私がこんな風にカンニングに寛大なのも、実は私にはカンニングの経験があるのだ。女学校一二 年の時、私はマンダという親友と数学のテストでカンニングの申し合わせをした。 マンダは私の席のまうしろに座っているのだが、答えが出来たらマンダが後ろから小声でいう。 それが当っていれば私は頭をかく。当っていなければ何もしない。そういう約束をしたのだ。 今から考えると、何とまあ無駄で役に立たないカンニングのやり方を考えたものだと思う。 ( 劣等生はカンニングのやり方まで劣等であると、反省せずにはいられない ) やがて数学の問題が配られた。最初の連立方程式を解いたら 8 という答えが出た。その時、後 ろから、マンダの押し殺した声が、 「 5 ・ という。 なに 5 ? ちがう。私は 8 だ。 あわ 私は慌てた。どっちが間違えているのかわからないが、とにかく頭をかくわけには行かない。 私は必死でもう一度、問題にとり組んだ。マンダの方も慌ててやり直しているらしい。間もな 時 く、またマンダの忍び声がいった。 の 「 5 : その時、私は計算間違いに気がついた。正解は 5 である。はっきりその答えが私にも出た。嬉 Ⅳしさのあまり、私は思わず鉛筆を投げ捨て、両手でガリガリガリと頭をかき廻したのであった。
いるのか、ぜひ教えていただきたいと思いまして」 と秘書女史はいう。そういえばクイーンのコンサートは読売新聞社が後援をしていたのだ。 「そのクイーンに響子ちゃんが熱中していましてね、メンバーの泊っているホテルに行けばひと 目見られるのではないかしら、というんですよ」 こう話す秘書女史のそばで、響子さんは、さぞやあの無表情な顔 ( 最近、急速に美しくなって いる ! ) を、ちょっとワクワクさせながら、私の返事に耳をそば立てているに違いない。その姿 を想像して、私はつい笑ってしまった。 ママの講演先に電話をかけて承諾をとり、私の家から私の出先を突き止め、そして自分で電話 をかけるのが照れくさいから、「ね、お願いよ」と秘書女史に頼んだという。その可愛らしさが、 私の胸に滲みた。 〈愛子サン、たまに愛子サンの身に″事件〃が起きて、愛子サンがそれに没頭するときと同じよ うではありませんか。それがクイーンだからくだらないというのですか ? 自分で電話をかけな いで、秘書に頼むのがけしからんというのですか ? 〉 と私は「響子はぐうたらでねえ」という佐藤さんに、心の中で呟いてしまう。クイーンである ことも、人に電話を頼むことも、それは若いからではないかしら、と思う。 とにかく響子さんの無愛想さは本当にいい。清潔さと真実さがある。しかし、私の知っている 響子さんの好ましさはここまでで、「娘と私の時間」に度々登場して来る、佐藤さんとの″かけ
「あーあ、三千円 ! 」 私のそばへ来て溜息をつく。 もったい 「三千円、フィにするのか ! 勿体ないなア」 私はしらん顔。 「熱は下ったみたいだけど : : : 」 「あーあ、今頃、サシは支度をしてるだろうなあ」 「三千円 ! みすみす捨てるのか ! 三千円」 娘は私がケチの勿体ながり屋であることを知っているので、しきりに三千円、三千円といら 「あーあ、今頃、スティープン・タイラーは : : : 」 私はしらん顔。 「あーあ、三千円 ! 」 うるさいな、しつこい。そこで私はいった。 「あんた、下痢はどうなの ? 」 娘、答えず、ふいを突かれて困った顔。
132 誰もいってくれないものだから、自分で自分を讃え、感動の涙を頬に流す。 しかし、考えてみると、母親のそんな無我夢中の苦闘の日々、娘の方もまた健気に頑張ってい 思い起せば彼女が小学校四年のときだ。 我が家には若い家政婦の >< さんという人が住み込んでいた。このさんはよく働く人で、料理 もうまい、何でも出来る。どこへ行っても重宝がられるのであろう、自信に満ちた人であった。 私は毎日、東奔西走している。娘のことなど、細かく気を配っている暇も体力もない。毎日、 ギリギリのところまで働き、あけ方近くなって、どっと倒れるように寝る。そんな生活だった。 あるとき、講演旅行で四日ほど家を空けた。帰って来て数日経ったとき、友人が電話をかけて来 た。その人は私の留守中に娘の様子を見に来てくれるよう、私が頼んで行った人だ。その人は私 にこんな話をした。 私の留守中、その人が私の家へ来たところ、娘が散歩に出ない ? と誘った。それで二人で散 歩に出たら、困ったことがある、家政婦さんと喧嘩をしてしまった、家政婦さんは「ママが帰っ て来たらお暇を貰います」といっている。家政婦さんがいなくなったらママは仕事が出来なくな るから、きっと怒るだろう。私はどうしたらいいーー娘は思い悩んで私の友達を散歩に誘い出し て相談したのだ。家の中で相談すると家政婦に聞えるので。 その喧嘩の原因というのは、娘はテレビを見ながらタご飯を食べたいので、ご飯を茶の間に持
『娘と私の部屋』を読んだ人は、私の事を怠け者の劣等生で、 ー族で、すぐ 調子にのるおっちょこちょい、 トリエといえば何もない人間のように思われたに決 まっていますが、私がそういって抗議を申しこむと、母は笑って ( 何かごま化そう とする時、必ず母は笑います ) 、 「そこがいいんです。そこが」 というのですが、私はちっともよくありません。 「娘自慢なんかするおふくろに、ロクなのがいない。自慢しないのが奥ゆかしいの です」 と言いますが、私は奥ゆかしくなくてもいいから、もっと自慢をしてもらいたか ったと思います。 事実とデタラメのまじり合い、よくもまあこんなにいい加減なことを書いてくれ る、と憤慨することもありました。訂正したい、と思うこともありましたが、訂正 しはじめると際限がなくなってしまうのです。三年もつづくとなれつこになってし まって、自分のことを書かれているのに、読んでいるうちについ、ふき出してしま ったりして、私ってなんて人がいいのだろうと、改めて自己発見をしたりもしまし けれども、やつばり実際に迷惑をこうむった事は多々あるのです。
エートばっかりで」 「そりやわかりますよ。エー 「そうか、やつばり、エートが多かったか」 しょんぼりしているのを見ると可哀想になる。 「しかし、個性的だったよ」 「そう ? ホント ? 」 「六人の中で一番、特徴があった」 早速、湯川風にやる。娘の顔はやや明るくなった。 説教は得手だが褒めるのは下手な私。これから娘はおしゃべりの勉強。おかげで私は「モノ」 いいよう」・の勉強をしなければならない、これ、母心。 ◇娘との差 の私の寝室には体重計が置いてある。 私 毎夜、私は寝る前にそこに乗っかって体重を量り、 娘 「五十一キロ・ ・ : うん、まあまあだ」 と呟いたり、 つぶや
って来てほしいと家政婦さんにいった。しかし家政婦さんはダイニングルームで食べればいいと いう。娘はテレビの前で食べたい。いい争っていると突然、家政婦はいったという。 わがまま 「そんな我儘をいうのなら、ママが帰って来たら私はやめます」 その話を聞いて私の友達は仕方なくいった。 「それならねえ、響子ちゃん、仕方がないから家政婦さんに、さっきはごめんね、といって謝り なさい。あなたが謝れば、あの人だってやめるなんていわないと思うわ」 私はその話を聞いて、怒り心頭に発すると同時に情けなさ、口惜しさ、哀れさがこみ上げ、家 政婦を殴り飛ばして子供のカタキを討たんと走り出したい衝動に駆られた。 たかが小学生のいうこと。しかも母親は留守勝ち。一人で食べるご飯は淋しいから、テレビの 前で食べたいといえば、たとえ親がいけないといおうとも、内緒で膳を運んでやるのがおとなの やさしさというものではないのか。しかし我が子も心配した通り、家政婦がいなくなっては私は 講演にもテレビ局にも行けない。締切に間に合うよう小説も書けない。せつかく小学校四年の子 の供が我慢して、「ごめんね」と謝ったものを、親の私がプチ壊してしまっては子供の忍耐も無駄 とになる。しかも娘はそんなことがあったことを、私に一言もいいつけたりはしていないのである 「うーぬ」 と私は唸って悶え、家政婦をプン殴ることを我慢し。
ってくれないといって怒るのとも似てる」 「ママのたとえ話はいつも品がないわねえ」 と娘は黙ってしまった。 つまり私のいいたいことは、人のことを気にしていては、人間は小さくなってしまうというこ となのだ。マジメ人間というやつは、往々にして人のあり方を気にして、人間が小さくなってい る。人は人、我は我だ。私は娘に大きな人間になってほしい。それをいいたいあまりに私はつい 飛躍して、 「そんなに口惜しいのなら、あんたもカンニングしてみたら」 「ママ、それでも母親 ! 」 と娘に叱られたのであった。 ◇お正月の教訓 早いものでまた新しい年がめぐって来て、私たちは今年は佐賀県唐津の海辺のホテルで新春を 迎えた。 私は唐津という町が好きで、暇を見てはよくここへ来る。今までに四度ほど来ているが、いっ
も、だんだんおかしくなって来て、笑いこける。笑いこけているその声を、電話の相手に聞かせ ようと、娘は受話器を私の笑い声の方へ近寄せたりしている。相手はいったい、どんな顔をして 我らのこのはしゃぎようを聞いているのだろうか ? 私たちはだんだん調子づいて来た。性来、親子揃っておっちょこちょい。すぐに調子合わせて のりにのる。 私はふと思いつく。そうだ、送話ロで一フツ。ハを響かせてやったら、テキはどうするだろう ? 「ラツ。ハ・ : トランペット、ないかなア ? シンバルでもいい、一郎のところから借りて来よう 一郎というのは別棟にいる甥である。しかし娘の方は、 「もーしもしもし、ククク、ケケケ」 に一心不乱なので、仕方なく、私は走って行って壊れたトランジスターラジオを持って来た。 ポリューム最高にして、スイッチを人れる。なにぶんにも壊れた一フジオであるから、キーキーガ アガア雑音がすごい。それを送話口に当てる。なんだか知らないがすごいロック。 キーキー、。ヒーガー、キー ビートルズのサムシングが始まった。 「サムシングインザウェイ : : : 」 娘と私はラジオに合わせて合唱する。私は音痴かまわず歌う。歌いつつダイアルをやたらに廻
「ああ、私、もう死にたいよオ ! 」 ようや いいながら、死にたい割にはハン・ハーグを五個も食べて、漸く気持が落ちついたらしい。 「ママ、社の人って、ママのこと、よっぽど怖いらしいねえ」 「どうして ? 」 「スタイリストの人と美容師さんが、私のこといろいろ飾ったでしよう。そうしたら向うで社 の人がヒソヒソ相談してるの。美容師さんが『ちょっと』なんて呼ばれて行って、『佐藤先生』 って声が聞えてるのよ。美容師さんが戻って来て、『あなたのお母さまってそんなに怖いの ? 』 っていうの。だから『ええ』っていったのよ。『さっきから、母が何ていうか、それを心配して るんです』って。そしたらネトウもそばから、『私もそのこと考えてたの』っていったわ」 ネトウというのは娘の友達で、その日はっきそいとしてついて行ってくれたのだ。 「ふーん」 と私はあまり面白くない。こういう化粧は困る、イヤならイヤとはっきりいえばいいのだ。そ れをハッキリいわず、母親のせいにして相手を制するとは何ごとか。私は娘がインデアンのお祭 風になったって、特別どうとも思わない。 と笑うだけだ。世の中に出ればいろんな目にあうということを知るのにいい機会だ、ぐらいに 私は考える。なのに、何が「母が : : : 」だ。