し / 」し どないしはりましてん ? 」 樺山さんは心配でたまらないという顔を、入って行った私に向けました。 おおみそか 「大晦日にそばがきを食べはって、それがいかんかったんやと思うんですけど : : : お腹が 元日いつばい下って、その後、はっきりしませんの」 「そんで熱はフ と声をひそめます。 「たいした熱やないんですけど、平熱よりいくらか高いんですわ」 「お医者さんは何というてますんやフ 「それが五日までお正月休みで、明日からやないと来てくれはらしませんの。けど原因は わかってますから、そう心配ないと思てるんですけどねえ」 その時、それまでじーっと目をつむっていたセンセが、細目をあけました。 「あ、目、覚めはりましたか。ぼくです。樺山です。杉本さんから ( ガキもろて、びつく りして飛んで来ましたんや : : : 」 樺山さんはしなびた小さな顔をつき出して、丸い目を潤ませました。 「えらい目にあいはりましたなあ : : : どないですか、気分 : : : 」 「ああ、樺山さん : : : 来てくれはったんねえ」 センセはびつくりするようなか細い作り声でいいました。
154 「はあ、いうたわ。そやかて、もう、あんたが気の毒で見てられへんから : 「そのことでね、センセがお義兄さんにいわはったのよ。帰りとうないけど、松子さんが 帰ろ帰ろというんですって。それで私、呼ばれてねえ 「何かいわれたの ? 」 と私はむ配になりました。 「松子さんは何が気に入らないんだろう、って : : : 」 「それは気に入る入らんやなくて : 「わかってる。私、よう説明したわ。そしたらねえ、松子さん、びつくりせんといて。お 義兄さんは、あんたのこと、再婚相手として考えていたんや、いわはるの 私はびつくりして声も出ません。 「あんたの控え目で優しいところが気に入ったんやていわはるの」 「そんな : : : 」 「私もね、あんたが鬼の大王やたらいうて、怖わがってるの知ってるから、控え目で優し く見えてるのは、布わがってるためです、と いいたかったけど、そうもいえんから、はあ はあて聞いてたんやけど : : : お義兄さんはせめてもう五、六日いて、自分のことをよく見 てほしい。そしてお互いにもっと知り合いたし しいはるの」 私は何といっていいのかわかりません。いきなり雷にでも打たれたよう。ただもうポー こ
110 となた ? 」 樺山さんが出て来ました。 「おや、えらいお早いお帰りで : : : 」 といいます。何を思うてか、銀縁のメガネをかけて、びつくりしたように、ヤ、、フニラミ に私を見ています。 なんでそんなにびつくりするんですか。私が早う帰って来たから ? と私は思い、面白 おきごたっ すわ くありません。奥へ行くとセンセはお座敷の真中に置炬燵を置いて、床の間を背に坐り、 炬燵の上には蜂蜜の瓶と、半割のグレープフルーツがお皿に載っているやありませんか。 カッラかぶって、おしろい塗って , そこは私の居場所です。 センセの部屋は西の端の六畳、その前の納戸が樺山さんの寝場所と決っているのです。 それやのに、私の留守をええことに、二人して炬燵を座敷へ運んで、向き合うてグレープ フルーツを食べているー 「ただいま、帰りました : : : 」 そういう私の顔は、隠しようもないほどムッと脹れていたにちがいありません。なのに、 センセは毛ほども感じす、 「えらい早いのねえ : : : どうしたの ? はちみつ
そういわれるとますます心配になってきて友野さんに相談しますと、 「それ、心配やわねえ。うちの知り合いのおばあさんやけど、老人性鬱病で首吊りしはっ たんよ : : : 気イつけてよ、松子さん」 といわれ、私の方こそ鬱病になりそうです。 もともと気の小さい私ですから、もう心配で夜もおちおち寝てられません。ゴトンと音 うかが がするたびにハッと目醒め、そーっと様子を窺いに廊下へ出ると、センセがしなびた身休 にスミレ色のネグリジェの、裾にヒラヒラのついたのを着て ( 長すぎるものだから裾のヒ ず ラヒラを引き摺っている ) 、廊下のうす明りの下を幽霊みたいに歩いている。 ぬ「どないしはりましたん、センセ ? 」 暮 声をかけると、 日 「お便所ーー」 ま で しい残して手洗いの戸を開けて入るのですが、それで安心かというとそうやないのでオ くびつ もしお便所の中で首吊ってはったらと思うと、センセが出て来るまで気がかりです。廊下 けに立って待っていると、やがてジャーと水を流す音が聞えてくる。戸が開いてセンセが姿 タを現すのを見てホッとするのですが、センセは廊下に立っている私を見て飛び上らんばか りにびつくりし、 「あんた ! びつくりするやないの、幽霊かと思たわ。なにしてるの、そんなとこで : すそ くびつ
、お土産ー と小さな包みを旅行ケースからとり出しました。どこへ行ったってお土産なんか持って 来たことのない人が、珍しいお土産を買って来たかと思うと、それほど心浮かれることが あったのかと、好奇心で胸が躍ります。 「おおきに。ありがとう。何ですのん ? これ ? 」 「何やろ ? 」 と首をかしげ、 「何やしらん、買うてくれはったんやわ。樺山さんが」 「樺山さん ? 誰ですの ? 樺山さんて 「わたしのこと、好きにならはった人 : 私はびつくりしました。ほんまの話、そんなお土産まで買ってくれるほどセンセのこと を気に入るオトコサンがいるとは今の今まで思てなかったんです。 「樺山さんて、大阪の人。西成の区役所に三十年勤めて定年退職しやはった人。優しいね んよ。男前やし。親切やし。年は六十七 「えっ ? 」 「六十七 : : : 」 「ほんなら、年下 ? かばやま
ったの ? ねばりつくように、甘エタ猫みたいにいう。 「そんなこと、もう忘れました。昔のことやもん 「昔というたって五年前でしよ。忘れるわけないでしようが。ねえ、何べんフ 「さあ : : : 週に二日くらいかしらん」 出まかせをいう。ホントは二月に一回か三月に一回くらいやったのですが。 「少ないわねん とセンセはさもびつくりしたようにいう。 「それであんた、満足やったの ? 」 何をいうてる。自分は一ペんもしたことないくせに。 「センセは と私は逆襲してやりました。するとセンセはニターと笑って、 「それはナイショ」 向うを向いて、クックッといつまでも、思い出し笑いをしているのです。 かたき だんだん私はまるで敵と一緒に暮してるような気持になってきました。センセが何かい うとハラが立つ。 「為さんね工、あの人、カワッテルわよ」
118 ほとん 試験にクラスの殆どが落第点をとり、それというのもセンセの出した試験の問題がむつか しすぎたせいやと皆で不平を鳴らした時でした。 まったく、カは出そうとしたら出るんです。いしたいことは、いおうと思えばいえるん へんぼう 樺山さんは急に変貌した私にただただびつくりした様子で、言葉もなくキョトンと私を うなぎや 瞶めています。そこへ、「まいどオ・ ・ : 」と鰻屋が入って来ました。 「すんまへん、うなどんと吸いもんで、えーと、六千四百円でつけど」 「樺山さん、六千四百円ですて : : : 」 ムよ、 、そのまま茶の間へ引っ込みました。 「すんまへん、ちょっと待っとくなはれ 樺山さんは大慌てで廊下を走って行きました。暫くして茶の間の障子がスーと開き、小 さな声が、 「すんません : : : ちょっと」 「なんですのん : : : 」 ふり返りもせんといいました。 「あのうなどん代、すんませんけど、立て替えといてもらえまへんやろか」 みつ しばら
「三十分で、どんなお話が出ましたの ? 」 「どんなっていろいろよ。そんなまとまった談合に行ったわけじゃないのだから : : : 」 「そらそうやけど、例えばどんなふうな ? 「女学校の先生をしておられたそうですな、とか、わたしはとにかく忙しい人間なんです、 とか : : : それからそうそう、わたしのこと、お若いですなあ、てびつくりしていなさるの。 六十そこそこにしか見えませんな、やて : : : 」 ちょっと顔が輝きました。 「そんならお互いに気に入らはったというわけですか ? 」 センセは笑って、 「まあそうね。悪い感じゃないわ。今までの男性の中では一番いいかしら、ク、クク」 と笑う。「今までの男性」といっても、樺山さんか、集団見合で知り合った五島さんと いう神経痛と高血圧のおじいさんの二人しかおらんのやないですか。 の「で、先方はどんなあんばいでした ? 「そのうちにまたお会いしましよ、とおっしやって : : : 連絡がくるんでしよ、きっと」 老「そんなら、気に入らはったんですね ? 先方も センセは、フフフと笑って胴をくねらせ、 「さあ ? どうかしら : : : 松子さん、そう思う ? 」
さえず しずく 梅雨の合間の軽井沢は、濡れた若葉の黄緑が雫を光らせながら、小鳥の囀りに優しく揺 れて、夢のように美しい 「ロマンチックやわねえ・・・・ : きれいやねえ : ・・ : ああ、心が洗われるよう : : : 」 かんたん と私はテラスに出ては、一日に何度となくひとりで感歎しています。 「しかしこれでもずーっといると、馴れつこになって何とも思わなくなります。ここは湿 気が強いから、降りつづくとジメジメしてかなわないんです。たまに来るところですよ、 ここは : ある朝、無ロで気むつかしゃの「鬼の大王」が、私のひとり言に突然、返事をしてくれ たので私はびつくりして恐縮し、 「はあ、まあ、そうでしようか : : : けど、やつばりステキですわ : : : 私のいる紀州の白浜 決では、こんな清々しい黄緑は見られません : : : 」 沢私は緊張して、標準語で一所懸命答えたのでした。 軽「ジメジメしてかなわないんです」とロではいうてるけれど、博文氏はここを褒められる うれ い、私を見ると、リスが庭に来ていることや、紫て のが嬉しいのか、それからちょいちょ っせんが咲いたことなどを教えてくれるのです。
「すんまへん : : : すんまへん : : : 」 お題目を上げるようにくり返しています。 「出しやばりやと思わはるかもしれませんけどね、樺山さん。私にはセンセのことを松子 さんに頼んた責任というものがありますの。樺山さんのお考え、聞かせて下さいません か」 樺山さんはウジ虫みたいに丸まって、 「すんません : : : すんません : : : 」 というばかり。その時、センセがケロッとした顔でいいました。 「ほな、樺山さん。あんた払ろてちょうだい」 みつ 樺山さんはびつくり人形みたいに飛び上ってポカーンとセンセを瞶めました。 「あんた、払ろてあげてちょうだい、松子さんに」 「そんなん、もう : : よろしいですから」 れ ました。 たまりかねて私はいい お「このお勘定は結構ですから : : : その代りお二人、結婚するなり一緒に暮さはるなりして 春 いただけませんでしはうか。どこかに部屋でも借りはって」 樺山さんはロをモグモグさせるばかりで何もいえません。誰も何もいいません。その沈 ぜいたく 黙に耐えかねて、私はつい、贅沢さえしなかったら、夏頃までならいてもろてもよろしい