その前に五、六人の男女が円卓を囲んで坐っている。相談にのるレギュラーの人たちで ある。カメ一フはその人たちの沈痛な表情をも写す。年輩の女性のしんみりした小声がマイ クに人った。 「 : : : 可哀そうにねえ : : : 」 司会者はしきりに目をしばたたいている。 私と一緒にその情景を見ていた家政婦のおばさんはエプロンの端で目を抑えた。 「ホントにねえ : : : 子供に罪はないんだからねえ : : : 」 「子供の身になったら、これはたまんないわねえ : : : こんなところに引っぱり出されて 「父親は見てるんでしようか」 「さあ : : : 」 「見てたとしたらどんな気持でしよう」 い「それはやつばり : : たまんないでしよう」 の 家政婦のおばさんは泣く。 いカメラは泣いている母親を写し、子供を写し、沈痛なる表情の回答者の席をぐるーっと 老 なめて行って止る。某女史がおもむろに意見を開陳しておられる。 と、故意か偶然か、その静止した場面の後方にもう一台のカメラが控えているのが映っ
☆ ところで昨日、私は末知の女性から手紙を貰った。その手紙によると彼女は三十二歳の しゅうとめ しゅうと 主婦で、姑を三年前に見送り、今は・ハ十七歳になる舅の世話をしているという。 その六十七歳の舅はこの頃、町立の老人クラブでお茶汲みをしている若い未婚の女性を 好きになったらしいという。 舅はその女性と一緒に映画を見に行き、帰りにディスコへ行って、楽しいひと時を過す ことが出来たお礼にサンゴのイヤリングをプレゼントした。 舅は自分の年、自分のウスラハゲ頭や総人歯をも省みず、その女性も自分を好きになっ てくれたと思い込んでいる。 しかしその女性の方は、舅を「特別に」好きになったわけではなく、もともと親切で気 に人ると、漸く収人、地位も安定してほっと一息、気がゆるむ。そのゆるみの時を妻の手 づな 綱さばきで無事にやり過すようにしなければならないと、母から教えられていたにもかか わらず、「フン、あんなプ男が」と思って油断していたのが失敗のもとだった、と彼女は 述懐した。 なるほど″むつかしい年頃〃にもいろいろあるわけだ。成育途上もむつかしいし、成育 完了してもむつかしい。 もら
シャクな話 149 方はどうしたか。喜んで応じたか、イヤイヤ応じたか、喜んでいるんだけれどもイヤイヤ 応じたフリをしたか、それをまた片方はどう感じたか。 x 子の裸はどんな色、どんな形か などと、べつに書かなければいけないという決りはないのだが、当今のようにそのような はんらん 小説が氾濫してくると、編集者や読者の中にはその場面に期待をこめている人が大勢いて、 そこのところを飛ばすと、不満を洩らされるのが困るのである。 私はべッドシーンというやつがどうにもニガテである。べッドシーンでも、べッドの中 けんか ののし で喧嘩するとか、ムリ強いしてくるのを蹴飛ばすとか、インポあるいはソーローを罵ると むつ・こと かならスラスラ書けるのだが、「睦言」というやつが困るのだ。 「愛してる」 「好きよ」 せりふ なんて台詞を書くためには歯を喰いしばらなければならない。 ☆ その私ががらにもなく恋愛を主題にした小説をある女性誌に連載しはじめたのである。 未婚の母である中年の女医が、年下の男に恋をし、男も次第に心動かされて行く、なん ていうプロットを立てたために、毎月、歯を喰いしばって机に向うという因果なことにな ってしまった。 けと
たそがれ 黄昏のいろいろ 女学校の同窓生が集って四方山話に花を咲かせた。私よりも年上の人もいれば同い年の 人もいるが、だいたい六十歳前後というところだ。社長夫人、学者夫人、停年勇退者夫人、 末亡人、いろいろである。 ・フォンダと たまたま、「黄昏」というアメリカ映画が話題に上った。主演のヘンリー キャサリン・ヘップ・ハ ーンがアカデミー賞の主演男優賞、女優賞をそれぞれ受賞した作品 であり、かつ「老後の夫婦の理想的なあり方を描いている。倖せな老後を願う女性には是 非見てもらいたい映画です」という推奨の文章などを読んで見に行った人が多い。 私「で、どうだった ? 感想は」 社長夫人「よかったわア、画面がとってもキレイなのよねえ。はじめに湖が出て来るの。 二羽の水鳥が泳いでるのよ。それ見ただけでジーンときたわ。あんなところで老後の休暇 うらや を楽しめるなんて、ホント、羨ましいわ」 末亡人「そう、私もそう思いながら見てたの。それにあの老夫婦がステキな夫婦なのよ。 妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ : ろう・もう 社長夫人「そうそう、夫の方は八十歳になって老耄しかけてるのね。それに性格的にも よもやまばなし しあわ
190 前中に電話をすると、まだ来ていませんといわれる。私の家は会社じゃないから、まだ来 ていません、もう帰りましたとはいえない。会社じゃないから、対談よりもカレイの方が 大事なのである。 私の家は会社じゃない。しかし「マイホーム」といえるような場所でもない。いうなら ばそば屋というところだ。時かまわず電話のベル。 「ザル二枚、急いでネ」 といわれ、たとえ便所に人っている時であろうとも途中で切り上げて走って行き、機嫌 よく、 「毎度ありイ」 といわなければ奴は傲慢だと謗られる。 「何だあのそば屋は ! 生意気なそば屋だ。それが客に対する態度か ! 」 と人々は怒るのである。 ☆ ある夜、読者だという女性から電話がかかって来た。 「佐藤愛子さんいらっしゃいますか」 「はい、私ですが」 やつごうまん そし
女の年はどこで数えるか 電車に乗っていると、 「その年頃がねえ、一番むつかしいのよねえ」 「それで困っているんですよ。どうしたらいいかと思って : : : 」 「お察しするわ」 という声が聞えて来て、私は同行の女性と顔を見合せた。 「一番むつかしい年頃 : : : 幾つだと思う ? 」 「十五か十・ハあたりじゃないの ? 子供から大人になりかけの、子供でも大人でもない、 徴妙な年頃よ。対等の存在としてあっかうには理解力が不足しているし、そうかといって 子供あっかいすると反発する : : : 」 「そうかもね。今はやりの登校拒否かしらん」 「家庭内暴力 : : : 」 「恋愛問題かしらん : : : 」 「それとも妊娠したのかな」 とにかく十代のまん中あたりというのは心身共に不安定に揺れつつ、日々成長して行っ
124 奥にいる人 「奥さん」という呼称は、いつも奥にいるからそう呼ばれるようになったのだと子供の頃 教えられた。 「家内」という言葉も「家の内にいる人」という意味である。主人の後ろにいて決して表 立った振舞いはせず、外から帰って来る夫を待っている者とされているのです、とも教え られた。 「戦前は本当に『奥さん』『家内』と呼ばれるのにふさわしい女性が沢山いましたねえ。 しとやか、従順、出しやばらず、ひたすら夫を尊敬して尽しているご婦人が : : : 」 という人がいたが、いやいやどうして、家の奥に引っ込んでいることはいるのだが、香 典の中身はこれでは多過ぎますとか、いくら親友だからといって、そこまで面倒みること はありませんよとか、この見積りは高すぎる、どうして簡単に承知したんですか、もう一 度行って、二割引きにするように掛合ってごらんなさいよとか、あなたはナメられてるん ですよ、怒鳴っておやんなさいよとか、奥であれこれ細かに采配を振っていたようである。 だから、 「あいつ、ケチでねえ」 さいはい
104 「がんばって、がんばって、三番テープルまでお願いします」 こわいろ とキャ・ハレー呼び出しの声色。 「 xx くん、よく頑張りましたね ? 」 とスポーツ解説者。これで高校野球や大相撲が行われていたら、テレビの中は「がんば は ります」が飛び跳ねることになる。 かいよう そうくん 先日、川上宗薫さんが食道潰瘍の手術をした。数日後、容態を訊くために留守宅へ電話 をかけた。 「川上さん、いかがですか」 すると留守番の女性はいった。 「はい、頑張ってます」 川上さんという人はおよそ、「ガン・ハルとは縁の遠い人である。その人が「頑張って ひんし のうり る」ということになると、これは非常事態ではないか。私の脳裡には、瀕死の床に喘ぎつ つ、死ぬまいとして目を剥いている川上さんの姿が浮かんだのであったが、後で聞くとそ の頃、川上さんははや看護婦さんの品定めをしてひとり楽しんでいたとか。 ( もっとも、 これも「頑張ってます」ということになるのかもしれないが ) ☆ ずもう あえ
と興奮した声が電話から流れ出れば、 : ご主人 ( とふり向いて ) やつばり奥さんは男性と一緒 ( 「やつばり : ・一緒でしたか・ した : : : 」 と司会者は声を落す。 ぷぜん 憮然たる中年男の顔が写し出され、その隣で子供が泣いている。時には赤ン坊まで狩 出され、その場合はおばあさんがついて来ていて、赤ン坊の顔がよく見えるようにカメ = の方へ向けたりしている。すると視聴者の方は、 「ほんとにまあ、こんな子供を残してよくまあ、男と出て行く気になるものねえ : : : 」 「どういう気なんでしよう。親の責任感というものはどこへ行ったんでしよう。世の中 ) ってるわね」 と憤慨し、あるいはハンカチで涙を抑えて同情する。その時、憤慨したり泣いたり批Ⅷ したりするのはたいてい女性視聴者で、男は黙って見ている。何を考えているのだろう。 す・こ 係 関「いい女だな。美人じゃないけど、これはアッチが妻いぜ」 い なんて思っているのかもしれない。男ってだいたいそういうものだ。同じ野次馬でも亠 いはマジメな野次馬なのである。 思 ☆ やしうま
目の上の怒り虫 フランスの思想家アランにいわせると、それは白血球の増減のせいだから気にすること はないということだが、見るもの聞くもの、やたらと怒りの元になる時と、見るもの聞く もの上機嫌の元、何でもおかしくなる時とがある。 先週は何もかもが腹立たしい週であった。読売新聞を読んでいると人生相談に次のよ うな相談が出ていた。 「大企業の管理職にある四十五歳の男性。平凡な見合結婚で一緒になった妻は従順で明朗 なタイプで、中学生の子供と三人の平和な家庭を営んでまいりました。ところが一年ほど 前から同じ会社の二十三歳の女性と交際するようになり、その初々しさにひかれ、愛を感 じるようになってしまいました。私の気持を告げたところ、彼女も私を愛しているとのこ 虫と、今では唇を許し合う仲です : : : 」 怒 ここまで読んで私は突如、ひとりで怒号した。 の の「何です ! これは ! 『今では唇を許し合う仲です』 は。四十五歳にもなって ! キモチ悪い ! 」 怒りつつ次を読む。 211 何いってるんだ、この男