「あの人、小さい時に親に死なれて、おばあさんに育てられたいうてましたから、きっと 懐かしいんでしよう」 センセはケロリという。 「そうやないねんわ」 「そんなら何ですのん ! 」 「わたしのこと、好きゃねんわ。 「そやから、おばあさん育ちやから、おばあさんが好きなんでしよう」 「ちがうの。男心でわたしに惹かれてるの」 友野さんは、それはもしかしたら「イロポケ」の前兆かもしらんわよ、といいました。 しかし一緒に暮しているとポケてはるとは一概に思えず、お金の勘定やら社会の動きにつ いての記憶は私なんぞよりすっとしつかりしているのです。 「あんた、杉本さん。隠してることあるでしよう ? あんた、為さんのこと、好きなんで しよう ? 」 私はセンセからそういわれました。 「わかってるのんよ。あんたが好きなこと。だってあんた、わたしが為さんのことをいう とイヤアな顔するやないの」 とっさ 私は咄嗟の返事に詰って、まじまじとセンセを見つめるばかり。
「なんやしらん、あんたとは気が合うみたいねえ。なんでやろー そういった後で声をひそめました。 「ちょっと、センセのことやけど : と、あたりを見廻します。 「センセ、また、病気、出かかってるのやない ? 」 「病気 ? 」 「オトコさん見たら、起る病気よ」 うなず と私は肯きました。 「あの人、うちの義兄さんのこと好きになってるんやろか 「いや、好きになってるんやなくて、お義兄さんがセンセを好きになったと思てるんや わー 決「けどそれはやね、ほんとはセンセが好きになったのよ。好きになったもんやから、義兄 沢さんが自分を好きになったと思い込むんやわ。ほら、いつやったかも魚屋の若い衆がセン 軽セに忽れてるのなんのと騒いでたことあったでしよう ? あれかて、ほんまはセンセの方 が好きやっただけやないの 「そうそう、そんなことあったわねえ」
「気だてはええ人やと思いますけど、ちょっとかないませんな。重とうて」 ひど と断られたり、一番酷いのは、 「なんやしらん、キモチ悪い」 といわれたことやったということです。 女は幾つになっても華やかでありたい : ・ : それが、わたしの信条ですとセンセはいう。 センセはますます厚化粧になりました。センセは為さんを好きになったのです。 「あの為さんいうひと、わたしのこと、好きらしいわねえ」 とセンセはいいました。そういうたということは、センセが為さんを好きになったとい うことなんです。 「この 1 、 一日に三回も来たでしよう。あの時、わたし、そう確信したの」 あじ 三回来たのは、はじめ注文を聞きに来て、それから鰺を届けに来て、その時に、持って 来るのを忘れたイカを、もう一度夕方届けに来た、それだけのことやないですか。私がそ ういっても耳を貸さず、 「けど為さん、いうたわよ。『センセの顔見たいんでね』って。わざと忘れたんよ、あの それは冗談ですがな。為さんは冗談をいうのが好きな人なんですがな、と私は台所から わめ
「あ、今度のこの企画立てはった人」 「そう、主催者よ。気に入った人がいたら、お互い同士、勝手に仲ようなってはいけませ いわれてたもんやから、一番に届けはったんや ん、必す、私の方へ届けを出して下さい わ。樺山さん、マジメやから 「それで ? 」 私は訊ねました。 「松丸センセはどうですのん ? その人のこと気に入らはりましたん ? 「気に入るもいらんも、そんなこと、考える暇ないのんよ。ャイノヤイノ、好きや好きや いわれて」 まゆ ホンマかいな。私は眉にツ。ハつける気持でセンセを観察しました。またいつもの悪い病 気が出たんやないか ? 自分が好きになると、その男に愛されているように思うあの錯覚 が。センセは私の観察など気にも留めす、私が机の上に置いた例のお土産を取り上けて包 あめかん 装紙を破りました。中から出て来たのは、小さな箱に入ったイチゴ飴の缶です。 「アメですのん ? それが琵琶湖のお土産 ? 」 「いや、これは難波駅で別れしなに買うてくれはったん。ささやかなプレゼントですって 「ほんまにささやかですわねえ」
のです。 横の物を縦にもせん、自分勝手な夫からは優しい言葉ひとっかけてもろうたわけやなし、 さんざんコキ使われて、やれ気が利かんの、アホンダラのとえらそうにいわれて、ロ答え もせんと四十年辛抱して、病気になったらなったで、世話をかけるなあ、すまんなあの一 しか 一一 = ロもなく、まるで私が肝臓を悪うさせたかみたいに叱られてばっかり : : : やっと死んでく れてやれやれ、これからノンビリ、好きな時に寝て好きな時に起き、好きなもん食べて気 楽に行こ、思てました。何を好きこのんでわざわざ見合してまで結婚せんならんのですか。 見損のうてもろたら困ります、と いいたい気になったのでした。 友野さんは、 「熟年いうてもね。最高七十八のおじいさんが申し込んではるそうよ とこの人はいつも落ちつき払っています。 「うまいこといったら、あんた、厄介払い出来るでしよう ? 友野さんがそういったので、私はやっと友野さんの真意がわかりました。 「あ、そうか、センセのことね ? 年「きまってるやないの。あんた、一ⅱ 唯のことやと思てたん ? 」 そういわれて私は自分の勘チガイが恥かしいのでした。 センセが私の家に居候を決めこんでから、もう二年に近くなります。
ぼくのキモチがわからんのですか、って : : : 」 「このムネ割って見せたいほどです、て : : : 」 「まあ : : : 」 「けどね、わたし、もうひとっ気が進まんのよ。ほれ、よういうでしよ。あんまり片ッ方 がネッを上げると、片ッ方は冷めるて : : : 私、あの恋愛心理なんやわ」 「ほんならセンセ、あんまり気イ進んではりませんの ? 」 「進むも進まんも、あないにヤイノヤイノ、好きや好きやといわれたら、もうしんどうな ってしまいますがな : : : 」 私は何だか悪夢でも見ている心地です。センセも悪いマポロシを見てはるのやないのや ろか、と友野さんはいうけれど、けど、電話がかかって来ることも、デイトに出かけてる ことも事実ですから、マポロシではないのでしよう。 こうなったら、一日も早う結婚して、家を出て行ってくれたらいいと思うのですが、セ ンセは、 年「結婚 ? そんなことまだ先の話よ : : : 」 と取り合いません。 「わたしね、気に入らんこと、ひとつあるのんよ」
それでお父さんがね、お前、男というもんは堂々とおシッコするもんだ、っていうたんや いうたんやって。『けど顔にかかるもん』って。オホホホホ、 て。そしたらね、息子がね、 面白いでしよう ? 」 、面白いですなあ : : : 」 と笑い声を立てているけれど、あのアメ玉みたいな丸い目が笑っているのを私は見たこ とがありません。樺山さんはなんでか、いつも思い詰めたような目をしてるんです。 あんた、こんな話好き ? 「面白い 「はあ、好きです」 「そんならもうひとつ、してあげようか ? ある女の人が家の前に立ってたら、通りがか りの男がいやらしい目でじーっと見つめたの。それで女の人が怒って、『なに見てはるの、 いやらしい。その目玉をくり抜いてやるから ! 』というたんよ。そうしたら男がね、『ぼ くの目玉をくり抜いたら、どうか、あなたの便器の中へ入れといて下さい』というたんや て。オホホホホ、面白いでしよう ? 」 、面白いですなあ : : : 」 終面白いことなんかちっともありません。 ( カバカしくて、笑うどころか腹が立つ。それにしてもそんな下がかった話を、今まで センセは私にしたことありませんでした。それが樺山さん相手に次から次へと、なん・ほで
センセは為さんは自分を好きなんだ、といいます。若いねえ、六十前に見えるね、と為 さんがいったというんです。女はアッチの年季を入れたんでなきゃね、とか、若い女なん かちっともよかないね、普段は賢こそうな年増が、ヒイヒイいって暴れるのが何ともいえ ないねとか、女は、男というものは若けりや何でもいいと思ってるらしいけど、それは全 くちがうね : : : とか、そういって為さんは意味ありけにセンセをしっと見つめたのだとい うのです。 「為さんは冗談が好きやから」 私がいうのを無視して、センセは、 「冗談にしないと本心をいえない人なのよ 鏡を見てからいうてちょうだい、 と私は怒鳴りたくなる。 二日に一度、為さんはご用聞きに来ます。午前十一時頃、勝手口の木戸が開く音がして 足音が近づいて来ると、私は胸が騒ぐようになりました。今にセンセと為さんのあのアホ らしいやりとりが始まるのかと思うと、シャクにさわって胸がドキドキしてくるのです。 「為さーん、待ってたのよう。朝から、今日は為さんが来る日だわと思ったら、なんだか うれ
178 五日ほどして友野さんから電話が来ました。それによると会長さんはセンセのことを、 「えろう若造りで色つぼい人だな」といわはったそうで、それは気に入ったということな のか、そうでないのかハッキリしないのだ、というのでした。何しろ忙しい人で、という まわ より忙しがっているのが好きな人だそうで、ゴルフへ行っても小走りに走って廻っている。 もう何十年もお昼はざるそばと決っているのやそうですが、かといって特におそばが好物 というわけではなく、おそばなら手つとり早く食べ終れるからなのだそうです。 「そんなに手つとり早いことが好きな人やったら、この縁談もざるそば食べるみたいにツ ルツルと決ってしまうかもしれんわねえ」 友野さんと私はそう、 しい合ったのでしたが、それから間もなく、また友野さんから電話 かかかって来て、どうやら先方にはセンセのほかにもう三人ほど候補者がいて、その三人 と順々に見合をしているのですぐに話は決らない様子やということでした。 「八十二になってはっても、やつばりああいう人になると、候補者はいくらでもいてはる んやねえ」 ねばっこくいって、いつまでも笑いつづけるのでした。別にそう笑うほどのことでもな
れに無邪気やし、朗らかやし、あの人といると、ほんまに気が晴れます。電話口に出て来 て、『 ( ーイ、もしもしイ、みね子ですウ : : : 』といわはる声聞いたら、目の前がパー と明るうなります。ええ人ですなあ : : : 」 といっているうちに、声に力が入って来て、顔が輝いて来ます。 「そんなにあの人のこと、気に入ってはりましたの ? 」 「もう、ダイ好きですねん。毎日、朝から晩までみね子さんのこと思て、何も手につきま へんのや」 「そんなに好き : : : 」 私には信じられません。鶯みたいな声 ? 無邪気 ? 朗らか ? ええ人フ 男というもんは、ほんまに女を見る目がない、チャラチャラしてロの上手な女を好いて、 実がある女かないかの見分けもっかへんのやと、昔、母がよういうてました。 「ほんまにあの人は若い。六十六ゃなんてとても見えませんー 六十六 ? 七十四ゃないのー 八つもサバ読んでからにー 「髪もくろぐろして白髪一本ないし」 あれはカッラですー 「肌の色かてッャッャして、なんそ特別の化粧でもしてるんですかと訊いたんですけど、 じっ おなご