わけではない。私が死んだら借金を返す者はいなくなる。そうすると借金取りどもはどんな顔を するだろう ? 借金取りを呆然とさせたいために私は死んでやりたいと思ったことがあるのだ。 ある時、私は飛行機で青森へ行った。 東京を発っときから天候は悪かった。これは揺れるそ、と覚悟して乗ったが、想像以上の悪気 流に悩まされた。乗客は大半が大阪からの団体客で、十和田湖の紅葉を期待している会話があち こちから聞えて来る。 だがそれもはじめのうちで、機体が揺れるにつれて、男も女も次第に無口になって行く。飛行 機は浮き上ったり沈んだり、まるで波浪の中を行く小舟のようだ。 つぶや その時、私の隣にいた四十がらみの男性が、呟い 「えらい揺れるなア」 その呟きはひとり言めかしてはいるが、私の返答を期待していることはわかっている。私が黙 っていると男はいっこ。 「大丈夫やろかなア」 「大丈夫ですよ。落ちたら落ちたときのことですよ」 すると男は突然、「あワワワア」と叫んだ。飛行機が大揺れに揺れて機体がミシミシ音を立て たのである。男は後ろの座席をふり返っていった。 「大丈夫か ? 大丈夫か ? 」
胆勇の人 私のように旅行の多い者は、必然的に飛行機に乗る機会も多くなる。飛行機で日本中をあち , い、たまに汽車に乗るとあの小刻みの揺 ちしていると、飛行機に乗ることが習慣になってしま たんのう が身体に応えて、あとで必す病気になる癖がついてしまった。胆嚢が腫れて来て痛み出すので ~ る。 では飛行機が好きかというと、好きではない。飛行機は好きでないというと、高所恐怖症で ~ か、という人がいる。高所恐怖症ではないが、私は十年余り前に閉鎖された状況の中に身を置 , と苦悶する、という厄介な病気にとりつかれた。正式には不安神経症というのだそうであるが どうき 凵エレベーター、地下鉄、デパートの地下売場など、入っただけで心臟の動悸がはじまり、脂汗【 ざ手の甲から滲み出て来ていても立ってもいられなくなる。 その頃は会合などでビルの八階、九階へ行かねばならぬ時など、必す階段を上ったもので ~ 花 の る。この頃の高層建築の怪しからぬことは、階段がどこについているのか、さつばりわからぬ」 主 じんかい 坊 うに建ててあることだ。階段はまるで塵芥処理場ででもあるかのごとく、厚い扉の蔭に隠され一 四いる
飛行機に乗れなかった。エレベーターですらこ 話は横道に外れたが、そういう次第で長い尸 の騒ぎ。棺桶に入れられて空を飛んでいるような不自然な状態にどうして堪えられようそ。 「棺桶」と私が感じるのは、死の連想があるからではない。箱に入れられて、自分のカでは出る ことが出来ないという、自由を剥奪された感じをいうのである。 飛行機に乗る。座席に坐る。ベルトで身体を固定する。扉が閉される。タラップが外されるーーー タラップが外されるこの時、私はそれまで私が住んでいた世界から突き放されたのを感じる。 もはやどうすることも出来ない、という絶望感が私を襲う。私にはもう、何の自由もないのだ ここから出ようとしても出られない もしも、ここから - 出 引き返そうと思っても引き返せない たいという強い欲求が突然、私の中に湧き起ったとしたら、私はどうすればいいのか。その欲求 を退ける意志の力が働かなかったとしたら、どうなるのか。 それを想像しただけで私の背骨はゾ、ゾ、ゾーと戦慄が走るのである。 どうか、ここから出たいという気持が起りませんように、起りませんように : と私は神に祈る。考えてみると、私には飛行機が落ちませんように、と祈ったことは一度もな ん い。私は事故で死ぬのを怖れたことはないのだ。 花 の「落ちたら死ぬだけのこっちゃ」 坊 と思う。飛行機が落ちて死んでみたいと思ったことも実際に何度かある。破産して借金を山の ように抱え込んでいた時のことだ。だが借金が辛いので、それから逃れたくて死にたいと思った
と聞いている。 「大丈夫ーー」 と後ろの席で妻らしい中年女性が弱々しく答える。飛行機は揺れる。男はまたふり返る。 「大丈夫か ? 大丈夫か ? 」 「大丈夫ーー」 飛行機はまた揺れる。 「大丈夫か ? 大丈夫か ? 」 「大丈夫ーー」 「大丈夫か ? 」 何度目かのソレがはじまった時、私はいった。 「もし何なら、奥さんと席を代りましようか ? 」 その時の男の嬉しそうな顔といったらなかった。 「へ ? そうですか、すんませんーー。」 私が席を代ると、男がその妻にいう声が聞えた。 ん か「ああいう人を胆勇の人というんやな。い くら揺れてもビクともしはらへん。女の身やのに、 の 主らいもんや」 坊 胆勇の人ではない。私はその時、借金取りのハナをあかす楽しい空想にふけっていただけな ( である。