ひだ 斜に切り、襞のとれたスカートをはいていた。だぶだぶの、フットボールで汚れた上衣を着て、 両手をポケットにつつこんで : わたしたちの前には、いつもわたしたちが見馴れた、同じ光景があった。水平線の右よりに、 雨雲のように低く淡路島が横たわっていた。海の色は暗く、砂浜は白茶けていた。遠くに芦屋の 松林が、黒い縦の線を描いている上こ、、 ーレつもの午後のように斜の陽が射していた。そして更に 遠く、海岸線の外れに見える製鉄工場の四本の大煙突から、今日も真直に太い黒い煙がたち上っ ていた。 わたしは黙ったまま、それらを見た。わたしが黙ると、急に思い出したように、海の底から重 重しい力強い響が甦ってくるようだった。 「そうかも、しらん , 、・・、・ー」 暫くして、わたしはそう答えた。何かしら、わたしはかなしかった。そしてわたしはそっと、 声を立てずに笑った。 四番目の兄が、遠い旅先の土地で自殺したのは、たしかわたしが女学校へ入って間もなくのこ とであった。
山科さくら子は肥った友達と手をつないで、ハンドボールの中を、斜に横切って行った。彼女 の肩は撫で肩だった。彼女は、少し内側に湾曲している、まだ子供らしいたよりなげな脚に、絹 のように薄い上等の黒い靴下をはき、か細い頸に赤い定期入れの紐をかけていた。 山科さくら子の姿が遠去ってしまうと、三年生の教室の窓の下で、わたしたちはいっせいにふ き出した。 「さくら子は、きっと早死するよ」 マルコがいった。 「あの子はきっと、肺病の血統やよ」 マルコはいつも、非常に現実的な意見を口にする。スネボンがいった。 「そうやね。あの綺麗さはただごとやないね」 モン公がいった。 「あの子はね、お父さんのことをおもうさま、お母さんのことをおたあさま、いうそうよ」 「へえ、公卿華族 ? 」 桜の葉っぱをしゃぶりながら、わたしはいった。 「おもうさま ! 牛じゃあるまいし」 みんな、わっと笑った。校庭を横切りながら、山科さくら子の肥った友達がふり返った。さく ら子は逃げるように、ろく木の蔭へ入ってしまった。
しの娘時代は、乳房が大きいことを恥としたものだった。だのに東野ュリ子はそれを得意がって、 わざと胸の形がはっきりする薄手のセーターを着ている。彼女はわたしの髪の型がわたしには似 合わないことについて、西山アヤと一時間も議論をたたかわせた。彼女たちは全くよくしゃべり、 よく笑う。彼女たちは生れたての赤ン坊を見て、本心から、 「まあ、可愛い ! 」 と叫ぶことが出来るのだ。 そしてわたしは机の前から、いつも彼女たちのロ争いや、仰々しい感歎詞や、笑い方などを眺 めている。産婦人科に入院している映画女優は、卵巣嚢腫の手術だというが、どうも掻爬ではな いかと思われること、彼女の部屋着は素晴しいが、少しけばけばしすぎて滑稽なこと、彼女のと ころへ見舞に来た歌手が、彼女とキスをしているらしいところを、ドアの隙間から見たこと、そ の歌手は外科の尾上先生に似ていること、尾上先生といえば、尾上先生は医長の娘と婚約したら しいこと、そのためインフォメイションの松井道代は、トイレットの中で一時間も泣いていたこ と、尾上先生は立身出世のために松井道代の純情をふみにじったこと、松井道代は尾上先生と結 子 婚するつもりで、他の縁談を断ってしまったこと、尾上先生はとてもひどい男であること、今の 愛男は、女があり余っているのでいい気になっていること、二十年後には、女の数が減って、女の 9 / イレ 巨を受けるであろうこと、それにしても松井道代はもう処女ではないらしいこと、夏のはじめ に二人で鎌倉へ泳ぎに行った時に、なにかあったとみんなが睨んでいること :
先生がその作文を朗読したとき、わたしは微笑していた。わたしは朗読の後で、起るにちがい ないざわめきを待っていた。そうしてその後で、わたしはみんなに向っていった。 「苦しみなんて、嘘やわ。そやけど、そうでもいわんことには、作文にならへんからね : : : 」 学芸会が近づいて来ると、学校は急にあわただしい興奮の気配に包まれた。講堂には、まだ乾 かぬ背景が並び、窓には暗幕が垂れ、照明器具のまわりには、いつも数人の照明係が群がり、そ してわたしたちは小暗い講堂の中で、書き割りを調べたり、他人の舞台稽古を批評したりした。 一月から三月まで、わたしたちは日本の歴史を主題とした学芸会のために研究をつみ、その研 究資料を元として脚本を書き、背景を作り、芝居の練習をした。それは、神武天皇時代の武将が、 日本平定のために払った犠牲の物語である。それは学芸会の十幕の劇のうち第一幕目の創話で、 その中でわたしは、白い鉢まきに血を滲ませた若い隊長の役をやるのだった。 わたしたちは宝塚から、古代の衣裳を借りて来た。わたしは紫色の帯を腰にまきつけ、矢筒を 肩に大弓を持った。五年生の佐々さんは髪をみずらに結い、重々しい、いかにも権力者らしい ゆったりと響きわたる名調子で叫んだ。 「おお見よ、日のもとの、あめっちを : : : 」 それはあまりにも痛切な名調子なので、思わずわたしは笑った。わたしは笑わずに、この深刻 な芝居をし通すことが出来ない。わたしは佐々さんの陣中へ、その一人息子の戦死を報告に駈け
116 帳が、怖ろしいもののようにわたしの目に入った。わたしはそれらのどれにも、手をふれること が出来なかった。それらを見ることさえ、憚られるような気がした。 わたしは急いで部屋を出ようとして、立ち止った。飾り棚の上に、原田育郎と姉の写真が立て てあるのを見た。姉はお姫さまのように胸の前で袖を合せ、その間に抱いた仔猫に頬をすり寄せ るようにして原田育郎の方へ身を寄せていた。姉の身のよじり方には、多分にその仔猫をダシに しているようなところがあった。姉は眩しそうに顔をしかめて笑いながら、へんにしなやかに、 原田育郎の方へ上半身をよじっていた。姉の尖った八重歯に陽が当っていた。姉は原田育郎によ りそって写真を撮ることを嬉しく思い、同時にそういう自分にはにかんでいるようなところがあ 姉のはにかみーーそれを、わたしははじめてみた。その笑顔は、いつもの〈姉の〉笑顔ではな く、〈原田育郎によりそっている姉の〉笑顔だった。わたしはぼんやりと、そのことを感じた。 そうだ、わたしは何も知らなかったのだ。姉のことについて、わたし達の関係について、何ひ とっ考えたことがなかったのだ。わたしは姉を愛していた。わたしが愛しているように、姉もわ たしを愛していると信じていた。小さい時から、わたしは一つ残ったお菓子は、わたしが食べる のが当り前だと、思いこんできたのだ そうしてわたしは立っていた。 仔猫を抱いた姉の、そのしなやかさ、そのはにかみの前に。わたしの知らない遠い幸福の前に。
安川タキノは、その姿のように心も美しい人、といわれていた。彼女の父は外科医として豪胆 で有名な病院長で、母は信仰心の厚い、もの静かな婦人だった。安川タキノは生れてからまだ一 度も、母が大きな声をあげたり、人を批判したり、意見がましいことをいうのを見たことがなか った。安川タキノは、たとえどんなにおかしいことがあっても、身体が崩れるほど笑うものでは ないということや、自分の接する人々に、欠点と思われる点があったとしても、それを欠点と感 じた自分自身の方を咎めるという習慣を、その母から言葉で教えられたのではなく、態度で教え られてきたのだった。ノ 彼女はそんな母を心から尊敬していたし、また父を誇ってもいた。彼女の 父が、単に外科医であるばかりでなく、大そうな富を築き、著名な〈文化人〉であるということ のかげに、彼の俗物性を云々する評判があったとしても、彼女はそんなことを気にもかけなかっ レいことをよく知っていた。ひと たのだ。彼女は自分の美しいことや、聡明なことや、気だての、 が彼女のことを優しいというと、彼女は自分を優しい少女なのだと信じて、もっと優しくなろう と努力した。無邪気だといわれるとそう信じ、ますますそうなった。 子 そうして幸福は、彼女をいっそう美しく、優しく、善意の人にして行ったのだ。例えば病院で 愛の彼女の仕事である。屍体解剖の手伝いや臓器の標本作りを、彼女は醜い仕事だなどとは夢にも 考えていなかった。彼女はその仕事を意義のある仕事だと信じていたし、その仕事が猥雑であれ ばあるほど、意義が高まるような気がしていた。彼女には、自分が手を下している仕事が、醜い
森貝先生が混んだ電車に乗らなくてもいいように、自分で車を運転して送り迎えをするのだとい 幻っこ 0 「それからマッサージを習うの。毎晩、脚を揉むのよ。それから : : : ええと、それから : : : 」 そんな彼女は、まるで十六、七の少女のように見えた。 そうだ、あるいは同は愛ではないかもしれない。肉慾が愛ではないように、同情は愛ではな いということが出来るかもしれない。しかし、それと同時に、愛の中には、そんな愛もあるとい うことだって出来るのだ。いまわたしはそう思う。たとえ相手を理解していなくても、愛はやは りあゑ森貝先生の愛も、娼婦の愛も、安川タキノの愛も、みな〈愛〉だ。非難することの出来 ない〈愛〉なのだ。たとえ相手を苦しめ、不幸におとしいれ、自分ひとりの慾望を押えることが 出来ず、背徳を重ねたとしても、それでも、それはやはり存在するのだ。 それでも私は、哲平と里子を愛していた。三日も雨が降りつづいていた。土曜日の午後なので、 どこへ行っても入院の手続きが出来なかった。雨の中を、彼の担当の医者とわたしとは、黙りこ くって歩いていた。医者の狭い額は雨に濡れ、医者はそれを拭くことを、もう断念していた。今 日中に彼を他の病院へ移さなければ、病院の従業員がおさまらないのだということを、医者はく どくどとまたいいはじめた。
原田育郎の、生真面目な、四角い顎の前に 放課後の校庭で、鼓笛隊が紀元二千六百年の歌を練習していた。わたしは教室の窓によりかか って、それを見ていた。学校の横を通っている高架線を、兵士を満載した貨車が通って行った。 みんなは掃除当番の手をやめて窓から身を乗り出し、バンザイバンザイと叫びながら貨車に向っ て手を振った。 わたしは柏木アヤ子を見ていた。彼女は鼓笛隊の後列に立って、太鼓を叩いていた。首から懸 けている黄色い吊り皮と、太鼓の金具と、そして拍子を間違えて彼女が照れ隠しに笑うたびに、 白い歯がインデアンのように光った。 貨車が通り過ぎてしまうと、みんなは教室の掃除にもどった。だがわたしは、窓に顎を置いた まま、柏木アヤ子を見つめていた。 それは、いっ頃からそうなったのだったろう ? 学校こ、る、、 ーレド > つもわたしは柏木アヤ子を 子 探し求め、そうして彼女を見つめずにはいられない。それは、学校じゅうで、一番色の黒い者は 愛誰かと話し合ったとき、全員一致で柏木アヤ子が一等になった、あの時からだったろうか ? あ 7 るいは、運動会の学年対抗リレーで、柏木アヤ子が転倒して、膝から血を流しながら必死で走っ ていた、あの時からだったろうか ? それとも、誰がいい出したのか、マルコが柏木アヤ子を好
わたしは思い出す。大場幹江が廊下に落していった手紙の中に、そんな一節があった。そうし 。バレー部の練習のと てわたしは、そんな手紙を書いている時の、大場幹江の幸福を思ってみる きに、五年生の緑川さんと腕を組んで、校庭へ出てくる大場幹江の姿を思いうかべる。同じ匂い のフケとり香水、お揃いのハンケチ、同じ髪の分け方、大場幹江のことを「ミッキー」と呼ぶ緑 川さんーー ( そんなとき、わたしはわざと二人の間柄を知らないふりをして、ひとりでボールを 空高く投げるのだ ) わたしはいつも大場幹江を羨ましいと思っている。彼女の厚い唇、広い額、太い頸、ふき出し たニキビーーーそれを、わたしは羨ましいと思う。大場幹江の、でつぶりと肥った身体を作ってい る、あの膨大な自信、さもつまらなそうに″アホらしい ! 〃といった顔で、騒いでいるわたし達 を見る時の流し目、唇の端を歪めた笑い方、先生も感心する頭のよさ、誰一人親しい友達がなく ても〃わたしには緑川さんがいるのだ″といっているような頭の反らしよう 「美人でないやつに限って、エスを持っているーーー」 それはわたしが、いつもクラスのみんなに向っていう言葉だ。そしてそれは本当だ。わたしは 子 本当にそう思う。なぜなら、わたしはこんなに可愛いのにエスがない。わたしの脚はこんなにす 愛らりとしているのに。ニキビはないし、頸はほっそりしているし、スポーツだって得意なの ーナイフや、スタンドや鵝鳥の そうしてわたしは、かなしくなる。わたしは、机の上のペー こ .
年が改まって間もなく、父の仕事机は部屋の隅に寄せられた。母はとっておきの、殿様でも寝 そうな厚い絹布団を何枚も高く積んだ。母は何年も前から、父が長患いをしたときのためにと、 その贅沢な布団を用意していたのだった。 そして父はその布団の中に、殆ど溺れるように横たわってじっと眼を閉じ、思い出したように 唸っていた・父はもう、耳鳴りや鼻ツマリのことについて、何もいわなかった。死については一 言も触れなくなった。用もないのに始終母を呼び、母を自分のそばに引きつけておこうとした。 父は今まで一切の現実を母に任せてきたように、その病気までも母に任せようとしているかのよ うだった。母に任せていさえすれば、母がその病をどうにか処理してくれるかのように、苦痛を 訴えては、 え ? 一体、どうするのかね」 というのだった。いつまでも自分がそんな不当な苦痛に襲われているのを、母の怠慢のせいか なんぞのように、いらだった眼をして母を見つめた。父の眼は、ほんとうに小さく、睫は殆どな くなってしまったように見えた。それは鳥の眼に似ていた。 医師は何度も、父の命がもう幾日もないことを注意した。わたしと姉とは、何度か電報で呼び よせられた。しかしその度に、父は奇妙な元気のとりもどしようをして、突然、鉄火巻きを一皿 も食べたり、床の上に起き上って、母に髭を剃ってもらったりしていた。父はわたしを見ると、