ハラさせられるのがハラ立たしいのである。 ☆ 客船が沈没しかけて乗客がポートに乗り移るシーンがある。ポートには子供、老人、女 が乗り、屈強の男は母船に残る。ポートは一刻も早く母船から離れなければならないのだ。 なのに男の恋人である若き女は、ポートに移るのはイヤだといって男の首にりつく。 そんなにいうのなら母船に残せばいいのに、男はムリャリポートに乗せようとする。女は イヤがる。死ぬなら一緒、などと叫ぶ。 全く、ポートの乗客の身にもなってみろというのだ。 ようや 漸く女は納得してポートに移る気になる。ャレャレと思いきや、ポートから身体をのば して長々とキスが始るのだ。 「キスなどしている場合かツ」 私は憤慨する。二度、三度、息を吸い人れるために顔を離してはまた吸いつく。 魂「いいかげんにしろーツ」 ポ 私は怒鳴らずにはいられない。 だいたいアメリカ映画を見ていると、火急の際にやたらとキスをする。敵に囲まれ、妻 とと と子供は助けを求めに走り、男は一人踏み止まって闘うことになる。とにかく一刻も早く からだ
女の泣き場所 私は映画を見るのは好きだが、他人と一緒に見るのは好きでない。殊にいやなのは試 会で見ることで、試写会ではうつかりしていると主催者から感想を書かされるのではな、 かという心配がたえずあるのだ。折角、試写会に招待されて、「つまりませんでした」「田 作ネ」などというわけには行かない。さりとて、感心もしない映画を、「とても面白う・一 ざいました」などとにこやかにいう芸当は到底私には出来ないのである。 中でも私のニガテは「感動巨篇」というやつを他人と一緒に見ることだ。白状すると うた は感動感動と宣伝で謳っている映画に感動したためしがないのである。だから、男も女。 老いも若きも「感動の涙を絞った」という「エレファント・ マン」も、一緒に行きまし」 うと誘われたが、固辞した。 感動感動といわれると、どこかにウソがあるにちがいないと思ってしまう。事実、見一 場いるとウソが目につく。しかし、 泣「ようございましたわねえ : : : 感動しましたわア」 女 と同行の人がみな目を赤くして感動を語っているのに、自分だけ感動しなかったとい久 ことになると、何だか人間として失格したような気がして、無理にも感動したような顔
です、飼主の顔が見たいといわれねばならない。 「大の面倒を見きれない人、しつけの出来ない人は大を飼うべきじゃないわね。大を飼う には飼主としての資格といったものが検討される時期に来ていると思いますわ」 「それじゃあ、そのうちに母親の資格審査を受けてから子供を産めということになります か、アハ と高笑いしたのが精いつばいの抵抗である。 「うちのチコチャンは利ロでねえ、その上に信仰心までありますのよ。私が毎朝、お題目 を上げていると、後ろへ来て一緒にお題目を上げるんです」 と自慢する奥さんがいるが、大としてはべつにお題目を上げているつもりはないのだ。 とおぼ 奥さんのお題目の声に誘われて単に遠吠えをしているに過ぎないのである。 大がサイレンや汽笛や豆腐屋のラツ。ハと一緒に遠吠えをするのは、野生の時代に森林や 草原で仲間と遠吠えをかわし合った習性が今なお残っているからだと識者はいう。 へつに信仰心でも何でもない。 奥さんのお題目がチコチャンの遠い習性を呼び起すのだ。。 そういえばかって我が粗大の中に、娘が笛を吹くと一緒に、遠吠えをするのがいた。 「コンピラフ、不フ、不 おいてに帆かけてシュラシュシュシュ」 それに合せて「オーオオーオーオオー」と吠える。その声を聞くと「うちの大はお歌が
と興奮した声が電話から流れ出れば、 : ご主人 ( とふり向いて ) やつばり奥さんは男性と一緒 ( 「やつばり : ・一緒でしたか・ した : : : 」 と司会者は声を落す。 ぷぜん 憮然たる中年男の顔が写し出され、その隣で子供が泣いている。時には赤ン坊まで狩 出され、その場合はおばあさんがついて来ていて、赤ン坊の顔がよく見えるようにカメ = の方へ向けたりしている。すると視聴者の方は、 「ほんとにまあ、こんな子供を残してよくまあ、男と出て行く気になるものねえ : : : 」 「どういう気なんでしよう。親の責任感というものはどこへ行ったんでしよう。世の中 ) ってるわね」 と憤慨し、あるいはハンカチで涙を抑えて同情する。その時、憤慨したり泣いたり批Ⅷ したりするのはたいてい女性視聴者で、男は黙って見ている。何を考えているのだろう。 す・こ 係 関「いい女だな。美人じゃないけど、これはアッチが妻いぜ」 い なんて思っているのかもしれない。男ってだいたいそういうものだ。同じ野次馬でも亠 いはマジメな野次馬なのである。 思 ☆ やしうま
180 と手早く取って実物を見せてくれるとか、 「こっちは大の蚤、こっちは人間の蚤、ほら、大きさが違うだろ。大の蚤は人間につかな いから安心しなさい」 とか。我々は害虫どもと共に生きて来たのだ。 「ママが三つぐらいの時です。夜中に一緒に寝ていたばあやがものの気配にふと目を醒ま まくらは すと、二十センチほどもあるムカデがママの枕に這い上ろうとしているではないか。それ を見たばあやはどうしたか。打ち殺すにも手近に何も武器はない。とっさにしていた腰巻 たた を外して。ハッとムカデにかぶせ、庭に持って出て腰巻の上から石で叩いて殺してしまっ た」 私は娘に説教した。 「これがあんただったらどうか。キャーツと叫んで子供もなにもほったらかして逃げるで しよう。そんなおとなに育てられるこれからの子供は可哀そうだ。親は何ものも怖れず、 子供を守ってやらなくてはならないのにゴキプリぐらいで泣き騒いでいてどうするか ! 」 「そんなこといったって、小さい時から虫と一緒に暮してないんだもんムリだよう : : : 」 「全く今の子供はだからダメなんだ ! 」 といううち、いろいろと思い出して来た。 「そうだ。虫といえば、我々は回虫にも悩まされた ! その頃の野菜は化学肥料ではなく
102 ときた。仕方なく子供は自分の寝室に人る。そこへ母親が帰って来る。子供が帰って来 たと知って子供部屋へ行く。子供を抱いて涙を流し、優しく「おやすみ」という。 ハラが減って眠れる 冗談じゃないよ ! それでも親か ! 子供の身にもなってみよー かというんだー しかし数日後、新聞のテレビに投書が出た。 「映画仔鹿物語はすばらしかった。 ( 中略 ) 子供に素直に愛情を表せない母親、父親と息 子の男同士の友情。一家の生活には親と子を越えて、一緒に生きる人間の会話が感じられ た : : : 」 ( 同様投書七通 ) いま しかし私は感動するどころか、腹ペコのまま寝かされた子供のことが未だに気がかりな のである。
218 と答えたら、芳村さんがびつくりして、 「またまた、そんなことを : : : 」 お姉さんのようにたしなめられた。 だって本当にそう思ってるんだからしかたがないよ。 「だいたいね、こんなシナリオでは手も抜きたくなるわいな、と思われるような脚本が多 いですから」 まぶた とロもとまで言葉が出て来たが、その時、″ハラハラしている友達。の顔が瞼に浮かん で、辛うじて押しとどめた。 「だからあなたは敵を作るのよ」 と友達はいう。その通りだ。私にもよくわかっている。 生れたばかりの赤ン坊を見て、 「まあ可愛い ! なんて可愛いんでしよう ! 」 と叫び声を上げる人と一緒に出産見舞に行くと私はいつも往生する。 「ねえ ? 可愛いわねえ : : : 」 ムリャリ同意を求められて、せいぜいいえるのが、 「大きいですねえ、何キロ ? 」 みずびた 中には大きくない赤ン坊もいて、子猿の毛をひきむしって水浸しにしたようなのが白い かろ
その前に五、六人の男女が円卓を囲んで坐っている。相談にのるレギュラーの人たちで ある。カメ一フはその人たちの沈痛な表情をも写す。年輩の女性のしんみりした小声がマイ クに人った。 「 : : : 可哀そうにねえ : : : 」 司会者はしきりに目をしばたたいている。 私と一緒にその情景を見ていた家政婦のおばさんはエプロンの端で目を抑えた。 「ホントにねえ : : : 子供に罪はないんだからねえ : : : 」 「子供の身になったら、これはたまんないわねえ : : : こんなところに引っぱり出されて 「父親は見てるんでしようか」 「さあ : : : 」 「見てたとしたらどんな気持でしよう」 い「それはやつばり : : たまんないでしよう」 の 家政婦のおばさんは泣く。 いカメラは泣いている母親を写し、子供を写し、沈痛なる表情の回答者の席をぐるーっと 老 なめて行って止る。某女史がおもむろに意見を開陳しておられる。 と、故意か偶然か、その静止した場面の後方にもう一台のカメラが控えているのが映っ
156 ある時、男の子が二人、父親と一緒に出て来た。例によって母親が男と蒸発したのであ る。男の子は二人とも小学生で、上は三年生ぐらい。顔は瓜ふたつである。その瓜ふたっ の顔はまた、父親とそっくりである。そっくりな三つの顔がプ一フウン管の中に沈痛神妙に 並んでいるさまは、哀れ過ぎて腹が立ってくる。 その時、司会者がいった。 「キミ、お兄ちゃんね、お母さんて、どんなお母さんだった ? 」 子供、憮然として口を噤んでいる。 おぼ 「お母さんのこと、いろいろ憶えてるでしょ ? 優しかった ? どんなお母さん ? 」 子供はいった。 「ーーー肘が黒かった・ : : ・」 「肘が ? : : : 」 司会者は一瞬唖然としたがすぐ態勢を立て直し、 「そう : : : 肘が黒かったの : : : それから ? 」 「膝も黒かった : : : 」 「膝も : : : そうなの」 司会者はいった。 「今は夏ですから、洋服の袖も短いのを着ていらっしやるでしよう。どうかごらんの皆さ ひざ ひし あ そで
目の上の怒り虫 フランスの思想家アランにいわせると、それは白血球の増減のせいだから気にすること はないということだが、見るもの聞くもの、やたらと怒りの元になる時と、見るもの聞く もの上機嫌の元、何でもおかしくなる時とがある。 先週は何もかもが腹立たしい週であった。読売新聞を読んでいると人生相談に次のよ うな相談が出ていた。 「大企業の管理職にある四十五歳の男性。平凡な見合結婚で一緒になった妻は従順で明朗 なタイプで、中学生の子供と三人の平和な家庭を営んでまいりました。ところが一年ほど 前から同じ会社の二十三歳の女性と交際するようになり、その初々しさにひかれ、愛を感 じるようになってしまいました。私の気持を告げたところ、彼女も私を愛しているとのこ 虫と、今では唇を許し合う仲です : : : 」 怒 ここまで読んで私は突如、ひとりで怒号した。 の の「何です ! これは ! 『今では唇を許し合う仲です』 は。四十五歳にもなって ! キモチ悪い ! 」 怒りつつ次を読む。 211 何いってるんだ、この男