五十歳 - みる会図書館


検索対象: 坊主の花かんざし(一)
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1. 坊主の花かんざし(一)

144 薄、スケベイ、ホラ吹き、ケチ、テテナシ子、グウタラ、インラン、何でもいいのだ。その代り 昔の看板、「勉強屋」とか「正直堂」とか「貞節屋」などというのがはやらなくなった。 ところで私が子供の頃、「巡査の娘」という看板を上げて、気に障ることがあるとすぐに人を つね 抓ったりする女の子がいた。「巡査」という看板に怖れて子供らは唯々諾々と抓られ、おとなは おとなで、 「しゃーない子やな。おとつつあんにいうたろか ! 」 かげ こぶし と蔭ではいったが、面と向ってその看板に拳をふり上げる者はいなかったのである。つまり彼 女はカン。ハンを自ら上げるのではなく、大カン。ハンの下にもぐって自分が上げたような気になっ ていたのだ。 看板に生きる人間の中にも、自ら上げるのと、もぐりこむのと二種ある。自分で看板を上げて 生きている人間は、人を抓れば忽ち抓り返されるのである。だが大看板にもぐっている人は抓っ ても誰も抓り返さない。抓る方もどこを抓ればいいのかわからぬのである。 たんのう ところで去る七月五日の深夜、私が胆嚢炎で唸りつつ寝ていると、突然、枕許の電話が鳴った。 作家氏からでいきなり、 「今日の朝日の夕刊読みましたか」 という。いや、今日は病気でタ刊も読んでいないというと彼は興奮した声で、朝日の夕刊に匿

2. 坊主の花かんざし(一)

看板の下のネズミ プラットホームで高校生が、 「オレは何か一つ、カンバンを上げて生きる人間になりたいんだ」 マンということなのであろう。 といっているのを聞いた。 一口にいえば脱サラリー 「カン。ハンて何のカンバンだ。八百屋、魚屋、左官屋、クリーニング屋 : : : 」 友達の一人がからかうようにいった。 「東大出をカン。ハンにすりやいいじゃねえか」 「ヒッピーだってカン。ハンだぞ」 と別の一 . 人。 し ん「おかまもカンバンになる」 全く看板にもいろいろある。私の兄 ( チローは「モト不良少年」の看板を上げていたし、私は 主「悪妻の愛子」からはじまって「借金の愛子」「毒舌の愛子」 ( これは自分で上げたのではなく、 人が上げてくれた ) 「怒り屋愛子」と看板だけはいろいろあるが、どれもロクな看板はない。 ひんしゆく だが考えてみると、戦前なら顰蹙され抹殺されるような看板を今は堂々と上げられる。軽佻浮

3. 坊主の花かんざし(一)

142 貧乏に徹するということはこういうことなのである。そうして徹したとき、人は楽天性が持て 貧乏が面白くなるのであろう。 私の二番目の兄は、やはり父に勘当になって方々の家を居候して歩いていた。その頃のことを 述懐して兄は私にこういったことがある。 「 x x のばあさん、あれにはマイったよ。仏壇に供えた飯の、カチカチになったやつを食わせる んだからね」 三番目の兄はこれまた、勘当になって方々で居候をしていた。 「俺は年中、夫婦喧嘩の仲裁役さ。あすこの女房は亭主の代りにオレを引っ掻きやがんの、亭聿 の方は引っ掻かれればやり返すだろ。だがオレの方は引っ掻かれたからといって引っ掻き返すわ けには行かねえんだよ。明日の飯にさしつかえるからね」 何が無駄で何が無駄でないか。 そんなことは一言にしていえることではないのである。 その人は何か目的を持って厄介になっていたんでしようか ? 働かないでただ暮すというのはどういうことなんですか。何か勉強をしていたんですか ? 電話のお嬢さんはそういって腹を立てたが、居候というものはなかなか面白い人生修業の場な のであった。今の若い人、えらそうにいうけど、居候の修業さえも出来んのとちがいますか ?

4. 坊主の花かんざし(一)

てやって来ていった。 「奥さまが、この鍋はさしあげますとおっしゃいました」 犀星夫人は兄の汚い頭にかぶった鍋を、二度と使う気になれなかったにちがいない。 憤然と電話を切ったお嬢さんよ。 貧乏は決して素晴しいものではない。私が素晴しいと思うのは、貧乏の中でのこの楽天性な一 である。 福士幸次郎先生は収人がないので、当然、税金がかかって来なかった。それで先生は税務署 出かけて行っていわれた。 「わたくしも税金を払います」 税務署の人は驚いた。払いますとい「ても、収人がない人から税金を取ることは出来ないの ) ある。 「あなたは結構です。収人がないですから」 ん税務署の人がそういうと福士先生はいわれた。 「しかし、それでは日本国民として申しわけありませんから払います、払います」 主「しかし、いくらそういわれても取りようがないんですよ」 「困りました ! それは困りました ! 」

5. 坊主の花かんざし(一)

宗薫はナニいってんだい、という顔。 毎日、あなたの書くものを読んでいると、殴るという言葉がずいぶん出て来ますね、とある人 にいわれた。 「こういう奴は殴るしかないのだ」とか、 「私はムカムカしてプン殴りたくなった」 という一一一口葉が始終出てくるそうである。 考えてみると私の父はすぐに人を殴る人であった。新聞記者をしていた頃、国民同盟会の大会 で玄洋社の壮士から「おい新聞屋 ! 」といわれて、その男をプン殴り、紅葉館の大広間で大乱闘 をやったという話がある。父は何かというと、「ああいう奴は殴らなくちやダメだ ! 」といっオ 私は「プン殴る」という一言葉を子守歌のように聞いて育ったといっても過言ではないのだ。それ 「プン殴れ」 というとき、私は父の霊を背に負うているような気強さを感じる。 い「今度来たら殴ってやる ! 」 花そう叫びつつ、私は借金とりに借金を払った。腹立たしい時、悲しい時、息苦しい時、困った 主時、情けない時、どうやら私は「殴る」という一一一一口葉を口にして発散を謀っているらしい。 それにしても父は困った言葉を私に残してくれた。せめて「つねる」というような一高葉でも磅 してくれていれば、なまめかしくなったかもしれないのに。

6. 坊主の花かんざし(一)

まされた人が、隣のクーラーの持主を訴え、その訴訟に勝ったという話をしている。私はだんだ んイライラして来た。ィ一フィラをこらえて、彼の質問に答える。だんだん、私は腹が立って来た。 イプ・モンタンは今、汽車の通路をウロウロしている。妻の姿が見えなくなったのだ。妻はどこ へ行ったのか ? そのとき新聞記者はいった。 「 : : : そういう公徳心のない人には、では、いったいどうしたらいいんでしようね」 公徳心どころではない。イプ・モンタンの妻はいなくなったではないか。 「殴るよりしようがないですね ! 」 私はいった。私は殆ど怒っているのである。 「えつ、殴る ! 」 相手はびつくりして一瞬イキを呑み、絶句した。 「殴るんですか : : : 」 「そうです、そういう手合は殴るしかないです」 何でもいい、早く終らせてイプ・モンタンを見たい。 ん「はあ : : : どうもありがとうございました 花漸く電話は終ったが、映画の一番肝腎のところがどうなったのかさつばりわからない。むっと 主ふくれてテレビに目をやっていると傍の娘がいった。 「ママはまた、何をわめいていたの」 そういわれてはじめて私は気がついた。明日の x x 新聞には何と出るか。

7. 坊主の花かんざし(一)

134 て妻に告白する。寝台車の上段に夫が、下段に妻が寝ている。夫が告白すると妻は立ち上って寝 台から下りる そのとき、チリンチリンと電話が鳴った。 「えー、 x x 新聞の〇〇ですが、佐藤さんおられますか」 チェッと心に舌打ちしつつ、 「ハイ、わたくし、佐藤です」 「ちょっとソーオンについてご意見をお聞きしたいんですが」 「はあ、何ですか」 「ソーオンです、ソーオン」 「はあ、ソーオン、それがどうしたんですか」 と私は上の空である。 テレビの画面には今、イプ・モンタンの、情けないとしかいいようのない、心配そうな、おど おどした顔の大写しがひろがっている。これが妻にすべてを告白したあとの″夫の顔〃である。 刑事に犯行を白状した男の顔ではない。あくまで妻に情事を告白した〃夫の顔〃だ。イプ・モン タンはその顔をいやらしくなるほど絶妙の表現力で現した。こういう表現力は実際に愛する女を 欺した経験を重ねた男でないと持てぬであろう。 そんなことを思いながら私は新聞記者のいうことを聞いている。彼は今、クーラーの騒音に悩

8. 坊主の花かんざし(一)

はしたないことを平然という。 そうでなければボウボウ頭でのっそりむくむくと起き上り、脇腹ポリポリかきつつ便所へ。 タン、・ハチン、と何やらそうぞうしい物音たてて、シャアシャアとおしつこの音。紙をカサカ、 と揉む音までさせ、ジャーと流してボウボウ頭でもどって来る。 「ね、あたしのどこ ? 」 つまり、 。ハンティを探しているわけである。 「あ、あった、あった」 足の指にひっかけてつまみ上げてはく。 「。ハンティはいて寝ないとえるのよ」 といわでものことをいい、枕につくなり高イビキ。 それでいて曰く、 「セックスは最高の美よ」 馬の方にいわしむれば、 「人間のセックスって、最高の怪よ」 といっているかもしれないのである。

9. 坊主の花かんざし(一)

Ⅷといわれた。何とかいう馬は一シーズンに二百四十回もナニしたとか。それが仕事となれば、 いくら好きでもたいていイヤ気がさしてくるでしようなあ。 馬にインポテンツがないのは馬にとって不幸なことである。メス馬の発情の匂いを嗅ぐと、 ャ気さしていても何となく勃起して来るのが悲しくもいたましく、また頼もしい。 オス馬は前脚を高く上げ、ワーツと後脚で立つ。全く、ワーツという感じで立つ。立ってメ一 馬に乗りかかる。数人の介添人、尻尾が邪魔にならぬよう横の方へ引っぱる人、オス馬の長き ) ノ持ちてメス馬の秘所へと導人する人、メス馬が動かぬようクッワ押える人。オス馬は数回、 を動かしておしまい。メス馬は無表情にじっと佇んでいる。その傍に仔馬はキョトンと立って、 「へえ、もうおしまいですか」 「そうですよ ( ) 人間みたいに、そうしつこくやりませんよ」 「へーえ」 と私は拍子がぬけた。オス馬はバケツの水で使用後の始末をしてもらっている。聞くと見る , は大ちがい。実にあっさりしたものである。私の前を帰り行くオス馬は満足げというより憮然。 る表情。一日に三回もさせられたのでは、そりや憮然としたくもなるでしような、と馬に同情 ( なのは初老の馬丁さん。 聞くところによるとこの頃、ご亭主のおっとめが足りぬといってムクレる奥さんがたが多い ,

10. 坊主の花かんざし(一)

馬に学ぶ 私は今日、北海道から帰って来たばかりである。北海道は日高地方の牧場をさまよって来た。 案内者はかの有名なる五冠馬シンザンを調教した武田文吾さんである。 武田さんは私の父の俳句の弟子で、牧人という雅号を持っている。我が紅緑句会にあっては牧 ーはすごかった。「梅」と 人か愛子かといわれた俊才であった。もっともこの紅緑句会のメン。ハ いう季題で、 梅干にかつぶしかけて醤油かな とトクトクと詠む人がいたという集りである。 それはさておき、武田牧人は私に若返りのために馬の種つけを見せようといった。これでも私 は十分若いつもりであるが、牧人の目には若返りが必要と映じたらしい。 私は牧人に連れられて種つけ場へ行った。馬の種つけはものすごいということをかねてから私 は聞いている。 「 x x x 子先生は、種つけを見てその場にうずくまったきり、よう立ち上らなかったス」 などという話を聞いたことがある。種つけにたずさわる人は、出がけに奥さんに向って、