燗てくれません・ こういう調子で「祝ジ」は延々つづき、田辺茂一さん ( 故紀伊國屋書店社長 ) の名調子 と相まって、満場、爆笑につぐ爆笑で、 「この北杜夫さんというお方はどういう人で ? いやあ、たいした才能の人ですなあ」 さたん と一同、嗟嘆したのである。 まことに北社夫という人は、文学の才能が服を着て歩いているような人物で、それ以外 かねもう の能といったらこれ、皆無なのである。スポーツダメ、音楽音痴、金儲けもダメ。だがこ くや と文学に関する限り、口惜しいが私はこの愚弟を仰ぎ見なければならない。 考えてみれば四十年のつき合いのもとはそこにあるということがわかる。まったく小説 を書かない北杜夫なんて、これ以上に困った存在はないのである。 ( 編集部注・遠藤周作氏は平成八年に亡くなられました。 ) たなべもいち きのくにや
先さまの家風 自作がテレビ化される時、感想を求められると私はよくこう答えたものである。 「娘を嫁にやったようなものですから、先方の家風によって、どんなふうに作り変えられ ようと仕方ないと思っています」 うちわ しかし世の母親というものは、そうはいっても、内輪のかげロで、 ーの漬物を買ってるんですって。おふく 「あそこの家ではヌカミソも作らないで、スー。ハ ろの味ってものがないらしいのよ。あの家ではスー。ハーの味がおふくろの味なの」 とか、あるいはまた、 「あのお母さんは毎日、ヌカミソを掻きまぜないとご機嫌が悪いんだって : : : 合理的じゃ 風ないわねえ」 まなどといわずにはいられない。 はず 先そのように私も嫁にやった筈の我が小説のテレビ化を見ている間に、 「なに、あの出だしのシーンは。新聞配達が早朝の住宅地を新聞配っているところから始
その夜から宗薫は私の家に居坐って帰らない。「青菜に塩」というあんばいでじーっと 坐ってウッケのようだ。田畑麦彦が宗薫の好きなピンポン野球をして気を引き立てようと しても、することはするが終った後はまたじーっとうつけている。 「困ったね、宗薫、見たら泣いてるんだ」 と麦彦はいった。私の弘前行きには麦彦も同行することになっている。その日は迫って いるが宗薫は帰らない。 「ーー仕方ない、連れて行くか」 ということになった。宗薫はほっとしたように行きたいという。 うえの おおみや 当日、三人で上野から夜行に乗った。大宮から若い厚化粧の女が乗って来て、宗薫の隣 に坐ったのだが、ふと気がつくと宗薫はしきりに女に話しかけているではないか。私と麦 彦は思わず顔を見合わせた。 「三ッ子の魂百まで ? 」 と私がいうと麦彦は、 からす 「今泣いた烏がもう笑う」 と答えた。 いすわ
だから私は退屈閉ロする。 てんしよう 「黒髪の乱れたる世にはてしなき、おもいに消ゆる露の玉の緒 : : : 天正十年、武田勝頼の 妻は十九歳でそんな辞世の歌を残しています」 そのしたり顔を見るとつい負けん気が起きて、 いち 「さらぬだに打ちぬるほども夏の夜の、別れを誘うほととぎす : : : お市の方の辞世の歌は こうでしたわね」 ウロ覚えのままいわでものことをいって、 「別れを誘うほととぎす、ではありません。ほととぎすかな、ですね。『かな』がっきま と訂正され、ますます私は「記憶力抜群の人」に対する反感を強めてしまったのである。 ものし 記憶力がいいからといって、教養が深いとは決められない。たとえいかなる物識りと自 任していようと相手かまわず記憶力のひけらかしなどするべきでないということを認識し てこそ、教養ある人といえるのである。 ところで東大出と結婚した子さんは、一年足らずのうちにご亭主がイヤになり、離婚 も考えるようになった。 たけだかつより
213 解説 てくれる " ビタミン—〃だと言いたい。本文中にこういうところがある。 〈だいたいレポーターとかアナウンサーの人たちの質問。あんな他愛のない、返事のし ようのないような、いってもいわなくてもいいような質問に、マトモに答えていられる かというんだ。何かというと「今のお気持は ? 」という。相撲に勝てば嬉しい、負けれ ば口惜しいに決っている。うるせえな、勝てば嬉しいに決ってるじゃないか、わかりき ったことを訊くな、という人が一人くらいいてもよさそうなものだが、そんなことをい おうものなら全マスコミこぞって悪口をいいまくるだろう。〉 ( 負けるもまたよし ) 常日頃こっちもそう思っているから痛快である。全くテレビのレポーターというのも商 売とはいえよくやると思う。時には己に懐疑的になったりしないものなのだろうか。 「あなたにとって相撲とは ? 」なんていう意味不明の質問をするのも流行らしいが一体ど んな返事を期待しているのだろう。 葬式があれば会葬者の中から目星いのを追いまわし「どんなお別れの言葉をかけておあ げになりましたか ? 」と悲しそうな声で訊く。佐藤さんはそれが嫌さに裏口から逃げだそ うとされたぐらいだ。 「人の目、男の目」で佐藤さんが、
夏ならいいが、冬は寒い。 「なんだ、これは ! 」 といいつつ、私は出て行ってドアーを閉めるのである。 「便所へ行ってもおシリを拭かないの ? あなたは : : : 」といってやりたいわ、と私がい うと、前出の気弱い友達はいった。 「今はおシリ拭かないのよ。洗浄器で洗って乾かすのよ : : : 」 ふーん、と私は気が抜けた。考えてみると今は会社、マンション、ホテル、スー ーケット、レスト一フン、ラーメン屋どこへ行っても自動ドアーが普及している。ドア 1 の 前に立てば、スイーと開き、通り過ぎればスイーと閉る。 それを一日に何度かやっているうちに、出人口では、手を使わずにスーイと通る癖がっ 5 いてしま「たのだろうか。そのため我が家のような築後一一一十余年の ~ 来てもスーイス きーイと通ってしまうのかもしれない。 私がそういうと、気弱の友達は、 現 「そうそう、そうなのよ、そう考えるのがいいのよ」 我が意を得たように身を乗り出した。
日記嫌い 日記嫌い 職業柄、日記はつけておいた方がよいと同業の先輩たちからいわれてきたが、その通り だと思いながら、ずーっとつけてなかった。日常の心覚えとしてつけておくのならよいが、 おっくう その時の心情を毎日正直に記すのは億劫である。日記というものは大体、一日の終りにつ けるものだが、その頃になると私はもう、ペンを持つのがイヤという心情になっているの 、、こ 0 私は旅にでも出ない限りは、来る日も来る日も一日中、ペンを持っている。頭のマトマ リの悪い私は五枚の原稿を書くにも必ず下書きをするのである。それから清書にかかる。 だがその途中で気に人らなくなり、手を人れてまた清書をする。それがまたもや気に人ら なくて清書の原稿が下書き同様のものになる。 そんなことをくり返しているので、たった五、六枚の原稿が二日間に跨ってしまうこと かんべき があるくらいで、長篇になると一日中、ペンを握っている。完璧主義というわけではなく、 3 頭の整理が悪いのである。 ちょうへん またが
151 教養とは ? るのである。 それは記憶するばかりで「考えない」というアホである。知識は頭に詰め込めばいい、 そしやく というものではない。身につけた知識をもって、深く考える。知識を咀嚼し、血とし肉と してこそはじめて「アタマがいい」ということになるのだ。 私の知り合いに記憶力抜群のおばさんがいて、特に日本歴史が得意だった。人はみな彼 女のことを「アタマのいい人」と感心している。 うじようそううんあしかが おだわら そのおばさんとある時、一緒に新幹線に乗った。小田原を過ぎると、北条早雲が足利氏 せきはら ひでよし から城を奪った話になり、やがて北条氏は秀吉の軍門に降るという説明になる。関が原を けいちょう 通れば「関が原の戦いはあれは慶長五年九月に起っています。秀吉が死んだのは慶長三年 の八月ですから、丁度二年目です」と始まる。それがどうした、と私はいいたい。観光・ハ かとうきょまさ スに乗ってるんじゃないから静かにしてほしい。しかしおばさんはつづける。「加藤清正、 くろだながまさそかわただおきわきさかやすはるふくしままさのりあさのよしながかとうよしあき 黒田長政、細川忠興、脇坂安治、福島正則、浅野幸長、加藤嘉明 : : : これで七人ですわね。 そろ いしだみつなり この七将が揃って石田三成を襲ったんです」 ひれき つまるところおばさんは己の記憶力を披瀝しようとしているのであって、そういう歴史 的事実の持つ意味、それについての彼女の考え方を披露しようとしているのではないのだ。
Ⅷ我が子をよく見、よく知り、想像力を働かせることだろう。 「お子さん、お孫さんの進学指導の方法に大きな誤りはないでしようか ? 」 こういうビラをもらった。子供の能力を一〇〇 % 引き出すにはどうすればよいのかと書 いてある。 一、学習方法や記憶力アップの方法に基本的な問題がなかったか ? 二、お子さんの頭脳にとって良い食事のとり方をしているのか ? 三、睡眠のとり方に問題はないか ? 「これらの問題を解決し、本人の自主性Ⅱやる気を育成するため『頭脳と栄養』の関係や 『頭脳の鍛え方』について基礎的な見直しをし、進学指導の武器とするようにしよう。建 いしずえ 物には礎が大事なように、お子さんの教育も土台づくりが必要です」 あぜん 私は唖然として言葉を失った。 「子供の能力を一〇〇 % 引き出す」とは簡単にいってくれるものだ。人の能力とは千差万 別のもので、子供の時からそう簡単に見つけられるものではないのだ。 だが、どうやらこの先生たちは子供の能力というものを、「記憶力」「学力」に置いてい るようで、それを伸ばすことが「よい教育」だと考えているようである。
114 いってもいってもまだいい足りぬ、という怒りようだった。私は、といえばもう、言葉 を費すさえアホらしく、 「フン ! 」 と鼻先で吹き飛ばしただけだった。 はしもとだいじろう 数日後、一人でぼんやりテレビに目を向けていると、高知県知事の橋本大一一郎氏が、何 やら頬を引きつらせて怒っておられる。そこは高知市の成人式場で、東京世田谷区の成人 式と同じ光景が高知市でもくりひろげられていたことがわかった。 しっせき 自分たちのために述べられている祝辞を、なぜ静かに聞けないのか、という意味の叱責 あっけ しず が強い調子で橋本氏の口から出ている。さすがに場内は ( 呆気にとられて ? ) シーンと鎮 まっている。 その映像が消えると、スタジオに横に並んだ五、六人の「文化人」なる人々が映し出さ れ、司会者が「いかがですか ? 」と意見を求めた。そこでいかなる怒り・批判の言葉が出 るかと私は期待したのだったが、間髪を人れず元京大教授の先生が開口一番こういわれ 「話を聞かせられない方が悪い :