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検索対象: 朝雨 女のうでまくり
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1. 朝雨 女のうでまくり

あさあめ 朝雨女のうでまくり佐藤愛子 め 朝雨女のうでまくり 佐藤愛子 あさあめ 朝雨女のうでまくり 男と女を分析すれば、一所懸命、 心不乱、必死のところに女のユーモア が生まれ、間が抜けたところに男のユ ーモアが生まれる。 愛の戦いがすんて、日が暮れてしまっ た今、かっての愛を顧みれば、苛立ち、 不安、迷いのひとつひとつがみな他愛 のないものだったような気がする。 痩せても枯れても女一匹、誇り高く、 激しく生きてきた、その小気味よさが 著者の面目躍如の痛快工ッセイ。 角川文庫 佐藤愛子作品集 子 一番淋しい空 忙しい奥さん は、た餅のあと 悲しき恋の物語 朝雨女のうでまくり アメリカ座に雨が降る 黄昏夫人 九回裏 野性時代や 好評発売中 / 新しいエンターティンメントと ドキュメントの月刊誌 一 0 角川文庫緑三五九 6 % Y260 0195 ー 135906 ー 0946 ( 0 ) 早川良雄 旭印刷

2. 朝雨 女のうでまくり

よう ! と言います。おかあさんは、気に入るとすぐに、弟子にしよう、と言うのがクセです。 いろいろと困ることの多いおかあさんですが、私は、おかあさんには何でも話します。心配な 事を話しても、安心できるような、たのもしい返事が返ってくるからです。悲しいことでも、う ちあけると、自然と勇気が出てくる、力強い返事が返ってきます。たから私は、どんなことでも 報告しています。普通の人ならば、悲しい思いをするような事を、おかあさんは違った面から見 て、笑いにしてしまうこともできるのです。 最近、おかあさんは胆のう炎になりました。夜中になると、胆のうが痛くなるという事が多く て、私が背中をマッサージすることもあります。 「今年は仕事を減らすんだからね」 と言っていても、やつばり深夜の二時、三時まで書きものをしています。 おかあさんは、よくためいぎをつくようになったようです。ためいきの中に、疲れているのだ まという感じが入っています。おかあさんにためいきをつかれると、私もつぎたくなります。そう いう時だけ、おかあさんの、 いつもの勝気が消えてしまうからです。疲れたということが、あり の 女ありとわかるからです。私は、、 しつも怒っているおかあさんの方が好きです。 朝おかあさんの怒っている姿は、疲れたという感じがどこかへ吹き飛んで、イキイキしています。 おかあさんも、 「今まで、胆のうが痛かったのが、ひさしぶりに怒ったら、ケロッと治っているのには驚いた」

3. 朝雨 女のうでまくり

それで私は万年筆を置いて考える。煮えたぎる腹立ちを押えて、である。殆ど毎日、書斎にい なければならぬ私にとって、魚屋の店先に今、何が出ているか、八百屋では何がシ、ンのものと して売られているか、わからない。わからない私がもうそろそろ、サンマが出ているんじゃない、 とか、マッタケはまだ高いかしらねえ、などと様子を模索しながら献立を考えねばならぬ。なの に、八百屋、魚屋に毎日行って様子を知っている人間が、ケロリどこ吹く風で私の言葉を待って いる。私はそのことにも腹が立つ。 「少しは私の代りにアタマを使ってくれたらどう ! 」 また「胸に」叫ぶ。シュンのものなど食べようと思うから、煩わしいことになる。シュンのも のと関係ない献立を考えるとしたら、肉料理しかない。 「じゃあ、シチーにでも : : : 」 としいかけて気がつく。彼女たちの一人はシチューが出来ない。また別の彼女はグラタンが出 ない。ジャガイモコロッケは出来るが、ホワイトソースのコロッケは出来ない。インスタント カレーは作るが、ル 1 を作るカレ】は出来ない。精進アゲは出来るが、カラアゲは出来ない。し かし彼女たちは、 「今夜は何にしますか ? 」 と平然と聞く。何にしますか、と簡単にいうが、私の方は、彼女の「出来る範囲」で献立を考 えねばならぬという苦しい条件がまた一つ、加わっているのである。 わずら

4. 朝雨 女のうでまくり

などという、他愛ないことをいっていた。 「寒いねえ」 わめぎ震えながら、風に吹かれて突堤に腰かけていたこともある。 そのふるさとが空襲でズタズタになったと聞いても、私は想像することが出来なかった。私の へんばう 胸の中にはあまりに鮮やかに故郷の景色が焼き付けられていて、その変貌を聞いても、修正が利 かなくなっているのだった。 私が小学校五年生のとき、私の家は駅の近くの三階建ての家から、路面電車で北へ行った、ニ 停留所目の五番丁というところに引っ越した。その家は空襲にも会わず、今もそのまま残ってい る。 戦況が厳しくなって来た時、私の父母はその家を手放すことを決心したのだ。兄たちはみな東 京で暮し、姉は嫁ぎ、私もまた結婚が決まった。家には老いた父母が残るだけなのである。 「焼夷弾が落ちて来ても、よう消し止めんような年寄りは、早いとこ、田舎へ行かはった方が よろしいなあ。自分のためだけやない、みんなのためです : : : 」 く・つえり と町内の警防団があてつけるようにいった。警防団は黒衿、灰色の制服を着てでかい顔をして 威張りくさっているけれども、つい数十日前までは、ペコペコして電気の修理に廻って来たりし た。彼は電気屋の親爺なのである。 おやじ

5. 朝雨 女のうでまくり

命令一下、というわけで、従って我が家の家政婦さんに限り、魚屋の店先に立って財布を握っ て佇むということはなくなるのである。 彼女はさっさと行き、さっさと帰って来る。そのサンマがまずくても私はまずいというわけに は行かない。 「このサンマ、おいしくないわねえ」 「そうですか、でも、先生がサンマとおっしやったものですから」 この一言で私は沈黙する。ほかに同じ値段でおいしそうな魚があったとしても、私が「サン マ」と一言いった以上、彼女は断乎としてサンマを買って来るのである。 らよりつ そういう日常を何年も送っている身には、魚屋の前に佇立する女性群が何とも懐かしく慕わし 彼女たちが五分も十分も魚と睨めつこしている姿に私は健気な女心を感じる。家族への一生懸 命な愛情がそこにある。かって、その中の一人であった頃の私には、ただもう面倒くさく、面白 くない女房づとめの一端にすぎなかったそのことが、今、その世界から外に出て、自由だが孤独 な暮しの中に身を置くようになってみると、何となく涙ぐましいようなある種の感動を私の胸に 呼び起すのである。 某誌編集部から私の手もとに届けられた読者の原稿にこういう一篇があった。

6. 朝雨 女のうでまくり

「面白いわねーえ。日記なんかより、こういうものの方が、イメージのひろがりがあ「て楽し いわア : ・・ : 」と退屈しない。 だんな しかし、それを聞かされる旦那さんの方は、退屈しているのかもしれない。 進歩的女性を自認している人がいて、その人は結婚生活を唾棄していた。家事、ーー・中でも家 計簿をつけるという作業を最も軽蔑している。いや、軽蔑というより、むしろ憎んでさえいる。 「よくもこういう無意味なことをあなたは続けて来たわねえ。家計簿なんかつけて、何になる の ? 家計簿つけたからとい「て、家計が楽になるわけじゃないでしよう ? 」 彼女はいきり立って家計簿夫人を攻撃した。 「家計のキリモリのため ? 毎日、アリ金と支出の。 ( ランスを考えながら、物を買う なん て因循な生活でしよう ! 貧しすぎる ! 狭すぎる ! あなた、そんな生活、つまらなくない の ? 」 ま 「つまらないわ、つまらないですとも」 で と家計簿夫人は同意した。 の 女毎日毎日、同じことのくり返し。楽しいことなどひとつもない。決 0 た収入をどうや 0 て使い 朝どうや 0 て貯金して行くか。今晩のおかずは何にするか。夫は早く帰 0 て来るのだろうか。今と 7 なってはべつだん早く帰ってほしいとも思わないけれど、夫がうちでタ食を食べるかどうかで、 わずら おかずの作りようがあるのだ。そんなことを考え煩うことが暮しの中心にな 0 ている。全くカ

7. 朝雨 女のうでまくり

姑と対等に実力を競うことが出来るようになったのである。 「おや、これはなあに ? あらまあ、煮豆をデ。 ( ートで買って来たの ! 昔はねえ、煮豆なん てものは家で煮たものですよ。煮たものを買うなんて、妻の恥だと教えられたものだわ。第一、 一郎はこんな味じゃなく、もっとお砂糖を控えて、あっさりと煮こんだ大豆が好きなのよ。前の 晩に水に漬けておいて、朝から豆炭で気長にコトコトと煮るのよ : : : 」 姑がそういえば、昔の嫁は一生懸命に気に入られるように大豆を煮たものだ。やれ、柔らかす ようや ぎる、固すぎる、砂糖が利きすぎる、少なすぎると文句をいわれつつ、漸く我が家の煮豆の伝統 を引き継いだ。ところが今は違う。 きら 「一郎はねえ、こんな甘ったるい煮豆は嫌いなのよ。それに第一、表で買って来るのは高くっ きます」 いくらそういわれても嫁サンは平然たるもの。姑さんを黙殺して、デパ 1 トの煮豆を買って米 びんづめ る。しかも名店売場の高い瓶詰を、である。 「まっ、瓶詰の煮豆 ! お値段はいくら ? まアッ ! 」 姑がいかに騒ごうとケロリとして、 「あら、そうかしら、でもこれ、おいしいって評判よ」 私は私の道を行くのよ、とその横顔はいっているのである。 はりお 姑の胸に燃え上がる憤怒の烙は、老いたるその全身を焼き尽さんばかり。姑は xx 家の煮豆の

8. 朝雨 女のうでまくり

その後、私たちは結婚した。子供が生れたからである。そうして私は安定した。私たちは文学 という同じ目的に向って進んでいる夫婦であったから、夫婦喧華ばかりしている仲のいい夫婦だ ったといえると思う。 私たちは完全に信じあい、理解し合っていたと思う。私は彼を尊敬し、彼は私の直情径行だが 正直な点を認めてくれていたと思う。他人が我々の欠点をいい立てたとしても、少なくとも我々 はそれを欠点とは思わなかった。いや、欠点であることはわかっていても、それを否定しようと は思わなかったのである。 はたん しかし、十五年後に破綻が来た。彼は事業をはじめて失敗した。私は彼への愛のためにその借 金を背負った。しかし借金を背負われた彼は、私から圧迫を感じ、他に女性を求めて私のもとを 去って行った。 そのとき、私は騒がすに彼を見送った。なぜ私は彼にとりすがらずに送り出したのか。私たち の愛は完了していたからだ。 ま で 私はそう思う。 女愛が終ってしまった今となっては、波立つものは何もない。私たちは離婚したあとも、ときど 朝き会うことがある。彼と私の間に生れた娘がいるからでもあり、また、失敗した事業のあと始末 についての相談があったりするからである。 私たちは、淡々と会話を交す。もはや彼の言葉じりに腹を立てることもなければ、ウダッの上

9. 朝雨 女のうでまくり

「タ、タ、タ、と下りた石段の下はやな、ジ、ースの空きカン、スイカの皮、ふやけた靴の片 一方。おまけにタ、タ、タ、と下りるそのはだしの足は、エ、、、 ・ガードナーのはだしとは似て も似つかぬでつかいべタ足」 夢つぶれた私は、北海道の牧場に近い丘の上に土地を買った。の下は牧草地がひろがり、南 は海、牧草のひろがりの向うに町の集落が見えるという風景絶住の地である。 さえす 今、私はそこに家を建てている。晴れ渡った朝、小鳥の囀りの中で私は眼を醒まし、カーテン を引いて輝く草原を渡る朝風に頬をなぶらせつつ、白きもすそを曳いてルコ = ーに出る。朝日 を浴びて私の髪はきらめく ( そのために私は目下、髪を長く伸ばしている ) 。そうして私はゆる やかに手をふりつつ、叫ぶであろう。 「町の皆さん、おはよう ! 」 すると町の人々はあるいは路上で、あるいは草刈る手を止め、あるいは馬を追いつつ丘を見上 げていうであろう。 「ああ、佐藤さまのお目ざめだ ! 佐藤さまア、おはようございますウ : ・ : ・」 私はこの夢を遠藤氏に語った。すると彼はふンと鼻を鳴らし、直ちにいった。 「町の人はいうやろ。またあのキチガイバアサンがわめいとる ! 」

10. 朝雨 女のうでまくり

2 くだろうという気が私にはする。 例えば、大橋巨泉はどこまで行ってもあの巨泉であり、前田武彦もまたどこまでもあの前タケ であろうと思う。 へんぼう しかし愛川欽也は変貌する。私はそう思う。どんな風に変貌するか私にはわからないが、愛川 欽也はまだ本当の愛川欽也としてそこに定着していない。まだまだ残しているものがあるという 気がしてならない。 そこが私が彼に注目するゆえんである。 早春の光の中で 今から丁度三十年前に私は長野県伊那町に五か月ほど住んでいた。戦争中のことで陸軍が山を 崩して渓谷を埋め、航空基地を作るその設営隊に私の夫が所属していたためである。 それは私が二十年間住み馴れた関西から他県へ出た生れてはじめての経験だ「た。私が行った 時伊那町は雪の降りはじめる前の、底冷えのする寒気の中にてついたような町だった。 それから間もなく雪が降りはじめた。雪は降りつづき、根雪とな 0 て春まで解けなか 0 た。私 りようてい は看水という料亭の一一階の三部屋を借りて住んでいた。看水の前の坂道には坂に沿 0 て小さな急 な流れが音を立てて流れており、それは夜になるとまるで大雨でも降 0 ているような錯覚を私に