ている手の届かぬ存在なのである。だから叱れない。いや叱る気がないのだ。 , 時代と共に人も変るものなれば、年寄りの好みを若者に押しつけてはならない、とはよくい、 れることである。しかし私は臆せず私の好みを娘に押しつけるつもりである。押しつけられた が、私の好み通りになろうとするか、せぬかは、娘の自由だが。もし前記のお嫁さんが私の娘・ ら、私は娘をプン殴りに婚家先へ走って行くであろう。母親として生きるということはそうい ( ことなのだと私は考えている。 そうでなくて、どうして母親のなり甲斐があるだろう。
216 だから、私も、〈地をまる出しにして、色ごとに励もう〉と、自分にいい聞かせている。そう しなければ、お天道さまに申しわけないし、世間に顔向けできないからである。 私の知人、友人の家の中で、私が最も数多く便所を利用したのは、佐藤愛子さんの家である。 愛子さんの家には、階下と二階と、二つ便所があって、私がよく使ったのは、二階の西洋式の 便所の方だ。 そしてまた、他人の家で、いちばんたくさんメシを食べたのも、愛子さんの家である。彼女は 味のつけ方がとてもうまい。それに手早い。 そういった女は、官能的な才能にも恵まれているという意見を、私は持っている。 ところで、十年以上前、なんでも私は、愛子さんに百万円を貸したことがあるという。そして、 それを私が忘れているということに感心したということを、なにかの雑誌に愛子さんが書いてい たのを、読んだことがある。その話を読んで、また感心した男たちがいることも、私は知ってい その話によると、どうやら私は、愛子さんに百万円貸したあと、預金通帳がゼロになったとい う。そして、その頃同棲していた女は、そのことでこぼしていたということも、愛子さんから聞 いた。 その話を聞いたり読んだりしていると、他人の話のことのように、私には思えるのだ。もしか したら、百万円返してくれたために、すっかり忘れているのかもしれない。もしも、返してくれ
お役所とのつき合い方 鑑登録の制度が変ったので、まず登録替 印鑑証明の必要があって区伎所の出張所へ行った。印一 えの手続きをしなければならない。そのとき、その私が、間違いなく佐藤愛子であるという証拠 を出して下さいといわれた。 その証拠とは運転免許証か旅券だという。しかし私は車の運転もせず、外国へ行ったこともな い厄介な身の上である。丁度、戸籍抄本を持ち合わせていたので、それではどうかというと、抄 本には写真が張ってないから確認出来ないという。 ではどうすればいいのか。前記の二つがなければ、私の住んでいる区内の一丁目から五丁目ま でに住んでいる人の ( しかもその人が印鑑登録をしている ) 証明があればいいのだそうだ。が、 私にはそのような知人は思い当らない。 しかし私の場合は、雑誌のグラビアなどに登場していることがあるから、それを持ってくれば ハッキリ確認出来る筈である。グラビアには私の名が印刷してあるから、その写真と私の顔を見 くらべればこれほど確かなことはないのだ。
120 と私はいいたくなる。試みてみようとせずに、 ( 自分を変えようとせずに ) 私の毎日は苦業の 日々です、と思い決めて歎いている。そういう返事に会うと、この人は何のかのいっているが、 このイジワル合戦が好きなんだな、と私は思うことにしている。 いさかい 嫁と姑の諍をどうすることも出来ないあの男はフヌケだというような批評を耳にすることが ある。しかし、こういう次元での諍に男が出場を失って、手も足も出なくなるのは当然だと私は 田 5 う。 私が男性に同情するとしたら、まあ、このへんです。
女が男に太刀うち出来るだろう。私はその世界で女が無能呼ばわりされることを、むしろ喜ばし く思うのである。 たとえば私が証人として喚問されたとする。私でなくても、俵萠子さんでもいい。樋口恵子さ んでもいい。すると我らは質問が終るか終らぬうちに、ペラ。ヘラ。ヘラベラしゃべり立てるであろ う。知る限りのことをみなしゃべる。それが我らの正義である。私なんぞは質問されていないこ とまでしゃべって、八方に迷惑をかけるであろう。そうして、「ズドン ! 」と一発、どこからと もなく発射されたピストルの弾に胸うたれて死んでしまう。 野党の証人尋問の中には、いたずらに大声上げて怒号するばかりで、能がないのがあった、な どとあちこちで批評されているようだが、女の私にはあそこで怒号せずにはいられない気持はよ くわかる。テレビを見ていてさえ、腹が立って胸が波立った。 私が尋問者であったら怒号だけではおさまりませんよ、というと、大いに賛成した奥さんがい 「私なら走って行って、ひっかいてやりますわ」 校彼女は丸紅の伊藤という人の答弁を見ていて、数年前に死んだ浮気ご亭主との夫婦喧嘩を思い の出したという。 女 「あれがオトコというものなのよ」 「そうよ、その通り」
たちは、顔を粉で白くしていたものだ。そういった感じが、すぐに私に伝わってくるのである。 愛子さんの昔の亭主の田畑麦彦のことを、私たちは、「ポンクラ」と呼んでいたが、先にそう 呼んだのは、愛子さんだったか、私だったか、あいまいである。 しかし、ある屈折した敬愛の念をこめて、「ポンクラ」というようないい方は、愛子さんにふ さわしい気がする。 あるいは、彼女は、ある人物を「ゴマノハエ」と呼んだり、当意即妙の才に長けている。 『 MORE 』という雑誌で、男友達についての連載のエッセイを、愛子さんは書いていたが、その 中で、私は「カツ。ハちゃん」になっていた。 私は、学校の教師の時に、やはり「カッパ」というニックネームを、生徒たちからつけられた ことがある。それは、ロが少し尖っているせいかもしれない。私は、その「カツ。ハ」というニッ クネームが気に喰わないので、ある生徒をつかまえて、 「近ごろ、オレのことを光源氏などといっているヤツがいるそうだけど、オレはそんなにやけた ニックネームはいやだから、いわないようにみんなにいっといてくれ」 説と、いったことがある。 そういえば、生徒たちの間に光源氏というニックネームが広がるかもしれないと、考えたから 解 である。しかしその後、生徒のだれかが、私のことを「光源氏」などと呼んでいるという噂は、 どこからも伝わってこなかった。
161 女の学校 魅力ある人 私が敬慕する大詩人吉田一穂先生は、何かというと馬鹿野郎呼ばわりをする人だった。はじめ て先生を訪れた時、私は、 「女にものは書けないよ」 といわれてドギモを抜かれた。 「いつも自分を正しいと思っている奴に、ものが書けるわけがないんだ : : : 」 その一一一口葉は私の中で雷鳴のように響きわたり、私は稲妻に串刺しにされた思いだった。以来、 私は先生の罵一言をどれだけ聞いたかもしれない。それは激しく、情熱的で、ムチャクチャだった。 「ツクダニ弁当食って育ったようなャツに美しいものがわかるか ! 」 「あんなツラでいいものが書けるわけがない ! 」 とか、たいていの女性はその乱暴な独断に驚いて、二度と門をたたく気を失ってしまう。 めえ 「俺もお前も貴族だからな、そのつもりでやれ」 といわれて、私は呆気にとられた。「精神の貴族たれ」といわずに「俺もお前も貴族だからな」
スープの話 私の娘は今、高校一年生である。 一年前までは学校から帰って来ると、必ず、 「ママは ? 」 といいつつ靴を脱いだ。しかし、高校へ行くようになってから、いっとはなしに「ママは ? 」 とはいわなくなった。 「ただいまア」 といって、そのまま二階の自分の部屋に人ってしまう。そんな娘を見ていると、私はそろそろ 覚悟しなければ、という気持になる。娘は私の手から少しずつ離れはじめているのだ。離れよう としてそうしているのではなく、彼女自身、気づかずにそうなっている。そうして、やがて今に 「ただいま」ではなく、「こんにちは」といって人って来る日がやって来るのであろう。 ある日、娘は突然、私に質問した。 「ママ、私がポーイフレンドとキスしたらどうする ? 」
て行ったであろう彼女の心のうちを思うと、私は腹を立てつっ暗澹となるのである。 人から借金を申し込まれたときは、断乎として断わるか、さもなければ返してもらおうと思わ ずに「与える」っもりで金を渡せ、と私はよく友達から教えられる。それが本当の親切というも のだと、人はいう。返してもらおうと思って貸すから、返って来ない時は腹を立て、相手を憎む ということになるのだ、と。 しかし私は、相手が「必ず返します」といっているからには、その一一一口葉を信じたいのだ。返し ます、といっているのに、返さない場合のことを思って「このお金はあげます」とはいえない。 それは「返す」といっている相手に対して失礼ではないのか。 そんな風に考える私は、いわれるままに金を貸して、返って来ないと怒り狂う。そしてそうら ごらん、だからはじめから返してもらおうなんて思わなければいいのよ、と人から説教される。 誰も相手を信じた私に同情せずに、信じたことを幼稚だと笑い、愚かだと呆れるのである。 世間を見廻すと、人はみな怒らずにすむように、己が身を守るために、上手に切り捨て作業を 行っているようである。その切り捨てを上手に行えば、私もかくも怒らずにすむのであろう。人 学はいう。 の「本当の親切とは、切り捨てるところは、冷静に切ることよ」 私が人を脅かさぬためには、他人の切迫した音声や必死の表情や、ふと垣間見せる人間のあわ
154 相手は私の見幕にびつくりして、 「はあ、つまり、そのう : : : あのですネ、つまり、あの、何です」 とくり返すばかり。 「あなたのその発想は実に老人を侮辱しています。なぜ、″老人に愛される若者になるためには〃 という発想がないんですかッ ! あるいは″若者を愛する老人になるには〃となぜ考えないんで 「はあ、なるほど」 「なるほどじゃないッ ! 怪しからん ! 私はそんなことを考えてまで愛されようとは思いませ んよ ! 私は孤独に徹します。わかる奴はわかる。わからぬ奴はわからなくていい。愛さない奴 は愛さなくていい ! 私はそう思っています。それくらいの気概がなくて、どうしますか。長い 人生を苦闘して来てですよ、その果てに若者に愛されることをなぜ考えねばならんのです ! 思 い上るな、それが私の答えです」 相手は閉ロして引き下って行った。 九月十五日は敬老の日だという。私は老人の日、母の日、父の日、すべて嫌いである。老人の 日だというと、急にテレビタレントなどがしみじみした口調になって、 「おじいさん、おばあさん、いついつまでも ( いつまでも、といわずに " いついっ〃と重ねてい