私 - みる会図書館


検索対象: 娘と私の時間
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1. 娘と私の時間

といわれるまでもなく、それくらいのことはちゃんと反省している。しかし人生の真実というも のは、そのような綺麗ごととは関係のないところにあるということもまた事実なのである。 さて十一月五日、昼すぎ、私は広島から帰って来た。娘は学校へ行っている。いったい娘は今 日が私の誕生日であることを覚えているだろうか。多分、彼女は忘れているにちがいない。母親 の誕生日はおろか、今日が何日かということさえ、忘れているような娘だ。 私は一時間ばかり昼寝をし、それから久しぶりで書棚の整理をはじめた。と、書棚の抽出しか ら一束の手紙が出て来た。 一番上にある草花模様の封筒の上に、 「佐とう愛子様 火」 A 」 - っ tJ よ - っこ」 と書いてある。私は中身を引き出した。 「ママ、私はママが大すきです。このあいだママがふく岡へ行っているときでも、よ中に目がさ めてしまいました。ママはほんとにおもしろい人です。にぎやかな町はママのいるときのように 見えますが、ママがいないときは町がはかばのように見えます。ママのひざの上にあたまをのせ るといっぺんにねむくなってねむれます。ママのあたたかい手は、まるで手におひさまがあるよ うです。ママはたんきでおしゃべりなところがあります。でも私が一番うれしいのはおもしろい ところです。ママはいつも外にでて、かえった日はおしごとです。三年のとき、なわとびをした

2. 娘と私の時間

から三度目の夏だ。家は一軒家で、隣人といえば三百メートル余りも、だらだら坂を下ったとこ ろにある牧場である。家の背後は草の生い茂っている山で、三方は視界が開けている。左手に海 が見え、右手に日高山脈が望見される。目の下は牧草地がひろがり、向うの丘陵には馬が放牧さ れている。 宏大なこの大自然の中に呼吸をしてると、我々もおのずから自然に還るのである。 「ウォーイ ! 」 朝、私は窓を開けて挨拶をする。誰に挨拶をするのか ? 自然に対してだ。木、草、海、太陽、 石ころ、野の花、烏、鳶、馬たちすべてに対しての挨拶である。 元来、私は声が大きな人間である。 あなたはかげ口をいったことがないのね、と人からいわれたが、私がいうとかげ口にならず喧 嘩を売ってることになるのは、ひとえに、この大声のためなのだ。 それでも東京の家で生活をしている時は、隣近所を思って、もっと出したい大声をいくらか押 えている。だがここならどんな声でも出し放題だ。 誰に遠慮気がねもない。私はテラスに出て大声で歌う。 「やなぎのえーだにネコがいる だからアねこやなぎイ : 私の娘はすぐに調子に乗ってくる女の子である。私が歌いはじめるとノコノコやって来て一緒

3. 娘と私の時間

「ふふ」 と笑って、 「背くらべ ? 幾つになっても子供だねえ、あんたも」 ごま化すのである。 二人で並んだ写真を眺めると、どうやら娘の方が大きい。背丈が私を追い抜いたばかりでなく、 若いニクが充実しているので、全体に私を圧倒している。 最近撮った写真など見ると、何だか、今まで見習い大工だったアンちゃんが、少し腕がよくな って、はりきって来た、という感じである。その娘と並んだ私は、殆ど本能的に胸を反らして劣 勢を補おうとしているが、気力はあるが衰退は蔽うべくもなく現れている老いたる棟梁、といっ た趣がある。 写真を眺めて私は感無量である。 娘の父がいなくなったのは、彼女が小学校一二年の時だ。その時よりこの母は、女の細腕ふるつ のて我が子を育てるために夜も眠らず原稿を書き、西に走り東に飛んで、テレビ、講演としゃべり とまくり、家を支え、この子を育てた。 ああ、何という苦闘の日々であったことか , 何たる頑張り、何たる健気さ ! 何という偉い母親であろう、私は :

4. 娘と私の時間

「ない」 「まだ何もいってないッ , いうことを終りまで聞いてから返事をしなさいッ ! 」 要するに私は、打ちこむ人間が好きなのだ。一心不乱、寝食忘れる人が好きだ。 「恋愛をするならトコトン惚れろ ! いい加減な惚れかたはするな ! 」 つい調子づいて叫ぶ。母親がかくも熱狂しているのに、娘の方はポーツとした顔で、 「ふ 1 ん。そういうもんスかネェ」 気の抜けた声で返事をされると、私はがっかりするのである。 ところで我がぐうたら娘は目下のところ試験の最中である。明日は英語のテストとかで部屋に こもっている。私の方はといえば、このところ、小説を書くのをやめているので暇である。テレ ビの「天才バカボン」を見てはひとりで喜んでいる。 私は「天才・ハカボンの。ハ。ハ」が大好きである。・ハカボンの弟にハジメという利発なコドモがい るが、こやつは嫌いだ。 ( どうも利発とか上品とか秀才とかいうのは性に合わん ) 私はまた「天才・ハカボン」の主題歌が好きである。その中でも好きなのは、 「元祖天才・ハカボンの 。、。、だからア 。ハなのだア」

5. 娘と私の時間

176 若い奥さんは私の思惑など無視して、ひとりで感激している。 「女の仕事にもいろいろあるけれど、何といってもシンガーソングライターが最高ですわ。作詞 家は歌詞を作るだけ、作曲家は曲を作るだけ、それを他人に表現してもらわなければどうするこ とも出来ないでしよ。ところがシンガーソングライターは、歌詞を作って、曲をつけて、そうし てピアノを弾きながら歌うんですからねえ。一人で三役、いや、四役もやっているんですもの、 けう ほんとうに稀有な才能の人たちなんですわ、我々、凡俗の三倍も四倍もの芸術の才能を神さまか ら与えられた選ばれた人たちなのよ ! ああ、うらやましい ! 私、憧れちゃう ! 」 「歌詞を作って、曲をつけて、弾き、語り、そして歌う。なるほど、忙しい人なんやねえ」 と私が感心すると、若い奥さんはむっとした顔になった。 「忙しいだなんて、ヘンないいかた ! 素直に多才というべきじゃない ? 」 自分に一つの能しかないものだから、多才にケチをつけたいのか、といいたげな顔である。私 はむっとして、 「大切なことは深さの問題です。才能の幅や数の問題ではないッ ! 」 そういってやろうかと思ったが、つらつら我が身をふり返ると、私はたった一つの、ものを書 く才能を深めておりますとは、いくら厚顔の私でもいい難い。 「ほんとうにこの頃は、才能ある若い女性がどんどん進出して来て、頼もしい限りですわ。失礼 ですけど、大正生れの方には全く見られない多彩な才能が方々で花咲いて来ました」

6. 娘と私の時間

娘は小遣を前借りしては、贅沢一二昧 ! : : : といっても、たかが金の縁どりのついているかけ鏡や ガラス瓶、人形などだが。 娘が私を部屋に人れたくない理由は、もしかしたらそのへんにあるのかもしれない。 それで私は娘の留守中にこっそり部屋に人ってみる。ジロジロとそのへんを眺めているうちに 棚の上に何やら汚ならしいものがのせてあるのが目についた。よく見ると娘が小学校へ人った、は かりのときに、私が作ってやったヌイグルミの黒猫である。 私はもともと不器用極まる人間で、学校時代、裁縫や手芸、手工の宿題は全部、姉にやって とりえ らっていた。取柄といえば喧嘩に強いぐらいで、料理の方は、まあ、食いしんぼうだったからそ れほど下手ではないが、手先のことはいまだに何も出来ない。それでも結婚したばかりの頃は、 新妻気分で夫に毛糸の靴下を編んだりしたが、どういうわけか、編むうちに、カカトのところが だんだん出つばって行って、カカトにコプのある人でなければ合わないというシロモノが出来ト り、そのナゾはいまだに解けないのである。 時その私が娘のためにヌイグルミを作ろうと思い立ったのだ。どんな人間でも一生に一度くらい は不可能に向って挑戦しようという気になるものだ。 娘私は端切をしまってある箱をかき廻し、黒と黄色のウールを見つけ出した。丁度、届いた婦人 四雑誌の附録に黒ネコの作り方が出ていたからである。 ぜいたくざんまい

7. 娘と私の時間

朧うことである。 そういう話を聞くと、私は「えらいお母さんだなア」とっくづく感心してしまう。私だったら どうだろう ? 「男の中にはそういうケッタイな奴がウョウョいる。だから男はアワレなのです」 し」、カ 「水をぶつかけろ ! 」 くらいしかいえないのが情けない。 ところで我が娘にもそんな経験があるだろうか ? 私は娘にその話をしてみた。すると娘はこ ともなげに、 「珍らしくないわよ、そんなオトコ」 「へーえ」 と私は驚き、 「じゃ、あんたもそんな目にあったことある ? 「あるわよ」 平然たるものだ。 「高一の夏休みのときよ。登校日だったので道を歩いてたら、材木置場の材木のかげに男が立っ てて、『ホラ、ホラ』っていうからふと見たら出してるんだ。それを見たトタン、笑うまいとし

8. 娘と私の時間

116 走しはじめた。 ハカハ力。ハカ じゃない。 ノカツ。、カツ。、カッ と地面を蹴る音に力が人っている。 「わアーツ、やるウ ! 」 「すごい ! 」 と見物人は感心しているが、私はびつくり仰天。いや、私よりももっと娘の方がびつくりして いることだろう。 カツ。、カッ ノ 馬は走りつづける。向うの方をぐるーっと廻って来て、あっという間に私の目の前を走り去っ て行く。娘は声も立てず、馬にしがみついているーーのだが、何も知らない人の目には、乗馬の 達人に見えるのであろう。 「もう長くやっていらっしやるんですか ? 」 と私に訊いて、 「えつ、はじめて ? 天才ですなア」 ほとほと感じ人っておられる。

9. 娘と私の時間

ることを私は知っている。 ( 知っているが何もいわないところが、私の親としての見識というか 怠慢というべきか、それは各自の教育論によって違って来るであろう ) 私はこのハッピを見るとヘッポコプロレスラーのつき人を連想する。田舎出の少年が、「ドラ ゴン何とか」というへッポコプロレスラーに憧れて上京して弟子になる。 「ドラゴン何とか」はド一フゴンを刺繍したガウンを着て威張っているので、弟子は同じものを芒 たくてたまらない。しかし弟子の分際ではそのようなものを着ることは許されないから、せめて ハッピに龍をヌイトリして僅かな喜びとしている、というアワレな弟子である。 そんなケッタイなものを娘が着ているのに、よく平気で黙ってるわね、と批判なさるお方もい らっしやるであろうが、青春というものの中には、しばしば、キチガイの要素が潜んでいるもの であって、それは時々、小爆発を起す。爆発したくならない青春なんてのは青春の価値なし、 私は考えているのである。 まことに、青春というものはおろかなものである。そしてそのおろかさに身をゆだねる時が斉 いよりはあった方がいいのだ。 我が娘も十年後には、 「あの時、よくもまあ、あんなアホらしいことにウキミをやっしてたわねえ」 と恥じ人りつつ、なっかしむであろう。人生はそういうところに面白さがあるのだと私は考安 ている。

10. 娘と私の時間

「自分で書けばいいじゃない」 「いや、あなたもママの子、ママの新たな才能が開花するところに立ち会いなさい 娘はしぶしぶ、紙と。ヘンを用意する。 「いい ? いうわよ」 私は始めた。 「ああ、新宿の街角に 今日もたたずむその人は」 娘はうかぬ顔で紙に書く。 「ましろきマフラーサングラス : 娘「ましろきマフラーサングラス ? ヘンなの 私「何がヘンなものか。えーと : : : ましろきマフラーサングラス : : : やさしき笑みをばたた えつつー 娘「ますますヘンなの」 私「レンアイ、ケッコン、浮気の相談 はたまた借金、受験のなやみ」 娘「やめた方がいいんじゃない。ひどすぎるよう」 私「うるさい。黙って書きなさい。