ハカボン - みる会図書館


検索対象: 娘と私の時間
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1. 娘と私の時間

に歌う。 「それでいいのだア それでいいのだア ポンポン ハカボン ハカボンポン ! 」 私は「天才・ハカボン」の強烈なファンなのだ。 「ママ。ポンポン・ハカボン、・ハカボンポンのところは、スタッカートよ」 娘が注文をつける。 「ポン ! ポン ! こうよ」 「わかった」 私は素直に応じる。 「ポン ! ポン , ハカボン ! ポン ! 」 の首をふって歌う。 と「そうそう、その調子、その調子 : ハカボンー ハカボンー

2. 娘と私の時間

というところである。 私は折にふれこの歌を愛唱している。この歌はなだらかに、いい声で歌ってはならない歌であ 「元祖天才・ハカボンの」 の「元祖」のところでは、「ガンソ」ではなく、「グワンソ」と荒く重々しく発音しなくてはい けない。そして「グワンソ」という時は首をひとふりする。 「グワンソ天才・ハカボンのオーオーオー 。、。、ツたカらア 。、。ハツなのだア」 娘が試験で部屋に閉じこもっているので、遊び相手のいない私は仕方なく、ひとりでその歌を 歌って楽しんでいる。 と、娘が部屋から出て来て、私のところへやって来た。 「ママ、ちがうわよ、その歌」 「どこがちがう ? 」 「元祖天才・ハカボンのオーオーオー。。ハ。ハツだからアじゃないのよ、元祖天才・ハカボンの、タタ : こうよ」 タ ( と娘は手拍子をとる ) 。ハ。ハだからア。ハ。ハなのだア :

3. 娘と私の時間

「だから、そう歌ってるじゃないの。 グワンソ、天才・ハカボンのオーオーオー 。、。、ツだからア」 「ちがうったら、。、。、ツだからじゃない。。、。、だかアらア・ 「ちがいませんよ」 「ちがってますよ」 「ちがってないッ ! 」 「ちがってるったら。いい ? よく聞いていなさいよ。 元祖天才・ハカボンの ( タタタ ) 。、。、だかアらア 。ハ。ハなのだア」 私は歌う。 「グワンソ天才・ハカボンのオーオーオー 。、。、ツたカらア 。、。、ツなのだア」 「ちがうったらちがう、よく聞きなさいよツ」 娘は歌い、 ・・よ

4. 娘と私の時間

「ない」 「まだ何もいってないッ , いうことを終りまで聞いてから返事をしなさいッ ! 」 要するに私は、打ちこむ人間が好きなのだ。一心不乱、寝食忘れる人が好きだ。 「恋愛をするならトコトン惚れろ ! いい加減な惚れかたはするな ! 」 つい調子づいて叫ぶ。母親がかくも熱狂しているのに、娘の方はポーツとした顔で、 「ふ 1 ん。そういうもんスかネェ」 気の抜けた声で返事をされると、私はがっかりするのである。 ところで我がぐうたら娘は目下のところ試験の最中である。明日は英語のテストとかで部屋に こもっている。私の方はといえば、このところ、小説を書くのをやめているので暇である。テレ ビの「天才バカボン」を見てはひとりで喜んでいる。 私は「天才・ハカボンの。ハ。ハ」が大好きである。・ハカボンの弟にハジメという利発なコドモがい るが、こやつは嫌いだ。 ( どうも利発とか上品とか秀才とかいうのは性に合わん ) 私はまた「天才・ハカボン」の主題歌が好きである。その中でも好きなのは、 「元祖天才・ハカボンの 。、。、だからア 。ハなのだア」

5. 娘と私の時間

「まあ、可愛い ! 」 と頬に両手を当てて、首を傾けたりするのが乙女というものである。しかし我が娘は一向にそ れらのものには感動を示さない。 今までに彼女が「わあ、可愛い ! 」と叫んだのは、天才・ハカボンとナマケモノだけとはー 「サワャナギ先生って、すてきなんだア」 とひとり感動している。なぜすてきかといえば、そのナマケモノの話を聞かしてくれたのがサ ワャナギ先生なのだそうだ。 どうも我が娘は、普通のお嬢さんたちと少し違うようである。 以前から少しはカワッテルと思ってたけど、これほどとは思っていなかった。このままおとな になって行ったら、困ることが沢山出て来るにちがいない。 例えば、おとなになるということは、心にないことでも、さも本当らしくいわなければならな いことである。 の知り合いの家で赤ちゃんが生れれば、お祝いに行かなくてはならない。お祝いに行けば寝てい とる赤ちゃんを見て、 「まあ ! 可愛いリ」 ともかくそう第一声を放たなければならない。たとえ心の中で、

6. 娘と私の時間

しかたなく、私は天才・ハカボンの歌の練習をつづける。 え ? 何時間やったかって ? 私だって世間に出れば、尊敬してくれる人も一人や二人はいる のだ。そんなこと、いえますかいな。 ◇クッキー騒動 私はクッキーというものが嫌いである。クッキーのどこが嫌いかといわれると、どうもうまく 答えられないが、やわらかくもなく、固くもないあの中途半端な歯ごたえ、甘くもなく辛くもな い、これまた中途半端な味が、どうも私ムキではないのだ。 「こんなものは赤ンポが食べるものです ! 大のおとなが食うものではない ! 」 と時々、怒号する。怒号するのは、なぜかこの数年、クッギーの贈り物が多く、中元、歳暮の 季節になるとクッキーの箱が山積になるからである。 時「お歳暮に何を貰うと嬉しいですか ? 」 とある新聞社から問われたので答えた。 娘 「クッキー以外なら何でも結構 ! 」 私のそんな「メントが記事になって出た数日後、謝礼として送られて来たものは何だったと思

7. 娘と私の時間

そういってるところへチリンチリン。 「あ、ママ ? それでね、どうしよう ? 」 「どうしようって、ホテル側が悪いんだから、責任とってもらいなさい」 「だけど、ダメなのよ、いつばいで部屋がないの。ねえ、ほかにどっか知らない ? 」 「どっか知らない、じゃなくて自分たちで探しなさいよ」 「探したのよ、だけどどこもいつばいなの」 それみろ、だからいわないこっちゃない。常々、念には念を人れろといっていた筈だ。その都 度、わかったわかったといって、ちっともわかっちゃいなかったんじゃないか , と説教するチャンスだが、電話代が勿体ない。そうこうしているうちに、電話はまたしてもプ 切れてしまった。 だから、はじめに十円玉を沢山用意しておかないでかけるものだからこういうことになる。京 都から東京へかけるとなれば、 ( しかもこのようにこみ人った事情となれば ) 十円玉をいつばい 用意してからかけるべきだ。 のアタマ、アタマ、常時アタマを使っていないものだから、こういうへマをやる ! とチリン、チリン、 今は親がい またかかって来た。その都度かけ直すと、料金がうんと損なんだぞ、・ハカモンー るからいいが、嫁に行ったらどうせ貧乏世帯、電話料ひとつにもアタマを使わなければならない

8. 娘と私の時間

110 心ゆくまで大声を発して好きな歌を歌うという幸福さえ、東京では阻まれている。いつだった か、雑司ガ谷の墓地へ墓参に行ったら、学生が下手くそなトラン。ヘットを鳴らしていた。私の・ハ カボンの歌なども、心ゆくまで歌おうとすれば東京ならさしずめ墓地へでも行くよりしようがな いであろう。 大声で愛唱歌を歌っているうちに、「大声を出す快感」というものに我々は捉われてしまった。 普通に話せばいいものを、 「おーい、響ちゃんよーう」 「なんだよーう」 「飯にするかよーう」 「一服するべ工 カ限りの大声でいい合う。 「わーい、いい天気だア」 「あーる晴れたア日にイ」 突然、マダム・ハタフライの独唱になったりする。 「音痴の歌はやめてちょうだアいよオ」 と娘もオ。ヘラ風になる。 「あーあ、なにゆウえにイわたしの歌を聞かないのオ。あーあ、なアぜ、なアぜ、 ( ここでひ