思っ - みる会図書館


検索対象: 坊主の花かんざし(三)
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1. 坊主の花かんざし(三)

「本当なのよ。通信簿なんて二と三ばっかり : 「信じませんわ、そんなことおっしやっても : 「だって本当だものしようがないでしよう。五なんて点数、私はまだ一度もお目にかかったこと ないの」 「また、そんなことを : : : ご冗談ばっかり」 私は次第にイライラして来る。私は娘の通信簿のデキが悪いことを吹聴しようとして、こうい う話を持ち出したのではない。試験のデキは悪くても、我が娘には色々とトリエがある。そのト リエについて語り、かっ、私の教育論、人間論を展開しようと思って話し出したのだ。 、。ムよっいに爆発し、 にもかかわらす、話のすべり出しのところでちっとも先へ進まなし不。 素直になれエー」 「バカモノーツ デキが悪いといったら悪いんだーツ , とわめく。すると人はいう。 「佐藤さんって、ホントにシッレイな人よ」 シッレイなのはどっちか , 「うちの息子はホントにダメなの、ガリ勉で。もっと男らしく、大学進学なんかどうでもいいや、 オレはオレの人生を行く、という気概を持ってくれればと思うんですけれど、もう勉強、勉強で、 お小遣いなんかぜーんぜん使いませんの。みんながコーラ飲むときでも、ボクは水でいい、 : こうなんですのよ。女の友達なんかもないんです。心配することが何もなくて、あなたはい いわねえ、とよくいわれるんですけれど、心配することがないのが心配で : : : 」 と、

2. 坊主の花かんざし(三)

それを夏休み中遊びけていて、秋口になって手ッとり早くまとめる。「沈黙」一冊読んで、 「えー、『沈黙』についてどう思われますか ? 」 。人にしゃべらして、それをまとめて展示場に並べ、それで能事足れりとしている。 それにしても、世の中の学生たちは、どうしてこう、遠藤周作遠藤周作といって騒ぐのか。私 は面白くない。あっちの高校こっちの中学、遠藤周作研究ばっかり。佐藤愛子研究をする学校が 日本中に一つくらいあってもよさそうなものではないか しかしないならないでそれでもよろしいよ。佐藤愛子は佐藤愛子の売文屋としての道をトボト ボと歩みますよーだ。だが彼らは勝手な時だけ私を思い出してやって来る。 「遠藤先生のユーモアについてどう思われますか」 「遠藤先生の長所及び短所について教えて下さい」 中にはこんなことを電話でいった女子学生がいる。 「テレビのコーヒーの O に出ている遠藤先生のことですけどね。お庭で体操をするでしよ。あ わき の時、なぜあんな脇の下を掻くようなことするんですか ? 」 私は遠藤周作の奥さんでもなければ恋人でもスポークスマンでもな 知らんよ、そんなこと ! いのだ。私はだんだんアタマにくる。 「遠藤さんと佐藤さんのカンケイは ? と聞いて来た女の子がいる。私は堪忍袋の緒を切っていってやったね。

3. 坊主の花かんざし(三)

「ロポットだからガマン出来るのよ」 「ちがう ! ガマンの人だからロポットになってしまったのよ」 「だから要するにロポットなのよ」 「ガマンの人ですッ ! 」 私はたった三泊四日の講演旅行で、ヘトへトに疲れ、風邪をひいて帰って来たのだ。そうい 時だから、陛下のお疲れがよくわかる。あのおばっかない足どりを見ているとおいたわしさで、 つばいになる。 「疲れてるんじゃないのよ。天皇は前からああいう歩き方なのよ。前からああいう姿勢なのよ そういった昭和生れの女性は数日後やって来ていった。 「ごらんなさい。陛下はガマンしてたわけじゃないのよ。こうおっしやってるわ。アメリカ旅 ( は、自分の生涯で一番楽しい旅行だったって : : : 」 楽しい旅行 : : : そういわれる陛下はやつばりガマンの人です。徹頭徹尾、ガマンの人であら ます。私はそう思う。私はもう、展望台や二の膳つきのご馳走や、「陛下の泊られた旅館」の ん口をいうのはやめようと決心しました。 花 の 主 坊

4. 坊主の花かんざし(三)

「わかりました、わかりました、佐藤さんあなたは貧乏です ! 」 と相手が謝り認めるまで、しめ上げてやりたくなった。 これも親友にいわせると、人の不幸や恥をやすやすと信じては相手に対してシッレイだと思っ て、その人はわざと信じないフリをしたのだそうである。その証拠に彼女は方々へ電話をかけて、 「佐藤さんのところたいへんよツ、破産してその日暮し。今にご主人と離婚するんじゃないかし と私のいわないことまでつけ加えていたそうである。蔭で信じしゃべる分にはシッレイではな これが世の常識だとか。 しかし私の方は貧之というものを、人に隠さねばならぬような恥や不幸とは思っていないから、 がんきよう 私の話を頑強に信じないことをシッレイだと思う。それで、 「もうあんな面倒くさいやっとはっき合わん ! 」 ということになるのだ。私はよろす、面倒くさいことは性に合わない 。しかし世の中の大半の 女性は、この面倒くさいことにウキミをやっしているように私には思われるのである。 「うちの娘はデキが悪くて、高校進学の時、本当に苦労したんです」 そ , つい , っと、 「まさか、そんなことないでしよう」 とまたはじまる。

5. 坊主の花かんざし(三)

さる日、 「とにかく彼は管理者としては失格だよ」 ーマンがしゃべっていた。 とイッパイ飲屋でサラリ 「人を傷つけるようなことを平気でいうんだからね」 「全くそうだね。悪気はないが、・ テリカシイを欠いているんだ。山田君の前でハゲのことをい てはいけないことくらい、おとなならわかりそうなもんだがね」 私は山田君のハゲを見たことがないから、とやかくいう資格はないかも知れないが、こうい ? ときにいつも不田 5 議に思うことがある。 「おとなならわかりそうなもんだがね」という手合は、相手におとなを要求するが、自分のほ , はおとなでなくても、 しいと思っている。これが私には何とも腑におちかねることなのだ。私に、 わせれば、人を傷つけるのも悪いが、またむやみやたらと傷つくのも悪い ああいってはいかん、こういってはいかんと、まったくうるさい世の中になってきた。 にわか 「ママの子供のころ、近所のおじいさんが俄ツンボになってねえ」 と話しはじめると、娘、 「ツンポだなんて、いってはいけないのよ、ママ」 「何 ? 俄ツンポがいけない ? ならなんというの。『俄聞こえぬ人』というの ? 」 娘はヘんに偉そうな顔になって、 「肉体の欠陥を指摘するサべツ用語を使ってはいけないのよ」

6. 坊主の花かんざし(三)

「ああ、では、滝を上って空を駈ける年ですね」 不がいうと、市長さん、ちょっとおかしな顔をされた。なんで、おかしな顔しはるのやろ、と ちょっと思ったが、話は先へ進んで行くのでそのまま忘れてしまった。 、・ツドに入ってうとうとまどろみかけた時、 札幌から帰って数日経ったある夜へ 滝を上るのは鯉だ , 突然、。ハッと田 5 い出した。 滝を上るのは鯉。雲を巻いて走るのが竜。 と私はわめきへ 、・ツドに起 ~ き上り、 「えらいこっちやア」 市長さんがへんな顔をされたわけが今、わかった。しかし、わかったのが今ではもうどうしょ うもないのだ。新春早々、私はやられるであろう。 「滝を上るのは鯉ですッ ! 竜が滝を上るとは何ごとですかッ , 「この頃のもの書きの無智なこと、目を蔽うばかりです」等々 : もの書きの面目、丸つぶれである。ふだん、えらそうなことばかりいっているものだから、こ ういう時、人一倍こたえる。 仕方なく私はサッポロテレビの人に電話をかけて頼んだ。 おお

7. 坊主の花かんざし(三)

ばうぜん 電話を切って私はしばし呆然と壁を睨んだ。ふと、今のはいたすら電話ではないかと思った。 それくらい電話の相手は私の怒号に動じないのである。そうでなければこの頃の週刊誌の記者は みんなマゾか ? それともこの世の喜怒哀楽、すべてを超越し達観した人か ? 私の怒号に対してなぜ怒らぬ ? おび なぜ怯えぬ ? 私はこういうもどかしさを、かって夫婦喧嘩をするたびに感じたものだ。私は罵りわめき、夫 に向ってアルミニウムの灰皿を投げ ( 割れる物を投げては損なので ) カケ皿を投げ、 ( これは既 もち まんじゅう に欠けているから惜しくない ) 饅頭を投げ、餅を投げた。 「あ、あ、あなたって人はどうしてそうなんですかッ , え ? どうしてなの ? 三日もぶつつ づけにマージャンして、おてんとさまに恥かしくないんですか、えつ、人が働いている時にマー ジャンにふけってるって、どんな気持ですか、えっ ? 説明して下さいッ , 夫は何もいわす平然と饅頭のホコリを払って食べている。 夫はマゾか ? それとも超越者、達観者か ? なぜ怒らぬ ? なぜ怯えぬ ? その時も何度か私はそう思ったものだ。夫がいなくなって五年、怒号することも少くなったと 思っていたら、週刊誌の記者がとって代って私を苛ら立たせる。 しかし週刊誌の記者だって、女性記者の場合はそれなりの反応があるものだ。いつだったかこ

8. 坊主の花かんざし(三)

前はそれでも手紙だったのが、このごろは電話である。 「えーとですね工。私たちの学校で工、今度、文化祭に遠藤周作研究をやっているのですがア、 それについてエこれからアンケートに答えてもらえますかア」 一瞬私は「いやア」な気分になる。「いやア」な気分になるが、つい 「アンケート ? 何です ? 」 と聞き返してしまうのは、相手がいかにも一生懸命に、真面目にしゃべっているのが愛らしイ また気の毒に思うからである。 「えーとですね工、佐藤さんと遠藤さんとの交際はいっからですかア ? 」 私は妙な気分である。なんで遠藤周作研究に、私と遠藤さんの交際の年月が必要なのか。つい で彼女はいう。 「遠藤さんの文学をどうお思いになりますかア ? 」 またいう。 「遠藤さんとそのご家族とのエビソードを何かひとつ、聞かせて下さい」 この忙しいのに、なにゆえ私は会ったこともない女子中学生に向って、遠藤周作について語ス ん ねばならぬのか。 花 の こういうアンケートがつづくと、私はホトホトいやになる。何もかもこう簡単な世の中になっ 主 坊 てしまって、これでよいのか。遠藤周作研究をするのなら、遠藤周作氏の著書の全部を読破した 新上で各自の感想を発表するべきである。それが学生のなすべきことだ。

9. 坊主の花かんざし(三)

しらけ、こっこ 世はしらけ時代だという。 しらけ時代とは、何に対しても一生懸命にならず、すべての現象をしらじらと見て通り過ぎ「 時代であるという。 現代若者の大半はこのしらけ病にかかっていて、中老年層が何といおうと罵ろうと心配しょ , とどこ吹く風。喜怒哀楽に流されることなく、中老年層よりも遙かに達観しているように見え「 が、実は達観にあらすして、しらけ病にかかっているからなのだそうである。 「しらけ人間についてどう思いますか ? なぜ、こんな人間が出て来るようになったんだと思、 ます - か」 と問われた。問うたのは学生風の男性である。新幹線の中でのことだ。若者であるからには , ん の人もしらけ人間なのであろうか ? そう質問すると、 花 の「はあ・・・・ : ま、そうですが」 坊 と一い , つ口。 しらけ人間が、「なぜこんな人間が出て来るようになったんでしよう ? 」と聞くというのも担 はる ののし

10. 坊主の花かんざし(三)

「なるのがイヤでも、ならんならんのや。長島君は : つまり、「これほどのタマは」という意味に私には受け取れたのであった。 そうして長島おしげちゃんは色里の人になった。器量もよし、踊り、三味線、歌、何をやら注 ても町内一といわれたおしげちゃん。 私はテレビでおしげちゃんを見ていた。おしげちゃんは颯爽として、盛んにカッコをつけて」 る。いや、意識的にカッコをつけているのではなく、おのすからカッコがついている人なのか 7 しれない トがつづくと、笑うまいとしても唇のあたい おしげちゃんはいかにも爽かで初々しい がはころびて来る。負けていたのが逆転したりすると、飛び上って喜んでいる。私は野球の監れ が得点して、飛び上って喜んでいるのを生れてはじめて見た。監督なんてものは常にムツツリー て、負けても勝っても、「それがどうした ! 」という顔をしているものだと思っていたのだ。 「おしげちゃんて、ほんまにエ工娘ゃねえ」 と私はひとり呟いた。本当に無邪気で善良だ。私など、世の辛酸嘗めてすれつからしになっ ざいる者は、たまに味方が得点しても、 か「ふン、今に逆転されるやろ」 の とすぐ思うものだから、とても躍り上ったりは出来ない 主 坊 試合は進み、案の定、逆転したあとで、また逆転されている。だから、躍り上るのは早いと」 うんだよ、とニガニガしく舌打ちをしつつ、しかし、おしげちゃんの無邪気さを思うと可哀想 ) さわや さっそう くちびる