伊那あるいは宮 / 越からの登山路の途中にある地もご小学生ー 行の道難碑付近から南望して , 駒ガ岳本峰付近の山々を見る 8 月中旬 ) 。左から前岳 , 宝剣岳、中岳、右の最高所が駒ガ岳頂上 中央アルプス である。この山脈は幅が十数 k しかな 0 、のに , 山ろくからの比 高は 20000 以上もあるので , 山腹のこう配は相当急だが、稜線付 近ではおだやかなのが特色た。下左宝剣岳北西面。唯一のめ だた岩峰である。下右中岳の木曾側のまき道から木曾御岳 をのそ・む。山脈が一重のため主稜から両側の展望はすはらし 0 、 日本アルプス 4
人口の増加に伴い , 東京都心部の 過密イヒははげしくなるいっぽうで あり , そのため区画整理や道路整 備が絶えす行なわれている。上 港区赤坂見附付近。左手が日枝神 社の丘 , 左上方にのびる道路が青 山通り , 中央は高速 4 号線 , 右は 弁慶橋 , 右遠方には国立競技場が みえる。下千代田区永田町と霞 ガ関付近。国会議事堂を中心に中 央官庁街の建設が進んでいる。中 央に議事堂 , 議員会館 , 首相官邸 , ヒノレトンホテノレ , ホテノレニュージ ャパン , T B S . 議事堂前の緑地 内に国立国会図書館 , 尾崎記念館 がみえる。左手の渋谷へ至る道路 の地下を高速 3 号線が走っている 写真 細井三平 薗部澄 水産航空 KK 国内事業航空 KK
トンポ ナツアカネ シオカラトンポ サナ工トンポ オニャンマ 5 4 4 カワトンポ アジアイトトンポ 2 ) カッどん豚肉のカツレツをひと ロ切りにして親子どんぶりと同じよ うにしてつくる。 3 ) 天どんてんぶ らをどんぶり飯にのせ , 熱いだし ( てんっゆ ) をふりかける。 4 ) ウナギ どんぶり ( うなどん ) ウナキ、のかば 焼きをどんふ、り飯にのせ , タレを少 しかけ , 粉サンショウをちらす。 5 ) 鉄火どんりすし飯をどんぶり飯 にし , それにマグロのさしみをのせ , ワサビしよう油をかけ , もみノリを ちらす。ちらしすし風のちらしどん ぶり , タイなどのそは、ろを用いたそ ばろどんふ、りは同種のもの。 6 ) 牛ど ん牛肉をすき焼風に煮て , どん り飯にかける。 〔柳原〕 トンポ ( 補 ) ヒマラヤ ムカシトンボの成虫の 雄および雌も , 1963 年 に日本のヒマラヤ調査 隊が採集し , 同年朝比 奈正二郎によって学会 に報告された。 とんば〔蜻蛉〕トンポ目に属す るこん虫の総称。不完全変態。卵は 水中 , 水辺の土砂 , コケ , または水 中や水上の植物の組織内に産みつけ られるが , なかにはミヤマカワトン ボのように完全に水中に潜入して , 水中の枯れ枝や石などに産卵する種 類もある。 〔ヤゴ〕若虫 ( 幼虫 ) は一般にヤゴと 称され , 大部分は完全な水生生活を するが , ャンマ類のある種は湿地の 泥土などに穴を掘ってその中にすむ。 若虫は体皮や尾端のえら , あるいは 直腸内面が変化した直腸鰓によって 水中の酸素を呼吸する。完全な食肉 性で , 捕獲器としてとくに発達した 下くちびるを自由に伸縮して , 他の 水生こん虫または水中の小動物を捕 食する。生息場所は種類によって異 なり , 池沼の水草中や , 底の泥の上 , あるいは流水の砂レキの上 , 渓流の 小石の下など , 各種各様である。し かし一般に強い流れに生息する種類 は少ない。 〔トンボの特徴〕成虫になるまでに 1() 回以上脱皮し , 短くて数カ月 , 長 いものでは 7 ~ 8 年もかかって成熟 するが , 1 ~ 3 年の種類がもっとも 多い。成虫が羽化するさいには , え らによる呼吸が空気呼吸に切り替え られ , 水を出て水辺の植物 , 岩石な どに止まって脱皮する。成虫の多く は強大なはねをもち , 強い飛行力が あり , 風にのって発生地からたいへ ん離れた地方にまで移動する種類さ えある。他のこん虫を捕食するため に発達したロ器 , 大きな複眼 , 細い 頸部 , よく発達した筋肉のある胸部 , 歩くことのできない止まるための肢 , 1 () 節からなる細長い腹部などによっ て他のこん虫から区別される。 〔分類と種類〕全世界に約 5000 種を 産するが , 熱帯地方に種類が多い。 日本には約 150 種を産し , 10 科 ( 学者 によっては 11 科 ) に分けられる。科 , 属 , 亜目などの分類には , し ( 翅 ) 脈 が重要な役を演し , とくにはねの基 部近くにある三角室 ( 均し亜目 ) また は四角室 ( 不均し亜目 ) の形はもっと も重視される。雄の腹端には叉状 の付属器が発達し , 交尾のさいに れで雌の頭部または頸部をはさむ。 この付属器の形は種類によって異な るので , 種類の判定には重要である。 現在のトンポ目は , 四角室を有し , 前後のはねの形がほとんど同しで , 複眼が側方に著しく突出し , その間 がはっきり隔てられている均し亜目 , 三角室を有し , 前後のはねの形が異 なり , 複眼が著しく大きく , 互いに 相接近している不均し亜目 , および 両者の中間に位し , はねは均し亜目 に似るが , 複眼や頭は不均し亜目に 似ているムカシトンポ亜目の 3 亜目 に分類される。 均し亜目はイトトンポ科 , カワト ンポ科などを含み , 一般に弱々しい 感じの種類が多い。ムカシトンポ亜 目は古生代および中生代に栄えた群 で , 欧米で化石として発見される種 類が多いが , 現存する種類としては 日本に産する / ムカシトンボと , ヒ マラヤ山地から若虫だけが発見され たヒマラヤムカシトンボの 2 種カゞあ るだけである。したがって「生きて いる化石」の一例であって , きわめ て貴重な存在である。日本のムカシ トンポは山地にあまりまれではない カ { , ヒマラヤムカシトンボのほうは 1918 年ダージリンに近い一渓流で 1 匹の若虫が採集されて以後 , 40 年間 も採集されなかったが , 58 年に日本 のトンポ研究家 , 朝比奈正二郎に って , 7 匹の幼虫がやはりダージリ ン付近で発見された。不均し亜目ー ャンマ科 , サナェトンポ科 , オニ 〔渡辺修〕 り養魚も盛んである。 る。淡水漁場として豊富な漁獲があ ノヾンなどの都市へ達することができ ポン・トム , シエムリアプ , ノヾタン 増水期には重要な航路となり , コン 流し , 浅い湿地と狭い水路になる。 12 ~ 5 月の干水期にはメコン川に逆 を受け入れて周囲の森林地域を浸し , ~ 11 月の増水期にはメコン川の越流 約 2 m , 雨季で 12 ~ 14 m である。 6 増水時で約 IO()00km2 , 水深は乾季で る。湖面面積は干水時で約 30()()km2 , 流の天然の貯水池の役を果たしてい よりプノンべン付近でつながる ) 下 大きく , メコン川 ( トンレサップ川に プは大きな湖の意。高低水位の差が カンポジア中部の湖で , トンレサッ トンレサップ〔湖〕 Tonle Sap いう。 / ( 別刷 ) こん虫〔黒沢〕 といい , つかまえると盆がこないと う。岡山ではアカトンポを盆トンポ アカトンポがこの世に生まれるとい とよび , 地獄のかまのふたが開いて 郡では 7 月 1 日を「トンポついたち」 であるという俗信がある。京都府中 壷 3 トンボとよび , 祖先の霊の転生 ンマ , チョウトンポなどを各地で精 暦 7 月の盆のころにあらわれるキャ は詩歌文章に書かれてきた。また陰 で , 子どものがん具とされ , あるい も人に親しまれてきたこん虫の一つ 面もある。古来セミとともにもっと 虫が幼魚を食べることなど , 有害な 辺の有用植物を傷つけることや , 若 う。産卵にさいしてワサビなどの水 マなどはもっとも有益な種類であろ 合か、多いカトリャンマやミルンヤン し , 夕刻に活動しカ類を捕食する場 体的に示すことはむすかしい。しか 益虫とされているが , その程度を具 食するので , 害虫を食べる率が高く , 肉食で , 飛行中に他の小こん虫を捕 〔トンボと人生〕トンポ類の成虫は り隔たった一群と考えられる。 現存の他の / こん虫の諸目とはかな って , そのころ以後に分化発達した していたものと推定される。したが 3 亜目も中生代のジュラ紀には分化 あまり著しい変化がなく , 現存する のであろう。その後現在に至るまで られ , これより分化発達してきたも れない古網し目に類縁が深いと考え 当時繁栄し , 現在では絶滅してみら 紀にまでさかのは、ることか、できる。 で , その発生は古く , 古生代の石炭 虫類の中ではもっとも原始的な一群 〔系統〕トンポ目ははねをもっこん 全部この中に含まれる ( / ャンマ ) 。 シオカラトンポ , アカトンポなどは まれているオニャンマ , キ、ンヤンマ る真のトンポ類で , われわれに親し ンマ科 , トンポ科などを含む , いわ
シアマネ ニジェル川 ( 補 ) マリ 共和国内サンサンディ ン付近 ( バマコの北東 方 250km ) にかんカぐい用 のダムを建設中である。 堤長 2600m 。 西周 親欧政策をとっている。 の国民議会で , 穏健な 脱退。立法府は一院制 月フランス同体から 統領に選出。 1961 年 2 独立後 H. ディオリを大 ニジェル共和国 ( 補 ) ョウのことを「あうなし」というよ 「にし」は元来「長いもの」の 意であった。また俗信のうえでは , にしは天の大蛇や竜であり , 雨や 水を飲むものと考えられていた。昔 は変事があれば , にしが立ち , 不吉 のときには , にしが日を貫くと信し られていた。また , にしの出現する ところに市を設けて品物を売買する 風習があった。宮中では陰陽師じ に占わせたり , あるいは奉幣 , 読経 などを行なうこともあったという。 にしが西に立てば翌日は雨 , 東に立 てば風だという天気占いは今でも庶 民の間に残っている。 欧州では , にしは神の橋とする伝 説が行なわれている。ギリシア神話 では女神イリスが地上の人間へ天上 の神からの知らせを伝えに降りてく る橋であり , 北欧神話では神が地上 から天上のすまいに戻る橋であると 信しられている。にしに予兆をみる ことも世界でひろく行なわれている が , とくに凶兆とされることが多い。 古代キ、リシアでは戦争や大水の予兆 とされ , 中国では白虹は革命や戦乱 の前ぶれであるとして恐れられた 〔宮良・小池〕 にしあまね西周 1829 ~ 97. 啓 蒙主義者 , 哲学者。津和野藩医の子 に生まれ , 幕臣となり , 1862 年オラ ンダに留学して , 法学 , 哲学を研究 明治維新後 , 学者として活発 な活動を行ない , く百一新論〉をはし め種々の著訳書を残し , 「哲学」その 他の学術語を定めるなど , 近代学問 の開拓者であった 明六社社員とし ての啓蒙活動も大きかった。他方 , 官僚として , 軍人勅諭の起草に参画 した。晩年は学士会院院長 , 貴族院 6 0 8 は北西岸に多い。原住民はパプア人 で , 隔絶した地域に部落を作ってい る。 17 世紀初めに最初のヨーロッ / ヾ 人が来航し , オランダ東インド会社 の経営をへてオランダ領植民地とな 1945 年インドネシアが独立し った て以来 , オランダとの間に帰属をめ ぐって紛争が続き , 60 年には国交断 絶に至ったが , 62 年国連の調停によ り施政権引渡協定が成立し , 63 年 5 月インドネシアの行政管轄下にはい った。 かっては米 , 英 , オランタ、、の 資本による石油採堀が行なわれてい たが , インドネシア移管後生産は低 下している。その他コプラ , 木材な どがある。 〔梶原〕 にしインドしよとう西インド諸 島 W e s t I n d ies 北米のフロリタ、、 半島と南米のベネズエラ北部沿岸と の間に弧状に延びる島群で , 大西洋 とその付属海のメキシコ湾および , カリブ海を分け , 南北アメリカ大陸 を結ぶ海上ルート , パナマ運河には いる海上ルートを握る重要な位置を 占めている。西インド諸島は / バハ ーマ / 大アンチル / / トアンチルの 3 諸島に分けられ , 地質学的にはアン デス山脈の支脈の延長といわれる。 各諸島には火山活動 , ハリケーンが 共通してみられ , 気候は北東貿易風 の影響下にあり , 位置や標高により 熱帯性 , 亜熱帯性とさまざまである。 しかし冬季は一般に温和な気候のた め , 絶好の保養地域となっている。 土壌がひしように豊かで , サトウキ ビ , 熱帯果実の世界有数の生産地域 である。現在キュ イチ , ド ノ、ノ、 ニカ , ジャマイカ , トリニダード・ トパゴの 5 独立国を除き , 全部が 英 , 仏 , 米 , オランダ , ベネズエラ の領土である。西インド諸島は 1492 年コロンプスが発見したが , 彼が最 初に上陸したバハーマ諸島のサンサ ルバドル島を , インドの一部とまち がえたため , この地域が西インド諸 島とよばれるようになった。コロン プス以来とくにキュー ヾ島とヒス / ヾ ニオラ島はスペインの中米支配の過 程で有力な根拠地の役目を果たした アラワク族 , カリプ族の両原住イン ディアンは疫病 , 虐待 , 戦争などで バープー ( 英 ) ド ージン諸島 アンチグアま英 ) 4 はとんど絶滅し , かわって収隷と て移入されたアフリカ黒人が圧倒白 な数を占めるにいたっている。経可 的には米国に大きく動かされていノ 〔町野〕 ニジェリア / ナイジェリア ニシェアレ〔川〕 N i ger アフリオ 西部の川。全長 420 ( ) km , 流域面積 2 ( ) 万 2 。古くはアラブ人に「黒人 ナイル」といわれ , 19 世紀初期に ンゴ・ / ヾークやリチャード・ラン ーが , 下航するまでニジェル川はナ イル川上流とまちがえられ , 油の川 とよばれた河口のデルタは , 別の川 と考えられていた。ギニア共和国の 山地に発し , 北東流して , コートジ ボアール奥地から発するノヾウレ川と ノヾゴェ川を合わせ , マリ共和国のチ ンプクッ付近で東に転じる。さらに 南流してニジェル共和国西辺を流れ てナイジェリアに入り , べヌエ川を 合わせ , 巨大なデルタを形成しなが らギニア湾に注ぐ。マリ共和国内に ニジェル川のつくる複雑な分流 は , の網の目と , 多くの湖沼があるが 1921 年以来フランスによる流域の農 業開発が続けられており , ナイジェ リアでもこの川の開発計画が進んで いる。ギニアのクルサ付近からニジ ェルのニアメーまでは , 内陸水路と して航行可能であるが , ニアメーと ナイジェリア国境間 , ナイジェリア 国内ではイエルワとジェッパ間が急 〔西野〕 流のため航行できない。 ニジェル〔共和国〕 N ige r 正称 は RépubIique du Nigero アフリカ 西部サハラ砂漠の中央南部にある共 和国。面積 1267()()Okm2 , 人口 3117000 ( 1963 ) 。首都はニアメー ジェノレ 議員などとなった 〔鹿野〕 にしイリアン西イリアン West ーギニア島西半と付属 lr ia n / ニュ の島々からなる。インドネシアの 1 州で主都はスカルナプラ ( 旧ホラン ジア ) 。総面積 412781m2 , 人口約 75 万 ( 1963 ) 。スカノレノ山筆 ( 5029 m , 旧名カ ルステンストッペン ) などの高峰の そびえるナッサウ山脈が中央部を東 西に横切り , その東南部には広大な 湿地のある未開発地帯があり , 集落 フ ロ パ・、一マ島・ ) アバコ島レ 工リューセラ島 西インド諸島 9 島 / 1 / 、ナ 0 ロス島 。、 0 サンサル。 . タークス・カイコス キヤノト島 ・・パドル島 0 ロンク・島 イナグア島 クを′つ ・′プエルトリコ島 ( 米 ) サンファン ウ ハイチ・ サントドミンゴ ポルトープランス グアドループ島 ( 仏「ツ ドミニ島て英 ) - / マルラク島 ( 仏 ) ーバドス島 ( 英 ) ・墨 ・ノ 0 \ セントルンア島 ( 英 ) 島 , 1 黛 . セントゼンセント島 ・グレナダ島 ( 英 ) 0 弌・ . ェーーノヾ 大ァン . / チル . 諸島 カリブ海 パゴ、 ) バランキャ島 マルカ・ⅱタ島 /. ホート・オプ・ スペイン ビノス島 キングスト、 ジャマイカ ( 米 ) - ーアメリカ頁 イギリス領 ペ ) ーーベネズエラ領 ( オ ) ーオランダ領 フランス令 ( 英 ) キルい ポネール島 ( オ ) ベネズエラ アルバ島は ) クラサオ島は ) 川の中流部が国内の南西部を流れる。 北はアルジェリアとリビヤ , 南はナ イジェリアとダホメ , 東はチャド , 西 はマリとオートボルタに囲まれ , 南 東端のチャド湖付近とニジェル川の 流域以外は , 砂漠もしくはサバンナ 性の地帯である。イスラム教徒の住 ハウサ部族が農耕を営む 民が多く ほかは牧畜が行なわれ , 遊牧民も多 い。農産物としてはラッカセイ , 綿 花 , 麦類 , マニオクなどがある。 19 世紀に欧州人に発見され , 18 90 年フ ランス探検隊が調査して , 1906 年ま での間にフランス領となった。その 後フランス領西アフリカを構成する 共同体内の自治共和国 , 60 年 8 月に 一植民地となり , 58 年 12 月フランス 河の養蚕地帯として知られ , 農畜産 の平坂はその外港として栄えた。 氏 6 万石の旧城下町で , 矢作川河冂 はかっての製塩地帯に発達した松平 村を編入。人口 7 ( ) 432 ( 1965 ) 。市街地 年幡豆半郡平坂 , 寺津 2 町はか 2 矢作 & ・川下流の市。 1953 年市制 , 翌 にしお西尾〔市〕愛知県南部 , 独立国となった。 〔西野〕
撮影・薗部一 左平城宮大極殿跡の碑は , 佐保路のつきあたり , 法華寺の西の 野原に立っている。 7 代 70 余年の繁栄も , たた草むらにしのばれ るだけである。上高円 ( たかまご ) 山の白毫 ( びやく こう ) 寺。さ びれてはいるものの , 奈良めぐりに見のがし得ない寺である。下 奈良盆地には , 大和揀ーむね ) ごよばれる民家が多い、 1 急こう配の 草ぶき大棟の両端をかわらでふきおろし , 妻を白壁で塗りこめた もので , これに緩こう配の落揀がついている一これは斑鳩の里付近
ニホンリヨ 6 6 6 にみそ汁てある。 1 の / 飯白飯が はなべ物用にも利用される。 3 ) 焼物 でもあった。おもな種類をあげると おもであるが , まぜ飯のこともある。 次のようである。 1 ) 汁および汁けの 揚げ物 , さしみなど形の美しいもの 11 ) 香の物各種のつけ物類。 12 ) く ものは , わんに入れる。さめぬよう を盛るには , さらが用いられる。お ふた付きで , 漆器がふつうである。 もに陶器で丸 , 角 , 花 , 扇などその だもの。以上であるが , これら全部 ことに吸い物わんは蒔謇絵を施した 形は変化に富む。低くて , ふちがな を出す必要はなく , 品数を選ぶのは り , 外側と内側の色を異にするなど いため料理は全形がみえ , またいく 自由である。また家庭的なもてなし 美しいものが多く , みそ汁用のわん つもの異なる料理を盛り合わせるこ の場合は , てんぶら , すし , なべ物 は単純なもので汁わんとよばれる。 など 1 品に重点を置いたこんだてを ともできるので , 小付けやロ代りな 小吸い物には小形のものが使われ , 組む場合もある。こんだてを組むと どを盛り合わせるのに利用される。 陶器製もある。 2 ) 飯を入れるものと きは , 客の好み , 宴会の目的 , 季節 焼物ざらはキスやアユなどには細長 しては茶わんが代表的である。本来 いもの , 切身には幅の広いものを用 感 , 料理の材料および味付けなどを は茶わんは茶を飲むためのものであ 考慮することがたいせつである。 い , 調味料入れの小ざらが付属して り , 飯は木のわんに盛られた。江戸 〔食器〕西洋料理や中国料理にみら いる。 4 ) 煮物 , 酢の物 , あえ物など 時代になってから陶器の飯茶わんが 比較的形のくすれている料理は , 深 れるように , 大ざらや大はちに盛り 使われるようになった。はしめは丸 めの器であるはちに盛る。酢の物や 合わせて取り分けるという形式はひ 形の深めのものであったが , 今では あえ物は比較的小形の深い器を使い , しように少なく , ほとんどカゞ個人用 上の開いたアサガオ形が , 代表的な 向付うとされることが多いので , 器 の食器である。これは他人の料理に 包丁の説明。 1 さしみ 形である。大きさは各種で , ふた付 も向付とよばれたりする。さしみば はしを入れることは不作法だとされ 包丁 ( 小形 ) 。 2 さしみ きとふたなしがある。茶づけ茶わん ちはいくぶん大きく調味料入れが付 てきたからで , 食器の数はひしよう 包丁 ( さく取り ) 。 3 さ は大形でふた付きである。なお , ぞう に多くそろえねばならない。そのた 属する。煮物ばちゃ蒸物ばちは , 大 しみ包丁 ( 柳刃 ) 。 4 う す刃包丁。 5 出刃包丁。 すいや , かゆを供するには , 調理器 め , 本家は分家に食器を借すなどと きくて低い形が多く , さめぬようふ 6 さき包丁 ( ウナギや いう風習もあり , 食器は財産の一つ 具でもある土なべが用いられ , これ たが付けられることもある。ふた付 ドジョウ用 ) 。 7 小出 刃 ( アジ切り ) 日本料理の調理用具 流し箱 ふりざる 目ざる 卵焼なべ 引き 骨抜き 目打金 抜き板 菜はし ( 盛りばし ) 真魚 ( まな ) ばし 金ぐし 作り板 すし押わく 幕の内 押わく ( 馬尾ぶるい ) 片手付銅なべ 水ぶるい ( 馬尾ふ名い ) 親子なべ 水ぶるい ( 絹張り ) 鉄べら - 鉄べら 仕分ざる
奈良めぐり キロの高取山に登れば , 南北朝時代は越智氏 , 日本最古の仏寺向原 ( むくはら ) 寺の跡 , 豊浦寺 ス糸で織ったという伝説がある。境内は , 北西 江戸時代からは本多氏や植村氏の居城として彗 跡 , 神酒を造る道具だとされる石造物遺品酒船 の石光寺とともにボタンの名所として知られて 野一帯を制していた高取城があリ , 遠く為城 ( カ 石 , かって法興寺の本尊で , 鞍作上利作と伝え いる。 つらぎ ) , 金剛の山々も見晴らすことができる。 〔飛鳥〕奈良盆地南部を国鉄桜井線がとおり , る史六仏 ( 飛鳥大仏 ) を本尊とする安居 ( あんご ) サクラの名所吉野山は , 中心の金峰山 ( きんふ これと盆地中央を南北に走る近鉄橿原線が交わ 院 ( 飛鳥寺 ) , 推古天皇の豊浦宮跡 , 盟神探湯 ( く せん ) 寺をはしめとしていくっかの寺社や南 るところに橿原市街が発達しており , 大和三山 かだち ) の行なわれたという甘橿坐 ( あまがしに の史跡に富み , 春全山をいろどるサクラの樹本 を見晴らす飛鳥路への出発点になっている。飛 ます ) 神社 , 五穀豊饒 ( しよう ) の祈とうや古代 におおわれており , 吉野熊野国立公園の北端を 鳥地ちは橿原市域に含まれており , 推古天皇以 神話の人物に変装した村人の踊りでにぎわう御 占めている。 後 1 ( ) ( ) 年の間 , 大和文化圏の中心として , 豪族の 田祭を行なう飛鳥坐 ( あすかにます ) 神社 , 北寄 〔長谷 ( はせ ) 寺 , 室生 ( むろう ) 寺など〕桜井市 屋敷 , 仏寺がち並んでいた地である。橿原市 りに天武天皇の浄 ( きよ ) 御原宮跡 , 鎌倉時代の をへて名古屋までのびる近鉄大阪線の各駅から 街の西に畝傍 ( うねび ) 山があり , ふもとに橿原 石造三重塔が立つ奧山久米寺跡 , のちに大安寺 は , 奈良時代の石造三尊像のある石位寺 , 694 神宮や森林公苑がある。南には久米仙人伝説で となった大官大寺跡などが集まる。東寄りに 年中臣朝臣大鳥が創建した粟原 ( おうばら ) 寺の 有名な久米寺 , 巨大な石造物の益田岩谷 , さらに ある山田寺は , 大化改新で功のあった蘇我石川 跡や , 長谷寺 , 鎌會末期の舂日造りの本殿をも 南の岡寺駅付近には , この地方最大の丸山古墳 麻呂が草創した寺で , 現在興福寺に所蔵されて つ宇太水分 ( みくまリ ) 神社 , 宇陀川に面して大 や , 菖蒲池 , 牽牛子 ( けんごし ) 塚 , 岩屋山古墳 , 軽 いる金銅丈六仏の頭部は , かってこの寺の本尊 磨岸 ( まがい ) 仏が立つ大野寺 , 室生寺などへの 境原宮 ( かるのさかいばらのみや ) 跡 , 万葉にう であったものとされている。飛鳥川に沿って下 道が通じている。西国第 8 番札所長谷寺は , 諸 たわれたものという剣池などが点々としている。 ると , 薬師寺の前身本薬師寺跡があって , 木 国に 30()0 余の末寺をもつ大与で , いずれも近世 岡寺駅から東へ畑の中の道をいけば , 右手に ちの中に伽藍の礎石が残っている。山田寺から の建物であるか , 本堂 , 大講堂など多くの伽藍 備姫王 ( きびつひめみこ ) のものという墓があり , 天 / 香久山を西に見て北上し , 接井市に出る途 が初瀬 ( はっせ ) 川沿いに立ち並ひ : 付近の山々は 中には文殊院がある。日本三支殊の一つとさ その陵域内にある 4 体の石像は , 人ともサルと もつかぬ表情に無気味な笑いをたたえている。 れ , 快慶作の文殊菩薩が巨大な獅子 ( しし ) にま サクラと紅葉にうすまり , またボタンの名所で また付近には益田岩船と同様の石造物鬼の爼 たがっている。文殊院の東隣に文殊院西古墳が もある。室生寺周辺は向淵 ( むこうじ ) などのス ( まないた ) , 鬼の厠 ( せっちん ) がある。これら ある。桜井市街南部の聖林寺は , 天平期未の技 ズラン群落 , 鳥見 ( とみ ) 平のツッジ , ハキ・の 巧のすぐれた乾漆造の十一面観音像を蔵して 飛鳥地ちに散在する石造遺物は , 古墳の玄室が 探勝ができ , 奈良県のなかでも風光のすぐれた いる。さらに南下し飛鳥の中心部から石舞台を 地上に露出したものとみられるが , 原始宗教の 別天地であるが , とくに室生寺は攵 / 、高野の名 へて東にのびる道と合したところは多武峰 ( と で親しまれ , シャク十ゲや廿クラ . 老杉の茂る 札拝対象であったとする説もある。さらに東の うのみね ) とよぶ山地で , 談山神社の朱塗りの なかに , 檜虔 ( ひわだ ) ぶき , 未リノ ) 五重塔 , 畑に , 亀 ( かめ ) 石というカメの甲のような巨岩 , 社殿がち並んでいる。なかでも木造十三重塔 平安時代前期の金堂と江戸時代につけ足した礼 聖徳太子生誕地といわれる跡に太子みすから創 堂が美しく結合した金堂 , 本堂 ( 灌頂堂 ) , 弥勒 は 1352 年に再興された美しい建物である。 : また 建した橘寺 , 大理石の礎石や塔跡の残る川原寺 堂などが立っている。また , 本尊の木造釈迦如 神社の境内一帯はサクラやカエデが茂り , 春 , ( 弘福寺 ) 跡があり , 部落を出て坂道を登りつめ 来像 , 同事像 , 木造十一面観ドい像など創建 秋の行楽客が多い たところに , 西国第 7 番札所 , 663 年義淵僧正開 〔壺坂 ( つは、さか ) 寺付近から吉野へ〕近鉄吉野 基と伝える岡寺がある。本尊の天平期の巨大な 当時の諸仏を多く残す。平安時代貞観期の美術 線の壺坂山駅から南へ行く道は , 浄瑠璃く壺坂 の宝庫である。 塑像如意輪観音 , 木彫義淵僧正座像 , 天人坪 ( せ 〔山の辺 ( べ ) の道〕桜月 : から奈良までの国釞桜 霊験記 > で知られた西国第 6 番札所壺坂寺 ( 南 ん ) などの寺宝がある。岡寺付近の石舞台とよ 井線に沿って北上する道は , 「山の辺の道」の名 法華寺 ) に通しる。 703 年弁基上人開基といわれチ ばれる古墳は , 蘇我馬子の墓といわれ , 盛土が があって , 右手には三輪 ( みわ ) 明神の神体とし 杉木ちのうっそうとした参道の奥に , 木造千 落ちたために , 巨石を積み上げた玄室の上部が て信仰を集めてきた三輪山 , その東に巻向山が 手観音 ( 壺坂観音 ) を本尊とする八角形の本堂 , 露出したものと考えられている。岡寺から北へ 古松におおわれてそびえている。山ろくの大神 この道が小集落に出 室町時代の三重塔 , 札堂などの堂が建っている。 の道は飛鳥川の東を走り , ( おおみわ ) 神社は三輪明神 , 大和一宮としてあ 寺宝の鳳凰 ( ほうおう ) 墫はもと岡本宮の腰がわ る付近一帯は日本において仏教が基礎を築いた がめられているが , 三輪山が神体であるため拝 地で , 雷丘 ( いかすちのおか ) や小高い甘橿丘 ( あ らだったという優作で , また裏の香高山には五 殿はあるが本殿がない。長柄駅イ寸近にはチャン 百羅漢をかたどった石仏群がある。 こから 2 まかしのおか ) をのぞむ地に蘇我稲目カ { 造った チャン祭という神幸祭で有名な大和 ( おおやま と ) 神社がある。その北に天理教の隆盛から発 左上観衆の見守るなかで , 奈良公園のシカ 展した天理市街があり , 東部の石上 ( いそのか の角切り神事が行なわれる。左下興福寺南 み ) 付近は , 広範囲にわたって縄文 ( しようもん ) 大門跡にしつらえた舞台で演しられる古式豊 時代の遺物が出上し , 二上 , 橿原 , 三輪ととも かな薪能。下お水取り。東大寺二月堂で行 に上代文イ匕の一中心、であったとみられる。石上 なわれ , 奈良の人々に春の訪れを知らせる 神宮は , 物部 ( もののべ ) 氏の氏神であった古い 神社で , 鎌倉時代の拝殿をもつ。天理から奈良 までの間には川世紀の開創という正暦寺 , 帯解 地蔵で知られる帯解寺がある。 〔生駒 ( いこま ) , 信貴 ( しぎ ) 方面〕奈良 , 大阪 間の近鉄奈良線が , 西大寺 , 秋篠寺に近い西大 寺駅を過ぎると , あやめ池遊園地があり , 各種 の娯楽設備や東洋民族博物館 , ハナショウブ , ツッジ , , 、ギなどが植えられた庭園など施設も 整っている。奈良線は生駒山を横切るが , 生駒 山は奈良盆地を一望におさめる大展望台でもあ り , その南方の信貴山には , 平安時代末期の代 表的な絵巻く信貲山縁起絵巻〉を蔵する朝護孫 子 ( ちょうごそんし ) 寺がある。 三重県に近い赤目四十八滝や月が このほ力、 瀬梅林 , 京都府に属する笠置 ( かさぎ ) 山 , 県南 の十津川の渓谷 , 大台カ・原山 , 信仰の山大山を山 など奈良県は景色のすぐれた多くの観光地に恵 〔谷岡・駒村〕 まれている。
- ぐ、い 「棗に「ーイ ( = ~ 一一いト 0 トこ イ′ 3 枚の写真はどれもレンジャー 9 号の撮影した月面写真。左下は衝突の 9 分 1 8 秒前に高度 に 40 km から撮影したもので , 上方はプトレマイオス、左がアルホンススでその中央山頂 月ロケットの送ってきた写真 の高さは日 00 m 。上は衝突 2 分 50 秒前で高度 4 に km 、右半分がアルホンスス、 . その人口床 に尾根やみぞが模様をつくり , 人口壁の近くに 8 つの小大口がみえる。右下は衝突の 1 分 1 7 秒前で月からの高度は 4 km 。アルホンスス人口の東の火口壁付近が拡大されてみえる
5 0 1 なく , 他の種々の魚のことをいうか 反ワグナーの立場をとるに至った ら注意を要する。第一背びれ 14 棘 , 独特の様式を完成したのは 1892 ~ 94 第二背びれ 12 軟条 , しりびれ 12 軟条 , 年の管弦楽曲く牧神の午後への前奏 腹びれ 1 棘 5 軟条で左右結合してい 曲〉で , 代表作は 1902 年初演の唯一 る。胸びれの基部は肉質に富み , のオペラ / くべレアスとメリサン れで泥地を歩行する。南日本にすむ ド〉である。彼め方法は象徴派文芸 全長約 6 cm の魚である。 や印象派絵画などと共通な思潮に基 〔安田〕 とびひ専門語の白色ブドウ球菌 づくもので「印象主義」とよ・ばれてい 性膿痂疹かにあたる。小児に多く る。伝統的な作曲法の根底にあった 通常は夏から初秋にかけてみられる。 機能和声の原理から一歩ふみ出し , トビケラの一種 , シマトビケラ 伝染しやすい。初め豆粒大くらいの 調性や和音の相対的な緊張関係など とびけら毛し目に属するこん虫 水ふ、くれが生し , やがてその内容が にとらわれす , 和音 ( ないしは音響 ) の総称。はわに微細な毛がある。下 うみに変わる。皮が破れてうみが他 それ自体のもつ「ひびき」やニュア 等なが類にもっとも近い。茶色また の部位に付着するとそこに新しい水 ンス , 微妙な音色の変化などを自由 は灰色の種類が多く , 班紋のある種 ぶくれができる。破れたあとは薄い な態度で追求し , 新しい独自の感覚 類は少ない。完全変態。幼虫は水中 かさふ、たになる。なおるまで入浴し 的な音の世界を創造した。「音色」 にすみ , 砂粒または水草 , 枯れ葉な ないこと , できた部位に殺菌性の軟 を音楽の本質的な要素にまで高めた どをつづって円筒状またはヘんべい こうをはりつけ包帯して広がらない 点で , 彼は十二宀亠 日日楽や電子音楽な な巣をつくる。巣は前後に開口し , ようにすることがたいせつである。 どの先駆をもっとめている。作品と 腹部で水流を起こし , 流入する小動 これらの自宅療法だけでは広がるこ して以上のはかにく前奏曲集 > ( 2 巻 ) , 物などを食べる。腹端にあるかぎで とがやます , 医療を要する場合が少 くべルガマスク組曲 > く子どもの領分 > 巣に体を固定させ , 巣とともに水中 なくない 膿痂疹にはまた , 連鎖球 などピアノ曲 , く海〉く夜想曲〉など を移動する。静水からかなり強い流 菌性膿痂疹がある。これは水ぶくれ 管弦楽曲 , くビリチスの歌 > く忘れら 水にまですむ。人生にはあまり関係 を作らす , かさぶたが厚い。伝染カ れた小歌〉など歌曲 , ほかに室内楽 がないが , 発電所の導水トンネルな は弱い などがある。 / 印象主義〔関根〕 どの璧面に営巣し , 水の流量を減少 トビリシ Tb ilis i 旧名チフリス させるンマトビケラは「電力を食う Tifliso ソ連 , グノレジャ共和国の主 虫」として有名。一方 , 幼虫はカワ 都。人口 794000 ( 1964 ) 。ザ・カフカズ ゲラなどの幼虫とともに / 川虫と称 ( カフカズ南ろく ) 地方 , クラ川の谷 して , 釣餌として珍重されている。 に位置する。グルジャの工業生産高 / ( 別刷 ) こん虫 の % を生産し , とくにラジオ , 工作 〔黒沢〕 とびしま飛島山形県酒田市に 機械の生産がふえた。そのはか , 製 属し , 酒田港の北西 38km の日本海上 茶 , 醸造 , 紡織などの工業も発達し ている。郊外には映画撮影所がある。 に浮かふ、孤島。全島隆起海食台より なり , 最高点標高 69m 。面積 2km2 , 市は古くからの要さいで , 中世の史 上 , フォルソムトビムシ 跡が多い 〔渡辺一〕 人口約 1500 。付近の海は暖流と寒流 ズマルトビムシ の合するところで魚類に富み , 島の どびん土瓶湯茶を沸・かすため とびむし〔跳虫〕トビムシ目 植物もタブノキ , モチノキやニッコ に用いられる陶磁器。ふつう球状の ウキスゲなどが生育する。イカ , タ ( 粘管目 ) に属するもっとも原始的な 胴の一方につぎ口があり , 上部につ ラの漁業が主産業で , 耕地は少ない。 下等こん虫の総称。完全にはねを欠 るをかける。底はヘんべいなものか・ 南東の飛島港は帆船時代に男鹿半島 き , 3 mm 以下の微小種が多い。第 1 多く , 小さな三つ足付きのものもあ る。土びんのよび名は江戸時代中期 と佐渡を結ぶ航路の避難港として栄 腹節下面に・腹管があり , 粘液を出し から起こった。湯沸しときゅうすの えた。またもらい子制度が残ってい て他物に付着する。第 4 腹節に叉 る。島に付属する岩礁の御積籵島は 状突起があり , これで跳躍する。 用を兼ねたもので , きゅうすが茶を 海食洞与・があり , 島全体がウミネコ 「だす」ためにだけ用いられるのに 変態しない。陰湿な場所を好み , 腐 生息地 ( 天然記念物 ) になっている。 対し , 土びんは直接火にかけること った植物質 , 菌類などを食べる。水 酒田から定期船がある。 が多い。きゅうすは小形に作られ , たまりに群集したり , 海浜の波打ち 〔勝俣〕 上びんにはつる , きゅうすには柄の とびねずみ〔跳鼠〕げつ歯目ト ぎわを好むもの , あるいは積雪上に あるのがふつうであるか・ , きゅうす ビネズミ科の獣。外形は小さいカン すむ種類もある。また植物の発芽部 , ガルーに似ている。前肢はひしよう でも大形のものを土びんとよぶ場合 若葉 , 毛根なども好み , 農作物や園 がある。薩摩焼 , 益子 ! し焼 , 相馬焼 に短いが , 後肢はきわめて長い。東 芸植物に害を及ばすこともある。な 欧やアジアに ツュビトビネズミ お甲殼類端脚目にトビムシという名 がとくに有名である。 アフリカにアフリカトビネズミ , 欧 をつけてよばれる一群の動物がいる ドフォレスト Le e de Fo re s t 羽ヨやアジアにイツュビトビネズミな ( ハマトビムシなど ) 。 〔黒沢〕 1873 ~ 1961 米国の発明家。ェーール どか・いる。シベリアにいるシベリア 大学を卒業後 , 無線電信の研究を行 ドビュッシー CIaude Achille トビネズミは体長 15cm くらいである。 ない , 19 ( ) 2 年ド・フォレスト無線電信 Debussy 1862 ~ 1918 フランスの このほかにアジアにコミミトビネズ 作曲家。パリ音楽院在学中から独創 会社を結成。数年後破産するうきめ ミとオオミ トビネズミが知られ , 性を発揮し , 最初ワグナーを尊敬した。 に会ったが , 06 年 2 極真空管に格子 前者は耳が小さいが , 後者は耳が幅 また詩人マラルメらと親しく交際し ( グリッド ) を入れた 3 極管オーディ 広く , しかも頭よりも長い : いすれ ていた。ムソノレグスキーらロシアの オンを発明 , 第一次大戦中軍用無線 もおもに砂地にすみ , ジャンプし , 国民主義音楽に関心を強め , のため多量に生産 , 利用された。 1 ( ) ーっし、一こ すばしこい。 〔・黒田ネい 年には名歌手カルーソーの声を歌劇 とびはぜハゼ科の魚。福岡でカ 場から放送し , ラジオ放送の開拓者 ナムツ , 佐賀でカッチャムツ , カ・ツチ の 1 人となった。その他 , 写真電送 , ャンという。各地ちでトビハゼとい トーキーなど , 数百の特許がある。 うのはかならすしもこの魚のことで 〔高橋尚〕 ドフォレス ドビュッシ 〔川村〕 3 トビネス・ミの - 一純 , アフリカトビネズミ
1 9 6 ッキミ どがある。っかれた者の症状は一・様 でないが , 一般に悪寒茅んをもよおし たり頭痛や神経痛を起こしたりし , また夢遊病者のように歩行したり大 食になったりすることもあるといわ こうしたっきものには家筋が れる。 あると信しられ , 人々はその家と通 婚 , 交際することを忌みきらう。っ きものが発生した原因は明らかでな いが , 歴史的には , 「こ なりおろし」「いたちよせ」など神お ろしにより託宣を問うていた昔の駟 術おに関係があるとも考えられてい る。今日では金銭や上地などの争い とした。その文章はひしようにむす つきみそう〔月見草〕白い 4 弁 に伴う憎悪 , 恨みなどからっきもの かしく , 深刻さと荘重さとをたたえ 筋が生しる場合が比較的多く , とき 花がタ方咲いて習朝しは、む中南米原 ている 〔高橋〕 には深刻な社会問題をひき起こして 産のアカノヾナ科の二年草。嘉永年間 っきみ月見とくに陰暦 8 月 15 〔石塚〕 ( 1848 ~ 54 ) に日本に渡来したが , ま いる 日の夜 ( 中秋名月 , 芋名月 ) の月見の っきゅびつき指指の先端方向 れに栽培されるにすぎす , 今日では ことをいう。中国では 8 月 15 日を中 からの外力によって , 指の軟部組織 この名で黄花を開く / マッョイグサ 秋節 , 八月節などと称して , この夜 ( 靫帯 , 関節嚢 ) の断裂 , 腱の断裂や やオオマッョイグサなどをよ」こと は庭上に野菜類などを並べて月に供 腱の脱きゅう , ときには腱付着部の が多い。高さ 60cm くらいでまばらに え , 月餅と称するもちゃ果物類の 小骨折を伴うものをいう。野球の外 枝を分かち , 全体に軟毛がある。葉 贈答が行なわれた。日本でもはは、同 ノヾスケットボーノレでは 8 ( ) 傷の 75 % , は披針形で , 羽状の大形歯がっき , じような風習があり , 十五夜様に芋 % を占めるといわれる。指のどの関 花は夏に枝の先端に近い葉腋から出 や枝豆 , 月見だんごなどを供える。 節にも起こりうるが , 腱の断裂を伴 て , 短い柄があり , がく筒は短く , く蜷川紿親元日記 > 文明 15 年 ( 1483 ) うものは , 末節骨と中節骨との関節 花弁は倒心形で先が浅くくは、む。お 8 月 15 日の条には「水主三郎左衛門 の背側の腱が , 末節骨の付着部付近 しべは 8 本 , めしべは 1 本で先端は 尉信方より , 名月之芋四寵進之」と で断裂するものが多く , まむし指の 4 裂する。果実は倒卵形で柄があり , あり , 当時月見の芋の贈答が行なわ 形をとり , 別名べースポール指とよ 成熟すると縦に 4 裂して , こまかい ばれる。包帯 , 固定 , けん引などで れたことを示している。古来 , 詩歌 , 種子を散らす。 〔大井〕 なおるが , ときには手術しなけれは、 俳諧 : の好題目とされ , 三五夜 つきめつき目稲の葉や麦のの 名立たる月 , 望を月夜 , 今宵の月 , ならない。多くは変形や軽い機能障 ぎ , 木の枝などで黒目 ( 角膜 ) の中央 害を残す。 良夜などの語はとくに 8 月 15 日の月 部をついたとき , その部に化膿 3 ; ぅ菌 〔石田〕 つきよたけ〔月夜茸〕日本特産 の称とされている。月見堂と称して が繁殖して円板状の濁りを生し , し ・小高い丘の上に堂を設けることは , だいに広がり , 黒目の内部 ( 前眼房 ) のマッタケ科の大形毒キノコ。 9 一般農村においてもみられる。なお 1 ( ) 月ごろ山林中のブナの幹に重なっ にうみがたまるようになり , ついに 名月の名でよばれるものに , 陰暦 9 て発生することが多い。半円形で径 は黒目は破れて茶目 ( 虹彩認 ) が飛び 5 ~ 2 ( ) cm 、厚い肉質で内部は白く充 月 13 日の月見もある。芋名月に対し 出し , 失明するに至るもので , 医学 てこれを豆名月 , 栗名月とよんで では匐行性角膜潰瘍という。涙 実している。上面は , 初め黄かっ色 区別する。いすれも供え物から出た の道がつまっていると起こりやすい。 で鱗片があり , のちに暗紫色となる。 名称である。芋名月のときと同様 , 昔は恐れられていた病気であるが , ひだは白色で , 暗所でみると青白く 光る。柄は短大で無毛 , ひだとの間 ペニシリンなど種々の抗生物質が用 この夜は他人の畑の物を無断で取る につば状の隆起がある。食用キノコ ことが公認される風習のところもあ いられるようになってから , すっと のムキタケとまちがえられ , 毎年中 少なくなり , また重症のものがごく る。地方により小麦の名月 , 女名月 毒例が多い。猛烈な腹痛を起こすが などともよ」 まれになった 〔萩原〕 〔鈴木〕 死ぬことはまれである。 / ( 別刷 ) キ つきもの憑物一種の霊力が人 〔小林〕 間 , 家畜 , 作物などにとりついて / た ノコ つくいけいこく津久井渓谷神 たりや病害など平常でない 1 動きをな 奈川県北部 , 津久井郡津久井町付近 さしめると信しられる俗信。未開社 を流れる相模川の渓谷。一部は岩 会にひろくみられる俗信であるが , 日本でも地方によってはまだ残存し 石を侵食し , よどみをつくっている が , 1965 年 , 城山 ( 375m ) の直下に長 ている。その種類は神霊 , 祖霊 , 生 霊う , 死霊 , 動物霊 , 植物霊など各 さ 260 m の城山ダムが建設されて貯 水量 623 ( ) 万トンの津久井湖ができ , 般にわたっているが , そのうちとく に恐れられ , 迷信化して弊害の多い 景観は一変した。国鉄横浜線橋本 , 中央線相模湖両駅からノヾスの便があ のは動物霊および怨霊うである。 り , 上流に相模湖 , 北に高尾山もあ 動物霊の中でとくに分布が広いのは キツネで , いすな ( 東北 , 関東の一 って , ハイキング , 釣りの適地にな くだキ、ツネ ( 関東の一部 , 中 〔伊崎〕 っている。 部地方 ) , ごんばだね ( 中部地方西 つくえ机家具の一種で , 執筆 , 部 ) , ひとギッネ ( 出雲 ) などの異名 読書および各種執務用のための卓を をもち , はとんど全国にわたって いう。構造的には / テーープルと同し いる。四国には大神も多く , 瀬戸内 であるが , 英語では机をデスクとよ んで区別している。机の歴史は古く , にはヘビ神 ( とうびよう ) も少なくな 書き物台に端を発して進化してきた い。はかにタヌキ , ネズミ , ネコな 江戸時代の月見風俗。 く月次のあそび〉 ( 1691 刊行 ) より ッキミソウ E は日本在来の文机。 クワ材を用い飾り金具 がついている。下は米 国のスチール製務机