て、その鍵はオレが握ってるよ、誰にも中、見せねえように」 ひそう と、平井さんは悲愴な声を出した。 こういう次第で建ち上った家は、しかしなかなか立派である。二十畳の広間は居ながらにして 三方の景色を見られるよう、三方、ガラス張りである。 ともしび 夜ともなればこの部屋の灯はこの丘に輝き、浦河の夜に瞬くであろう。 ( 何しろこの部屋にはまだカーテンがないので ) 浦河の人々は我が灯を見上げていうであろう。 「ああ、佐藤さんはまだ、ご勉強中だ ! 」 「ほんとに佐藤さまはよくお励みになる ! 」 「我らも見習わねばならぬ。こうしてはいられないそ ! さあ、勉強だ ! 」 我が灯は浦河の若者たちの励みの灯となるであろう。浦河の若者は勉強にいそしみ、やがては 浦河の町より大学者が輩出するであろう。 と、昨日、人が来ていった。 そう思って私は深夜まで灯を消さない。 「昨日は朝まで電気がついてたね。徹夜マージャンでもやってんのかなって、隣のオヤジといっ てたんだ」 ′力いす・ いや、ホントは長椅子で眠りこけていた。 そうぜん かくて浦河での我が生活は始まった。家は新築だが、家具は古色蒼然としている。私の亡母が 使っていた大正時代の鏡台とか、使い古しの食卓など、物置きをかき廻し、
いうことが、北海道の新聞に出たのだ。 うれ 「佐藤さんが北海道へ来て下さるのは嬉しいですが、浦河というところは、年中、地震が起きて いるところなので、それが心配です」 また別の読者からも手紙が来た。 「私はあの土地をよく知っていますが、とにかく風のすごいところで、タッマキもよく起りま 風に地震にタッマキ , その地が今や我が休息の地になったのだ。 「なぜそんな土地を選んだのよ ? 」 と娘にいわれるが、なぜかしらん、そうなってしまったのだ。 家の建設は進んでいる。読者からの手紙が来た頃はもう、家を建てはじめていたのだ。 先日、私は建築状況を見に浦河へ行って来た。建築屋さんはよい人で一生懸命に屋根が飛ばぬ ように苦心してくれていた。船のイカリの大クサリで引っぱっておきますとはりきってくれてい る。そのとき私の中で遠藤さんの言葉が鳴り響い 「君、屋根と一緒に飛んで行くのやないか。オレは必す何か起ると信じとるね」 浦河から帰った翌日、新聞を広げたら「浦河地震八回」と出ていた。 、北海道に赴く。神はいまだ我に 安息どころか、私はこれから風とタッマキと地震と戦うべく 安息を与え給わぬのか ! そう詠嘆すると我が娘、
檻の中 北海道浦河へ来て、四週間過ぎた。 漸く浦河の水にも馴れ、馴染の商店も出来、生活も軌道に乗って来た。 つなが こちらの人はみな親切である。単純で親切で、人との繋りを大切にすることと、亭主関白であ ることと ( 実際、どこの亭主も威張ってるねえ ! ) 奥さんたちがよく働くこと ( あんなに働けば、 もっと威張ればいいのに ) で、私は三十年ばかりタイムマシンで逆行したような気分でいる。 ああ、こういうご亭主は、昔も東京にいたわ、 ああ、昔の主婦はこんな風に働いたものだわ、 昔は東京にも、こんな親切な人が沢山いたわ、 という具合に、いちいち昔を思い出す。 ところで亭主もなく、女のくせにでかい顔をして、丘の上で何をしているのかよくわからぬが、 ただノラクラしては好き勝手な御託を並べている私のような存在は、おそらく浦河にバンダでも やって来たような感じであろうか。 、ンダ並とは行かないまでも、ここへは「見物人」が引きもきらすにやって来る。こちらの人
浦ないようにね」 今のところ、コトが起きているのは私ではなく、浦河の人々のようである。
ロ舌の徒 八月三日、北海道浦河へ来て十日にしかならないのに、もうあたりは秋の気配である。立秋の あお 日を境に急に海の色が碧さを増したような気がする。 牧場の人は牧草刈りで忙しい。目の下の牧草地で終日、人が働いている。牧草を刈り、乾し、 機械を使って乾し草をまとめて四角い束にし、トラックで運ぶ。今年は雨が多かったので、例生 より仕事が遅れているという。それで牧場の人は一生懸命に働いている。 とうびよう 夜は水平線にいか船の灯が並ぶ。いか船は青森県から来た船だという。浦河の漁港に投錨ー 夕方、沖に出ていかを釣り、朝になると帰って来る。いか船が帰って来るので浜は朝の五時か 賑わう。ここでも人は一生懸命に働いているのである。 ざ建築屋の平井さんも忙しい。お盆なので働いている人にポーナスを出さねばならぬとフウフウ いっている。フウフウいいながら、日に一度は我が家の様子を見に来てくれる。 花 の「もうそろそろ、おかすがなくなる頃だろうと思ってね」 坊 と魚を下げて来てくれる。平井さんもまた一生懸命に働いている。 ちょうちょう 白い蝶々が頻りに飛びはじめた。気にしく二匹すつもつれ合って飛んでいる。今朝はとんぼ
「大木か ? 」 かんばく 「いや、大木ではないけれど : : : 主として灌本やね」 「灌木 ? すくすくと天に向って伸び、枝をひろげ、葉を茂らせてる大木はなかったんか、 「うーん、スクスクねえ : ・・ : それは・ : ・ : あんまり、見かけなかったけれども : 私の返事からカが抜けた。 「そういえば、かしわの木が : : : 地を這うてたわ」 「地を這うてたア : がぜん 遠藤さんは俄然、元気づいた。 「君、土地を買うときは、本の成長具合を見て買えということを知らんのか ? 」 「うーん・ : ・ : 知らなかった」 「そこ、風が強いのとちがうか ? 」 「はア . 私は田 5 い出した。そういえば案内してくれた人がいっていた 「風で屋根が飛ばんかと、それが心配ではあるけれど : しかし、土地はもう買ってしまったのである。 数カ月後のことである。北海道の読者という人から手紙が来た。私が浦河に家を建てている、
夢の別邸 前述した北海道浦河の我が別邸の建築は着々進行している。私はこの別邸がゆくゆくは我が すみか いの棲家になるのではないかという気がしてならない 遠く北に日高山脈を望み、西南に太平洋を見下ろす丘の上。眼下に広がる牧草の原を風が渡り 放牧場の馬はいななき、太陽は海を染めて沈む。 この大自然の中で晴耕雨読。小鳥を友とし、馬を家来として素朴にして優雅な暮しに入るのだ 私がそう夢を語ると、娘は眼を輝かせていった。 「馬を飼うの ? サラブレットね ! 」 しいや。ドサンコです」 「ドサンコ ? そんな馬いるの ? 」 いる。北海道生れの、ロバのように小さくて脚の太い、モサモサした馬が。私はそのドサンコ に乗って買物や散歩をする。 「なぜサラブレット飼わないの ? 」 「ママはすべてエリートというものは好かぬのです」
87 坊主の花かんざし ( 三 ) 「あの人は私の家来です ! 」 ところで私のいる北海道浦河の町の本屋には、遠藤周作コーナーというのがあるが、佐藤愛「 の本なんて一冊もない。売り切れたのではなくて、はじめから置いてないのだ。我が家へ来る」 タミ屋さんが私の本を買いに行った。そうして漸く、「おさげとニキビ」という私の少女小説 . 探して来た。タタミ屋さんは、その本を姪に当る人にプレゼントするのだという。 「それで、すみませんが、サインをひとつ、していただけませんでしようか」 それからタタミ屋さんは、色紙を三枚取り出していった。 「これもひとつ、お願いしたいのですが。一枚は私の部屋に、もう一枚は茶の間に、もう一枚 ( おふくろの部屋に掛けたいのです」 私は感激して墨をすった。え ? お前さんは色紙を書くのが嫌いではなかったかって ? いや、この時はどういうわけかイヤではなかった。私は喜んで書いた。人の心というものは まっこと、情況に左右されるものですねえ。
勧めた。四万円近くするものを三万四千円でいいという。渋っていると三万二千五百円までマ , るという。私はいった。 「じゃあね、ジャンケンの三回勝負して、私が負けたら三万三千五百で買う。あなたが負けた・ 三万一千円。どう ? 」 ししレ小。。や . りまー ) よ , っ , ・」 「ジャンケンホイ。ホイツ、ホイツ , 私はストレート勝ち。 「ワーイ、勝ったア・ 「おかしいなア、オレはジャンケン、強い筈なんだがなア : 赤シャッ君は首をヒネっている。 「こんな商売のしかた、オレ、はじめてだよ」 「商売なんて、ガッガッ儲けるばかりが能じゃないのよ。人生は面白く、楽しんで生きなく ~ 「そういうもんかねえ。ふーん」 と赤シャッ君は煙に巻かれて帰って行った。 「今度来る時はジャンケンの練習して来ますよ」 そろ 私がこの地へ来るといったとき、友人知己、みな口を揃えていった。 「また何か、浦河でことが起きるんじゃないの ? あなたはコトの多い人だから。酷い目にム發
ャケクソの町 北海道浦河へやって来た。 漸く我が別邸が建ち上ったのである。 この地に魅せられたのは一年前、興奮するとフトコロ勘定がわからなくなるという厄介な性へ が、ヤミクモにここに住みたくて家を建てたものだから、途中で金がなくなり、天井なし、階 ( は半分まで、二階は金が出来てからつづきをやる、という珍妙な家が出来かけたが、 「しょ , つがないよ。そこはおれがもつよ」 という建築屋の平井さんの、半ばャケクソとも諦めの半泣きともっかぬ声が何度か入って、 ただ く階段もっき、二階の床も張れた。但し、壁、天井はなしである。床だけ。平井さんはひとり一 ざ首をひねっては恥ずかしがっている。 か「こんな二階に客を寝かせるのかねェ」 の 平井さんは頻りに歎いて、二階の上ったところにドアーをつけた。 主 坊「ダメよ、お金はもうないんだから」 しいよ、オレがもつよ。人に見られたらオレの恥になるからね。新築祝いの時はドアに鍵か かぎ