示し , 中央構造線と同時代に起きた いわゆる佐川造山運動によって紀伊 , 四国 , 球磨ーなどの褶曲山地が造 られた。中部地帯 , 中国地帯 , 瀬戸 内陥没地帯 , からなる内帯には花コ ウ岩がひろく露出し , 第三紀の火山 体か、これをおおっており , これらの 間に古生界 , 中生界の地層が残され ている。瀬戸内海は陥没によってで きたが , その陥没帯は , 大阪平野 , 京都 , 奈良 , 近江盆地から若狭か 湾に延びる。 2 ) 東北日本西南日本 と違って中央構造線のような地質的 境界は見られないが , 古期山地の東 帯と , 新生界の発達のよい西帯とに 分かれる。古生界 , 中生界およびこ の時期に噴出した火山岩からなる東 帯の古期山地は , 東樺太 , 北海道胴 体部 , 北上 , 阿武隈 , 八溝気など の地塊に分裂している。西帯は札幌 低地帯 , 奧羽脊梁地帯 , 南北に並ぶ 多くの盆地列からなる中央凹地帯 , 渡島芒ま半島 , 出羽越後地帯からなる。 西帯は新第三紀以後の地層と鳥海火 山帯 , 那須火山帯などの第四紀の火 山におおわれる。冫疑灰岩 , 集塊岩が 多く , 安山岩 , 石英祖面岩を伴い , また地下資源が多い。 〔地形〕列島には多くの弧状山脈が 入りくんでおり , 火山帯 , 地震帯を 伴って地殻運動が激しく , 大部分は 山地だが , 盆地や小平野が入りまし って複雑な地形を示している。さら に激しい侵食作用が働いて複雑さを まし , 傾斜は急で , 河川は短く , 土 壌は薄い。川の中下流には河岸段丘 がよく発達し , 海岸は出入の多い岩 石海岸が多く , 沈降によるリアス海 岸は三陸 , 紀伊 , 瀬戸内 , 西四国 , 北九州に多く , 隆起を示す海岸段丘 は北海道 , 東北 , 佐渡 , 能登や太平 洋に突出した半島 , 南四国などに多 い。風が強く , 砂の多い海岸では東 北裏日本や鳥取 , 鹿児島の吹上浜な どのように大規模な砂丘が発達する。 1 ) 平野日本の平野は扇状地 , はん らん原 , 三角州あるいはそれらが隆 起した隆起扇状地 , 河岸段丘 , 隆起 三角州 , 海底が隆起してできた海岸 平野などの河成 , 海成の小規模な堆 積地形である。代表的な平野は濃尾 , 関東 , 新潟 , 石狩の諸平野であり , 低地では自然堤防 , 人工堤防以外は 低湿で , 改修前の河川は蛇行をうし , また多くは天井川になっている。木 曽川下流の輪中地域は日本のポルダ ーといわれる低地で , 古来水防に努 めてきた土地であり , 江戸川 , 荒川 下流では地下水のくみ上げによって 地盤沈下の災害を起こし , 海面下の 上地か・みられる。洪水が多く , その くりかえしが平野をひろげてきた 多くの治水工事によっても地形の変 化を生しているが , 一部の施設は河 床を高め , ますます洪水の危険を大 きくする。伊勢湾台風 ( 1959 ) でみら ニホン れたように低湿な地域では洪水 , 高 潮などの災害を受けやすく , とくに 湾奧の地盤沈下地域にその危険が大 きい。日本の平野と欧米の平野との 違いは , 日本では氷河の影響を受け す , また , 火山や洪水の影響で , 土 壌の発達がよくないことである。 2 ) 山地地体構造を反映して特色ある 配列を示す。北海道は胴体部と渡島 半島部に分かれる。胴体部の知床し 半島から大雪山に続く火山群は千島 火山帯の延長 , 中央の盆地列は樺太 の幌内川 , 鈴谷川の延長に当たるの に対し , 半島部は東北地方西帯の延 長である。本州冐ヒ東部では三つの隆 起帯と二つの凹地帯がある。西の凹 地帯は南北に並盆地列であるが , 東の凹地帯は阿武隈川 , 北上川 , 馬 淵ミち川の続く谷で , 東北縦断交通の 幹線である。西南日本では二つの隆 起帯とーっの陥没帯が東北日本と同 様 , それぞれ島弧にル行して走り , 表裏日本の気候差を生し , 横断交通 を妨けている。このうち , 中国 , 阿 武隈 , 北上の山地は高原状で牧場に 利用される , : 頼戸内海に続く凹地帯 の中には多くの地溝盆地と地塁山地 が並ぶ。もっとも高く険しい中部で は , フォッサマグナ以西に三つの隆 起帯が島弧に直交していて , 谷が内 陸へ深く入りくんでおり , 高く険し いが , 峠によって表裏日本が結ばれ ている。火山は東北日本と九ヨに多 い。火山は風景美や温泉を恵むが , 噴火爆発は人畜作物に被害を与え , 一部の温泉は酸性の水を流して農業 や水産に被害を与える。また , 浮石 質の火山レキが堆積し , 南九州のシ ラス台地のような侵食を受けやすい やせた土地をつくる。 〔土壌〕日本の土壌には地殻運動 , 山くすれ , 火山活動 , 多量の雨など の影響が大きい。湿潤な北方や高冫翁 地では酸性上壌が多く , 山地では土 壌が薄く , 未風化で母岩の性質に支 配されるものが多い。寒帯から温帯 にかけて湿潤な地帯に属する日本列 島には , 北からポドソル ( 灰白土 ) , かっ色森林土 , 赤色上の 3 種が分布 する。北海道の針葉樹林帯には , 表 土が灰白色であらいポドソルが発達 するが , 強酸 1 生で , 農地には適しな い。本州北部は弱ポドソル化地域と , かっ色森林土地域の漸移地帯である。 本州中部にひろく分布するかっ色森 林土は暗かっ色または黄かっ色で , 表土は弱酸性で , 畑地として利用さ れる。赤色上は四国 , 九り・日に見られ , 表土は厚く , 表層はかっ色であるが , 下層はだいだい色または赤かっ色を なし , 強酸性で作物の成育はわるい。 このはか , 潟完や沼の多い低湿地に は , 泥炭上や眤炭の分解が進んだ黒 泥上など , 地下水の影響の強い上壌 がある。沖積土はほとんど水田に利 用され , 肥えているが , かんか・い用

8. 国民百科事典5

6 7 6 って , これに根株を伏せこむ。発芽 脱状態となる。症状は糖尿病と似て するまでは 25 ~ 28 ℃として暗黒に いるが尿中に糖を証明しえない点が 理し , 発芽したら 15 ~ 18 ℃に管理 異なる。抗利尿ホルモン ( ピッイト て徐々に光をあてて 15 cm くらいにな リン ) の投与が著効を示す場合もあ こうして 10 日めこ ったら切りとる。 る。原因の病変がわかっているとき とに 4 ~ 5 回収穫できる。〔渡辺〕 は , その治療を行なう。 〔高谷〕 にらさき韮崎〔市〕山梨県北西 によどがわ仁淀川石鎚山南 部の市。 1954 年市制。人口 27728 ( 1 斜面に源を発し , 高知県の中部を屈 65 ) 。市街は甲州街道の宿駅および釜 曲して流れ , 太平洋に注ぐ川。長さ 無川水運の終端河港として発達し 132km 。流域面積 1299 2 。上流は面 たが , 19 ( ) 3 年中央線の開通後その機 河蛩川といい , 結品片岩の山地を刻 能は衰えた。付近農村の経済 , 交通 んで / 面河渓などの渓谷をつくる。 の中心で , 米 , 繭 , ホップなどを産 中にたまり , からだか、だるくなり , 山が深く降水量も豊富で , 多くの水 し , また工業用夕、、イヤの研摩工業が 頭痛 , 食欲不振 , ロ臭などが起こり , 力発電所がある。また上 , 中流域は 盛んである。南アルプス国立公園の 意識がなくなり , 早晩かならす死に ツマタ , コウゾの生産地でもあり , 登山口であり , 近くにツッジとスズ 下流には伊野町 , 土佐市など製紙業 至る。仮性のなかをさらに急性と慢 の盛んな町がある。伊野町からは平 ランの名所甘利山 , 御座石および 性とに分ける。前者は急性腎炎や妊 娠腎のさいに起こるてんかん様けい 野が開け , 八田堰から用水路が分 青木の 2 鉱泉がある。 〔千葉〕 にらやま韮山〔町〕静岡県伊豆 れん発作を主症状とするもので , 多 流する。 〔門村〕 半島の北部 , 田方郡にある町。人口 くは反復来襲するが , 通常死ぬこと によらい如来仏の徳を賛嘆し 11953 ( 1965 ) 。弥生時代の住居跡を なく全治する。後者は動脈硬化が脳 た十の称号の一で , 梵語当んの tath - もっ山木遺跡 ( 別刷弥生式文化参照 ) , および腎臓にある人に起こり , 意識 gat a の訳。「如実に来至せるもの , 源頼朝が流された蛭毟ガ小島 , 北条 がなくなり , 精神病のような症状を 如実より到来せるもの」という意味 早雲の居住した韮山城跡などの史跡 示し , 多くは一過性であるが , 再発 で理想的人物をさし , 真理の体現者 がある。西境を狩野ま川が北流し , である仏陀つの異名である。 tathå- しやすく , まれに死ぬこともある。 伊豆籀根鉄道が通しる。イチゴの栽 ga t a の解釈については説が分かれ , 〔治療〕真性の場合は大部分原病で 培が盛んである。江戸時代には豪族 これを 2 語に分解して Thathä-ägata ある腎疾患が不治のものだから , 特 江川氏が代官として屋敷をかまえ , とすれば「如実に来至せるもの」の 効的な治療法はなく , 腹搾内灌完流 その住宅が保存されている。幕末の 意。 tatha-ägatäとすれば「如実語」 , 法や人工腎臓により毒物の排出をは 代官 / 江川太郎左衛門の築いた兵器 tatha-gata と解釈すれは、「如髣、く来え かるのであるが , それも一時的改善 製造用反射炉も現存する。韮山温泉 をみるにすぎない。あとはタン / ヾク リし者」の意味となる。 一般には釈 は単純泉 , 39 ℃ , 狩野川に沿う新し 迦如来 , 阿弥陀如来 , 大日は如 質と食塩の少ない食事をとらせ , プ い温泉である。 ドウ糖液の注射をする程度である。 〔千葉〕 来 , 薬師如来の名が如来の代表的な にりゅうかたんそニ硫化炭素 仮性の場合は原病である急性腎炎 , ものとして知られている。〔横井〕 妊娠腎 , 動脈硬化などの治療を行な 分子式 CS2 融点ー 112 ℃ , 沸点 46.45 によんディー 2 , 4 D / 除草剤 い , 発作時には瀉血 , 腰つい穿芫刺 , ℃ , 比重 1. 261 ( 22 ℃ ) の無色の屈折 の一種。 2 , 4 ージクロロフェノキシ酢 減水および減塩食餌じ , 鎮痛剤注射 においの強い液体。き 酸の略。最初 / 植物ホルモンとして 率の大きい などを行なう。 〔大越〕 わめて有毒で神経系統をおかす。引 発見されたが , 濃度を高めると植物 , にようへい尿閉尿か、 : ようこう とくに広葉の植物を枯らす作用があ 火点ー 25 ℃ , 発火点 150 ℃。空気中で るため , 除草剤としてひろく用いら のなかにいっーよいたまっているのに たやすく引火し , 青白い炎をあげて 尿を出すことができない状態。原因 れるようになった。無色の結晶で融 燃える。水には難溶であるカ { アノレコ には , は、うこう結石 , は、うこうの大 点 139 ℃ , 水にははとんど溶けない ーノレ , 工ーテノレ , べンゼンなどには 出血 , 尿道狭搾 , 前立腺肥大および が , アルコールなどにはよく溶ける。 よく溶ける。製造法は , 木炭を加熱 がん , 腎臓の機能をつかさどる神経 ソーダ塩 , アミン塩 , 工ステノレとし し , 溶融イオウを加えて約 900 ℃に て製剤されている。水田 , 芝生など の病気などがある。療法はます応急 熱する。木炭とイオウ蒸気が反応し の除草に用いられる。 〔石井〕 処置として , 尿道からカテーテルを て二硫化炭素を生しる。もっとも大 入れて尿を導き出すことが必要であ にら〔韮〕古くから野菜として きな用途は人絹の製造である。セル るが , これカ { 不可能であればは、う 栽植されている中国原産のユリ科の ロースにカセイソータ、、を作用させて 多年草。一種の臭気がある。ひろく うに腹壁から直接針をさして尿をと アルカリセノレロースとし , これに る。そのあとで原因となっている病 硫化炭素を作用させるとセルロース 野生化しているが , これは葉の幅が 狭くて薄い。栽培種は葉の幅が広く 気の根本的治療を行なう。なお尿閉 キサントゲン酸ナトリウムになる。 て厚い。夏に細い花柄の先端に白花 これを水に溶かしたものは粘りけの に似て違うものに無尿がある。これ をつける。耐寒性 , 耐暑性が強く , あるコロイド状の液で / ビスコース は腎臓で尿がつくられないため , あ おもに株分けで繁殖する。種子繁殖 とよばれる。これを希硫酸で処理す るいは途中でつかえては、うこうまで もたやすく , 夏採種してすぐまくか , るとセルロースを再生する。このさ おりてこないために尿が出ない状態 秋 10 ~ 15 ℃以下にならないうちにま をいい , 重大な病気で至急専門医の い , 繊維状にすれば人絹 ( ビスコース くが , 収穫までに長くかかる。露地 人絹 ) , フィルム状にすれは、セロハン 治療を必要とする。 〔大越〕 で発育した若葉をふつう利用するが , が得られる。はかに にようほうしよう尿崩症間脳 油脂 , ロウ , 軟化品に比べて臭気が強い。緑葉に 松やに , ゴム , イオウ , ョウ素 , 黄 および脳下垂体後葉から分泌される は , ビタミン A , BI , B2 , C などを リンなどをよく溶かすのでこれらの 抗利尿ホルモンが , 分泌減少をきた かなり多く含むとともに硫化アリル 物質の溶剤に用い , 塩素と反応させ して , 多量の尿を排出する病気で , これらの部位に炎症 , 出血 , 腫瘍 などの有機硫化物を含み , 殺菌 , 殺 て四塩化炭素の製造原料とし , 毒性 虫の効果がある。軟化するには南面 機能失調があるとき発症する。比重 を利用してカイがラムシや貯穀の害 が低く色がうすい尿の大量排出のた した暖かい場所に深さ 50 ~ 6() cm , 幅 虫の殺虫剤などに用いる。〔落合〕 め口がかわき , 多量の水・を飲用する。 1 m , 長さ適宜の軟化溝を掘り , 底 ニルスのふしぎなたびニルスの に 20 ~ 30 cm の厚さの踏みこみを行な 水を飲用しないと血液濃縮のため虚 不思議な旅 The WonderfuI Ad- ニョウヘイ 如来仏像はふつう , 如来 , 菩薩 ( ばさっ ) , 明王 , 天に分けられる が , 如来は法衣のほか 装身具をつけない。如 来相互を区別するには 手の印相から判断され るが , これは薬師如来 OCH2COOH C ー 2 , 4 D の構造式 フ

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こで ドブガイ ドブガイ 雌花 5 0 2 と光〉など , 美しい文章による一般 どぶがい〔溝貝〕日本にひろく 分布する淡水産の二枚員。 / カラス がイとまちがえられるが , カラスガ イより小さい ( 殼の長さ約 10 (m) こと , たいてい色がかっ色を帯びているこ と , ちょうつか、いにひだ状の鉸歯 ( かみ合せの歯 ) がないことで見分げ がっく。殼は薄く , こわれやすい。 内側は灰白色ないし淡紅色で , 真珠 光沢がある。池や沼 , 川の底の泥中に いる。肉は泥くさいが食べられない ことはない。 / ( 別刷 ) 貝〔奧谷〕 ドフリース Hugo de Vries 18 48 ~ 1935 オランダの植物学者。初 め植物生理学に興味をもって , 原形 質分離や浸透圧を研究したが , のち 遺伝や進化の現象に興味をもった。 有名な仕事にはオオマッョイグサを 栽培中にいくつかの新種の生するの をみて , 生物には急激な変化すなわ ち突然変異が生し , これが進化に重 要な役割をすると考えた突然変異説 があり , また細胞内にパンゲンとい う単位を想定して遺伝子説の先駆と なったが , これらはそれまでのダー ウイン的な進化の考えに対立するも のである。まだメンデルの法則の再 発見者の 1 人としても有名。〔新関〕 ドプルジャ Dobruja 黒海西岸 の地方。北部はルーマニア領で , 面 積 158()Okm2 , 人口約 60 万。農業のほ かセメント , 造船 , ヤ金などの工業 がある。主要都市はコンスタンツア。 南部はプルガリア領で面積 7700km2, 人口約 40 万。プルガリア最良の農業 地帯で , 大麦を産し , ブドウ園 , 菜 園なども多い。 果実 この地方はキ、リシア時代に植民さ ーて会員。く新物理学と量子 > く物質 ・フランセ パリ大学教授。アカデミ 目だってきたといわれる。 32 年以来 し最近 , ふたたび彼の一派の活躍が 主流的存在とみなされていた。しか にもかかわらす世界的には学界の反 論物理学界に対する支配的な影響力 を固守していたため , フランスの理 果律の存在を主張する少数派の立場 な考えに反対し , 一貫して古典的因 的解釈をめぐってポーアらの正統的 ーベル賞を受けた。量子力学の哲学 きり開き , 29 年にはそれによってノ 表 , 量子力学への道を独特な方法で 年 , 物質波 ( ドプロイ波 ) の理論を発 ジュノヾン ( 1872 ~ 1946 ) に師事 , 1923 理学者。名門の貴族の出で , P. ラン glie 1892 ~ フランスの理論物 ドプロイ Louis Victor de Bro- 〔相場〕 が , 1940 年現在の国境線が確定した。 後も両国間の係争の地となっていた 立したプルがリア領になった。その 部はルーマニア領 , 南部は新たに独 り , 1878 年ベルリン会議によって北 はいった。 15 世紀初めトルコ領にな て 7 世紀末建国されたプルがリアに れ , ローマ , ビザンチンの支酉己をへ 向き著書がある。 〔後藤〕 どぶろく清酒の製法によって造 ったもろみをろ過しないでそのまま 飲用する酒。昔から日本で造られて いたものであって , にごり酒とカ蜀 酒とよばれ , 1 ) 米 , 米こうしおよび 水を原料として発酵させろ過しない もの。 2 ) 米 , 水および麦その他のさ まざまな物品 ( アワ , トウモロコシ , コウリャン , キビ , ヒ工 , デンプン もしくはこれらのこうし , 米こうし , 麦こうしまたは清酒かす ) を原料と して発酵させろ過しないものに分け られる。現在 , 許可さ、れて公に造ら れているものはなく , もつばら密造 されているようである。粗白米を原 料とし , 不潔で組雑な方法で造られ るため一部腐敗も起こり , 乳酸発酵 による酸味を強く感し , 非衛生的な ものが多い。したがって成分も清酒 もろみに近いものから , アルコール 分 1 () % 前後で酸が 0.6 % に達するも のなど一定しない。一般に汲水が 清酒の場合より多量であるため , 造 られたまま放置して熟成させると糖 分はことごとく発酵されて含まれな くなるので , ふつう未熟のうちに飲 社会と人間の赤裸々 に立ち向かい の姿をたしろぐことなく見つめて描 き出すリアリズムを身につけていっ た。く兵車行 > やく三吏三別 > は彼の 鋭い批判をみせる社会詩の代表で , 白居易のく新楽府などに影響をな 、うした人生に対する彼の透 えた。ー 徹した目は , 制約の多い今体詩の 詩形の中に , 凝集された人生の真実 を浮彫りにすることを可能にし , と くに律詩は彼によってはしめて深い 思想と微妙な感情を盛る叙情詩とし て完成したといえる。親交のあった 李白の「詩仙」に対し彼は「詩聖」 と並称されて , 唐代のみならす中国 の詩全体を代表する頂点を形成し , 韓愈 , 白居易をはしめ彼に心酔する 詩人は多く , 日本に与えた影響もは かり知れない。く杜工部集〉 2() 巻など がある。 〔丸山〕 用される。 〔亀高〕 とべ砥部〔町〕愛媛県伊予郡 , 重信川支流の砥部川流域と周辺の山 地を占める町。人口 10613 ( 1965 ) 。特 産の砥部焼は 1775 年大洲藩の保護奨 励策により発展し , 現在電気用がい しが生産の半分近くを占めている。 はかに富有おガ、キ , ウンシュウミカ ンや硫化鉄鉱 , 砥部といしを産し , また天然記念物衝上 ( 突上げ ) 断層が ある。 〔石丸〕 トべラ 杜甫 とべら海岸近くにはえる高さ 1 ~ 3 m のトべラ科の常緑低木。よく 分枝し , 葉は幅の狭い倒卵形で先は 丸く , 縁は少し外に巻く。花は雌難 別株で , 初夏に集散花序につき、 5 弁白色で香があり , のちに黄色に変 わる。果実は丸く , 熟して 3 片に裂 け , 赤かっ色の種子数個を現わす。 最近では公園などの植栽樹として使 われる。 〔大井〕 とほ杜甫 712 ~ 770 中国唐代 の詩人。あざなは子美 , 号は少陵。 河南省鞏 : よ県に生まれた。幼時から オ能を発揮したが , 科挙にはいくど も受験しながら合格せす , 30 代半 ばまで揚子江下流や黄河流域を放浪 した。 35 歳で長安に出たが , 遇の中で , 彼はあくまで誠実に人生 浪する生活に終始した。こうした不 は , ほとんど各地を転々と移動 , 放 で比較的安定した生活を送ったほか 48 ~ 51 歳までの 3 年間 , 四川省成都 出 , さらに 1 年後に官を辞し , 以後 仕えたがまもなく左遷されて地方に された。乱後一時中央の廷臣として の乱にあって賊軍に捕えられ , 幽閉 も不遇のまま 10 年を過ごし , 安禄山 トボガン toboggan 先のそった 滑走面の平らなスポーツ用のそり。 長さ 1 ~ 2.4 m , 幅 (). 6 ~ 0. 9 m 。 1 人 ないし 2 人乗りがふつうで , 競走者 はこれに腹ばいに乗り , スノヾイクの ついたくつで制動し , あるいは体重 を移動して操作する。 1880 年代に英 人がスイスでスポーツとして取り上 げ , 主として中欧で行なわれる。多く は斜面の滑降であるが , 平地を大な どに引かせることもある。〔福岡〕 どばくきかい土木機械土木工 事に用いられる重機械の総称。土木 工事の対象は主として自然物である から , 掘削 , しゅんせつ , 盛上など の土工作業がひしように多く , また 構造物の材料としてきわめて多量の 砂 , 砂利 , 石材 , セメント , 木材 , 鋼材などを使用するので , これらの 作業や運搬 , 取扱いを機械化するこ とは , 上木工事全体の合理化のうえ で計画面の合理化とともに大きな役 割をもっている。日本で土木機械が 本格的に使用されるようになったの は 1897 年以降に始まった利根川お よび淀川の改修工事からである。 その後各地で行なわれた港湾 , 鉄道 , 水力発電などの開発工事には工事の 性質上土木機械が相当使用されるよ うになった。しかし当時は主として 輸入機械にたより , しかも上木工事 が失業救済事業として行なわれて機 械化を進めなかったことなどもあっ て , 欧米諸国に比し相当の遅れを生 していた。第二次大戦後米国式施工 法が大幅に導入されるとともに 流機械製造会社が土木機械の製造に 着手し , 政府の公共事業や民間での 工場建設 , 電源開発工事などに盛ん に使用されるようになり , その結果 国内でもひしように優秀な機械がつ くられるようになった。上木機械は 多種多様に分類されるがその主体は 上工機械 , 運搬機械 , コンクリ 機械 , 舗装機械 , 作業船などの多量 の土砂 , 岩石 , 材料の処理機械である。

10. 国民百科事典5

チャドウ 〔茶道流派略系〕 村田珠光宗陳 武野紹 北向道陳 天王寺尾道叱 辻玄斎 武野宗瓦 千利体 ( 利休流 ) 津田宗達 今井宗久 細川幽斎 久田宗栄 ( 久田流 ) 南坊宗啓 藪内紹智 ( 礙内流 ) 円乗坊宗円 千道安 千少ー一千宗日 金森長近 蒲生氏郷 細川三斎 瀬田掃部 芝山監物 高山右近 牧村兵部 古田織部 ( 織部流 ) 織田有楽斎 ( 三斎流 ) ( 有楽流 ) 金森可重 桑山宗仙 隷和 ( 宗和流 ) 片桐石羽ヨ ( 石州流 ) 能阿弥 ( 東山流 ) 空海 注このほか , 川上不白 ( 江戸千家不白流 ) , 松浦鎮信 ( 鎮信流 ) , 怡渓宗悦 ( 怡渓流 ) , 松平不昧 ( 不昧流 ) などがある 千ォく守 ( 武者小路流 ) 千 : 左 ( 千家表流 ) - 千 : 室」千家裏流 ) 山田宗偏 ( 宗偏流 ) 杉木普斎 藤村甯軒 ( 庸軒流 ) 松尾宗二 ( 松尾流 ) 小堀遠州 ( 遠州流 ) 清水道竿 ( 石州流清水派 ) とを加えた淋汗茶の湯などの茶寄 合いが盛んになった。室町時代には これと並んで , 上層の武家階級のな かには , 中国との貿易の展開につれ て唐物の器物を尊重し , 殿中の規 式や御飾を重んする茶数寄 : の会合 も行なわれた。 こうした会合は , 器 物の鑑定にあたる能 , 芸 , 相の / = 阿弥の活躍する舞台でもあった こうした流れとは別に , 鎌倉時代の 末ごろから律宗の僧である叡尊 , 忍 性らによる施茶も薬用の意味で行な われていた。西大寺の大茶盛はその 遺風である。このようにして抹茶の 飲用は盛んとなり , 江戸時代初期に 中国から伝えられた / 煎茶のふう とともに , 今日一般に行なわれて いる 〔茶式の形成〕床や書院に多くの舶 載品 ( 海外渡来の品 ) を並べて行なう 闘茶のふうが , 室町時代の能阿弥ら に飾り方の方式を決めさせ , 茶器の 翫賞にひいでた足利。義政らによ って台子、 ( 茶の湯で用いる 4 本柱 のたな ) を主にした点茶法も一応定 式化し , 東山流あるいは書院風とよ ばれるものとなった。一方 , 奈良称 名寺の僧村田珠光 ( 1422 ~ 1502 ) は , 京都に出て大徳寺の一休宗純に参神 し , 義政にも仕えて「殿中茶湯」を きわめ , これを庶民的な「下々の茶 湯」のなかに吸収した。彼ははしめ て 4 畳半の狭い室の中に台子をすえ , 床には墨跡をかけ , 仏に対すると同 しく慎んだ心で点茶し , 形より心の 茶を説くにいたった。道具について も , 彼は唐物だけを尊重する茶数寄 の方向を排し , 信楽 , 備前など国 かえって日本的 産の陶器のなかに っ な美を見いだしたようである。 して彼はわびの茶の源流となった 〔茶道の成立〕堺から出た / 武野紹 鵰うは珠光の流れをくんで , これ をさらにおし進めた。その門に出た / 千利休は , 書院風の茶を北向道陳 に学び , 信長および秀吉に仕え , 故 事に基づいて方式を改定し , のちに 茶道とよばれるものの多くを大成し た。道具においても内外のなんの奇 もない日常の器物 , 雑器までもとり 上げて生かし , 茶室も最小限度 2 畳 にまで切りつめてわびの美を積極的 に創造し , そこに一種独立の芸術を っくりあげた。この茶法は , 彼のふ たりの子 , 道安と少庵および利休七 哲とよばれる蒲生氏郷 , 細川三斎 , 瀬田掃部 , 芝山監物 , 高山右近 , 牧 村兵部 , 古田織部らに受け継がれて , かすかすの流儀のもとをなした。江 戸時代にはいっては将軍家を教えた 大名流の茶が盛行して正統とされ , 織部流 , 遠州流 , 石州流とそれを継 ぎ , またそこに身分 , 格式などに応 した茶法を規定した。流祖である古 田織部 , 小堀遠州 , 片桐石州らの指 導者は , 調度 , 窯業 , 作庭 , 建築な どにすぐれた成果をあげた。少庵の 子の宗旦は , いわは、封建社会に適応 したものといえる大名流に対して , 在野ないし町人の茶を説き , 権勢に っかす , わびに徹して , こしき宗旦 とよばれた。彼に至って千家の再興 が許されたが , 時の識者との交流が 広く , 智忠親王 , 近衛信尋 , 島丸光 広 , 狩野探幽 , 松花堂昭乗らの人々 に及んだ。示旧 . の 3 人の子 , 千小守 ( 武者小路千家 ) , 千宗左 ( 表千家 ) , 千宗室 ( 裏千家 ) はそれぞれ大名に仕 え , のちに三千家とよは、れる茶道の 流儀の基となって今日に至っている。 また実力を得た町人の間からも , 本 阿弥光悦 , 山中道億らは独特の茶を 開き , 名器を伝えた。片桐石りに学ん だ松平不昧 ( 1751 ~ 1818 ) が出て流儀 にとらわれない茶を説き , 仏道と茶 道をともに学べきことを主張した 幕末に近く , 井伊直弼はく茶湯一会 集 > く閑夜茶話 > を著わして茶道の精 明治 , 大正から 神を説き実践した 昭和にかけて茶道は一般にふるわす , わすかにく大正名器鑑 > を著わした 高橋義雄 ( 箒庵 ) が , 道具鑑賞面での 茶会を唱導したこともあって富豪の 間に流行し , 朝吹英一 ( 柴庵 ) , 馬越 恭平 ( 化生 ) , 益田孝 ( 鈍翁 ) らの実業 家茶人が出現した。また , 岡倉天心 は有名なく茶の本 > ( 1906 ) を書いて茶 道を世界に紹介した。現在 , 茶道に は 3 ( ) をこえる流儀があり , 学校や職 場でも行なわれて盛況をみせている。 茶道の実際 ときに広間へ移ることも , 代理が点 所望があれば , 薄茶をたてる。この 後炭という。後炭がすんで , 客の をつぎそえる。これを初炭に対して す。道具拝見が終われば , 亭主は炭 はしめ , 客はたてられた茶を飲み回 につく。亭主はそこで濃茶の点前を 道具畳の飾りつけなどを拝見して席 にはいった客は , 床の花と花入れ , けあるいは鳴り物の音を合図に茶室 器などを飾る。やがて亭主の迎いっ に , 床には花をいけ , 水指 , 濃茶 以上を前席という。亭主は中立の間 立 ( 露地に降り腰掛けで休憩 ) する。 と , 床の掛物や炉中の拝見をして中 出され , 客一同は菓子を食べ終わる がすんで膳をひくと , 続いて菓子が 石膳を持ち出す ( / 懐石料理 ) 。懐石 がすむと , 亭主はあいさつをして懐 には , 炭点前が終わって香合の拝見 すぐ懐石膳支を持ち出す。炉の場合 前をせす , 風炉 , 釜をふき清めて , 風炉気 5 ~ 1 ( ) 月 ) の場合には , 炭点 して炭点前 ( 初炭 ) をはしめる。 ~ 4 月 ) の場合には炭斗 : を持ち出 つをかわす。それから亭主は , 炉 ( 11 て中へはいる。そこで主客のあいさ ら「おはいりを」のあいさつを受け 茶道口を開いて一礼すれば , 正客か のち , 一同定めの座につく。亭主は かかっている。客はそれらを拝見の る。床にはふつう軸が飾られ , 釜が と口をすすぎ , 躙ロりより入席す いう。客は露地にはいり , 蹲踞で手 して茶室に帰る。これを迎えつけと から腰掛けのはうへ進み , 客に黙礼 亭主は蹲踞の水をあらため , 中門 より , ます露地の中の腰掛けに通る。 いう ) に集まって , 主人側の案内に められた寄付 ( 袴付ド , 待合とも 1 ) 茶事の順序招待を受けた客は定 事の基本として茶事七式という。 てそれぞれの形式があり , これを茶 時など , 客を招く時刻や場合によっ う ) , 跡見 ( 本席のすんだあと ) , 臨 ごろ ) , 飯後 ( ふつう食後のことをい 夜咄 ( 午後 9 時 ) , 朝茶 ( 午前 7 時 事を正式とし , ほかに暁 ( 午前 3 時 ) , らが供応するものである。正午の茶 料理 , 濃茶および薄茶を主人みすか いい , 茶室に少数の客を招き , 懐石 ている。茶事は茶の湯 , 懐石、とも 茶だけを供するものが多く行なわれ 所に席を設け , ーこで薄茶または濃 って , 多数の客を 1 日に招き , 数カ るものには , ふつう大寄せ茶会とい 合もある。また現在茶会と称せられ とし , 略してこの一部分を行なう場 茶道の実際としては , 茶事を本儀