乳類への進化の第一歩を踏み出している。マス トドンサウルス⑦は名まえも外見もは虫類に似 ているが , 両生類の迷歯類の生残りで , 頭骨だ けでも長さ 1 m をこえ , 欧州からインドにかけ て分布していた 植物界では木生シダ②やトクサ類⑤のはかに 裸子植物が目だって多くなり , この時代にはべ ネチテス類のウィリアムソニア③やシカデオイ デア④ , ソテッ類が特徴的であった。 ジュラ紀ジュラ紀になると , は虫類の分化は ますます著しく , また大形のものが現われてく る。巨大な恐童として知られている竜脚類には プロントサウルス ( ③ , ジプロドクス 06 , プラキ オサウルス⑩などがある。これらは体長 2 ( ) ~ 25 m, 体重 30 ~ 5 ( ) トンにも達したと推定され , 史 上最大の陸上動物であった。その大きな体重を ささえるために , 四肢は太く強く発達していた が , またおそらくは水中に身を沈めて体重の重 荷を軽減していたであろうといわれる。しかし , この巨大な体に比べると頭骨は小さぐ , したが って脳は小さく , 愚鈍な動物であったらしい また歯の特徴からみると草食性で , 見かけによ らすおとなしかったといえる。同しように見か けだおしの恐竜にステゴサウルス② ( 体長 6 m ) がある。背に 2 列の大きな骨板が並び , 尾には 鋭いとげをもっていたがこれも草食性のおと なしい動物であった。しかし恐竜のあるものは , 肉食で文字どおり恐るべきは虫類であった。米 国コロラドり。 l'l 産のケラトサウルス①は体長 4 ~ 5 m で , 当時のは虫類としては大きいはうでは なかったが , その大きな口には鋭い歯を備え , 四肢にはかぎのようなつめがあって , 他の動物 を襲って猛威をふるった ( なお恐竜とは中生代 の陸上を支配したは虫類をいい , 大きなものが 多いが , ふつう翼竜や魚竜 , 蛇頸童などを含ま ない ) 。 は虫類のあるもの ( 翼竜類 ) が , 空中生活に適 応して翼を備えていたことは , 現在のほ乳類の コウモリを思わせる。欧州のランフォリンクス ④は体長 60 cm ぐらいで , 尾骨が長く , 魚をとっ ていた。またプテロダクチルス ( ののうちには , スズメぐらいの大きさのものからワシぐらいの ものまであった ドイツの石版石層は数々のすばらしい化石を 産するが , そのなかから産したもっとも有名な 化石は始祖鳥⑥で上ろう。くちばしには歯を備 え , 長い尾骨をもっているなど , その骨格はむ しろは虫類に似ている。この化石に , 温血動物 の証拠である羽毛の形が残っていなかったら , は虫類と鑑定されたかもしれない。 一方 , 海中生活をしたは虫類には , 外形が魚 とそっくりの魚竜類⑦があり , これはは乳類の イルカを思わせる。魚竜のあるものは卵胎生で , お産の途中を示す珍しい化石も見つかっている。 三畳紀のノトサウルスの子孫は , この時代にな ると体が大きく , くびが長く , その四肢はます ます遊泳に適したものになった。クリプトクレ イデス⑨やプレシオサウルス⑧がそれで , 後者 は体長 6 m ぐらいに達した 海生の無脊つい動物では , 中生代を通してア ンモナイト類が多く , その多くは中生代のもっ とも重要な標準化石になっている。また古生代 に栄えた腕足類は , 中生代になると急に衰え , そのすみかであった浅海底は二枚貝や巻員によ って占領される。 白亜紀白亜紀は中生代型の動物の滅亡の時期 である。初期には , ジュラ紀と同しようなは虫 類か・多かったが , やか・てしだいに小形のものが 多くなり , また異常な形のものが現われた。白 亜紀末期のチランノサウルス⑤は肉食性の凶暴 な恐竜で , 体長は 15m に達したが , その前肢は たいへん貧弱であった トラコドン④の類は , ロの形がカモのぐちぼしのように平たく突出し , ひしようにたくさんの歯を備えていた。しかし , その歯は弱く , おそらく水辺の草を食べていた ものと考えられる。かって樺太の白亜系から発 見された日本竜はこの類に属する。角竜類は現 在のほ乳類の偶てい類を思わせ , トリケラトプ ス⑥は大きな頭に 3 本の角をもち , いかめしい 姿であるが草食動物であった この類の原始的 なもので , モンゴルの白亜系から発見されたプ ロトケラトプスは角がなく , また同時に多くの 卵の化石が発見されたことで有名である。白亜 紀の奇妙なは虫類の一つにスコロサウルス⑦の 類がある。これは全身を堅い骨質のよろいでお おわれ , ほ乳類のアノレマジロなどに似ている。 翼竜類では北米のプテラノドン①が特異であ る。頭には後方に大きな突起があり , 翼を広げ た大きさは 6 ~ 7 m もあった。一方 , 海にすん でいた蛇頸竜は , くびがますます長くなった 米国力ンサス州のエラスモサウルス ) はくびの 長さが体の 2 倍もあり , そのくびをへビのよう に自由自在に動かして獲物を襲った。同しころ , 同し地方の海にすんでいたチロサウルス③は体 長 1 ( ) m 近く , 現在のワニに近縁である。 白亜紀の無脊つい動物は , 大観するとジュラ 紀のものと同様であるが , 大形のものや異常な ものが多かった点 , は虫類の場合に似ている。 アンモナイトのあるものは直径 2 m にも達し , また渦巻が解けて棒形 , かぎ形のものなども多 かった。北海道や樺太産のニッポニテスは世界 でもっとも異常な形のアンモナイトである。 白亜紀末には , は虫類をはしめ多くの中生代 型の動物がいっせいに衰え , アンモナイトなど は完全に滅亡してしまった こうして次の新生 代に移るわけであるが , これに劣らないほどの 大変化が , 植物界ではいくらか早く , 白亜紀の 中ごろに起こっている。それは被子植物とくに 双子葉植物の出現で , このときからはしめて花 らしい花が地上に姿を現わす。 始新世は虫類が袞えたのち , 新生代にはは乳 類が大発展し , は乳類時代が訪れる。ところで , 現在のは乳類には , 卵生でもっとも下等な単孔 類 , 主としてオーストラリアに栄えている有袋 類 , ふつうのは乳類である真獣類 ( 有胎盤類 ) の 三大区別がある。このうち有袋類と真獣類とは 白亜紀末に出現したもので , その共通の祖先は ジュラ紀の原始的なは乳類である汎 ( はん ) 獣類 であろうといわれる。単孔類はそれより早い時 期に分化していたと推定されるが , 第三紀ある いはそれ以前の化石はまだーっも見つかってい ない。オーストラリアの有袋類もまたはとんど 化石が見つかっていない これらに比べると真 獣類の化石はきわめて豊富である。真獣類は新 生代にはいるとともに いっせいに分化し , オ ーストラリアおよび南米を除く世界各地に広が っていった。北米のウインタテリウム①は始新 世の有てい類で , 大きさはアフリカサイほども あリ , 頭に 6 本の角をもっていた。オキシアェ ナ③は古い型の食肉類である。 鳥類の歴史はジュラ紀の始祖鳥 ( 古鳥類 ) から あとははとんど空白で , 白亜紀末のものはすで 地質時代のスケッチ に現在のものに近い新鳥類に属し , 新生代初期 には現在のほとんどあらゆる型のものが出そろ っていたらしい。始新世の北米や欧州にいたジ アトリマ②は高さ 2 m もある巨鳥で , 飛ぶ力を 失っていた この点は現在のダチョウなどに似 ているが , 分類上の位置はむしろツルやサキ、に 近いものであろうといわれている。 漸新世バルキテリウム④は肩の高さが 5 ~ 6 m にも達した史上最大の陸生は乳類で , 中央ア ジアにすんでいた くびが長く角もないが , 奇 てい類のサイ類に属する。プロントテリウム⑤ もサイの類に近い奇てい類で , 肩の高さ 2 rn あ まり , 頭に大きな角をもち , 北米からユーラシ アにかけてすんでいた 中新世 ~ 鮮新世ゾウの仲間は始新世後期のメ リテリウムからはじまり , 第三紀の後半にはオ ーストラリアを除く世界各地に広がっていた ゴンフォテリウム⑥は中新世 ~ 鮮新世初期のマ ストドンゾウの代表的なもので , 下あごにもき ばがある。中新世の北米のジノヒウス⑧は偶て い類のイノシシなどに近縁で , 大きさはウシぐ らいであるが , 頭がとくに大きかった ( 頭骨の 長さ約 1 m ) 。また同し偶てい類に属するアル チカメルス⑦は鮮新世のラクダの類で , 頭まで の高さは 3 m もあった。また北太平洋沿岸には 中新世に , デスモスチルスという変わった歯を もった珍獣がいて , この体全体の骨格化石は樺 太と岐阜県で発見されている。 洪積世洪積世の約 1 ( ) 0 万年間は氷河時代とも よばれる時代であり , その動物群の様子は現在 に著しく近づいている。しかしまた この時期 に滅びていったものも少なくない。マストドン・ アメリカヌス③ ) は北米にたくさんいたゾウの一 つで , 洪積世の末まで , 言いかえると今からわ すか 8000 ~ 1 万年前まで生存していた ( 体の大 きさは現在のゾウよりいくらか小さい ) 。スミロ ドン②はライオンぐらいの大きさのネコ科の動 物で , 剣歯虎ともよばれるように , 上あごの大 歯が大きく発達していた。カニス・ジルス④は オオカミやイヌの類である。この 2 種の食肉類 は , カリフォルニアのピッチ層に埋もれていた ものが多数発見されている。テラトルニス①は 北米の猛きん類で , タカやワシに近縁である。 南米は , 第三紀の初期から末期まで , つまり 新生代の大部分の時期を通して北米と離れて孤 立していた。中生代末から孤立していたオース トラリアで , 有袋類が独自の発展をとげたのと 同しように , 南米でも独自のは乳類が発展した しかし , 第三紀末期に北米と地続きになり , 新 しいは乳類が侵入するに及んで , これらのほ乳 類の多くは滅んでいった。メガテリウム ( ①は , そ のうちで第四紀洪積世まで生き残ったものの一 つで , 貧歯類に属し , 現生のオオアリクイやナマ ケモノなどに近縁で , 体は子ゾウほどもあり , おそらく木の葉を食べていたと思われる。同し く南米のマクラウケニア⑥は滅亡した有てい類 の一つで , 外形はラクダに似ている。 他方 , ューラシアから北米などの氷河周辺地 域には , 全身を毛におおわれたマンモス⑧をは しめ , 毛サイ⑦ , オオッノシカなどの寒地生の これらは旧石器時代の人類とも 動物群がいた 深い関係があり , その姿は原始人類の洞窟 ( ど うくっ ) の絵にもかき残されている。 約 1 万年ほど前 , 世界の氷河が縮小するとと もに沖積世となリ , 現在に直接つながる歴史が はヒまり , 生物界の姿は現代的になる。〔山下〕
トウケイ 3 9 5 タローネ , ドットーレ , カヒ。ターノ それらの変動の間の関係を調べるこ 第 1 表 50 個の製品の長さ ( 単位 cm) とも行なわれる ( / 相関 ) 。 など一定の型ができていた。他国に 12.19 12. ( ) 1 11.74 12.25 12.13 12.11 11.83 11.87 12.17 11.59 も影響して , ドイツやオーストリア 統計に含まれる資料の数を増大さ 12.39 11.9 ( ) 12.23 12.0 ( ) 12. ( ) 3 せていくと , なんらかの法則が明ら のハンスウルスト , 英国人形劇のパ 12.3 ( ) 12.1 ( ) 12. ( ) 2 12.16 12. ( ) 1 かになることがある。たとえば , さ ンチなどを生んだ。これらは , おも 12.38 12.36 12.38 12.3 ( ) 11.99 に農民 , 下男 , 兵士 , 商人の役で , いころをくリかえし投げて , その目 12.28 11.75 12.14 11.84 11.99 の数を記録する場合 , 各回ごとに 1 陽気で野卑な生活意識をむき出しに 12.33 12. ( ) 8 12.13 12. ( ) 5 11.89 の目が出る確率は % であるが , 最初 するのが喜ばれた。近代演劇の道化 11.8 ( ) 11.84 12.55 12.13 12. ( ) 1 11.96 11.9() 12.11 6 回振った場合 , かならすそのうち 11.85 12.26 役は前述の要素から発達し , そのま 11.83 12.15 11.88 12.35 12. ( ) 6 1 回 1 の目が出るとはかぎらない。 しめさにもかかわらす , つねにやり 度数分布表 しかし , 回数を 6 ( ) 回 , 6 ( ) ( ) 回・・・・・・と増 そこねるというような悲劇的色彩も 第 2 表 ( 第 1 長の資料による ) すと , 1 の目の度数の比率はだんだ 帯びている。また道化は / サーカス 級 度数階級の中央の値 階 ん % に近づく。このように に取り入れられたり , フランスのタ 験をくりかえすことによって度数の バランなどの大道芸としても行なわ 11.4 ( ) ~ 11.5 9 1 11.6 ( ) ~ 11.79 比率 ( 相対度数 ) は , 理論的に求めら 2 〔小池〕 れた。 / ヒ。工ロ 11.8 ( ) ~ 11.99 14 れた確率に近づく。このことは数学 とうけい闘鶏雄鶏を戦わせる 12. ( ) ( ) ~ 12. 19 2 ( ) 的に証明されており , 大数の法則と 遊戯。古代中国 , ベルシア , ギリシ 12.2 ( ) ~ 12.39 12 いう。たとえば下左図のヒストグラ ア , ローマで流行 , 睹博の対象と 12.4 ( ) ~ 12.59 1 ムは , 実線で示したつり鐘状の曲線 して世界各地で行なわれるにいたっ に近いが , さらに多数の製品につい た。イギリスにはローマから伝わっ その平均値〒とは すれば , てヒストグラムをつくり , そのさい て宮廷で愛好され , ヘンリー 8 世は . い十ズ 2 十・ 王室闘鶏場を設けたはどである。 階級の幅をさらに小さくしてみると , をいう。もとの資料がなく , 度数分 17 ~ 18 世紀前半がその最盛期で , ポ ヒストグラムと曲線とはかぎりなく 布表だけが与えられているときは , 近づくことがわかる。このつり鐘状 クシングのルールは闘鶏に手本をと 便宜上各階級に属する測定値がすべ ったといわれるが , 現在では中南米 , の曲線は正規分布曲線とよばれ , てその階級の中央の値に集まってい スペイン , 東南アジアのほかは禁止 い一 m : 2 % 2 〕 ると仮定し , 平均値の近似値を求 されている。西インド諸島とくにプ めるのがふつうである。たとえば第 という式で表わされる。 こで m は ェルトリコは闘鶏か・盛んで , 羽 , と 母集団平均 , びは母集団標準偏差 ( 後 2 表で , ( 11.495 X 1 十 11.695 X 2 十 さかを切り , けづめを除いて鉄のけ 述 ) であって , この例では資料から づめを付けた 2 羽の鶏を , 直径 6 m 11.895 X14 十 12.095X20 十 12.295 X の円形競技場の中でけしかけ , いす 12 十 12.495 >< 1 ) 十 50 = 12.07 カ { 平均 おおよそ m 12. ( ) 7 , び与 ( ). 19 であろう exp は指数関 れかが死ぬか戦意を失うまで戦わせ 値の近似値である。平均値のはかに と考えられる。また , る。日本の闘鶏は古くは鶏合せと 数を表わす数学記号で exp 才は e 工と 中央値 ( 資料を小さいものから順に 同しである。この正規分布曲線は , よばれ , 神意をうかがい 1 年の吉凶 並べたとき , まん中の順位のもの。 第 1 表では 25 番めカ { 12. ( ) 6 , 26 番め を占うために行なわれたらしい。平 ーっの確率的法則を示し , それによ 安時代には 3 月 3 日の宮廷行事とし が 12.08 なので , 中央値は 12. ( ) 7 とす ると , 長さが佖と 6 との間にある確 率は工 / ( ェ滝工となる ( 右の図の黒い る ) , 最ひん ( 頻 ) 値 ( 度数の最大とな て行なわれ , 近世になって / シャモ の闘鶏が民間に広まったが , 賭博を る値。第 2 表の 12. ( ) 95 ) などで集団 部分の面積 ) 。したがって , 曲線の下 伴うので禁止された 全体の概略の大きさを示すこともあ の部分の全面積は 1 になることはい 〔小池〕 このような確率的法 とうけい統計ある集団につい る。これらをこの集団の代表値という。 うまでもない。 則を確率分布とよぶ。互いに独立な て , 数字の形での資料を整理したも 実際の個々の測定値は , 代表値の の。統計を作るには , 対象となる集 多数の小さな偶然的効果が , 重なリ まわりにばらついてあらわれている。 団と標識を確定して資料を収集し , あってもたらす変動は , この正規分 そのばらっきの度合いを示す量とし 布で表わされる場合が多く , このこ それを表や図などにまとめて表わす て標準偏差 s ( 第 1 表では 0.19 ) や , のがふつうである。以下この手順を とは数学的に証明されている。いろ 平均偏差 d ( 第 1 表では 0.16 64 ) など いろな工程をへて作り出される製品 例によって説明しよう。 が用いられる。 s , d はそれぞれ の長さは , 複雑な製造条件を少しす ある工場で製作される製品 5 ( ) 個と いう集団について , 長さという標識 っ変動させる多数の偶然的効果の影 響を受けるため , 理論的には正規分 に着目し , これを測定して第 1 表の 布に従うと考えられる場合が多い。 これらの長さの全体勺 資料を得た。 な傾向を明らかにするには , 第 2 表 正規分布曲線は , またガウスの誤差 で表わされ , これらの値は集団のば 曲線ともいわれる。ガウスはある条 のようにまとめるとよくわかる。す らっきが大きく , 個々の値が代表値 なわち , 長さを適当に分割し , 11.4 ( ) 件のもとで物理学 , 天文学における から離れるはど大きくなる傾向があ る。二つ以上の標識 ( たとえば製品 測定誤差 , 観測誤差のばらっきが , ~ 11.59 , 11.60 ~ 11.79 cm , 12.40 ~ 12.59 cm という「階級」を設 この . 分布にあてはまることを証明し の長さと重さ ) をとって , それらの け , 各階級の現われた「度数」を数 こういう場合の測定値の変動も , 組み合わされた度数分布表を作り , た えて「度数分布表」を作る。また , これを下左図のようなグラフにした ものをヒストグラムという。 50 個の製品の長さ全体を , ーっの 数値で代表させるため , 平均値を計 算する。それは 5 ( ) 個の長さの総計を 50 ( 個数 ) で割ったもの , すなわち , ・・十 12.06 ) 十 50 = ( 12. 19 十 12.11 十・・ 12. 08 である。一般に N 個のものに ついて測定イ直ェいェ 2 ・・ ・・を得たと 11.495 11.695 11.895 12. ( ) 95 12.295 12.495 ・十 . r v 1 マ 2 ″ 0 ・十一工ヾー . V 比率 0.4 20 0.3 1 5 0 . 2 1 0 数 0 - 」 - い - ロ度数 確率 ( ニ項分布 5 5 6 5 4 ( 1 の目の出る数 ) 3 率 数 2 . 2 に . 4 1 1.4 Ⅱ . 6 Ⅱ . 8 に . 0 . 6 長さ cm
4 7 5 自分のペースを守って無理をしない ルをさし込むのにつごうがよいので ない。そして捨てられたものかなら とか、たいせつなのである。山では すしも悪いとはかぎらない。たとえ あるが , 雨が多く , ヒ。ッケルを必要 上りよりも下りのほうがむすかしい。 としないような山歩きにはかならす ば , 防風 , 防寒には頭からかるア 足やひざをいためるのは下りのはう ノラックの類カ { よいことは確かだカゞ しも適当ではない。本来装備は登る に多い。 2 ) 雪と氷となれば , いっそ 雨の多い日本の夏山ではもっと開放 山に応して自分でくふうし , また選 う警戒を要する。もちろん雪と氷に 的なものがよい。ヒマラヤで役だっ 択すべきもので , 連動具店のカタロ 対しては多少とも特別な技術が必要 からといって日本の山によいとはか グや飾り窓につりこまれて買うべき になるので岩登りと同しようにその ぎらないのである。装備については ものではない。同し背中に背負うも 道の先達について手はどきを受け , いつもだれが何の目的でそれを整え のでも日本古来のものとして , しょ ます技術を身につけなければならな るかということを忘れてはならない いこ ( 背負子 ) がある。場所によって , い。夏の富上山でも毎年万年雪の上 のである。登山には原則としてあま やせうま , はしご , おいこ せいた でけがをする人がいるのである。 3 ) り道具を使わないはうがいい。ます などといろいろによばれ , 形もすい 岩場でのコツは , 着実に , 静かに進 それをかついで歩かねばならないの ぶん違ったものがあるが , 同しよう 退することにある。岩から岩に飛ん であるから , 少ないにこしたことは なものは世界各地に古くから伝わり , でいくカモシカのようなことは人間 今日でもひろく使われている。近年 ない。道具をよく選ことは当然の にはできない。岩の上を一寸刻みに ことであるが , 道具はあくまでも山 のヒマラヤ遠征などでは軽金属製の 進むほかないのである。ヘビのよう で使う道具であるから , 町なかや駅 近代的なしよいこがくふうされ , 古 にもの音ひとっ立てす , 静かになめ などで見せびらかして歩くのは好ま くからのしよいこが大いに見なおさ らかに動いていくことを心、孑卦けなけ しい趣味ではない。高価であるから れているのは興味が深い。 っえも必要品であろう。しかし , といって安心、できるともかぎらない。 ればならない。ロッククライミング ( 岩登り ) も山登りの中には当然はい 山には長い金剛づえ式のものより短 自分に合った道具を持ち , 登る山に るが , かなり特殊なものである。たと したがって過不足なくそれをそろえ いものがよい。つえの発達したもの えば最初から岩登りを目的として岩 ることができれば , 一人まえの登山 がピッケルで , 氷や雪の上で足場を 場を登りに行く場合は , ふつうの山 家であるといってよかろう。 切るために鳶ロのような鉄の頭が 山は歩くものだから , 足にはく登 登りとは多少区別されてもよいので ついている。ピッケノレもアノレプスで 山ぐっはいちばん大事な問題である。 あるが , 岩登りが山登りの中の一つ 初めて登場したころと今日とでは形 登山ぐっ以前は , もつはらわらし の部門だということを忘れて , 岩登 カ { だいぶ変わった。シェンクといえ りの技術面だけにこり固まると , ひ ばピッケル作りの神様のようにいわ であった。わらしは日本の気候風土 からみてけっして捨て去るべきもの れるカ { , そのシェンクの作ったもの しように山の世界をせばめることに でも若いころのものと晩年のものと なる。そしてただ高いところでむす ではないが , なれないとはきこなす は同じではない。山で実際に使って かしい軽わざをやったというだけの ことができない。しぜんくつが便利 であるということになるが , くつも みてだんだんに進歩していったもの ことにならないともかぎらない。山 であろう。シェンクと同し時代にウ である以上日本の山でもアルプスで 今日では合成ゴムの発達によって底 イリッシというピッケノレ作りの名工 も岩場はある。ヒマラヤにいっても に鉄のくぎをうったものは影をひそ 岩場はある。そこでは当然ロックク めた。くつの次にたいせつなものは がいたが , これはまるで味の違った ピッケルを作った。シェンクのには 荷物を入れるもの , すなわちリュ ライミングをやらなければならない 洗練されたところ - カ { あり , ウィリッ のであるから , その技術を身につけ クサックである。原語はドイツ語で ルックサックであるがほとんど国際 ることは必要であるが , 山をひろく シのものには豪放な感しがあった。 味わうことを忘れてはならない。最 語となっているので , 英語ふうにリ 日本刀にも正宗があり村正があるよ 登山ぐっはふつう皮製 うなものだが , 名工とよばれるはど 近は岩登りのための道具も発達し , ュックサックとも発音されている。 でびよう底のものとゴ これがいっそうむすかしい岩登りを 荷物を入れて背中に背負う袋のこと の親方の作品になると , 一見してだ ム底のもの ( 通称ビブ ラム ) がある。ハンマ 可能にしてゆきつつある。しかしロ れの作かわかるくらいの特徴があっ だからきわめて簡単なものから , 外 はロックノ、ンマともい ッククライミング専門の登山家など 袋をつけたり , ジッパーをつけたり , た。シェンクのあとを継いだものは い , ハーケンを打ち , というものは存在しないし , はんも 背負うために軽金属のしよいこをつ 同しグリンデルワルトのべント , そ むのに用いる。ハーケ けたり . いろいろくふうされた複雑 してその子どもがさらにそれを受け のの山には通用しない。 ンは鍛鉄製がふつうで , 継いで現役としてりつばなものを作 なものもある。グリンデルワルトの 登山用具 種々な形があるが , 端にサイルをかけるた キスリングの作ったものが輸入され っているカ { , シェンク , ウィリッシ , 山の寒さにはそれを防ぐ防寒具を めのカラビナを通す穴 「キスリング型」などというものが日 べント , これらの連中はいずれも村 必要とし , 山の雨に対しては雨具を がある。カラビナはザ 本ではできているが , 当のキスリン のかし屋の親方なので , ふだんは馬 心要とするが , 平地で使っているも イルとノ、一ヶン , ザイ グは注文によってあんなものを作っ の蹄ー鉄をうったり車の輪をたたい のがそのまま役にたっこともありた ルとザイルを結ため ているだけで新型を発明したなどと たりしているので名人然と構えてい たぬこともある。最近は化学繊維が に使われる用具で , 軟 発達したので事情は一変したが , い いわゆるキスリン るのではない。ヒ。ッケルは急な氷の は思っていない 鋼または特殊鍬で作ら れ , かみあわせカ { つく かにしてかさばらす , 軽い , そして 上で足場を切るのには柄が短く , 頭 グ型は袋のおおい」 : たがなくピッケ の重いほうカ { 使いよいカ { , ピッケノレ 十分な装備を整えるかは山登りその ものと同しように研究を必要とし , にはそのほかいろいろの目的 . がある リュックサック ( キスリング型 ) この要領は実際の経験の上で会得さ ので , いつも柄の短いものがよいと れていくものである。だから最初は いうわけでもない。日本でも猟師は 簡単な雨具などをもってやさしい山 古くから短いつえの上に鳶口をつけ に登り , だんだん山の程度を上げて たものを使っていた。かんしきには いくのと並行して服装も考え , 装備 氷や堅い雪の上ではく金属製のもの も整えていくべきもので , いきなり と , 雪の上を歩くための輪かんじき 運動具店に飛び込んでできあいの装 とがある。金かんしきはもつばらす 備を買い集めればすむというもので べらぬためのものであるが , 輪かん はない。服装には移り変わりが大き しきは雪にもぐらぬためのもので , い。理由があって変わる場合もある どっちも日本に古くから伝わってい が , ただ流行で変わる場合も少なく る。同しようなものは外国でもくつ
6 3 0 気圧から低気圧に一直線に吹くので の季節風が卓越し , 天気の変化が少 天気のぐすっく期間が約 1 カ月あり はなく , 地球の自転によって , 北半 これが日本の気候の大きな特徴であ ないが , 時々この高気圧が衰えて低 球では右へ右へとそれて吹く。した 気圧が通過し , 天気のくすれること る。雨の降り方は年によって異なり がって冬季の高気圧が西 , 低気圧が もある。大陸から吹き出す風はかわ 小雨がときどき降り , しめしめした いわゆる梅雨らしい状態の続く年 , 東にある日本では北ないし北西の風 , いているが , 途中の日本海で暖めら れ , 水蒸気を補給される。下層が暖 洪水を起こすはどの大雨が降ったか この逆のサンフランシスコでは南な と思うとからりと晴れる変化の多い いし南東の風になる。冬季のシベリ まると空気は上昇しやすくなり , ま アからの季節風がこの風で , 南風の 年 , また雨のほとんど降らないいわ たこれが湿っていると水蒸気が凝結 ゆる「からっゅ」の年などさまざま するさい , その潜熱を放出して空気 吹くサンフランシスコに比べれば日 本のほうか、はるかに寒く , 最寒月の を暖め , さらに上昇を助けるので , である。 5 月の下旬になると一時本 平均気温は , はは、同緯度上にあるサ 積乱雲が発達しやすくなる。しかも 州の南岸に前線が停滞して天気のぐ ンフランシスコと福島市を比較して この空気は本州の山脈に当たるので すっくことがあるが , これを梅雨の みると , 福島市が (). 5 ℃であるのに ますます上昇させられ , 多量の雪や 走りとよんでいる。そして 6 月には 対してサンフランシスコで 9. 2 ℃ 雨を降らせる。このため裏日本は冬 いると , オホーック海の高気圧がし 中どんよりした天気が続き , とくに である。シベリア高気圧の最盛期は だいに勢力を増し , 一方 , 太平洋の 12 ~ 2 月の 3 カ月で , この期間は冬 北陸地方は雪が多い。裏日本に雪や 高気圧も勢力が強まって , この二つ 雨を降らせた空気は , 山脈を越えて の高気圧の間に , 南方海上から本州 第 2 表日本の気候区 表日本にくると , 水蒸気の量が少な 南岸にかけて梅雨前線が停滞するよ 気候域 気候区 くなっているうえに , 山を下るため うになり , この前線上を弱い低気圧 気温が上がり , ますます乾燥してい もっとも温暖で , 最寒月が 6 ℃以上。降 が次々と東進する。季節が進むにつ わゆる「からっ風」となる。このた 南 海 水量が多く , 寒暑の差は少ない。なお台 1 れて , 前線がしだいに北上し , 天気 め表日本では風は強いが天気がよい。 風が上陸して被害を受けることが多い の悪い地域もまた北に移動していく 表日本で雪の降るのは , 大陸の高気 ので , 梅雨の期間は地方によって多 冬の季節風が強いので裏日本式気候の日 圧が衰え , 東シナ海に発生した低気 少違って現われる。しかも南岸沿い も多いが , 一年中温暖である。高温多雨 九 州 2 圧が南方海上を東に進むときである に停滞する期間が比較的長いので , で , 梅雨末期に豪雨の降ることが多い が , 九州や四国の南部では気温が高 北日本では割合短く , 北海道では梅 南北を四国 , 中国の両山地に囲まれ , 雨 いため雪が積もることは珍しい。ま 雨がないといわれている。梅雨の末 は春先 , 梅雨 , 台風には降るが降水量少 た低気圧が北日本を通るときに , 著 期には , 前線が北に上るため , 南の なく , 晴天の日が多い。空気は乾燥して しく発達して暴風雪となることがある。 湿った暖かい空気か・はいってくるの いる 〔春の気候〕大陸の気温がしだいに で蒸し暑くなり , 初期の小雨よりか 瀬戸内 , 南海の両気候区の混合型で , そ 上がると , 大陸の高気圧があまり強 なり強い雨が降る。そしてとくに前 気 東 海 4 れに冬季の乾燥が加わったもの。梅雨に くならす , 低気圧の発生が多くなる。 線が活発になると局地的な大雨を降 おける湿潤と , 台風の水害が多い らし , 洪水となってときどき大きな このため移動性高気圧と低気圧とが 典型的な表日本式気候で , 冬の乾燥と快 災害をひき起こす。 交互に通過して天気が周期的に変わ 晴 , 霜柱と , からっ風は顕著である。梅 る。移動性高気圧におおわれると風 〔夏の気候〕梅雨前線が北に去って が弱く晴天で , うららかなひょりと 太平洋の高気圧 ( 小笠原高気圧 ) にお 雨と台風の雨は多いが , 中部では乾燥が なるが , 天気のくすれたときは , は ひどい おわれると , 暑い夏か・訪れる。ちょ だ寒い。そして一雨ごとに暖かさを うど冬の逆で , 東高西低の気圧配置 亜寒帯性の気候で , 夏季に北東風にのっ 増してくる。しかしこの変化も日本 となり , 太平洋の高気圧から南ない 陸 て親潮寒流の影響を強く受け , 冷害を受 の地形が南北に長いので一様でなく , し南東の風が吹いてくる。これが夏 けることが多い。梅雨は顕著ではない 南と北とではかなり違う。東京付近 の季節風で , 亜熱帯地方の海上から 典型的な裏日本式気候で , 冬の積雪多く , ではウメーーモモサクラとい 蒸し暑い空気を運んでくる。また , 裏 梅雨や台風の雨も多い。夏は比較的高温 うように移り変わるが , 北日本では 冬と同様にサンフランシスコでは北 日 で日本の気候区中でもっとも湿潤な地域 本 長い冬から一気に春がくるため , ウ よりの海風が吹くので比較的涼しく , 雪国気候区の南の延長で , よく似ている 最暖月の平均気温は 17.7 ℃で , 福島 メもサクラも一時に咲くことになる。 山 陰 が , やや温暖で , 降雨量も雪国気候区よリ 8 域 この時期には時おり日本海で低気圧 市のそれか・ 25 . () ℃であるのに比べて 少ない。逆に梅雨や台風の降水量は多い 約 7 ℃も低い。すなわち , サンフラ が発達して , 強い南風が吹く。この ンシスコと福島市では , 年平均気温 ようなときには , 冬からすっとかわ 標高の高い地域で , 気温は全般的に低く , がそれぞれ 13 . 8 ℃ , 12 . 1 ℃と差が少 いている表日本では大火が起きやす 冬は厳寒。雨は少なく空気は乾燥してい ないのに , 最暖月と最寒月の平均気 く , 裏日本でも平野部では , 山脈を そ る。山間盆地は寒暑の差が大きい内陸性 温の差はそれぞれ 8.5 ℃ , 24 . 5 ℃とな 越えてきたかわいた風のために火事 気候 り , 日本の気象がいかに変化に富ん が発生しやすく , しかも風速が大き グ ) 亜寒帯気候。全般的に裏日本式だが , 低 でいるかがよくわかる。このように いため大火となりやすい。また , 南 温。雪は粉雪だが量は少ない。夏は短く , 風が吹き込むと気温が上昇して山の 夏は季節風によって気温も湿度も高 他 IO 北海道 降水量は少ない。南東部 ( 地図の破線で 雪が解けるが , さらに雨が降ると融 くなるが , さらに夏季には晴天が多 囲んだ地域 ) は表日本式気候に近く , 乾 雪量が多くなり , 洪水を起こす原因 く , 日射が強いため気温がますます 燥がひどい にもなる。 4 月末から 5 月の初めに 高くなる。この結果 , 気層は不安定 なると , 気温もだいぶ高くなるが , になりがちで , 場所によっては上昇 日本の気候区 このころ往々にして霜をみる。いわ 気流を生して積乱雲を発生し , 雷雨 ゆる晩霜で , 農作物や果樹に大きな を伴う ( / 雷 ) 。しかし高気圧がとく 被害を与える ( / 霜 ) 。またこのころ , に , 強いと , その中に起こっている下 日本海を低気圧が通ったあとに寒冷 降気流が強いので , 上昇気流をおさ 前線が通過すると雷雨が発生して え , 積乱雲が発達できす , 雷雨も起 / ひょうを降らせ , 農作物に被害を りにくい。しかも強い高気圧が日 与えることがある。 本をおおっていると , 台風も日本へ 春から夏へ移る前に / 梅雨という 接近しないので , このような状態が 表 日 3 瀬戸内 本 候 5 関 6 雪 国 7 ( 北陸 ) 山 国 9 9 6 4
ドウミヤク 4 3 6 酸 , カルシウムなどが沈着して弾性 の働きがなくて体温が低下し , 活動 があった。しかし , トランキライザ を失い , かたくもろくなって破れや できなくなるために起こる型で , ま ーが著しく進歩した現在では , 自律 すい。 / 静脈 / ( 別刷 ) 血管〔細川〕 わりの温度を上げれば目ざめる。と 神経しゃ断による低体温と基礎代謝 きに外温がひどく下がると , 体が凍 どうみやくこうか動脈硬化動 低下はさほど重要な意義はなくなり , 脈血管壁が肥厚し , 壁内に脂肪 ( コ ってしまう。カエルのほか , ヘビ , 異なった奏効のしくみが考えられて トカゲ , カメなどのは虫類 , こん虫 レステリンなど ) の蓄積とカルシウ いる。また最近では , 狭義のトラン ムやケイ酸の沈着がみられ , その弾 などの冬眠はすべてこの型である。 キライザー以外に , 数多くの新しい 力性が失われた状態をいう。死因統 イエコウモリなどのほ乳類で , 異体 向精神薬も登場しており , したがっ 十では , 動脈硬化に起因する疾病が 温動物のものは , 夏は恒温性で体温 て , かって用いられたように , それ 首位を占めており , とくに心臓の冠 も高いが , 冬眠にはいると体温はし らの新しい薬物治療を冬眠療法と総 状動脈硬化および脳の動脈硬化は死 だいに下がり , ある温度の範囲内で 称するのは適当ではない。 〔上出〕 は変温動物のようになる。冬眠中で 因の高順位を占めている。動脈硬化 どうめい同盟全日本労働総同 を病理組織学的に分類すると , 動脈 も刺激されると , 体温は上がり , 夏 盟の略称。同盟会議 ( 全日本労働総 中膜に変化をみる中層動脈硬化症 , の体温に近づくと活動しはしめる。 同盟組合会議。全労 , 総同盟 , 全官公 細動脈硬化症 , かゆ状動脈硬化症と ヤマネ , シマリス , コウモリの類 , リ が 1962 年 4 月連絡機関として結成 ) なる。しかし , この 3 型は , 実際に ス , マーモット ( タルノヾガンの一種 ) , が 1964 年 11 月に改組 , 結成された労 は同時に存在することが多い。臨床 ハムスターなどがこの仲間にはいる。 働団体の中央組織。全労 , 総同盟は 的にはも・つとも有害なかゆ状動脈硬 北海道産のヒグマは , 冬には穴の中 解散して参加 , 全官公は組織のまま 化症が注目されている。これは , 脂 で眠り続けるが , 体温は降下しない 参加した。総評への対抗組織を再編 肪ことにコレステリンが血管内膜に から , 冬眠中も恒温で , 刺激される 強化するねらいで , 政党としては民 沈着することが特色とされているが , とすぐさめて活動できる。タヌキ , 社党を支持している。加盟組合は , その真の成因は不明であり , 5() ~ 60 アナグマ , スカンクなどがこの型の 全繊同盟 ( 全国繊維産業労働組合同 歳およびそれ以上の年齢に多いもの 冬眠をする。 盟 ) を中核に , 単位組合 7139 , 単一組 であるが , 若年者にもみられる。動 〔冬眠はどうして起こるか〕冬眠中 合 3868 , 組合員総数 1659063 人 ( 1965. 脈硬化の予防には美食 ( 脂肪過多食 ) の動物では , すべての物質代謝は著 6.30 現在 , 労働省く労働組合基本調 を避け , 規則正しい日常生活をする しく低まっているが , とくに心臓の 〔木村〕 こととされている。 拍動や呼吸数は驚くほど減っている。 とうめいこうそくどうろ東名高 〔高谷〕 冬眠中はふつう食物をとらす , 秋の どうみやくりゅう動脈瘤動脈 速道路日本道路公団が建設中の東 終わりごろ , 皮下や体内に多量にたく がある一部位でこぶ状に拡張した状 京 ~ 小牧市間約 345.3km の高速道路。 わえた脂肪を分解して物質代謝を行 態をいう。梅毒性動脈中層炎や動脈 路線名は高速自動車国道東海道幹線 硬化症 , 高血圧症などで動脈壁が局 なっている。冬眠の起こる原因につ 自動車国道。起点と終点を含めイン 所的に弱化したとき , その部位に動 いては , 外部的には冬の低温と食物 ターチェンジは 21 カ所 , 橋梁 290 カ 脈瘤を生する。大動脈に発生するこ 不足とがあげられるが , とくに低温 所 , トンネル 11 ヵ所。東京 ~ 厚木間 とが多く , 胸部の X 線診断で明確と 6 車線 , 厚木 ~ 小牧間 4 車線。総工 が冬眠を誘発する第 1 の原因である。 なるはか , 最近では血管造影法によ 内部的には冬眠腺があげられる。ク 費約 3425 億円で完成予定は 1968 年度。 っても診断される。放置すると動脈 マ , ハリネズ、 リスなどの肩甲骨 完成すれば東京から厚木 , 沼津 , 静 瘤は破たんし , 大出血のため即死す に接して脂肪組織でできている独立 岡 , 浜松 , 岡崎 , 名古屋 , 小牧を結 トウモロコシ ( 上 ) とその支根 ( 下 ) ることがあるはか , 周囲臓器を圧迫 び , 東京 ~ 名古屋間の所要時間は約 腺が発見され , 実験的にこれが冬眠 したり , 血せん ( 栓 ) を形成したりす 6 時間半となる。 果実 の原因と考えられている。 雄穂 〔駒井〕 とうもろこし南米アンデス山ろ ることがある。最近では動脈瘤を切 〔夏眠〕冬眠類似の現象に夏眠があ る。これは夏の高温が動物の活動に 除し , 血管 ( 人造血管を含む ) を移植 くの低地帯原産と考えられているイ する手術法が発達してきており , 治 不適当であるため , それを避けて静 ネ科の一年生作物。米大陸発見当時 止している状態をいい , / ハイギョ 療の見通しは明るくなりつつある。 すでにひろく南米 , 北米に栽培され , が夏の乾季に泥中で夏眠し , うきぶ 〔高谷〕 インディアンの主要作物であった。 くろで呼吸することはよく知られて 欧屮トこは 15 世紀末に各地に広がり , どうみようじ道明寺もち米を 16 世紀初期にはアジア諸国に伝わっ 水に浸したのち , 水をきり蒸して乾 いる。また 8 月の盛夏にトカゲやカ た。日本には天正年間 ( 1573 ~ 92 ) ポ 燥したもので , 道明寺糒とも道明 ナヘビなどを見かけることが少ない 寺種ともいう。河内国道明寺 ( 大阪 ルトガル人により伝えられ , 九州 , のも夏眠しているためである。 〔沼野井〕 四国 , 富士山ろくなどに栽培された。 府美陵町 ) の天満宮で神前に供えた とうみんりようほう冬眠療法 饌芫飯のさがりを信者たちにわけるた また明治の初め米国から北海道に導 患者を氷水に浸したり , 冷却装置を 入され , これがひろく栽培されるに めに加工したのがはしまりという。 使用したり , また自律神経しゃ断剤 水に浸すか湯をかければ食べられる 至った を与えたりして , 人工的に動物の冬 〔性状〕えい ( 穎 ) 果は果柄で穂柄に ので , 携行食や兵糧うとして利用さ 眠と似た低体温と基礎代謝低下状態 っき , 基部に半透明の膜片がある。 れた。寒中 30 日を限って製造し , 年 をひき起こし , 治療の目的に役だて 数をへても変質しないのを誇りとし これが護えい , 内えい , 外えいの成 る方法をいう。そもそもは心臓や脳 熟したものである。えい果の内部構 た。現在では , おはぎ , 桜もち , つ などの大手術のさい , ショックを予 ばきもちなどの和菓子の材料とされ , 造は表皮 , 種皮 , 胚乳組織に分かれ , 防し , 失われる物質 , エネルギーを また「みぞれ揚げ」とよんで揚げ物 胚乳はタンパク質を含む硬質デンプ できるだけ少なくするとともに , 麻酔 ンの角質と , それを含まない軟質デ の衣に用いる。 〔川島〕 ンプンの粉状質とに分けられる。胚 とうみん冬眠動物が冬の低温 効果を高める目的で行なわれた ( 冬 は長三角形で , えい果の背面の基部 眠麻酔 ) 。その後 , 自律神経しゃ断剤 のもとで食物をとらす , 運動するこ につき , 多量の脂肪を含む。全体が を / トランキライザー ( 精神神経安 ともなく静止している状態をいい 定剤 ) として , 精神疾患の治療に用 数枚の鞘葉 ( っと ) で包まれ , 上端か このとき体内の物質代謝も極端に低 下している。〔冬眠する動物〕変温 いるようになり , 冬眠療法の適用範 ら毛髪状の柱頭が長く出る。根は種 この方法はとくに不 子根 , 冠根 , 支根の 3 種からなる。 動物のカエルにみられる冬眠は , 冬 囲は広まった。 安 , 緊張 , 興奮をしすめるのに効果 支根は地上の最初の 2 ~ 3 節から生 になって外温が下がると , 体温調節 一三ロ えい果 - ツ : 第、洋 花
ッキ 1 9 3 いし , また鉱物のなかに結品水とし 面に見られる。これらの構造物をよ て含まれる水はこのかぎりではない。 く観察するには満月のころを避ける はうがよい。満月のころには月面の だから月に行った場合 , 鉱物を処理 すれは、結品水は得られるかも知れな 起伏凹凸によって生する影が消え , 細部がわからないからである。特定 いし , 地下深所を探ったら地下水が の構造物を研究するのでなければ , 発見される可能性がないわけでは 望遠鏡でみるのは上弦から月齢 13 日 〔温度〕大きな望遠鏡に鋭敏な熱電 ごろまでの月がよい。月齢 11 ~ 12 日 ごろの月を口径 20 ~ 30cm の望遠鏡で 対を併用すれば , 月面各部の温度を 測ることができる。望遠鏡で月の像 見ると実に美しい。次におもな構造 をつくり , その各部に熱電対の接続 物について説明する。 1 ) 凹孔くは、 点をおけば , 月面の放射熱が測られ , んだ穴で , 噴火口という人もある。 それから温度が計算できる。その結 月面中央付近では円形であるが , 縁 果によると , 満月の中央付近では 120 に近づくにつれて細長いだ円形とな ℃に達するが , それから離れるにつ る。これは本来は円形であるが , 縁 れて温度は急速に下がり , 中央から に近いものはど斜めに見ているため 縁までの % 付近では 95 ℃ , % で 75 ℃ , である。凹孔の周壁は周囲の平原よ % の付近では 6 ( ) ℃となり , 縁付近で り高い。一般に小凹孔の周壁は単純 サーベイヤー 1 号の実物模型。頂上の板は太陽電池板 , 向こう側のは高 は一 1 ( ) 0 ℃前後となる。別な言い方 であるが , 大凹孔には複雑なものが 感度アンテナ。左側丸い円筒状はテレビカメラ。左方と右方の長い棒 をすれば , 太陽が頭の真上から照ら はアンテナ。軟着陸のための脚部の足元に円板形の台座がついている 多いし , 凹孔が互いに重なりあって す点では ( 正午 ) 12 ( ) ℃になるが , 太 いて形がきわめて複雑となっている 陽が西に傾いて高度が 6()0 になると ものもある。孔底は水面のように平 態にあるときに横圧力がかかり , 物 温度は 95 ℃ , 高度 4 5 。では 7 ( ) ℃ , 高 らなもの , さざ波のような平行なす 質が盛り上がってできたものと考え 度 3 ( ) 。では 2 5 ℃になり , 太陽が低く しを見せているもの , 中央丘がある られる。横圧力は , 海が温度降下し なるにつれて急速に寒くなり , 高度 もの , 中央丘上にさらに小凹孔をも たために収縮し , 沈下したためと考 20 。では一 2() ℃はどで , 日没時には つもの , 色が「海」のように黒いも えるのが無難である。 5 ) 割れ目海 ー I() ( ) ℃ほどになる。温度は夜間中 のとそうでないものなどいろいろあ や凹孔の平原に見られる。幅は一般 も下カゞり続け , 夜明けごろには一 150 る。凹孔の直径も種々雑多である。 に数 km 程度の狭いものが多いが , 長 大望遠鏡を用いてようやく測れる程 ℃はどになる。地球に比べて温度の さは数十 km に及ぶ長いものがある。 高低がこのように激しいのは次の理 度の小さなものから , 直径 250 に 深さはわからない。 これも海などが 達するものがある。直径 50 以上の 由による。 1 ) 大気がないこと。地球 温度降下によって収縮し , 周囲の上 凹孔は 76 個 , 100km 以上は 37 個 , 15 ( ) の場合には激しい日光の直射が大気 地から引き裂かれたために生したも km 以上は 13 個 , 2 ( ) ( ) km 以上が 7 個あ のためにかなり和らげられ , かつ大 のと考えられる。 6 ) 白条特定の凹 り , 小凹孔はど激増する。周壁の高 気はふとんの役をして , 暖まった地 孔から放射状にでている白色の条で , 面の熱の放散をある程度防いでくれ さも凹孔の大きさに応してまちまち 月面の温度が高くなると目だってく る。月にはこの両作用がない。 2 ) 月 であるが , 高いものでは数千 rn に達 る。もっとも有名なのは凹孔チコ・ の表面に蓄熱作用がないこと。月面 し , 9000 m に及ものもある。おも プラーエから出ているもので , 最長の は水気のない砂漠状態にあるが , そ な凹イしには , コペルニクス , チコ・プ 白条は月の半球を横断して実長 3 ( ) ( 刈 の表層物質は激しい温度変化および ラーエ , アルキメデスなどのように km に達する。アリスタルコス , ビル 古代からの天文学者や天文学に関係 太陽からの紫外線や X 線に砕かれて キ、ウス , コペルニクス , プロクルス . あった人々および物理学者 , 地理学 微粉状態にあると考えられる。いわ 者 , 哲学者 , 探検家などの名がつけ ソ連の自動惑星間ステーーションが撮影した月の裏側の電送写真。 ば火ばちのなかの灰くすのようなも 1 モスクワの海。 2 字宙旅行者の湾。 3 南の海。 4 ツイオルコフ られてあり , その数は現在では 612 個 ので , 熱の伝導が悪く , 表面が 1 ( ) ( ) ℃ スキー火口。 5 ロモノソフ。 6 ジョリオ・キュリ 7 ソビエト に上る。 . 凹孔の成因としては隕石 になっても地表下数 cm のところでは 山脈。 8 夢の海。 I フンポルト海。Ⅱ危難の海。 III 縁の海。Ⅳ波 氷点下数十℃と推定される。したが 落下説と噴火孔説とが対立していて , の海。 V スミス海。Ⅵ豊の海。Ⅶ南の海。なお , 白い破線は地球 いすれとも決めがたい。 2 ) 山脈山 って太陽が西に傾けばぐんぐん冷え から観測可能の部分限界 , 中央の横の白線は月の赤道をしめす 脈と称されるものが現在 18 発見され るわけである。逆に日出になって日 ている ( 月の裏側にあるものを除く ) 。 光が当たりだすと , 温度は急速に上 いすれも地球上の山脈の名をとって がりだす。 19 39 年 10 月 27 日の月食の さい , 米国の S. B. ニコルソンと E. プ 名づけられている。もっとも雄大な ティが観測した結果によると , 月食 山脈はアベニン山脈で , 長さ約 600 の直前には月面の中央部は 100 ℃は km , 幅約 200km , 高さ最高 5600m に及 どであったが , 半影にはいると温度 」 : 三日月形をしている。小さいはう は 10 分間に 23 ℃のわりで下がり続け , ではテネリフェ山脈や直線山脈のよ 74 分後に本影にはいったときには一 うに長さ 70 程度のものもある。ヒ。 73 ℃になった。本影にはいっても温 コ山 ( 高さ約 24 ( ) ()m ) , ピトン山 ( 高 度は下がリ続け , 本影から出るころ さ約 2100m ) のように孤立した山も には一 98 ℃になっていたという。 ある。 3 ) 断がいアルタイ断がいと 〔表面〕月の表面には薄黒いものが 直線壁の二つが大きくてとくに目に 見える。 17 世紀初期の望遠鏡観測者 つく。前者は長さ約 500km , 平均の高 はこの部分を月面の海と誤認したの さ 1800m で , 最高 4000m に及京。後 で , 晴れの海 , 豊の海 , 雨の海とい 者ははば直線状で , 長さ約 100km , 平 うような名がつけられた。光った部 均の高さ約 250 m である。 4 ) しわ 平原に見られる細長い盛り上がりで , 分には大小無数の凹孔が密集してい る。その他山脈 , 断がい , 割れ目 , ゆるやかな曲線状をしている。多く は海の縁近くにある。海が半溶融状 しわ , 白条などいろいろなものが月 7 よ 8 4 0
2 0 8 らできたもので , 自然条件としては , ダイ , イシガキダイ , シロキス , メイチダ は , 昔渡来したものを含めて 6 種。 イ , ボラ。 1 0 月ハゼ , ボラ , セイゴ , イ 魚の成育と餌付きの関係 , それにと そのうちタンチョウは今は渡らす , シダイ , イシがキダイ , イナダ , カツオ , もなった味 ( 旬ド ) の問題があり , 人 北海道の一部にすみついたのが・ふえ ソウダガッオ。 1 1 月ハゼ , ボラ , プダイ , 為的には魚族保護の観点から , 産卵 て 1965 年現在約 2 ( ) ( ) 羽に達する。 6 メジナ , イシダイ , イシガキダイ。 1 2 月 期の禁漁措置 ( 1949 年に制定された 種のうち欧州と共通なのがアネハヅ プダイ , メジナ , イシダイ , イシガキダイ , 漁業法に基づく ) な・どから生してい ル , クロ、ゾル , ソデグロ、ゾル ( シロヅ タイ , カサゴ。 〔釣リの用語〕あげ上げ潮。アタリ魚 る。しかし , 旬 ( 味のいちばんよい ル ) の 3 種 , 東洋特有なのがタンチョ 信。あわせアタリでさおを立てて合わせ とき ) の問題にしても , イシダイな ウ , マナ、ゾノレ , ナベッ、ノレの 3 種であ る。あぶれ 1 尾も釣れないこと。いれぐ どは釣り人は冬美味としているのに る。タンチョウは体は純白で頭頂は い餌を入れるたびに魚が釣れること。お 一部の魚学者は夏を美味として一定 赤く , くびも足も長く , 姿は優美で かつばり陸から釣ること。おまつり他 していない。また近来釣り人の増加 翼長 63cm 。ナベッ、ルは翼長 53cm で , 人の糸とからみ合うこと。かかり水中の にともなって , 禁漁期のない海の魚 頭とくびが白く , 他は灰黒色。マナ 障害物。かけあがり浅場から深場への斜 などば四季を通して釣るようになっ 面。からあわせアタリがなくて合わせる。 ヅルは大きさタンチョウに近く , ナ ているし , 潮流異変によるすれや , きし餌用小ミミズ。げどう目的以外の べヅルと同しく頭とくび以外は灰黒 魚。こませ寄せ餌。さげ下げ潮。さし 釣りの対象魚が変わっていく傾向も 色であるが , くびの背側は肩のあた 餌用のハエの幼虫。すれ針が魚体にふれ あって , 釣りの季節はますます乱れ りまで白色である。世界のツル類の て釣れる . こと。そこり干潮。たか岸寄 ていく傾向にある。以下はやや基本 うちの最大種はオオヅルで翼長 68cm りの浅場。タナ魚の遊泳層。たち水深。 的な関東周辺の釣暦である。 ツルは概して大形の鳥で , に及」 - : カ { でき当歳魚。ね根 , 海底の岩礁。ばか 長いくびと脚がはどよくつりあい , 〔川の魚〕 1 月フナ , ワカサギ , タナゴ , 糸がさおよリ長くなった分。はれ途中で ハヤ , ヤマべ。 2 月フナ , ワカサギ , タ 魚に逃げられること。ひねできに対して 姿がいいので動物園や公園などで観 ナゴ , ハヤ , ヤマべ , コイ。 3 月ヤマメ , 2 歳以上の魚。へち辺地 , 川や池の岸寄 賞鳥として飼われる。水辺が好きで マス , フナ , ヤマ , く , ハヤ。 4 月ヤマメ , りのところ。ほさおの穂先。ポイント 水を渡って餌えを捜す。指は 4 本で イワナ , マス , ヤマべ , フナ , ハヤ , コイ。 魚の釣れる場所。ほそ細流 , みぞなど。み 前方に向かう 3 本の基部に発達の悪 5 月ヤマメ , イワナ , マス , ヤマべ , フ よし船の先端部。やまをたてる海上か いみすかきがある ( 泳ぐことはます ナ , ハヤ , アユ。 6 月アユ , フナ , ヤマ ら陸の目しるしで船の位置を定める。より ない ) 。くびが長いので内部の気管 ー、く , ヤマメ , イワナ , マス。 7 月アユ , 〔永田〕 ( なぶら ) 魚のむらカぐり。 も長く , 曲がりくねって胸骨の竜骨 フナ , ヤマべ , ハヤ , ヤマメ , イワナ。 8 つりがね釣鐘 / 鐘 月アユ , フナ , ヤマ - ヾ , ノ、ヤ , ヤマメ 突起の内部にはいり , また出てくる。 ツール Tou rs フランス中部 , イワナ。 9 月アユ , フナ , ヤマべ , ノ、ヤ , そ ( 哢 ) 嚢はないが引き伸ばすと頭か ロアール川中流にある都市。人口 ヤマメ , イワナ , ワカサギ。 10 月アユ , ら足先までの長さほどになる。昔か 92944 ( 1962 ) 。 ノヾリの南西 2 ( ) ( ) km に フナ , ヤマべ , ハヤ , ワカサギ , ヒがイ , ら「ツルの一声」というたとえか、あ ある。古くはローマの都市であり , コイ。 1 1 月フナ , ヤマべ , . ・、ヤ , ワカサ このような気管のおかげで高 十世には学問 , 宗教の都として , ル るが , キ , タナゴ , モロコ。 1 2 月フナ , ヤマべ , く大きい声が出せる ( アメリカシロ ネサンス時代にはリョンに次ぐ絹の ワカサギ , モロコ , タナゴ , ヒガイ。 〔海の魚〕 1 月カレイ , タイ , メジナ , ヅルはとくに有名 ) 。くちばしは長 都として栄えた町で , 2() 世紀にはい カワハギ , インダイ , アイナメ , プイ , くて大きく , 攻撃の武器としてもた ってからは , 鉄道 , 道路交通の要衝 カサゴ , モロコ。 2 月カレイ , タイ , メ いせつである。闘争のときには , く として , また , ロアール中流の商業 , / ヾノレ , メジナ , モロコ , カワ / 、ギ。 3 月 ちばしで突き , また翼で激しく打つ。 観光の中心として栄え , ゴシックの アイナメ , メノヾル , カワハギ , ウミタナゴ , 飛ぶときには頭も脚もまっすぐに伸 サン・ガチアン聖堂は有名。バルザ メジナ , タイ。 4 月シロギス , イシモチ , ばし , 渡りなどのときには人字状の ックの生地。 〔寺田〕 ウミタナゴ , アジ , サノヾ , メジナ , タイ。 5 月シロギス , イシモチ , ウミタナゴ , つる・〔鶴〕ツル目ツル科に属す 編隊をなす。雌雄 1 対が仲よく暮ら イサキ , フッコ , クロダイ , アナゴ , アジ , る鳥で 14 種ある。新世界では北米か し , ひなの養育も両親が当たる。抱 サバ。 6 月シロギス , イシモチ , イサキ , 卵は主として雌であるが雄もする。 らキューバに及び , 旧世界ではマラ スズキ , クロダイ , カマス , アナゴ。 7 月 巣は樹上でなくかならす地上につく イ諸島 , ポリネシア , ューーン一一フ シロキス , イシモチ , アナゴ , カマス , ク る ( 古くから「ツルの巣ごもり」「松 ンドを除く各地にみられる。しかし ロダイ , ソウダがツオ , イナダ , サノヾ , ア 上のツノレ」などというのは / コウノ 主産地は北東アジアである。多くの ジ。 8 月クロダイ , イシモチ , ソウダガ トリのことである ) 。カンムリヅル 種類は渡りをする。日本関係のツル ツオ , イナダ , スズキ。 9 月ハゼ , イシ 1 奥利根宝川におけるイワナ釣り。雪解けの切れるよう に冷たい清流をさぐる。 2 伊豆狩野川におけるアユの友 釣り。中流のわりあい大きな石のある瀬が釣場になる。 3 水郷における寒ブナ釣りの風景。いわゆるならペ釣り である。 4 東京湾におけるハゼ釣り。ノリひびの近くを 船頭が静かに流す。釣場には多くの髜 } が群がっている。 5 湘南海岸におけるスピニング・リールを使ったシロギ スの投釣り。そう快な気分が好まれる。 6 伊豆の妻良湾 におけるイシダイのいそ釣り。その豪・央さは格別である ツリガネ
取りのすんだ刀を炉に入れてまっか に焼き上げ , 十分焼きのはいったと ころで , 水そうに入れる。 750 ~ 850 ℃くらいに焼けたものが水中で冷却 されるさい , 置土の薄い刃部は急冫翁 されてかたい性質のマルテンサイト 組織となり , 置土の厚い地部は徐冷 されて , あまりかたくはないがしよ うぶなソルバイト組織となる。その 両方の境目が白い模様となって現わ れ , それが刃文であり , またその刃文 を構成している徹粒子が匂や沸 t とよばれるものである。焼入れのさ いにヒ。ンと音がして毛筋はどの割れ 傷でも刃中に生したものは不合格で ある。このため焼入れがすむとすぐ 荒とにかけて点検し , その後は , と ぎ師の手に渡る。 3 ) とぎ下地とぎと仕上げの二つの 段階に分けられる。 a. 下地とぎ荒 い目のといしから , だんだんと目の こまかいといしに移るのであるが とぎ方は , ます縦 ( 正確には斜め ) に とぎ , 次は横にとぎ , また縦にとぐ というふうに角度を変えつつ前のと いしの目を消すようにといでいく こうして表面をなめらかにして美し くしながら同時に刀のゆがみを直し ていく。 b. 仕上げ仕上げからは指 先の仕事になり , 刃艶 , 地艶と よぶそれぞれ 3 , 4 分 ( 1 cm 前後 ) 角大 のといしの薄片を親指の腹につけて 地と刃を別々にすり , さらに拭繆と いって研摩剤の粉末を調合したもの をつけて糸綿で地をすり , また刃艶 で , 刃文の形なりに刃をする。切先 部だけは別にし , 最後に仕上げる。 このように幾段階かの手順をへた結 果 , 地はだの模様も刃文の様子もく っきりと浮き出し , fkt%, 鎬地 , 地 , 切先と各部分がそれぞれ異なった光 沢と色合いを発揮しながら全体とし て統一された美しさを現わすように なる。 4 ) 形状もとのほうは厚く幅広く , したがって重くっくり , 切先へいく にしたがってしだいに細く薄く , 軽 くなって , 先端は鋭くとがらせる。 また断面を見ると刃先部は薄く , 棟 の方へは , 、マグリ形にだんだんと厚 くなる。太刀 , 刀 , 脇指などはたい てい鎬造りで , そりをもたせている。 この形は力がよくはいって物を鋭く 切断し , しかも手もとへの抵抗は少 ない。短刀は刀身が厚けれは、身幅を 細くし , 薄ければひろくするという 配慮がなされている。 〔歴史〕上古には , 応神天皇の時代 に韓鍛冶の卓素が来日したことや , 神功皇后のとき百済から精鉄を献し たといわれるように , 製鉄法も刀剣 の製法も中国や朝鮮から学び , また 手本となる刀剣も輸入された。推古 天皇に中国製の大刀ををたたえて「大 刀ならば呉のまさび」とよんだ歌が ある。やがて倭 : ま鍛冶とよばれた日 4 0 1 本の刀工たちも , 技術を向上させ , られるような優秀なものが作られる ようになった ( 別刷正倉院参照 ) 。 のころまでは直刀で , 平造りと切刃 造りがもつはら行なわれた。まれに 切先両刃造りのものがあるが 形は中国直伝のものらしく思われる。 しかし , 平安時代には刀剣も日本的 な特色をもつようになった。刀身に はしだいにそりをつけ , また切刃造 りの平面の稜 3 よ線部を厚くした鎬造 りのものを作り出した。これは日本 独特のスタイルであり , のち長く太 刀をや刀 , 脇指の基本の形として受け 継がれた。平安時代中期以降の太刀 は概して身幅が細く先は小切先で , そりが高くなる。しかし腰もとはぐ っと張り , 優美なうちにも力感がこ もり , 刃文は小模様の乱刃で沸出来 が多い。太刀拵もひしように進歩 し , 儀仗翳用の飾太刀や毛抜形太刀 ( 柄のところに毛抜形の彫透しのあ るもの ) のすぐれた作品が残ってい る。鎌倉時代の太刀はたけ長く , 身 幅も広く , 切先はぐっとつまった猪 首ね状で , 豪壮感のあふれるものに なった。刃文は匂がちで大模様のは なやかな出来である。短刀の作例も 多く , また薙刀の遺品もあり , 寸 のつまった . 小太刀も残っている。拵 には柄と鞘を革で包んだ革包太刀 や全体を金属の薄板でおおいそれに 覆輪をかけた兵庫鎖の太刀などが多 くなった。その例としては吉川家の 狐ガ崎の太刀や大山低支神社 , 厳 島神社などのものがあげられる。南 北朝時代になるともっとも長大なも のが作られるようになった。身蝠は 広く ( その反面少し薄くなる ) , 切先 は大きく延びた。刃文は , 前代の丸 みのある乱刃から , 刃の頭がぎざぎ ざととがり , それの五つ六つ連なっ たのを一つ単位として , それを並べ た互ぐの目乱刃に変わった。あるいは 平造り 切刃造り 鎬造り 丁字 小乱 互の目 刃の足先が切先のほうに向くものも でき , 一般に鋭い感しを出してきて いる。太刀のうちでは最大の長さ 1.5 m 前後の野太刀 ( 軍陣の先頭に進ん で相手方の馬の足を払うに使ったと いわれる ) がこの時代に盛んに作ら れた。短刀も寸法が大きくなり , ま た身幅も広くなり , それに伴い , そ りをつけるようになった。また槍 が出現している。室町時代には , 中 期ごろになると , 刀の寸法が短くな リ , 6 ( ) cm を越えない程度の長さで , そりの深くないものが流行し , また 腰にさす刀 ( 打刀 ) が太刀にとってか わった。このことは江戸時代末まで 続く。短刀も寸が短くなり , 身幅も 狭いものとなるが , そのかわり厚く なった。その代表的なものは鎧まろ通 しである。拵は打刀拵となり , 小柄 や笄記がつけられた。姚山時代には 南北朝時代のスタイルを追うように なり , それを大磨上にした形を 復元しようとしたので , 身幅は広め で切先は延びているが , 全体の寸か つまリ , そりの浅い姿となり , 沸出 4 よごにーぐ 3 新物ギ : ・一一一・ 2 7 6 5 4 トウケン 日本刀の造り ( 上 ) と刃 文 ( 下 ) 。造りの右側は それぞれの断面を示す。 平 ( ひら ) 造り , 切刃 ( き りは ) 造り , 鎬造りなど のはか両刃 ( もろは ) 造 り , 冠落 ( かんむりおと し ) 造りなどがある。刃 文は直線的な感じの直 刃 ( すぐは ) と変化の多 い乱刃 ( みだれば ) に大 別され , 直刃は焼幅の 広狭によって広直刃 , 中直刃 , 細直刃に分か れ , 乱刃は互 ( ぐ ) の目 , 丁字 ( ちょうヒ ) , 湾 ( の たれ ) など種類はひし ように多い 日本の刀の拵。 1 環頭 大刀。 2 頭槌大刀 ( 古 代 ) 。 3 銀銅蛭巻 ( ひる まき ) 太刀 ( 平安時代 ) 。 4 黒漆太刀 ( 鎌倉時代 ) 。 5 革包 ( かわづつみ ) 太 刀 ( 室町時代 ) 。 6 金熨 ( きんのし ) 糸を太刀 ( 挑山時代 ) 。 7 江戸時 代の大刀
トウケン は長曽禰虎徹のもの 銘の刀 ( 鎌倉末期 ) , 下 観世正宗といわれる無 近の太刀 ( 鎌倉末期 ) , れる。以下 , 三日月宗 安時代のものと伝えら 国包平作」とある。平 茎に彫られた銘。「備前 とよばれる太刀 , 下は 日本刀。上から大包平 来の大乱刃が多くなった。短刀の形 も南北朝時代のものによく似ている が , 厚さのほうは厚い。拵には礼装 用または社寺への奉納用として柄と 鞘のもとのはうを組糸で巻き , 鞘に は金梨子地じに家紋を蒔絵した 糸巻太刀が諸大名によって作られた。 また刀と脇指を合わせて 1 組とし , 同案の意匠や金具を付けたものが行 なわれたが , これを「大小」といい 江戸時代の武士の間にもつばら用い られた。江戸時代でも初期 ( 寛文 , 延 4 0 2 玉追竜 , 梅樹にからむ竜など装飾性 たが , 桃山 ~ 江戸時代には松竹梅や しかも信仰を表わすものを彫ってい 細い樋ひを 2 本並べる ) など簡単で , か梵字どんまたは香箸ジ ( 同し長さの の彫り物 ) を彫るか , 短刀ならば剣 も , 古刀期には鎬地に棒樋まう ( 棒状 そうとしている。刀身に施す彫り物 瀾乱れとか数珠刃などを焼き出 もなにか意味のある形 , たとえば濤 る。地鉄はよく積んで美しく , 刃文 宝ころまで ) はよい刀が作られてい の豊かなものを彫るようになった 町人の間には脇指を 1 本さす風習が 行なわれたので , 脇指の作例も多い。 しかし短刀は実に少ない。江戸末に はふたたび寸延び大切先の長刀を作 ることが要求され , 南北朝時代の姿 に復古しようとした。しかし長い平 和が続いたあとなので , 技術的には 大いに低下し , 容易に立ち直ること はできなかった。現在はこの作刀技 術の伝統を保持するために全国で 200 人あまりの刀工が刀を鍛えている。 〔諸流派とおもな刀工〕大宝令には 刀剣には作者名 , 製作年月日を刻む ように規定されており , また記紀 , 風土記などに刀工名が散見している が , 現存の上古 ~ 奈良時代にかけて の遺品で刀工の銘を刻んだものは渡 来品に 2 , 3 あるはかは 1 ロもない。 大和や吉備地方 , 九州などにす ぐれた刀工は散在していたであろう が , 状況はつまびらかでない。当時 の刀工と伝える天国や天座など の確実な作品は残っていない。平安 時代は帝都の地となったことで山城 に宗近 ( 三条小鍛冶 ) や国永 , 兼永ら が出 , 吉備の地の備前には友成 , 正 恒 , 包平 , 信房ら ( これら平安時代の 備前刀工の作品を「古備前物」とよ ぶ ) , 備中には守次 , 伯耆には安綱 , 九州の筑後には光世らの名工が出た これらの人々の作品は出来が優秀で , 三日月宗近 , 鶴丸国永 , 大包平 , 大 転多光世 , 童子切安綱などのように 国宝に指定されているものも多い。 鎌倉時代は武家政治の成立を背景と して , 各地に名工が輩出し , 刀剣界 の黄金時代を築いた。後鳥羽上皇は 山城 , 備前 , 備中から名工を呼び寄 〔日本刀の用語〕 映 ( うつり ) 地のほうににおうように薄白く花 文様のかたまりや棒状のものが現われているの をいう。生 ( う ) ぶと磨上 ( すりあげ ) 造成され た当初の姿を , そのまま伝えているものを生ぶ といい , 茎 ( なかご ) の先を多少切りとって寸法 を短くしたものを磨上という。磨上のうち , と くに茎の大半を切りおとして銘もなくなってし まったのを大磨上という。切先・鋒 ( きっさき ) 身の先端の扇状になってとがっている部分をい う。平安・鎌倉時代初期にみられる先幅の細い のを小鋒 ( こぎっさき ) , 鎌會中期の鋒のやや大 きくなったのを中鋒 , 南北朝時代のもと幅や先 幅に比べて , 著しく鋒ののびたものを大鋒とい う。鍛肌 ( きたえはだ ) 地肌と同しもの。腰 身のもとのほうの区 ( まち ) から l()cm くらいのあ いだの部分をいう。古刀と新刀製作年代につ いての区分で , はは、慶長期以後を新刀 , その前 を古刀という。化政期ごろ以後のものを新々刀 ということもある。鎬 ( しのぎ ) 棟と刃先の間 にはさまれ , 中はどのやや棟よりに縦に通る線 をいう。棟と刃方の両方からしだいに高くなっ た境の稜線である。太刀 ( たち ) と刀 ( かたな ) 室町時代中期を境として , 刀の着け方が変わる。 それ以前は帯取革 ( おびとりかわ ) を拵 ( こしら え ) の足金物に通して腰につるが , この刀が太 刀で , それ以降は腰の帯にさすようになり , れを刀 ( または打刀 ) という。両方 60cm 以上ある 点では同しだが , 銘のあり場所が違う。刀は身 につけたとき , 外側 ( 表ともいう ) にあたる部分 に銘をきるのが慣例で , 太刀では棟を上にして つるので銘が反対になる。また , 太刀は刀に比 べてふつう寸法が長く , そりが強い。地肌折 り返し鍛練したさいの鉄の合せ目が , 木材の肌 目のようになって刀身に現われたもので , 形に よって板目肌 , 柾 ( まさ ) 目肌 , 杢 ( もく ) 目肌 , 梨子 ( なし ) 地肌などと名づけられる。直刀 ( ち よくとう ) そりのない刀。上古 ~ 平安時代中期 までのもので , 以後は , そりのある刀となる。短 刀には , そりのあるのは少ない。剣と大部分の 槍は左右対照形で , そりがない。柄 ( っか ) と鞘 ( さや ) 茎をいれているものが柄で , 身を納め ているのが鞘である。柄にはサメ皮で包み , ひ も糸でひし形に巻いたものなど , 鞘には革で包 み , または漆で塗ったものなどあり , これらの 外装を拵または造りという。ホウの木で作った 装飾のないのを白鞘という。拵のあるものには 鐔 ( つば ) をつけるが , 短刀の拵で , まれにはじ めから鐔のないものがあり , これを合ロ拵とい う。刀拵の付属品には , 鞘のもとのところに外 から差しこんだ小柄 ( こづか ) や笄 ( こうがい ) , 目貫 ( めぬき ) があり , これを三所物 ( みところも の ) と称する。茎中心とも書き , 刀の柄に納ま る部分をいう。長さとそり切先の先端から手 もとの棟区までの直線距離をはかったものが長 さで , その直線と棟との間のうち , もっとも長 いところをはかって , そりの寸法とする。刃渡 りといわれるのは身の長さをいう今日の警察用 語である。沸 ( にえ ) と匂 ( におい ) 刃文 ( はもん ) を構成している粒子のうちで , 形が大きく , 銀 砂子を散らしたようなのを沸といい , 小さくて , 肉眼ではわからぬほどのものを匂という。その どちらかの多少によって , 匂出来とか , 沸出来 とかいう。鑼 ( はばき ) 身と茎の境に , 茎の先 のほうからはめこんだ高さ 3 くらいの金具を いう。鞘のなかの刀身を固定させるためのもの である。刃文焼入れにより刃先部にできた白 い文様をいう。直刃 ( すぐは ) , 乱刃 ( みだれば ) の 2 種に大別される。帽子・鋩子 ( ばうし ) 切先 部の刃のことをいう。区身と茎との境目をい う。磨上によって身のはうを多少茎にくりいれ ることを , 区を送るという。身とぎすまされ て光っている部分をいう。銘刀鍛冶 ( かし ) の 名やその他を刻むことをいう。製作年月日を刻 したのは裏銘といい , ふつう作者銘の裏側にき る。無銘をのちに鑑定家によって朱書されたの を朱銘 , 試斬 ( ためしぎり ) の結果をしるした試 銘 ( ためしめい ) , 金を入れた金象眼銘 ( きんぞ うがんめい ) などがある。物打ち切先から 15 この部分でお くらい下がったところをいう。 もにものを切る脇指 ( わきざし ) と短刀長さ が 305 以下を短刀 , それ以上 60cm までのものを 脇指という。今日の警察用語では , 短刀は合ロ とよばれている。
トウカイ 3 7 3 ーの灯火であった。したがって近代 れ . これも重要な灯火油となった。と 力を続けてきた。灯火の歴史を顧み まで , 電灯が出現する以前の農家の リわけ安価で悪臭のないナタネ油は るとき , ーっの方法が他の方法にま ひろく用いられた。安政年間に諸外 多くでは特別のことがないかぎり , ったく同時的に交替したのではなく , 国との通商条約が結ばれて以後 , 石 夜はいろりにたく火だけで , あかり もっとも原始的な方法も現在まで利 汕ランプが輸入され , 本来の植物油 をまにあわせていた。あかりがとく 用されていることが注目される。灯 は照明度からいっても , 発火時間 , に必要の場合には , ふつうのたきぎ 火はその原料によって , 1 ) 植物性お よりも油脂の多い松の根やその節 ( 関 値段からいっても石油には及ばない よび動物性の油 , 2 ) ガスおよび石油 , 西では「肥松」 , 関東では「ひで」 , ので , しだいにえていった 3 ) 電気の三つに大別される。 東北では「あぐら松」という ) などを ロウソクはすでに奈良時代からあ 〔灯火の歴史〕人類は , 寒さを防ぎ , こまかく割って , 炉の片すみに設け これは舶来の貴重品であっ ったか・ 野獣から身を守るためにたき火を行 られた鉄または石製の灯台 ( 東京周 た。唐からはいった奈良時代のロウ なったカゞ これは火のもつ二つの働 辺では「ひでばち」 , 山梨では「松 はミッノヾチのみつロウから採ったと き , つまり熱と光を同時に利用した ロ」 , 長野では「かんたろ」などとい いうが , 日本ではウルシの実 , こと ものであった。その後 , 1 本のつけ う ) の上で燃やした。これらは明治以 にハゼノキの実から採り , 一般の農 木による灯火が発明され , これはや 後 , 石油をともすランフ。やカンテラ 家ではマツやにをこねて , 長い棒に がて「たいまっ」に発展した が灯火として普及するにつれて , し したマツやにロウソクを使用するよ まつは樹脂の多い松の根などをこま だいに農村から姿を消していった うになった。これは明治時代までつ かく割ってたばねたものだか・ , たい しかし , ガラスのほやを付けたラン まつの火はたいへん明るく , フラン つ、 ) たか、マツやにロウソクはふつ プは高価な石油を多量に消費するの うのロウソクのように下に穴がない スなどでは , 貴族の大宴会には , 幾 で , 養蚕や機織りの夜業が盛んに行 ので , くぎに立てることはできなか 十人もの召使がそれをもって広間に なわれるところではよいが , そうで 立っていたという。フランス国王の ったが , 一方の溶けるのを待って継 ない地方では , なかなか一般化せす , ぎ足すことができたので , 中世には 宮殿では , 生きた召使の代わりに銀 ほや付ランプは冠婚葬祭のときだけ 製の像をたてた。一方 , たいまつの 「つぎまっ ( ついまっ ) 」とよばれた で , それも近所の地主の家から借り 江戸時代になって , ロウを絞るハゼ 利用の過程で , 樹脂や獣油を粘土や てまにあわせる程度だった。なお , 石のさらに入れてあかりを得る方法 ノキの栽培が奨励された結果 , ロウ 外出用の灯火としても , 古くは肥松 このような最初のラ ソクが安価に入手できるようになっ が発見された を手に持って , それをそのまま手し て民間にも普及した。とくに都市生 ンプの起原もきわめて古く , 1928 年 よくとした。手に持っ火がすなわち 活が展開し , しよく台にロウソクを 発見された旧石器時代のムスチェ遺 「たひ」で , 「まつあかし ( 松明 ) 」以 跡にすでにそのこん跡がみられた。 立てる風習か、広か、り , ロウソクの需 外にその材料がなかったころには , 要もとみに増大し , 会津 , 越後 , 羽 前 8()()0 ~ 前 7()00 年と推定される , テ 松明と書いて「たひ」と読んでいた 前 , 肥前などでロウソクが産出され ラコッタ ( 素焼き ) のランプがメソボ その後 , 手しよく , ちょうちんなど タミアで出土し , 前 27()0 年ごろの銅 た。ロウソクの原料としては明治後 「たひ」の類が多くなってからは , と 期になって鉱物質の石ロウが普及し , 製および青銅製のランプはエジプト くに松明を「たひ ( い ) まっ」とよん やベルシアの各地で発見された。植 木ロウのものは姿を消していった で区別するようになった。 たいまっ 石炭ガスの製造 , 使用はすでに 18 物性繊維の灯心と浅いさら , それに は松を用いるのが本来であるが , 麦 57 年薩摩つ藩において試みられた。 オリープやクルミの油を利用したラ わらをたばねたもの , 竹くすを利用 明治維新後 , 大阪の造幣局も英国か ンプは前 10()0 年ごろから現われ , 前 した竹たいまつや松の削りくすを集 ら機械を購入して石炭ガ、スを製造し , 500 ~ 前 400 年ごろには家庭で利用さ めて作ったものなどもある。暗夜を 工場 , 街路 , 外人官舎などにガス灯 れはしめた。前 1 ()() 年ごろにはローマ いくときは , これらのたいまつを 5 を用いた。しかしこれらはすべて自 人の間に角を利用したランプが登場 本も 6 本も背中に背負って出かけた。 家用に用いたものであった。営利的 している。 にがス事業が経営されたのは , 72 年 灯火に油を用いることは古くから行 鉱油を利用したランプについては , の横浜石炭瓦斯製造所が最初であっ なわれていたことで , ゴマ , カヤ , アドリア海岸でみたというローマの ツバキなどの実から採る汕は高価で た。これははしめ高島嘉右衛門の個 著述家プリニウスの記録が最古であ あったため , 一般の灯火専用には多 人事業であったが , 75 年から市民の る。日本では , 天智天皇 7 年 ( 668 ) くヒョウビ ( イヌがヤ ) の実から採る 共有となり , 横浜連合会所によって に「燃ゆる水」が , 今の新潟県から 油が使用されていた「魚灯」といっ 経営された。また東京でも , 1871 年に 献上されたとの記録がく日本書紀 > に て魚を絞って採った油も古くから使 ガス事業が計画されて , 74 年の末に みえている。マノレコ・ポーロは 13 世 われたがこれは臭いうえにそれは 初めて京橋以南の地に数十個のがス 紀に今のバクー付近で灯油の目的で ど明るいものではなかった。灯油製 街灯が点しられた。その後 , 大阪 , 石油が採取されていたと述べている。 神戸の各地にもガス事業がのびてい 造の職業はエゴマの搾油に始まって ロウソクの使用は古く , 前 3 世紀こ いる。安土桃山時代から山城国大 った。しかし石油ランプに押されて ろからとされ , これの製造は人類の最 ガス灯の普及は容易でなかったが , 古の工業の一つに数えられる。キ、リ 山崎の油座の発展があり , 江戸時代 その後白色マントルが発明され , 従 シア人 , ローマ人 , フェニキア人ら にはいると大山崎八幡宮の社司は油 来に比べて光力がすこぶる強大とな を江戸に回船し , 江戸用達を命ぜら か、改良したが , ランプのようには一 ったので , 明治の末ごろになってガ 般に利用されなかった。天然力、、スに れている。ツノヾキ油の製油もエゴマ ス事業は大いに興った。しかし同時 よる灯火は紀元前から中国で利用さ 油と同様に神社と結びついていて , 摂津遠里小野村 ( 現在は神戸市内 ) , 1912 年ごろから電球が著しく改 れた記録が残っている。これは地下 の岩塩層から竹のパイプで地上にひ 良され , 電気事業がしだいに興隆し は住吉大明神へ灯明料の油を献する たために , 灯用としてのガスの需要 き出されたものであった。以上 , 主 ことによって特権を得ていた。次い として中世以前の灯火の歴史につい は 12 年を頂上として急激に衰えたが でアプラナが中国から輸入され , ナ 炊事用 , 暖房用としてのびるにいた て略述したが , なお , あんどん , 照明 , タネの搾油方法も改良され , 大阪が しよく台 , ちょうちん , 電球 , ランプ , 集荷 , 出荷の中心地となった。また 〔宮本又〕 った とうかい東海〔村〕茨城県那珂 大阪の製油家木津屋三右衛門の蔵で , ろうそくなどの項を参照のこと。 郡 , 鹿島灘に面する村松海岸砂丘に 〔日本における灯火の利用〕古くは 偶然ワタの実から「白油い」とよば ある村。国鉄常磐線が通しる。人口 れる良質の油の採れることが発見さ 「あかし」といって , 炉の火が屋内唯 陶淵明 く歴代君臣図像〉より