ースデートウュウ、などと歌ったことはなかったのである。 しかし六十歳の誕生日に親しい編集者の人たちから還暦を祝われて、赤い上等カシミャの ちょうだい カーディガンを頂戴した一昨年から、何となく誕生日というと何人かの女友達が集ってくれ るようになった。 リポンのかかったプレゼン しかしハッビー ースデーを歌わないことはいうまでもない。 トを受け取って、 「まあ、うれしい ありがとう ! 」 と胸に抱きしめたりするのは似合わないから、プレゼントはなしということになっている。 その代り一人一品、何でもいい手料理を持ってくる、一品以上はいかん、というきまりだ。 中山あい子さんはああ見えて料理の達人で、去年はレンコンのきんびらが絶品だった。こ うう料理は年季の入った主婦でないと作れない。週刊誌の—さんは、大べテラン婦人記 者だが、この人のそら豆のふくませ煮も凡手には真似の出来ないもので、仕事を持っている からといって料理ひとっ満足に出来ないというような当今のキャリアウーマンとはデキが違 矗うのである。 の一人一人が頭を絞り、心こめて作って下された料理の皿がテー。フルの上に並び、盃に酒を ジ満して、 「それでは : : どうも : ・・ : おめでとうございますー 「ハイ、どうも : : : ありがとうございます・ : : ・」 223
空ブリの青春 あれは娘が大学一一年のことだったと思う。 娘は同じ大学の「エンドーくん」という男子学生を好きになり、 ・エンドーくん : 「ああ、エンドーくん、好きだア : と毎日毎日、うるさくいうようになった。 エンドーくん、エンドーくんって、いったいどういうひとなんだよ、と訊くと、大学の一 年上の学生だという。いつも五人連れで歩いている。その中の一人が食堂で、 「おい、エンド と呼んだので、エンドーという名前らしいことがわかったのだ、という。 ー」と呼んだからといって、果して我が娘 春五人も一緒にいれば、その中の一人が「エンド はっきりしないではないか。私はそう のの憧れの人がエンドーという名前であるのかどうか、 カ思うのだが、娘は「エンド ー」だと勝手に思い決めて、朝から晩まで、 空 「ああ ! エンドーくん ! エンドーくん ! 」 と溜息をついている。 あこが
勿体ないということを知らない。固くなった饅頭はどうして食べようか。焼くか、油で揚げ ゼリーを買うのは、それからです ! 」 るか、蒸すか : : なぜ工夫して食べようとしないー 「そんなこといったって、ママだってお饅頭、食べないじゃないの」 「それは食べませんよ。キライだから。しかし、ママはその代り、饅頭がなくならない限り ゼリーも買わないー 「そんならいつまで経ってもゼリーが食べられないじゃないか : : : 」 「だからゼリーが食べたければ、まず饅頭を食べることです。そもそも、この頃の若い連中 かいしよう ときたら、甲斐性もない癖に浪費する。浪費を美徳だと思い、質実をケチだと考える。お釜 にこびりついたご飯粒にしてもそうよ。あんたはいくらいっても洗う時に流してしまうでし よう。ママは飯粒はザルに入れてちゃんと犬のご飯の中に入れていますよ。一粒のお米でも こも 農家の人の汗、労苦が籠っていると思えばおろそかには出来ないんだ。しかしそれをいうと、 今の若い者は何というか。ただのケチだとしか思わないだろう。自分を反省せずして、相手 あの悪口を言う。だいたいね、 ( とここで突如、飛躍する ) この間も映画館に入ったら、立っ ン、ている人がいつばいいるのに、平気で隣の座席に紙袋を置いている手合がいた。自分の横に こういう手合は十年前ま チ人が立っているというのに、だよ。それも一人や二人でない : では皆無だった。もしいたとしても酔っ払いのおっさんとか、他人に無関心のよくよくのエ ゴイスト、非常識者だけで、男にはいたが女にはいなかった。それを何そや、この頃の女ど も、一人で二人分の席を占領していることを恥とも思わず、『そこ、空いてますか』と訊か もったい くせ
りのいいところを見せたつもりである。 かんじん ところで肝腎のダンスの方だが、レーザー光線の交錯する中で、我を忘れて青春を。フチま けるナウいダンスとはどういうものであろうか。私は娘にその実演を命じた。 「なによウ、こんなところで、音楽もないのに踊れるわけないしゃない」 といいながら娘はシプシブ、色々な型を踊ってみせた。 いやはや、驚いたねえ。 両手。ハタ。ハタ犬かき風にもがいているかと思うと、一本足でキリモミ型あり、応援団ふう、 トビ蹴りふう、コンニヤクふう、クルッと廻っておテテ。ハチンと打ち鳴らし、出そうなオシ ッコこらえ型。何です、その天ッキ体操みたいなのは、というと、ジョン・トラボルタがテ レビの O でやってたでしようが、という。 要するに自分の思うまま、好き勝手に手足を動かし身体をよじっていればいいのたそうで ホある。 「それを男の子と向き合ってやってるのかね」 ホ で 「そうよ」 や だとすると男はキリモミやってるし、女は出そうなオシッコこらえ型をやっている。てん でに好き勝手をしているのなら、なにも二人で向き合ってやらなくても、一人で踊っていて もいいではないか。 「そうもいえる。だから相手なしで一人で踊ってる人もいるわよ」
かる。 ちょっと待って、覚悟なんか出来てないよといっても間に合わない。覚悟を促しているの ではなく、これから殺すそ、という挨代りの一 = 〕葉なのだ。つまり、覚悟というものは常日 頃から固めていなければならない。固めているのが当然であるから、「覚悟はよいか」は挨 拶の一 = ロ葉として通用するのである。 人間、年を重ねれば老い衰える。それが人間の自然である以上、これも覚悟の上である。 それを老い衰えるのがいやだといって、無理に頑張って早朝ジョギングをして心臓がおかし くなり、死期を早めた人がいる。年より若く見せようと、ミニスカートにハイヒールを履い て地下鉄の階段からおっこちて脚を折り、滑り易い階段を作ったというので地下鉄を告訴す るといっていぎまいた人がいる。 これもあれも覚悟が足りないからそういうことになるのだ。 この頃私はしきりにそういうことを考えている。愈々わがはいも老境に入ったからには、 覚悟、覚悟、覚悟の毎日だ。いっ死んでもよい覚悟。いっ仕事がなくなってもよい覚悟。 悟っ娘が嫁に行って一人になってもよい覚悟。またいっ娘が離婚されて帰って来てもよい覚悟。 れその時は孫を育てさせられるかもしれない覚悟。仕事がなくなったら家を売る覚悟。ポケて 生人から悪口をいわれる覚悟。卑しめられる覚悟。 もっとも、ポケてしまえば何もわからなくなるから、いくら覚悟を決めておいても無駄か もしれない。だからこの覚吾は私が決めるのではなく、まわりの人間に決めてもらうしかな
いで窓から飛んだりする : : : 」 「わたしは飛びたくないのよ。何とかして生き延びようと考えてるのに、ママがそばでわア イクジナシー わア騒いで、なにノソノソしてるの、さっさと飛ぶのよッ ! 何がこわい 生きたって死んだってたいしたチガイはないツ、なんて怒鳴られると、仕方ないから飛んだ りして : : : 」 いかにもありそうなことなのだ。 私は言葉がない。 「そうしたら新聞に出る。『 xx ホテル火災。死者一名。作家佐藤愛子さん、飛び降りる』、 なんてね。たいした火事にならずに間もなく鎮火して、宿泊客も従業員もみんな無事なのに、 たった一人だけママが死んでる。皆がふしぎがって、いったいどうしてセンセイは窓から飛 んだりなさったんですか ? って訊かれると私、返答に困るのよ。とにかく怒って、怒鳴り ながら飛んで行ったんです、っていうしかない。そのうち週刊誌なんかが、『奇怪、佐藤愛 子さんの死』なんて見出しで騒ぐ。その場に居合せた娘のキヨーコさんは、な・せそれを止め なかったのか、疑惑を持たれている、なんて書かれる。世間の人に佐藤愛子という人間のキ 心ャラクターを呑み込ませるのはむつかしいのよ。火事に腹を立てて飛びました、なんていっ の てもわかりにくいだろうしねえ : 娘 そういえば何年か前のホテルニージャパンの大火の時、窓べりに立ちすくんで、襲って ほのお くる焔の中で頑張りぬいて助かった人がいたけれど、あの人は本当にエライ人だとっくづく
「うるさいツ、 いくらでもいいから持ってけー どな と怒鳴ったりするので、店はとうとうつぶれてしまった。そういう家系、奇人変人の血が 脈々と流れ伝わっている一族なのである。 奇人変人の集りであるから、「妥協」を第一の心得としなければならぬ会社勤めが出来る わけがない。私の四人の兄、その息子たちに到るまでサラリーマンとして生きている者はた だ一人しかいない。しかもその唯一のサラリーマンだって、最初からサラリ ーマンを志した わけではなく、したい放題幾山河越えて来て、仕方なくサラリーマンになった、という人間 この私は二十八歳頃、文学の才能に絶望して、聖路加病院へ勤めたことがあったが、勤め はじめて十日目にはもうイヤになった。まず第一に椹え難く思ったことは、決った時間に家 を出て、決った時間に勤務先に入り、決った時間に家へ帰ってくることである。大半の人が 平気で行っていることが、私にはたまらなく苦痛だった。自分が時計の振子になったようで、 生きている気がしない。 何よりも私は自由に生きたいのである。自由であれば貧苦などへでもない。古代ギリシア の哲学者ディオゲネスは家の代りに樽の中に住んでいた。たまたまアレクサンドロス王がデ イオゲネスの評判を耳にして会いたいと思った。しかしディオゲネスは王の招きに応じない ので、仕方なく王の方から会いに出かけて行った。そして王は樽の中のディオゲネスにいっ 0 - 」 0 ぶりこ
132 下ろす鉱泉宿は谷の底にカサブタのように張りついていた。 そこでの客は私一人である。時々、近在の農家の人たちが、骨休みに日帰りで湯に入りに 来る。ドブドロ湯は何日も湯に入らないその人たちの手足の土の汚れと汗と垢によって作ら れたものだったのだ。 「しかし、今にして思うと、あの臭いは異臭ではあったけれど悪臭というよりはむしろ、製 かしい臭いだったねえ」 「やめて。食事中にそんな話」 と娘は顔をしかめる。 「何しろ、ママは着のみ着のまま。以前から着物を売って溜めていた二万円だったかの金は あるけれど、あんまり無駄遣いは出来ないから、下着なんかも買わないんだ。だから風呂へ ハン、ノーシャツなんだよね。素肌の上にじかにセー 入った時に洗濯すると、乾くまでノー ター着て、チクチクするのを我慢して炬燵にしがみついてる。雪空がつづくと洗濯物が乾か ないから、洗った。ハンツは生乾きで炬燵の中で乾かす。その安石鹸の匂いの中で焼いた饅頭 の味はまた格別でしたな」 娘は顔をしかめたきり、何もいわない。 「つまりね、そういう旅こそ、思い出に残る旅であってね。これそ青春の旅ですよ ! そう いう旅を楽しめないようではダメだ。あんたも青春時代の思い出に、是非、そういう一人旅 をして来なさい。行っていらっしゃい、行っていらっしゃい ぜひ
こで、 「ーーー皆さーん : としいかけた、その時である。ふと見ると向うから、散策の人をかき分けるようにして、 薄汚れた一台の車がやって来るではないか。運転席には学生というか、浪人生というか、あ るいはやくざ稼業のアンチャンというか : : とにかく今は人相によって人物を想定しにくい あふ 世の中で、 ( 昔は学生は学生らしく知識欲に溢れて引き緊った顔つきをしていたし、やくざ げどうか はやくざらしく、外道に賭けたスゴミを漂わせていたし、浪人は浪人らしく、どことなくう らぶれていたから、すぐに何者かと推察がついたものだが ) 何者かはよくわからないが、一 口にいえば「むさくるしい若者ーが二人並んでいる。 それが私の目の前を、 ( さすがにス。ヒードをゆるめているが、その分そのノロノロが邪魔 つけ ) 通っていくのだ。思わず私は怒鳴った。 「ここは歩行者天国だよ ものすごい大声になったのは、車の窓が閉っていて、聞えないといけないと思ったからだ。 傍にいた娘は、その声に一瞬、ギクリとして息を呑んだ気配である。まわりを歩いている 人たち、一斉にふり返る。中には行き過ぎかけて、立ち止っていつまでもふり返っているお ばはんもいる。と、車の中から、同じように大きな、ダミ声の返事が返って来た。 「わかってるよオ : そうして車はノロノロヨロヨロと進んで行く。歩行者天国のどまん中へ乗り入れてしまっ
157 上品な会話 ないんた。すると娘はいった。 「けど、そういわないと次の一一 = ロ葉が出て来ないのよウ」 そうして娘は「ウインドウショッ。ヒングはやつばり一人でするわ」といったのであった。