今 - みる会図書館


検索対象: 朝雨 女のうでまくり
180件見つかりました。

1. 朝雨 女のうでまくり

新権力者が、いかに権力者としての資格に欠ける弱輩であるかを、息子にも嫁にも認識させたい。 この家にとって一万円の香奠の出費は不当に大ぎいことを、旧権力者は知っている。知っては ちょうせん いるが、あえてその損失を無視して挑戦した。そういう点では主権を握っている者よりも、挑戦 者の方が無責任という利点を利用出来るのである。 だがひと昔前の新旧権力者の関係はこんな風ではなかった。新勢力はなかなか権力者に取って 替ることは出来なかった。権力者は権力者としての歴史的背景ともいうべぎものを持ち、名実と もに実力者であった。この権力を倒すには、戦いではなく相手の死を待っしかなかった。相手が 老衰あるいは死によって自然に倒れるまでに、新勢力は血の涙を流して実力を養っておく。 従って旧権力が倒れたとき、新権力は自信に満ちてその後を嗣ぎ、やがて来るべき新勢力を迎 え討つべく、手ぐすねひいて待ち構える態勢を整えるのであった。 しようふく 簡単にいうと、それは「順番制」だった。嫁は姑に慴伏し、やがて姑になって次の嫁を慴伏せ ま で しめる。慴伏している嫁は、「今にみろ、今にみろ」と心に誓いつつ時到るを待つのである。 の 女 「今にみろ」とは姑をやつつけてやるそ、ということではなく、「今に来る嫁を虐めてやるそ」 朝という意味である。いうならば上等兵と一等兵との関係と同じで、軍隊がつづく限り、日本の家 族制度がつづく限り、この循環はくり返されると思われたのであった。 しかし、ここへ来て循環は断ち切られた。軍隊の消失と同時に家族制度も崩壊をはじめ、嫁は

2. 朝雨 女のうでまくり

まう。それから気がついて、 「今は、西宮市といっているらしいが」 とつけ加える。はじめから、 「西宮です」 と答えたことがないのは、西宮市となった鳴尾には、もうふるさとの面影がなくなってしまっ たからである。 それでも、私は年に一度か二度はふるさとへ行く。仕事で大阪、神戸へ行くことが少なくない ので、ついで、といった形で立ち寄るのである。 はんしん 私の育「た家は阪神電車の甲子園駅の、駅から二、三分のところにあ「た。大阪から阪神電車 で帰って来ると、車掌が、 「こーしえーん、こーしえーん」 と眠たげな声をはり上けるあたりから、青く盛り上がった松林が見え、その松林の松よりも高 く、私の家の三階が見えたものだ「た。その三階は二階の上にチ「「ンと乗「か「たチャチな三 階であ 0 たが、それでも私には、その家はほかのどの家よりも金持らしい、立派な家に見えたの である。 だがその三階建ての家も今はない。その周りの家々と共に、空襲によって焼失してしま 0 た。 しの その界隈は今、昔を偲ぶよすがもない、「マゴマした新しい家並が立ち並んでいるが、私の家の

3. 朝雨 女のうでまくり

いう状態だったのだが、さすがに中学三年になって勉強をする気になったのである。 そこで私は三十五年ぶりで中学の数学にお目にかかった。そうして私は呆然とした。もはや濃 霧なんてものではない。私にとっては異国語である。いや他の天体の言葉だ。 娘は私の顔を見つめて答を待っている。仕方なく私はいった。 「こんなくだらないことに頭を使っているから今の若者はダメになるのです ! 」 「じゃあ、数学は出来なくてもいいの ? 」 と娘。 「出来なくてもよろしい ! 」 行きがかり上、私はいってしまった。 やっかい しかし、出来なくてもよろしい、とはいったものの、高校受験という厄介な問題がある。高校 へ入学しようとする以上、やはり数学の点が 1 や 2 では困るのである。 受験が近づいて来たので仕方なく、娘は数学を勉強しはじめた。数学の先生に指導をしてもら ったところ、日ましに力がついてきた。茶の間で私が本を読んでいると、娘はそのそばで数学の 問題を解いている。数学低能の私には正解かどうかがわからないので、スラスラと解いているよ うに見える。そんな娘を見ていると、私はそれだけで今までグウタラだと思っていた娘に一目置 かねばならぬような気分になって来る。そうして娘の方は、今は、私に対する尊敬をすっかり失 ったようなのである。

4. 朝雨 女のうでまくり

111 朝雨女のうでまくり とどなる。 しかし愛川欽也に私のどなり声が聞こえたとしても、彼はどこ吹く風で騒ぎまくるであろう。 彼は調子にのって浮かれて騒いでいるのではなく、この場合は騒ぐことが必要であると考えた 上で騒いでいるのであろうから。 つまり彼は仕事に対して常に一心不乱なのであって、騒ぐときも一心不乱に騒ぐのである。 しかしどんな時でも彼は我を忘れたことがない。節度というものをちゃんと心得て騒いでいる のである。節度というのは贏がしさの節度ではなく、「人をからかう節度」「視聴者に対する馴れ 馴れしさの節度」「迎合の節度」といったようなものである。 このごろ、私の娘が喜んで見ているテレビ番組に「うわさのチャンネル」というのがある。 そこに出て来てはよってたかってメチャクチャにされるせんだみつおという人も一心不乱の人 であるが、ただヤミクモに一心不乱なので見ている方は辛くなって来て、 「うるさいつ」 とどなるどころか、シラけて眼をそらし、 「そこまでせんならんですかねえ」 といいたくなる。 私は「敢闘精神」は好きだが、「体当り」はあまり好きではないのである。 愛川欽也は今、敢闘精神で騒々しくやっているが、そのうちに今とは違う愛川欽也になって行

5. 朝雨 女のうでまくり

185 朝雨女のうでまくり サイフ しあわせ 私は今、こうしてペンを持っ心がとてもはずんでいます。小さな、でもとても幸福な気持ち なのです。 なぜ : ・ 私のすぐ手の届く所に置いてある、 サイフに目を向ける。少し大きめの赤色のサイフ、手をのばし、何回も何回も 開けたりしめたり、まるで子供のよう、 ずーっと前からとてもほしかったサイフ、今この手の中にある : 今月は奮発して : : : と思っても店先まで行っては、買わずに帰って来てしまう。 むだ・つか 三千円あれば子供の物が買える、そう思うと何か無駄使いするようで。 ポーナスが出た時、主人が、 「ほしい物、あるだろ、買ってもい そうもいってくれた。 その時は隣の店で二人の子供の下着を買って帰って来た。 そして数日たったある朝のこと、出勤前の主人に、 「ママこまかいお金一二百円ほどないか」 といわれ、いそいで取り出そうとした時、

6. 朝雨 女のうでまくり

152 といって来た人がいる。夫が愛人を作り、この一年の間に五回しか家へ帰って来ないのだそう だ。その間に彼女の方にも愛人が出来た。愛人は彼女より十一一歳年下でまだ独身だという。夫と 別れて愛人と結婚しようかどうか迷っているという。 「ご主人の方は別れようといっていらっしやるの ? 」 「べつに、そうはいって来てないんですけど」 「じゃあなたの愛人が結婚をせつつくの ? 」 「べつに、せつついてるわけでもないんですけど」 「じゃ、あなたがそれを願ってるってわけ ? 」 「願ってるってわけでもないんですけど」 「じゃ、あなたは今のままでもいいと思ってるの ? 」 「いいとも思ってないんですけど : : : 自分でもよくわからないんです : : : 」 どな 「自分でもよくわからないものが、どうして赤の他人にわかるのよ ! 」と私は怒鳴りたくなっ たが、向うとしては、「わからないから訊いてるのよッ ! 」といいたいのかもしれない。 察するに今の身の上相談は回答を求めているのではなくて、愚痴 ( あるいはノロケ ) を聞いて 貰うのが目的なのだ。私はそう思う。 だから相談に対する回答の是非よりも、愚痴を上手に聞き、相手の鬱屈を発散させてやれる人 こそ、多分、名回答者といえるのである。 う・つくっ

7. 朝雨 女のうでまくり

建ての古い家のように、あとかたもなく焼失してくれれば、この家はかっての姿のまま、私の思 い出の中に懐かしい姿でくつきりと永遠に残るであろうに。 今はもう私は海へ行くのが怖ろしい 海はあまりに無惨な姿となり果てた。白砂青松と歌われた瀬戸内海の海を、ふるさとを離れて からの私は、・ とんなに人に自慢して語ったことだったろう。 「あの海岸は、こんな、関東の海岸みたいな、黒い、汚い、ゴロゴロ石の海岸じゃないのよ」 私は何度もいった。 「波が穏やかなことったら : : : それに遠浅で : : : 」 だが今は海はもう、なくなってしまった。そこは荒々しいコンクリ 1 ト の防波堤がつづいてい るばかりで、波は黒く濁り、油やゴミを浮かべて悪臭を放っている。 私のふるさとは、もはや思い出の中にしかないのである。それとても一年一年、私が老い行く に従って、遠去かりかき消えて行くのであろう。そうしていっか私の子供などが、その子を連れ てこの地へ来て、 「昔はここを路面電車が走ってたらしいのよ」 などという。そんな形でしか、この地を語れる者はいなくなってしまうのであろう。

8. 朝雨 女のうでまくり

がらぬことを罵る気もない。二度と会いたくない、 と思うほどの強い感情もなくなってしまった。 戦いはすんで日は暮れてしまったのである。 以上が私の愛の戦いであった。これを迷いというならば、これが私の迷いである。 それが過ぎてしまった今となっては、思い出す苛立ち、不安、迷いのひとつひとつがみな、他 愛のないものだったような気がする。今の私にはすべてが明らかに見えるのに、あの時の私には 何も見えなかった。 男の自分に対する愛の分量がはっきりわかるのは、その人がまだ、愛に捉えられていない時だ からである。 おうのう いったん愛に捉えられるとその時から、相手の愛が見えなくなる。そうして懊悩がはじまる。 きつねだま 愛の迷いに苦しむ人は、他人の目からは丁度、山道で狐に欺されて、提灯下げて同じところを こつけい ウロウロしている人のようではないか。他人の目には滑稽でバカ。ハ力しいようだが、といってそ れから逃れることは出来ないのである。 赤ちゃんの孤独 そろ 若いお母さんが自分とお揃いの柄の服を着せた小さな子供を連れて歩いている。私はそれを見 るといつも涙ぐましい気持になる。気に入ったきれ地を買って来て ( それも値段と柄の両方が気 ちょうちん

9. 朝雨 女のうでまくり

私は自分が「金持」の息子の嫁になれるような女とは思っていなかったから、彼と結婚はしな いつもりだった。びとは、私たちの同棲生活を、 「試験結婚みたいなものね ? 」 ℃ったが、私はそれをテスト期間だという風には考えていなかった。 私は彼と結婚はしないが、一生、添い遂ける気持を持っていたのである。 私の夫となる男はこの世にこの男以外にはいない 、と思っていた。私たちは結婚という形式を 必要としないくらいに深く結ばれているという自負が、結婚を拒否させたともいえる。 しかしそうしてはじまった同棲生活には、 ' とこかに何となく落着きの悪い部分があった。私た ちは始終諍いをし、私はヒステリイを起して何度か家を飛び出した。諍いの理由は今から思うと とるに足らぬことである。今、具体的に書こうとしても思い出せぬくらい些細な原因だった。し けんか かしそんな些細なことが家を飛び出すような大けさな喧嘩につながるのは、私の中に常に揺れる 不安定なものがあるからなのであった。 私は常にその揺れ動くもののために覩立っていた。そのイライラのために、些細なことで爆発 そのイライラの原因は私にはわかっていた。残念なことではあるが、私たちが営んでいる同棲 生活 ( 人は野合といった ) の中で、私の愛が安定出来すに浮遊しているせいであることが。 しかし結婚という形を拒否しているのはこの私なのである。

10. 朝雨 女のうでまくり

と書いています。しかし、佐藤愛子は、猪突猛進に見えるだけで、あるいは見せかけているだ けで、いつも犀利な観察を働かせて、いったんこうときめたら、あらゆる艱難を排してまっしぐ クリティカルクリ らに立ちむかってゆくのです。つまり、こういう意味で、クリティカルなーーっまり批評的、危 ティカル 機的という両義でーーめずらしい作家なのです。ほんとうに批評的な人は、どんなに困難な状況 にぶつかってとりみだして、たとえ、よろよろ生きているように見えても、おのれの魂の深みで は自分がはたすべき役割りと、おのれが選択すべき道が眼の前にひろがっていることを、ほかな らぬその人自身がよく心得ているものです。 「朝雨女のうでまくり」のなかで、愛の終りについて書いています。 それが過ぎてしまった今となっては、思い出す苛立ち、不安、迷いのひとつひとつがみな、他 愛のないものだったような気がする。今の私にはすべてが明らかに見えるのに、あの時の私には 何も見えなかった。 ( 愛の迷いに迷うな ) 説 解私は、こういう佐藤愛子が好きなのです。さまざまな苛立ち、不安、迷いのひとつひとつが、 みな他愛のないものと見えたにしても、それは、異性を愛するという事件のさなかに躍り込んで ゆくとき、いわばその偶然の愛にほとんど運命に似たものを見きわめ、おのれの内部にひそむ思