好き - みる会図書館


検索対象: 女の学校
29件見つかりました。

1. 女の学校

108 「けどこの子はノロいから、早く行かないとダメなんです」 と興奮は覚めない。 私もかっては、このような無我夢中の母親であった時期がある。忘れ物をしたのは自分が慌て たせいなのに、子供が出がけにぐずったせいにして怒ったりした。そんな母親に対して、子供は 批判も知らず抗うことも知らない。お母さんのいうことは一番正しいのだと思って、黙って恐縮 している。 こういう母親と子供の姿が私は好きだ。しつけ教育の先生は批判されるかもしれないが、この 理屈ぬきの密着、無我夢中の子育てが私にはほほえましい。この無我夢中の中には若い母親のエ ネルギーが燃えていて、その焔で子供は鍛えられ育って行くのではないだろうか。 もはや幼子を育てることのなくなった私はしみじみ懐かしくそう思う。

2. 女の学校

女が見たロッキード事件 ロッキード事件の証人喚問のテレビを見ていると、傍にいた女の人がいった。 「男ってすごいもんですねえ」 すると別の人がこういった。 「出世する人ってすごいものねえ」 全くその通りだと私も同感した。 断乎として真実はいうまい、真実を掘り起される手がかりを与えるまいと決意した ( それゆえ、 能面のように無表情になっている ) 顔が、言葉少なく答える。怒号されようと、詰め寄られよう と、その表情には毛ひと筋の動きも起らない。 校「私たち女は、いくら強くなっても、とてもああはいきません」 さたん のと我々は嗟歎した。 女 あれは、やつばり男の「ハラ」というべきものなのであろうか ? いじよう 敵に囲繞されて、ばっともろ肌ぬぎ、「斬るなと突くなと好きにしてくれ ! 」とわめく。殴ら

3. 女の学校

お父さん頑張れ 「お父さん好き ? 」 と先生が生徒に訊いている。 「好き」 と子供が答えている。 「お父さんのどんなところが好き ? 」 「日曜日なんか、よく遊んでくれるから」 また別の時、別の子供に先生が訊いた。 「お父さんに注文ある ? 」 校「あるよ」 の「どんな注文 ? 」 女 「もっと子供と遊んでほしい」 こんな話を学校で聞いて来たお母さんが、お父さんにいった。

4. 女の学校

「ママはよっぽど渡辺篤史が好きなのね ? 」 ラーマはうまいと叫ぶのが俳優の渡辺篤史さんなのである。 これまでも私は渡辺篤史さんを好きであったが、それは専らその頭の形が気に人っていたから である。あれは七分刈りというのか刈りというのかよく知らないが、短く刈った頭はキリリク ッキリと引きしまっていて爽やかである。 あの頭の中にはノーミソが適当に詰っている ( 多すぎも少なすぎもしない ) 感じで安定感があ って気持がいい。このコマーシャルは、そんな渡辺さんの頭の形でいっそう爽やかさを増してい ると思われるのである。 しかし私がこのコマーシャルを好きなのは、渡辺篤史さんの頭の形ゆえではない。ここには都 会も田舎も、家庭あるところ必ず見られるおとなと子供の姿があって、その日常の機徴が、実に 明るく描かれているからである。 「ねえ、大はなぜワンワンって鳴くの ? 」 「ねえ、なぜカケルは x でワルは十なの ? 」 どこのおとなも、子供から答えようのない色々な質問を浴びせられて、途方に暮れた経験を持 っている。 「今、忙しいからね、あとで」 もつば

5. 女の学校

飛行機事故や遭難などで人が死んだり傷ついたグすると、必ず悲歎にくれる犠牲者の肉親がマ イクをさしつけられて訊かれている。 「どんなお気持でしよう ? 残された奥さんとしては」 夫が死んだのだもの、腹立たしく悲しいに決っている。そんなこと、いちいち訊かなくてもわ かっているのだ。こんな時も私はいやアな気持になる。 もた 人が悲しんだり苦しんだり悶えたりしているさまを見るのが好きという人は、本来数少ないは ずである。そしてそれを見られるのが好きという人はもっと数少ないはずである。 なのになぜかテレビ局はそれを見せたがる。その理由として、 「事件の悲惨、その実体を一人でも多くの人に見せて、二度とこういうことをくり返さないため にはどうすればよいかを考えてもらう」 というようなもっともらしい口実が用意されている。しかし、その口実のかげでは、 「いやア、ナミダが出ると視聴者はやつばり感動しますからねえ」 では不幸な他人の涙を見て、人はどんな風に感動するか ? 校「気の毒にねえ」 の「あんなに泣いてるわ」 女 「政治家はこの涙を何と見るかねえ ? 」 「何はなくとも、皆丈夫で暮している私たちは幸福よ」

6. 女の学校

性の方が、かえって気の毒な場合もあるのではないですか」 と私はいったが、榎さんは相変らず涼しく、 「男と女の関係でどっちが正しいか正しくないかの判断は、第三者には出来ませんものね」 出来ないからこそ、簡単に助太刀になど乗り出せないと思っているようでは、いつまでも男の 横暴に屈していなければならないので、出来ないからこそ、正否を無視して、なんでもかでも女 の味方をする、それが「女を泣き寝人りさせない会」の主旨なのである。 元来、我々女性は、男に比べて正義が好きである。あれは正しい、正しくない、という批判が 好きで、常に自分の正当性を掲げていなければ力が出ないというようなところがあって、ほとん ど本能的に客観性を捨てて自分を正しいと思い込む。その思い込みの力によって男に肉薄し、男 おとしい と女の喧嘩では相手を窮地に陥れ、追い詰められた男は苦しまぎれについ暴力を振るったりし て、またそれが女の正当性を強める損な結果を招いたりしているのが常である。 ところが今や、中ピ連にあっては正しいとか正しくないとか、そんなことはどうだっていいの だ。どうだっていいというところから行動を起す。理屈に合わない、ムチャクチャを承知である。 校味噌もクソも一緒くたにしてこね上げる。それを涼しい顔でサラサラとやるところが、「新女性」 のなのだ。 女 まさしく中ピ連は「男の敵」なのである。彼女たちは女性は男よりも優れた人間であるという くつがえ 2 信念のもとに男社会を覆し、女社会をうち立てようとしている。男女平等の社会ではなく、女

7. 女の学校

120 と私はいいたくなる。試みてみようとせずに、 ( 自分を変えようとせずに ) 私の毎日は苦業の 日々です、と思い決めて歎いている。そういう返事に会うと、この人は何のかのいっているが、 このイジワル合戦が好きなんだな、と私は思うことにしている。 いさかい 嫁と姑の諍をどうすることも出来ないあの男はフヌケだというような批評を耳にすることが ある。しかし、こういう次元での諍に男が出場を失って、手も足も出なくなるのは当然だと私は 田 5 う。 私が男性に同情するとしたら、まあ、このへんです。

8. 女の学校

子供のごまかし方 テレビコマーシャルにこういうのがある。 大きな窓の外、若葉が朝の光にキラキラ光っていかにも爽やかな朝である。 部屋の中、子供と青年がテープルに向って。ハンを食べている。子供が、なぜラーマはおいしい のと青年に訊く。すると青年は勢いよくいう。 うまいってことよ ! 「理屈なしツー それから一呼吸おいて、 「朝はうまい ! 」 元気よく叫べば、子供はつられて同じように声をはり上げ、 校「一フーマはうまい ! 」 A 」 女 私はこのコマーシャルが好きである。このコマーシャルが始まると、新聞を読んだり手仕事を したりしていても、必ず顔を上げてテレビを見るので、娘が気がついていった。 0

9. 女の学校

146 負っているとしたら、これは残酷な答えとなる。 従って少しでも優しさを持っている男であれば、この際、いささかでも妻に残酷にならぬよう な答えを考えようとする。 例えばこういうとする。 「彼女はやさしくて、よく心づかいをしてくれたから」 すると妻はこういえる。 「フン ! 男の気を惹こうとして、技巧をこらしたにきまってるわ」 そういうことなれば第三者としても、 「男というものはイチャイチャベタベタと機嫌をとってくれる女が好きなのよ」 と相槌が打て、 「そりやネ、珍しいうちは機嫌もとりますよ」 「こっちは子供の世話して家事に追い廻されてるんだものねえ。そうそうはしてられないわ」 「機嫌とってほしかったら、もっと甲斐性を持てというのよ ! 」 と一緒にコキ下ろして、裏切られた妻を慰めることが出来るのである。つまり、夫が愛人のも とに走ったのは、妻に落度があるためでも、また向うの女が妻より上等の女であるためでもない と思うことが、この際必要なのだ。しかし向うの方が美人である ( 肉感的である。魅力がある ) 、

10. 女の学校

当にイジワルかどうかがわかるのである。 神経質な人はそれを確かめずに、鐘が鳴ると飛び起きる。ウガイのガラガ一フでもう目が覚めて いる。ウガイの前にもう目を覚ましていて、ガラガラがはじまるのを今か今かと待ち構えている のかもしれない。そこへ、 「ガラガ一フガーツ」 「ほら ! また ! こうして私にアテつける」 お嫁さんはカッとなる。先に目が覚めていたものを、「姑のために起された」と思う。もしか したらそういう風に思うことが、お嫁さんの気に人っているのではないか。 こう考えて来ると、イジワルなのは姑の方ではなく、本質的には嫁の方だといえるかもしれな い。「イジワルをされていると思うことが好き」という厄介な性質が、なぜか女にはある。 姑が鐘を鳴らしてもグウグウ、ウガイのガラガラガーツでもグウグウ、肉をたらふく食ってみ たらどうですか、と私がいうと、そのお嫁さんは、 たださえ、イジワルされてたいへんなのに」 「そんなこと、どうして出来るんですかー・ と気色ばんだ。 学 の「どうして出来るんですか」 と気色ばんでいわれると、 「どうして出来ないんですか」