話 - みる会図書館


検索対象: 坊主の花かんざし(一)
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1. 坊主の花かんざし(一)

女流作家の耳に届いた ( ) 「 x x さーん、〇〇〇子さんから電話よオ , 担当の編集者が電話口に出ると、新進女流作家はいった。 「お宅の社では、作家をさんづけで呼ぶのですか ! 」 この話も滑稽な話ではない。といって悲しい話ではなく、恥かしい話なのである。 ある日、美容院へ行った。受付でこういわれる。 「 x x 先生は出張でございます。〇〇先生ではいかがでございましよう」 〇〇先生なる人は赤毛のおかつばにツケマッゲ、ぬいぐるみの人形みたいな女の子である。 れが先生なら、うちの近所の床屋のおっさんは大先生だ。もう三十年も床屋をしている。 この話もまた滑稽な話ではない。悲しくもなく、恥かしくもないが、ムナクソ悪い話である。 美容院ばかりでなく、洋服屋がそうだ。おっと、この頃では洋服屋などとはいわない。洋装店 あるいはモ ードスタジオなどというが、そこのデイザイナーも「先生」という。先生に髪を結っ てもらい、先生に洋服を作ってもらい、先生にアンマをしてもらい、テレビで先生の艶歌を聞き 先生の漫才を見、先生の司会で先生がたの、 「ホントに男ってウソつきだから嫌い ! 」 「いやア、ウノつきということになれば、ダンゼン、女ですよ ! 」 などという論争を聞き、人から先生と呼ばれて暮す。技術持ってる者が皆先生なら、いっその こと、芸者、板前、靴磨き、大工、左官、タクシー運チャン、みな先生と呼ぶことにしてはどら

2. 坊主の花かんざし(一)

「だいたい、あんたを正客に据えるとは、たしなみのない連中です」 といった。 小説の勉強をはじめたばかりの頃、私はある大作家が、常に手帳にコンドームを一つ挾んで るという話を聞いた。私にその話をした人はいった。 「これぞ男のたしなみですーー」 「なるほど」 と私はすぐさま合点した。こういうことをたしなみというのなら、私にもすぐわかる。 ところで先日、こんな話を聞いた。お茶とお花と習字を若い女性に教えている初老の婦人が、 酒場の女のマンションに乗り込んで行った。そのマンションは自分の夫が彼女に買い与えたも ( であることがわかったのである。夫人はツカッカと部屋へ入って行ってものもいわず、これか・ 店に出ようと盛装していた女を後ろからっき飛ばした。つき飛ばして四つん這いになったとこ「 を、。ハッと着物のをめくる。和服であるから。ハンティはつけていない。白いお尻が丸出しに。 ざった。夫人はいった。 「あたくし、そのお尻を抓ってやりましたよ、三回ーー・そして帰ってまいりましたの一 主三回ってところがいいねえ。これはヤキモチにもたしなみを忘れぬ人の話である。 はさ

3. 坊主の花かんざし(一)

には行かず、さりとて「おばさん」では担ぎ屋を呼ぶときみたいだし、「おかあさん。では芸者 屋のおかみ風になるし、「おかみさん」という貫録はなし、「ねえさん」ではあまりに白々しく、 「おばあさん」では殴られる。 となげやりな気持で「佐藤先 とつおいっした揚句に、エイ、面倒くさい、「先生」にしょ , 生」と呼ぶ。それに対してなにもムキになって、 「どうか先生はやめて下さい」 というのもわざとらしく滑稽である。しかしそうは思うが、やはりお尻のムズムズはいまだに 直らないのである。 ージョンを抱いている人たちが多勢い しかし世の中には、末だに「先生」という一一一口葉にイリュ て、どうやら「先生」という一言に一喜一憂しているようである。 売れない小説を書いていたある男、生活のために紙芝居の台本を書いた。そして彼は生れては じめて紙芝居屋から「先生」と呼ばれたのである。 ートの部屋にいないようにした。彼の姿が見えないの ざその紙芝居屋が来る時、彼はわざとア。ハ で、紙芝居屋は近所の人たちに聞くからである。 花 の「 x x 先生はお留守でしようか」 しかしこの話は滑稽な話ではなく、悲しい話なのである。 ある新進女流作家が雑誌社へ電話をかけた。電話口に出た女の子が担当の編集者を呼ぶ声が、

4. 坊主の花かんざし(一)

ぶりでしげしげと彼の写真をうち眺めると、彼は赤ンぼのような顔になっているのである。それ と同時に彼はおじいさんのような顔にもなっている。老人性痴呆症のようにも見え、また、山奥 いんとん に隠遁せる聖者のようにも見える。 いっか私は東北を旅したことがあったが、そのとき一人のおじいさんに会った。おじいさんは せんべい 数人のおばあさんの中にひとり。ほっんと坐っていて、所在なげに煎餅をお茶に浸してやわらかく してはモグモグと食べていたのである。 おばあさんたちは何だかしらぬがよくしゃべっていた。狐に欺された話とか、どこそこのイタ コはよく当てるなどという話のうちに、烏は啼いて人の死を知らせるという話になった。いつだ ったかも烏が何とか山の上を舞いつつ啼きしきっているので、いやな予感がしていたら、どこと かの娘が川にはまって死んでいたという。烏という鳥はほんとうに賢い鳥なのだ、とばあさんた ちは口々に感心する。その時お茶で柔らかくした煎餅を食べていたおじいさんが一一一只ポツリと いった。 「烏だっきや人の死ぬのだばわかるくせして、自分のことばわからねんだでば」 けだし名言である。 鳥は人が死ぬのはわかるが、己れの死はわからぬ 居並ぶばあさん連はわっと笑ったが、野に埋もれたる哲学者とはこういうおじいさんのことを いうのであろう。北杜夫のあの写真はその時のじいさんにそっくりなのである。 美少年は今や野の哲人となったのだ。

5. 坊主の花かんざし(一)

女郎屋考 「お女郎屋」という言葉は、なぜか私には懐かしい言葉である。私は女の身ゆえ女郎屋というと ころへ足を踏み人れたこともなく、そういう界隈に住んでいたこともないが、なぜかその名は懐 かしい。 女郎屋は「じよろうや」ではなく、「じよろや」である。女郎は「じよろう」ではなく、「じよ ろ」である。そう呼ばなくては感しは出ない。それに「お」をつけて、「おじよろ」と短かくい う。そういわなければ感じが出ない。 なぜ私が「おじよろ屋」という一「ロ葉が懐かしいかというと、それは多分、子供の頃に聞き馴れ た言葉なのであろう。 私がもの心つく頃、我が家には書生とも居候ともっかぬ若者が多勢いて、暇さえあればその人 たちは「おしよろ」の話をしていた。 「おじよろ」とはどんなものか私にはわからないが、その話がはじまるとみんな、生き生きして 楽しそうになり、必ず笑い声が上る。 私には「おじよろ」は何か親しみ深い隣人という感じが深まって行った。

6. 坊主の花かんざし(一)

アッチのことにばかり気を取られていて、彼女が奥村某であることには気がっかなかった。 ろうえい 毎日新聞西山記者の外務省機密漏洩事件の中にもアッチの話が出て来る。昔は井戸端会議は しゅうとめ 姑の悪口と決っていたのに、今はアッチの話が幅を利かすようになった。 「 >< x さんのご主人、アッチの方だけはお強いんですってよ。昇進の方は一向にナンだけど」 「アタマお使いにならないから、お強いんじゃないの」 「でもうちの主人なんか、アタマも使わずアッチもダメ」 「あなたの方、週に何回 ? 」 「週に何回なんてものじゃないわ、この頃は年で数えるのよ」 「まあツ、オホホホ」 という具合。何もしゃべらずただオホホホと笑っている女性はアッチの方、満ち足りているの である。 アッチ、アッチといっているうちに一億アッチ過敏症となり、 「この頃はアッチの方、いかがですか」 といっただけで助平ばあさんとさげすまれる。神経痛の見舞をいっただけなのに。また子供が、 「ママ、アッチ、アッチ」 といえば、 「まツ、いやな子ねツ、この子ったら : : : 」 と興奮したりするママが現れる。

7. 坊主の花かんざし(一)

85 坊主の花かんざし だろう。 「 x x 交通かね、君ンとこの〇〇先生は乗車拒否をしたぞ。少し取り締り給え ! 」 学校の先生はなぜか同僚を互いに先生と呼び合う。 「 xx 先生、先月お貸しした例の金ね、実はあれは△△先生から借りたものでね。△△先生が亠 っておられるんですよ。△△先生は〇〇先生と結婚されることになったんで、金が必要になっ ね。〇〇先生には内緒にしていますがね。〇〇先生はあれでなかなかきつくて△△先生も弱っ おられるんですよ。 x x 先生、何とか頼みますよ。 x x 先生」 「すまんです。ロロ先生。ぼくはロロ先生にも△△先生にも〇〇先生にも相すまん相すまんと うているのですが : : : 」 なにもこんな話の時まで先生を連発しなくてもよさそうなものだが。これこそ、悲しくも恥 , しくもムナクソ悪くもない、滑稽な話だと私は思うのだが、どんなものであろう。 ところで私の祖父は、中学校の歴史の教師が講義の時に、吉田松陰のことを呼び捨てにした , 聞いて学校へ文句をいいに行った。 たとえ歴史上の人物のことを語るときでも、尊敬すべき人物には「先生」をつけなければな《 ぬ。呼び捨てにするとは君子の社を知らぬ無社者であるといって怒ったのである。 古事記を研究、三十余年を費して古事記伝を完成した人は ? 答本居宣長先生

8. 坊主の花かんざし(一)

「写真は七十歳の誕生日を迎えた日の x 子おばあさん。 x 子ばあさん曰く、『まだまだ若い者に は負けません。一週間に二日はイタします』 と、写真人りで報じれば、人々、呆れはててやれイロババアだの、スケベイばあさんだのと後 ろ指をさして嘲うであろう。そればかりか、 「しかし世の中にはモノ好きな男もいるものだねェ」 「このばあさん相手に一週間に二日もイタすとは、そいつの顔が見たい」 などと相手の男まで嘲笑される。 じいさんならば感心され、ばあさんなれば嘲われる。嘲われるだけなら勝手に嘲ってろ、とい っていられるが、相手の男さんが世間の騒ぎに怖れをなして逃げて行ってしまったらどうなるか。 代りを探すといっても、そう一朝一タには相手はまらぬ。これがじいさんならば小娘を手ご めにする。昔からヒヒジジイというのがいて、小娘を手ごめにしたりする話は珍しくないのであ るが、おばあさんが若者を手ごめにしたという話は聞いたことがない。嘲われ、逃げられ、さり とて代りは容易になく、手ごめにする力もなく、空閨をかこたねばならぬ。そして空閨をかこて んばかこったでまた嘲われねばならぬのである。 ある所に大地主の老婆がいた。 主さる不動産会社がその辺一帯の土地を買い占めにかかったが、老婆だけが所有地を売ろうとし ないので大いに困った。営業部員が再一二交渉に行くと、ついに老婆はこういった。 「わたしとナニしてくれたら売ったげる」

9. 坊主の花かんざし(一)

殴る 数日前の夜、私はテレビで『。ハリのめぐり逢い』という映画を見ていた。 イプ・モンタン扮する平凡な中年男が、妻の眼を盗んで若いアメリカ娘と浮気をする。話の筋 は世界中に腐るほどあるありふれた浮気話なのだが、心ならずも妻を欺いて行く男の、せつば詰 るがゆえに本能が必死で考え出す嘘の、いやらしくも悲しいリアリティに私は惹きつけられた。 男とアメリカ娘の間が燃え上っている時、何も知らない妻は、十年前にわたしたちがめぐり逢 ったアムステルダムであなたの誕生日を祝おうという。男は恋人に因果をふくめ、後髪を引かれ る思いで。 ( リからアムステルダム ( 行き、二人がめぐり逢った橋の上で十年前に交した一「〕葉を妻 と交してみたりする。そしてホテル ( 帰ると彼を追いかけて来た恋人がロビーを横切っているの んを見つけてギョッとする。男の嘘はそのあたりから必死の様相を帯びて来るのだが、この短文の 花目的はその映画について語ることではないからやめる。 主ここでは欺す夫と欺される妻とのどうにもやりきれない悲哀に、いかに私が惹き込まれたかと いうことさえわかっていただければいい。 嘘を重ねた揚句、ついに夫はアムステルダムからパリ ( 帰る夜汽車の中でこれまでの嘘をすべ ふん

10. 坊主の花かんざし(一)

もない。私にとって離婚などちっとも珍しいことではないのだ。離婚の話なんか、物価の値上り と同様、もう飽き飽きしている。 さて、一カ月余り前のこと、私は宗薫とある雑誌で対談をした。そのあと、二人で行ったホテ ルの・ハーで、宗薫はいった。 「オレ、別れるよ。 ・女房と」 「そう、ふーん」 と私はいった。 「どっちがいい出したの ? 」 「女房の方さ」 「何をしでかしたのよ ? 」 「何もしでかさないよ。変ったことはないよ」 「じゃあ、いつものように浮気してただけ ? それが問題なの ? 」 「うーん : : : まあ、そうだろうなあ : : : 」 「でも奥さんはその点に・関しては寛大な方だったじゃないの、何もかも承知で結婚したんじゃな かったの」 「うーん、そうなんだがね : : : 」 それから宗薫はいった。 「とにかくオレには結婚する資格はないよ。だからもう、結婚はしない」