122 むかし人 十一月五日、私は満五十二歳の誕生日を迎えた。私の生れた日は間違いなく十一月五日である と母はいう。しかるに戸籍面では私は十一月二十五日生れということになっているのだ。 私はこの違いのために、今までに色々な場所で、何度叱られたかしれない。例えば印鑑証明を 取りに行った時など、区役所の人は私の書いた日付を戸籍と照合しては、 「ちがってますねツ」 」いギ一 と怒り、猜疑に満ちた目で睨んだ。違っているのはそちらさんなのだといくらいっても耳を貸 そうとしない 「戸籍には十一月二十五日と記載されていますッ ! 」 と頑張る。だって、私の母、私を産んだ当人が十一月の五日の昼前であったといっているので すが、といえばいうほど相手の機嫌は悪くなる。仕方なく私は「十一月二十五日」のウソの日付 に書き変える。 こんな調子ではもしも、女なのに「男」と戸籍面に記載されていたとしたら、私は区役所へ行 く時は男装して行かなければならぬのではないかーーそんなことを思ってしまうほど、区役所の
友「子供は父を尊敬している ! 」 私「憧れている ! 」 友「おとなになったら、自分もああいう男になろうと思う ! 」 不たちは口々に、つこ。 「あれそ、父親のあるべき姿だわ ! 」 私の友達はひときわ声を高めていった。 「それにひきかえ、うちのパパは : 子供に何を教えるのでしよう : 友「ねえ、何を教えるでしよう : ・・ : 何を教えられる ? 」 そんなこと、私に迫られても私は知らんよ。友は私に詰め寄る。 友「答えられないでしよう ? 答えることが出来ないのよ。なぜ出来ないか ! 男がグウタ一 になっているからである」 困るねえ。私のおハコを奪っては。仕方なく私はいった。 」 . し 「都会のサラリ ーマンの生活では教えるものって何もないわ。暴れ馬もいないし、インデアン。 ん 。殳ナ繩も銃もいらないんだもの」 花 の「しやその代りのものがあるでしよう ? 」 坊「代りのもの : ・ : ・何かしらん」 「だからあなたに聞いているのよ」
「生殖器のことですか ? 」 生殖器なら生殖器となぜはっきりいわぬ ! 女性自身などともって廻ったいい方を考え出し、 ちよくせつ のはどこの男か、女か。私はすべて直截を好む人間であるから、こういういい替えをむしろ 品と思う。私はいった。 「いったい、あなたは何を私にお聞きになりたいんですツ」 「つまり女性も自分のその : : : 女性自身を ( まだいってる、この男は ) 見ようとウーマンリプ ( 一部の女性が提唱しているんですが、その見る意味をお聞きしたいんです」 私は怒り心頭に発した。 「そんなことは提唱した人間に聞けばいし 、じゃないですか ! 何のためにヤプから棒に私が聞 , れなければならないのですッ , 私はそんな、スケベイ、インランの暇人の考え出したことに ( いて、意味を考えるほど暇ではないんですよッ ! 」 仼「はあ、しかし、その機械が売り出されるというんですがね」 ざ「何の機械ですかッ , か「つまり中の中まで見る機械ですよ。女性自身の」 の まだいうかッ , 私はわめいた。 女跿自身という言葉をやめろッ , 主 坊 「私は怒っているんですよッ ! カンカンになっているのがわからないんですかッ ,
あんた私の何なのさ 文化の日が近づいて来ると、毎年、高校や中学校の生徒から、文化祭のためのアンケートが ~ られて来る。 「あなたが作家を志した理由」 「尊敬する作家の名を三名挙げて下さい」 「作家として、また人生の先輩として、私たちに忠告、苦言、激励の言葉、何でも結構ですか《 書いて下さい」 「あなたの座右の銘は ? 」 等々。 私はこういうアンケートを見ると、いやアな気分になる。それは丁度、旅先の旅館などで、 ん か紙を山のように持って来られた時の気分と同じである。 主私に色紙なんそ書かせて、何にするのだろう ? 坊 といつも私は思う。私は字が下手クソである。特に詩的で含蓄ある言葉など用意していない 大文豪でもなければ書家でもない。その私の書いた色紙など、三文の値うちもないことは誰よい
「あなたは常識が欠如しているのよ。思ったことすぐにロに出すからいけないのよ」 と親友がたしなめた。だが、私だって田 5 ったことをすぐ口にしているわけではない。やつばい 考えていっている。もし思った通りいうとしたら、 「サルが聞いたら怒るヨ」 、っている。 女の人とっき合って困ることは私の方はシッレイと思わないことを相手はシッレイと思い 手がシッレイと思わないことを私はシッレイと思う。その喰いちがいである。 かって私は破産して貧乏のどん底に沈んでいた時期がある。その時、友達が来たので私はい - 「うちは今、貧乏のどん底なのよ。生れてはじめてよ。こんな貧乏」 すると友達はいった。 「まさか ! ウソでしょ , つ」 い「ウソじゃないわ。主人の会社、倒産したんだもの」 辰「冗秋ばっかり」 「さっきあなたが表ですれ違った人、あの人も借金とりよ」 主「またまた、そんなこといって : : : 」 「ホントだといったらホントだッ , なぜ、私の貧乏を信じないのかッ と私は相手の胸ぐらを掴んで、
87 坊主の花かんざし ( 三 ) 「あの人は私の家来です ! 」 ところで私のいる北海道浦河の町の本屋には、遠藤周作コーナーというのがあるが、佐藤愛「 の本なんて一冊もない。売り切れたのではなくて、はじめから置いてないのだ。我が家へ来る」 タミ屋さんが私の本を買いに行った。そうして漸く、「おさげとニキビ」という私の少女小説 . 探して来た。タタミ屋さんは、その本を姪に当る人にプレゼントするのだという。 「それで、すみませんが、サインをひとつ、していただけませんでしようか」 それからタタミ屋さんは、色紙を三枚取り出していった。 「これもひとつ、お願いしたいのですが。一枚は私の部屋に、もう一枚は茶の間に、もう一枚 ( おふくろの部屋に掛けたいのです」 私は感激して墨をすった。え ? お前さんは色紙を書くのが嫌いではなかったかって ? いや、この時はどういうわけかイヤではなかった。私は喜んで書いた。人の心というものは まっこと、情況に左右されるものですねえ。
人というのは頑張り屋が多いのである。 ところでこの十数年、私は誕生日が来たことをいつも忘れて過して来た。誕生祝いなんて子供 ことなのである。私はそう思っている。それで誕生日を自分も忘れ、家族 と年寄りがすればいい の者も忘れているという生活がむしろ気に入っていたといえる。 ースデートウュウ」という歌を好かぬのだ。レストラ 第一、私はあの誕生日の歌「ハッピー ンなどで奥の部屋からこの歌の合唱が聞えて来ると、 「また幸福ごっこをやってるツ ! 」 と私は怒る。すると人は、なにもひとが楽しくやっているのに、いちいち文句をいうことはな いでしよう、と私をたしなめる。 「いや、いかん ! 不愉快です。何ですか、あの間ノビした退屈きわまるメロディは ! ああい う歌を平気で歌うその鈍感な神経は許せないッ , いっそう私は怒る。 実際この歌は、誰が歌っても、いやいや歌っているという声になるふしぎな歌である。どう考 んえても誕生日に歌う歌ではない。退屈したときに、寝ころがってアクビをしながら歌うのに丁度 ースデートウュウを歌い終えて、グーツ。私はそういう歌だ 花いい歌だ。最後の一小節ハッビー の 主と巴 , つ。 坊 さて、十一月五日、私はサッポロテレビの仕事で札幌にいた。そうしてその夜、何ともてれく
の欄に、さる女性記者から電話でコメントを求められ、それに対して答えていたら、相手は「ふ あいづち ーん、ふーん」と合槌をうった。「ふーん、ふーん」とは何ごとか、と書いたら、すぐにその女 性から電話があり、 「あれは私のことだと思いますが、私はいまだかって、人との会話でふーんということはいった ことが。こイ、いません」 と抗議を受けた。私の耳は確か「ふーん、ふーん」と聞いたので、「ございません」といわれ て私は当惑したのだが、それにしても直ちにこういう反応があったということを私は面白く思っ た。彼女は極めてマジメな人なのであろう。 いや、彼女ばかりでない。女はすべてそのようにマジメに生きているのだ。渋谷を歩いていた ら、どこかてハハ ーンと爆発音がした。とたんに若い女生がそこここで、 「半・ヤーーツ , 悲鳴を上げた。男は皆、しらん顔をしている。これは一見、男の沈着豪胆を物語っているよう にではあるが、あるいは、豪胆というよりは鈍感といった方がいいのではあるまいか ざある時、私は我が少女時代よりの憧れの男性と語っていた。私は新れの君と何を語ったか。お かばけの話をしていたのである。 私の憧れの君は昔、野球選手であった。ある時、彼はホームにすべり込んで脚の骨を折り、そ 坊 の療養のために湯河原の古い旅館に滞在していた。 その旅館の二階の奥まった部屋に、夏のことで蚊帳を吊って寝ながら、ふと気がつくと蚊帳の あ - 一が
「困りましたなア、これ、静電気。静電気でゴミが動いているんだ」 「セイデンキ ! 」 私は絶句。気をとり直して絶叫した。 「しかし、足がある ! 」 甥は傍にあった新聞の端を爪の先でち切って私に見せた。 「ホラ、こうすると紙の繊維が足のように見えるんだ」 私はロをモゴモゴさせるのみ。娘はシュンとしてうつむいて、悲しげにムシを見つめている。 しき 甥はビニールの上に指を走らせる。親子のムシは、いやゴミは、頻りに飛び跳ねる。 「怪しからん ! 」 思わす私は怒号した。 これがムシではないというのか , 紙のクズだというのか ! 我が夢は潰えぬ。膨らんだ新年は凋んだ。誰のせいか。甥のせいだ。夢を解さぬ甥のためだ。 「疑うのなら、ビニールを破って出してみようか」 「やめて ! 」 と私は叫んだ。その声は夢失いし者の、絶望と悲哀に慄えていたのである。 その後、私は新聞のこういう記事を読んだ。 「ネス湖の怪獣ネッシーは六年前に劇映画の撮影中、沈没した模型ではないかという説が、この つめ ふる
110 お辞儀考 小学校五年生の終業式のときだったと思う。私は皆勤賞という賞を貰うことになった。皆勤賞 とは一年間、無遅刻無欠席で通学した者に対する賞で、成績の良し悪しとは関係ない 「優等賞もらいはったん ? 」 と私が賞状を丸く筒にして持って帰って来ると、知り合いのおばさんが道で聞いたりしたもの である。 「いえ、皆勤賞」 というとき、私は少し屈辱を覚えた。いかにも「アタマは悪いが身体は丈夫」という、アホの 代表のような感じが我ながらしたからだ。だいたい私は、優等賞には縁がなかったが、精勤賞と か皆勤賞はよく貰った。 終業式は講堂で行なわれる。賞を貰う者は全校生徒の見ている前で、壇上の校長先生に向って 進み出て行くのである。 私の担任の先生は、前日、私に賞状を貰いに出る練習をさせた。 ます、名前を呼ばれたら、「ハイ」と元気よく返事して席を立ち、一礼してから歩き出す。真