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検索対象: 死ぬための生き方
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1. 死ぬための生き方

Ⅷるのか 「本式に留守番をさせる前に、あらかじめ練習をさせておけばいいでしよう」 うなず かぎあな と先生がいう。アナウンサーは感心して頷く。ア。ハートのドアーの前で、鍵穴に鍵を差 まわ し込んで廻している子供、それを見守る母親の姿が映し出されている。後はどうなったの か、あまりバカバカしいので見るのをやめた。 母親よ、自分の目で子供を見、自分の耳で子供の声を聞き、自分の頭で考え、判断せよ。 六つと三つの子供を残し、ドアーに鍵をかけてタ飯の買物に出かけたお母さんがいた ( これを「留守番」というのか「監禁」というのかよくわからぬが ) 。 そのお母さんは、買物をすませての帰り、商店街で知り合いの奥さんと出会ったので、 立ち話をしていた。と、消防車がサイレンを鳴らしつつ脇を走って行く。 「火事らしいわねえ。急がなくちゃ」 といって別れて帰ってくると、自分のア。ハートから煙が出ていた。寒いので消さずに出 た石油ストープを子供がいたずらをしたらしく、そこから火が出たのである。子供は逃げ ようにもドアーに鍵がかかっている。窓から飛び降りることはできないから、風呂場に逃 げて浴槽の中で抱き合って震えていた。上の子供は助かり、下の子供は息絶えたという。 わき ふろば

2. 死ぬための生き方

ポカリスエット 八時長野発東京行きの列車に乗って間もなく、とある駅から結婚式を終えたばかりのカ ップルが乗り込んで来た。プラットフォームには新郎の友人らしい七、八人の青年がいて、 窓の向こうから盛んに新郎をからかっている。新郎は窓ガラスに顔を寄せて、ふざけ半分 に応酬している。よくある光景だ。特に好奇心をそそられたというわけではないが、退屈 まぎれに私はその様子を眺めていた。 私の席はそのカップルと通路を隔てて一つ後ろの窓際である。私の左隣には編集者の— すわ さんが坐っている。私の席からは新郎は見えない。新婦は窓際にいるが、見送りの連中の はしゃぎように対する応酬は新郎に一任したといわんばかりにじっと静かにしているよう である。私の目には黒い髪の一部が見えるだけだ。 列車は走り出し、新郎は通路側の自分の席についた。背が高く、色の小黒いスポーツマ ンタイプである。一一一「ロ三言、新郎は新婦に話しかけたが、その後二人は何もしゃべらない。 新婦は窓の方に身体を寄せ、頭をもたせかけたままだ。新郎は背中を真直に伸ばし、前方 からだ

3. 死ぬための生き方

となっている筈である。その習性となった主婦根性と闘いながらするおしゃれは、どこか 馴れておらず野暮ったさがっきまとっている筈である。 なのにド一フマの信子は、普通の主婦なら目を剥くような、いかにも高価そうなしゃれた 服を着て出てくる。出てくる度に着替えている。いったいその金はどこから出た ! は思わず叫ぶ。へソクリをそんなに沢山貯めていたのか ? どうしてテレビド一フマを制作する人たちは、「人間」について考察しないのだろう。例 だじゃれ えば笑い方ひとつにしても、「その人の笑い方」というものがある。駄洒落を聞いて笑う 人もいれば、笑わない人もいる。笑う人の中にも、サービスで笑う人もいれば、心底その 駄洒落がおかしくて笑う人もいる。この人物はどういう笑い方をするか。彼はなぜそれを おかしいと思うのか ? 笑い方ひとつにも「人間」が出るのである。そこが面白いところだ。作りものの話の筋 などあってもなくてもいいのだ。登場する「人間」がリアリティをもてば、それがドラマ だと私は思っている。 その時の「『凪の光景』ドラマ化」に失望した私は、絶対、自作 ( 自分の気に人った作 品 ) のドラマ化はしないと心に決めていた。にもかかわらず、またしても東宝制作、フジ

4. 死ぬための生き方

ある日私は孫を乳母車に乗せて町内を散歩した。こうして散歩をするのは何年ぶりかと 考え、いや何年ぶりじゃない何十年ぶりというべきであったと気がついた。乳母車を押し ながらあの邸宅の前を通る。 そこは何年か前に大企業に買い取られて鉄筋コンクリート三階建の社員寮に変り、あの 大王松の姿は見当らなくなっている。家屋が取り壊された時に一緒に切られてしまったの だろう。そこを通るたびにそう思いながら通り過ぎていたのだったが、その時、乳母車を 押しつつ、いつになくのんびりと空を見上げた目の中に、鉄筋一二階の屋根に届かんばかり の松の大木が人ってきた。くろずんだ葉のかたまりが幾つもの房のように重なり垂れてい る。 あっと思わず声が出た。あの大王松だった。あの大王松の年々歳々の成長を見ることな く過ぎた長い年月が今更のように思われた。考えてみれば当り前のことだった。あの時私 に手を引かれていた娘が産んだ子供が、今乳母車に乗っているのだから。 おい 花あればこそ老知る今日もあり 戦いすんで今は静かに日が暮れつつあるのだった。

5. 死ぬための生き方

った医院で、ついでに計りましようと言われて計ってもらったが ( その医院に立ち寄った のは、それを計るのが目的ではなかったから ) 、すぐに忘れてしまった。コレステロール の方は確か三〇〇以上だったように思うが、記憶違いかもしれない。その時に数値を記し もら た紙キレを貰ったが、それもどこかへやってしまった。 「あなたのは運動不足のためであって、美食のためではありませんな」 とその時いわれたが、その通りだろうと思った。しかし運動不足解消のために何もしな かった。あえてそれをやるとへトへトになるような気がしたのだ。何よりも面倒くさかっ むとんちゃく なぜあなたは自分の健康に対して無頓着なのかとよく訊かれる。私は答に詰る。私にい わせると、なぜあなたはそんなに血圧やコレステロールを気にするのですか、と訊きたい。 そんなものをいちいち気にしているほど、私のアタマの中は暇じゃないのだ、といいたく いしゆく なる。第一、それを気にしていたら生活が萎縮してしまう。実際に病気になってしまった のならともかく、まだ何病ともいわれないうちから、カロリー計算をして食べたいものを まわ 制限したり、万歩計を腰につけて歩き廻ったり、朝にタに血圧計を友とする暮し、天然ビ かきは タミンとやらを飲み、柿の葉茶を飲用し、若返り体操をやり、サカダチがよいといわれれ

6. 死ぬための生き方

の前に安モノながら人形を買っている。人がふり返るほど泣き喚かれたのでは、意地でも 買わんぞ、という気構えである。ここでムザムザ買ってやっては、以後このテを使って押 し通すことを覚えるだろう。 ムリャリ手を引っぱってオモチャ売場を離れた。娘は泣きながら引っぱられて歩いてい るうちに、疲れたのかややおとなしくなった。やれやれと思ってふと気がつくと、夢中で まわ 歩いているうちに、フロア 1 をひと廻りして元の場所へ戻っているではないか。なんと、 忘れかけていたあのモノが我々の目の前にあるのだ。 私が気がつくのと同時に娘奴も気づきおって、途端にワーン、ワーン、あれ買うウが始 まった。それを引っさらうようにしてエスカレーターに押し込むと、娘は暴れてひっくり 返り、エスカレーターの上で頭は下、足は上、という状態になったまま、上へ上へと上っ に て行く。エスカレーターガールがとんできて私は叱られ、娘はびつくりしてあのモノのこ な ? とは忘れてしまった。 我が愚娘ばかりじゃない。そんな光景は昔はいたる所に見られたのだ。 可 しかし今はどこにもそんな子供はいない。みんな涼しい顔をしている。わかりのいい子 が増えたのだ。そういって私が感心していると、年下の友人がこういった。 め

7. 死ぬための生き方

103 愚弟 は医師が二人しかいない。そのため我々の結婚式ーーいや、式なんて旧弊なものはしなか った。ただの披露宴だが北さんにも出てほしいというと、出たいが出られぬというこんな 返事がきた。 「拝復。ハガキ頂き、なんとも恐縮です。 こちらは県の公務員で院長は病気でもう一人の医者まで胸がわるいといふことになり、 とても休日など意のままにならぬこと御了承下されたし。行けるやうなら、用なくとも東 京にゐますよ。 やっ 君らが希望ならテ 1 プルスピーチ用の原稿をかいて送ってもよい。声のいい奴によませ はず ろ。ただし、そのときは、小生の食事代一人分の二倍ほどの金がうく筈だから、それを原 稿料として送ること。佐藤愛子のシーザー風 ( といふのはどんなのかわからんが ) を見ら れぬのは心痛いが、。ハンティ一つなら、病院をあけて直行くらゐしたかも知れんのに。 ( 注シーザー風というのは、当日に私が着る予定のドレスで、私の姉が考案したデザ イン。よくいうと古代ギリシャ風とでもいうか、片一方の肩が出ている ) とにかく小生がいってしまふと、病院に医者が一人もゐなくなるといふことになる最悪 の時なので、怒らんでくれ。

8. 死ぬための生き方

じようとう まるなんて、。ハターン、 。ハタ 1 ン。三流ドラマの常套だ ! 」 A 」、カ 「わたしがちゃんと、キャラクターを書き分けて会話を作ってるじゃないか ! なのにそ せりふ れをどうしてわざわざ、あんなヘンテコな台詞に直すのだ ! 」 などとブップッ文句をいい出す。揚句のはてに、 「もうテレビ化はごめんだ。人をコケにした原作料の安さ、原作者の意図は何も通らない。 脚本に意見をいっても無視される , この次は断乎、断ります ! 」 決意のほどを宣言していても、次にテレビ化の話がくるといつの間にか承知している。 「人をコケにした原作料」でもやつばり欲しいのか、と人は思うかもしれないが、そうで はない。自分の書いたものがどんなふうに映像化されるか、生身の人間によって表現され るか、それを見たいという欲求を抑えかねるのである。 なぎ 『凪の光景』は数少ない私の気に人りの小説のひとつである。登場人物の一人一人に私は 他の作品にはない深い愛情を注いできた。戦前戦中、教師生活をつづけて引退した元校長 おおばじようたろう いらだふんぬ 大庭丈太郎は、激変した時代の観念、世相と何かにつけて融和出来ずに苛立ち憤怒する。 その彼は私の分身なのである。 だんこ

9. 死ぬための生き方

202 げつ 私は惑乱して口をアグアグさせている。そんな私はもちろんの視野にはない。 「書けよ、書き足せよ : : : 」 と原稿を宗薫の方へ押しやる。すると宗薫の手は夢遊病者のように胸ポケットに向い、 万年筆を取り出してキャップを外す。私は悪夢を見るようにその姿を見ていた。 帰り道、私は宗薫にいった。 「ダメねえ、川上さんは。どうして拒絶しなかったのよ ! 」 宗薫は私にいった。 「愛子さんが何かいってくれるかと思って待ってたんだがなあ : : : 」 宗薫が大流行作家になったのはそれから六年後である。の事件以来宗薫はどの文芸雑 誌からもお呼びがかからなくなり、大作家となったへの配慮から持ち込み原稿も拒絶さ ひら れるという羽目に陥った。その宗薫にエンターティンメント作家としての道を拓いたのが おおむらひこじろう 講談社『小説現代』の副編集長だった大村彦次郎である。何しろ芥川賞候補五回という経 歴の宗薫であるから、どうしても小説が純文学風になる。宗薫は何度か書き直しをさせら ちょの みつ れていたが、『千代乃の反逆』という短篇でスタートし、四十二年の秋頃に書いた『蜜 月』という好短篇から流行作家としての道を歩きはじめた。

10. 死ぬための生き方

圏 こうした一群の女性をもって日本の女性全体を決めることはできないだろうが、日本女 性の性意識が急速に解放された結果、女も男ナミに性を享楽するようになっていることは 確かである。もはや何もかも男のせいにすることはできなくなった。 りんびよう かって女の性が男に従属していた頃、女は常に男の被害者だった。その頃の性病 ( 淋病 や・ハイ毒 ) は買春によって感染した男が妻にうっすというのが常道で、貞淑な妻が夫のた めに、関節が淋菌に冒されて腕が曲らなくなったり、脚が不自由になったという例は幾つ もあった。・ハイ毒が脳へきて、頭がおかしくなったという奥さんもいた。彼女たちはみな、 夫の不品行の犠牲者だったのだ。 そんな痛ましい人たちを見かけなくなったのは、男が自覚して身を慎むようになったた めではなく、医学の進歩のおかげである。淋病はペニシリンで簡単に治るようになった。 ハンザーイ、これからは安心してやれるぞ、と愈々買春に精を出す男もいた。女はその陰 でいつも泣いていたのだ。妻から夫へ性病がうつるということはまずなかった。 だが今のなりゆきでは、そのうち妻が夫にエイズをうっす、という事態が現れてくるだ ろう。男女平等の時代になれば、女だってどこかでエイズに感染してくる。これぞ女が男 あかし と平等になった証。女性解放の証であるというべきなのか。嗚呼 ! いよいよ