答える - みる会図書館


検索対象: 女の学校
53件見つかりました。

1. 女の学校

「すまんが、金がいるんだけどね」 「またお金 ! いくら ! 」 女房が柳眉逆立て、吐き出すようにいっても平然と、 「十万円 : : : いや、都合っいたら二十万」 などといえる男、それくらいの腹の太さと自信を養うよう修業しなければならないであろう。 そのとき声あり、 「そういう男がここにいる」 「何者ぞ」 と問えば答えて曰く。 「ヒモ」 まことに男の生き方は難しいものである。

2. 女の学校

「なに、すみませんでしただと ? キャッチボールして隣の窓ガラスを割った場合とはちがうん だぞ ! 」 と怒るのは簡単だが、しかし、考えてみるとこの場合、彼としてはそう答えるほかに一言葉がな いであろう。人殺しをしてそれが発覚したときに、現在の心境を述べることの出来る人間なんて ザラにいるものではない。頭が混乱して何もいえないのが普通である。 だから、本当は何もいわず、沈黙を守っていればよいのだ。だが、彼は「おさわがせしてすみ ませんでした」と答えた。 それを彼の律義さと判断しようか、それともマスコミの世界に生きる者の、マイクロホンに対 する悲しい習性と考えようか。 また別のテレビでは、捕縛されて車で連行される彼に、こんなことを訊いていた。 「お嬢さんに会いたいと思いますか ? とても可愛かったんですってね」 さなか これから連行されていくという最中、何のためにこういうことをいう。私はますますいやアな 気持になった。大衆のお涙をねらう一二文小説にも、これほど卑しく低俗な意識はない。このいや らしさにくらべれば、殺人者に向って、 「鬼 ! 畜生 ! ケダモノ ! 」 あくば と怒りに燃えて投げつける大衆の悪罵の方がよほど爽やかではないか。

3. 女の学校

ない、と解釈する。そこが立派である。 我ら中年以上の日本女性は、なぜか常に「真剣勝負」というところがあって、そのため何かと いうと、傷をつけた、つけられた、恥をかいた、かかされたとクョクョし、よろず消極的に、こ となかれ主義に暮して来た感がある。私は若者の、このノホホンとした楽天性を気持よく思って いたのである。 ところでこの番組で、相手の青年にスイッチを押した若い女性は、必ず司会者から、どういう 点が気に人りましたか、と問われる。すると彼女たちはみな一様に、ふしぎなほど一様に、ハン で押したように答える。 「ーー・やさしそうな人だから」 もう少し外に、何とかいいようがないものだろうか。私はいつも思う。 男がやさしいということは、いったいどういうことか、考えた上でいっているのだろうか、と。 これはもしかしたら、若い女性のポキャプラリーの貧困がいわせる答えかもしれないと思った り、あるいは男性に対するイメージの乏しさのためだろうかとも思ったりする。 「やさしそうな人だからスイッチを押しました」 その答えを聞くと私はその度にガッカリする。いっそ、「おとなしそうだから、アゴで使えそ う」とか、「いうことをよく聞きそうだから」くらい答えてみてはどうだろう。 「面白そうな人だから」

4. 女の学校

女が見たロッキード事件 ロッキード事件の証人喚問のテレビを見ていると、傍にいた女の人がいった。 「男ってすごいもんですねえ」 すると別の人がこういった。 「出世する人ってすごいものねえ」 全くその通りだと私も同感した。 断乎として真実はいうまい、真実を掘り起される手がかりを与えるまいと決意した ( それゆえ、 能面のように無表情になっている ) 顔が、言葉少なく答える。怒号されようと、詰め寄られよう と、その表情には毛ひと筋の動きも起らない。 校「私たち女は、いくら強くなっても、とてもああはいきません」 さたん のと我々は嗟歎した。 女 あれは、やつばり男の「ハラ」というべきものなのであろうか ? いじよう 敵に囲繞されて、ばっともろ肌ぬぎ、「斬るなと突くなと好きにしてくれ ! 」とわめく。殴ら

5. 女の学校

男のやさしさ 夫が愛人を作った。妻はその秘密を攫んで髪ふり乱して詰問した。 「あなたはなぜ、こんなことをしてくれたの、え、なぜです、なぜ、なぜ : : : 」 夫は黙して答えない。妻はますます躍起になって、 「なぜ答えないの、なぜ黙るんですか、妻を裏切っておいて、よくもまあイケシャアシャアとロ をぬぐってるわね : : : 」 とわめく。 わめきたくなる気持はわかるけれども、夫としてはその答えに困難を感じているであろうこと は、第三者として立ち会っているとよくわかるのである。 なぜ愛人を作ったか。 学 の「彼女の方がお前よりも魅力がある。あるいは肉感的だから。美人だから」 と、もし正直に答えたらどうなるか。 しかもそれが客観的事実であり、妻自身も口惜しいながらもそれを認めざるを得ない現実を背

6. 女の学校

と答えるおとなもいれば、 「お父さんに訊きなさい」 ( あるいはお母さんに、先生に、お兄さんに訊きなさい ) というおとな、 「うーん、大がなぜワンワンというかというとだな、つまに、ニヤアニヤアと鳴くと猫と間違え られるからだよ」 とついつまらない答えをして、 「じゃあ、猫はなぜニヤアニヤアと鳴くの」 「ワンワンと鳴くと大と間違えられるからさ」 「なぜ間違えられたら困るの ? 」 どこまでも追及されて、 「しつこいねツ、うるさいよ ! 」 と怒り出したりするおとなもいる。 しかしこの頃の幼児教育の指導書には、子供の質問に対しておとなは決していい加減に答えて はいけない、などという一条があって、教育熱心な親たちは子供の他愛ない質問にも一生懸命、 「大はなぜワンワンと鳴くか ? さあ、ママと一緒に考えましよう ! 」 と指導書にある通りの台詞をいったまではいいが、肝心のその後の言葉が続かないで、「どう 答えたらいいでしよう」と教育相談欄に投書したりするさわぎ。

7. 女の学校

いやアな気持 もう数週間前のことになるが、テレビニュースを見ていたら、愛人を殺害したという歌手が、 手錠をかけられた姿で飛行機から下りて来て、カメラマンの集中攻撃を受けている情景が写し出 された。歌手は頭を深く垂れてモミクチャになりながら歩いて行く。そのロもとにマイクをさし つけた男が訊いている。 「今の心境は ? 」 歌手は何か答えたらしい。ぼんやり見ていた私には聞きとれなかったが、マイクの男は更に、 「もう一言」 と迫る。すると、 校「おさがわせしてすみませんでした」 のと歌手が答える声が耳に人り、一瞬私は無惨というか、あわれというか、いやアな気持になっ 女 た。殺人者に心境を訊いて、それが何だというのだろう。 「おさわがせしてすみませんでした」

8. 女の学校

無駄は無駄でない 若い人に読ませたい本の題名と、それを推薦する理由を述べて下さいという注文をよく受ける。 若者向きの雑誌や週刊誌、また文化祭が近づいた高校や中学からもそういうアンケート用紙がよ く送られて来る。 その度に若い女性には若い女性向き、高校生には高校生向きの本をと頭をヒネって、リルケの 「マルテの手記」であるとか、アランの「幸福論」であるとか答える。すると、 「マルテの手記を読んだけれども難しくて少しも面白くありませんでした。これからはもう少し 『読む身になって』推薦していただきたいと思います」 と注文をつけて来る読者などもいて、私はヤケクソになってその次には、 校「おさげとニキビ」 のと推薦した。 女 「はーア、『おさげとニキビ』ですか。これは作者は誰です ? 」 と雑誌社の人が訊くので答えた。

9. 女の学校

142 私は傍の娘に、この広い海が呑みこんでいる幾万の青年たちの、悲痛な最期を語りたいと思う。 しかし、どんな一言葉を使えば、あのむごたらしい現実を娘に伝えることが出来るのか、私にはわ からない。どんなに熱弁をふるっても、娘はただ、 「ふーん」 というだけだ。平素は気の強い母親の目にふと浮かぶ涙を、娘は当惑して眺めるだけなのであ ある日、私の家へ電気屋さんがテレビの修理に来てくれた。働きざかりの屈強の壮年である。 その人は、戦争に負けた時は小学生でした、といった。この小さな町にも陸軍の守備隊が三十人 ほどいて、アメリカ軍の上陸に備えていたのだという。 都会ほどでないにしても、食糧事情はきびしく、「浜の子供たち」はいつも空腹だった。ここ は今は牧場の町だが、当時は農家が主体の村だった。 ひんびん 「浜の子供」たちは空腹に耐えかねて、農家の畑へ芋を盗みに行った。あまり頻々と盗まれるの で、農家から学校へ苦情が行った。 「すると先生がわしらを集めてこういったですよ」 と、電気屋さんはいった。 「芋を取って走って逃げるから泥棒になる。そこに坐って食べろ。そうしたら、ご馳走になった ことになるから、泥棒ではない :

10. 女の学校

て行ったであろう彼女の心のうちを思うと、私は腹を立てつっ暗澹となるのである。 人から借金を申し込まれたときは、断乎として断わるか、さもなければ返してもらおうと思わ ずに「与える」っもりで金を渡せ、と私はよく友達から教えられる。それが本当の親切というも のだと、人はいう。返してもらおうと思って貸すから、返って来ない時は腹を立て、相手を憎む ということになるのだ、と。 しかし私は、相手が「必ず返します」といっているからには、その一一一口葉を信じたいのだ。返し ます、といっているのに、返さない場合のことを思って「このお金はあげます」とはいえない。 それは「返す」といっている相手に対して失礼ではないのか。 そんな風に考える私は、いわれるままに金を貸して、返って来ないと怒り狂う。そしてそうら ごらん、だからはじめから返してもらおうなんて思わなければいいのよ、と人から説教される。 誰も相手を信じた私に同情せずに、信じたことを幼稚だと笑い、愚かだと呆れるのである。 世間を見廻すと、人はみな怒らずにすむように、己が身を守るために、上手に切り捨て作業を 行っているようである。その切り捨てを上手に行えば、私もかくも怒らずにすむのであろう。人 学はいう。 の「本当の親切とは、切り捨てるところは、冷静に切ることよ」 私が人を脅かさぬためには、他人の切迫した音声や必死の表情や、ふと垣間見せる人間のあわ