それが里子の声を聞いた最後だった。わたしはそこにしやがんで、里子の靴の先に紙を詰めた。 里子はわたしの肩に手を置き、片一方の足の上に新しい靴下をはいた足を重ねて待っていた。 そうして子供たちは行ってしまった。女中と圭太が両脇について、バスに乗り込んで行った。 女中はすっかり、母親気どりだった。そしてバスは凍てついている村道を、ガタガタと慄えなが ら曲って行った。バスが曲るとき、パスの片側に朝日が当って、汚れたガラス窓の向うに、白い 帽子が二つ並んでいるのが見えた。 そうして子供たちは行ってしまった。 子供たちを故郷の家へ送って行った圭太がもどってくる前に、わたしは家を出た。家出娘のよ うに風呂敷包みを抱えて、末枯れた田圃道をバスに揺られて行った。わたしは無感動だった。わ たしは圭太の両親に、圭太が生活を建て直すまで、子供を預ってほしいと頼んだのだった。わた しは圭太の両親を欺いたのだ。圭太をも欺いたのだ。子供たちをも、そしてわたし自身をも : 圭太が生活を建て直すまで : : : その言葉で、わたしは子供たちとの別れに、曖昧さを与えたの 子 だった。そのうちに圭太が立ち直ってくれれば : : : それまでの辛抱 : : : 。そうしてわたしは子供 愛たちとの別れの、引き裂かれる苦痛をごま化したのだ。時を稼ごうとしたのだ。すべてを圭太に 背負わせたのだ。そのうちに : : : そのうちに : : : そのうちに : : : しかしわたしの心のどこか底の 方では、もう再び圭太が立ち直ることはあるまい、と思いきめていたのだった。
た。おっさんは小さな太鼓を叩いた。トントントコトコ、白いやわらかなお耳、甘い蜜のついた お耳、ばあやのおつばいはゆさゆさ、ねんねんころころ、おころりようーーーそしてやがて、すべ てがあたたかな眠りの中にとけてしまう。 わたしのおうち、わたしのお父さん、わたしのお母さん、わたしのばあや、そしてわたしの家 の三階から見える青い海 そうだ、それがわたしの幸福だった。わたしはいくつになっていたのだろう。わたしはわたし の家の三階の窓から、海が見えると信じていた。 「うちの三階から、海が見えるんよ」 遊び友達に向ってそういうとき、わたしは目の前にじっと動かない青い明るい海と、その上に 懸っている、丸い大きな太陽を描いているのだった。 「ほんま ? 」 「どんな海 ? 」 「わたしも見せてーーーー」 得意になってわたしはいっこ。 「海はね、まっさおでね、おてんとさんも見えるしね」 それはねえちゃんが、何度も読んでくれた、絵本の中の海の絵だった。
彼は戦争中に、陸軍がこの村に埋めた錫を掘り起して、一儲けする話ばかりしていた。正林寺 という大きな森の伐採権は、俺が持っている、などといい出した。聞き伝えていろんな男がやっ て来た。その男たちのために、圭太は金を貸したり、米をやったり、古びた猟銃を買わされたり した。やっと産卵をはじめた名古屋コーチンと、軍鶏とを交換したりした。鉄砲うちゃ、釣りに 夢中になった。軍鶏にも凝った。 「軍鶏は卵を産まないのよ ! 」 わたしは叫んだ。特別に拵えた小屋の中で、軍鶏は脚を踏んばり、赤い長い首を空にさしのべ て、ときを告げた。この軍鶏の声は隣村まで聞える、と圭太はいった。いろんな男が軍鶏を見に 来た。軍鶏は見られていることを誇って、男たちの方は見向きもせず、一歩一歩脚を高くあげて 歩いてみせた。圭太は軍鶏にだけ、特別にエビガニを買った。軍鶏はわたしを見ると、怒ってト サカを立てた。 冬のはじめの風が吹き出すと、村外れの広い畑の裾にあるわたしたちの家は、まるで黄色い幕 のような土埃の中に包まれた。風は怖ろしいものだった。窓の外のものは、物置きも、鶏舎も、 井戸も、豚小屋も、一切が見えなくなった。朝から雨戸を立てたままの部屋の中に、どこから吹 き込むのか、みるみる土埃が積った。土埃は食事をとる短い間にも、茶椀の上に舞い落ちた。ロ を開けて笑うまに、ロの中がジャリジャリした。電圧が下って、電燈はニクロム線が線香のよう
57 愛子 を咥えたまま、ぼんやりと空を眺めていた場所だった。そしてそこから父がよく見上げていた、 隣家との境にある欅の大木は、洗ったように白い空に向って、葉のない黒いまっすぐな枝をひろ げていた。 私の立っている土堤からは、ここ〈上ると仕事をしている父の後姿が見えた丸い窓がーー、日射 しのエ合によっては、そこから蒙々と煙草の煙が流れ出ていた丸い窓がすぐそこに見え、引越し に言力が割ったままのガラスの破れから、暗い家の中が見えていた。 ほんとうに暗い家、どんなに小さくても いい、明るい風通しのいい家に住みたいねえ それはかって、母がそう言い言いしていた家だった。おぼろな濁った光が、煤けた天窓からぼ んやりと射していたあの暗い中廊下にも、今もあの時と同じ鈍い光が懶げに落ちているのだろう カ わたしは目の前に立っている家の、深い庇や重なりあった大屋根や、閉され黒ずんだ雨戸を幾 度も眺めた。こんなに陰気な汚い家、これがあの頃のわたしにとって、何にもまして自慢だった あの家なのだろうか。 桃色の縁側、あたたかなお母さんの部屋、お父さんのあぐらのなか、ばあやの柔らかなおつば うちの三階からは、海が見えるんよ、青い青い海が 突然、わたしは思い出した。それはわたしたちが、この家をすてて新しい家〈行く、あの引越
うみ 「だあれもいない おてんとうさまはきいらきら なみはうつらうつら しずかなうみ」 そこを読むとき、ねえちゃんは節をつけて歌うように読んだ。そしてわたしは、すっかりそら だあれもいないうみ、おてんとうさまは、きいらきら で覚えてしまった。 絵本の海の色は、色紙の青と同じだ「た。太陽は飴玉みたいに黄味がかり、空の中にその黄色 が滲み出ていた。 「すい〈いさんは、とおいとおいおくにの、お母さんのことを、おも 0 ているのでしようか」 太陽と同じ色の髪の毛をした水兵さんが、しやがんで沖の方を見ていた。そしてその頭の上の 方に、赤い横線の入「た小さな白い船が、丸い煙を吐いてじっとしていた。 「そいから、おふねも見えるしね」 わたしはいった。 子 「ふじ山も見えるんやし」 愛絵本の次の頁には、富士山が描いてあった。 ふじさんは、に 0 ぼん一の山です。はれた日は、どんなとおくからもよく見えます それはわたし以外に誰ひとり見た者のないわたしだけの海だ「た。塗りこめたような青い波と、
わたしが父と母の住む〈わたしたちの家〉を訪ねたのは、結婚をして三か月目のことだった。 たった三か月の間に大門のチークの扉はすっかり黒ずみ、古びてしまったように見えた。石を 積み上げた四角な門柱の間に、隙間なくびたりと閉っている扉は、もうすっかり他人の家のよう な、とりつき難いいかめしさで立ちはだかっていた。 呼鈴を押してから、随分時間が経ったような気がした。わたしは夫と並んで、門が開くのを待 っていた。 ( わたしはもう、かって持っていた耳門の小さな鍵を持っていなかったから ) 常磐樹 の黒ずんだ繁みの向うに見えるわたしの部屋の窓には、わたしの見たことのない、冴えない色の カーテンが下りていた。 門を開けたのは母だった。母は疲れた顔をして、ひどく無愛想だった。 「キミさんが帰ってしまってねえ」 最初に母がいった言葉は、それだった。それから母は、わたしの後に立っていた圭太に、はじ めて気がついたように力なく笑いかけた。 「 , ハ十のばあさんが、御飯たきに来てるんだよ。それが八時にならないと来ないしねえーー・」 門のそばに立ったまま母は、どうしても今のうちに、それだけのことをいってしまわなければ ならない、という風にいった。
150 わたしは黙って、ぼんやりとその情熱的なおしゃべりを聞いている。わたしははじめから、尾 上先生は決して松井道代と結婚しないだろう、と思っていた。尾上先生の豪放めかした笑いかた や、患者に向うときの、慇懃なくせに妙に尊大な態度や、女を見るときの眼の使い方などを見て いると、どうしたって、彼が容易に人にうちこむことの出来る男だとは思えないのだ。掃除婦の 近藤さんはわたしに向って、このことが解るのは何といったって、わたしたち、年をくってる者 だけですよ、といったのだった。そのことについて近藤さんはわたしに、松井道代に忠告をする ようにいったが、わたしは何もいわなかった。わたしはただ見ていた。松井道代が本当に傷つく ならば、むしろ羨ましいとさえ思ったのだ。わたしには若い彼女たちのすべてが茶番で、そして 羨ましく思われる。 「あなたのように、、 > つも泰然としてられたらいいわね」 彼女たちはそういう。そうだ。わたしはいつも泰然としているように見えるだろう。わたしは 泰然と見えるようにしているのだから。わたしは歪んだ靴の踵なのだ。〈庶務課の小母さん〉な のだ。だから私は泰然としている。彼女たちには解るだろうか ? だからわたしは泰然としてい るレ」い一つこレか その日の帰り、わたしは渋谷の人混みの中で、森貝先生を見かけた。森貝先生はいつものよう に右手に往診鞄を下げ、紺の背広の左肩を上げ、左の脚を引きずっていた。デパートのウインド
みんなはそういった。そして、みんなは笑った。わたしたちが笑うとき、姉は一緒になって笑 った。時によっては、姉の口から原田育郎の、新しい笑いの材料が提供された。 「育郎さんいうたら、えらい真面目くさって、何いうのかと思たら、日本の経済をどう思いま すかやて : : : 」 姉はいった。そんなときの姉は、まるで原田育郎をバカにしているかのようにさえ見えた。晩 餐の席で、原田育郎が一時間もべートーベンのことについてしゃべったとき、姉は石のように見 えた。姉は閉ロしている父や母や、薄笑いを洩らしているわたしの前で、ただ黙ってじっと坐っ ていた。 ーグレイの絹のツービースを着て、黒いネ 原田育郎が神戸港を出発して行った日、姉はシルバ ットの垂れている帽子をかぶり、港の石畳をコッコッと音をたてて歩いていた。 姉はほっそりと小さく、均整がとれて美しかった。姉の後には、淀んだ暗い水と白っぽい春の 空があった。姉は原田育郎が乗って行った船を、ふり返ろうとはしなかった。姉はかなしげで、 子 優美だった。自分の憂いにおおわれた優美さをよく知っていて、それに陶酔しているようにさえ 愛見えた。姉からずっと離れた先の方を、そろぞろと歩いているわたしたちーー母や仲人たちの姿 はいかにも場違いで野暮くさく、そのため姉はわざと遅れているようだった。 「早くおいで。香苗、何をぐずぐずしてるの」
は自らの大きな影の中に、寒そうな鼠色をして立っていた。野球場の上には白い瑞々しい雲を曳 いた朝の空があった。空の下には、野球場の影を受けて、暗い人気ない濡れた広場があった。広 場には像をとり外されてしまった銅像の、花崗岩の台座がつっ立っていた。海へ行く小さな電車 の舗装道に沿って、松林の下を流れていた枝川は、跡形もなく消え失せていた。その川に沿って 曲りくねりながら、海へと続いていた松林の土堤もなくなっていた。土堤はすっかり低くなり、 断片的にち切られて、まばらに残った松の木は、そのどれもがすっかり根をむき出していた。駅 員は三十年前の、あの声でもう一度駅の名を呼んだ。電車が動き出した。そしてくさ原が現れた。 そこには一軒の家もなかった。電車がプラットフォームを出外れるとすぐに、松林よりも高くっ き出て見えたあの三階はなかった。あの三階建ての家からはじまった、行儀よく碁盤の目に並ん だ家並もなかった。くさ原は朝日に輝いていた。それは生い繁って枯れたままどこまでもひろが り、その原の尽きるところから、見もしらぬ新しい町がはじまっていた。 一週間ばかりの滞在のあと、わたしは知人の家を訪ねた帰りに、海岸へ行ってみようと思いっ いた。わたしは海へ行く小さな電車の、安全地帯もないプラタナスの下の停車場に立って、電車 が来るのを待っていた。そこはかって、わたしが学校へ通うために立った場所だった。わたしは そこに立って、電車を待っていた。乗客がなければ、電車はとまらずに通過して行く場所である ことをわたしはよく知っていたので、電車の姿が見えると、進み出て手を上げた。しかし電車は、
のときには左手を出す。豊田先生は何べんもそういった。みんなは行進をやめて、わたしをみて いた。豊田先生は悲しそうな顔をしていった。 「ねえ、普通に歩くときのようにすればいいのよ」 そうだ、普通に歩くときのようにすればよいのだ。だけど号令がかかると、普通の時のようで なくなってしまうのだ。わたしは部屋をぐるぐる廻った。 ー・ー右足左手、左足右手 お父さんなんて、何も知らないんだ。お母さんだって、ばあやだって、何も知らないんだ : ・ アイちゃんや、学校は好きかい : : わたしは思う。お父さんなんて : : : 誰も、何も知らないんだ。 みんながわっと笑った。 北川直吉は、教室の床に仰向けにひっくり返って、亀の子みたいにばたばたしながら泣いた。 ちょっと押しただけや わたしは田 5 った。北川直吉を転がそうなんて、思いもしなかった 川直吉が脚をばたばたするたびに、ズボンの破れから、痩せた太腿が見えた。北川直吉は涙 だらけの顔をして、起き上ろうともせずにしやくり上げていた。 ちょっと手を上げただけやのに、ひとりでひっくり返ったんや