Ⅷ我が子をよく見、よく知り、想像力を働かせることだろう。 「お子さん、お孫さんの進学指導の方法に大きな誤りはないでしようか ? 」 こういうビラをもらった。子供の能力を一〇〇 % 引き出すにはどうすればよいのかと書 いてある。 一、学習方法や記憶力アップの方法に基本的な問題がなかったか ? 二、お子さんの頭脳にとって良い食事のとり方をしているのか ? 三、睡眠のとり方に問題はないか ? 「これらの問題を解決し、本人の自主性Ⅱやる気を育成するため『頭脳と栄養』の関係や 『頭脳の鍛え方』について基礎的な見直しをし、進学指導の武器とするようにしよう。建 いしずえ 物には礎が大事なように、お子さんの教育も土台づくりが必要です」 あぜん 私は唖然として言葉を失った。 「子供の能力を一〇〇 % 引き出す」とは簡単にいってくれるものだ。人の能力とは千差万 別のもので、子供の時からそう簡単に見つけられるものではないのだ。 だが、どうやらこの先生たちは子供の能力というものを、「記憶力」「学力」に置いてい るようで、それを伸ばすことが「よい教育」だと考えているようである。
善玉・悪玉 子供の頃、熱中して読んだ講談や小説は必ず「善玉」と「悪玉」によって構成され、善 玉は悪玉に苦しめられるが、最後には善玉が勝ち、悪玉は降参して逃げていく。あるいは 改心して善玉の家来になり、我々読者をほっとさせたものである。 善玉が悪玉になって栄える小説というものはなかった。私たちが小説を読む楽しみは、 善玉がいかに悪玉に勝っかにあった。悪玉が善玉に勝ってはならなかった。それは作者と 読者との間の暗黙の約束だったのである。 その頃の一般大衆は、おとなも子供もまことに単純で素朴だったから、善玉が悪玉に苦 しめられ、やつつけられる場面では子供ばかりでなく、おとなの中にも本気で泣いたり怒 ったりする人がいた。 私の父は当時、大衆小説家であったが、私は小学校の帰り、。ハン屋のおばさんに呼び止 められて、父が連載していた新聞小説の中で、善玉の女主人公を苦しめる悪玉を、なんで あんたのお父さんは懲らしめないのか、と文句をいわれた。
かわい こうして書くだけでもたまらない話だ。あまりにも可哀そうな話だから、誰も表向きは そのお母さんを非難しない。聞いた話では、その人はたいへん育児に熱心な人で、「子供 が三歳くらいになるまでは母親は家にいないと子供が情緒不安定になる」と何かに書いて あったというので専業主婦になった。子育ての本など何冊も買って、それは育児に熱心な お母さんだったそうだ。 しかし、育児書には「子供に留守番をさせる時は、冬などストープその他、火の元は消 しましよう」とまではもちろん書いてない。そんなことは誰でも知っている常識だからで ある。 「気をつけるのよ。ストープに触れてはダメよ」 の あ と、そのお母さんも注意したことだろう。子供は「うん、うん」と頷いただろう。しか に し頷いたからといって、しつかり胸に刻んだわけではない。何かの弾みですぐ忘れる。そ 何こが子供の子供たるところだ。 は おくびよう マ この子は落ちつきのある子かない子か、臆病か大胆か、注意深いかそうでないか、それ ア を知っているのは親しかいない。一人の時は緊張しているが、二人一二人が一緒になると、 安心して油断するのが子供である。育児熱心とは数冊の育児書を読破することではなく、
142 「今の子供は泣いてゴネる必要がないのよ、母親が何でもいうことをきくから。ほしいと いえば買ってやるから。したいといえばさせてやるから」 だから子供はみんな「いい子」なのだという。 今の若いお母さんは、なぜか子供を叱らない。年輩の者が集まると必ずそういう話にな しっせき る。一番よく出るのは電車の中での子供の傍若無人ぶりだ。そしてそれを叱責しない母親 への批判である。我が子が他人に迷惑をかけているのになぜ叱らないのか。それを年輩者 はみな不思議がる。 今の若い母親は、子供を「叱ってはならない」という育児法を信奉しているのだ、とあ る人はいう。またある人は「叱ることを知らない」のだろうという。知らないということ は、叱る必要を感じない ( 我が子が人に迷惑をかけているとは思わない。あるいは迷惑を かけるのが子供の元気さであるから、おとなはそれを許容するべきだと思っている ) ので あろうという。更にある人はこういった。「叱らない」のではなく「叱れない」んじゃな いか、と。叱るのが面倒くさいから子供のいうことを通すのだ、といったお母さんがいる そうである。 子供を叱るには確かにエネルギーが要る。しかし、今の母親は子供を叱るためのエネル
Ⅷるのか 「本式に留守番をさせる前に、あらかじめ練習をさせておけばいいでしよう」 うなず かぎあな と先生がいう。アナウンサーは感心して頷く。ア。ハートのドアーの前で、鍵穴に鍵を差 まわ し込んで廻している子供、それを見守る母親の姿が映し出されている。後はどうなったの か、あまりバカバカしいので見るのをやめた。 母親よ、自分の目で子供を見、自分の耳で子供の声を聞き、自分の頭で考え、判断せよ。 六つと三つの子供を残し、ドアーに鍵をかけてタ飯の買物に出かけたお母さんがいた ( これを「留守番」というのか「監禁」というのかよくわからぬが ) 。 そのお母さんは、買物をすませての帰り、商店街で知り合いの奥さんと出会ったので、 立ち話をしていた。と、消防車がサイレンを鳴らしつつ脇を走って行く。 「火事らしいわねえ。急がなくちゃ」 といって別れて帰ってくると、自分のア。ハートから煙が出ていた。寒いので消さずに出 た石油ストープを子供がいたずらをしたらしく、そこから火が出たのである。子供は逃げ ようにもドアーに鍵がかかっている。窓から飛び降りることはできないから、風呂場に逃 げて浴槽の中で抱き合って震えていた。上の子供は助かり、下の子供は息絶えたという。 わき ふろば
あるア。ハートで、赤ちゃんの泣き声がうるさいと文句をいわれた若いお母さんがノイロ ーゼになってしまった。いくらうるさいと叱られても、赤ちゃんの声帯を取るわけにはい かない。そのお母さんはある夜、泣きしきる赤ちゃんを絞め殺した夢を見て、地獄の苦し みを味わったといっていた。 それがもし現実の出来事だったらどうだろう。マスコミの総指揮のもと、一億総評論家 となって、住宅事情の悪さを指摘する人、核家族の見直しを主張する人、若い母親の精神 もろ かば 力の脆さを批判する人、文句をいった人を非難する人、あるいは庇う人などなど、論評の 渦が巻き起り、そうして赤ちゃんだけが泣きつづけている、という事態になるのであろう。 赤ン坊というものは、泣くことによって運動し、要求し、成長していくものであること はおとなであれば誰でも承知していることだ。だから今はうるさいけれども、もう少し経 てば夜泣きもやむだろう、それまでの辛抱だ、と考えて我慢することは出来ないものだろ 代うか。永久に泣きつづける赤ン坊なんていやしないのだ。 句私がそういうと、それは佐藤さんがそんな経験をしていないからいえることで、翌日は 文 朝早くから電車にギュウ詰になって会社へ行き、一日働いてへトへトになって帰ってくる 者の身にもなってみてよ、と反発された。
161 笑いつつ怒る時 「見送ってほしいのなら、見送りに来なさいといえばいいんじゃないですか」 と真面目にいう。笑った我々はすっかり白けて、 「うん、なるほど、そういうことなのネ」 うなず と頷くしかなかったのである。そのうちこういう話は半数以上の日本人に理解されない 時代がくるのだろう。 小児科のお医者さんに聞いた話だが、離乳期の赤ちゃんを連れて来た若いお母さんに、 もうそろそろお粥を食べさせてはどうでしよう、といったところ、彼女はこう質問した。 「それはどこのメーカーのでしよう」 その話を聞いた時も、我々はいっせいに笑った。だが、と笑った後で私は思った。 今はこうして皆が笑っているけれども、そのうちに、 「それがどうしておかしいの ? 」 という人たちが増えてきて、やがては、 「昔はねえ、どこのメーカーのお粥かと訊いたら、それがおかしいといって、みんなで笑 ったものなんですって」 「まあ、オホホホホ」 まじめ かゆ
151 教養とは ? るのである。 それは記憶するばかりで「考えない」というアホである。知識は頭に詰め込めばいい、 そしやく というものではない。身につけた知識をもって、深く考える。知識を咀嚼し、血とし肉と してこそはじめて「アタマがいい」ということになるのだ。 私の知り合いに記憶力抜群のおばさんがいて、特に日本歴史が得意だった。人はみな彼 女のことを「アタマのいい人」と感心している。 うじようそううんあしかが おだわら そのおばさんとある時、一緒に新幹線に乗った。小田原を過ぎると、北条早雲が足利氏 せきはら ひでよし から城を奪った話になり、やがて北条氏は秀吉の軍門に降るという説明になる。関が原を けいちょう 通れば「関が原の戦いはあれは慶長五年九月に起っています。秀吉が死んだのは慶長三年 の八月ですから、丁度二年目です」と始まる。それがどうした、と私はいいたい。観光・ハ かとうきょまさ スに乗ってるんじゃないから静かにしてほしい。しかしおばさんはつづける。「加藤清正、 くろだながまさそかわただおきわきさかやすはるふくしままさのりあさのよしながかとうよしあき 黒田長政、細川忠興、脇坂安治、福島正則、浅野幸長、加藤嘉明 : : : これで七人ですわね。 そろ いしだみつなり この七将が揃って石田三成を襲ったんです」 ひれき つまるところおばさんは己の記憶力を披瀝しようとしているのであって、そういう歴史 的事実の持つ意味、それについての彼女の考え方を披露しようとしているのではないのだ。
先さまの家風 自作がテレビ化される時、感想を求められると私はよくこう答えたものである。 「娘を嫁にやったようなものですから、先方の家風によって、どんなふうに作り変えられ ようと仕方ないと思っています」 うちわ しかし世の母親というものは、そうはいっても、内輪のかげロで、 ーの漬物を買ってるんですって。おふく 「あそこの家ではヌカミソも作らないで、スー。ハ ろの味ってものがないらしいのよ。あの家ではスー。ハーの味がおふくろの味なの」 とか、あるいはまた、 「あのお母さんは毎日、ヌカミソを掻きまぜないとご機嫌が悪いんだって : : : 合理的じゃ 風ないわねえ」 まなどといわずにはいられない。 はず 先そのように私も嫁にやった筈の我が小説のテレビ化を見ている間に、 「なに、あの出だしのシーンは。新聞配達が早朝の住宅地を新聞配っているところから始
136 いや、それはわかっている。同情する。しかし赤ちゃんの若いお母さんだってそれは十 分にわかっているのだ。わかっているからこそノイローゼになるのだ。わかっていなけれ ばノイローゼになんかならないのである。 自分が与えられた苦痛は、与えた相手に文句をいうことによって解決する それが当然の権利だと思っている人が増えてきた。だがその権利意識のために、平和で ありながら生きにくい世の中になってきている。 文句をいわなければわからない社会常識の欠けた手合が増えていることは事実だが、う つかりしているとどんな文句がとんでくるかわからないという心配があることも事実であ 東京都のゴミ問題に少しでも役立とうとゴミを庭で焼いたところ、煙が迷惑だといって 文句がくる。 我が家の近所の中学生が毎朝、学校へ行く時に友達が誘いに来るのを待っている間、サ ッカーポールを蹴っていたら、それがうるさいと学校へ文句の電話がいった。かと思うと いっかは男性だけのメンバー制のゴルフ場に、なぜ女を人れないのか、それは差別だと文 句をいった女性政治家がいた。