といいました。 「はい、杉本ですけど」 「ほく、樺山ちゅう者ですけど」 うわさ 「あらまあ : : : 樺山さん : : : お噂はかねてセンセ : しいかけると、 「松丸みね子さん、いてはりますか」 性急にかぶせて来ました。 「あ、松丸センセは出かけはりましたけど、ご一緒ゃなかったんですか ? 」 「出かけはった ? 何時頃です ? 」 「お昼前でしたけど、私はてつきり : : : 」 樺山さんはみなまでいわせす、 「そんなら、やつばり : : やつばりほんまやったんですなあ : : : 」 いうなり、へたへたと南天の前の庭石にへたりこんでしまい、節くれ立った両手で顔を 抱えて、何やらロの中でブップッいっています。 年「どないしはったんです。樺山さん : : : 樺山さん : : : 」 思わす肩に手を掛けますと、その手をんでじっと私を見上げたヤプニラミの眼に、み るみる涙が湧き出て来たのでした。
132 「そんならまた連絡するから 「ハイハイ。私の方はいつでも結構」 うれ そう、 しい合っていそいそと受話器を下ろす。私はあんまり嬉しくて、その時、私の後ろ もた オロチ で死に損ないの大蛇みたいに横になってたセンセが、むつくりカマ首を擡げたのに気がっ きませんでした。 「軽井沢へ行きなさるの ? 」 受話器を下ろした私の背中に、ツブテのようにその声が飛んで来ました。 「あツー と思うのと一緒に、 「友野さんと一緒 ? 」 二つ目のツブテ。仕方なく、 「はあ、そうですけど」 そっけなくいって用もないのに台所へ入る。 「友野さんから誘って来はったの ? 」 私は急いで流しの蛇口を一杯に開け、その音でセンセの言葉が聞えないフリをしました が、センセのはり上げたかん高い声は、水の音くらいでは消えません。 「ええわねーえ、今時分の軽井沢。新緑がきれいやろねーえ」 さそ
で走ったものですから、電車に乗ってからも、心臓が破れそう、 ( ア ( アいって胸を押え、 あわ それでも、あの二人の慌てふためいた様子を思うと、 「ええ気味やわ」 りゅういん 溜飲が下がるのでした。私がいなければセンセと樺山さんはどうするか。とりあえず今 夜のおかずは誰のお金で買うのか。炊事はどっちがする ! 食器洗い、洗濯、アイロンか け、掃除、買物、お風呂 : : : それを誰がするのでしよう ? 二人で手分けして働くのかし らん ? いすれにしてもセンセも樺山さんも、ええ気になって居候を決めこんでいたけれ ど、私一人でこれだけの家事労働をしていたのだということがわかって、少しは反省する でしよう。 そう考えるとやつばり出て来てよかった、と思うのですが、よかった、と思う心のすみ っこに、何やら浮かぬ気分が潜んでいるのでした。 空港前に止っていた。 ( スに二時間余り乗って、日暮前に唐津のシーサイドホテルに入り れました。ホテルの窓の外は友野さんからの絵 ( ガキにあ 0 た通りの眺めです。大きな窓の すぐ目の下が波打際、弓なりの海岸線に沿って、西へ向って松林がつづいている。水平線 の 春 には船影ひとつなく、ガラスのように入日に光って静かです。 「ああ、なんてええ景色 : : : 」 いつまでもぼんやり立っている。これからどうしたらいいのか。い とひとり一一 = 口をいい
そういわれるとますます心配になってきて友野さんに相談しますと、 「それ、心配やわねえ。うちの知り合いのおばあさんやけど、老人性鬱病で首吊りしはっ たんよ : : : 気イつけてよ、松子さん」 といわれ、私の方こそ鬱病になりそうです。 もともと気の小さい私ですから、もう心配で夜もおちおち寝てられません。ゴトンと音 うかが がするたびにハッと目醒め、そーっと様子を窺いに廊下へ出ると、センセがしなびた身休 にスミレ色のネグリジェの、裾にヒラヒラのついたのを着て ( 長すぎるものだから裾のヒ ず ラヒラを引き摺っている ) 、廊下のうす明りの下を幽霊みたいに歩いている。 ぬ「どないしはりましたん、センセ ? 」 暮 声をかけると、 日 「お便所ーー」 ま で しい残して手洗いの戸を開けて入るのですが、それで安心かというとそうやないのでオ くびつ もしお便所の中で首吊ってはったらと思うと、センセが出て来るまで気がかりです。廊下 けに立って待っていると、やがてジャーと水を流す音が聞えてくる。戸が開いてセンセが姿 タを現すのを見てホッとするのですが、センセは廊下に立っている私を見て飛び上らんばか りにびつくりし、 「あんた ! びつくりするやないの、幽霊かと思たわ。なにしてるの、そんなとこで : すそ くびつ
148 「ほんまに上手やねえ。うまいこというわねえ。そういわれてみれば女にキンはないもん ねえ、オホホホ」 腹が立って腹が立って眠気もなにも吹き飛んでしまったのでした。 私がその話をすると友野さんは、 「いやらしー 、それから、 と吐き出すようにいし 「春清、ウッポッとして抑え難しというあんばいになってはるんやわ」 とキモチ悪そうな顔になり、 「けど、困ったことを起さんといてくれたらええけどねえ : : : なにせ義兄さんは気むつか しい人やから : : : 」 と心配するのでした。 友野さんの心配はだんだん当りそうになってきました。センセは博文氏につきまとうの コーヒーを一緒に飲みたがり、食事の時 です。一緒にゴルフへ行きたがり、散歩に誘い はしゃべりまくる。気むつかしい人かもしれませんが、やはり昔の教育を受けた方です。 愛想はないながらも一応は話相手になっているのは、センセを義妹の「恩師」と思てのこ とでしよう。 それをええことに、センセは、
204 けれどセンセは私の目に角が立っていることなど気がっきもせず、 「なんでですのって : : : わからへんの ? 松子さん : : : 」 真面目にいうのです。 「わたしにふられたからやないのよう : : : 」 ためいき そしてふうーと肩から溜息をついて、 「ああ、辛いわア : : : 松子さん、わかる ? 」 という。 「人から傷つけられるよりも傷つける方がなんぽか辛いもんやわねえ : ふる方がそら苦しいもんよ : : : 」 弱っていても、うぬぼれだけは弱らんもんと見えます。 こだいもうそうてき しかし考えてみると、その誇大妄想的うぬ。ほれが、最後のセンセの気力の現れといえみ いちまつあわ のかもしれないのです。そう思うとハラは立ちながらもやはり一抹の隣れを覚えてしまら 私でした。 しかしそのうち、センセは、そんな妄想を口にすることも次第に間遠になって行き、默 って天井を瞶んでいては、 「会長さん : : : 」 つぶや とロの中で呟いているらしいのが、唇の動きでわかるのです。 にら 。ふられるより
ったの ? ねばりつくように、甘エタ猫みたいにいう。 「そんなこと、もう忘れました。昔のことやもん 「昔というたって五年前でしよ。忘れるわけないでしようが。ねえ、何べんフ 「さあ : : : 週に二日くらいかしらん」 出まかせをいう。ホントは二月に一回か三月に一回くらいやったのですが。 「少ないわねん とセンセはさもびつくりしたようにいう。 「それであんた、満足やったの ? 」 何をいうてる。自分は一ペんもしたことないくせに。 「センセは と私は逆襲してやりました。するとセンセはニターと笑って、 「それはナイショ」 向うを向いて、クックッといつまでも、思い出し笑いをしているのです。 かたき だんだん私はまるで敵と一緒に暮してるような気持になってきました。センセが何かい うとハラが立つ。 「為さんね工、あの人、カワッテルわよ」
「為さんがセンセのこと、好きやと思てはるのよ」 「どうもそうらしいですね」 「わかってた ? 「そりやもう : : いろいろと」 「やつばり」 為さんが笑うと白い歯がキラッと朝日に光って眩しい。私は炭酸水でも飲んだように胸 つかえ の閊がすーツと降りて、活力みたいなものがガーツと湧いて来ました。 「迷惑かけるわねえ。すんませんねえ」 そういって為さんと別れると、大急ぎで帰って来ました。 「ただいま」 すわ と家へ入り、チンマリ、テレビの前に坐っているセンセを立ったまま見下ろして、いっ てやりました。 「今、為さんに会うたら、為さんがいうてました。センセ、何やカンちがいしてはるらし いけど、迷惑感じてますねん、て : : : 」 センセは何をいわれたのかわからん、という風に・ほんやりした目を私に向け、 「何の話です ? 」 まぶ
「あんた、ヤキモチ嫉いてるの ? 」 悳夂しく粘っこくいう。 「まさかそんな : : : 」 「そうよねえ : : : そんなことないわよねえ」 センセはいう。 「けど、この頃のあんた見てるとそう見えるのよ : : : 今まで素直で優しい人やったのに、 急にトゲトゲしくなって : : : なんでやの ? 」 なんでやの、とはようもようも、白っぱくれてからに、人の我漫にもほどというもんが あるわ : : : 一言葉は次々に湧いて来るけれど、なぜかロもとへは出て来ません。唇がブルブ ル喫えるばかり。さっきは樺山さんにあんなに思うさまをいえたのに、あの勢はどこへ行 ふろば ってしまったのか。私が押し黙っているのをみて、センセは立って茶の間を出、風呂場の 方へ行きながらひとり言のようにいう声が聞えてました。 愾「やつばり寂しいのねえ。女はねえ、幾つになっても、お金がいくらあっても、アイして おくれる人がいないというのは、寂しいものなのよ : : : 」 春 ふる その五日後、友野さんは私の家へ来てくれました。その前日友野さんは私の手紙を読ん
の紅白もきんとんのお芋を練りながら聞くという有さまですが、センセの方は早々 とお風呂に入り、テカテカと気持よさそうにシミの浮いた顔を光らせ、炬燵に入って新聞 の出場歌手の欄に点数を書き入れているのです。 「あんた、黒豆、あんじよう炊いてよ。甘うにしてね」 とい、つ。 やっとお重を詰め終った時は、テレビの「行く年来る年ーで除夜の鐘が鳴って いました。やれやれ、とエプロンを外して炬燵に入りました。 「ご苦労さん と、まるで主人が女中にいうようにいう。 「除夜の鐘というもんは、いっ聞いても心がなんやしらんこう、シーンとしますなあ : ここで、あんたとこないして、除夜の鐘を聞くようになるとは、あの頃は夢にも思わなか はかまは ったけど : : : あんたがセーラー服着て、わたしが袴穿いてたあの頃 : : : 」 「そうですねえ」 いうてやりました。 私は気持が釈然とせんままに、 「来年はどこで聞くことになりますやろね」 そういつまでもうちに居候してはおれんでしよう、と一一 = 口外にいったつもりですが、 「そらやつばり、ここやろネ」 簡単にいってのけて、 ふろ こたっ