さまを見てびつくりし、我が家のチョンチョン雛の粗末なことに気がついたのである。 「トモチャンチのお雛さまは簟笥や鏡台があるよ」 という娘の一一 = ロ葉にさすがの私も胸を突かれ、仕方なく、 「ふン、簟笥みたいなもん ! 」 といったのは、我ながら知恵のない返事だった。 今年、何を思ったか娘は何年ぶりかでチョンチョン雛を押入れから出した。 「見れば見るほどお粗末な顔ですなあ」 といいつつ飾っている。 「それはね、手造りの味というやつよ」 「ふーう、手造りの味ね工、ものはいし 、ようですな」 「おばあちゃんは、この雛人形の顔にはオモムキがあるっていってたわー 「オモムキねえ : : : オモムキとはいい言葉だなあ」 娘はいった。 「そういえば松田さんチで今度生れた赤ンボ、なかなかオモムキのある赤ちゃんよ」 キそういう娘がオモムキのある花嫁になるのはいつのことかー モオモムキ嫁がオモムキ雛を持って嫁入りするー その日が待遠しいような、待遠しくないような。来年の三月もこのオモムキ雛は茶の間に よぎ 飾られるのであろうか。それを思うと、いささかの感傷が胸を過るのである。
118 と怒った。こんな超安モノを買わねばならなくなった我が家の衰退を思って涙するのでは なく、怒るというところが佐藤家の家風なのである。 三五〇〇円のお雛さまは、ガラスケースの中に納まっている。それでもちゃんと五段あっ ばやし そろ て、内裏さまに左大臣右大臣、三人官女、五人囃子、右近の橘、左近の桜も揃っている。 これだけ揃って三五〇〇円 ! 古道具屋で買ったんじゃないよ、デ。ハ ートだよ、これを見つけるのにどれだけ歩いたこと か。どこを探しても三五〇〇円のお雛さまというのはなかった。五〇〇〇円のケース入りと いうのなら幾つもあったが。五〇〇〇円のにしようか、三五〇〇円のにしようか、財布握り しめて迷いに迷った末、エイ ! 安い方にしよう ! と決意を固めて買ったのだ。 「しかし、見れば見るほど、安モンくさいねえ と老母は怒るのをやめて、感心して眺める。 「わたしは生れてから、こんなけったいなお雛さん、見たことないわ」 といいながら、そのうちに、 「けど、何ともいえんオモムキがあるわなあ」 というようになった。 そういわれれば確かにオモムキがある。よく見ると雛人形の顔ひとつひとつがみな違うの である。上等の雛人形は内裏雛も官女も囃子もみな一族、といった似通った顔をしているも のだが、この雛人形の顔は平べったいのや丸いのや、上から押えたボタ餅ふうのやいろいろ だいり
空ブリの青春 傷心の癒しかた 男の理想・ 理想のムコサン 前世の話・ 神サマが見せる夢 : 我ら日本人 母の孤独・ オモムキ雛・ 娘が美人になる時 旅について 恥かしがりの私 ・ : 九八 一 0 四
あって、またその目鼻立ちが何とも情けないのた。目、鼻、ロ、いかにも粗末である。細筆 の先でチョン、チョン、チョン、えーと、月末の支払いはどうするか、とにかく早くこれを 仕上げて、金を貰って : : : などと考えながらいい加減に描いたような、そんな顔なのだが、 しかしその粗雑さが「オモムキ」をかもし出しているといえないことはない。 しかし三歳の我が娘は大よろこび。 ( ああ、あの頃は娘も純真だったねえ ) そのチョンチ ョン雛の前で、雛まつりの歌を歌うのであった。 八あかりをつけましょ 。ほん・ほりに おはなをあげましょ もものはな ごーにんャパシのふえたいこ きようはたのしい ひなまつり : 娘は五人ばやしというところを、なぜか五人ャパシと歌うのである。 いってごらん、五人バヤシ」 キ「ヤ、、ハシじゃない、五人。ハヤシでしよ。 モ「五人。ハヤシー 「よろしい。わかったね」 「うん」 もら
オモムキ雛 桃の節句が来たので、我が家でも押入れの奥からお雛さまを取り出して茶簟笥の上に飾っ さよう、我が家のお雛さまは茶簟笥の上に納まるような小さなものなのである。価、僅か 三五〇〇円、二十三年前といえども、最安値のものだった。 その頃、我が家は貧乏のどん底。まあ、「どん底」にもいろいろあって、隣へお米を借り に行き、お向いへ味噌を借りに行って日々を暮す、というような「どん底」もあれば、つい みずばな に隣へも向いの家へも行けなくなり、子供は水洟たらして空腹に泣く、という「どん底」も ある。子供の水洟は多くの場合、栄養失調から来ているそうなのだ。 我が家の「どん底」はそこまでは行かなかったが、まあ、ひとが安くて六、七〇〇〇円、 キ高くて三〇万円からのお雛さまを買う時に、我が家は三五〇〇円のを買うという、そういう モ「どん底」であった。 私がこの三五〇〇円のお雛さまを買って来た時、私の老母は呆れて、 「こりや、 よこや ! 」 こ 0 ひな あき ちゃだんす アタイわず