テレビ - みる会図書館


検索対象: 坊主の花かんざし(一)
17件見つかりました。

1. 坊主の花かんざし(一)

の頃、漸くテレビを見る暇を持っことが出来るようになって、その恥かしさを眼のあたりに見、 あわ がくぜん 愕然として総身に粟を生じた。 以後、もし私がテレビに登場することがあった時は、昔貧乏時代に厄介になった人からの依頼 か、依頼に来た制作者が、とびきりハンサムであったかのどちらかだと思っていただきたい。

2. 坊主の花かんざし(一)

秋風の女 「若々しく美しい老女になろう、というテーマで特集を組んでいるのですが、それについて何か いってもらえませんか」 とある雑誌社から電話がかかって来た。 「いつだったかのテレビで、佐藤さんが女は五十歳から、というよテなことをいっておられまし たので」 という。私はそんなことをテレビでいった覚えはないのだが、相手は見ました、といい張る。 相手は私が若々しく美しい老女になろうと志して ( リ切っているものと思い決めているのである 「例えば—先生などあのお年で実に若くお美しいですよね。世の女性がみな、ああいう風になる ように勧めたいと思うんですがね」 と私の返事は浮かぬ声になる。 私はべつだん、世の中の女性が—先生のようにいつまでも若く美しくあるべきだとは思ってい ない。私自身も—先生のような華やかな老女になりたいとは思っていない。

3. 坊主の花かんざし(一)

田刀らしさ 男と女とどっちがヤキモチやきか。 どっちの方が猜疑心が強いか。 どっちが嘘つきで、どっちが不真面目か ひところ、テレビやラジオで男軍と女軍が相対してそのようなことを論争するのが流行した。 「佐藤さんはどう思いますか ? 」 とテレビ製作者に聞かれたので、 「そりゃあ、女の方が猶疑心が強いにきまっています。ヤキモチ ? それも女の方が強いでしょ と答えると、出演しなくても結構です、ということになった。 ん こういう番組では女として出演するからには、何でも男の方を悪くいわねばならぬ仕組みにな のっているのである。早慶戦の際、慶応の応援団が、「ワセダ、ワセダ」と歌ったりしてはいけな 坊 いのと同じなのだ。だからはじめから、「ワセダ、ワセダ」といいそうなのは応援団席 ( は坐ら せないのである。それで声はかかるが私は一度もそのような対抗番組に出してもらったことはな

4. 坊主の花かんざし(一)

リの人形だと思って買って来ている。その愚かさを改めて訓戒したりする有さま。 実はこのところ私は右手が痺れて困っているのである。殆ど一日中、シビレが切れたように右 手がピリピリしている。ピリピリだけではなく、抜けるようにたるいときもある。 「ママは働き過ぎてこんな腕になってしまったのよ。頭を休める一瞬だもなく、心をくつろがせ る時もなかった。ただ馬車馬のごとく、ヒンヒンウンウンとって走りまわり、一家を支え、あ なたを養って来た。普通のおかあさんなら、三食昼寝つき、物価高と亭主の月給に文句をいうく らいが苦労のタネで、睡眠時間はママの三倍もとり・ いいはじめると娘は面倒くさそうに、 「わかったよ。オセロしよう。すりやいいんでしよう。すりや やっと相手をしてもらって、そして惨敗する。私はロ階しさで腹の中が煮えくり返る思いであ る。娘が一生懸命にやって勝つのではなく、テレビを横目で見ながらいやいややっていて勝つの が何ともシャクにさわる。 「見目先生 ( 娘の家庭教師 ) は勉強も教えないで、オセロの指導ばっかりしているとは怪しから ん と八つ当り。 の「ものごとは何ごともすべてマジメにやらなくてはダメ ! テレビを横目で見ながら勉強をする。 オセロをする。何ごとですか。集注しなさい、集注を」 と怒るが、こちらは集注して負けている。 しび

5. 坊主の花かんざし(一)

洒場の女主人が何をモトにそう金持になったかは知らねども ( また金持になるも貧乏になるも 他人がイチャモンっけることはないが ) あの女は一夜、一千万円の装いをして店に出るそうだと ちまたちょうちょう 巷で喋々されることは本来恥かしいことでなくてはならぬのだ。 だいたい着道楽などということはあまり人に知られぬようにすることでなければならぬ。食 楽にしてもそうだ。 レストランへ行って何やらしらん、聞いたこともないような料理や酒の名を注文し、どうせ、 そんなものはないに決っているのに、 「ないのかね、うーん、じゃあ : : : いいや」 とことさら仕方なさそうにいってみたりする手合がいる。こういう手合を見ると恥かしいの 通りこして私は殴りたくなる。 話は脇にそれたが、この頃のテレビの制作者は何を考えて番組を作っているのか。同じ番組の ぜいたく 中で物資欠乏、インフレ対策を説きながら、一方でこういう墲意味な贅沢を見せる。そこに現代 の縮図ありとでもいう意図なのかもしれないが、その意図の軽薄で、おざなりであること眼を わしむるものがある。 ん 払それにしても世の中に何か事件が起きると、早速かり出されて行ってスタジオにずらりと並び 主何やらもっともらしい意見を吐いている女文化人というものも、それがまじめであればある ど、もっともらしければもっともらしいほど何となくうら恥かしい。かっては私もその一人であ った。その頃、私はテレビというものを全く見なかったのでその恥かしさがわからなかった。

6. 坊主の花かんざし(一)

やめてんかア 参院選もやっと終り、新しいタレント候補といわれる人たちが臨時国会に初登院した有さまを、 テレビや新聞が報じているのを見て私は何となくてれ臭くてたまらない。何も自分が参院議員に なって初登院してニコニコと握手をしているわけではないから、テレる必要はないのであるが、 あまりのテレ臭さに、 「やめてんかア ! もうわかったよ ! 」 と叫び娘に顰蹙された。娘は中一二になったこの春頃からませて来て、私をへんなおとなだと思 いはじめたようである。 「どっちがおとなでどっちが子供だかわからないわネ」 し とときどき歎息している。しかし、いくらませて来ても、このテレ臭さがわかるほどにはなっ ん ていないので、 の 主「よしなさいよ。自分が参院議員になれないからって人をねたむのは などと説教をする。

7. 坊主の花かんざし(一)

佐藤愛子談、 「そういう奴は殴るよりしようがないです ! 」 私はふくれ面のまま呆然となった。こんなコメントが新聞に出ることは、おそらく日本ジャア ナリズムはじまって以来、最初にして最後であろう。 xx 新聞に私のコメントが出たかどうか私は知らない。私は怖くて xx 新聞を開くことが出来 ないのである。ホントは私は人が思っているような勇猛果敢な女ではないのである。 このコメントの話を川上宗薫にすると、彼呆れて曰く 「そういうときははじめに断ればいいんじゃないか。今、テレビを見てるからって」 仰せの通り。はじめに断ってしまえば、「殴るしかないです」などとムチャクチャをいうこと もないのだ。ところが、それが私には出来ない。 「出来ない ? なぜだ ? 」 宗薫は不思議でたまらんという顔。 「だって、せつかく聞いて来てるのに、悪いと思うのよ」 「殴れ、なんていう方がよっぽど悪いだろ」 「そうなんだけど : : : それがどういうわけだか、いえないのよ : : : つまり、気が弱いのね。わた しって。人がいいのかな。優しいのかな」 「気が弱い ? 殴れなんていってかい」

8. 坊主の花かんざし(一)

かにしていてほしいものだ。例えば市川房枝さんを見てると黙って自然にしておられるのに、マ スコミが勝手にトビはねて取材しまわっているのがよくわかる。だがマスコミがトビはねるのと 一緒に新議員もトビはねているようなのを見ると私は次の歌を思い出してテレくさい。 ゥーサギウサギ 何見て跳ねる 十五夜お月さま はーねーる テレビを見ているとホームドラマをやっていた。舞台は石屋の家庭でその家のおばあさんと女 中 ( オット、お手伝い。こういういい直しもホントはテレ臭い ) が喧嘩をしている。おばあさん はお手伝いに何かといいがかりをつけてイジワルをしているのである。お手伝いも負けずにやり 返す。 そのうちタご飯になったが喧嘩はつづいていてついにおばあさんとお手伝いは取っ組み合いの 喧嘩をする。だがその喧嘩のうちにおばあさんは本当は優しい気持を持っている人であり、お手 主伝いに愛情を持っていることがわかって、お手伝いは感激して泣く 私はまた叫びたくなった。 「やめてんかア、し、 力しいよウ」

9. 坊主の花かんざし(一)

134 て妻に告白する。寝台車の上段に夫が、下段に妻が寝ている。夫が告白すると妻は立ち上って寝 台から下りる そのとき、チリンチリンと電話が鳴った。 「えー、 x x 新聞の〇〇ですが、佐藤さんおられますか」 チェッと心に舌打ちしつつ、 「ハイ、わたくし、佐藤です」 「ちょっとソーオンについてご意見をお聞きしたいんですが」 「はあ、何ですか」 「ソーオンです、ソーオン」 「はあ、ソーオン、それがどうしたんですか」 と私は上の空である。 テレビの画面には今、イプ・モンタンの、情けないとしかいいようのない、心配そうな、おど おどした顔の大写しがひろがっている。これが妻にすべてを告白したあとの″夫の顔〃である。 刑事に犯行を白状した男の顔ではない。あくまで妻に情事を告白した〃夫の顔〃だ。イプ・モン タンはその顔をいやらしくなるほど絶妙の表現力で現した。こういう表現力は実際に愛する女を 欺した経験を重ねた男でないと持てぬであろう。 そんなことを思いながら私は新聞記者のいうことを聞いている。彼は今、クーラーの騒音に悩

10. 坊主の花かんざし(一)

154 私は叫ぶ。この頃の世の中、あっちもこっちもママゴトだらけではないか。参院議員に当選し てニコニコ笑うばっかが能しゃねえぞ , と最悪の言葉でわめく。そのころはテレ臭いのを通り越して、我と我が一一口葉に刺戟されて腹を 立てているのである ( どうやら私の場合、テレ臭さと腹立ちとが背中合せになっているらしい ) 。 では新参院議員初登院がなぜテレ臭いのか。 小学生の人学式みたいに、おめでたずくめがテレ臭いのである。女性議員などは明日は何を着 て行くかとアレコレ考え、衣裳を取り揃えたのであろう。そう思うとテレ臭い。衣裳をとり揃え るのが何が恥かしい、と叱られると確かに叱られても仕方がないと思うのだが、 「ライトプルーの。ハンタロンスーツですね」 「ええ、キビキビした、活動的な服をと思いまして : : : 」 とテレビニュースに写っていると、又、 「何やっとんのや。やめてんかア、し、 力しいよう」 と叫びたくなる。 男の議員は議員で、 「やあ、やあ、やあ」 「やあ、やあ、やあ」 と握手、また握手。握手して何がいかんといわれると困るが、出来ればこんな時には黙って静