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検索対象: 坊主の花かんざし(四)
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1. 坊主の花かんざし(四)

「愛します」という言葉の気恥かしさには、もうひとつべつの恥かしい感じがある。 なぜなのかよくわからないが、私が育った、あの時代にあっては、その言葉は憚って口にしな みた ければならない、怪しからぬ言葉、淫らな言葉の仲間人りをしていたのである。 「ひと目見たとき好きになったのヨ 何が何だかわからないのヨ 日暮になると涙が出るのヨ しらずしらずに泣けてくるのヨ ねエーねエー アイしてちょうだいネ ねエーねエー g アイしてちょうだいネ」 し という歌がその頃、はやった。しかし子供がそれを歌うと、 ん 「これツ、そんな歌、歌うたらいかん ! 」 花 の と親に怒鳴られ、先生の気に人られッ子は、 主 坊 「センセ、サトウさん、ハヤリ歌、歌てはります」 と先生のところへいいつけに行ったのである。 ( 「愛してちょうだい」西条八十作詞 0 全音Ⅱ楽譜出版社 )

2. 坊主の花かんざし(四)

「ははわれにうーたおしえしときははのなーみだ目にひかりきイ」 などと口を卵型に開けて美声を転がしたものである。友達ともよく歌った。 「こころも睦ぶ友だち つれてゆく村の細道 おのずからなる歌の声 足なみにしらべかないて : : : 」 声合せて歌いつつ道を歩いたりした。 「おとめよわれらおとめよ においこきつぼすみれよ その色よその姿よ おとめのしるしよ」 し 全く可愛いものだったねえ。清楚、純真とはあの頃の私をいうものではなかったか。考えてみ ん かると、我が身のこととは思えぬが、本当なのだ。 主それが今や、「おさるのかご屋だホイサッサ」だ。 坊 「エーッサエーッサ ェッサホイサッサ」

3. 坊主の花かんざし(四)

得難い相棒 昔はよかった、としきりに懐かしむ二人の四十男あり、昔は表で面白くないことがあると、ガ ラガラピシャンと玄関の格子戸をカまかせに開けたてして、 「おいツ、帰ったぞッ ! 主人が帰ったのに何をやっとるんだッ ! お茶ッ ! 灰皿ノ ノロマッ ! 何やっとる ! 」 と妻を怒鳴り散らすことが出来た。少なくとも自分の父親はそうであった。父親は小さな会社 の課長であったが、会社で面白くないことがあると、 ( つまり部長に叱られたりすると ) こうし し て妻に当り散らした。すると、妻、即ち自分の母は、今度は自分ら子供に当ってウサを晴らした。 ん か「何してるのよツ、こんなに散らかしてッ , うるさいわねえ、表で遊んで来なさいッ そこで子供は表 ( 出て、ムカムカしつっその ( んを見まわすと、向うから弱虫の同級生がやっ 坊 て来る。そこで早速、そいつをとっまえてウサを晴らす。 「こらツー・ ウロウロしてると たよりない顔してノタノタ歩くなーツ、さっさと歩けえーツ ! ッ

4. 坊主の花かんざし(四)

詞を使って女に迫り、女は身を許してから「欺された、くやしーイツ」というぎとなった。 「なるほど。愛しています、という一言葉をサべッするから、そんなことになったんですなあ」 と感慨深げな初老の男。彼は「愛しています」という言葉がいえなかったばかりに、今は老妻 の尻に敷かれて唸っています、とぼやいたのである。 私の高一の娘は、この頃、色恋の話をするようになった。 「それでね、子はね、くんのことが何となく気がかりでしようがなくなって来たんだって。 それで、いちいち干渉するのよ。気になるものだから。するとくんはうるさがって、子のこ と虐めるの。わざと >- ちゃんに優しくしたりするのよ。だからわたしたち、みんなくんはち ゃんをアイしてるんだと思ってたんだけど : : : 」 「ふーん」 あいづち 四 と私は返事をするが、それは単なる相槌ではなく感心のふーんである。こうすらすらと「アイ ざしてる」なんて一一一「葉、五十二歳の今日まで私は吐いたことがない。そこで、ためしにちょっと使 かってみた。 主「つまり、くんは、本当は子をアイしておったというわけね」 どうもぎごちないねえ。案の定娘はいった。 「やめてよ。アイしておったなんて : : ママがいうと、愛してるって一一一一口葉のイメージが狂うわ」

5. 坊主の花かんざし(四)

以来、私は大との写真撮影を頼まれると、もう一匹の方のピーコという雑種大と撮ることにし さっそう た。ピーコは雑種ながらも颯爽と脚長く、すらりと身の引き締った大である。賢そうな黒い眼、 尖ったロ、キリリと巻いた尻尾。月とスッポン。雪と墨。美人とプス。これは過日の強盗事件以 後、警察から、「もうちょっとマシな大をお飼いになっては」という忠告を受けて飼ったのだ。 「同じ大でもべティとは大分ちがいますわねえ」 来る人はみないう。ピーコピーコと可愛がられる。ところがピーコが来てから、急に庭に目に つくものが増えて来た。大の糞なのである。考えてみれば以前は庭に大の糞が転がっているなん てことはなかった。私は気がついていった。 「べティは、いったい、どこでウンコをしていたのかしら」 すると娘がいった。 四 「べティは必ず植込みの繁みの奥に人ってしているわ。でも人が見てたらしないのよ。この前も 植込みの奥 ( 行きかけて、ふとふり返って私が見てるのに気がついたらやめたわ」 私は深く感動し、べティを侮っていたことを恥じた。乙女というものはこうでなくてはならぬ。 主べティこそはたしなみある大、はじらいの乙女。 「これぞまことの乙女大 ! 娘よ、見習いなさい ! 」 と叫びつつ、しかしそれにしても窓から流れ人る初夏の風のいやはや臭いこと。乙女大よ、窓

6. 坊主の花かんざし(四)

110 ようでなければならないのだそうだ。そのため、可能な限り無表情、無機質を心がけていなけれ ばならない。人間放れしていればいるほど、優秀なポーイということになるのだそうである。 ある時、私がロビーにいると、七十キロはあると思える貴婦人 ( のごとく盛装した老婦人 ) が ネックレスの宝石をきらめかせながらドタドタと走って来て、何もないのに勝手につんのめって あわや転ぶ寸前に体勢を立て直し、そうして叫んだ。 「ちょっと、ちょっと、おトイレどこ ? 」 と、それまで柱とばかり思っていたものがスイと動いて、 「はい、あちらでございます」 おもむろに手を上げて彼方を示した。 「あっ、そう、ありがと ! 」 ドタドタドタ・ まゆ 貴婦人が姿を消した後、居合せた者の顔にはいっせいに苦笑が浮かんだが、かのポーイは眉ひ とっ動かさず、再びスイともとの柱と化したのである。 こういうポーイが一流中の一流ポーイなのである。いやしくも一流ポーイたる者は、大口開け て笑ったり、好奇心をムキ出しにしてジロジロと美女を見たりしてはならぬこと、修道僧のよう なものなのだ。

7. 坊主の花かんざし(四)

154 禁怒の誓い あき 我と我が憤激症に呆れ疲れて、この病の起らぬよう、見ざるいわざる聞かざるの暮しの中に引 き籠ろうと心に決めてから一カ月になる。執筆量も減らし、週刊誌、新聞などのコメントも断っ ている。 かくて我が日常は静かになった。庭を眺むれば今はつつじの花ざかり。梅は若葉を出し、ぼた つぼみ んの莟は膨らんでいる。桜、桃、ぼけ、こでまりが咲き誇っていたであろう時の私は、憤怒の絶 あるし 頂にあったから、覚えていない。見れども見えず、といめ状態で庭を見ていたのだ。主が闘争の 日々に明け暮れている間も、花たちは静かに準備を進めて、らんまんの春を開いていたのだ。そ れを思うと、あわれなようでもあり、また、花たちの冷たさ、素気なさが身に染みるようでもあ たいこうしよく 改めて、白、ピンク、ぼたん色、褪紅色、白赤のかすりなど、色とりどりのつつじが咲き乱れ る庭を眺むれば、あっちにもこっちにも大の糞。生々しいのもあれば、干からびかけているのも

8. 坊主の花かんざし(四)

てしまった。喧嘩をして借金とりを追い散らすというのなら喧嘩のし甲斐もあるが、喧嘩したた めに借金が増えるというのが佐藤愛子という名前の悪しきゅえんかもしれない。 「なにツ ! 返しゃいいんでしよ。返しやア ! 」 ついカッとなるとタンカを切って、気がついたときは人の借金背負ってる。せっせと返して、 「ザマアみろ ! 返したぞ ! 」 これを喧嘩に負けたと解すか、勝ったと解すか。私は勝ったつもりですよ、というと、人は、 しかし借金とりの方も勝ったという気分でしようなあ、といたましげに私を見たのであった。 借金とりとの喧嘩がなくなり、もの書きとしての生活が定着すると喧嘩の場も広がって行った。 恋に身をいたという女流作家は珍しくないが、喧嘩に身を灼いた女流作家というのは珍しいだ ろう、などとヘンな自慢をしている。 どうしてこう短気なのか、どうしてこうすぐに逆上するのかと、老母は歎きつつ身まかった。 どうしてもこうしても、名前がいけないのだ。なぜ佐藤小百合チャンにしてくれなかったのだ。 そうすればサュリストに囲まれて、楽しき生活を送れたかもしれないのに。 かく喞ちいる折しも、また、やった。週刊新潮と喧嘩をしたのだ。喧嘩も喧嘩、世間注視の中 での大喧嘩。ふるったゲンコッ勢余って、週刊誌全体と喧嘩したくなった。罪もない週刊読売の

9. 坊主の花かんざし(四)

あぜん 通り過ぎようとして私は思わず立ち止り、「唖然」という感じで彼女を見つめたのである。 私が生れてから一番最初に「愛してる」という一言葉を聞いたのは、五歳頃のことだったと思う。 私はばあやに連れられて、活動写真を見に行った。西洋人の女のひとが。ハラソルをさし、羽の ついた帽子をかぶり、お尻をふりふり歩いて来る。そこは公園でべンチがある。女の人はべンチ に坐る。すると弁士がいった。 「今日も今日とてメリーさんは、べンチの端に腰うちかけてもの思いにふけっているのであった すると、向うからカンカン帽をかぶり、縞の背広を着たステッキ男がやって来る。男はメリー さんに近づいたと見るや、ステッキを脇に抱え込んで地面にひざまずき、片手を前にさし出す。 「ああ、メリーさん ! ボクはあなたを愛します、愛します ! 」 酌と弁士は大仰に抑揚をつけた。 私が家へ帰ると、母が聞いた。 ん 「どこへ行ったの ? 」 の「メリーさん見て来た」 坊と私は答えた。 「メリーさん、ボクはアイします、アイしますや : : : 」 わき

10. 坊主の花かんざし(四)

ところが、世の移り変りと共に「もの書き」が自由業ではなくなって来た。自由業というもの には、自由である代りに、人の無理解や悪罵に耐え、社会的地位も低く、世の片スミに生き、貧 乏、のたれ死覚悟の上、という引き換えの条件があった。なればこそ、私なども人を怖れず世を はばか 憚らず、いいたいことをいい、したいことをして来たのだ。 「佐藤愛子というチンピラ女がまたこんなことをいうとるワ。アホなやっちゃ、アハ ですべてが終ると思っていた。思っていたからこそ、気楽にもの書き稼業をやっていた。とこ ろが、ふと気がつくと、いつの間にやら世の中、一変している。なにゆえか「もの書き」という ものが、急に偉くなっていて、その一言一句を聞き洩らさじと耳を傾ける人など出て来た様子で ある。 一挙一動、何のかの、ヤイノヤイノといわれ何かについて意見を聞かれる。「お正月のおせち 料理」から「健康法」から「失恋の應しかた」から「家庭教育」から「泥棒の撃退法」、「紅茶キ ノコを飲んでるかどうか」「女性の目から見たロッキード問題について」「タン。ホンを使用してい るか、否か」 : ・書き出せば際限ないからもうやめる。 綺親香という名に変えようかと思うと、ふと書いたら、忽ち週刊誌や新聞社から電話がかかっ て来る。 「名前を変えたと聞きましたが本当ですか」 たちま