週刊新潮 - みる会図書館


検索対象: 坊主の花かんざし(四)
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1. 坊主の花かんざし(四)

説明したから大丈夫だと思うわ」といって来た。そして彼女は、講演のためにあわただしく山〔 県へと発っていった。 しかしーー週刊新潮には出てしまった。そのへんの経緯が本文にある「新潮社はゴマのハイ・ 養っているのか ? 」である。 ところで、この文章が「坊主の花かんざし」の一項目として掲載されたあと、新潮社から「「 が佐藤女史からゴマのハイといわれた〇〇です」という書き出しの抗議文が週刊読売に配達さ」 た。そのときはもう、本文にある「反省の記」が出たあとだったと思うが、「週刊新潮がわに。 いいぶんがあるならば、週刊読売のページを提供しましよう。どうぞお書き下さい」という申、 人れをした。 私がこのことを佐藤さんに報告すると、佐藤さんは「書いたものによっては、再び私も応戦一 るわ ! 」と、またもやムックと立ち上がりかけたのだが、結局、週刊新潮からは断って来た。 以来、佐藤さんは週刊誌というものに疲れてしまい、だんだん遠ざかっていった。三、 年間、週刊誌ばかりか、テレビも講演も月刊誌の仕事も大幅に量を減らした。「とても楽よ。 んにも仕事をしていないもの」といっていたが、しかし書き下ろしの小説は少しずつ手がけて、 て、昨年一二月「幸福の絵」が出版された。そして、それはその年の女流文学者賞を受賞した。

2. 坊主の花かんざし(四)

「えー、週刊 x x ですが、ちょっと同いますがね工、先日の週刊新潮とのいきさつについてなん ですが : : : 」 「ハイ、何でしようか ? 」 「えーと、その後、何かありましたか ? 」 「はア ? 」 「あの後ですね、また何か起っていませんか ? 」 そうそう起ってたまるか ! と以前ならロに出していうところを、今は反省の時期ゆえ、胸の中で叫ぶだけ。 「べつに何もありません」 こわね 「そうですか。 ( と失望の声音 ) ところで新潮社の仕事はしないというのは本心ですか ? 」 四 「新潮社からは社長さんと週刊新潮の編集長からの挨拶があり、丁重なものだったので私は却っ し んて恥じ人りました。それで、私のような者がマスコミに出しやばっているのが間ちがいのもとと 思い、私なりに反省しています」 主「ということは、佐藤さんの方も悪い点があったということですか ? 」 ししゅう うるさいなア、ほんとに。屍臭を嗅ぎつけてやって来るハイエナみたいな真似はやめろ , 怒鳴りたいのを我慢する。

3. 坊主の花かんざし(四)

142 さて、話はもとに戻る。 週刊新潮の原稿の内容を聞いて怒り狂った私は、その夜、ゴマの灰が私の真情を踏みにじった その意図を改めて聞くべく、週刊新潮に電話をかけた。電話口に出て来たのは女で、彼女は今日 は編集部には誰もいないといった。私はゴマの灰の名をいい、おらぬのならば自宅の電話番号を 教えてほしいというと、彼女はいった。 「何があったか知りませんけど、お教え出来ないことになっています」 私は怒鳴った。 「あなたのところは、人のプライ・ハシーにずかずか踏み人って来て、朝も夜中もおかまいなしに フェアじゃ 電話をかけたりするくせに、自分の方の城はダンコとして守るというんですかッ ! ないじゃないのツ ! 」 女ゴマの灰は落ちつき払っていった。 「何とおっしやられても、お教え出来ないものは出来ませんーー」 「いいですッ ! 教えないのなら社長に電話して聞きますッ ! 」 といったものの社長に電話したいにも番号がわからない。

4. 坊主の花かんざし(四)

152 「罵りさわいだ、そのやり口が短慮粗暴だったと思っています」 「では新潮社の仕事はどうなりますか」 「ですから、当分は新潮社に限らず、すでに約束したものをのぞいてはどこの仕事もしないつも ちつきょ りです。謹慎、蟄居します。週刊誌 ( のコメントもこれが最後です。さようなら」 するとまた電話。 「えー、週刊〇〇ですが、先日の週刊新潮との : : : 」 ほとほと、私はイヤになった。 謹慎蟄居などという一一〕葉を使ったが、「イヤにな「た」これが正直な気待だ。なんでこんな世 界で生きねばならぬのか。もう何もいいたくない。猩々は消え行くのみだ。 私は川上宗薫を訪れて、蟄居の決心を語った。すると宗薫はいった。 「ふうん、ガンコだなア」 「なにがガンコよ ! 」 「いや、年をとるとだんだんそうなって行く」 「そうなって行くとは何だッ ! 」 「なにも他社の仕事までやめることはない。自分で自分のガンコが気に人って、ますますガンコ になっているんだ」 ののし

5. 坊主の花かんざし(四)

146 そこへ狐狸庵遠藤周作、「どないしてんねン」と例のごとくノンキなダミ声で電話をかけて来 。早速、 「どないもヘッタクレもあるかいな」と例のコメントのことを聞くと、話はこうだ。ゴマの灰め が遠藤さんに電話をかけて、 「佐藤さんは遠藤さんが昔、自分を追いかけまわしたといっていますが、本当ですか ? 」 と聞いて来たので、いやアレはちがいます、こうこう、と答えたのが、ああいうコメントとな って出たのだという。昔、遠藤周作が佐藤愛子を追いかけまわしたと「佐藤愛子がいっている」 とは、ゴマの灰の一一一口葉なのだ。遠藤氏はそれを否定しただけで、すべてを一人でいったことにさ れてしまっている。 新潮社社長殿 , さまっ 貴下はこの私の怒りを、とるに足らぬ瑣末な怒りとお思いでしようか ? この週刊新潮記者を不誠実、悪意、面白半分、。へテン、鈍感、思い上りと断じる私を非難され ますか ? 私は歴史ある大潮社のためにあえて社長に問うのです。貴社が三流なら私は黙す。 一流ゆえいうのだ。 私が新潮社の仕事は一切やめるといったら、ゴマの灰の頭目はいった。

6. 坊主の花かんざし(四)

てしまった。喧嘩をして借金とりを追い散らすというのなら喧嘩のし甲斐もあるが、喧嘩したた めに借金が増えるというのが佐藤愛子という名前の悪しきゅえんかもしれない。 「なにツ ! 返しゃいいんでしよ。返しやア ! 」 ついカッとなるとタンカを切って、気がついたときは人の借金背負ってる。せっせと返して、 「ザマアみろ ! 返したぞ ! 」 これを喧嘩に負けたと解すか、勝ったと解すか。私は勝ったつもりですよ、というと、人は、 しかし借金とりの方も勝ったという気分でしようなあ、といたましげに私を見たのであった。 借金とりとの喧嘩がなくなり、もの書きとしての生活が定着すると喧嘩の場も広がって行った。 恋に身をいたという女流作家は珍しくないが、喧嘩に身を灼いた女流作家というのは珍しいだ ろう、などとヘンな自慢をしている。 どうしてこう短気なのか、どうしてこうすぐに逆上するのかと、老母は歎きつつ身まかった。 どうしてもこうしても、名前がいけないのだ。なぜ佐藤小百合チャンにしてくれなかったのだ。 そうすればサュリストに囲まれて、楽しき生活を送れたかもしれないのに。 かく喞ちいる折しも、また、やった。週刊新潮と喧嘩をしたのだ。喧嘩も喧嘩、世間注視の中 での大喧嘩。ふるったゲンコッ勢余って、週刊誌全体と喧嘩したくなった。罪もない週刊読売の

7. 坊主の花かんざし(四)

新潮社はゴマのハイを養っているのか ? ゴマの灰 = ・ー正しくは護摩の灰と書く。高野の僧の扮装をなし、弘法大師の護摩の灰といって、 押売りしたものからこの名が起ったという。旅人らしく装「て旅人をだまし、財物を掠める盗賊、 と広辞苑にある。 今回、私はこのゴマの灰にやられた。私のやられた現代ゴマの灰は週刊新潮という名のゴマの 灰である。話はこうだ。 ある日、このゴマの灰の一味の一人が、私のところ ( 電話をかけて来た。私とさる男性との結 うわさ 婚の噂を記事にせんと企んで来たのである。それで私は我々は結婚しないという返答を与えてそ の理由を述べた。結婚するということであれば記事にする意味は少しはあるかもしれないが、結 婚しないということなれば、全く取り上げる意味がないであろうと考えたから、素直に答えたの である。 ところが翌日、夜になっていきなり、あの件を記事にする、といって来た。私はこのゴマの灰 ふんそう

8. 坊主の花かんざし(四)

「結構です、結構です。私の方で払っておきます」 といわれ、払わずに帰って来た。係の人はあとでその額を見てびつくり仰天、キモをつぶした かもしれない。山口県の読者がおられたら、何とぞ、山口銀行に預金をして下さるよう、お願い します。山口銀行はホントによい銀行です。 さて、私は家へ帰って来た。すると友達から電話がかかって来た。いきなり、 「遠藤周作いう人、けったいな人やねえ」 という。聞けば週刊新潮の例の記事の中に遠藤氏のコメントとして、「佐藤愛子は、中学生 代ぼくが彼女を追いかけまわしたなんていっていますが、本当はぼくは彼女の顔も見たことはな い」といっているという。遠藤さんは楠本憲吉さんと組んで中学生時代、私にラブレターを出 1 もちろん いたなどというホラ話をふざけ半分に流したことがあるが、勿論、それはウソなので、私は人から ん聞かれるたびに、あれはデタラメです。二人がかりでウソつくから、みんな本当に思うのよ、 いいいいして来たのだ。 の 主「けったいな人やねえ。それに、何のイミがあって、いきなりあんなことをいわんならんのや ろ ? 」 けい・ヘっ と友達は遠藤さんを軽蔑した。と、間もなく高校生の私の読者からも同様のことをいって来た

9. 坊主の花かんざし(四)

Ⅲたためていた材料である ( 傑作になるんだぞーツ ) 。 出版部の—女史、小説新潮のさんは新潮社においては私を買ってくれるただ二人の編集者で 説新潮に書いた小説が比較 ある。私は担当者の熱意によって小説の出来不出来の多い人間だ。小 的、人から褒められることが多いのはさんの熱意と人柄のおかげだと常々私は思い、人にもい って来た。そのさん、—さんをこの事件の巻き添えにするのは、まことに心苦しい。心苦しい が、人間、やらねばならぬ時はやらねばならぬのだ。 「佐藤愛子、たとえ、餓死するともゴマの灰の巣喰う新潮社には仕事をせんぞ ! 」 叫ぶと、人はいった。 「向うはヘとも思とらんワ」 「思おうが思うまいが、今となってはそんなことはどうだっていいんだッ ! 大佐藤たる者がゴ マの灰の禄を喰めるか ! 先祖に対して申しわけが立たん ! 」 といきまけど、誰も怖れず、憐れむように苦笑するのみ。 怒りつつ、私は講演旅行より帰って来た。考えてみれば一週間、 ( 山口県から神戸まで ) 私は かくのごとく憤怒して電話でわめきつづけて来たのだ。この電話料、数万を越えたにちがいない。 「アチコチに電話しましたから、電話料は私が払います」 山口県の講演の主催者である山口銀行さんに毎日のようにいいながら、 あわ

10. 坊主の花かんざし(四)

怒号しながら気の弱さややさしさを見せる。私にはそう田むえるのである。そして、そういう占 ~ が 私の心を魅きつけるのだ。 また、何よりも私が一番深く思うことは、佐藤さんの正直さである。ご自分が正直だから、人 を疑うということもあまりしないらしい。それは本文の「欠落人間」の項にも、よく描かれている。 私がつくづく佐藤さんの″正直さ″に直面したのは、本文に載っている「新潮社はゴマのハイ を養っているのか ? 」事件でであった。そのころ佐藤さんには結婚相手かと噂された男性氏が いた。彼も、いわゆる有名人であり、そのためにお二人は″世間の目″を避けなければならなか った。佐藤さんは「何も悪いことをしているわけではないのに : : : 」と、コソコソしなくてはな らないのが嫌だ、とつねづね嘆いていた。しかし氏のほうがオープンにするのを望まなかった ようだ。そこで佐藤さんは不本意ながら″コソコソ〃になっていたらしいのだが、マスコミ界と いうところでは、何んとはなしに知れてしまうのである。 説ある日私の耳に、という週刊誌がお二人のことを記事にするという噂が人って来た。さあ困 った。私とても週刊誌の記者である。他誌に書かれては私の立場がなくなる。 解 私は佐藤さんとは十四、五年も前から親しくして頂いているので、彼女のこの恋愛の経緯をわ りとよく知っていたと思う。週刊誌記者の私としては、 " 有名人″お二人のことだから「記事に