その前に五、六人の男女が円卓を囲んで坐っている。相談にのるレギュラーの人たちで ある。カメ一フはその人たちの沈痛な表情をも写す。年輩の女性のしんみりした小声がマイ クに人った。 「 : : : 可哀そうにねえ : : : 」 司会者はしきりに目をしばたたいている。 私と一緒にその情景を見ていた家政婦のおばさんはエプロンの端で目を抑えた。 「ホントにねえ : : : 子供に罪はないんだからねえ : : : 」 「子供の身になったら、これはたまんないわねえ : : : こんなところに引っぱり出されて 「父親は見てるんでしようか」 「さあ : : : 」 「見てたとしたらどんな気持でしよう」 い「それはやつばり : : たまんないでしよう」 の 家政婦のおばさんは泣く。 いカメラは泣いている母親を写し、子供を写し、沈痛なる表情の回答者の席をぐるーっと 老 なめて行って止る。某女史がおもむろに意見を開陳しておられる。 と、故意か偶然か、その静止した場面の後方にもう一台のカメラが控えているのが映っ
162 ぼうぜん けている。そのことに私は呆然とする。 しんせいこうろう 一度、関西漫才の長老、ぼやき漫才の人生幸朗夫婦が登場したことがあった。春の海の かこう ようにのどかで悠揚たる語り口。絶妙の間。徴風を誘う快い音楽を聞き、美酒佳肴に酔う 心地であった。 私は大いに笑った。笑いつつ涙ぐんだ。 この涙、これこそ老いらくの涙である。 失われて行くものへの痛惜の涙である。 取り残されし者の悲哀の涙である・ おおげさ : と、漫才ひとつにも大袈裟な感懐がくつついてしまうのだ。 ある時、またテレビを見ていた。ワイドショウの、蒸発尋ね人の時間である。 父親が蒸発し、残された若い母親と二人の子供がスタジオに来ている。子供は小学生と 就学前の兄弟である。兄の方が直立していった。 「おとうさん、早く帰って来て下さい。ほんとに困っています」 ゆが カメラは弟をアップにする。キョトンとしていた顔が次第に歪んで半泣きになりながら、 まねけなげ 番組のアシスタントに促され、兄の口調を真似て健気にいう。 「おとうさん、早く帰って来て下さい。困っています」 カメ一フは母親を捉える。母親はハンカチに顔を埋めている。 とら
心の現れですから」 私「だからね、高いものを貰うとこっちだって負担を感じるじゃないの。手土産って。 のは、相手に負担を与えるもんじゃないのよ。第一、アタマを使ってないわ」 家の者「でも安いものだと失礼に当ると思われるんですよ」 私「金額じゃない、心ですよ、手土産は」 なに、ホントは羊羮は嫌いで、大福が好きなだけのことなのだ。それをブップッグジ〃 ジ、「心ですよ、手土産は . などというようになっているのが、我ながらおぞましい。 かもブップッいいながら、嫌いな羊羮食ってる。 ☆ いよいよ、ばあさんスタイルになったと思うのは娘がつけるテレビを横から見ている吐 である。 い漫才プームとかで、正月からこっち、漫才ばかり見させられているが、しかしあまり の わない。といって怒るわけでもない。ただむつつり、ポーツとして見ている。ポーツと 1 いているのは、何をいっているのか、さつばりわからないからである。何という早ロ。目 ( 老 カーツガラガラッと耳・もし 前を石炭積んだトロッコが、全速力でふっ飛んで行くようだ。。 を走り抜けて行く。何が何だかわからない。娘は笑っている。テレビに写る観客も笑い一
「そうねえ・ : : ・」 と気の抜けたサイダーみたいになっている。 間歇温泉が湧き出した時だけ、急に狂ったように怒るのは、今、ここで怒っておかない じんきょ と、すぐにダメになる、という、なんだか腎虚の親爺さんがふともよおした時みたいな、 浅ましいというか情けないというか、厄介なことになって来た。 なげ 更に我ながら歎かわしいことは、「しかし五十八歳にしてはお早いじゃないですか」な どといわれ、ないエネルギーをふり絞って、「怒ったフリ」をしてみせることで、それも また、腎虚男に似通っていてイヤである。 また更に歎かわしいことは、憤怒のタッマキが巻き上らなくなった代りに、ブップッ、 ブップッ、文句ばかりいうようになって来たことだ。それも実にくだらないことでブップ ッいう。 しにせようかんもら 手土産に老舗の羊羮を貰った。 私「また羊羮。どうして、こう羊羮ばっかり来るのかしら」 家の者「だって、高いんですよ、五千円はします」 私「だから、高すぎるというのよ。高けりやいいってもんじゃないわ。三軒茶屋の越後 屋の大福なら一個五十円だわ、十個で五百円よ」 家の者「でも、羊羮を持って来られたということは、高価なものをさしあげたいという さんげんぢやや
老いらくの笑い 人生の坂を、今、急速に下っているな、と思うことがある。 かんけっ エネルギーが、間歇温泉みたいに時々湧き出るだけになった。三、四年前までは虎視 にら ほうこう 眈として世の中を睨み、咆吼怒号を楽しみとし、かっ、消費したエネルギーに還元する一 おういっ とによっていっそう元気横溢したものであったが、今はちがう。 おやし 若い頃、「あのうるさい親爺さんも年をとって丸くなりましたねえ」などという言葉わ 耳にしたが、「丸くなる」ということは人間が出来て角が取れたのではなく、単にエネ こかっ ギーが涸渇して来ただけのことであったと、今にしてわかる。なにも感心するほどのこし ではなかったのだ。 「そんなことをおっしやらずに、どうか大いに怒って下さいよ。佐藤さんが怒らなくな いと私たち、寂しいです」 の という編集者の人などいて、以前なら、 い「なにツ、そんなこといっておだてて書かそうたってダメだ。陰で悪口いってるくせ たちま と忽ち怒ったものだが、この頃はただ、ヘラへラ笑って、 たん
156 ある時、男の子が二人、父親と一緒に出て来た。例によって母親が男と蒸発したのであ る。男の子は二人とも小学生で、上は三年生ぐらい。顔は瓜ふたつである。その瓜ふたっ の顔はまた、父親とそっくりである。そっくりな三つの顔がプ一フウン管の中に沈痛神妙に 並んでいるさまは、哀れ過ぎて腹が立ってくる。 その時、司会者がいった。 「キミ、お兄ちゃんね、お母さんて、どんなお母さんだった ? 」 子供、憮然として口を噤んでいる。 おぼ 「お母さんのこと、いろいろ憶えてるでしょ ? 優しかった ? どんなお母さん ? 」 子供はいった。 「ーーー肘が黒かった・ : : ・」 「肘が ? : : : 」 司会者は一瞬唖然としたがすぐ態勢を立て直し、 「そう : : : 肘が黒かったの : : : それから ? 」 「膝も黒かった : : : 」 「膝も : : : そうなの」 司会者はいった。 「今は夏ですから、洋服の袖も短いのを着ていらっしやるでしよう。どうかごらんの皆さ ひざ ひし あ そで
152 ひと月はあっという間に過ぎてまた締切が来た。 またまた書けない。 と Z 子をすし屋へ行かせる。そこでしゃべらせる。しゃべってるうちに何とかなるか と思っていたが、いくらしゃべっても何ともならない。 編集者曰く「今回こそと思っていましたが、なかなかかかりますねえ。二人はいったい どうなるんでしよう ! 」 ホンマ。どうなるのか、私も知りたい。 私が苦しんでいるのを見て友達がいった。 「なにもムリにセックス場面を描写することないじゃないの、そういう場合はカットする のもひとつの見識でしよ」 「それはその通りなんだけど : : : 」 と私はロごもる。 これが文豪、大家であれば見識で通るのだ。書こうとすれば名文が書けるのだが、あえ て書かぬ、さすが、ということになる。 だが私の場合はこうなる。 「書けないものだから、逃げたな ! 」 そう思われるのがシャクである。
やっとキスしたものの、その後、どうすればいいのかわからない。仕方なくカミナリ族 をそこへ登場させた。 オート・ハイは四台連なって走って来て、 Z 子との方など見向きもせず、真直前にひた と目を据えた姿勢で、爆音を引きずりながら遠ざかって行った : : : 」 たも 笑い給うな。これでやっとキス場面を終了することが出来たのである。 漸くキスはすませたが、その後にまだ難関が控えている。 ある日、は Z 子を遠出に誘った。 しかし誘ったからにはなさねばならぬことがあるのである。 そのなさねばならぬことというやつが、どうにも書けないのだ。 締切は迫る。しかし書けない。 仕方なくその月は、日曜日の女医の診療所に早期破水をした妊婦が来て、女医は出かけ られなくなることにした。 いわ 編集者曰く「いよいよかと楽しみにしていましたら、お産が始ったりして、先生もなか 話 なか読者の気をもたせることがお上手で」 な ャそのうち次号の締切が来た。 また書けない。 そこでと z 子の方はそのままにして、副主人公の方へ話を反らした。 151 ようや
150 はじめのうちは女医の一方的な思慕であったからよかったのだが、いつまでもそうして いては話が広がらないので、ある日、ついにキスをさせた。この数行のキス場面で難渋し、 停滞したこと四日、原稿用紙を二十枚近く書きつぶした。 二人がはじめてキスをするのは秋の夜道である。片側は材木置場でもう片側は倉庫が並 んでいるところだ。男が女医に向って、 ひきよう 「先生は卑怯だ」 なんていう。女医は、 「いけないわ、さん」 と叫んだりする。 ( ナニが「いけないわ」だ、なんて思いつつ書く ) とにかく早くキスさせてしまいたいのだが、なぜかそうならないのだ。 あとずさ 「は Z 子を引き寄せようとするように片手をみ、 Z 子はそうさせまいとして後退りし た」 つな なんてまだやってる。二人の手が繋がったまま腕がいつばいに伸び、 z 子は、 「どうなさったの、さん、おかしいわ」 この期に及んでまだそんなことをいっているのだ。自分で書いておいて「まだそんなこ とをいっているのだ」というのもヘンなものだが。 やっと二人はキスをする。 つか
シャクな話 149 方はどうしたか。喜んで応じたか、イヤイヤ応じたか、喜んでいるんだけれどもイヤイヤ 応じたフリをしたか、それをまた片方はどう感じたか。 x 子の裸はどんな色、どんな形か などと、べつに書かなければいけないという決りはないのだが、当今のようにそのような はんらん 小説が氾濫してくると、編集者や読者の中にはその場面に期待をこめている人が大勢いて、 そこのところを飛ばすと、不満を洩らされるのが困るのである。 私はべッドシーンというやつがどうにもニガテである。べッドシーンでも、べッドの中 けんか ののし で喧嘩するとか、ムリ強いしてくるのを蹴飛ばすとか、インポあるいはソーローを罵ると むつ・こと かならスラスラ書けるのだが、「睦言」というやつが困るのだ。 「愛してる」 「好きよ」 せりふ なんて台詞を書くためには歯を喰いしばらなければならない。 ☆ その私ががらにもなく恋愛を主題にした小説をある女性誌に連載しはじめたのである。 未婚の母である中年の女医が、年下の男に恋をし、男も次第に心動かされて行く、なん ていうプロットを立てたために、毎月、歯を喰いしばって机に向うという因果なことにな ってしまった。 けと