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検索対象: 朝雨 女のうでまくり
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1. 朝雨 女のうでまくり

朝雨女のうでまくり はしない。 彼女には、すべてが「対岸の風景」になってしまった。子供が喧嘩していることも、「ごはん、 おいしくないから、食べない」といっていることも、「風景」である。ひとり暮しというものは、 すべてを「風景」と観じていれば、それでことなくすむものなのだ。 だが家庭の主婦にとっては、対岸の風景なんてものはどこにもない。家にいても、海に来ても、 風景がないことは同しである。子供が「ごはん、食べない」といえば、何とかして食べさせるよ うに頭を絞る。客が来れば、何とかしてもてなそうと、また頭を絞る。乏しい家計を、何とかし てやりくりしようと、また頭を絞る。 主婦というものはどんな主婦でも頭を絞り、身を絞っているものなのである。そうして絞って は疲れはて、ブップッと怒り、愚痴をい ソンした ! 」と叫ぶ。 「ああ、結婚なんかしなければよかった。つまらない。 夫や子供を引きずっていない独身者は、 「食べたくないのなら、お腹がすいた時に食べればいいわ」 とすましていられる。 - うお金がないから、インスタントラーメンを三度食べておくわ」 ですむ。これは独身者の「自由」であり「気らくさ」だ。独身者は疲れない。疲れないから愚 しつも静かで素直で若々しい 痴もいわない。、

2. 朝雨 女のうでまくり

118 ハ力しい生活だ 家計簿夫人は綿々と愚痴をこにす。 それに子供に何とお金がかかること ! 女の子三人に男一人 ! 子は姉のお古を着せて来た けれど、子は二人の姉よりも背が高くてウエストが太い。だから全部、新しく買わなければな らない。ホントに阯の中ってうまく行かないことばかり。子は何でも文句をいわずに食べるけ れど、子と夫が野菜ギライ。夫は魚がなければ文句をいう。皆が喜んで食べる献立を考える だけで、たいていヒステリイが起きて来る : 進歩女性はカッとして、 「もうおよしなさいよ、愚痴は。愚痴をこ・ほしている暇があったら、現実打破を考えなさい 「現実打破 ? どうするの ? 」 「まず家計簿を焼き捨てるのよ」 「焼き捨てる ! 」 家計簿夫人は叫んだ。 「そんなこと ! 出来ないわ」 「出来ない ? なぜよ ? 」 進歩女性はますます力ッとなり、

3. 朝雨 女のうでまくり

ばならず、便所の掃除はしなければならない。買いたいものも買わずに我慢しなくてもいいのは、 お金をたつぶり稼げる人の場合だけではないのか。 違うのは、片方は「亭主のためにさせられている」と感じ、もう片方は誰のためでない、自分 のためにしている、と思える、それだけの違いではないのだろうか。 私がそういうと、その人は、 「それ、それ、自分のためにしている ! それが自由というものなのよ ! 」 と叫んだのであった。 それ、それ、その自由、それが問題なのよ、と私は心の中で呟く。というのも、私はこういう 人を知っているからだ。 彼女は四十歳の独身女性であった。気は優しく素直で働き者、なぜあのような癖のない人が結 婚もしないで今日まで来たのかと、彼女を知る人はみな思ったものである。彼女は高校を卒業後 すぐに勤めた会社の庶務課で働くうちに、何となくズルズルと二十年経ってしまったという独身 ま で 者である。見合いは何回かしたが、何となくまとまらなかった。彼女の方から断ったこともあれ 女ば、先方から断られたこともある。 びようう 朝べつに独身主義を標榜していたわけではないのだが、何となく結婚しそびれてしまったのだと いう。彼女にいわせると、 「独身も気らくでいいですからねえ。気を使って暮すこともなし、食べたくなければ食べない

4. 朝雨 女のうでまくり

31 朝雨女のうでまくり 日に何千という海水浴客を運んだ電車である。その電車道の両側は。フラタナス並木道だった。私 は学校の帰り、マンダというクラスメ】トと、そのプラタナスの並木の下を目的もなく歩いたも のだ。 いったいあの頃の私たちは、何をそんなに話すことがあったのだろう。登校も一緒、学校でも いつも一緒にいて、それでもまだ話し足りないで道草をくった。 まんじゅう たっふり道草をくうために、甲子園より二駅東の西宮駅でわざわざ下車し、市場で饅頭を買っ て用意している。私たちはプラタナスの下を海へ向って歩いた。誰もいない砂浜に坐って用意の 饅頭を食べたこともあるし、水族館の中で魚を見ながら食べたこともある。 真冬の水族館は人ッ子ひとりいなかった。骨まで染み透るような寒さだった。しかし、そこで どんな魚を見たか、私は覚えていない。 「あんた、タコとヒラメと、どっちかになれといわれたら、どっちになる ? 」 「タコ ? ヒラメ ? そんなん、どっちもいやや」 「でも、どっちかにならな、殺されるのよ」 「そんなら、わたし、ヒラメ」 「ヒラメ ? なんで ? 」 「そやかて、ヒラメの方が、マシやわ。タコはみつとものうてかなわんわ。茹でられて、スダ コにされたり :

5. 朝雨 女のうでまくり

私は昔からビ , ・ナツを食べはじめると、胃袋がいばいにな 0 ていても止められない癖がある。 また歌を口ずさむと一日中、それが口から離れなくなる。「おさるのかご屋だホイサッサ」を朝、 顔を洗ってからタ飯まで歌っていたことがある。 丁度、ビアノがそんな風になってしま 0 た。仕事にとりかかる前に三十分、と思 0 て。ヒアノに 向う。ところが何分にも何十年の間、ビアノを弾いていない指は思うように動かない。そのため 私は苛ら立ち、意地になり、三十分が一時間、一一時間、三時間、昼飯食べてまたつづける、とい う具合になって行く。 もはや私は〈ト〈トである。力をこめるので肩は凝り、指はこわばり、老眼はかすむ。それで も私はやめられない。子供がやって来ていう。 「ママ、代ってよオ」 「うるさいツ」 ま 「あたしも弾きたいのよオ」 で 「うるさいツ」 の 女 という調子。 朝おかげで子供はビアノ嫌いになり、稽古をやめてしまった。 もはや「趣味」なんてものではない。相撲の稽古のようなものだ。ある時、道で隣の奥さんに 会った。

6. 朝雨 女のうでまくり

どろ 与えるのだった。私はその流れで毎日、泥にまみれた夫の長靴を洗うのだった。流れの水量は驚 くほど多かったが寒さが厳しくなるとそれは凍ってその上に雪が積った。 もち 私は近所の人からゴペ餅という串にさしたダンゴをよく貰った。ダンゴには砂糖醤油やクルミ を砕いたものがつけられてある。私はいつもこれを食べかねた。またカレ 1 ィモというのもよく もらった。煮たじゃが芋をカレー粉でまぶしてある。これも私は食べかねた。 信州の人は菜つばの塩漬で一日中お茶を飲んでいる。湯呑のお茶を飲み乾す後から後からお茶 が注がれる。私はそれにも閉ロした。信州の人の胃袋はどうなっているのだろう ? あのお茶は いったい身体のどこへ入るのだろうかと考えたことがある。 雪が解けると町はぬかるんだ。毎日、雪解けの水が屋根からしたたり落ちるのを聞いていた。 てんりゅうがわ その音がやみ、やっと大地が乾いたので私は散歩に出かけた。天竜川にかかっている長い白い橋 の上で私は山を見た。山はまだ真白だったが町は早春の光に満ちていた。その早春の静かな美し まさは今でも私の中に消えずに残っている。 の 女 ダブダブガウンを着て 朝 仕事が詰まって来ているとぎ、この仕事が終ったらぶらりと旅に出よう、と思う。あるいは芝 居を見ようとか、サッカーの試合を見に行こうなどと思っている。 からだ しおづけ ゅのみ ちょうか

7. 朝雨 女のうでまくり

176 「嫌なら食べなさんな」 私はズケズケという。 「もうそろそろ帰った方がいいんじゃないの。うちへ帰っておいしいもの食べなさいよ」 おみこし 庄司さんは帰ろう帰ろうと思いながら、なかなか御輿が上がらないのだった。 庄司さんの奥さんは文学に無関心な人だった。奥さんにしてみれば、私や田畑麦彦や庄司さん は「ひとっ穴のムジナ」という感じであったろう。有能な保健婦として堅実な結婚生活を夢見て 来た奥さんにしてみれば、夫の生活はどうにも理解出来かねるものであったにちがいない。 庄司さんは私たち夫婦の影法師のようについて歩いた。私たちが結婚したときも、庄司さんは 私たちの新婚旅行について来た。結婚式の後、東京駅へ送って来た庄司さんは、窓越しにいった。 おれ 「いいなあ、俺も一緒に行きてえなあ」 「いらっしゃいよ」 「行こう、行こう」 あたな それで庄司さんは汽車の中に入って来た。私たちは熱海で一泊の予定だったので、・庄司さんも 熱海に下りた。駅に迎えに来ていた旅館の番頭がびつくりした顔を私は今でも覚えている。 庄司さんは私たちの部屋の真上の部屋に泊った。翌朝は一緒に私たちの部屋で食事をした。私 たちはそれから琵琶湖へ行くのである。庄司さんは熱海の駅の。フラットホ 1 ムに立って、大阪行 さび ぎの汽車に乗った私たちを淋しそうに見上げていった。

8. 朝雨 女のうでまくり

男もまた耐えている 原稿の締切がたてこんで来ている時、何が辛く、腹立たしいといって、時をかまわず家政婦か 「今夜のおかず、何にしましようか」 ゅうちょう こっちは悠長な手紙を書いているわけではないの といわれるほど辛く腹立たしいことはない。 だ。机に向って呆然としているように見えたって、頭の中が空いているというわけではないのだ。 野球の投手がマウンドに立っているときにノコノコ出て行って、 「今夜のおかず、何が食べたい ? 」 と聞いたらどうなるか。会社の会議の最中に電話をかけて、 「今夜、何にしましよう」 ま で といったらどうなるか。聞いた人間はバカ、アホウ、トンチキ、キチガイといわれるであろう。 女もの書きにとって原稿用紙に向っているということは、。ヒッチャーがマウンドに立っているの 朝と同じようなものなのだ。私は今までに何度、そう胸に叫んだかしれない。そう、「胸に」であ る。口に出して叫びたいが、そうすることは出来ない。そんなことを口にすると、「無理解な」 「我儘な」雇い主ということになるからである。 ら、 ぼう・せん

9. 朝雨 女のうでまくり

200 は入ればいいのである。風景絶佳の風呂に入っても、クョクョオドオドして入っていれば少し 楽しくないのだ。 考えてみるとさんは、友情に厚い人なのである。おいしいものがあると友達に分け与えたい し、友達に辛いことがあると共に泣く。しかし、自分がおいしいと思っているものを友達がそら 思わないで食べなかったりすると腹を立てる。 「あんな男、ダメよ ! キザでうぬ。ほれやで : : : あの人、女性問題でもなかなかなのよ」 と騒いで、友達の恋愛を壊してしまった人もいる。その時の彼女は正義と友情に燃える騎士に でもなったつもりである。 友情というものは、決して押しつけてはならぬものだ。場合によっては友情を抱いているゆ身 に、ただ遠くから友人の苦闘を見守っているだけのこともある。 1 こうさっ 人の目にはそれが冷ややかに映ろうとも、そのときはそうすることが大切なのたと洞察する聰 相手にとって必要なものは何かということを見定めることが出来るまでには、友情も長い時間飛 必要なのかもしれない。 夢と「その時」 ある日読売新聞の「お茶の間論壇」に次のような三十二歳の主婦の投稿が掲載されていた。

10. 朝雨 女のうでまくり

116 妻は退屈しない 女はなぜ、結婚したがるのか ? 結婚の退屈を平気で持続出来るのはなぜか ? 某誌編集部からそう問われた。 「きまってるじゃないの、ひとりでいるより、その方が楽しいからよ」 と私の女友達はいし 「じゃあ、男は結婚を退屈たと思っていたの ? 」 と反問した。 「ひとりでいる方が退屈じゃないの」と。 私の別の女友達に、結婚以来、二十七年間、一日も欠かさずに家計簿をつけて来た人がいる。 彼女の家には二十七冊の家計簿があり、時々、彼女はそれを繰っては遠い思い出に浸っている。 「昭和一一十一年の八月、フカシ芋四切れで十円だ 0 たんだわ。思い出すわ。あの時、身を切ら れるような気持で買ったことを覚えてるわ。浅草でよ。ほら、観音さまの境内で食べたじゃない の。浮浪児がやって来て、じーっと見つめるので、仕方なく一切れ、やったわねえ」 そういう思い出を語ることが、彼女は楽しいのである。