術の時間は濃霧に包まれていた。 それは小学校四年のとぎだったが、以来、女学校を卒業し、今に至るまで、数学というものは 濃霧である。 十代の頃、私は減法、暗記力が強かった。それゆえ、試験の前になると算術の応用問題は全部、 暗記した。応用問題集というものを何冊か買って、それを全部暗記する。したがってその問題集 から出た間題ならば出来るが、それ以外の問題が出ると白紙で出さねばならなかった。 「誰出来なかった難しい問題をスラスラと解いているかと思うと、皆が出来るようなやさし いのが書けていない。まことに不思議です」 と先生は私の母に不思議がっておられたということだが、その責任は問題集にあったのである。 女学校には数学の外に幾何というものがあ「て、これまた私を苦しめた。幾何の先生の顔を見 りただけで、吐気を感じるほどであった。 ま 「なぜ、幾何なんか、勉強しなければならないのですか。実生活に何の役に立つのですか」 で と私は授業中に質問して、要注意の生徒とマ 1 クされた。当時は学校のあり方に対して疑問を 女持っただけで注意人物になったのである。 朝今、私には中学一二年の娘がいる。一年ほど前までは、私を何でも知っている偉い母親だと思っ ていたらしい。ところがある日、彼女は私に数学の質問をした。私の娘はノンキ者のノラクラで、 あまり勉強をしたことがなかった。学校の試験などもいっ始まっていっ終ったのかわからないと
人は愚かというけれど 一一月十八日は私の一人娘の高校受験の日である。私の娘は学校の成績はあまり出来のいい方で 、。いや、あまりどころか、お母さんによっては、びつくり仰天して金切り声を上げるか、 そうでなければ顔面蒼印になって呼吸困難に陥るかするであろう点数をとって平気であった。何 しろ小学校以来、私は 5 なんていう点を通信簿で見たことは一度もない。馴染み深いのは 3 で、 次に親しんで来たのが 2 である。たまに 4 があると、 「どうしたの ? カンニングでもしたの ? 」 と思わず聞き、いくら親でもそういうことはいうもんじゃないわよ、と娘は憤然とした。 こういう話をすると、真面目なお母さんたちは憤慨される。真面目なお母さんは常に「母性愛 まとは何か」ということを考えておられ、 「それが母親としてなすべきことではないでしようか」とか、 の 女 「そういうことは母親として、どうかと思います」 朝という言葉が常に用意されているのである。私は今までに何度、そのような人から、 かわいそう 「それでは子供さんがお可哀想よ」 といわれたかしれない。なぜ私の娘が可哀想であるか。
「うちの主人たら、ホントに気むつかしい人なの。何だかしらないけれど、いつも機嫌が悪い のよ」 とこぼしている奥さんがいた。私はそういう言葉を聞くと、その気むつかしいご主人に同情す るようになって来た。口に出したことが奥さんに理解出来ると思えば、誰も気むつかしくはなら ないのではないか。 「そうじゃあないのよ、私はもう何から何まで呑み込んでやってるつもりよ。だもんだから、 うちの主人はますます我儘になって、つけ上がってしまったのよ。もし、私が悪いとすれば、主 人の気持を呑み込みすぎたことかもしれないわ」 そうかしらん : と私はまだ懐疑的である。女がしばしば独断的であることもモト女として私は知っている。五 年前までの私なら一も二もなく、その奥さんのいい分に賛成したであろう。 まわ で 「とにかく、男ってのは、我儘だからねえ。自分中心に世界が廻ってると思ってるのよ」 の 女と。 しゅうと 朝立場立場によって、人の考えというものは変るものである。姑を意地悪のわからずやだと恨ん だ嫁は、姑の立場になってはじめて、経験を経た者にとって若い者の未熟さがいかに我慢出来か ねるものであるかがわかる。
強い女の悲しみ 桐島洋子さんが「通い婚」とかを解消されたというので、このところ桐島さんは週刊誌の「時 の人」になっておられる。 桐島さんにしてみれば、なぜこんなことで大騒ぎされるのか、腹立たしい思いをしておられる にちがいない。 たまたま一人の男と一人の女が愛し合ったので、お互いに往ぎ来して愛を交わし合う生活を持 つようになった。しかし月日が経ってその愛は覚め、愛情よりも大切なものがあったことに気が ついたので ( 桐島さんの場合は子供、仕事 ) その関係を解消した。 ことはただそれだけである。世間では決して珍しいという話ではなく、極くありふれた出来ご まとである。もし変っている点があるとしたら、二人の別れにおいて、未練の涙や愚痴や恨みや罵 う言や狂乱がなかったという点であろう。 おぼ 女ある時、桐島さんは愛情に溺れて、仕事の方がお留守になって来ていた自分に気がついて、 朝「このままではダメになってしまう。もっと仕事をしなければ」というような手紙を彼に出した ほのお という。そういうことを考えはじめたということは、二人の間の愛情の陷が少しずつ鎮まって来 たということで、恋愛の常道を踏んでいるにすぎない。燃え立った陷は必すや鎮まって行くもの きりしまようこ
北海道の丘の上で 北海道浦河の丘の上に家を建てる気になったのは、東京の生活に疲れ果てたからである。 この一年ばかり健康がすぐれす、仕事を控えるように医師から注意されていた。しかし東京の マスコミの世界では、「病気」とは「どっと寝ついた」状態でなければ病気とは認められないの である。電話口に出たらもはや病気ではない。たまたま電話には出たが、本当はかくかくしかじ かの病気で、と説明しても、「はあ、はあ、それはいけませんですねえ。ところでですねえ」と 仕事の話が始まる。 私は思わずかっとなって ( これも病気のひとつだと思っている ) 大きな声を出す。するとその ような大声が出るからには、大丈夫、たいしたことなし、と相手は考えるのである。うつかり怒 ることもできない。 東京には青空がなくなった、と人はいう。しかしその詠嘆はもはや陳腐な感想でしかなくなっ た。子供は子供らしさを失い、大さえも大らしさを失い、河は濁り、樹々の緑は褪せているのが 当り前になっている。不幸や病気さえも、病気らしさ、不幸らしさを失ってしまった。今では病 んでいるという状態が日常化されているのである。
102 ョンべン、という格好で、夫の上に君臨し、姑の権力など目にも入らぬ。 「じゃあ、おばあちゃん、お願いネ」 と気安い声を出して、 ハートとやらに出て行ってしまう。 「ハイ、おばあちゃん、少ないけど、お小遣」 とさし出された金を受け取るときのくち惜しさ。それを「いらぬ」とはいえぬ情けなさ。かっ ての権力者は死ぬまで財布の紐を握っていた。権力者が握らぬ時は、一の家来である息子が握っ ていた。ョメなどにどうして金が自由に出来たことか ! とハラワタ煮えたぎったのもはじめの あきら うち、次第に馴れ諦めて、 「そうかい、すまないねえ」 と手をさし出す。 嫁サンの方は旧権力者を制圧した満足感を満契しているのであろうか。 そうではない。嫁さんにとっては家庭の中の権力争いなど、もう何の興味もなくなっている。 女性は解放され、男社会へ進出をはじめた。そこで女性の権力志向の場は家の中から社会へと移 動する。女は男の権力と戦いはじめた。もう、煮豆の瓶詰なんかどうだっていいのだ。 こうして家庭は平和になって行くだろう。夫も妻も姑もそれそれに静かである。家庭が静かな ことは喜ばしいことである。ただ、姑たけが、その静けさの中で屈託し、かっての華々しき戦い の日々を、ひそかに懐かしく偲んでいるかもしれない。
「だって、すまないといっても仕方ないでしよう」 私は数日考えた。 もしかしたら、こういう男が現代では「一人前の男」というのかもしれぬ、と。 強盗に襲われて逆上し、女を救わねば男がすたるとて、己が非力を忘れてみかかり、無惨に やつつけられる男は、もしかしたら一人前になっていないから逆上する、ということになるのか もしれない。 とすると、一人前になるということは、損得の道を弁え、冷静にものごとを処理する力を身に つけるということになる。 りよ、つ . ′、し ある時、私は大阪郊外のさる料亭に泊った。その料亭の女将とは昔からの友達である。 あいぎよう しかし顎の張った強そうなご亭主がいる。 彼女には、三つ年下の、愛嬌のいい、 かげ その夜、私は玄関脇の植込みの蔭にある部屋に泊った。疲れていたので早目に床についたが、 間もなく、何やら玄関の方で大声にわめいているダミ声に目が醒めた。 で 「出て来いというたら出て来い ! 」 女ダミ声は酔っている。女中さんらしい声がそれをなためている。話の様子では、男は出入の魚 屋で、何か根に持っていることがあったのを、酒の力を借りて暴れ込んで来たらしい 「おかみを出せ ! おかみにいうてやることがあるんや ! 」 そのとき、私が寝ている部屋の、雨戸の外で植込みがガサガサと音を立てた。 わき あご わきま
男もまた耐えている 原稿の締切がたてこんで来ている時、何が辛く、腹立たしいといって、時をかまわず家政婦か 「今夜のおかず、何にしましようか」 ゅうちょう こっちは悠長な手紙を書いているわけではないの といわれるほど辛く腹立たしいことはない。 だ。机に向って呆然としているように見えたって、頭の中が空いているというわけではないのだ。 野球の投手がマウンドに立っているときにノコノコ出て行って、 「今夜のおかず、何が食べたい ? 」 と聞いたらどうなるか。会社の会議の最中に電話をかけて、 「今夜、何にしましよう」 ま で といったらどうなるか。聞いた人間はバカ、アホウ、トンチキ、キチガイといわれるであろう。 女もの書きにとって原稿用紙に向っているということは、。ヒッチャーがマウンドに立っているの 朝と同じようなものなのだ。私は今までに何度、そう胸に叫んだかしれない。そう、「胸に」であ る。口に出して叫びたいが、そうすることは出来ない。そんなことを口にすると、「無理解な」 「我儘な」雇い主ということになるからである。 ら、 ぼう・せん
当方はむくれて二人の歌を聞ぎつつ、酒を飲んでいる。ところがこの歌、なん・ほ歌ってもなか なか終らぬ。 「アイ子チャンももっと歌いなさい、さあ」 とオッチャンはいう。 「あんた、ホントに歌は何も知らんのネ」 とお聖さん。そうしてまたイチャイチャと歌い出す。 よこ、、 「はアなもあらしもオ踏ウみ越オえ工てエー」だ。 私は面白くないね。こんなによく気の合ってる夫婦て見たことがない。 田辺聖子は女流作家の面汚しである。 結婚というものは で 若い女性と話をしているとき、女は結婚するべきか、あるいは男に扶養されることを拒否して、 女誰にも属さない自由な人生を生きた方がよいか、という話題が出た。 私はかねてより、女は、たとえ失敗しようとも、一度は結婚生活に入 0 た方がよい、という持 論を持っている。そこでその意見を述べた。 といって、結婚はそれほど楽しいものだというわけではない。結婚はたいていの既婚者が呟く つぶや
「あんた、ミョさん、なにしてるねん、こんなとこへ隠れたりして : ・ : ・」 低い男の声がひそひそというのが聞えた。 「こんなとこへ隠れてる場合かいな。あんたが行かな、。 とうにもならんやないか。さあ、行っ て、話を聞くなり何なりしなさい」 「そやかて : ・・ : 」 と女将はこわがっている。 「そやかてやないがな。あんなとこで大声出されたら、お客さんが迷惑しはるがな」 ひそめた男の声は女将の、かの顎の張ったご亭主である。 「あんたはこの家の女将ゃないか。女将がこんなとこに隠れててどないなるねん」 そういう自分はどないなるねん、と思いながら私は聞いていた。女将は仕方なく、植込みの蔭 から出て行った様子である。玄関の方で男と何やらいい合う声が聞え、やがて静かになった。男 は帰ったのであろうか。それとも勝手口の方へでも廻ったのであろうか。 私がそう思ったとき、雨戸の向うで、押し殺したクサメが、 と寒そうにびとつ、聞えたのである。 私はこの話を男友達にした。 「何とまあ、情けない男だといったら、えらそうに亭主ヅラして『そやかてやないがな』とか