116 洋食にはマナーが必要です、とて新知識がいろいろ教えた。 すなわ ナイフとフォークはかように並べまして、使いまするときは外側から順々に、即ち料理 の一皿ごとに新しいものを使用するわけでありまして、日本のように、はじめから終りま はし で、汁も飯も二の膳一二の膳すべて同じひとつの箸を使用したりはいたしませぬ、西洋の贅、 ひれき かくのごときものであります、などと西洋通を披瀝している時、思いがけない質問が出た。 「先生、ではご飯は、どれでいただきますのでしよう」 新知識はハタと困った。なぜなら西洋では。ハンを食し、別皿の飯を食べるという習慣は ないのである。 ハタと困ったが新知識としては「さあ、それはわかりません」とはいえない。何しろ彼 は″新知識〃なのである。とっさに考えを廻らして答えた。 「さよう、飯は主食でありますからして、菜と併行して食します。従って一口ごとにとり 替えるのも面倒ゆえ、肉を食べているときは肉のフォーク、魚のときは魚のフォークを用 うれば結構であります」 といってから、それだけでは何となくもの足りなく感じられた。何しろ西洋の風習とい うやっ、いろいろと日本とは反対に出来ていることが多い。おいでおいでをするとき、日 本は手のひらを下に向けるが、西洋では上に向ける。日本では直接、人に触れることを非 礼とするが、西洋では握手、接吻によって親愛の情を表現する・ せつぶん めぐ ぜい
停年勇退者夫人「そうなのよ、そうなのよ、火をつけさせたら、火事になりかけちゃう のよね。あれもアタマにきたわ。うちの主人もそうなの。せんでもええというのに、暇な もんやからノソノソ出て来て、いらんことばっかりするのん」 にわ たか と俄かに故郷の言葉になったのは、感情が昂ぶって来た証拠である。 「この間もせんでもよろしいというのに、洗濯機廻したら、私のエプロンのポケットに千 あろ 円札一二枚人ってたのを、そのまま洗うてしまうし」 私「けどそんなところにお札、人れといたあんたが悪いわ」 停年勇退者夫人「洗濯する前にはポケットの中調べるのは常識やないのん ! 」 私「そりや男の人に要求してもムリや」 停年勇退者夫人「そやからよ ! そやからなんもせんと、じーっとしててくれたらええ ねんよ ! 草ムシリさせたら、草むしらんとチューリップの芽むしってしまうし」 学者夫人「そういうけど、まだ洗濯でも手伝おうかと思うだけでも可愛いわよ。うちの 主人なんか、 : ホーツとしてジィーと坐って庭見て、『飯はまだか ? 』とか『京都の″おた べ〃が食べたい』とか。その " おたべ〃もね、名前忘れてしもてからに、『おい、おい』 つぶあん いうて忙しいのに私を呼んで、何かと思たら『あの京都の、三角の中に粒餡の人ってる菓 子、何やったかなア』というのんよ。いきなりそんなこといわれてもわからへんやないの。 『何ですのん、そんなもん、知らんわ』ていうたらエライ怒ってからに、『わからんという かわい
ら親孝行するぞ、なんて本気で思ったりしたのね」 「それが今は、有難がるどころか何もかも当り前。自分の好きなものは。ハク。ハク食べて、 まずいものは母親が食べるのが当然だと思ってる ! 」 そういいながら彼女は固くなった饅頭を焼き始めた。 「考えてみると昔の子供はたいへんだったわねえ、ガマンばっかりさせられて」 しか 「そうよ。年中、おとなから叱られ、用事をいいつけられ、威張りちらされ、やれロ答え するな、やれ親を尊べ、親のいいつけに背くな、やれ親孝行しろ : : : そういわれても実に 素直に受け人れてたわねえ」 批判したりしなかったじゃな 「ガマンガマンの連続よ。それでも親を。ハ力にしたり、 い ? 」 「さんざん、おとなからガマンさせられ、そして、おとなになった今は、どうだろう ! 」 んそういって、彼女は焼き上った饅頭を皿に人れた。 ま「さあ、アイちゃん、食べてちょうだい」 い 「はあ、ありがとう」 ら け「おいしいでしょ ? 焼きたてのお饅頭って」 残 「ええ、おいしいわ」 といったものの、この頃の饅頭、皮に何が混ぜてあるのか、焼いてもヘンに固くて歯の
110 「そりやそうよ、大好きなんだもの」 「大好きなものなら、もっと感謝して食べなさいよ。私たちが子供の頃は、ケーキなんて クリスマスか誕生日か、お客さまでもなければ滅多に食べられるもんじゃなかったわ。そ しようばん れもお相伴ではなくて、お客さまが手をつけなかった時だけ、やっと子供のロに人ったの よ。ねえ ? アイちゃん」 「そうやったわねえ。だから時間をかけて、一口一口、じっくり、ゆっくり食べたのよ」 「あんまり早く、姉や弟より先に食べてしまうと、ひとの分が欲しくなるでしよ。だから ほぼ同時に食べ終えるように、あんばいしながら食べたもんよ」 うらや 「いや、同時じゃない。まわりよりも少し遅れて、羨ましがらせて、見せびらかしながら 食べるのよ」 「そうして食べ終った時の虚脱感 ! 」 「『祭は終った ! 』とでもいうような : : : ぼんやり、がっかりした気持。『この次はい っ ? 』といった期待をこめて皿のクリームをいつまでもなめてたわ」 ミミッチクなって行った。 と話はだんだん、 かわい 「でも親はそういう子供がいじらしく、可愛く、自分は食べないで、子供に一つでも沢山 食べさせてやろうとしたものだったわ」 うれ 「『お母さんはいいから、お前おあがり』といってもらった時の嬉しさ ! 大きくなった
残したらいけません まんしゅう 久しぶりに旧友の家を訪ねると、彼女は固くなった饅頭を前に怒っているところだった。 もら 何を怒っているかというと、四日前に饅頭の二十個人りを貰ったが、大学生である娘の << 子さんは饅頭なんか、といって食べない。無理に二つ食べさせ、あとの十八個を彼女ひ とりで一日に三つずつ、四日かかって食べた。 しかし饅頭はまだ残っており日に日に固くなって行く。今日も大学から帰って来た娘さ んに食べさせようとしたが、娘さんはそれを拒み、お母さん、そんなもの捨てればいいじ ゃないの、どうしてお母さんはそうケチなの、といったという。 彼女は憤激し、ケチとは何だケチとは、腐ってもいないのに食物を捨てるなんてどうし てそんなもったいないことが出来ますか、といえば娘さんは、食べたくない古饅頭を無理 に食べるなんて、どういうイミがあるの ? どうしてそういう無意味なことにお母さんは 一所懸命になるのよ、といい返し、彼女はそれならいい、お母さんがひとりで食べますよ。 こういう古くなったお饅頭だって焼いて食べれば結構おいしいんです、何です、あんたた ちは、そんなこといってると今にバチが当るわよ、と叫んでいるところへ私が行ったので あった。
まいものを訪ねて三年。いつだったかも、 : この歯ざ 「 : : : お麸にもいろいろありまして、一口にお麸といいますが : : : なるほど : わりは何とも : : : 」 という声が聞えて来たので、夕刊を読んでいた目を上げると、友竹さんが口をもぐもぐ させながらしきりに感心している。彼の前には煮たのか焼いたのか、どう見てもうまそう には見えない丸い麩が皿に並んでいる。気の毒に、その日の料理はどの皿もどの椀も麩 ばっかりで、これが私なら、 「いや、これは : ″一日金魚〃の気分ですわ」 みは ぐらいいうところだが、友竹さんは一口噛んでは大きな目を瞠り、更によく玩味するご うなず とくにその目をつむり、うんと肯いておもむろに感想を述べる。 人は奇怪に思うかもしれないが、私はそういうときに感動する。友竹さんは以前、立派 くちひげ な口髭の持ち主であったが、この料理紹介番組が始って間もなく、食べものを食べる場面 を写すのにあの髭は不潔である、という視聴者の投書を見て、決然、髭を剃り落した。 場実にくだらないことをいう手合がいるものだ、そんなもの黙殺すればいいのに、とその 泣時私はひとごとながら憤慨したのだったが。 ( むやみやたらと「感動巨篇」を見て感動す 女 るのはそういう手合にちがいない ) がんみ わん
「ねえ、アイちゃん、お饅頭を焼いて食べると香ばしくておいしいのよねえ」 と彼女は百万の味方を得たようにいう。 「そうよ、薄皮が焦げて中のアンコが熱くなってるのを、フウフウ吹きながら食べるのは なかなかオッなもんですよ」 と私も賛成した。 「そうでしよう ? それなのに、うちの娘は食べないの。この頃の子供ときたら、生意気 にもお饅頭を・ハ力にするのよ」 「べつにバカにしてるわけじゃないけど、おいしいと思わないんだもん」 と娘さん。 「だからね、それが生意気だというのよ。私たちの子供の頃は、おかずの好き嫌いという のはあったけれど、お菓子の好き嫌いをする子供なんていなかったわ。いたとしたら半病 ん人だったわよ」 ま「そんなこといったって、嫌いなものは」 い と娘さんがいうのにおっかぶせて、 ら し「饅頭は嫌い、ヨウカンも食べない。チョコレートも甘すぎるという。クッキーの箱人り なんか、少しばかり食べ散らすとすぐに飽きて、そのまま湿らせてしまう。そのくせ、高 いショートケーキだったら、。ハク。ハク食べる ! 」
ッペコペ時代 大分前のことだが、ふと地方局のテレビをつけると「鮭をおいしく食べましよう」とい う公開番組が開かれていた。講師の男性が数人の主婦を前にして、マナイタの上で手際よ く鮭をおろしながら、 しつぼ 「鮭は一万キロも行って帰って来たんですから、出来たら頭から尻尾まできれいに食べて やりたいですね」 といっている。 聞いていて何だか妙な気持になった。 「一万キロも行って帰って来たんだから、ご苦労さんと慰労って、そのまま放してやりた いんです、けれどね : : : 」 というのかと思ったら、「食べてやりたいですね」ときた。 鮭が聞いたら何と思うだろう。 ゆきどけ 鮭は雪解の頃に生れ故郷を去って海へ出、三年も四年もひたすら海を泳いで成長し、そ して産卵のために生れた川へ帰って来るのだ。川を上るときは食物を食べず、一心不乱に 産卵場へ突進し卵を産む。そのメス鮭に片ときも離れずについて来たオスは、卵が産み落 ねぎら さけ
113 残したらいけません 笑い合って焼饅頭を食べ、お茶を飲む。 と、彼女は急に立ち上った。 「本当に食べてるかどうか、お茶を持って行くフリして見届けて来なくちゃ」 これはもう教育というよりも勝負なのであった。
肉や魚の皿は顔のまん前にあるからいいが、ライスの皿は正面より左手にある。従って 顔を左の方へ曲げて突き出し、少しでもライスの皿に口を近く持って行かなければ、途中 でフォークの背からご飯がおっこちる心配がある。 そんなこんなの心配のために、洋食を食べるときは、運動会のスプーン競走さながら、 いずれも真剣な面持ちになって、 " 食事を楽しむ〃どころではなくなった。こういう妙な とり決めをした人は、何か世の中に恨みでもあったのではないかと思えるくらいである。 ☆ いったい、いつ、どんな人が考え出したことでしよう、といろんな人に問うたが、いず れも、 「さあ ? : : : 」 と首をかしげるばかりである。 そこで考えるに、それは文明開化の頃に西洋通として幅を利かせていた″新知識〃がい 婦い出したのではないのだろうか ? セご維新になって明治新政府が日本の近代化にハツ。ハをかけ、男はザンギリ頭にシャッポ 工 をかぶり、上流婦人はヘっぴり腰でハイヒールを履いて。ハラソルをさし、洋食を食べるよ うになった。