三宅一生 - みる会図書館


検索対象: 坊主の花かんざし(四)
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1. 坊主の花かんざし(四)

座談会では、市川房枝先生を推奨した身である。 「そう聞けば尚のこと、三宅さんに選ばれたこと、光栄に思いますワ」 とけなげに答えて帰って来たのである。 ところが数日前のことである。 銀座の酒場でふと、遠藤周作氏に会った。と、遠藤氏の口からしきりに三宅一生の名が出てい る。何ごとかと聞けば、三宅さんとどこかで会い、すっかり惚れ込み、意気投合し、近々、三宅 さんが男のファッションを手がけるその発表会に、モデルとして登場する約束が出来たというの である。 「あんた、遠藤さん、それ、ホント ! 」 「ホントやとも。なんでそんなにびつくりする ! 」 私の目の前はハッキリいって、まっくらになったね。 「こういう人でも三宅一生の服を着るとこうなります」 まぶた 一瞬、私の瞼には使用前、使用後のミホンのように、並んでいる遠藤氏と私の写真が幻のごと く浮かんだのであった。

2. 坊主の花かんざし(四)

らいが 「全市をあげて佐藤先生のご来駕をお待ちしています」 ハラ。ハラと人 と手紙が来たので汽車に揺られ、車に乗り継いで行ってみると、講演会場には、 がいるだけ。ムリにかり出されて来たらしいおばあさんが最前列でポカーンと口を開けてこっち を見つめている。そんな目にも、しばしば会っているのである。 それゆえ私は女史に対して、ためらってみせたのだ。すると彼女はいった。 「三宅先生は岩下志麻さんと佐藤さんをお選びになったのです」 「えつ、岩下さん ! 」 私は目が昏む思いである。天下の美女、岩下志麻さんと共に選ばれたー・ 「しかし、また、どうして、私なんぞが岩下さんと一緒に : : : 」 と昏みつつ、抵抗の格好をつける。 陋「オホホ」 ざ と女史は笑って、 ん か「個性的な方といいましようか、人生の年輪を重ねていらっしやる方といいましようか : : : 」 「ああ、そう : : ・・個性的ネ : : ・・」 私は漸く肯いて承知したのである。 四数日後、三宅一生さんのスタジオへ行った。三宅一生という人は、何とも日本人放れのした颯 さっ

3. 坊主の花かんざし(四)

使用前使用後 デイザイナーの三宅一生さんがデイザインされた服を着て、お正月の新聞の婦人に登場して もらいたいと某新聞社から話が来たのは去年の晩秋のことである。 「はあ。ーー」 と私は困惑して生返事をした。自分のトシ、姿、形を考えれば、ここで一応、困惑の態を示す のが妥当なやり方であろう。 陋「つまり、五十女が洋服を着れば、いくら名デイザインでもかくのごとくになります、というミ し ざホンですか ? 」 といってみる。 花 の「いいえ、いいえ、とんでもない ! 」 坊 と某社の女史は急いで声をはり上げ、 「これは一二宅先生のたってのご希望でありまして、ゼヒ、佐藤愛子さんに、とおっしやってるの

4. 坊主の花かんざし(四)

トのスカート全盛時代、便所に人ったが、スカートを引き上げることが出来ず ( つまり下腹にひ つかかって ) 仕方なく脱いで肩にひっかついで用を足したことがある。全く、洋服にはいろいろ と苦労をしているのだ。 「この服はすばらしい。これなら、安心して大飯もくらえるし、便所で裸になる必要もない。そ の上に実に若々しく、斬新です ! 」 私が感激してそう叫ぶと、女史はニッコリしていった。 三宅先生は単なる美人じゃなく 「ホントによくお似合いですわ。佐藤さんの個性にピッタリー・ 個性のある女性に着てもらいたいとおっしやってる。そのお考えもすばらしいですわ」 それから彼女はいった。 「この前、三宅先生のご希望で、市川房枝先生にもお願いなさったんですのよ。あれも素晴しか g ったですわ」 ざ「はーあ、そうですか」 と、べつに落胆したわけではないけれど、やはり、岩下志麻さんと二人選ばれたと聞かされた 花 主時よりは、いくらか、その、何ですよ : ・ : ・胸のざわめきというか、わくわくというかが = : ・・急に、 坊 シーンと鎮まったような気分が : : : ないとはいえなかったのである。 しかし私は市川先生を尊敬申し上げているし、何年か前の週刊読売のベストドレッサーを選ぶ ざんしん

5. 坊主の花かんざし(四)

ほぼこの三つの段階でしか、男女の関係を語ることが出来ないのは歎かわしいというほかない。 さわらせたやないかア ! 」 「そんなこというて、あの時、さわらせたやないか , と悲鳴のような声を上げて、女に詰め寄っている男がいた。私の娘時代の話である。 「そんなん、知らん。あんたが勝手にさわったんやないのン ! 」 「けど、君かてさわらせたやないか ! 」 「あんたが勝手にさわったんや」 「さわらせたやないかア ! 」 男はその女と結婚出来ると思っていた。なぜなら、彼女は彼にムネをさわらせたからだという。 それで彼は友達にも母親にも、彼女との結婚を発表してしまったのだ。なのに今になって彼女は、 「そんなこと知らん」という。 「欺された : : : 」 といって男は口惜し泣きに泣いている。 「ふーん、そんなもんか : ・ : 」 と私はひとっ勉強をした気持であった。 そんな男が昔はいたのだ。ということは、女の肌にふれるということが、それほど至難のこと であったということだ。だからモテない男は手相かなんかを勉強して、

6. 坊主の花かんざし(四)

「いや、少なくとも三十分前には私、参っておりますから、ご心配なく」 いんぎん と社のお方はどの方も社儀正しく慇懃である。 当日、私はいそいそと出かけた。この数年、月に何度か旅をしているが、アソビで出かけるこ とははじめてである。いつも仕事を二つも三つも抱えて走っていた。今度はノンビリと神戸見物。 神戸の近くで育った私が神戸見物というのはおかしく聞えるかもしれないが、私の少女時代は女 の子が用もないのにやたらに繁華街をウロウロしてはいけないことになっていた。従って私は神 戸について殆ど知らないのである。 さて私は東京駅に着いた。あまりはりきりすぎて三十分前に着いてしまった。まだ誰も来てい ない。 四 五分経った。十分経った。まだ誰も来ない。十五分経った。向うから中山さんがやって来た。 んこの人はいつも落ちつき払っている人で、たとえ火の雨が降って来ても走ったりしないで、チリ 花チリと焼けながらノコラノコラと歩いているのではないかと思えるような人である。中山さんが 主来てから又五分経った。 「おそいわねえ、さん」

7. 坊主の花かんざし(四)

私は子供にとって、どんな悪い母規だったでしよう ! 一度でいいから、悪い母親でありたか った。一度でも子供に悪いことをしていれば、せめてもの慰めになるのですけれど : : : 」 そこで私は彼女に電話をかけた。 「あなた、覚えてる ? 戦争のあとの食物のない時、私がアンコロ餅をあなたのところへ持って 行ったこと」 私はいった。 「あなたはアンコロ餅を私と一緒に一つずつ食べて箱にフタをし、上のチャンが学校から帰っ ・て来たとき、貴重なものだから一つよといって自分も一緒に一つ食べ、次にチャンが帰って来 たらまた一つですよといって自分も一つ食べ、それからチャンが帰って来た時も、また一つ食 べたわ。つまり子供は一つずつ、あなたは四つ食べたのよ」 「そんなことがあったかしら」 彼女はいった。そうして私に社をいった。 「ありがとう。そのことを思い出しては、息子とヨメの仕打ちに堪えます」

8. 坊主の花かんざし(四)

編集部にまで、 「坊主の花かんざし、もうやめますッ ! 」 などとわめいて困らせた。 「坊主の花かんざしだけではない。執筆一切やめる ! マスコミ相手に暮すのはもうゴメイ と発表した。 そんな事情を何も知らずに原稿を頼んで来る人がいる。 「もう仕事はやめたんです」 そういう一瞬、相手は絶句する。私の一一一口葉の意味がわからないらしい。 「では、いつまでおやめになってるんですか」 四 「アリ金がなくなるまでです」 し ん「すると、そのアリ金はいっ頃なくなりますか」 と聞く人がいて、 の 主「そんなことわかりませんッ ! 」 とまた私は怒る。 たちま 男に惚れ込んでせっせと貢ぎでもすれば、忽ちにしてかき消える程度のカネである。火事を

9. 坊主の花かんざし(四)

「今後、週刊誌とのつき合いは一切やめます。坊主の花かんざしも、六月限りで引きます。雑誌 の小説も約束ズミ以外は書きません。北海道に引っ込んで、初心に立ちかえるべく沈思の時を過 します」 方々の電話にそう答える。それを聞いていた我が子、 「ママ、わたし、高校やめるよ」 「どうして ? 」 「だって、また、うちは貧乏になるんでしよう ? 」 ( この「また」にわたしは泣かされる ) 私のような母親を持ってこの子はせずにすむ苦労をしている。そう思えばあわれであるが、ど だい、あわれの情など表現することを知らぬあらくれ女。 「人生は金ではない。自由ですッ ! 金はなくとも我々は情神貴族として生きるのです ! 」 つぶや 我が子、仕方なさそうに肯き、小さな声で呟いた。 「わたしは生活貴族の方が好きだけど」 折しも電話のベル。 「はい、佐藤でございます」 と心改めようとしている折から、しとやかな応答をする。

10. 坊主の花かんざし(四)

140 「常識 ! 」 怒りと共にその言葉は私ののどに詰った。では、人を信じることは常識ではないというのか 正直であることも常識ではないというのかッ ! 真情を吐露すれば必ずや人を動かせると 信じて生きて来た。それも非常識な生き方だというのかッ ! よし、わかったー・ ならば私は非常識を守って討死しようい ところで、私の結婚相手と噂されたその男性は紳士である。世間から「紳士」といわれて三十・ 年、その世界でスマートに生きて来た人だ。 一方、佐藤愛子は、これはアウトローである。「女ならずもの」だ。赤裸に生きることを信条 として来た。我儘、短気、毒舌、怒号癖、取柄があるとしたら「正直」ただそれ一つだ。 その紳士と女ならず者が、どういうわけか恋愛した。それはふしぎなことにわりあい長くつづ いた。紳士の夫婦生活は既に壊滅していたのでその間にはお互いに結婚を考えることもあったが、 いっとはなしにそれは消えた。女ならず者には結婚という形は別に必要な形ではなかったし、紳 士の方には世間用の妻がいたからである。 私は赤裸に生きる人間だとさっき書いた。隠しごとが出来ず、逃げることが嫌いである。挑ま わがまま