『愛子』は、愛ちゃんの作品ではあるが、愛ちゃんではない。それを愛ちゃんだとみるのは 「私小説」的文学論である。『愛子』を私小説だと見る文学論は、すくなくとも『愛子』を本当 に見ていない文学論である。『愛子』は、私小説を通り抜けた、もっと新しい文学論を必要とす る小説である。 「それは実に立派なダイヤモンドだった。しかしそれは姉の指には、余りに大きすぎ、豪奢 すぎ、大人びていすぎた。それは姉には似合わなかった。しかし姉は、そのことに気づいてい なかったにちがいない。姉はきっと喜んで、その指輪をさしたのだ。そして姉は、それまでは 嫌いで決してしなかった、エナメルを爪に塗っていた。わたしは姉に向って、ふいに話しかけ たい衝動にかられた。姉に話しかけて、わたしのことを思い出させたかった。姉のお古の、色 が褪めてモモ色になったエイネルの寝まきを着て、子供のときいつもそうしていたように、布 団を並べて寝ているこの〈妹〉を」 そういう事実はあったかもしれない。しかしこれはもはや一聯の詩になっている。『愛子』 は、愛子より出てて愛子よりも、愛しいとでもいおうか。人に愛されよと願って父は愛子と名づ けたが、『愛子』の中で愛子は、ついに人の愛を、愛せないで終った。けれども『愛子』は、永 久に読む人の胸に棲んで、そういう人達に愛されつづけるだろう。 今官一
愛子 角川文庫 佐藤愛子作品集 子 一番淋しい空 忙しい奥さん ばた餅のあと 悲しき恋の物語 朝雨女のうでまくり 愛子 小説家を父に持ち、美しい容貌と才 気に恵まれた愛子は、女学校て、、いっ もクラスの中心にいた。自信に満ちた 態度は、友だちの誰もから強い憧れと 羨望の眼を向けられた。が、、、わたしは そんな人間じゃない〃、愛子は、心のう ちて、叫び続けた。彼女のプリズムを通 して映る人生は、様々に屈折した。す べてが、時に美しく輝き、時に色褪せ て見えた。著者の自伝的代表作。 佐藤愛子 佐藤愛子 4 3 好評発売中 / 新しいエンターティンメントと ドキュメントの月刊誌 野性時代 一 0 角川文庫緑三五九 7 角川書店 毎月 24 日発売 川文庫 Y300 0193 ー 135901 ー 0946 ( 2 ) 早川良雄 カバー 旭印刷 カバー
は、なんとなくそういうものだというつもりで読んでいた。私は、この小説の「序章ーで、愛子 という少女は、作家の父が五十歳、女優の母が三十歳のときに生れたのだということを読んだだ けで、ああ、これは愛ちゃんが自分のことを書くんだなと、判断していたのである。 しかし、だんだんと読み進んで行くうちに、待てよと思ったのだ。「すべての人々から愛され るように : : : 彼女の父は、そういってその名をつけた」とは書いてあるけれど、佐藤紅緑が、そ の名をつけたとは書いていないし、その少女は「愛子」だけれど、「佐藤愛子」だともいってい ないし、「わたし」が「アイちゃん」と呼ばれたことは書いてあるが、「わたし」が「佐藤愛子」 だともいっていない それに読んでみれば判るように、この小説の主題は「愛子の半生」ではなくて、「愛」そのも のが「主題」なのだ。「人々に愛されるように」愛子と名づけられた少女が、「人々の愛」の「さ まざまな形」を知り、かえって「人を愛すること」の難かしさに当惑するといった小説なのであ しったいどうい る。つまり、愛ちゃんは自分自身のことよりも、人が人を愛するということは、、 うことなのか、それをとことんまで突きつめて見たかったのではなかったのかーー・と私には思わ れたのである。父が五十歳の作家で、母が三十歳の女優だから、その子が佐藤愛子だという断定 は、私のような紅緑後輩や新聞記者や、文壇消息通の、ひとにぎりほどのジャーナリストには出 来るかもしれないが、一般の読者には、全くわからないことだし、わからなくても、この小説の 「愛の主題」には、とつぶりとひたることが出来るのだ。父が、実在の紅緑大先生でなくても、
ことにこの小説に出てくる紅緑弟子の詩人・福士幸次郎は、私にとっては、直接の文学師匠で あり、私はこの人について年少のころから、手取り足取り芸文の道を教わったのだから、この師 匠が、身を粉にして一生を捧げ仕えた大師匠紅緑は、私にとっては神のような雲上の存在だった のである。訪ねる人もない老残の棲家の閉ざした門扉を荒々しく開いて、いたずらに呼鈴を鳴ら してたわむれる子供らを追い散らす老文人の姿に、小説としての感動があればあるほど、私はこ の「老い、ほれた神」を、見たくなかったと思うのだった。 おおげさ 内憂といえば大袈裟だが、こういう心のわだかまりは、ことにのそんで、冷静さを失わせる原 因には充分になり得るのであろう。いまも私は、佐藤愛子の『愛子』という小説について、書け いざ書き出そうとしたところで、ふと内憂 るだけのことを書いてみようと筆をとったのだが の邪魔がはいった。 『愛子』は、ほんとうに愛ちゃんが、愛ちゃんのことを書こうとした小説だろうかという疑い が、ふっと湧いたからである。この小説が初めて本になったとき、広告のうたい文句に、「著者 初期の私小説」とあったし、この小説を推賞した水上勉は「初々しい文体に強靭な感性のひらめ できあい くこの自伝」といっていたし、ごく最近の新聞でもーー・『愛子』は「父親に溺愛された幼時から、 解最初の結婚に失敗するまでの、自分の半生を小説化したものである : : : 」と批評していた。 愛子という作者が、『愛子』という小説を書いているから、自伝だとか、私小説だとむろん言 っているわけではない。それぞれ、みんなそれなりの根拠があっていっているのだし、私も最初
父は、長い間かかって、私の名を選んだ。 愛子ーー父はいった。それから後、長い間、彼がその娘に向って呼ぶことになったその名前を。 すべての人に愛されるように 愛子 : : : そうしてそれが、私の名前であった・
260 解説 佐藤愛子の小説や、その他の佐藤愛子のなにかについて書こうということが決って、いよいよ 書き出そうとすると、どういうわけかこれまでは、きまって邪魔がはいって、たいそう書きにく い状態になるのがつねであった。特に『赤鼻のキリスト』という小説の場合などは、読後の感想 を書くように依頼され、その気になって書き出したところで、四十度の高熱が三日も続くという 外患にみまわれ、書きにくいどころか、全く書けないでしまった。『花はくれない』という、あ しい具合に外患はなかったが、ちょっとした内憂があって、ものす の素晴らしい小説の場合は、 ごく書きにくかった。 いうまでもなく、あの小説は津軽の大文人・佐藤紅緑の生涯を、その愛娘の佐藤愛子が心血を そそいで書きあげたもので、それだけでも私のような後輩の津軽文士のはしくれには、愛読おく あたわないものであったがーー・・・それだけに、大文人の老残の姿には、後輩として眼をおおいたく なる描写もないでもなかった。しかしまた、そういう父の老も醜も仮借なく書きつくしていると ころに、この小説の小説として存在理由があり、佳品たるの条件があったのだから、私としては なんとも辛い書きものであった。
しゅうえん あの臨終の描写は感動的だし、ある一つの「愛のかたち」の終焉を充分に象徴して美しいし、安 川タキノという同僚との、あの街外れの暗い橋での、火を吐くような応酬にも、哀しい「愛のか たち」の一つが感ぜられて美しい どれもみんな、かって『愛子』を評論した人たちのいったように、愛ちゃんが実人生で体験し たことなのかもしれない。しかし体験しようが、しなかろうが、実際であろうが、なかろうが、 そんなことは小説にとって、特に小説の読者にとっては、まったく意味のないことなのだ。それ らの体験、それらの実人生から、なにを作者が掴みとり、どんな風に読ませてくれるか、それだ けのことなのだ。愛子の父が紅緑大先生で、母が女優万里子夫人でなければ、この小説は読むに たえないとでもいうのだろうか。 なまじわけ知りであるだけに、私などは、ついほだされて、愛ちゃん、苦労したなあと、ほろ りとなったりする個所が、いたるところにあって、かえって判断をにぶらせかねないのだ。そし て『愛子』が必死になって人生に体当りしているのをみると、つい、手をさしのべて、お嬢さん、 ア・ハかかりはおよしなさいと、体を抱きとめたくなる。わざと負けている大人を弱しとみて、乗 説 気になって挑戦する子供を、津軽の人たちは「ア、、ハかかりするな」といってたしなめた。小説で 解あることを忘れて、ついそういってみたくなるのも、ほかならぬ愛ちゃんが、私の師匠の、その また師匠の大先生のお嬢さんだからである。そしてこういう私的な配慮こそ、小説でいうならば 「私小説」というのだろうと、自戒するのである。
佐藤愛子 角川文庫 3169
あ 愛子 佐藤愛子 さとうあいこ 角川文庫 3169 昭和四十八年九月三十日初版発行 昭和五十五年六月三十日十五版発行 発行者ーー角川春樹 発行所ーー株式会社角川書店 東京都千代田区富士見一一ー十三ー三 電話東京一一六五ー七一一一 ( 大代表 ) 〒一〇二振替東京③一九五一一〇八 印刷所ーーー旭印刷製本所ーーー多摩文庫 装幀者ーー杉浦康平 落丁・乱丁本はお取替えいたします。 ーに明記してあります。 定価はカ・ハ Printed in Japan 0 一 93 ーこ 592 ー 0946 ( 2 )
いた。しかし彼らは誰ひとり、わたしの方を見向きもしなかった。いや、むしろ意識的に、わた しを黙殺していた。わたしはひとりだった。誰からも愛されていなかった。見すかされ、軽蔑さ れていた。そしてわたしはひとびとの間を、うなだれ、肩をまるめてとぼとぼと歩いて行った。 その冷やかな黙殺の重みをになって歩くよりほかに、どうしようもなくて : ああ、もう一度はじめからやり直すことが出来たら 突然、わたしは思った。もう一度、女学校一年から、いや、小学校一年から、いや、幼稚園か らやり直すことが出来たらーーーそれはいつだったろう。そうだ、わたしがまだ小学校の生徒だっ たころにも、ある日、そう考えたことがあった。 もしもわたしが大宮さんだったら : : : もしもわたしが西さんだったら : : : 大丸さんだった と。西さんでも、 ら : : : と。わたしはその時、思ったのだ。しかし、わたしは大宮さんではない、 大丸さんでもない、 そうして、そうだ、わたしは山川よし子ではなかった。伊能律でも、大場幹江でもなかった。 マルコでもモン公でもなかった。わたしは愛子であった。ーーーすべての人から愛されるように そう願って、父がわたしを名づけた時のように、わたしがそうであったように、わたしは愛 子であった。愛されるために媚び、愛されるために嫉み、愛されるために憎んだ : : : 愛子であっ た。