なり、と。 また女は逞ましく、よく稼ぐ男を好む ( そのためには夫の浮気ぐらい辛抱する ) 。なぜか ? 逞ましくてよく稼ぐ男を亭主にすれば、人生、ラクだからである。これ、自然のコトワリなり。 「人はみな、自分にとって都合のよいものを好む。これ、人情の常である。男がアホの女を好む からといって、怒ったとてしようがないワ」 私がそういう意見を申し述べると、若き進歩的女性はムッとしたようにいった。 「男がそんなに身勝手であるから、女は進歩しないのよ。男は女の進歩向上のため、しつかり者 の、自己を確立した女を好きにならなければ困るんですッ ! 」 困るんですといわれても、男としても困るであろう。男にしてみれば、男が酒を飲んでいては 饅頭屋が向上しない。男は饅頭を食うべきだツ、と叱られているような気持ではないかしら。酒 が好きなのは男の勝手である。 饅頭屋を向上させようとするなら、饅頭屋がうまい饅頭を作るよりしようがないのだ。 ところで今年 ( 昭和五十年 ) は国際婦人年だというので、この年を女生にとって意義ある年に 、とはり切っているご婦人方が、男女差別を撤廃し、女性の地位を向上させるべく、色ん な機会に男社会への注文、要求を出しておられる様子である。 昨日聞いた話では、さる婦人会で「主人」という言葉を撤廃しようという動議が出されたそう である。また女を女と呼んではいけない。「女性」というよう、男性社員に要求した女子社員の
112 儀ひとっぬけたからといって顔が引きつった先生も嫌いになった。 、ものを、二回も三回も 日本人の挨拶はお辞儀にはじまりお辞儀に終る。それも一回すればいし 四回も五回もする。回数が多ければ多いほど、相手に対する敬意尊重を披瀝していることになっ ているので、むやみに何度もする人がいる。また頭を深く、長く下げれば下げるほど礼儀正しい ということになっているので、深く深く長々と下げる人がいる。 私は肥満体の中年婦人のお辞儀によって、椅子が定位置より一メートルもすれたのを見たこと がある。婦人の後ろにあった椅子がお尻のカで飛ばされたのだ。ある結婚式でのことである。そ の肥満体の中年婦人はあっちで椅子を跳ね飛ばし、こっちでよそのご亭主をよろけさせていたが、 そのうちにこういう情景が展開された。 彼女が盛に挨拶を交しているその後ろで、洋装の老婦人と彼女に負けぬ肥満体婦人がお辞儀を していた。洋装の婦人は穿き馴れぬハイヒールを穿いているせいか、お辞儀をするたびに、だん だん、前の方へとつんのめって行くのである。相手の婦人はどっしり構えて深く長いお辞儀をし ている。 そのとき、こっちでお辞儀してる肥満婦人とそっちの肥満婦人とのお尻が、ガッキとぶつかり 火花を散らした。次の瞬間、ハイヒールの洋装老婦人がふっ飛んだ。なにゆえ、お尻とカンケイ ない老婦人がふっ飛んだか。 こっちの肥満婦人のお尻の方が、そっちの婦人の尻カ ( というのもヘンな = = ロ葉だが ) にたちま
さっていたのだ。それでそっちの婦人が前につんのめった。つんのめったところへ、ハイヒール の老婦人がこれまた、つんのめって進んで来ている。お辞儀したままつんのめった婦人の、おで この力が老婦人をふっ飛ばしたのである。 「アラ、ごめんあそばせ」 と尻力の横綱はにこやかにふり返って挨拶をした。そのにこやかに対して、相手もにこやかに 挨拶を返す。 こういう時の「にこやかさ」というものは何だかへンな感じがするものだ。しかしへンな感じ がしようとしまいと、やはりそれは「礼儀」というものなのであろう。 ご婦人の集りなどへ行くと私は自分が粗暴な人間であることをつくづく反省させられる。私は ご婦人がたの信奉しておられる「礼儀」いうものがどうもニガテなのだ。 「二分ですむことを十分かけるのが礼儀なのかよウ ! 」 と最悪の言葉でわめきたくなる。 ん「さようなら、お元気で」 花ですむところを、 主「どうぞ、お身体にお気をつけあそばしまして、 ( お辞儀 ) ホントにお目にかかれて嬉しゅうご ざいました。 ( お辞儀 ) みなみなさまにおよろしくお伝え下さいませね。お忙しいのに貴重なお 時間をお邪魔しましてホントに申しわけございませんでした。 ( お辞儀 ) ありがとうございまし
です、と説明をはじめると、クスクス笑い出す女性がいる。 「臍下丹田に力を入れよ」ということは、下腹部に力を入れると、健康と勇気を得ると昔から、 われているのです、といえば、 「ウフフ」 「ククク」 いんび と淫靡に笑う。 「何がおかしいのよ。下腹部に力を入れることが何でおかしい」 「だってエ : : : 下腹部だなんてエ : 「下腹部とは臍の下のことよ。何がおかしい」 するとまた、ククク、ウフフだ。 「臍の下だって : : : ェッチ : : : 」 どうやらこの頃は「下腹部」も「臍の下」も腹の一部分ではなくなったらしい 私などは下腹部というと、腹の下の方のことで、更にその下に大事なものがあるのだと認識 , ていた。しかし今はちがう。臍から下一帯、そこらへん全部が、エロチックな場所になってい のだ。 「私の手は思わす、下腹部に伸びました」 と婦人雑誌の告白記事にある。下腹部が痛んで来たのかと思ったらさにあらず、自慰をやっ、 ということなのだ。
115 坊主の花かんざし ( 三 ) が丁寧でないというのだ。それで仕方なく次の時に丁寧にお辞儀をしたら、マイクロホンに頭・ - 一うしよう ぶつけ、異様な音響が会場に響きわたって満場の哄笑を浴びた。 うらや 外国人の挨拶を見ていると私はいつも羨ましく思う。握手というのは実に簡単で親しみがあ ( というのが私は好きである。 一度すればおしまい 。彼よ政界への進出を目論んでいる人だが、 私がそんな意見を述べると、賛成した人がいた , し 手は肌と肌が触れ合い、そのぬくみを伝え合うことが出来るので、人の心を掴むのにはお辞儀 ( 百べんよりもずっと効果がある。 「選挙運動の時など、よろしくお願いしますよといって手を握り、相手がご婦人の場合は、チ一 ッと力をこめる。後家さんならば最後に手のひらをグイとひとヒネリしておくんです。アッハ ということであった。 日本人の挨拶は、握手にまでやつばり手がこむんですなあ。
「イチローチャンが縛られたの」 なら似合うのである。 かくのごとく、果実が熟して木から落ちるごとくに、言葉というものは自然の移ろいの中で実 ったり落ちたりして行くものなのだ。 ムキになって決議したり、要求したりしなくても、消える時が来れば消える。「親孝行」とい う一言葉を消しましよう、と誰も運動したわけではないが、実体がなくなったから自然に消えた。 数日前、新聞である婦人団体が女に対する差別の不正をなくすためにマスコミの協力を要望し たという記事を読んだ。それによると例えば歌謡曲などでも、「あなたにあげたい」とか「あな という要望が入 た好みの」など、女を男の従属物のように考えている歌は採用しないで下さい、 っているという。そのとき私の頭にふと、浮かんだ歌がある。 「あなたのさみしげな横顔を 見るとなぜかやさしくなるの あたしのこの胸に頬をうすめ 心ゆくまで泣かしてあげたい : ( 「乙女の祈り」なかにし礼作詞 01967 エバーグリーンミュージィックパプリッシャーズ ) これならお気に入りますかな。 心配しなくても、今に「あなたにあげたい」など一連の歌は、昔への郷愁を歌う歌となるでし わ よう。その郷愁は男の胸に湧く郷愁か、女の胸に湧くものかは知らねども。
グループがいるという。主人や女という一一 = ロ葉には差別意識が含まれているためだという。 げつ一一う いやはやむつかしいことになって来た。しかし、そう激昻してあせることもないのではない ) すか。つらつら世の中を見渡すに、「主人」という言葉にふさわしいだけの威厳をもって家族 ( 上に峙っている夫は、年々歳々減少の一途を辿りつつある様子。 昔の「主人」は妻を見下す権力者であった。しかし今の「主人」は月給運搬人になりかけて、 る。権力者を意味する「主人」という一言葉は、遠からず有名無実のものと化すでありましよう。 「今日は主人がいるのよ」 と妻がいえば、訪ねて来た井一粫会議の友達は足音ひそめて帰って行ったは昔のこと。今は、 「今日は主人がいるのよ」 「丁度いいじゃないの、留守番してもらえば」 やがてそのうちに、「主人が」といいたくても、どうにも似つかわしくなくていえない う感覚が生れるようになるだろう。あるいは「主人」のイメージが変るだろう。 ざ我が同居の甥は三十一歳だが、 , ' 彼の妻は「イチローチャン」と呼んでいる。イチローチャン ( 方は妻のことを「ミコ」と呼ぶ。 花 の 過日、我が家に強盗入りし時、イチローチャンはすみやかに強盗に縛られた。 主 坊 「主人が強盗に縛られましたのよ」 といえば、何やら悲しく滑稽で顔を背けなければいけないような気になるが、 たど レ」
浦ないようにね」 今のところ、コトが起きているのは私ではなく、浦河の人々のようである。
うというひそかな気持もあって建てたのである。破産の悲境より立ち上って、ここまで生きて立 られたのは、誰のおかげか。ひとえに知人、友人の励ましのおかげ、はたまた各新聞、雑誌、旱 レビ局などの私に仕事をさせて下さった方々のおかげである。 なのに私は締切に遅れたり 、八ッ当りしたり、悪口雑言ほしいまま、我儘の限りをして人々わ 苦しめて来た。それに対するせめてもの償い、恩返しのつもりでアリ金はたいてこの家を建てレ うと決心したのである。 ところが今、その美しい決心にもかかわらす力ネが足らぬという。私の決意は忽ち別の決意〕 変った。人々のために作るつもりであった中二階をやめることにしたのだ。 「中二階はそのうち、金が出来たら作ります」 平井さんは浮かぬ顔でいった。 「では階段はどうしますか ? 」 「やがて金が出来たら作るのですから、それまでは半分だけつけておいて下さい」 「えつ、階段を半分だけ ! : 途中までですか ? 」 ん か「そうです」 の「階段を上ると、途中で消えている ! 妖怪のような階段ですな」 坊 「いいのです。それで」 平井さんはますます浮かぬ顔。 、ようかし たちま
「サラブレットは高いからね」 と娘は呑み込み顔に肯いた。 人は私が北海道の丘の上の一軒家で暮すつもりだというと、半信半疑という顔をする。 さび 「買物はどうするんですか ? 」「一人で淋しくないんですか ? 」「こわくありませんか ? 」「急病 の時はどうします ? 」「食物なんか不自由じゃないんですか ? 」「冬はどうするんです ? 」こうい う質問を聞いていると、人はみな、平穏に生活するということをいかに熱心に考えているかがよ くわかる。 「行けば何とかなるでしょ , つ」 行動せずに、い配ばかりしていてもしようがないのだ。 「最初にナマコを食べた人を見よ。蛸食った人のことを考えよ ! 世の中はすべて、勇気と決断、 そうして行動力です」 そういうと人は皆、黙る。勝手にせえ、という表情がその沈黙の中にある。 私はこの丘の上の生活を、さまざまに夢見ている。その夢のひとつを私は人に語った。 「朝、あくまで広く遠い草原をそよ風が渡り、朝露がきらめきます。私は白きも裾を引いてバル コニーに出、ゆるやかに手をふって町の人に挨拶をします。『浦河の皆さん ! おはよう ! 』と ね。すると町の人々ーーーあるいは牧草を刈り、あるいは馬車を追う人々が顔を丘に向けていいま す。『あッ ! 佐藤さまのお目ざめだ ! 佐藤さま ! お早うございますリ』」 たこ