ろうといいではないか。アッチに税金がかかるのなら脱税に目を光らせねばならないが、税金地 獄の我が国もまだそこまでは行っていない。 過日、私は某週刊誌の依頼で小沢栄太郎さんと対談した。 小沢さんは当年六十四歳である。今より四年前のある日、小沢さんは突然、首が廻らなくなっ た。四十肩とか五十手とかいう、つまり老化現象のひとつである。 そのときうら若き優子さん ( 花嫁の名 ) が看病したのが、二人の仲が進展するきっかけになっ たという。 私は聞いた。 「結婚を決意されたとき、一番考えた問題は何でしたか ? 」 小沢さん「結婚したあとでまた次に好きな女性が出来たらどうしようかと : : : それが心配でし ぼくは惚れつぼいし、れると一途に行ってしまうタチなんです」 まことに小沢さんという人は大人物だ。男の中の男だ。六十四歳で二十七歳の女性と結婚し ざ ( そのきっかけが六十クビ ) 若い妻が若い男に惚れたらどうしようとは心配しないで、自分がこ の後、女にれたらどうしようと心配している。 花 主そのとき、私は隣席にいる週刊誌記者氏のあたりからジワジワと熱気のようなものが押し寄せ て来るのを感じた。その熱気が何であるか私にはわかっている。記者氏はジリジリしているのだ この対談は″核心インタビュ 〃と銘うっている。その核心インタビューでインタビュアである
と皆、口々に賛成した。 「では、二千八百二十円を、二千八百五十円払うことにしたら : : : 」 「賛成、賛成」 と誰も異存がない。 「そんなことせんでもいいのに : : : そんな心配やめてちょうだい」 とスダコは遠慮する。しかし私たちは遠慮するスダコに無理に二千八百五十円ずっ払ったので ある。 その帰り、私は一人の男性に会った。そして , ハ本木でクラス会があったことを話し、五十歳に なってもまだクラス会を続けることが出来るのは、スダコという献身的な人がいるおかげである といった。 「それでね、あんまり気の毒だからというので皆で相談して、二千八百二十円のところを二千八 百五十円ずつ出して、残りをスダコに取ってもらったのよ」 その男性は、 といったきり、私の顔をまじまじと見ている。ややあって彼はいった。 「皆で何人 ? 」 「十人よ」
186 会社は決死隊を募った。そうして一人の青年が社のために決死隊を志願した。彼は老婆のもと に赴いて決死隊員としての任務を果し、会社は広大な土地を手に人れたという。 私の女友達にこの話を聞いて心配している人がいる。 「七十になっても性慾がなくならなかったらどないしよう : : : 」 と彼女はいう。彼女の夫なる人はこの数年インポ気味で、糖尿病だといっては夫婦の営みをお ろそかにするという ( その糖尿病は酒場などへ行った時は直っているらしいことがその後の調査 もんもん でわかった ) 。彼女は悶々の日を送っているが、五十歳になってそういうことに悩んでいる我が 身を常々、恥じているのである。 しかし彼女のそんな悩みを、 「何も恥かしがることはありませんよ。それが自然なのです。あなたが若い証拠です ! 堂々と 主張なさい」 と励ます人がいる。しかしいくら堂々と主張してもこれは相手が必要なので、相手が彼女の若 さに感激して応じてくれねば、堂々たる主張は、その堂々ゆえにいっそう侘びしいものになるの である。 だがそれでも相手が夫であれば、主張も要求も出来るであろう。だが夫が死んでしまった後、 七十になって若さの証拠よ、とばかり「堂々と主張」すればイロキチガイといわれること必定で ある。
150 はいつも奇抜なもので、私はそれを着なければならぬたびに、 「エイツ、クソッ ! 」 という気持で着るのであった。つまり開き直った気分になって着る。だから人の目には私が内 恥かしくてたまらないでいるとは見えないのであった。 私はそういう恥かしがりゃなのである。実をいうと五十歳になった今でもその恥かしがりやは 直っていない。一見直っているように思えるのは、その都度開き直っているからであって、殆ど ャケクソ・で恥かしがりをまぎらしているといっていい。 さたん だからそんな私には、今の若い女性の恥かしがらぬさまを見ると、つくづく敬服嗟嘆感心のほ かないのである。 例えばミス美人コンテストというものに平気で応募する。応募するということは、 「わたくしは美人よ、そう思わない ? 」 といっているのと同じである。私が驚くのは自分で自分の美人ぶりを推薦したり出来ることで ある。それも正真の美人ならともかく、たいして美人でもない手合が。 そうしてミス x x になって冠をいただき、長いケープを引きずって歩く。ホントに恥かしくな いのかしら。 また海岸へ行くとへソ丸出しの水着を着てトクトクと歩いているのがいる。 「お願いします。自分の体型を考えて水着を着て下さい」 といいたいような水着姿がある。へソのまわりにノミのくい跡がある。そもそもへソの横をノ
五十歳の自尊心 恥かしきもの・ 根性の人 男を見る目 ああ女 , アッチのこと 悪運 色じかけ・ 女郎屋考・ 続女郎屋考・ 目次
五十歳の自尊心 一九七三年は私にとってあまり愉快な年ではなかった。私はこの年に満五十歳となり、体力、 ろっこっ 頭脳の衰えを切実に感じるようになった。まず、正月四日に風呂場ですべって転んで肋骨にヒビ しつようせき が人り、二月三月は執拗な咳に悩まされ、 , ハ月原因不明の発熱、七月より腰痛がはじまって子宮 癌の疑い、腰痛は夏から秋までつづき、十一月は旅先で胃ケイレン、引きつづき風邪をひいて年 の暮まで回復せずという有さまである。 体力が弱って来ると気力も衰える。気力が衰えると気にかかるのは中学一一年の一人娘のことで ある。 この子はふだんはおとなしいのだが、一本気ですぐにのぼせ上る。のぼせ上ったが最後、対象 以外のものはすべて見えず聞こえずという状態に陥る。この子はきっと男に欺されるにちがいな とん い。私は殆どそう確信しているのである。 それでも母親の私が生きている間は、男は母親こわさに近づいては来ぬであろう。こっちから 来てくれというても来んのではありませんか、などという人もいるくらいで、私は娘を守るであ ろうが、私が死んでしまった暁はどうなるか心配である。
ダイエー赤羽店で午前十時半の開店前に早くも五十人が列を作ったというのは、売り場の価格 表示五十四円の即席ラーメンが、一人三個の制限っきで三十一二円で買えるためなのである。 その写真を見ているうちに私の胸は熱くなった。 はらから 「ああ、同胞よ ! きようだいよ ! 」 と叫んで、一人一人を抱きしめたくなった。女とはこのように一生懸命で涙ぐましいものなの だ。今の男の中に、女のこの涙ぐましさを知っている者がいったいどれくらいいるだろうか。 真に男らしい男がいなくなった現代は、即席一フーメンの安売りに殺到する女の大群を見て呆れ 嘲ることしか知らぬ男ばかりである。 私は彼女たちの代りにそれらの男と戦うであろう。しかし彼女たちにしてみれば、そんなこと で戦う暇があるのなら、悪徳商人や政治家と戦ってくれというかもしれない。だが小説を書く人 間などというものは、そういうところがダメに出来ているのである。我々は全く現実には無能な ロ舌の徒であって、安売りの行列に並ぶことも出来ず ( 第一そんな店を探し出すことが出来な い ) 、健気な人たちの姿を見て、ひとりで感動して抱きしめたくなったりするのがオチなのだ。 田中総理の無能を憤っていても、総理が顔面神経痛のホッ。へタひきつらせて、一生懸命に演説 している姿をテレビで見ると、直りは消えて悲しくなって来る。あの顔面神経痛が直らぬ限りは 私はとても田中さんをとっちめる気にはなれぬのである。 今、私が最も憎むのは、便乗値上げをせんとて、品物の売り惜しみをしている商人どもである。
168 道づれなし 箱根のホテルの食堂にいると、白髪の老紳士が入って来た。その一歩あとより正装した老夫人 が従って来る。老夫人は和服で髪を高々と結い上げている。箱根へ行くというので美容院へ行っ て来たのであろう。 二人は窓際のテープルに向き合った。年の頃は二人とも七十歳前後と見受けられる。 「年をとった夫婦が二人きりで、こうして楽しんでいる図ってええものやねえ」 と同行の友人がいった。彼女も私も結婚に失敗している。彼女は二十歳で結婚し、二十六歳で 夫と別れた。私も大体、同じような経験をしている。ただ違う点は彼女は一回でこりごりして、 もう一一度と婚なんかしないわ、という決意を守って今日まで来たが、私はこりもせず二度目の 結婚をし、それまた失敗に帰しているのである。 いのしし 私と彼女 ( かりに子としておく ) とは同い年である。ということはエトでいうと五黄の亥 ということで、だれしも私のエトを知ると、 「うーん、なるほどねえ」 と深くうなずく。五黄の亥という年は向う気が強く妥協性がなく、そのためか結婚運に恵まれ
秋風の女 「若々しく美しい老女になろう、というテーマで特集を組んでいるのですが、それについて何か いってもらえませんか」 とある雑誌社から電話がかかって来た。 「いつだったかのテレビで、佐藤さんが女は五十歳から、というよテなことをいっておられまし たので」 という。私はそんなことをテレビでいった覚えはないのだが、相手は見ました、といい張る。 相手は私が若々しく美しい老女になろうと志して ( リ切っているものと思い決めているのである 「例えば—先生などあのお年で実に若くお美しいですよね。世の女性がみな、ああいう風になる ように勧めたいと思うんですがね」 と私の返事は浮かぬ声になる。 私はべつだん、世の中の女性が—先生のようにいつまでも若く美しくあるべきだとは思ってい ない。私自身も—先生のような華やかな老女になりたいとは思っていない。
集英社文庫 坊主の花かんざし < 一〉 昭和 55 年 3 月 25 日第 1 刷 昭和 56 年 2 月 20 日第 6 刷 0195 ー 750308 ー 3041 定価はカノヾー 示してあります。 著者 発行者 発行所 印刷 佐藤 堀内 株式 集 会社 感 末 英 子 男 社 東京都千代田区ーツ橋 2 一 5 ー 10 〒 101 ( 230 ) 6361 ( 編集 ) 電話東京 ( 238 ) 2781 ( 販売 ) 大日本印刷株式会社 著者と了解のうえ検印を廃します。 ( 落丁本・乱丁本はおとりかえします )