「はあ : : : 話を聞かせるだけの魅力がないというわけですか」 司会者はそういうようなことをいい、後の人たちは賛成なのか、反対なのか、一見憮体 としたようなその半笑いの表情からは何も汲み取ることが出来なかったのである。 話を聞かせられない方が悪い : そういう発想が若者から出たのならともかく、頭の白くなったお方から出るとは思わな かった。それが、新しい考え方ーーー現代を生き抜くための年寄りの知恵というものなのか もしれない。 若者の理解者になる ( 若者の側に身を寄せる ) ことが、精神の平和を得る唯一の方法な のかもしれない。 一瞬私はメマイを覚え、あんたの頭にはカビが生えている、といわれたような気がした。 論そしてかかる若者に話を傾聴させることの出来る人物は ? と改めて考えた。思いつい みやざわ 三たのはビートたけしである。次に浮んだのは宮沢りえである。ふざけて笑わせて聞かせる か、ヌードの興味で惹き寄せるか。 人 成 成人式の若者の「レベル」は私には想像もっかないから、カビ頭にはそんなことしか浮 ばないのである。
演説病 十一月末の上砂降りの一日、私は京都にいた。京都まで行ったので、ついでに神戸まで 足を伸ばし、旧友と会食をする約束が出来て四時頃、京都駅へ行った。新幹線に乗れば新 はず 神戸まで三十分足らずでいける筈だ。 じっこん 京都には母の代から昵懇にしている呉服屋があって、そこの番頭の中山さんとはもう二 十年来のつき合いである。京都へ行くと中山さんがいつも世話をやいてくれるので重宝に している。 この日も京都駅まで送ってもらった。 京都駅で新神戸までの切符を買おうとすると、中山さんは、「グリーン車の売場はあっ 病ちでっせ」という。 説「グリーン車 ? 」 まゆひそ 演私は眉を顰めた。京都から新神戸まで三十分足らず。自由席で結構だ。 だが中山さんは、自由席みたいなとこへ乗りはったりしたら、みつとものうおますがな、
214 〈「この頃の若い男女は人の目ばかり気にしている」だと ? 冗談じゃない。〉 と怒るのも当り前。混雑する駅の構内を若い連中があの巾広のバッグを肩に闊歩するの には誰だって腹が立つ。 飛行機の中で隣席の女性が足元のバッグをどけないので佐藤さんはついにその上を踏ん で席につく。 〈私が。ハッグの上を踏んで通ったことに気がっかなかったのかもしれない。「人の目」ど ころか他人の振舞にも全く無関心なのである。〉 そうなんです。どうして若いモンは、他人の気持や、客観的状況をおもんばかる想像力 が欠如しているのだろうか。どうしてこうも鈍感なのか、と思う。 しかるに世の男性は若い娘にモテたいから ( まあ、それは当然だろうが ) やたらに理解 を示すのが多い。 いつだったか″朝まで生テレビ〃で女子高生の問題をとり上げたことがあった。ヒナ壇 に招かれた女子高校生たちは同じ化粧で同じようなチョイ美人。テレビに映ることでつつ ばっている。それに対する″文化人〃というべきなのかずらり並んだ男のヘナチョコぶり
「ヤラセじゃないの」 「ヤラセくさいけど、でも体験の再現フィルムっていってたわ。やつばりホントにあった ことじゃないのかしら : : : 」 などといっていた人たちも、これでもかこれでもかとやられると、いっか真顔になって 引き込まれ、すっかりマニアになって中にはビデオテープにまで撮っている人がいる。テ レビや女性週刊誌が心霊番組、心霊記事を欠かさないということは、それを出せばそこそ こ売れる ( 視聴率が取れる ) からなのであろう。 こう書いてきたからといって、私は心霊現象を否定しようとしているのではない。私は 長い間 五十歳を過ぎるまで、人間は死ねば無になると思っていた。根拠があってのこ はとではない。そう考えておくのが気らくだから漠然とそう思っていただけである。死んだ ら何もかもなくなってしまうのだから、死者のための法要など必要ではない、と考えてい らた。墓は私にとって死者への追憶の場でしかなかったのである。 な に だが私が五十歳になるのを待っていたように、私の上にさまざまな超常現象が起り始め た。その怖さと不思議さに引きずられていくうちに、私は死後の世界を信じないわけには いかなくなった。もしも死後の世界を否定するとしたら、いったい私の経験した超常現象 こわ
116 確かに祝典の祝辞、葬式の弔辞ほどっまらないものはない。日本人の形式主義、紋切型、 才気のなさは世界に比類ないものだろう。しかし形式的であろうと紋切型であろうと、お となたちは今、成人したあんた方のために祝賀の式典を行ってくれているのだ。ない才気 を絞って ( 絞らないのもいるが ) 一文にもならん祝辞を述べているのだ。私のように、 「成人とは空つぼアタマにカンザシさして普段着ない着物をベラシャ一フ着ることか ! 成 人式なんてやめた方がいい ! 」 まじめ などといっている手合よりも、真面目に祝い、激励しようとしている人たちの方が、ど れだけあんたたちには有難い人たちかしれないのである。 成人式はある方がいいのか、ない方がいいのか、と娘さんたちに訊くと、やつばしある 方がいいわ、といった。 「第一、式がなければ着物を見せびらかす場所がないもの」 と笑っている。 あいさっ それならばいかにつまらん挨拶であろうと、聞くのに辛い努力を要する話であろうと、 静かに聞くのが ( 少なくとも聞くふりをするのが ) 厚意に対する礼儀というものではない か。着物を見せびらかす場所を与えてもらったこと、見せびらかす着物を親から与えられ
114 いってもいってもまだいい足りぬ、という怒りようだった。私は、といえばもう、言葉 を費すさえアホらしく、 「フン ! 」 と鼻先で吹き飛ばしただけだった。 はしもとだいじろう 数日後、一人でぼんやりテレビに目を向けていると、高知県知事の橋本大一一郎氏が、何 やら頬を引きつらせて怒っておられる。そこは高知市の成人式場で、東京世田谷区の成人 式と同じ光景が高知市でもくりひろげられていたことがわかった。 しっせき 自分たちのために述べられている祝辞を、なぜ静かに聞けないのか、という意味の叱責 あっけ しず が強い調子で橋本氏の口から出ている。さすがに場内は ( 呆気にとられて ? ) シーンと鎮 まっている。 その映像が消えると、スタジオに横に並んだ五、六人の「文化人」なる人々が映し出さ れ、司会者が「いかがですか ? 」と意見を求めた。そこでいかなる怒り・批判の言葉が出 るかと私は期待したのだったが、間髪を人れず元京大教授の先生が開口一番こういわれ 「話を聞かせられない方が悪い :
215 解説 には腹が立った。つまりみんな若い娘によく思われたいのである。オジサン殺すに刃物は 要らぬ、″古い〃の一語でトドメ刺す、といいたくなる。魚なら古くちゃいけないが、い いじゃないか古くたって。人間古いからこそいい場合もあるのだ。 〈若者の理解者になる ( 若者の側に身を寄せる ) ことが、精神の平和を得る唯一の方法 なのかも知れない。〉 ( 成人式、三十歳論 ) と佐藤さんも言われている。 近頃電車の中でもやたらにべたついている男女を見かけるが、こんな時期には相手以外 の人間など眼中に人らないのだろう。それも女の方が積極的なのもいとおかし、である。 まあ、これも孔雀が尾羽を拡げるのと同じでつきつめてみりや種族保存の本能。これが なくては人類は滅亡してしまう。 だが動物の中で唯一この本能を自らコントロールできるのは人間だけではないのか。人 間たいして取柄はないがこれだけは他の動物諸君に誇れるものと思っていた。 佐藤さんはまた、今の子供は我慢する力が弱い。それは親の責任だ。鍛えていないから おっしゃ だ。と仰言る。 〈人の目というより『男の目』といった方がいいんじゃないですか。〉 ( 人の目、男の目 )
文芸誌に載りたい一心の宗薫はそのおだてに乗って書いたのだ。乗った方が悪いといえば それまでだが、自分が勧めて書かせた作品を擁護もせず、「謝罪文を書け」はないだろう。 私はそういっていきまき、宗薫に書いてはいけない、断りなさい、といった。だが宗薫 は書いた。そしてその原稿を届けに行くから私について行ってくれという。 新潮社の応接室で宗薫と私を前にして ()n は謝罪文を読んだ。そしていった。 「なんだ、これは。ちっとも謝ってないじゃないか : : : 」 とどろびざ 私は憤激のあまり心臓が轟いて膝がガクガクした。弱小作家の悲哀をこの時ほど感じた ことはない。まるで下請職人に文句をいう問屋じゃないか ! ーーー作家がものを書くということはどういうことか。その人にとっての真実を披瀝する ということではないか。従って書いたものに対してはあくまで責任をとる。時によっては も闘う。我々はそういう覚悟をもって書いているのだ。謝罪文を書けなど無礼ではないか 方 に 死 なそういう言葉が私の中で渦巻いていたが、情けないことには声が出なかった。それにど この馬の骨ともわからぬ私がいきなりしやしやり出て喚き散らすことで、宗薫が更に難儀 跚な立場に陥ってはいけないという思いもあった。 わめ ひれき
いたで 東京から離れるにつれて宗薫の傷手はみるみる癒えていくのである。弘前へ着くと私は 旅館に二人を残して郷土史家の家を訪ねた。後で聞いたところによると二人は大広間でピ ンポン野球をして、女中頭に叱られたということである。 その翌日は取材の後、十和田湖へ行って一泊した。宗薫は一人になると忘れていたこと を思い出すのか、片時も麦彦から離れず、夜も我々夫婦と同じ部屋に寝たいという。 「いいだろ ? 可哀そうだからさ」 と麦彦はいい、宗薫は、 ざんげ 「その代り、今夜はとっときのイロ懺悔をするよ」 まくら と私の機嫌をとる。仕方なく一つ部屋に三人枕を並べた。 「さあ、早くしなさいよ、とっときのイロ懺悔ってやっ」 床に人ると私は早速催促した。 に「うん : : : イロ懺悔か : : : もうたいていの話はしちゃったからなあ : : : 」 な「とっときのをするっていったじゃないの ! あれ、ウソなの ? 欺したの ? さあ、早 くしなさいよ : : : 」 と私は怒った。宗薫は仕方なさそうに、中学生の時、文房具屋の娘に目をつけてね、と 197 しか だま
いつ行けるかわからない。ハリであるからこそ、それが夢だったのである。 だがそのうち、何年かかるかわからない「。ハリ行き貯金」などしなくても、ちょっとし た努力で誰もが簡単に行けるという時代になった。それはもう「夢」と呼ぶようなことで はなくなった。 現代人には夢を見る必要などなくなったのである。 考えてみればこの私も、もう何年も初夢のことなど忘れて暮している。盆も暮も正月も ない、ただただ忙しく日々を過ごしているという暮しになり、いいことも悪いことも同じ ように受け止めるという生活態度が身についてからは、夢の善し悪しなどどうでもよくな ったのだ。昨夜は何だか夢を見たような気がするけれども、思い出せそうで出てこない、 というふうになった。 ところが今年 ( 平成五年 ) 一月二日の明け方、目が醒めると今見た夢をはっきり覚えて いた。覚えていたのはあまりに現実的な夢だったためだろう。 私は大きな劇場の支配人室にいる。支配人はそれではこれからご案内させますからとい って若い女の案内係を呼び、私は彼女と一緒に支配人室を出て観客席へ行った。支配人が くれた切符には一四〇と書いてある。案内係は私の後ろにじーっと立っている。