この意味で、佐藤愛子はさまざまな人間喜劇を追求している作家と見てよいでしよう。「元来 女性のものの見方、捉えかたにはややもすると生まじめで幅がありません」という考えかたから 佐藤愛子のものの見かたや、とらえかたにあらわれる幅のひろさがあらわれてきますが、それも こちたき論理でとらえるのではなく、「ふーん」と聞いている相手に怒りをたたきつけることで たちまち一場の喜劇になってきます。喜劇というと、悲劇よりもいちだん低いものと見る風潮が ありますが、じつは逆で、喜劇はほんとうに自由な精神によってしか書かれないし、喜劇のほら がはるかにむずかしいのです。 怒りという感情がどういうときに起るか、一般的な理由としては、その瞬間に、何か非常に電 要な衝動をくじくようなもので、佐藤愛子は怒ることで、自分をとりまく傲慢さや愚かさを、 ちまち笑うべきものにしてしまうのです。ですから、けっして、うしうじした怒りや、陰険な 眼視がなく、颯爽としているのです。 「君は自分を亭主運の悪い女やと思うとるようやけど、亭主運なんか悪うない。ただ君はやな、 君といっしょになった男のウンを悪うする女なんや」 と遠藤周作にいわれて、 説「ホントにそうかどうか、もう一遍試してみたいわ」 という佐藤愛子は、私にいわせれば、亭主に縁のなかったグレタ・ガルポや、亭主運の悪いエ 解 リザベス・テイラーや、いっしょになった男のウンを悪くしてしまったマリリン・モンローな耳 よりも、はるかにみごとな女なのです。
かにしていてほしいものだ。例えば市川房枝さんを見てると黙って自然にしておられるのに、マ スコミが勝手にトビはねて取材しまわっているのがよくわかる。だがマスコミがトビはねるのと 一緒に新議員もトビはねているようなのを見ると私は次の歌を思い出してテレくさい。 ゥーサギウサギ 何見て跳ねる 十五夜お月さま はーねーる テレビを見ているとホームドラマをやっていた。舞台は石屋の家庭でその家のおばあさんと女 中 ( オット、お手伝い。こういういい直しもホントはテレ臭い ) が喧嘩をしている。おばあさん はお手伝いに何かといいがかりをつけてイジワルをしているのである。お手伝いも負けずにやり 返す。 そのうちタご飯になったが喧嘩はつづいていてついにおばあさんとお手伝いは取っ組み合いの 喧嘩をする。だがその喧嘩のうちにおばあさんは本当は優しい気持を持っている人であり、お手 主伝いに愛情を持っていることがわかって、お手伝いは感激して泣く 私はまた叫びたくなった。 「やめてんかア、し、 力しいよウ」
であると思いこんでいた。 従って健康な夫婦なれば、五回の性交で五人の子供を作る。 「もう、六人産みましたさかい、これくらいで止めとこと思いますねん。わたいはすぐ出来る ~ などといっているおばさんを見ると、 ーン、この人は六回しはったんやな と肯いたものだ。 夫婦生活とはそのようなものでなく、大や猫などと違って、年がら年中ソレを営んでいるも ( であることを知ったとき、私はまず不思議に思った。 「そんならいつ、妊娠したかわからへんではないの ? 」 いっ妊娠したかわからぬということは、ひいては「誰の子オかわからん」という疑問につな るではないか。だが見渡したところそのような疑問を持っている男性は一人もおらぬように見、 ざ「あすこの x 夫ちゃんな、 x 吉つあんの子オやないという噂でっせ」 と人が話し合っているのを聞くことがあったが、 x 吉つあんは夢にも疑わずに x 夫ちゃんの 花 主ナを拭いたり、足を洗ってやったり、お祭の御輿を x 夫ちゃんにも担がせてやってくれと、ガ、 大将にお世辞使って煎餅の袋をマイナイとして渡したりしていた。 女学校の歴史の時間に、 ふ
フォークダンスというものがある。 「健全」と「和気アイアイ」をまぜ合せましたというダンスで、これを見ると私は何ともいえぬ 恥かしさに襲われるのが常である。何が恥かしいかといえばまず第一に「和気アイアイ ) が恥か しいのである。 和気アイアイとはいったいなんであるか。 数人の人間が集って手をとり合い、輪を作り、音楽に合せてグルグルまわり、腕の下をくぐっ たり、チョンと地面を足で蹴ってみたり、肩をくんで小首をかたむけ顔を見合せる それが和気アイアイというやつなのだと満足している。その満足が私には恥かしくてたまらぬ。 ざだいたい、「和気アイアイ」という雰囲気は私には恥かしいのだ。 男女共学になって以来、中学生の男と女がフォークダンスをおどる。中学生が女学生と肩を組 花 主んでスキップして、チョンと顔見合せたりしてる。だいたいこんなものを男の学生にやらせるか ら日本はダメになるのだ。 また、運動会だというと必ず「お母さんがたのフォークダンス」というやつが登場する。ええ 恥かしを」もの
たとえ顔がまずくとも、男は女を平気でくどく。それを見て男たちは、「あのツラでよくく くね、ツラを考えろよ」などとは決していわぬのである。だが女は違う。 「あの顔で、スエゼン据えたんですってさ ! 厚かましい : しかし「あの顔」だからスエゼン据えるのであって、美人だったらスエゼンなんかわざわざ える必要がないのである。 水銀燈の下でお別れのキスをするのは、例えばアラン・ドロンのような男とプリジット・ ーのような女であって、そこいらへんの鼻。へチャ、胴長短足、猪首、タレ乳、トックリ足なレ はお別れのキスをする資格はない。なぜか、女性にはそう思っている人が多い。 では自分はどうであったのか ? 我が身を省みて、キスする資格なしと判断を下して一切さようなことはしなかったのであろス ところがしているのだ。 そのときの彼女は自分をプリジット・ 、相手の胴長をアラン・ドロンに擬している¥ らで、何のふしぎもないのである。 「ねえ、わたしのこと愛してる ? 愛してるっていって」 と厚顔にも ( 第一二者の目から見れば、だ ) 夫に向ってムリを強要するくせに、人のことになス 「 xx さんの奥さんたら、毎朝、旦那さんが出かけるときに『愛してるよ』っていわなきやご主
祀それは宮富さんの「女郎屋」という題の詩だったのだ。宮富さんは詩人だったが、一番の傑作 だと自負している詩にこういうのがある。 「曇天の海港に 焦点を置く彼女ー・ 「君、これは何だね」 と私の父が聞いた。宮富さんは答えた。 「はつ、椿の花であります」 父は宮富さんを一番可愛がっていた。しかしそれは詩の才能のためではなく、その純真な人柄 のためである。 その宮富さんは女郎屋が嫌いらしい。だが、他の男の人たちはみな女郎屋が大好きで、その話 がはじまるとふだんはニガ虫を噛みつぶしているようなお向いのご隠居さんまでニマーとして来 るのである。 私はばあやのオッ。ハイが大好きで、五つになってもまだオッ。ハイを吸っていたいのだった。 それで私がすねたり、泣いたりしていると、ばあやは、 「ほれ ! 」 あふ といって胸をはだける。するとタボタボと掌から溢れ出るような大きな長いオッ。ハイがずるり おも と出て来て、それを見た私は、「笑わんとこと思ても、ひとりでにニマーと笑えてくる」 ( 母の表 現 ) ということになるのだ。向いのご隠居は、まさにそんな風にニマーとなったのである。
りはじめた。時計を見ると二十五分経過しているのだ。私はもう一人車内にいた筈の男性の姿も ないことに気がついたのである。もう東京に近いのでビュッフェは閉じたとさっきアナウンスが あった。 私は車掌室へ駆け込もうと決心した。かの女性は男によってトイレに閉じ込められたにちがい ない。私は立ち上り、必死でトイレの前へ行ってみた。と、そのとき、ドアはスルスルと開いて 中からかの女性が上気した顔で出て来た。ほっとする間もなく、その後からかの男性がノコノコ とついて出て来たではないか ! 二人はそこに立っていた私を見て一瞬ギョッとし、それから私 にら をハッタと睨みつけて座席へ戻って行ったのである。 こういうことがあるから、だから世の中の人は、どんなことにもいろいろ心配しなくなって行 くんですなあ。
ぶりでしげしげと彼の写真をうち眺めると、彼は赤ンぼのような顔になっているのである。それ と同時に彼はおじいさんのような顔にもなっている。老人性痴呆症のようにも見え、また、山奥 いんとん に隠遁せる聖者のようにも見える。 いっか私は東北を旅したことがあったが、そのとき一人のおじいさんに会った。おじいさんは せんべい 数人のおばあさんの中にひとり。ほっんと坐っていて、所在なげに煎餅をお茶に浸してやわらかく してはモグモグと食べていたのである。 おばあさんたちは何だかしらぬがよくしゃべっていた。狐に欺された話とか、どこそこのイタ コはよく当てるなどという話のうちに、烏は啼いて人の死を知らせるという話になった。いつだ ったかも烏が何とか山の上を舞いつつ啼きしきっているので、いやな予感がしていたら、どこと かの娘が川にはまって死んでいたという。烏という鳥はほんとうに賢い鳥なのだ、とばあさんた ちは口々に感心する。その時お茶で柔らかくした煎餅を食べていたおじいさんが一一一只ポツリと いった。 「烏だっきや人の死ぬのだばわかるくせして、自分のことばわからねんだでば」 けだし名言である。 鳥は人が死ぬのはわかるが、己れの死はわからぬ 居並ぶばあさん連はわっと笑ったが、野に埋もれたる哲学者とはこういうおじいさんのことを いうのであろう。北杜夫のあの写真はその時のじいさんにそっくりなのである。 美少年は今や野の哲人となったのだ。
男を見る目 きゅうろう 旧臘一一十四日、中学一一年の娘が。 ( リ ( 出発した。。 ( リ在住の私の友人に誘われて、冬休みを。 ( リで過すといい出したのである。 十三歳の女の子をひとりでパリ ( 行かせることについて賛成反対各種の意見が出た。 ある人は早すぎるといい、ある人は贅沢だといい、ある人は心配だといって反対した。だがあ る人は中二ぐらいの方がむしろ安心である。高校生以上になるとよからぬオトコの誘惑の手が伸 びる心配があるという。何やかやいい合った末、ついに娘を行かせることにした。 娘は幼い頃から意気地なしの外すぼみである。いくら ( ツ。 ( をかけても一人ではどこ ( も行け ない。いつも夢を見ていて、夢想を食って生きている。母親の生活は夢のカケラすらもなく、現 実と格闘しているのに娘はうつらうつらと夢見て暮しているのだ。学校の授業中も夢を見ている ので成績は極めて悪い。 よし、では。 ( リへ行って現実の苛酷さをいやというほど味わってくるがいい ! と私は巴った。 私は殆ど毎日、この娘の夢想癖に腹を立てているのだ。。 ( リは今、彼女の中では夢の町である。
19 坊主の花かんざし 根性の人 病床に届いた週刊読売新年号を。ハラ。ハラとめくっていると、見たことのあるようなないような、 一見餡ドーナッ風の顔写真が目に人った。 よく見ると北杜夫である。思わず私は手を止めてその写真に見人った。 この数年、私は北杜夫と会っていない。親しくしていたのは二十年前頃のことで、その頃、 はくせき 杜夫は白暫の美少年であった。 白暫の美少年ではあるが、何となく薄汚く、薄汚くはあるが、その汚れで彼の美少年ぶりが損 ぞうきん なわれるということはなかった。彼は背中に。ヘッタリと一尺角ほどのつぎ市を当てがって、雑巾 めいきん のように縫った開衿シャツを着て、すり切れた風呂場の足ふきのごときズボンを穿いていた。彼 の靴下は目玉穴があいているのが普通であって、もしもあの頃、彼が穴のあいていない靴下を穿 おび いていたとしたら、私は何か異常の前兆といったようなものを感じて怯えたことであろう。 しかし、くり返していうが、それでも、いやそれゆえにこそいっそう北社夫の美少年ぶりは引 き立ったのである。 歳月は過ぎた。神童は必ずしも出世せず、美少年は必ずしも美壮年にはならぬのである。数年